無双神伝英信流 大石神影流 渋川一流 ・・・ 道標(みちしるべ)

無雙神傳英信流抜刀兵法、大石神影流剣術、澁川一流柔術を貫汪館で稽古する人のために

農作業

 大石神影流剣術のある動きの手の内の作用を、鍬を扱う時の手の内の作用で説明を受けたことがあります。私の師の大石英一先生は師である祖父の大石一先生からその教えを受けたそうです。
 農作業と言っても家庭菜園のレベルではなく家族が十分に食べていける規模の広さを全く機械を使うことなしに行うので、もっとも効率的な動きをしなければなりません。共通する部分も多かったと思います。

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  1. 2018/05/11(金) 21:25:00|
  2. 剣術 業

英語

 貫汪館には米国にエルパソ支部、インディアナポリス支部、英国にロンドン支部、オーストラリアにパース支部、さらに南米にトリニダードトバコ支部があり、全て支部長は英語が母語です。支部長が日本に来て稽古する機会も増えています。支部長の全員が日本語を話せるようになりたいと努力していますが、英語と動きで指導する方が習得が早いのが現状です。
 貫汪館で稽古される方には英語が苦手な方もおられると思いますが、日本人の悪い癖として文法にのっとった正しい英語を話そうとするばかりに英語が話せなくなっています。まずは単語を並べるところからと思い、英語を話してみてください。

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  1. 2018/05/10(木) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

日常生活に稽古を組み入れる

 現代に活きる私たちは江戸時代の武士のように毎日稽古することは難しく、上達しようとすればどこかで工夫する必要があります。
 たとえば股関節を緩める稽古をしようとすれば、無理に正座しなくても椅子に座ったまま仕事をしながら少し意識するだけで稽古できます。肩の力みをなくそうとすれば車の運転をしながらハンドルを切るときに稽古できます。いろいろと工夫すれば生活しているだけで様々な稽古ができ上達の機会がありますので、試みてください。

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  1. 2018/05/09(水) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

 澁川一流柔術の形は非常に単純ですが、捕の大切さは、大石神影流剣術や無雙神傳英信流抜刀兵法の稽古における打太刀の大切さと変わることはありません。
 たとえば履形で力任せに下から殴りつけるように拳を振り込んでいたら、初心者は肩から先を力ませて、その拳を取ろうとしてしまい悪い癖がついてしまいます。また間合をいい加減に相手の体に触れないところに突き込んでいたら受は正しい間合を覚えることはできません。いくら澁川一流柔術の形が単純であるといっても単純なだけに捕の動きは非常に大切であるということを知らなければなりません。

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  1. 2018/05/08(火) 21:25:00|
  2. 柔術 業

 人の欲は限りなく、年を重ねてくると名誉欲が増大する人は多いと感じます。特に若いときに名誉を得た方が道を間違えると若さによって名誉を得たものが続かなくなり、人を陥れても何とかして名誉欲を満たそうとするようです。
 私たちも、いつそのようになってしまうかわかりません。名誉にも小さなものや大きなものがあり、自分で気づかないだけで名誉だと思っていることはあります。道を外れぬよう常に自分自身を見つめていなければなりません。正しい道を歩んでいるつもりでも、知らずに異なる道を歩んでいるかもしれません。

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  1. 2018/05/07(月) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

古武道

 一般の方は古武道と言っても現代武道との違いはわかりません。現代武道のイメージで競技でありスポーツ的なものではあるけど、精神修養をするためのもの、といったイメージから連想して、競技ではないけど現代武道と同じように肉体的に厳しい稽古をして精神修養をするものといったイメージをもたれるくらいです。
 少し説明の視点を変えて、江戸時代の日本は文官と武官が分かれておらず、武を専らとする武士が政治も行って平和な状態が長く続きました。その平和が続いた時代に稽古されたものが古武道であり、古武道の多くの流派が江戸時代に生まれました。つまり、稽古は争うためのものではなく、平和を保つ元ともなったのですとお話しすると、古武道に対する見方を変えられるようです。勝敗を競いチャンピオンを決める現代武道のイメージを持っておられる方から見ると、江戸時代の古武道はさらに勝負にこだわったもののように思われる方もおられるのです。

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  1. 2018/05/06(日) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

理解される

 理解して稽古していただく方を増やそうと思うと、稽古していただかなくても私たちがしていることを理解してくださる方がおられなければなりません。
 さて、そのためにはどうするか。演武会で通りすがりに見ていただいただけでは存在は知っていただけますが理解していただくことはできません。お話しして、説明してやっと理解していただける場合が多いのです。地道にお話していくしかありません。

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  1. 2018/05/05(土) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

共通するところを理解する

 貫汪館では大石神影流剣術・澁川一流柔術・無雙神傳英信流抜刀兵法の3流派を稽古しています。しかし、稽古を重ねた方にはそれらの三つが別々のものではないということが理解できるようになってくると思います。
 3つの流派は、生まれた地域も稽古していた人も全く別々でありながら、その根本には共通した者があるのは不思議であるとしか言いようがありませんが、これが縁であるのかと思います。
 稽古を重ねた方は私から言わなくても、共通の原理を見つけられ喜ばれています。それは上達した証でもあります。逆にいくら稽古の年数を重ねていても「自分は、これはできるけれども、これは苦手。」と考える方は自分ができると思っているものも、実はできていないのだということを知らなければなりません。

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  1. 2018/05/04(金) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

時々の魔

 正しく、あくまでも正しく稽古を続けていくと、やがて自分自身の変化・上達を感じるときが来ます。あくまでも正しい稽古を重ねていればであり、正しく稽古を重ね、上達を感じるときには本当に上達しているのですが、このような機会は正しく稽古していると何度も起こります。
 師から正され続けているのに上達を感じたとしたら、それは自己満足にすぎません。より早く、より強くという思いはその都度起きてきます。初心者によく思われたいという欲や、人よりも優れて見られたいという欲などさまざまな欲がわいてくるのです。そのような魔がさしたときに、それが魔であるということに気付いて打ち消せるようにしっかりとした自己をもって稽古してください。

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  1. 2018/05/03(木) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

 澁川一流柔術で受を取る方は必ず正しく間合いを取ってください。
 澁川一流柔術は、その形の構成からみても明らかなように最終的には素手で刃物から身を護る技を身に付けなければなりません。そのためか、稽古の初めから相手と間合がある状態から相手が仕掛けてくる履形・吉掛の形を稽古します。
 相手が刃物を持った場合には、触れられれば斬られ突かれると思わなければなりません。そうならないためには間合いが正しく取れ、間合いを正しくはかることができなければなりません。
 受が正しく間合いをとって仕掛けることによってのみ初心者は間合を学ぶことができます。
 
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  1. 2018/05/02(水) 21:25:00|
  2. 柔術 業

初めに泣くか、あとで行き詰るか

 無雙神傳英信流抜刀兵法の稽古を始めるときには様々な稽古の条件を護って稽古する必要があります。
 正座するときには音を立てない。礼をするときには臍下が中心となる。歩くときには膝下は力を抜いたまま。刀は右手を伸ばさずに抜く。・・・・・・等々
 稽古をする目的が自己流に満足したいことにある人はこれらの大切さがわからず自己の基準を守ろうとしますが、流派を選んだ方は教えを忠実に守ろうとして自分のレベルの低さに泣きながら稽古します。素抜き抜刀術では自己の我儘が通るものの、やがて太刀打・詰合・大小詰と進んでいくと我儘は通らなくなり、行き詰ってしまいます。しかし、教えを忠実に守ろうとして初めに泣いた方は、正しく稽古したことが役に立つのがわかるでしょう。

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  1. 2018/05/01(火) 21:25:00|
  2. 居合 総論

長命痛・老人痛

 『在阪漫録』は 大阪西町奉行として在阪した久須美祐雋が、大阪で見聞するところを安政4年から文久元年頃まで書き綴った随筆で、この中に長命痛・老人痛について記されています。

 老人の腕が何となく疼むのを俗に老人痛などと言い、対外この痛みは40最後に生じるものなので、四十手などと世間では言う。
 私は42歳よりこの痛みが起こり、様々な方法で療治したけれど治らなかった。48歳までは騎射もしたけれど、監察になってから2年ほど弓をしなかったがその後、再び射術をしようとしたが腕の痛みはやや収まっていたものの腕は萎えてしまい、弱手も引くことがかなわなかった。それで武技はやめたけれど、せめて居合でも抜こうと日々、三.四十本を抜いていたが再び腕の痛みを覚えたので居合も止めた。その後60歳になって大阪に移り、腕の痛みもなかったので居合の稽古を始め後には数を増やして日々、百五六十本ぬいた、またおおいひは三百五六十本抜いたこともあった。ところが風邪をひき発熱の後また腕痛が再発してしまい、居合の数も減らしたが日比腕痛は強くなった。
 これを内山之晶が聞いて、奇役があり効くので試してみればよいといった。それは干瓢一味を黒焼きにして朝夕白湯で服すのである。これを用いたところ十四五日で少し痛みが軽くなり、二か月くらいでずいぶんよくなり二か月半でよくなった。家来の平野もこれを試したが、三十日で治った。
 干瓢は常に食べるものであるが黒焼きにしなければ薬効はない。

 この長命痛・老人痛がどのような病気かわかりませんが、このような症状を持つ方は試してみる価値がありそうです。

 以上で江戸時代の随筆は終了します。

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  1. 2018/04/30(月) 21:25:00|
  2. 武道史

刀脇差700腰

 『難波噺』は下総関宿藩士池田正樹が大坂城代の家臣として大阪滞在中に書きとどめた日記的随筆で、明和6年から安政3年までの記事が記されています。この『難波噺』に淀屋の刀剣について記してあります。

 淀屋は宝永2年(1705年)、五代目の淀屋廣當の時に闕所になりましたが、その時の財産に刀脇差700腰とあります。いずれも折紙付と記してありますから、戸井要件を所持していたのだろうと思います。諸大名へ貸し付けていた金額は銀1億貫に上ると言いますから相当な富豪で、これらの刀脇差は、大名に関係するものかもしれません。
 闕所前にのれん分けを受けていた牧田仁右衛門は店を出身地の伯耆国久米郡倉吉に開き、淀屋清兵衛と名乗ります。明治まで八代続きますが、多額の資金を調停や倒幕運動のために捧げつくしたと言われています。

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  1. 2018/04/29(日) 21:25:00|
  2. 武道史

脇差の下緒

 鈴木桃野の未整理の草稿を写したものといわれている随筆集『桃野随筆』に脇差の下緒についての記述があります。

 稲葉閑斎が言うには脇差の下緒は帯に挟むものである。そのわけは挟まずにいると、道の途中で尿意を催した時に、汚れてしまうことがあるからという。両手がふさがってしまっているので如何ともしがたいのである。

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  1. 2018/04/28(土) 21:25:00|
  2. 武道史

剣術見分

 『よしの冊子』に次のようにあります。

 近藤石見森の屋敷で大御番剣術見分があった。野呂伊太郎という者が打太刀を打殺してしまったそうだ。そのほか居合で額を切られた者や木刀で鼻を折られた者など、ひどい怪我をしたものが5人いたようだ。石見は自分と同流の者には仕合をしようなどと言い、下の者は仕方なく荒業をするそうだ。石見は木刀で打殺された者は忠風で死んだのであり、怪我で死んだのではないといっているそうだ。

 こんな乱暴な見分をする者もいたのだと思いますが、筆者は批判的です。
今の世でも、同系統の他流派の方に、太刀打の稽古は激しいので何度か指の骨が折れたと自慢する方もおられました。私達には無縁の世界です。

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  1. 2018/04/27(金) 21:25:00|
  2. 武道史
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