無双神伝英信流 大石神影流 渋川一流 ・・・ 道標(みちしるべ)

無雙神傳英信流抜刀兵法、大石神影流剣術、澁川一流柔術を貫汪館で稽古する人のために

ちょっとした仕草

 『真佐喜のかつら』という嘉永末年頃と推定される随筆に下記のようなことが載っていました。
 細川越中守の家臣永岡某という武士が小田原で宿泊したのこと。夕膳を終えたのちにその家の小女が「永岡殿は女の手で育った。」というのを伝え聞き、その小女を呼びわけを尋ねた。小女は「湯を飲まれた後、二度、箸の先をなめられたため。」と答えた。
 そこで永岡某は、身分は低いけれども観察力が優れていることに気付き、その小女の親にしらせて江戸に連れて行き、細川侯の大奥に仕えさせたところ諸事利発で上の御心にかない、後には両親も豊かに暮らした。
 私たちの稽古している武道でも、ちょっとした仕草で、その癖を読みとられるのかもしれません。

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  1. 2017/11/09(木) 21:25:00|
  2. 武道史

区切らない

 全くの初心者の方は形・手数の手順を覚えるのが精一杯ですから、「こう来たら、次はこう。こう動いた次は・・・。」と考えてしまうのもやむを得ないと思います。
 しかし、数回道場で稽古したら、そのような途切れ途切れの動きをしてはなりません。武道の形稽古としては何の意味もないからです。武道における形稽古はどのような状況にも応じられるようになるための稽古でなくてはなりません。区切ってこれを行うのはパターンを覚えているだけでどのような状況にも応じられる稽古にはなっていないのです。
 相手がどのように動くかわからないことを前提とした手数・形の稽古でなければなりません。

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  1. 2017/11/08(水) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

演武以外の動き

 演武に臨むときには実際に演武しているとき以外の動きが大切です。
 待っているときに、イライラ、そわそわして体を揺らしていたり、演武場に入るときに隙だらけでスタスタと靴を履いているときのような歩き方をしたり、視線が定まらなかったりしていたら、いくら演武に間違いがなかったとしても、それだけのことで稽古をしっかり積んでおらず、不安なのだという事がわかってしまいます。
 そのようにならないためにも、これだけ稽古したと思えるほどの稽古は重ねてください。

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  1. 2017/11/07(火) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

手でかばう

 江戸時代の随筆にはよく殺傷事件について記述されています。
 よくあるのが手を切り落とされたという記述ですが、脇差や刀で斬りかかられた時に、自分をかばおうとして手をあげてしまい、その手を切り落とされてしまうようです。相手が冷静でない状態で間合いが遠い場合、手をあげなければ手を切り落とされることもなく、体も傷付けられることはなかったのだと思います。
 
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  1. 2017/11/06(月) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

稽古道具

 幕末には剣術の稽古道具も自作する方が多かったようです。記録を見ても、竹刀はもちろんのこと、面も面鉄は鍛冶屋さんに作ってもらっても、面布団などは自作して面鉄と縫い合わせています。籠手も自作する人があったようです。木刀や六尺棒なども明治になっても手削りのものが多く、同じ流派内で使っているものであっても、機械で作るわけではありませんので、若干の誤差があります。
 現在はそのような時間的な余裕もありませんので、武道具屋で購入することになりますが、大石神影流の稽古に用いる鞘は塩ビパイプか、その他のもので自作しなければなりません。また柔術の稽古に用いる懐剣は、使用してささくれ立ってしまった木刀から作ることができますし、破損した部分によっては小太刀も作ることができます。破損した六尺棒から三尺棒や互棒、小棒も作ることが可能ですので、試みてください。

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  1. 2017/11/05(日) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

責任をもって教える

 貫汪館では7段までの段位制も採用していますが、6段以上を受審しようとする方は支部を持ち、支部長としてその支部の指導をしていることを条件としています。
 これはいつまでも師の道場にいて責任を持たぬまま兄弟子として後進を指導していれば必ず心にゆるみが出て、いい加減な指導になり自分の地位に安住するようになるからです。更に悪い場合には後進が伸びてきた場合には自分の地位が脅かされるために保身に走り、できたように見せる動きをするようになり上達から遠ざかっていく場合もあるからです。
 自分で支部を運営していこうとすれば、責任を持たねばならず、そのような気のゆるみが起きにくくなります。

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  1. 2017/11/04(土) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

訊く

 昨日は一度限りという覚悟を持って稽古に臨むべきだという事について記しましたが、もし、不明な点があれば何がわからないのかしっかり稽古をしたうえで、師に訊ねることは許されることですので記しておきます。
 教えられたことを自分で自分のものにする努力をすることなしに漠然と質問しても、得るものはありません。そのようなときには教えられたことを受け取っていない場合が多く、何がわかっていないのかもわかっていないからです。教えられたことをしっかりと自分のものにする努力をしたうえで不明なところ、あるいは会得できたと思う事が正しいかどうかを質問するのであれば上達していきます。

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  1. 2017/11/03(金) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

一度かぎり

 現代の学校教育を通じて、わからなければ何度でも教えてもらえるという考え方が身に付いていると思います。
 しかし、古武道の世界では必ずしもそうではないという事はこれまでに何度か述べてきました。次があると思うから今現在の教えに100%集中することができません。わからなければ、また教えてもらえばよいと思っていたら、その場で身に付くはずのものも、身に付かなくなってしまいます。教えていただくときには、今この時しか教えていただくことはできないのだという覚悟をもって稽古に臨むだけで習得はずっと早くなります。

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  1. 2017/11/02(木) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

一続きに遣う

 手順を覚え、一通りできるようになれば形、手数は一つのグループは区切らずに続けて遣い稽古します。
 大石神影流であれば「試合口」5本、「陽之表」10本、「陽之裏」10本を各5本10本は途中で区切ることなく初めから終わりまで続けて使います。無雙神傳英信流であれば大森流は初発刀から抜打まで、英信流表は横雲から抜打までを続けて遣います。澁川一流は形数が多く難しいところもありますが可能な限り履形は最初から最後まで、半棒のように形数が少ないものは当然、立会から千拂までを途中で区切ることなく順番を変えることなく続けて稽古します。
 そのような稽古をしていれば、その理由もおのずからわかってきます。

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  1. 2017/11/01(水) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

日本における銃剣道の起源について 13

Ⅶ まとめ
 銃剣(槍)術は高島秋帆によるオランダ砲術と西洋銃陣の研究にともなって日本に導入された。その後,号令の日本語化に伴って,銃剣(槍)術の号令も日本語化された。これを銃剣(槍)術の日本化の始まりととらえることができる。
 技術的には西洋諸国の教練書を翻訳して用いていたため銃剣(槍)術は日本化はしていないが,拙い西洋の銃剣(槍)術の技を日本の槍術の技におきかえようとする考えがあったことが高杉晋作 の『兵法問答書』にみることができた。
 銃剣(槍)術の指導においては教師の号令に合わせて訓練を行う集団教授法がとられており,明治以降の武道の集団教授にすくなからず影響を与えた可能性が考えられる。

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  1. 2017/10/31(火) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

日本における銃剣道の起源について 12

3.『蝦夷之夢』
『蝦夷之夢』は『北国戦争概略衝鉾隊之記』と同じく今井信郎によって記された戦記であり,箱館戦争を中心に記されている。
慶応4年(1868)11月15日:箱館戦争
 「伊奈誠一銃槍を振い渡り合い三カ所の傷を受く…中略…銃兵山田友吉銃槍にて二人を衝き殪す。そのほか渡辺左仲、相馬助次郎等皆銃槍をもって敵を衝殪し討取二十四人」36)

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  1. 2017/10/30(月) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

日本における銃剣道の起源について 11

2.『北国戦争概略衝鉾隊之記』
 『北国戦争概略衝鉾隊之記』は今井信郎(1841-1918)によって記された戦記である。衝鋒隊は,幕府陸軍の歩兵指図役頭取古屋佐久左衛門が江戸開城後に結成した部隊で,関東,越後,箱館を転戦したが,今井信郎は副隊長を務めた。
(1)慶応4年(1868)5月26日:北越戦争
 「木村令シテ鎗ヲ銃ニ付け鬨ヲ揚テ乱軍中ニ衝キ入リ短兵接戦夾撃ス」33)
(2)慶応4年(1868)5月29日:北越戦争
 「我兵火ヲ縦ツテ村中ニ乱入、銃槍ヲ以テ敵兵ヲ衝キ殪シ追撃」34)
(3)慶応4年(1868)10月14日:箱館戦争
「敵兵銃先ヲ並ベ連発ス。我兵撓マズ競ヒ進ミテ銃槍ヲ閃メカシ塁壁ニ乗入リ、五人ヲ衝殪シ首ヲ揚ゲ」35)
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  1. 2017/10/29(日) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

日本における銃剣道の起源について 10

Ⅴ 戊辰戦争における銃剣の使用
 戊辰戦争の記録に銃剣の実用が散見されるので以下にその記述を載せる。
1.『南柯紀行』
 『南柯紀行』は大鳥圭介(1833-1911)によって記された戦記である。大鳥圭介は江戸開城時,歩兵奉行であり,『南柯紀行』には江戸開城後の慶応4年(1868)7月11日より函館戦争終結後の明治2年7月29日までが記述されている。
 『南柯紀行』中に記述された銃剣の実用についての記述は以下の通りである。
(1)慶応4年(1868)5月6日:今市での戦闘
 「高木銓之助は…中略…敵の発砲盛なる胸壁に近づき兵士等をして剣を附けしめ、胸壁に駆登り敵を逐いちらし」30)
(2)慶応4年(1868)6月24日:会津での戦闘
 「士官は刀を抜き兵士は剣を附け、声を揃えて胸壁より飛び出し、谷川を渡り切り入りし」31)
(3)明治2年4月14日:箱館戦争
 「剣を附けて胸壁の外に躍り出て、敵二人迄衝き斃し、終に戦死したる者あり」32)
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  1. 2017/10/28(土) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

日本における銃剣道の起源について 9

Ⅵ 銃剣術の日本化についての模索のはじまり
 長州萩藩の高杉晋作は西洋の戦法と日本の戦法を比較した『兵法問答書』を著わしている。そのなかで銃剣の使用に関する「鐡砲と刀は一人之身に備られ候得共、鎗鐡砲とは用られす候、士隊にも銃隊にも變し候得は、鎗は捨て候に而ても有之候哉」という問いに対して以下のように述べている。
「兵器の用、各長短夕、相兼ること不能候、鐡砲は間の外に利有りて、血戰の用を無さす、刀鑓は血戰の利にして、間の外に用なし、弓矢は騎馬に用ゆへくして、鎗は歩戦ならされは用ひられす候、夫故に西洋に而ポタコルテ製の劍銃に行はれ、敵合になれば間之外に而打放し、直につゝさき掛けて血戰を致す事に而候得共、劒の製造利刃ならさる故、其鎗拙ふして、我鎗術之精鍊なるには比すへきも無之候△西洋戰争之繪巻物を見て、其鎗法之拙きこと相知れ候、且我鎗の術精鍊なるは彼等も又深く賞嘆することにて、和蘭よりは刀鎗の術修行として少年の若連越し長崎に稽古いたし候〇去れは我利刃の鎗を以て銃劍とし、精鍊の法を以て遣へ候得は、是に過れたる便利の器は無之候、是彼の劍筒我に用れは十分の利に候得共、方今西洋銃隊を用るに、大抵劍を用ひさるは、未た實用の利を究得さる故にて有之候、然は是か相掛りの騎戰を去る事にて、時に取ての鎗も又翻る處有之り、一概に廢すると云ふにはあらす候」29)
 高杉晋作は西洋の銃剣は質が悪く西洋の銃剣の使用法も拙いので銃剣を日本製にし,その使用法も槍術を応用して使うべきだと述べている。
 この考えは明治になってからの西洋の銃剣術の日本化につながるものであり,その萌芽がすでに江戸時代にあったことを証するものである。

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  1. 2017/10/27(金) 20:17:38|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

日本における銃剣道の起源について 8

銃槍兵の警戒
第百九十ニ章
 (第一) 歩兵に対するときは正面を突き,剣騎や槍騎に対するときは擲(な)げ突きをする。
 (第二) 敵の突き,斬撃,打撃を防ぐには銃槍を用いる。
 (第三) 銃で敵の兵仗を打撃して姿勢を崩して突く。
 (第四) 敵の銃によって打撃され自分の姿勢が崩れたときは飛び下がって姿勢を整える。
 (第五) 敵の銃を打撃したり,敵の動きが荒く隙ができたときにはその虚をすぐに突く。
 (第六) 仮動や翻転で敵の動きを誘いその虚に乗じる。
 (第七) 敵兵が未熟なときは擲(な)げ突きが有効
 (第八) 敵の銃槍の位置が高ければ,銃を上に押し上げながら入り,短突をする。
 (第九) 敵が急迫したり飛躍して迫ってくるときは右足(後足)を引き、短突きをする
 (第十) 騎兵が急襲してきたときは,必ず命中させることができないのであれば,射撃しない
 (第十一)銃槍で騎兵に向かうときは馬の鼻を打ったり,後足を折ったりして騎手を突く。
 (第十二)剣騎に近づくにはその左から近づき,槍騎の場合にはその右から近づく。
 (第十三)騎兵の襲撃を受けるときには,自然の姿勢で敵が近づくのを待つ。
 (第十四)騎兵が歩兵に向かってきながら,躊躇して止まった場合は,こちらから打ちかかる。
 (第十五)騎兵が歩兵にむかってくるときには,これを避けたのち擲(な)げ突きをする。
 (第十六)騎兵が歩兵を侮って輪乗りをするときは,馬の後ろに付き突く。
 (第十七)騎兵が輪乗りをするときは,輪の外に出る。
 (第十八)騎兵がかかってくるときは,騎兵の槍を自分の銃槍の下にして,間を詰めて短突をする。
 (第十九)戦場の地形が平らでないときは騎兵を高所に位置させる。

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  1. 2017/10/26(木) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論
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