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無双神伝英信流 大石神影流 渋川一流 ・・・ 道標(みちしるべ)

無雙神傳英信流抜刀兵法、大石神影流剣術、澁川一流柔術を貫汪館で稽古する人のために

捨てること

 先日、無双神伝英信流の稽古に関して「ゆっくり静かに」ということを述べました。これは初心者の方で自分の動きを認識できない方に対しての指導です。
 自分の動きの力みひずみが認識できるようになった中級者の方が「ゆっくり静かに」という言葉にとらわれてしまうと、これは心の力みであり、逆にひずみを生じてしまいます。
 身体の力み、ひずみを無くすのは動きの中に少しの抵抗も生じさせないためで、自由に動けるようにするためなのですが、自分の動きを認識できるようになった方が「ゆっくり静かに」を意識しすぎた結果、自分の動きにブレーキをかけてゆっくり静かに動いてしまっては元も子もありません。次々と日々新たな段階に移って行く訳ですから、過去の稽古をいつまでも引きずらずに、今の稽古をしてただきたいと思います。 
 同じようなことですが、今日、子供達の渋川一流柔術の稽古を見ていても、「確実に手順を間違えずに形を行おう」と思うばかりに「いち、に、さん」と形に段をつけて動いている子供達が散見されました。流れが途絶えた時それは隙になります。指導して頂いている方は心を鬼にして子供達の隙を身体で覚えさせてください。

 12月9日(日)、午前9:30~午後16:00の間、貫汪館 無双神伝英信流抜刀兵法 居合道講習会を実施します。
 今回の講習内容は無双神伝英信流の基礎的事項です。道場外の方にも公開して行う講習会ですから、どなたでもお越しください。詳しくは貫汪館ホームページの無双神伝英信流抜刀兵法 稽古のページ(←クリックしてください)をご覧下さい。
  1. 2007/10/20(土) 13:31:20|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

腹筋

 土曜、日曜、遠隔地に転勤になりながら無双神伝英信流の稽古を続けておられる方に特別に稽古をつけました。どういうわけか動きがいびつであり、どのような方法をとっても修正できなかったのですが、今回の稽古で初めて修正の糸口を掴むことが出来ました。
 それは、腹筋の緊張にあったのです。長い間気づかなかったのですが、その方はいつも腹筋を緊張させており決して緩めることは無かったので、常に細いお腹をされていました。私も常に全身の緊張をとくように教えていましたので、いつも軽く腹筋を緊張されていたことに気づきませんでした。
 腹筋を緊張させては腹をひっこめると、動きの中心は胸になり、下丹田を中心とした動きはできようはずもありません。世間では一般に腹に力を込めといいます。下丹田に力を込めるという意味でしょうが、無双神伝英信流にあっては力を込めることは無く、腹筋の緊張を完全に解くことによって下丹田が充実することを良しとします。
 これは渋川一流柔術にもあてはまることで、上半身中心の動きとなる方の多くが腹筋を緊張させておられます。自分自身で、動きがぎこちなく、角が出来ると感じておられる方、自分の腹筋の緊張を感じてみてください。


 12月9日(日)、午前9:30~午後16:00の間、貫汪館 無双神伝英信流抜刀兵法 居合道講習会を実施します。
 今回の講習内容は無双神伝英信流の基礎的事項です。道場外の方にも公開して行う講習会ですから、どなたでもお越しください。詳しくは貫汪館ホームページの無双神伝英信流抜刀兵法 稽古のページ(←クリックしてください)をご覧下さい。


 11月3日(土)午前9時半から明治神宮西広場芝地(雨天の場合は至誠館剣道場)において日本古武道振興会主催の明治神宮奉納日本古武道演武大会が開催されます。貫汪館からも無双神伝英信流抜刀兵法と渋川一流柔術が演武します。お時間がある方はお越しください。
  1. 2007/10/30(火) 00:04:28|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

汎用的な体遣いと特化した体遣い

 小学校中学年くらいから渋川一流柔術を稽古している男の子が中学校に入り、剣道部に入部しました。入部して数ヶ月くらいしてから、やはり悪癖が出てきました。
 渋川一流柔術も無双神伝英信流抜刀兵法も一つの武術の種目のみではありません。渋川一流柔術では棒術も十手も分童も鎖鎌も居合も使わねばなりませんし、無双神伝英信流抜刀兵法でも剣術も柔術も使わなければなりません。いちいち種目によって体遣いが異なるのではなく、共通した体遣いで異なる種目の武術を行います。
 一方、現代武道は特定のルールの下で、そのルールにあった勝ち方で試合を行い、勝つことに意義があるため汎用的な体遣いは良しとしません。その競技にのみ、その競技のルールの下で、最も有効に使える体遣いであるほうが良いわけです。したがって剣道も出来れば柔道もできるという方は現代ではなかなか居られません。
 しかし江戸時代には「今は槍をもっていないので・・・。」とか「今は大刀は腰に無いので・・・。」とか「今は素手なので・・・。」と言っていられない時代です。したがって一通りのことが出来る体遣いが求められるのは当然の事でした。
 問題は、現代武道を熱心ににすればするほど、その競技には、その体遣いは使えるが他の種目には使えないという妙な動きの癖が身につくことにあります。以前も剣道部に入部した女の子がいましたが、数ヶ月で所謂駄目な動きになってしまいました。どうしても右足前で、飛ぶような浮ついた動きになってしまうのです。
 もう何年も前の事ですが、私は短剣道の七段を受審するために愛車のZRX1200Sに防具を積んで中国自動車道を走り、岡山県の陸上自衛隊の駐屯地に行って丸一日講習を受けたことがあります。
 受講者のほとんどが陸上自衛官ですので、体力的には全く問題がないのでしょうが、私は無駄な体力の消耗を避けるために講習は無双神伝英信流抜刀兵法・渋川一流柔術の汎用的な体遣いで稽古していました。当然のことながら、高段者の先生からもっときびきび節度をつけてメリハリのある動きをするように時々指導を受けました。各グループごとに指導の先生がついておられましたので、指導の先生は一体私が上達するのかどうかずいぶんと心配されていたようでした。
 丸一日の講習が終わって、七段の審査がありましたが、そのときだけは短剣道に特化した体遣いで受審しました。結果は合格させて頂きましたが、その後、指導してくださった先生が私の元にこられれて、お褒めの言葉を掛けてくださいました。「全銃連の本部の先生に、『今日一番良い受審者でした。あそこまで良く指導をされました。』と私が褒められました。」と、にこにこしながら。
 汎用的な体遣いが出来るので、特化した体遣いにかえることが出来るのですが、講習のはじめから特化した体遣いをしていたらとても体力は持たなかっただろうと思います。その後もバイクで中国自動車道を帰る体力がありました。
 余談が長くなりましたが、現代剣道にしても現代柔道にしても特化した競技ですから、ずいぶんと我々が稽古している内容とは異なる部分があります。しかし、子供達は「それが正しい。」と指導を受け、安易に、同じ武道だからと、簡単なほうの特化した動きを選んでしまいます。
 指導者は、よくよく子供にその違いを説明しなければなりません。

 12月9日(日)、午前9:30~午後16:00の間、貫汪館 無双神伝英信流抜刀兵法 居合道講習会を実施します。
 今回の講習内容は無双神伝英信流の基礎的事項です。道場外の方にも公開して行う講習会ですから、どなたでもお越しください。詳しくは貫汪館ホームページの無双神伝英信流抜刀兵法 稽古のページ(←クリックしてください)をご覧下さい。


 11月3日(土)午前9時半から明治神宮西広場芝地(雨天の場合は至誠館剣道場)において日本古武道振興会主催の明治神宮奉納日本古武道演武大会が開催されます。貫汪館からも無双神伝英信流抜刀兵法と渋川一流柔術が演武します。お時間がある方はお越しください。
  1. 2007/11/01(木) 00:30:29|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

 11月3日(土)の明治神宮での日本古武道演武大会に参加するため2日(金)に上京、時間があったので、上野動物園に行き動物達を見てきました。
 猿山で、ニホンザルたちが戯れている姿を見てふと「猿達は賢いな」と感じてしまいました。
 ロープに飛びついていたり、遠くへ跳んでいたりしても、まったく自然なのです。人であれば、此処からあそこまで、どれくらいの距離があるからどれくらいの跳躍力でなどと考えてしまい、頭が体を硬直化させてしまうのに、どの猿も自然です。別に猿が賢くて頭で考えず体で感じることが出来るわけではないのでしょうが、賢いはずの人間がかえって頭で考えすぎて自由に動けなくなってしまいます。
 武術も同じで、頭で考えた動きは不自然で無理無駄ばかりを生じさせてしまいます。
 無双神伝英信流抜刀兵法の師 梅本三男貫正先生に入門した頃、先生はよく私に「森本君は頭がいいからいけない。バカになれ。」と言われました。

 12月9日(日)、午前9:30~午後16:00の間、貫汪館 無双神伝英信流抜刀兵法 居合道講習会を実施します。
 今回の講習内容は無双神伝英信流の基礎的事項です。道場外の方にも公開して行う講習会ですから、どなたでもお越しください。詳しくは貫汪館ホームページの無双神伝英信流抜刀兵法 稽古のページ(←クリックしてください)をご覧下さい。

  1. 2007/11/05(月) 23:15:51|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

演武の心得

 11月3日(土)の明治神宮の演武会で感じたことを述べます。
 無双神伝英信流抜刀兵法の師 梅本三男貫正先生、渋川一流柔術の師 畝重實嗣昭先生御二人の共通した演武の心得として「当日の演武会場で稽古はするものではない。」という教えがあります。
 大きな演武会に参加すると、必ず演武前に稽古をされておられる方を見かけますが、武術とはいついかなる時にも対応できる術で無ければならないというお考えで二人の師は演武直前に稽古をすることを良しとはされませんでした。したがって貫汪館では演武当日に会場で稽古するという考え方はしませんので、皆さん心掛けていただきたいと思います。
 また大きな演武会などで直前に稽古をしていると武術の動きのわからない見学の方に迷惑をかけないともかぎりません。くれぐれも心しておいてください。

 12月9日(日)、午前9:30~午後16:00の間、貫汪館 無双神伝英信流抜刀兵法 居合道講習会を実施します。
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  1. 2007/11/06(火) 23:57:09|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

途切れぬということ

 11月3日(土)の日本古武道振興会による明治神宮・奉納日本古武道演武大会で、他流派の方から「先生の演武は途切れるところが無い。普通は一つの形を行い、次に移るときにふと途切れができるものですがそれが無く初めから終わりまで続いていますね。座禅をされていますか。」とお褒めの言葉を頂きました。
 このようなお褒めの言葉を頂いたのははじめてのことでした。座禅はしたことがなく、航空自衛隊幹部候補生学校に入校していた時に比叡山研修で一度経験したことがあるくらいです。そのときには、「実力の無いお坊さんのもとで座禅をするくらいならしないほうがましだな。」と思ったくらいです。
 ただひたすらに座っていたとき、私の心の調和を乱す気がこちらに向いたことを感じ「来るな」と思ったのですが、やはりしばらくして若いお坊さんが来ました。座禅の最中に体かわすこともできませんので、そのまま肩を打たれていましたが、誰を打とうかと考えて打つことしかできないお坊さんのもとでの修行は益無しと思ったものでした。
 ところで、10分間の演武の最中に気を抜いてはならないのは貫汪館の皆さんはよくご存知のことだと思いますが確認のためにここに述べます。演武場は戦場であると心得なければならず、戦場であるからには一つの形が終わっても隙を作るわけには行きません。一人に対処したとしても次から次へと敵は現れてきます。しかも前方からのみとは限りません。その意味で演武中は入退場ともに決して途切れるということはありません。
 無双神伝英信流抜刀兵法の師 梅本三男貫正先生に入門し始めて演武する前に心構えとして教えられたことですし、渋川一流柔術の師 畝重實嗣昭先生は私達の形を稽古のたびに確認されましたが、師の前で途切れる瞬間があるということは決して許されることでもありません。
 さらに、演武塲外においても気が途切れるということは隙をつかれるということを意味します。途切れないといっても、常にぴんと張ってきつい状態をいうのではなく、弛まず居着かぬ状態をいいます。日常での動きこそが最も稽古になりますし、また、実際の塲でもあります。


 12月9日(日)、午前9:30~午後16:00の間、貫汪館 無双神伝英信流抜刀兵法 居合道講習会を実施します。
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  1. 2007/11/08(木) 17:15:26|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

途切れぬということ2

 前回,途切れぬということについて述べましたが、これは何も武術にのみ限ったことではありません。
 途切れぬということに関しては私の趣味のがま口バッグ作りや草木染めに関しても同じことが言えます。
 生地を縫い合わせるときに、心が途切れてしまうと針の動きにも途切れが生じ、糸は思うように走ってはくれません。針と糸を持てば、1時間でも続けて動きつづけています。その間、心が途切れることはありません。これは全く居合の稽古と同じ事だと感じます。所用があって針を置いても再開するときには又、同じ心の状態から始まります。そうでなければ、仕上がりはいびつになってしまいます。
 また、草木染めは気が抜けたり途切れたりすると、何故かむらに染まってしまいます。ほんの少しでも油断はできないのです。
 注意して頂かなければならないのは、途切れぬという事と心の状態がピンと張り詰めているという事とは異なりますので、勘違いはされないで下さい。委細は稽古の際に。

草木染め
草木染め(藍・蘇芳・小豆等)

 貫汪館ホームページの無双神伝英信流抜刀兵法と渋川一流柔術の行事のページに明治神宮奉納演武の写真を載せました。ご覧下さい。

 12月9日(日)、午前9:30~午後16:00の間、貫汪館 無双神伝英信流抜刀兵法 居合道講習会を実施します。
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  1. 2007/11/09(金) 17:16:19|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

修行

 知り合いのある研師の方に聞いたお話です。その研師の方は修行も終え一人前の研師として仕事をされていましたが、さらに良い研ぎをしたいと師匠のもとでの再修業の道を選ばれました。再修業の期間は10年間とお話になられました。
 「修行中は師匠に命じられた仕事が済むまでは仕事場である自分のマンションからはみだりに外出することは出来ず、人に会うこともできません。師匠が命じられた研ぎの仕事以外はしてはなりません。」と語られ、「それが守れない時には破門になります。」と話されました。
 修行とは、本来これほどまでに厳しいものです。師は全力で弟子を向上させようとし、弟子の全てを見たうえで、なすべきことを指示します。それを弟子が自分のかってな思いで、師の命に従わなければ、失敗するのは当然であり、自分を育ててくれようとする師を裏切ることでもあります。
 自分の考えが正しいと思い師の指示に従えないのであれば、自分の思いに叶う師を見つけるか、独学で求めるほかはありません。
 現在は世間一般に教師を軽んじることに始まり、御教えいただく師というものを軽んじる風潮があります。師を軽んじることは修行を軽んじることであり、修行を軽んじてしまえば向上はありません。
 渋川一流柔術の師 畝重實嗣昭先生はかって「修行をしようとするものがなすことが出来るのは師を選ぶことで、入門してからは師の言われるままに修行しなければならない。」と話され、また、無双神伝英信流抜刀兵法の師 梅本三男貫正先生も「修行における弟子の権利は師を選ぶことのみである。」と話されました。
 今まで道場で何人もの人に稽古をつけてきましたが、結局のところ、自分中心から抜け出せない人に向上はありませんでした。
  

 貫汪館ホームページの無双神伝英信流抜刀兵法と渋川一流柔術の行事のページに明治神宮奉納演武の写真を載せました。ご覧下さい。

 12月9日(日)、午前9:30~午後16:00の間、貫汪館 無双神伝英信流抜刀兵法 居合道講習会を実施します。
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  1. 2007/11/11(日) 00:08:56|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

写真

 武術の感覚を磨くための道場外での稽古として、写真を撮ることもお勧めします。
 武術はその場その場で同じ動きは全く無く、その瞬間に応じて変化しなければならないものです。たとえ形稽古であっても、渋川一流柔術においては、形をあわすという考えは持ちませんので、決まった手順の形ではありながら毎回毎回、稽古の度にその動きは必ず異なるものであり、無双神伝英信流抜刀兵法にあって一人で行う形であっても、想定の敵の動きは固定せず、抜付けも古来「右側面」とのみなっており、業に特殊性がない場合は「コメカミ」「目」「手首」といったように抜付ける部位は特定されていません。太刀打、詰合、大小詰といった二人で組んで行う形でも、その時々に応じて1cmでも間合が異なれば変化せざるを得ないものであり、固定したものではありません。
 写真を撮る事は、一瞬一瞬の今を切り取ることであり、全体の中での一部を見る目が無ければ、気に入ったものを撮る事は難しいものです。
 風景の写真を撮るときに、たとえ同じ場所、同じ撮影のポイントであっても、一瞬の光の加減や風の向きによって自然はまったく異なる顔を見せます。また、人物を撮る場合はなおさらです。
 今は昔と異なりデジカメがあり、いちいち現像しなければ写真が見れないということもありません。感覚を磨くための方法として試みてください。
 

 貫汪館ホームページの無双神伝英信流抜刀兵法と渋川一流柔術の行事のページに明治神宮奉納演武の写真を載せました。ご覧下さい。

 12月9日(日)、午前9:30~午後16:00の間、貫汪館 無双神伝英信流抜刀兵法 居合道講習会を実施します。
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  1. 2007/11/12(月) 08:52:34|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

上達の秘訣

 上達の秘訣は向上心にあります。
 昨日の渋川一流柔術の稽古ではいつもは仕事の関係で来ることが出来ない方が、今日は仕事が早く終わったからと、職場から道場にスーツのまま来られ、すぐに着替えられて残り30分ほど稽古をされました。
 「30分しかないから・・・。」と考えるのと「30分あるから稽古に参加させてもらおう。」と考えるのでは上達に大きな差が生じます。普段週に1回しか稽古できない方が「今日は遅くなったので、残り30分くらいしか稽古できそうにないから稽古を休もう。」と考えれて休めば、1回稽古しない事は2週間稽古しないということになり、半月も稽古しないことになります。しかし、たとえ30分でも稽古すれば、それは必ず、上達につながる稽古となります。
 無双神伝英信流抜刀兵法の稽古では入門して二年に満たないのに、5年分くらいの上達をされた方がおられます。お仕事が忙しく、稽古時間全てを稽古するということが出来ない方なのですが、仕事が忙しい時には「最後の10分でも見学をさせていただこう。」という姿勢を持ち続けられました。通勤の服装のまま角帯のみしめていただき、斬撃の稽古を稽古の終了時間まで、5分、10分だけして頂いたこともあります。そのような短時間をも惜しんだ稽古は心が稽古に集中したため、大きな進歩をされました。
 上達したいという純粋な思いのみが自らを上達させる事ができるようです。

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  1. 2007/11/13(火) 19:48:33|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

武術は趣味たりえず

 「武術が趣味である。」ということは決して言うことが出来ないものです。
 なぜならば、稽古する術技は命がかかった場合にのみ用いるという大前提があり、命という前提の前ではプロも、アマチュアも区別できないものであるからです。たとえ、武術が道といわれ武道と称しても、また、目的が道を求めるためといっても、自分の命を、あるいは家族の命を守る術技無しには存在しないものが武術なのです。
 「私にとって武術は趣味であったので、殺されました。」「私にとって武術は趣味であったので、家族は命を落としました。」と言うことが出来ないのが武術であり、たとえ稽古量は少なくても、その稽古が命を守るためのものでなければ武術とはいえないものです。けして娯楽とはなりえないものなのです。
 西山松之助先生が『家元の研究』で「本来勝負を主眼とする武技の世界にあっては、何流であれ、負けることは同時に生命をたたれるのであるから、負けたのではその権威を保持し得ないのは自明のことである。」と述べられたように武術においては茶道や華道と異なり、ほとんどの流派で宗家制度というものが存在しなかった理由です。斬られれば終わりの世界であり、現在のように自ら宗家であると詐称して自己を権威付けても何ら意味はありませんでした。
 また、その意味から無双神伝英信流抜刀兵法も渋川一流柔術もいわゆる居合の大会などのように競技化することは出来ません。競技にはルールがあり、ルールの中で優劣を競うものです。しかし、何か事がおこる場合にはルールは存在しません。競技に慣れてしまっていてはルール以外の不測の事態に対応することは難しいものなのです。武術とは常に自由であることを求めなければなりません。
 自分が稽古していることは一体なんであるのか、よく考えて稽古に望むことが大切です。
 道場で稽古する形は形でありながら、形ではありません。
 口伝は道場において。

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  1. 2007/11/14(水) 20:19:52|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

親のなすべき事

 子供達の稽古を見ていて私が子供であった頃に比べて、あまりに経験してきたことが少ないのだなと情けなくなる思いがすることが多々あります。
 たとえば重たいものを持ち運んだ経験があまりにも乏しく、重たいものを持ち運ぶ時のコツといったものが全く体感として分かっていません。少なくとも重い物を運ぶときには小手先では運べないので、何度も繰り返していれば自分の中心が無意識に自覚できているはずなのですが、そんな経験が無いので、全て小手先で済ませてしまおうとします。
 私が子供であった頃は山の間引きした木を運び出したり、シャベルで土を掘り一輪車で運んだりといった軽作業の手伝いをし、何となく身体を使うコツのようなものを子供ながらに掴みかけていたものですが、今の子供達はそのような経験は全くしたことがないようです。何度稽古で指導しても、まるで、ゲームのコントローラーでも操作するような感覚で小手先で相手をコントロールしようとする子が多くいます。
 人間関係においても長幼の序というものが全く分かっていません。昔のように年令の離れたリーダーの下で遊ぶということも無くなったからでしょうが、指導して頂いている先生より遅れて道場に来てもなんとも思わず、大きな声で更衣室で話をしながら更衣、指導して頂いて稽古が終わったら、道場の戸締りもしていないうちから指導者に挨拶もせずに我先に帰宅。何も知らない小学生の低学年なら話して聞かせたら理解し、行動しますが、長幼の序については中学生にもなっていたら、一を聞いても0.1位も理解しません。
 学校教育で、教師を軽んずる風潮をそのまま道場に持ち込んでいるのでしょうが、師を軽んずるものが師の教えることを身につけることができるはずはありません。ましてや武術は人から人でなければ決して伝わらないもの。本で読んで得られる知識とは本質的に異なっています。
 長幼の序は本来家庭で身につけておくべきことでしょうが、今の時代、親に叱られた事がない子もたくさんいます。また、甘やかすことが愛情だと勘違いされている親もいます。
 十年数年たくさんの子供達を指導してきて、その中で思ったことですが、親がなすべきことは、子供に苦労させ、本来あるべき秩序を理解させることではないでしょうか。

 11月25日(日)午前9:20から厳島神社において日本古武道協会主催の演武会が行われます。渋川一流柔術は1番目と最後に演武致します。最後の演武は14:16からです。演武される方以外の方もお時間があればお手伝いにお越しください。
 
 12月9日(日)、午前9:30~午後16:00の間、貫汪館 無双神伝英信流抜刀兵法 居合道講習会を実施します。
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  1. 2007/11/20(火) 23:47:36|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

確かさを求めるが故に

 確かさを求めるが故にかえって不確かな物になってしまうという事を心に留めておいて頂きたいと思います。
 渋川一流には「受」の攻撃してくる手を取りそこを手がかりとして技を掛けていく形が多いのですが、「受け」の手をとる時に、早くしっかり確実に取ろうとするが故に自分の動きが相手との調和を乱し、結果として何をしようとしても「受」との対立関係が解消されず、技がかからなくなってしまうという状態を頻繁に見ます。
 相手との調和を乱さず、なおかつ自分が相手との関係で動きの中心になっていくためには0から10へと急に動いていては不可能です。ほんの短い間であったとしても0から少しずつ10へと変化していかなければなりません。それを心の焦りから早急に自分が相手を取ろうとすると、相手と力と力がぶつかることになってしまうのです。力と力がぶつかった場合、たとえ取れたとしても相手は直に逆を取ろうとします。
 早急な確かさを求めることを止め、相手と調和がとれながら自分が動きの中心となる動きを工夫してください。

 11月25日(日)午前9:20から厳島神社において日本古武道協会主催の演武会が行われます。渋川一流柔術は1番目と最後に演武致します。最後の演武は14:16からです。演武される方以外の方もお時間があればお手伝いにお越しください。
 
 12月9日(日)、午前9:30~午後16:00の間、貫汪館 無双神伝英信流抜刀兵法 居合道講習会を実施します。
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  1. 2007/11/25(日) 01:25:37|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

周りを感じる

 稽古をする上で、周りを感じるということは非常に重要なことです。形の稽古では無双神伝英信流抜刀兵法においては素抜き抜刀術は一人で、太刀打・詰合等は二人で行います。また、渋川一流柔術においても二人捕・三人捕・四人捕などの特別な形をのぞいては二人で形の稽古を行います。武術はこのように、閉じられた空間で稽古が行われるためか、相手には集中できても、周りを感じる力が弱い人も多いように思います。
 しかし、実際何か事ある場合には、突発的に起こったり、また、思わぬ方向から現れたりということがあたりまえの状況となります。周りを感じる力を持っていなければそのような状況に対処することは不可能に近いでしょう。
 大きな演武会でも良く見る風景ですが、近くを観客の方が歩いているのに演武前に稽古している人達、棒や真剣を振っている人たちもいます。
 また、自分の流派の演武時間をはるかに越えて延々と演武している人達。
 最近は厳島神社の古武道の演武大会では各流派演武時間内に終わられるように気を使われてたり、あえて短めの演武をされる流派がほとんどなのですが、先日の演武会では終了近くになって8分の演武時間をはるかに超え延々と20分以上も演武された流派もありました。自分達にとっては自己満足できる演武でしょうが、水分の補給も無く、また、休み無く、寒中9時過ぎから3時すぎまで司会進行をしている者があるとは全く思っておられないでしょうし、古武道協会に全く関係のない方であるにもかかわらず、片付けを待ってくださっている方が居られるとも思われなかったのでしょう。事前に配布されていたタイムテーブルもただの紙切れに過ぎなかったのかとも思います。
 いくらいい演武ができようと、周りを感じることが出来なければ、斬捨てられてしまうのが武術です。私達は周りを感じる力を身につけることなく武術の稽古をしていると言う事は決して許されることではありません。
 宮島の演武会では、そのような方も居られた反面、自ら積極的に後片付けを手伝ってくださった流派の方も居られました。それもごく自然に。いつも演武を拝見していますが素晴らしい演武をされる方です。私達はそのような方を見習い稽古を続けていかなければならないと思います。


 12月9日(日)、午前9:30~午後16:00の間、貫汪館 無双神伝英信流抜刀兵法 居合道講習会を実施します。
 今回の講習内容は無双神伝英信流の基礎的事項です。道場外の方にも公開して行う講習会ですから、どなたでもお越しください。詳しくは貫汪館ホームページの無双神伝英信流抜刀兵法 稽古のページ(←クリックしてください)をご覧下さい。
  1. 2007/11/27(火) 20:18:10|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

形は諸刃の剣

 無双神伝英信流抜刀兵法において、また、渋川一流柔術において稽古の大半は形稽古です。
 何度も述べたかと思いますが、この形稽古、ただ行っていれば上達するというものではなく、むしろ何も知らない時のほうが自由であったという体を作る可能性が大きいものです。
 特に無双神伝英信流の稽古にあっては一人で行う素抜抜刀術の稽古で、すこしでも形として決まった手順を上手に行おうとしたらその時点で、自由な動きを養うどころか、極まった動きしか出来ない体を作ってしまいます。
 形は相手の動きがあって成り立ちます。相手の動きを想定できていればよほどの初心者でない限り体は相手の動きに応じて変化します。ところが、決まった手順を行おうと少しでも考えれば、体は変化できない動きを養うことになります。居合の形の稽古においては決まった動きをしているように見えながら、どの時点で動きを切り取ってもその動きは「無」であり、何もせず座していた状態と同じでなければなりません。手順は決まっていてもどのようにでも変化できる動きを稽古しているのです。ここをを間違えれば武術としての形稽古は絶対に成立しません。
 また、太刀打や詰合などの相手をつける形であってもお互いに手順が決まっているからと稽古していては全く上達はありません。それどころか、下達してしまいます。私が打太刀を勤めるときには遣方の動きがおかしければ隙をついていますが、稽古しておられる皆さんの形の動きの中で、隙が出来るのはたいてい、きめられた手順を行おうとしているときです。手順を意識した稽古は絶対に行わないで下さい。
 渋川一流の稽古は大半が相手をつけての稽古となりますので、ただ、たんに手順を繰り返すという稽古に陥る可能性は少ないのですが、無理に、どうしても技をかけようとして形稽古の絶対条件である「無理無駄な力を用いない」ということを忘れがちになります。この条件を忘れてしまえば、それは単なる力技であり、柔術と呼べるものではありません。
 また、子供と稽古するときに陥りがちなのが「受」をとってやる稽古です。相手が小さな子供なので、業が有効でなくてもかかったように思わせて「受」をとっていると子供は純粋なために、自分の動きが有効であると信じ込んでしまいます。こうなると、それは踊りでしかなくなってしまいます。厳しいようですが技として有効でない動きには絶対に反応してはなりません。
 詳しくは道場で指導いたしますので、形稽古の意義を再確認して稽古に望まれてください。
  1. 2007/11/30(金) 07:59:02|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

全て

 武芸十八般といいますが、現代武道的なセンスで武術をとらえると、18種類の武術を修めるためには、とてつもない修行が必要のように思います。
 現代剣道の稽古をする方が講道館柔道もまた人並み以上であるという話はあまり聞いた事がありません。しかし、いわゆる古武術を修行するものにとって他の種類の武術を行うことに何らかの抵抗感や苦手意識があってはなりません。なぜならば、全て共通でなければならないからです。
 渋川一流柔術には素手による柔術だけでなく、棒術、十手術、分童術、居合術、捕縄術などがありますが、これらは全て共通であり、どれかに苦手意識があってはならないものです。もし、苦手意識や抵抗感があるとすれば、基礎となる素手による柔術の動きに歪みがあるためであり、そのひずみに気づかねばなりません。得物を持つ武術が苦手な方が多いようですが、その方たちに共通するのは肩の力みです。肩に固まりがあって先にとおっていかないために結果として得物が自由にならず、腕力で振り回しているという状況に陥っています。これは素手での柔術においても欠点として現れているはずですので、再度、自分の動きを見つめなおしてください。
 無双神伝英信流にあっては素抜き抜刀術のほかに太刀打、詰合といった剣術技法、大小詰、大小立詰といった柔術技法がります。あるていど稽古が進んだ方は居合という視点から見た場合、全ては同じであるということに気づかれていると思います。大森流、英信流表の素抜き抜刀術の稽古をされて、太刀打、詰合の稽古を始められている方でどうしても動きが不自然になる方が居られます。素抜き抜刀術における歪みが拡大された形で現れているためです。もう一度、自分の動きを見つめなおしてください。
 二年足らずのうちに稽古が進み、大森流、英信流表、太刀打、詰合、そして大小詰へと入られた方が居られますが、相手を投げ、抑えることも素抜き抜刀術の変化に過ぎないということが体感として分かりつつあるように思います。大小詰においても術理は素抜き抜刀術となんらかわらず、自分の体を自然に動かすだけで相手は自分に制御されています。ことさら何かをする必要は全くありません。もし、違ったことを行っていると感じたならば、それは間違った方法を取っているということになります。
 私自身は幸いに航空自衛隊におりましたので、拳銃も自動小銃も幹部候補生学校で訓練を受け、携サムや対空機関砲、ペトリオットの扱い方もわかります。銃剣道も短剣道も退職後も続けましたので、七段を頂き、今でも動きは忘れません。しかし、それらも私自身はいずれも私自身に養っていた共通のものを用いていたので、用い方になれさえすれば、取り立てて困難な物ではありませんでした。
 幹部候補生学校での拳銃の実弾射撃で、中隊長が「森本は武術の動きで拳銃を売っているのか。ほかと違うな。」と仰ってくださったことを覚えています。また、夜間の訓練で、草むらに潜む人間がいると私だけ主張し他は誰一人気づかなかったのですが、後からこっそり教官が「俺が潜んでいた。森本はさすが武術をやっているだけあるな。」と褒めていただいたのも記憶にあります。私にとっては全て共通のものでした。
 それは武術ではないバイクでのツーリングや野宿、裁縫や草木染めにも共通するもので、人によっては私が様々なことができると驚かれる方もおられるのですが、何をやっても今の自分の武術のレベルを越えるものではありません。
  自分のすることを武術以外の物を含めて再度見つめてみてください。

  貫汪館ホームページの渋川一流行事のページに厳島神社・第18回日本古武道術技向上演武大会 (日本古武道協会主催)の演武写真を載せました。
貫汪館ホームページに会報54号を載せました。御覧下さい。


 12月9日(日)、午前9:30~午後16:00の間、貫汪館 無双神伝英信流抜刀兵法 居合道講習会を実施します。
 今回の講習内容は無双神伝英信流の基礎的事項です。道場外の方にも公開して行う講習会ですから、どなたでもお越しください。詳しくは貫汪館ホームページの無双神伝英信流抜刀兵法 稽古のページ(←クリックしてください)をご覧下さい。
  1. 2007/12/04(火) 22:01:23|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

道場の色

 道場には色というものがあります。その色が一つの色なら、落ち着いた道場、ばらばらの色が入り混じっていれば、その道場で稽古しても意味は無いでしょうし、教える師もまったく教えがいはありません。
 無双神伝英信流の師 梅本三男貫正先生は、かって居合の大会で、自分の弟子が指導する道場ごとの集団の演武で、「道場ごとの色が同じであれば良い。稽古のレベルは各人それぞれなので、動きが統一されている必要は全く無く、むしろ動きが同じであるのは武術としての居合ではない。」と私にお話くださいました。
 また、ある日の稽古で、「やっと、色が同じになった、皆の求めるものが同じになった。こうでなければ稽古にはならない。」とも話されました。
 師が目指し教える内容を弟子が目指す事を色に喩えられたのですが、師事していたとしても、「師はこう言われたが、この部分は自分はこう思うので、このように動こう。」と各人が考えていたら、それはばらばらの色が入り混じっている道場であって稽古をしても向上は望めません。また、師の話すこと、指導の内容を飛び越して、師の外見のみを求めてもそれは同じ色ではありません。
 大切なのは本質が同質となること。心掛けてください。

  貫汪館ホームページの無双神伝英信流行事のページに貫汪館居合道講習会の写真を載せました。御覧下さい。

 12月22日(日)の貫汪館・廿日市天満宮奉納演武の日程は午後1時~2時、廿日市スポーツセンター武道場で稽古。その後、廿日市天満宮に移動して正式参拝、演武の順に行います。時間を間違われないようにお願い致します。
  1. 2007/12/12(水) 23:58:39|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

覚悟

 「道場として複数の人数で武道の稽古をするのに、たとえ稽古日が週に一回でも二週間に一回であっても、稽古の日には何があっても稽古に来るような者が集まらなければ、道場としては駄目だよ。」と武道に長年関わってこられた私の良く知っている方が、以前、ある人に話されました。 
 私も全くそのとおりだと思います。武道・武術の稽古は趣味にはなりえないということは以前述べましたが、稽古には覚悟が必要です。仕事上どうしても無理な場合を除き、「今日は少し疲れているから。」とか、「今日は友人と飲みに行くから。」とかあれこれと理由をつけて稽古をしないようでは上達は望めるものではありません。他の日に回せるものは他の日に回し、時間を作って稽古に望むという姿勢が無ければ上達は無いのです。
 現在は無双神伝英信流抜刀兵法の稽古日は週に2日あり、さらに自主稽古の日も2日あります。また、渋川一流柔術の稽古日は週に2日あります。週に1日の稽古の方でも、どうしても都合のつかないときには他の日に稽古することも可能なのです。その時間のやりくりさえする覚悟もないようで上達を望むのは虫が良すぎるというものです。武道・武術は心のあり様と密接不可分のものですから、覚悟が無ければ上達もありません。
 子供の稽古であっても、たった週に一度の稽古を簡単に休ませるようでは、子供はただ武道・武術を経験しているというだけで、真の上達はありませんし、得るものもありません。保護者の方の覚悟もまた子供の教育には必要です。
 無双神伝英信流の師 梅本三男貫正先生は週に5日門人に稽古をつけておられ、仕事の後にご自身の時間というものはほとんどもたれませんでした。
 渋川一流柔術の師 畝重實嗣昭先生にはご自宅で稽古を付けていただきましたが、稽古日をご自身の都合で休みにされることはありませんでした。
 私は不肖の弟子ではありましたが、御二人の先生の、そのような姿勢を見て育ちました。
 現在、私自身は週に4日、道場に出ており、稽古日以外に稽古をつけることもあり、自身の稽古の日も入れれば、ほぼ毎日といっても過言ではありません。週に4回の稽古日は、仕事を持ち帰り、稽古の後に深夜まで仕事をすることもよくあります。
 無双神伝英信流抜刀兵法・渋川一流柔術を稽古してなにかを会得されようとされる方は初心を忘れず、常に覚悟を新たにしてください。
 今年講習会に一度も欠かさず遠隔地から参加された他流の方は、無双神伝英信流抜刀兵法の長足の進歩をされました。交通費もかかり日程もやりくりされての参加です。稽古に望む覚悟が違うのです。
 道場行事の年2回の奉納演武、数回の講習会もあらかじめ日程が決まっています。遠隔地に居られ、普段稽古に来れない門人にも、また参加可能な日程になっています。ましてや、地元に居られる方は稽古の機会を疎かにせず、修行していただきたいと考えます。

  貫汪館ホームページの無双神伝英信流行事のページに貫汪館居合道講習会の写真を載せました。御覧下さい。

 12月22日(日)の貫汪館・廿日市天満宮奉納演武の日程は午後1時~2時、廿日市スポーツセンター武道場で稽古。その後、廿日市天満宮に移動して正式参拝、演武の順に行います。時間を間違われないようにお願い致します。
  1. 2007/12/15(土) 03:13:55|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

樋口真吉展

 本日、高知県立坂本竜馬記念館に樋口真吉展を見に日帰りで行ってきました。ZRX1200Sが少し不調なため、自動車で行きましたがさすがに往復計7時間は少し疲れたため、帰ってから温泉で疲れを癒しました。
 樋口真吉は大石神影流の免許皆傳を初代の大石進から授かった土佐藩の中村の武士です。樋口真吉の業績は南寿吉先生の研究で明らかになっていますが、私は来年の武道学会に向けて樋口真吉がどのように大石神影流の稽古をしたのかを明らかにしたいと思っています。
 さて、今回の展示で始めて樋口真吉の刀を見ました。夏に見たのは稽古用の刃引ですが。今回は実際の差し料も展示されていました。左行秀の作で、長さは93cmで約三尺、柄も異様に長く、附けの構えから、片手での突き業をなすにはちょうど良い柄の長さなのだろうと感じました。
 刀身は普通の刀より極端に細身で長さの割には重量はあまり無いだろうと感じられました。まさに、突き業のために作られた刀です。他の大石神影流の武士もこのように突き業に特化した刀を差し料としていたのか興味深いところですが、初代大石進は胴を切る業にも優れていたと言うことなので、この細身の長刀は樋口真吉のみの工夫なのかもしれません。興味深いところです。
 樋口真吉展を見た後、さる場所に行き、無双神伝英信流抜刀兵法に関し、あることを授かりました。秘すべき事ですので、しかるべき方には道場でお伝えいたします。
 

  貫汪館ホームページの無双神伝英信流行事のページに貫汪館居合道講習会の写真を載せました。御覧下さい。

 12月22日(日)の貫汪館・廿日市天満宮奉納演武の日程は午後1時~2時、廿日市スポーツセンター武道場で稽古。その後、廿日市天満宮に移動して正式参拝、演武の順に行います。時間を間違われないようにお願い致します。
  1. 2007/12/17(月) 00:11:30|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

初心の熱意

 本日は渋川一流柔術の稽古日でしたが、いつもは土曜日に稽古に来られる方が、お仕事の後に稽古に来られました。家からは50分近く掛かると思うのですが、良く来ていただきました。
 初心のうちは何事も目新しく、熱心に習得しようとしますので、この時期に大いに稽古されることが後々、稽古の成果となって現れてきます。
 この時期に心掛けていただきたいのは、けして焦らないことです。早く形を身につけたいためにどうしても使い慣れた日常の体遣いで形を遣おうとしてしまうのですが、武術は今までに経験したことの無い、無理無駄の無い体遣いを身につけさせて業とするものです。したがっていくら動きが速くても、形の上で受(相手)を投げ、抑えることが出来たとしても、その動きが、術の要求する動きでなければ、下手な動きなのです。逆に、ゆっくりしか出来なくても拙くても、それが術の要求する動きの理にかなっていれば、良い動きなのです。なぜならば前者の動きはそこで止まってしまいますが、後者の動きはいくらでも上達できる動きであるからです。
 一度下手な動きで満足し、その方向で上達しようとかってに考えてしまうと後には取り返しのつかないことになってしまいます。勝手に行った方向から戻ってこなければ進めないので、素直に稽古して上達する形の何倍もの時間を必要とすることになります。一度身に付いた下手な動きはすぐに消えるものではありません。
 しっかりと自分を見つめながら稽古を続けていただきたいと思います。 

  貫汪館ホームページの無双神伝英信流行事のページに貫汪館居合道講習会の写真を載せました。御覧下さい。

 12月22日(日)の貫汪館・廿日市天満宮奉納演武の日程は午後1時~2時、廿日市スポーツセンター武道場で稽古。その後、廿日市天満宮に移動して正式参拝、演武の順に行います。時間を間違われないようにお願い致します。
  1. 2007/12/17(月) 23:41:58|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

廿日市天満宮奉納演武

 本日、廿日市スポーツセンター武道上での稽古の後、廿日市天満宮に移動し、本年最後の奉納演武を行いました。
 今回の奉納演武は仕事によりどうしても参加できない方が多かったため、約20名での演武となりましたが、非常に厳粛な雰囲気の中で演武が行えました。
 渋川一流柔術では始めに師範代が模範演武を行ったためか、子供の演武が全員普段以上の優秀なできでした。演武に先立って「本日の演武は神様に見ていただくものだから、形ではなく素直な心で演武しなさい。」と話したのもよかったかもしれません。皆、業の間の動きにも隙が無く呼吸も深く、自然な無理の無い動きが出来ていました。
 大人の演武も初心者の方が素直な動きで、今後の上達が楽しみな演武をされていました。
 無双神伝英信流抜刀兵法では師範代代理に1ヶ月くらい前から稽古をつけ始めた大小詰の演武をして頂きましたが、非常に良く出来たと思います。大小詰は柔術技法ですので、単純に考えると、また、居合の稽古が足りていない者が安易にこれを行うと力業になるものですが、師範代代理は素手の動きを居合の理合で無理無駄なく行うことができました。これで、無双神伝英信流抜刀兵法にあっては居合・剣術・柔術技法がそれぞればらばらのものではなく全く同じものであるということが体得できたと思います。
 居合の初心者の中学生にも短期間で稽古した礼法と歩法のみの演武をして頂きましたが、驚くほどに普段の稽古以上の動きができていました。
 今回の奉納演武は公開して行うものではなく、それぞれが神々に1年間の稽古の成果を見ていただくための演武でしたが、参加された方は全員、大きな物を得られたと思います。今後の稽古に活かされます様、お願い致します。
 12月27日(木)は廿日市スポーツセンター武道場で、無双神伝英信流抜刀兵法の最後の稽古を行います。お時間がある方は御参加ください。
  1. 2007/12/22(土) 22:38:20|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

 写真は畝重實嗣昭先生の師 車地國松先生の三回忌の法要の時の写真です。写真が鮮明ではありませんが中央に國松先生の遺影をもっておられる、体が一回り大きな方が畝先生で、その周りにおられるのが国松先生の門人やご家族の方です。この法要は畝先生が中心となり行われました。
法要

 畝先生は私が稽古をつけていただいている時も、弟弟子である国松先生の他の門人の方と親交があり、畝先生の弟弟子であった方が、かわるがわる稽古を見に来られては、「いい師匠につかれました。」と仰ってくださいました。
 先生と国松先生のお話は以前にも書きましたが、畝先生は国松先生がお亡くなりになってからもお墓参りを欠かされたことが無く、晩年膝が悪化されて山に登ることが出来なくなられたときには、私に「私の代わりにしっかりお墓参りをしてください。」と仰ったほどでした。
 武術は技だけでなく心を伝えるものでなければたんなる格闘技に終わってしまいます。勿論、技が無ければ武術にはなりませんが、技のみでは破壊しかもたらしません。心は師弟関係があることによって始めて伝わります。畝先生は「師弟といえば親子も同然。」とお話くださいましたが、そのような気持ちが無ければ本当の技は伝わらず伝わりようも無いのです。
 法要の写真には畝先生の弟弟子であって国松先生から免許を得られた方が写ってはおられません。先生は寂しそうに「あれはこんかったのよ。」と話されました。たとえ免許を得られても、その後は師弟関係に無いと思う方は後世に何を伝えられるのでしょうか。
 畝先生には私以外にも弟子がおられましたが、畝先生のご葬儀には誰一人来られませんでした。ましてや奥様のご葬儀にも。来たのは私が畝先生の師範代をしている時に入門した今の師範代のみです。他の門人は誰一人・・・。弔電さえありませんでした。畝先生のご生前にはあれほど先生を利用されたにもかかわらず・・・。そのような方が後世に渋川一流の何を伝えられるでしょうか。畝先生がお亡くなりになって、もう七年が経ちました。その間、お墓参りのたびに先生のお宅に伺い、ご長男に挨拶をし仏壇に御参りさせていただきますが、ご長男はきまったように「父が無くなってから森本さん以外は誰も来ません。来ていただけるのは森本さんだけです。」とお話になられます。
 幸い現在、道場に集まり渋川一流を稽古して頂いている方は全員心のある方ばかりです。これは師範代以下古参の門人が心ある方ばかりだからだと思っています。
 無雙神傳英信流抜刀兵法の以前の門人の状況については述べたことがありますが、今の門人は、渋川一流同様、心のある方が集まっておられます。これはたとえ稽古をするものが少なくとも人を選び安易に入門を許していないことにもよります。
 今後も、入門に当たっては厳しく人を選び、あやまちが後世に伝わらないよう心したいと思っています。

貫汪館ホームページの会報のページに会報55号を載せました。御覧下さい。
廿日市天満宮奉納演武の様子を貫汪館ホームページの無雙神傳英信流抜刀兵法と渋川一流柔術のそれぞれの行事のページに載せました。御覧下さい。

  1. 2007/12/30(日) 18:27:40|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

年の終わりに

 大晦日です。廿日市では雪がふっています。元旦の朝はたくさん積もっていることでしょう。

                                    雪

 今年も皆さんよく稽古して頂きました。年の終わりに稽古のありかたについて述べます。
 無雙神傳英信流抜刀兵法においても澁川一流柔術においても自ら気づいていただくという稽古方法をとってきました。これからも、稽古方法がかわることはありませんので、今後もしっかりと自分自身で掴んでいっていただきたいと思います。
 無雙神傳英信流の師 梅本三男貫正先生は晩年、居合が大きく変わられてからは事細かに言葉によって説明されるのではなく、感じとることを求められました。形にはめることなく外見を作らせることなく本質が同じになることを求められました。自らが感じ取らなければ本質は決して伝わるものではないからです。
 澁川一流の師 畝重實嗣昭先生の指導は、はじめから<見せる、やらせる>という方法で、見とれなければそれで終わり、事細かに言葉で説明されることはありませんでした。したがって、師のされることは全身全霊で見ておかなければ習得できるものではありませんでした。これは無雙神傳英信流の師 梅本三男貫正先生の晩年の教え方と同じものです。
 本質とはその流派そのものであり、たとえ外見が似ていても本質が異なっていれば、その流派を稽古していることにはなりません。
 このような指導は冷たいように感じられるかもしれませんが、本質を掴むのは自分自身でしかありえず、事細かに手取り足取りして、動き手順を教えてしまえばいわゆるコピーしか出来上がりません。一度、自分の頭で自分の理論を構築して頭で覚えたものは、そこから抜け出すことは困難であり、自由を得ることは出来ないのです。
 皆さんには、それぞれの段階に至った方には、その段階に応じて新たな内容を示しますが、それを自分のものにするのは自分自身であるという心掛けを忘れず、今後も稽古を続けていただきたいと思います。

 貫汪館ホームページの会報のページに会報55号を載せました。御覧下さい。
廿日市天満宮奉納演武の様子を貫汪館ホームページの無雙神傳英信流抜刀兵法と渋川一流柔術のそれぞれの行事のページに載せました。御覧下さい。

  1. 2007/12/31(月) 16:27:13|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

極意は汝が内にあり

 明けましておめでとうございます。本年もよろしく願い致します。
年の初めにあたり、貫汪館で稽古される皆さんに一つだけお伝えしたいと思います。
「極意は汝が内にあり。」とは、1年半前、ある神社で、ある大神から授かった御神示です。

 無雙神傳英信流抜刀兵法、 澁川一流柔術とも極意は既に皆さん一人一人の内に存在します。それは作るものでもなく、他に求めるものでもなく、師に教えられるものでもありません。
  既に己の中にあるのです。深く静かに見つめるときそれは現れてきます。慌てず、焦らず、静かに求めてください。決してなくなることはありません。
 ただただ、ひたすら求めてください。
  1. 2008/01/01(火) 00:49:15|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

 随分前、ある武道をされる方から何故古武道は長い間をとるのかと質問されたことがあります。この場合の間とは時間的な間の事です。その武道では対峙して間をとることが無いようです。
 時間的な間について、あくまで無雙神傳英信流抜刀兵法と澁川一流柔術について述ます。
 はじめに無双神伝英信流についてですが全ての武術はそうなければならないのですが、特に居合はいついかなる時にでも、相手に対応できる武術でなければなりません。そういった意味から専門的に居合の稽古をされたことがない方が演武や稽古において時間的な間をとることを奇異に感じられた事はもっともなことであろうと思います。しかし、素抜き抜刀術(一人で行う居合)において間をとることには以下の様な意味があります。
 初心者にとって立姿勢は勿論のこと座姿勢においても動きの変化の後に(立姿勢から座姿勢に移ることも含めて)心も体も静まることは難しいものです。その静まりようは水面が少しの変化も無く鏡のような状態になっていなければなりません。業を身につけるため初心から非常に高度なものを要求しています。勿論初心者にも随分稽古した者にも完全にできることは無いのですが、その段階において最高の状態を求めています。その状態に二呼吸以内に至らなければなりません。
 次に想定の問題があります。以前述べたように無双神伝英信流においては敵の殺気を感じて、まだ不十分な敵にこちらから先に抜付けるという想定はほとんどありません。多くは敵が自分に斬りかかるのに対して抜付けるという想定です。したがって相手が動き始める前に動くことは無いのです。
 次に太刀打、詰合といった二人で行う形について述べます。太刀打は素抜き抜刀術(一人で行う居合)と違って距離の間をとって対峙します。しかし、太刀打と言えども時間的な間をとって前に進みます。これは敵の状態を知ること無しに前に進むことは出来ないからです。形は手順が決まっていますが、手順が決まっていながら全てに対応できる動きを内包していなければなりません。間をとって対峙している間に相手の心、動きの偏り、全てを読まなければなりません。さらには敵のいる場所の地の利、天の利、見えない得物まで。時間は瞬時であるに越したことはありませんが、それらを読むこと無しにただ、形どおりに抜き合わせてすぐに斬りに行く稽古をすれば最後の部分の技のみの稽古をしていることにしかなりません。たとえば、打太刀(負けるほう)がこれらのことをなさず、すぐに斬りに行けば打太刀はたんに負ける稽古をしているに過ぎません。また、これらのことは前に進みながらも行われています。常に状態は変化するからです。
 詰合においては、座して行う形の全ては素抜き抜刀術(一人で行う居合)同様、間は詰まっています。打太刀から先に抜きつけますが、これとて太刀打同様全てを読んだうえでなければ抜付ける事は出来ません。
 次に渋川一流柔術においてですが、今まで述べてきた無双神伝英信流と同様、初心者はであっても対峙した時、心も体も静まることなしに形を始めることはありません。通常、上位者が受(技を掛けられる者)をとりますので、受は下位者の静まるのを待って仕掛けなければなりません。そうでなければ技は技でなく技が掛かることはありません。体が静まっていないのに形が出来てしまうのは受が受をとっているからであって、けっして出来ているわけではありませんし、そのような動きを合わせる稽古をしていては下位の者の上達はありません。
 上位者同士の稽古にあっては太刀打に述べたことと同じです。相手を読むこと無しに形が始まることはありません。柔術は得物を持った敵に素手で対応できる動きを養う武術です。「打込」の形における懐剣も本来は懐から急に取り出されるものですし、「鯉口」の形も急に抜きつけられるものです。
 天地をよむ事に付いては明治神宮の野外での演武に出場された方はよくご理解いただいていると思います。
 無双神伝英信流においても渋川一流においてもこれらのことを全ての動きに要求するために時間的な間です。よく工夫されてください。

 
 
  1. 2008/01/02(水) 14:28:51|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

稽古外の稽古

 今日、ZRX1200Sに乗り片道2時間かけて、ある神社に御参りに行ってきました。その神社は不思議と心が静まり、その場にいるだけで稽古になる場の力を持っています。
 1週間近くバイクに乗っていなかったのですが、やはり、バイクに載ることは稽古になります。自分の全身とバイクとが一つになっていなければ乗っているといえず、そのために体を使うことは稽古以外の何物でもありません。また、心を散漫にすることは即、死につながることですので、心の状態も刀を扱う時と何らかわるものではありません。
 針仕事もそうなのですが、小手先で針を使うのではなく、体で針を用います。そのような動きも、針を運ぶ時の心のもちようも全てが稽古になります。 


 さて、昨日半日掛けて、新春にふさわしい柄のバッグを作りました。末広がりです。表側と裏側の写真を載せます。

            末広がり表
                            末広がり裏


 昨年作ってまだ紹介していない作品、紅白です。これもおめでたい柄になりました。これは付け下げの着物の反物を安く購入して作りましたので、いくつか同じような作品があります。無地の部分も多かったのですが無地の部分はバッグの裏地に用いました。

             紅白


 次の作品は紫色の生地で少しきついくらいの色だったのですが、しわを伸ばす時あやまって水をこぼし、その部分だけ色合いが少し変わったので、思い切って全部見ずにつけたら 、非常に良い色合いに落ち着きました。年末にお世話になっている方に差し上げました。線が上下に入っているので、バッグの横の縫いあわせで線がずれないように注意しました。

                                  紫


 最後に少し明るすぎるくらいの夏向きの紅型です。これも同じ生地を何枚か買い、同じような柄のバッグを数個作っています。

                     黄緑



 渋川一流柔術の稽古始は1月5日(土)午後2時から、場所はいつもの廿日市市スポーツセンター武道場です。無双神伝英信流抜刀兵法の稽古始は1月9日(水)午後6時半から、廿日市市立七尾中学校武道場です。以後稽古は平常通り行いますのでお間違いになられないで下さい。  
  1. 2008/01/03(木) 22:11:46|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

備前長船日本刀傳習所 上田祐定刀匠を訪ねる

 本日、上田祐定刀匠を備前長船の備前長船日本刀傳習所に尋ねました。上田刀匠については何度かご紹介いたしましたが、古刀と同等の地鉄を目指され、砂鉄から自家製鋼し日本刀を打たれる刀匠で、その伝統を後世に残すべく多くの弟子を養成されています。春には門人11名になられるとの事でした。
 門人の練習用の炭代は御自身で打たれた玉鋼の包丁を販売することにより得られており、門人の習う姿勢も師匠にこたえるべく、自分に妥協を許さず、師匠に素直に真剣そのもの。武術の稽古もそのようになければならないというお手本のようです。機会があれば一度見学にいかれることをお勧めします。見学されれば自分がどのように修行しなければならないかと言う答が見つかると思います。

 さて、今日は昨年の夏に新にお願いした刀の焼入れまでの工程が終わられたので、刀を見せていただくために訪ねました。
 上田先生がご自身の「刀鍛冶の日々」(←クリックしてください)というブログに
 「30数年の刀工生活の成果を妻に見せ、今日まで支えてくれた事に感謝する。刀工生活最高の日である。」
 と書かれているように、先生が全身全霊を用いて打ってくださった大作の刀であり、刀には言うまでもなく既に魂がこもっていました。構えた瞬間に体に通じるものがあり、非常にありがたいことであり、終生の修行に使わせていただく刀になると思います。
 刀が研ぎあがり、拵の作成まで、まだまだ日数はかかりますが、新たな刀にふさわしいよう現在稽古に用いている、やはり上田先生に打って頂いた2尺8寸2分の愛刀での現段階での稽古の仕上げをしなければなりません。
  1. 2008/01/13(日) 22:58:09|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

道具

 昨年11月に友人に自作の木刀を2振り送っていただきました。その木刀が非常によく出来ており封を開けて手が触れた瞬間に「これは違う」と思えたほどです。すぐに腰にとり抜付けて見ましたが、居合刀はおろか上出来の真剣と拵え以上のバランスと握りのよさです。岩手県宮古市の櫓櫂職人のもとで削ったものだということですが、このようにすぐれた木刀を持ったのは初めての事です。いつも家で身近においており、気になったときには腰にとるのですが木刀が私の至らぬところを教えてくれます。
 稽古の道具は非常に大切で何でも良いというわけではありません。勿論使い方も重要なのですが、「道具が業を導き出す。」ということもあります。
 皆さんが使っておられる稽古着、あまりにごわごわしたものだと体の感覚がそちらに奪われ自分の体の感覚が鈍くなってしまいます。身にまとい何の違和感もないものであれば自分の動きを感じ易くなります。居合の角帯もそうです。しめ方が重要なのは勿論ですが、素材や織り方によって抜付けの感覚は異なります。
 稽古に用いる居合刀は言う必要もないと思います。皆さんには濃州堂の居合刀を使って頂いていますが、特に柄は特別に注文して拵えていただいています。
 真剣の鞘にも強く感じたことがありました。鞘は代え鞘を作っていますが、ある職人さんが作った鞘はとても調子が良く抜付けがかわります。
 六尺棒にしても十手にしても同じ事です。稽古用の分童や鎖鎌は自作しなければなりませんが、上手く出来たものはやはり業を導き出してくれます。反対に下手な物を使うと業の質は落ちてしまいます。
 ただ、高価な物が良いというわけではないので、誤解がないようににして下さい。
 
  1. 2008/01/23(水) 00:32:52|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

理解

 師の話されることを本当に理解するのは難しいことで、たいていは表面だけを捉えて理解したと思っていることが多いものです。私の場合もそうでしたが、師のレベルは現在の自分自身のレベルよりもはるかに高く、師はそこに導こうとして話をされますので、現在の自分のレベルでわかったと思うのは非常に浅薄なレベルでの理解に過ぎません。
 話された事が本当にわかるのは、そのことを探求して工夫に工夫を重ねて初めて体で答えが出るものであって、すぐに理解できたと思うのは思い上がりもはなはだしいと思わねばなりません。私自身、晩年の先生のお話を体で理解できたのは先生が亡くなられて随分経ってからということも数多くあります。
 たとえば無双神伝英信流抜刀兵法の師 梅本三男貫正先生は「私が重い刀を使っていると皆は思うが、無重力状態にある刀を横に動かし、縦におろし、血振るいするのだから、刀は何の造作もなく動く、少しも力はいらないものを・・・。」と話された事があります。当時、私自身そのようなレベルには到底至っておらず、理想として聞いていたのですが、今では体で理解できるようになっています。できるようになって初めてこういうことだったのかと思えます。ただし、ひとりでに出来るようになったのではなく、先生の教えを総合的にどこも欠かすことなく稽古した結果として、求め続けた結果としてそうなったものです。そうなれば実に簡単なことなのですが・・・。軽い刀であろうと重い刀であろうと、全ては無重力状態にあり腕力を使わないので、重い刀を用いた後に軽い刀を用いても、軽いと感じようもなく、軽い刀を用いた後に重い刀を用いても重いと感じようはないのです。腕力を使うわけではないのですから。このようなこともその場でわかったつもりになって浅薄な理解をしていたら体得することは出来ません。
 渋川一流柔術の師 畝重實嗣昭先生は「やっていたら、わかるようになる。」とよく話されました。「やっていたら」です。すぐにわかったと思うのは自己満足に過ぎません。
  1. 2008/01/25(金) 23:11:20|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

稽古の方法

 無双神伝英信流抜刀兵法においても渋川一流柔術においても指導を受けたことを形を行いながら直そうとする方がおられます。そしてのような方に限って何度も何度も同じ過ちをくり返し、結果として全く異なるものを身につけておられます。
 無双神伝英信流においては一人での素抜き抜刀術の稽古に多くの時間を割きますが、一人での素抜き抜刀術の稽古であるが故に焦ることなく自分自身に向き合うことが可能になります。しかしながら「形を数抜いていれば」、あるいは「多くの種類の形を繰り返し抜いていれば」上達するのだと考え「早く多くの形を」と思う方は絶対に上達することはありません。工夫なく5本過ちを繰り返せばそれだけ過ちが身についてしまうため、同じ時間に工夫を重ねて抜いた1本のほうが、はるかに上達への近道となります。
 動きは動かざる間に工夫しておかねばなりません。体を動かさなくとも感覚は働かせることが出来ます。感覚を指導されたように働かせてからのちに体を動かす稽古を重ねてください。抜く前(動く前)に感覚の中で正しく抜けていなければ、決して正しく抜く(動く)ことは出来ないのです。
 渋川一流柔術の稽古や無双神伝英信流の太刀打、詰合、大小詰などの稽古は相手がつくために工夫して後、動くということは相手を待たすため難しいと思われるかもしれませんが、柔術の稽古にあっても相手を待たせてもかまいません。また、不十分であれば同じ形の稽古を工夫した後に繰り返してもかまいません。遠慮なく「受」にリクエストしなければなりません。
 太刀打、詰合等も同じ事です。出来なければ打太刀に時間をもらい工夫した後、もう一度同じ形の稽古をして下さい。
 道場外では動かなくても感覚を働かせて稽古することができます。むしろ、道場外で工夫する稽古こそが上達への近道でもあります。現代は昔のように365日3時間稽古できる環境にある方は僅かです。上達のためには道場外の稽古が大切になります。
  1. 2008/01/28(月) 19:47:38|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

上達のために

 今まで貫汪館で無双神伝英信流抜刀兵法や渋川一流柔術を学んで上達がすみやかだったのはどのような人たちであったかを参考までに記します。
 今日は、渋川一流柔術で私の門人の一人目の免許皆傳・上極意である英国人のウェンディーがどのように稽古したかを簡単に記します。
 ウェンディーはもともとスコットランドで小さい頃から英国の柔術を稽古しており、黒帯でしたが、日本の柔術を学びたく外国語指導助手として日本にやってきました。英国の柔術は明治維新以後柔術家が英国にわたったことに基礎があり、そののち英国風に改編されてできあがったものです。
 ウェンディーは私が渋川一流柔術の師 畝重實嗣昭先生の師範代であった時に入門してきたので、もともとは先生の弟子です。免許皆傳・上極意の巻物は畝先生が「森本先生が直接教えているのだから、先生から伝書を発行したことにしましょう。」と言われ、先生が書かれ伝系に先生の名前の次に私の名前を書かれました。したがってウェンディーの巻物には先生の印判と私の印判があります。
 ウェンディーは英国の柔術を学んでいたと書きましたが、渋川一流柔術の稽古を始めて一度たりとも英国の柔術の片鱗を見せたことがありません。それはウェンディーが今まで習ったことを、ほかにおいて全くの初心者として渋川一流柔術に取り組んだことを意味します。はじめの心掛けが全く異なっていました。
 日本人でも、今までに習った武道を忘れて、全くの基礎から習得しようとする態度のある人は稀です。剣道をしていた人は何故か剣道の竹刀の持ち方を忘れようとせず、指導しても指導しても手の内や座法を変えない人がほとんどです。空手をしていた人は当に空手の突きを用いようとし、少林寺拳法をしていた人は渋川一流の形に少林寺拳法のやり方を持ち込み、柔道をしていた人は柔道式の投げ方をしようとするといったように。素直にゼロから始めようとはなかなか出来ないようです。ところがウェンディーは全くの初心者として始めました。英国の柔術については、私が尋ねた時にのみ話をしました。
 次に師を大切にする態度も異なっていました。以前、畝重實嗣昭先生の私以外の門人で免許を頂いた方が免許を頂いたが最後、先生のもとへは何かを求める以外一切顔をださず、先生の葬儀にも誰一人顔を出さなかったと書きましたが、ウェンディーは常に先生の下に挨拶に伺い、英国に帰国した後、一度仕事で日本に来た時にも短期間であったにもかかわらず、広島に来て先生を訪ねました。先生が亡くなられた時にもそれを知ると、私にご家族へのお悔やみを言付けたほどです。
 また、稽古の姿勢も熱心で、わからない所は何度でも質問し、必ず出来るようになるまで稽古します。日本語は全く話せませんでしたが、帰国する時には会話は勿論、中学程度の漢字は全て読めるようになっていました。
 無双神伝英信流抜刀兵法も数箇月教えましたが師の梅本三男貫正先生が見られ、「外国人なのに日本人以上だ。」と褒められたくらいです。居合に対する取り組みも、素直そのもので、真っ白ですので、教えることは全て吸収していきました。
 外国人だから日本の武術を理解するのは難しいと思いがちですが、学ぶ姿勢さえ謙虚であれば現代の平均的な日本人以上に上達することは間違いありません。


 今日、二時間ほどかけて使えなくなった木刀から稽古用の木の懐剣を二本作りました。もう少し表面を仕上げなければなりませんがほぼ完成です。
木刀の切先部分は細すぎて使えないので、駄目になった木刀を上手く使って3本の懐剣が作れますが、木刀の打ち込み傷が奥まではいっていたり、かなり痛みが激しいものもあるので、2本しか取れない場合もあります。渋川一流柔術の稽古に懐剣は欠かせませんし、無双神伝英信流抜刀兵法の稽古法としても上級者の方には懐剣を用いて行う動きを指導していますので駄目になった木刀や、ちょうど良い長さ太さの木片があれば自作してみてください。

         懐剣
 
  1. 2008/02/03(日) 18:28:14|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

見る

 武術の稽古は見て取ることが重要です。
 無双神伝英信流の師 梅本三男貫正先生は天才肌の方でしたので、指導されるときに、自分はどうやって動いているのかと自分自身を分析して、その動きを言葉にしておられました。弟子は、その言葉を追いかけたために随分と先生の動きとは異なった動きをされる方が多かったように思います。
 かつて先生の抜付けが、どのように動いておられるのか、どうしても分からなかった部分があり、お願いして繰り返して見せていただき、またビデオに取らせて頂いたことがあります。何度も見ているうちに動きの原理が分かり、その後、先生に「このように抜かれていませんか。」とお訪ねしたことがあります。先生はしばらく考えられた後、「よく見取った。自分で見取ったものは決して自分から離れることはない。」と褒めてくださいました。その部分は、先生は弟子に言葉で指導されておられませんでしたので、私の動きが変化したのは言うまでもありません。
 渋川一流柔術の師 畝重實嗣昭先生ははじめから決して言葉では指導されませんでした。見せてやらせる。間違っていれば再び見せる。という指導法です。見て取る力がなければとても習得は出来ません。
 5年程前、ZRX1220Sで青森までツーリングに行ったとき、津軽塗りの職人に津軽塗りの研ぎ出しを習ったことがあります。マンツーマンで習ったので、ゆっくりお話を聞くことが出来ました。その方の津軽塗りの修行は、約十年であったそうですが、始めの何年かは掃除や後片付けや買物などの下働きばかりで仕事は一切させてはもらえなかったそうです。その間に師の作品を見ることによって見る目を養うのだということでした。見る目もなく仕事をしても良い作品が出来るわけもないと。
 道場で形をお示しすると、ややもすれば外見のみ見て、その手順を、刀の動きを、見てまねしようとされ、結果として全く質の異なる動きの稽古をされておられる方がおられます。お示ししようとしているのは動きの本質であって枝葉末節ではありません。極論すれば動きの本質が同じであれば慎重、体重、手の長さ等が異なるのですから外見は異なるのが当然です。
 何を見るべきなのか。見て取る力をしっかりと養ってください。
  1. 2008/02/05(火) 21:01:25|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

体の中の自動調整装置

 今日の無双神伝英信流抜刀兵法の稽古にも、柔術を専門とされる方が稽古に来られましたが、まだまだ、考えておられるように思います。感じる事と考えることの違いは今までに述べているところですが、考えてしまえば人為的な動きにしかならず、結果として、ここが崩れているので此処をなおし、その結果此処が歪んだのでそこも直しと、悪循環に陥ってしまいます。つまり小手先の修正にしかなっておらず全体としてみれば随分歪んでしまっているのです。再度、座姿勢を中心にとらえてください。
 昨日は無理無駄を無くすことについて書きましたが、体の無理無駄を無くし、心の無理無駄を無くしてしまえば、頭で考えなくても体が自動的に全ての動きの調和をとってくれます。体の中には自動調整装置ともいうべきものが備わっているのです。ただし、それが働くのはあくまで、動きに無理無駄が無くなったときであり、考えた動きをしなくなったときに限られます。
 技はその自動調整装置をうまく利用することによって現れるので、体に負担がかかることもなく、上達すれば上達するほど、楽になっていきます。
 筋肉が疲労し強張るのは、いわゆる筋肉トレーニング的なセンスで鍛錬が足らないからだとは決して思わないで下さい。それはたんに業が未熟なだけの事です。
 思いを大きく変えなければ、いくら稽古に時間をかけても上達することはありません。
  1. 2008/02/07(木) 23:08:39|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

見る 2

 数日前、見取り稽古の重要さに述べましたが、今回は他流派を見るということについてお話いたします。
 無双神伝英信流抜刀兵法の師 梅本三男貫正先生は無双神伝英信流を稽古しながら他の武道、他流派の稽古を始める事、さらには人によっては他の流派を熱心に見ることまであまり快く思われていませんでした。
 それは未熟な者が今稽古している無双神伝英信流の動きを分かってもおらず、身につけてもいないのに、他武道や他の流派の稽古を始めてしまったら、それに大きく影響を受けてしまい、無双神伝英信流も結局はものにならない事をおそれられ、また人によっては、他流派の動きを浅薄に見て、それを真似しようとすることを分かっておられたからです。それほど、弟子の中にもいい加減な者がいたということなのですが。
 私は、高校時代に先生から「これで他の流派を稽古しようとも崩れることはないだろう。」と言われてはいましたが、やはり先生は私が渋川一流柔術や銃剣道を稽古することを危惧しておられました。
 しかし、しばらくの間様子を見られていて安心されたのか、ひろしま国体の銃剣道競技の開始式で銃対銃の形の演武をする為の稽古を続けている時には「(全銃連の)指導してくださる方は素晴らしいものを持っておられるだろう。しっかり習っておきなさい。」と話されたり、厳島神社での日本古武道協会の演武会に渋川一流柔術の演武をするときにも「集まられる方にはよく稽古をされた素晴らしい方がおられるから、しっかり見てきなさい。」と話されたりしました。
 私の聞いた限りではこのように話された弟子はほかにいませんでしたが。
 先生ご自身は子供の頃、広島の武徳殿の近くに居られたと言うことで、私には「森本君、わしは子供の頃には柔術や剣術や薙刀の素晴らしい先生方の稽古をよく見ていた。」とお話くださいました。
 他流派を見学するのは、既に述べたようにその流派に影響されるために見るのではありません。それぞれの流派にはそれぞれの理論があって同じ頂上を目指しても道は異なるのですから、そのような見方をすれば「百害あって一利なし」となってしまいます。
 他流派を見学させていただく時には入退場や演武中の隙のなさや稽古量の豊富さ等、どの流派にも共通する部分を見させていただき、自分の稽古の至らなさを思い、今後の自分の修行の糧とします。
 貫汪館で渋川一流柔術を稽古される方は、厳島神社の演武会等で他流派を見学させていただく時のありようについてはよく知っておられると思いますが、絶対に失礼のないようにしなければなりません。
 無双神伝英信流の稽古をれるかたで、まだ素抜き抜刀術を中心に稽古する段階にある方は自分の動きが自己満足にならないように、他流派の演武をしっかり見てください。剣術、薙刀、槍、それぞれの得物が自分に自由にかかってくるのに応じなければならないのが武術としての居合です。「強い抜付けのために体にタメを作って」とか「下半身を固めて」といったことが通用するはずがないことをしっかりと学んでください。
 2月10日(日) 午前9時30分~午後4時、宮本武蔵顕彰 武蔵武道館(岡山県美作市今岡754-1)において日本武道館による第31回 日本古武道演武大会が開催されます。お時間がある方は雪に気をつけながらお出かけください。
  1. 2008/02/08(金) 23:40:43|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

第31回 日本古武道演武大会

 第31回 日本古武道演武大会を宮本武蔵顕彰 武蔵武道館(岡山県美作市今岡754-1)へ見学に行ってきました。貫汪館で稽古される方にも大勢見学に行って頂き有難うございました。途中雪でしたので、道路状況の心配をしましたが、何事もなく行くことが出来ました。
 私自身は日本武道館からの招待ということもあり、場慣れしていない、ひな壇から見学させて頂きました。
 感想は、どの流派も稽古される方全員、稽古量が豊富であるということです。どんなに素晴らしいことを習っても、どんなに良いセンスを持っていても稽古量が少なければものになるものではありません。貫汪館で稽古される皆さんも稽古量(道場外での自分自身での稽古も含めて)をしっかり確保するということについては是非見習っていただきたいと思います。
 また、演武だけでなく入退場に全く隙のない方たちや、演武場外での行動にも全く隙のない方たちもおられます。是非見習っていただきたいと思います。
 私が、今日一番感動したのは実は大会の運営のお手伝いをされている地元の女性の方たちの暖かいホスピタリティーでした。どの方も物腰柔らかく、親身になってお世話してくださいました。おそらくほとんどの方は、あまり古武道に興味のない方たちであろうと思います。それにもかかわらず、心から、おもてなしをされていました。皆様、有難うございました。
 
  1. 2008/02/10(日) 22:40:38|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

無念無想の思い出

 何故か、突然「無念無想」について聞いたことを思い出しました。
それはまだ、私が航空自衛隊を退職して間もない頃、ある新興宗教の教祖様が無双神伝英信流抜刀兵法の師 梅本三男貫正先生に居合を習っていたときのお話です。
 私はまだ、血気盛んな頃でしたので斬撃の稽古をするときには常に相手を真っ二つにする気迫で稽古していました。すると私を兄弟子として立てておられた新興宗教の教祖様がこう言われたのです。
 「梅本先生は無念無想で刀を振っておられます。先生の刀は武将が持っていた刀なので、血をあびていますが、今は先生が無念無想で振られているので真っ白です。森本先生の持っておられる軍刀も無念無想で振っておられれば梅本先生の刀と同じように真っ白になります。処分することも出来ますが、御自身で梅本先生と同じようにされてみてください。」 
 その新興宗教の教祖様は完全ではないにしても確かに力ある方でしたので、すぐに梅本先生にお尋ねして、指導を仰ぎました。その後、先生の御指導に従って技の上に無念無想を求め続けているのは言うまでもないことです。いまだ無念夢想が分かったわけではありませんが、術としての無念無想の有効さは分かりつつあります。
 出会った頃には、貧しく人のために力を尽くされていた新興宗教の教祖様ですが、その後、何故かおかしくなり始められ、やがて去って行かざるをえなくなられました。後から聞いたところでは梅本先生に近かったある小さな営利企業の経営者が、金儲けのシステムをその新興宗教に導入し、お金が入って来るようになってから、教祖様はおかしくなり魔に魅入られたということでした。確かに初めて会った頃に、ご自身で「お金を考えることは宗教を行う人の心を汚くする。」と強く話され、貧しい生活をされていましたので、ろくでもない人が教祖様に近付いてしまったものだと思います。しかし、当の経営者は「せっかく金に困らないようにしてやったのに。」と憤慨して話していましたから、金儲けと宗教とは絶対に結びついてはならないものだと強く感じます。
 私も道場の運営は毎年大きな赤字ですが(つまり自腹を切っているということです。)、武術も金儲けと結びついてはならないのは宗教の場合と同じ事だと思っています。

 無双神伝英信流抜刀兵法を稽古していただいている劇団夢現舎の公演が行われます。詳細は以下のとおりです。東京に出かけられる機会があれば是非、御観劇ください。詳しくは劇団夢現舎のホームページ(←クリックしてください)を御覧下さい。 

 劇団夢現舎公演 No.21  『続・遺失物安置室の男』
2008年2月26日(火)~3月4日(火)  於アトラクターズ・スタジオ
過去の記憶を遺失した遺失物預かり所の管理人とそこを訪れる何かを欠落してしまった人々。
現代に生きる人々の物の価値に一石を投じる、夢現舎流シニカルファンタジー

作       劇団夢現舎
演出・構成  小竹林早雲

出演   横川明代 大野寛嘉 齋藤真 春日裕美 宮崎陽介
     久住奈央 高橋正樹 池田立道  マス(□に斜め線)田喜晴
美術   山下昇平
衣装    五十嵐千恵子
小道具  満木夢奈
照明   伊藤馨
制作   劇団夢現舎
協力   及川芳泉 古川真司 堀泰緒
後援   杉並区 杉並区文化協会
     東京高円寺阿波踊り振興協会 高円寺パル商店街振興組合
      (有)アトラクターズ  金子正且  
  1. 2008/02/11(月) 22:18:35|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

業は衰えない

 一度、身に付いた業は衰えることはありません。以前からわかっていた事ですが、今日の師範代代理の稽古を見ていて、ますますその思いを強くしました。
 師範代代理は仕事が忙しいのに加え最近は個人的にも忙しく十分な稽古時間が取れていません。今日も忙しくとても稽古に来れる余裕もなく、体力的にもずいぶんきつかったにもかかわらず、無理して最後の20分稽古に参加しました。大森流・英信流表・英信流奥の座技まで通して稽古しましたが、動きに少しの衰えもありません。それどころか稽古時間は少なくても稽古するたびに上達します。
 それは無双神伝英信流抜刀兵法では、自分の体に備わっていないもの新たに作り上げるのではなく、心も体も無理無駄をなくすことにより、本来自分自身に備わっている能力を現すことによって業と成すためで、技が衰えた。スムーズにいかないと感じたとすれば、それは自分の心の「もっと強く」「もっと速く」「もっと見栄えよく」という思いが自分自身の動きを狂わせているからであり、さらにそれを何とかしようと作れば作るほど、ますます、くるっていきます。一度身に付いた業は衰えることはないので、そのような心をなくしてやりさえすれば元の動きに戻るのは簡単なことです。
 上達とは無理無駄をどんどんなくしていき、術としての無念無想に近づくことを言います。新たな物を作りだし、衣を身につけていくように幾重にも身にまとうことだと勘違いをされないでください。

 今日の稽古の気づきを述べます。
 歩法の稽古を終え斬撃の稽古に入られた方は、自分の過剰な思いが動きを狂わせ、動きが如何に不自然なものになるかに気付かれたと思います。この気付きを大切に、今日できたと思った動きを再現しようとせずに(再現しようとした時にそれは固定された動きになってしまいます)稽古を重ねてください。
 刀を抜いてからの手の内の稽古と、刀を前に構えて歩法の稽古をされた方は「構える」という言葉に居ついておられました。刀は文字通りたまたまそこに位置しているだけで、決して構えているわけではありません。構えると思うから、その位置に固定しようとし心も体も固めてしまっています。思い考え居着くことをなくす稽古を心がけていただきたいと思います。
 

 無双神伝英信流抜刀兵法を稽古していただいている劇団夢現舎の公演が行われます。詳細は以下のとおりです。東京に出かけられる機会があれば是非、御観劇ください。詳しくは劇団夢現舎のホームページ(←クリックしてください)を御覧下さい。 

 劇団夢現舎公演 No.21  『続・遺失物安置室の男』
2008年2月26日(火)~3月4日(火)  於アトラクターズ・スタジオ
過去の記憶を遺失した遺失物預かり所の管理人とそこを訪れる何かを欠落してしまった人々。
現代に生きる人々の物の価値に一石を投じる、夢現舎流シニカルファンタジー

作       劇団夢現舎
演出・構成  小竹林早雲

出演   横川明代 大野寛嘉 齋藤真 春日裕美 宮崎陽介
      久住奈央 高橋正樹 池田立道  マス(□に斜め線)田喜晴
美術   山下昇平
衣装   五十嵐千恵子
小道具 満木夢奈
照明   伊藤馨
制作   劇団夢現舎
協力   及川芳泉 古川真司 堀泰緒
後援   杉並区 杉並区文化協会
     東京高円寺阿波踊り振興協会 高円寺パル商店街振興組合
      (有)アトラクターズ  金子正且  
  1. 2008/02/15(金) 01:06:58|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

稽古着

 渋川一流柔術の稽古に、便宜上、柔道着と袴を用いていますが、この柔道着、あまりに強張り過ぎており、体の感覚を鈍くしてしまいます。講道館柔道が力に頼り、着衣を掴みひっぱりまわすように投げるようになったところから現在のように変化していったものと思います。
 渋川一流柔術を専門に稽古される方が数名、無双神伝英信流の稽古に来られていますが、柔道着から薄い居合道着に代えられて稽古されるようになってから感覚が繊細になり自分の動きの違和感に以前よりも気付かれているようになっています。
 これは着衣の種類によって上達が左右される例なのですが、防寒対策のために稽古着の下に何かを着る場合にも体を締め付けるようなタイトなものは体の感覚を鈍くしてしまいますので注意が必要です。
 また、角帯をし、袴をはくことについても身にまとうことを心掛け、締め付けることは避けるようにしてください。
 渋川一流柔術には相手の着衣をとり投げる形があり、上達するまではどうしても引っ張ってしまい、薄すぎる着衣であると破れる可能性がありますので、柔道着を用いていますが、できれば柔軟仕上げ等をされ強張ったままに使用されないことをお勧めいたします。可能であれば渋川一流柔術の稽古に適した稽古着を入手しなければならないと思っています。
 

 無双神伝英信流抜刀兵法を稽古していただいている劇団夢現舎の公演が行われます。詳細は以下のとおりです。東京に出かけられる機会があれば是非、御観劇ください。詳しくは劇団夢現舎のホームページ(←クリックしてください)を御覧下さい。 

 劇団夢現舎公演 No.21  『続・遺失物安置室の男』
2008年2月26日(火)~3月4日(火)  於アトラクターズ・スタジオ
過去の記憶を遺失した遺失物預かり所の管理人とそこを訪れる何かを欠落してしまった人々。
現代に生きる人々の物の価値に一石を投じる、夢現舎流シニカルファンタジー

作       劇団夢現舎
演出・構成  小竹林早雲

出演   横川明代 大野寛嘉 齋藤真 春日裕美 宮崎陽介
      久住奈央 高橋正樹 池田立道  マス(□に斜め線)田喜晴
美術   山下昇平
衣装   五十嵐千恵子
小道具 満木夢奈
照明   伊藤馨
制作   劇団夢現舎
協力   及川芳泉 古川真司 堀泰緒
後援   杉並区 杉並区文化協会
     東京高円寺阿波踊り振興協会 高円寺パル商店街振興組合
      (有)アトラクターズ  金子正且  
  1. 2008/02/15(金) 22:07:02|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

手先の動き

 今日の渋川一流柔術の初心者の方の稽古を見ていても、人はどうしても実感の持てる手先から動きたいのだと、重ねて感じてしまいました。
 感覚の発達している手先、腕、肩の順に体を使おうとして動き同じ外見ではあるけれども、技が有効ではなくなっています。体を中心から使うことは有効であっても自分自身の手先や腕に無駄な力がこもらないので実感はなく、特に初心者の方には難しいことと思いますが、渋川一流柔術にあっても実感を求める稽古は厳に戒めなければなりません。
 中級者の方が御膳捕打込の稽古をされていましたが、せっかく無双神伝英信流抜刀兵法の座法、礼法の稽古を重ねておられるにもかかわらず、「受」は懐剣を抜くや大腿筋に力を込め立ち上がりきりつけていました。これでは「受」をするたびに自分の動きを下手にするばかりです。気迫と体の力みとを混同されてはなりません。また「捕」の稽古は御膳捕打込の体動は基本的に大森流の体動とかわりませんので、せっかく居合の稽古をされているのですから別物としての稽古は無意味です。お互いに焦ることなくゆっくりと工夫してください。
 また、本日は九州支部長が稽古に来られましたが、まだまだ中心からの動きができません。座ることは出来ており動きとくるいが生じ始めるのですから自分自身の「何かしよう」という心が体の動きを狂わせているのです。九州支部長の場合カタチ(外見)を稽古することは現在の段階では全く無意味です。座した時と動きの中での自分自身の心を冷静に観察してください。

 3月30日(日)に一般に公開した自由参加形式の貫汪館居合道講習会を実施します。講習会のテーマは『自由に動く為の大森流の稽古のあり方』です。詳しくは貫汪館ホームページ(←クリックしてください)の無双神伝英信流抜刀兵法 稽古のページを御覧下さい。 

 
 無双神伝英信流抜刀兵法を稽古していただいている劇団夢現舎の公演が行われます。詳細は以下のとおりです。東京に出かけられる機会があれば是非、御観劇ください。詳しくは劇団夢現舎のホームページ(←クリックしてください)を御覧下さい。 

 劇団夢現舎公演 No.21  『続・遺失物安置室の男』
2008年2月26日(火)~3月4日(火)  於アトラクターズ・スタジオ
過去の記憶を遺失した遺失物預かり所の管理人とそこを訪れる何かを欠落してしまった人々。
現代に生きる人々の物の価値に一石を投じる、夢現舎流シニカルファンタジー

作       劇団夢現舎
演出・構成  小竹林早雲

出演   横川明代 大野寛嘉 齋藤真 春日裕美 宮崎陽介
      久住奈央 高橋正樹 池田立道  マス(□に斜め線)田喜晴
美術   山下昇平
衣装   五十嵐千恵子
小道具 満木夢奈
照明   伊藤馨
制作   劇団夢現舎
協力   及川芳泉 古川真司 堀泰緒
後援   杉並区 杉並区文化協会
     東京高円寺阿波踊り振興協会 高円寺パル商店街振興組合
      (有)アトラクターズ  金子正且  
  1. 2008/02/16(土) 22:56:14|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

繰り突

 今日は雑談です。雑談ですので特別に意味があることとは思わないで下さい。
 二十年近く前ですが、陸上自衛官ばかりの銃剣道の大会に始めて出たことがあります。以前も書きましたが航空自衛隊と陸上自衛隊の銃剣道は趣が異なっていました。陸上自衛隊の銃剣道はいかに試合に勝つかということに集中して稽古されている感があり、こんなに違うものかと思ったほどです。
 国体の予選でしたが、35歳以上の部に繰り突が得意な方がおられました。繰り突とは木銃を持っている左手の手の内を緩め、手の中に木銃を滑らせて突くことで、渋川一流柔術の六尺棒での突きの技術とおなじものです。当然の事ですが左手を固定して突くよりも遠い間合から相手を突くことが出来ます。当時から繰り突はいけないとされていましたが、現在のように厳格に反則はとられていませんでした。
 その方の試合は相突き(同時に突きを出すこと)になれば必ず先に突くことが出来て一本をとり、中途半端な間合で少し膠着した状態でも体をあまり前に出すことなく木銃だけが前に出、相手が間合を読めずに一本をとられていました。繰り突しない相手に対しては相当に有利な技術です。
 その後ルールが厳しくなり繰り突は反則をとられるようになり、現在では左手の位置が厳格に決められており体格差に関係なく左手の位置が木銃にマークされていてそこから左手がずれると反則を取られてしまいます。繰り突が得意であった方は試合にも出られなくなりました。
 明治期に銃剣道が槍術をもととして作られたときには繰り突が技として存在したといいます。現在の銃の構造では繰り突は困難なのだといいますが、私は随分昔に64小銃で試したのですが多少でこぼこしていても繰り突は可能でした。むしろ短い小銃では繰り突をしなければかえって白兵戦では不利になると思ったくらいです。
 私は槍の稽古をするときには繰り突をしますが、友人は初期の槍術は繰り突はしなかったのではないかと話してくれました。
 たった一つの技術ですが、その技術が勝敗を大きく左右するものと感じています。

 今日も、お金を使えないため(そこをついてしまいました。ガソリン代も高くバイクで出かけることも出来ません。)家で物づくりをしました。
 以前、柳井西蔵で機織してつくった布で先日作った稽古用の木の懐剣の2本用の懐剣袋を作りました。布を一重にして房を飾りとして生かしたので、下の3分の1は折り返し二重にして補強ました。縫い目が出ていますが仕方ありません。
 嫁入り懐剣を持たす財力は全くないので師範代代理には稽古用の木の懐剣2本とこれを持っていってもらいます。     

      懐剣袋


 3月30日(日)に一般に公開した自由参加形式の貫汪館居合道講習会を実施します。講習会のテーマは『自由に動く為の大森流の稽古のあり方』です。詳しくは貫汪館ホームページ(←クリックしてください)の無双神伝英信流抜刀兵法 稽古のページを御覧下さい。 

 
 無双神伝英信流抜刀兵法を稽古していただいている劇団夢現舎の公演が行われます。詳細は以下のとおりです。東京に出かけられる機会があれば是非、御観劇ください。詳しくは劇団夢現舎のホームページ(←クリックしてください)を御覧下さい。 

 劇団夢現舎公演 No.21  『続・遺失物安置室の男』
2008年2月26日(火)~3月4日(火)  於アトラクターズ・スタジオ
過去の記憶を遺失した遺失物預かり所の管理人とそこを訪れる何かを欠落してしまった人々。
現代に生きる人々の物の価値に一石を投じる、夢現舎流シニカルファンタジー

作       劇団夢現舎
演出・構成  小竹林早雲

出演   横川明代 大野寛嘉 齋藤真 春日裕美 宮崎陽介
      久住奈央 高橋正樹 池田立道  マス(□に斜め線)田喜晴
美術   山下昇平
衣装   五十嵐千恵子
小道具 満木夢奈
照明   伊藤馨
制作   劇団夢現舎
協力   及川芳泉 古川真司 堀泰緒
後援   杉並区 杉並区文化協会
     東京高円寺阿波踊り振興協会 高円寺パル商店街振興組合
      (有)アトラクターズ  金子正且  
  1. 2008/02/17(日) 17:45:18|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

継ぎ足・歩み足

 本日も雑談程度のお話です。
昨日、数年ぶりに銃剣道をしました。といっても本格的な稽古ではなく防具もつけることなく高校生の初心者に指導をしました。今は、以前あったあった自衛隊を退職したり旧軍の軍人の方が集まっての稽古場がありませんので、民間人が稽古をする機会はありません。
 自分自身の銃剣道の稽古をする機会はないのですが、広島県銃剣道連盟では副理事長という肩書をいただいており、高校生の国体の選手要員の稽古につきあいました。連日の居合、柔術の稽古で火曜日一日くらいは平日のんびりしたいとは思いますが。

  銃剣道では形において、遠間からは歩み足で間を詰めるにもかかわらず、形以外の稽古では遠くからでも継ぎ足を用い、近寄ります。非常に不自然で、下肢の筋力に負荷がかかりやすく、体力も消耗しやすいのですが、そのように決められているので、そのようにしなければなりません(全国を統一する組織のもとでの武道とはそんなものです)。本来、継ぎ足とは間合いが接近した場合に微細な間の調整に用いられるものだと思いますが、何故このようになったものでしょうか。
戦時中までは白兵戦用の武技であったため、遠間から接近するのに継ぎ足をもっぱら稽古したとは思えません。不整地の地面での継ぎ足は非常に不安定なものです。歴史上の技術的変遷を調査しなければなりませんが、継ぎ足をもっぱらとするのは現代剣道の影響ではないかと思います。現代剣道でも遠間からでも継ぎ足を用いるという非常に不自然なことが稽古されます。
 短剣道も私が始めたころは、短剣対銃剣の試合がもっぱらで、銃剣に対する短剣は入り身、制体するために当然のように歩み足を用い、自由な動きになっていました。
 歴史的に見れば短剣は銃を待たない砲兵が対銃剣の白兵戦用に稽古したものですので、試合は短剣対銃剣で行われることが自然です。
現在は怪我を防ぐためと短剣道の普及のため短剣対短剣の試合しか行われませんので、短剣道もまた現代剣道の亜流のようになってしまい、継ぎ足を専らとし、以前は短剣道をほとんどすることがなかった自衛官の稽古方法をみても全く片手で行う剣道といってもよいようなものに変質してしまっています。
 何故、歩み足ではなく継ぎ足なのか、深く研究されて決められたことなのでしょうか。

 
 3月30日(日)に一般に公開した自由参加形式の貫汪館居合道講習会を実施します。講習会のテーマは『自由に動く為の大森流の稽古のあり方』です。詳しくは貫汪館ホームページ(←クリックしてください)の無双神伝英信流抜刀兵法 稽古のページを御覧下さい。 

 
 無双神伝英信流抜刀兵法を稽古していただいている劇団夢現舎の公演 No.21『続・遺失物安置室の男』が行われます。東京に出かけられる機会があれば是非、御観劇ください。詳しくは劇団夢現舎のホームページ(←クリックしてください)を御覧下さい。 
  1. 2008/02/20(水) 21:45:10|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

無想=夢想=無双

 「極意は己自身の内にあり」 
無想であるがゆえに夢想のうちに業となり、そえは個々の内に備わっているものであるが故に無双である。

 いままで、手をかえ品をかえ、色々な方法でお教えしてきましたが、究極のところ、簡単に示せば上記のようになります。
 無双神伝英信流抜刀兵法の師 梅本三男貫正先生の教え「馬鹿になれ」も同じ教えです。
 「鞘手は下から柄に掛け、脇をしめ、序破急で一気に抜付け・・・技の進歩とはこれらの事を確実に身につけていくことである。」このような指導は先生の真の教えとは一切無縁であり、おおよそ「馬鹿になれ」とは反対の教えでしかありません。頭で考えこれらのことを一つ一つ身につけると思って稽古していれば、動けない体しかできません。武術は自由自在でなければなりません。

 稽古時間が少ない方は、常日頃自分自身の日常生活の動きをも工夫してください。


 全く話は異なりますが、今日所要があって大和町へ行ってきました。広島空港近くの果樹園の多い町です。時間まで少し間があったので田舎道をはしっっていると、地域の方が道路脇の木々の間や小川に入って清掃活動をされていました。ものすごいごみの山です。しかも大半が飲料の空き缶やペットボトル、お菓子の箱や袋など。ドライブに最適な人家もない山間の道路であるが故のことでしょうが、日本人のマナーの現状を見た思いでした。

 
 3月30日(日)に一般に公開した自由参加形式の貫汪館居合道講習会を実施します。講習会のテーマは『自由に動く為の大森流の稽古のあり方』です。詳しくは貫汪館ホームページ(←クリックしてください)の無双神伝英信流抜刀兵法 稽古のページを御覧下さい。 

 
 無双神伝英信流抜刀兵法を稽古していただいている劇団夢現舎の公演 No.21『続・遺失物安置室の男』が3月4日まで行われています。是非、御観劇ください。詳しくは劇団夢現舎のホームページ(←クリックしてください)を御覧下さい。 
  1. 2008/03/02(日) 22:00:01|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

長尾流躰術

 今日も雑談です。
 30年以上前に見た演武でいまだに印象に残っている流派に長尾流があります。長尾流は加賀藩で伝えられた流派ですが、印象に残っているのは当時の宗家である前田光月氏の存在感が大きかったからです。
 演武会場へ行く時、たまたま同じ道になったのですが、その長い髪の毛と、武器として生きていた手にもつ杖、白い着物は人目をひくものでしたが、それだけでなく、存在そのものが大きく、武術家と一目でわかる存在感がありました。武術家にもそれぞれ異なったタイプがありますが、そのときの前田光月氏の印象はとても無礼を働くことはできないような威厳があり、無礼を働けば、無礼打ちをされてしまうような雰囲気がありました。
 最近になって当時を知る方に聞いたことですが、前田光月氏は歯に衣着せぬ発言で、常に古武道界に一家言持っておられた方で、杖は仕込杖で真剣が仕込まれていたということです (銃刀法上の問題はあろうかと思いますが) 。しかし、一方では茶道、華道の指導もされる方であったようです。
演武はその印象と異なり、自然に従う流れるような動きで、いささかも自分の力をみせつけるようなところはありませんでした。凄いというより、素晴らしいという印象を持ったように記憶しています。

 武術をされる方の中には威厳と威圧を勘違いされ、演武も気迫がこもったほうが良いと、体を力ませ、力を込めた自己満足の動きをされ、見ているほうがその不自然さに気分が悪くなるような演武をされる方がまれにあります。特に自己満足に陥りがちな居合の稽古をされる方に多く、素人受けはその方が良いようですが、武術という観点からみた場合、それでは斬られてしまいます。動きが自然であり心にも無理無駄がなければ、その演武は見る者に美しい自然を見るような印象を与えます。

  
 3月30日(日)に一般に公開した自由参加形式の貫汪館居合道講習会を実施します。講習会のテーマは『自由に動く為の大森流の稽古のあり方』です。詳しくは貫汪館ホームページ(←クリックしてください)の無双神伝英信流抜刀兵法 稽古のページを御覧下さい。

 4月13日(日)午前9時より、廿日市市の速谷神社で貫汪館奉納演武会を実施いたします。 
  1. 2008/03/04(火) 22:35:37|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

頭の重さ

 人間の頭は随分と重いもので体重の約13%あるということです。
 したがって無双神伝英信流抜刀兵法においても渋川一流柔術においても自由に動く為の姿勢を考える時、頭を無視して考えるわけにはいきません。しかし、頭は常に人間の一番上にあるため、ほとんどの人にとってよほど意識しなければ、頭の重さは感じれないもののようです。
 頭が体の中心からそれている場合には、その重さを支えるために首、肩の筋肉が緊張して自由な動きを阻害してしまうのですが、この緊張を感じるのも難し良いようで、多くの方が頭の位置がずれているにもかかわらず、それを不自由に感じていないようです。
 無双神伝英信流抜刀兵法においても渋川一流柔術においても一般の良い姿勢のように筋肉を緊張させて首筋を真っ直ぐにということは避けなければなりません。
 難しいことかもしれませんが、どの位置に頭がある時に首や肩が緊張し、どの位置にある時に体の緊張がとけるのかを、しずかに正座して工夫してみてください。みつければきっと動きは変化し始めます。
 
  
 3月30日(日)に一般に公開した自由参加形式の貫汪館居合道講習会を実施します。講習会のテーマは『自由に動く為の大森流の稽古のあり方』です。詳しくは貫汪館ホームページ(←クリックしてください)の無双神伝英信流抜刀兵法 稽古のページを御覧下さい。


 4月13日(日)午前9時より、廿日市市の速谷神社で貫汪館奉納演武会を実施いたします。 
  1. 2008/03/06(木) 22:21:04|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

 少し暖かくなってきて梅の花が春を感じさせています。
 鍔の構図が好きで何枚も集めてきましたが、手持ちの鍔のうち梅が画題の鍔を二枚紹介いたします。

      梅1
                           梅2

 二枚目の梅の鍔のほうが出来が良いようで個人的には二枚目のほうが好みです。一枚目の裏は何故か龍が彫られています。
 無双神伝英信流抜刀兵法を稽古される方も渋川一流柔術を稽古される方も、将来的には稽古のために真剣を持つようになろうかと思います。鍔は現代物よりも江戸時代のものの方が趣があり、楽しめるように思います。将来、拵えを作るときのために、鍔についても少し勉強しておいてください。現代物と江戸期のものの見分けがつくまで、また、自分にとって好みのものとそうではないものの見分けがつくまで、また、サイズや重さはどういったものが良いのかが分かるまで焦って購入することは避けたほうが良いと思います。。

  
 3月30日(日)に一般に公開した自由参加形式の貫汪館居合道講習会を実施します。講習会のテーマは『自由に動く為の大森流の稽古のあり方』です。詳しくは貫汪館ホームページ(←クリックしてください)の無双神伝英信流抜刀兵法 稽古のページを御覧下さい。


 4月13日(日)午前9時より、廿日市市の速谷神社で貫汪館奉納演武会を実施いたします。 
  1. 2008/03/08(土) 23:13:08|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

久留米藩

 所用があって、九州にわたり、土曜日、貫汪館参与の方と無双神伝英信流抜刀兵法九州支部長とともに久留米に観光に行きました。ブリジストンの発祥地で工場がたくさんあります。
 久留米城跡に行き、有馬記念館の資料を見ました。建物は昭和35年にブリジストンの創業者の石橋氏によって立てられたものだそうです。資料の数は少ないものの入場料は100円で記念館の方の解説つきで有意義な時間を過ごしました。
 久留米城は福島正則の広島城の改修による移封、改易等を見た有馬氏は百姓の負担にならぬようにと故意に築城を農閑期に行わせ築城を遅らせ、天守閣も築かなかったということです。

 久留米藩は江戸時代後期、高名な武術家を輩出しました。妙見自得流 、加藤田神陰流、津田一伝流など、当時、全国的に高名な流派です。また明治16年(1883)、東京警視庁の初代柔術指南役となった良移心頭流柔術の中村半助も久留米の人です。また、筑後川を下ればすぐのところに柳川があり大嶋流の加藤善衛門や大石神影流の大石進がいました。
 この地域に高名な武術家が多かったのはいかなる理由によるのでしょうか。興味あるところです。

 九州に行ったのは日曜日に無双神伝英信流抜刀兵法の師範代代理の結婚式が福岡で行われたためで、今後は師範代代理は久留米に住むことになります。高名な武術家を輩出した久留米に住むことになにかしら縁を感じます。今後は九州支部長と稽古を続ける予定です。
 私自身は以前、少し御話した新興宗教の教祖様に「あなたは鬼ですね。」と言われ将来のことを話された事もあり、お世話になっている日本武道館の方には「流派や古武道なんかはどうでも良いからおまえ自身が幸せになれ。」と言われた数年後には「無理だから武術のことばかり考えていろ。」と言われたりしており、とうに人並みに生きることは諦めましたが、一生懸命稽古してくれる門人には幸せになって欲しいと本気で思っています。人生を豊にしないものなどやる価値はないですから。
 師範代代理は流派のために本当によくつくしてくれました。個人的にどんなに忙しい時でも時間をつくって道場に顔を出し、仕事が忙しい時には稽古をしたあとに再び職場に行き深夜まで仕事をするといったこともよくありました。昨年京都の演武会に行ってくれた時も、夜中の3時まで仕事をして、その後すぐに京都へ向かってくれました。普段の稽古にはただひたすら素直に熱心に取り組み、私の稽古の十数年分をも短期間の内に消化しました。こんな人が幸せになれないわけがありません。心から、幸せを祈っています。

 また、貫汪館でもう一つ嬉しいことには渋川一流柔術の師範代が家を新築しましたが、そのお祝いを弟弟子達が自ら考えて師範代にとって一番良い物を贈ってくれた事です。このような門人達が育ってくれたことは本当に嬉しいことです。これからも後輩を導いていって欲しいと思います。
  
 3月30日(日)に一般に公開した自由参加形式の貫汪館居合道講習会を実施します。講習会のテーマは『自由に動く為の大森流の稽古のあり方』です。詳しくは貫汪館ホームページ(←クリックしてください)の無双神伝英信流抜刀兵法 稽古のページを御覧下さい。


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  1. 2008/03/10(月) 22:49:48|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

臍下丹田

 昨日、動きの調和のために「絶対に腹筋に力を入れて腹を引っ込めない」ことを述べましたが、以前、講習会で「臍下丹田に力を込める」という誤解をされていた方がおられましたので、念のため述べておきます。
 まず初めに力を込めるではなく、こもるという感覚を持たねばなりません。込めると誤解されていた方は下腹を力ませ、下半身を固め、自在な動きとは程遠い体遣いをされていました。
 力を込めれば込めたという実感が生まれ、自己満足はしやすいと思いますがそれがどのような自在さを生んでいるのでしょうか。上半身の力で刀を振るので下半身がとられ、ふられるので、下半身を固め体がふれないようにしているに過ぎません。あらかじめ決まった形の手順どおりには動けるでしょうが、そこには武術的な動きはありません。それが実感できないようでは「居合は刀踊り」と言われても仕方ないと思います。
 「絶対に腹筋に力を入れて腹を引っ込めない」ということを心掛ければ自ずと下腹の腹圧は高まります。そこから始めることがなければ、臍下丹田の工夫は始まりません。
 
  
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  1. 2008/03/12(水) 21:30:03|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

駄目な稽古

 今日は無双神伝英信流抜刀兵法の稽古日でしたが、道を間違われないために駄目な稽古について述べます。駄目な稽古とは繰り返せば繰り返すほど下手になってしまう稽古です。
 形の稽古は自由自在に動けるようになるためにするもので、最後には流派の形からはなれどのような動きでも出来るようにならなければなりません。
 しかしながら、不思議なもので、「絶対に無理無駄を廃する稽古」をしなければならないとお話し、マンツーマンで指導していると、その時はできているにもかかわらず、一人で技の追求をしてもらうために目を離していると何故か先ほど出来た動きを「忘れまい」「もっとしっかりさせよう」と体に動きを記憶させるべく体を固め動きを固定し型にはめようとされる方が多くおられます。
 しかし、そのような動きは筋肉の緊張を感じられるが故に上達したと錯覚するのですが、その実、稽古を重ねる度にそのようにしか動けない体を作り上げているに過ぎません。
 本来、上達するにつれ、自分の誤差に気づく感度は高くなっていくのですから、実際には稽古のたびに自分の至らなさが実感できなければなりません。たとえば、20cmを越える歪みしか歪みと自覚できなかった者が1cm単位の歪みを感じられるようになれば、現在の自分が如何に歪んでいるかを更に自覚できるようなものです。向上とは感度が高くなることですから、自分の至らなさをますます感じ取れる稽古でなければなりません。
 稽古は質の向上を目指すためのものであり外見は全て動きの結果に過ぎません。外見を求める稽古をしていては不自由な動きが身についていくだけだということを知らなければなりません。

 先日、鹿島神傳直心影流の森先生からありがたいものが送られてきました。森先生が鹿島神宮で流鏑馬をされた時の的を護符にされたものです。、色々あり、花粉症もあって気分が優れぬ時に送られてきました。封筒を開けて神気を感じ、心がリフレッシュされました。
            神的之中

  
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  1. 2008/03/13(木) 23:11:54|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

つまずきの兆候

 今日は雑談程度のお話です。
 無双神伝英信流抜刀兵法でも渋川一流柔術でも稽古を始められた方の上達が止まってしまい、やがて面白くなくなってしまう状態になるのに同じような兆候があるようです。

 一つ目は稽古時間の減少です。初めのうちは熱心に出来るだけ早く稽古にこようと、仕事も早く片付けていたものが、やがてある程度覚えて、質を高めるために繰り返して同じ内容を稽古し始めると、次第に稽古に来る時間が遅くなり、甚だしい人は家でゆっくり食事をしてそれから1時間くらい稽古と考える人もいます。師匠を待たせているという思いを全く持たない人たちもいました。
 自分ができていないという自覚がなく、ある程度できるようになったという慢心がさせるわざですが、このような状態に陥った人は全く進歩しないようです。
 
 次に、人生の転機に当たって、忙しいから今くらいは稽古しなくても良いだろうと考える場合。進学した直後、社会人になって間もなく、結婚、子供が出来た場合。このような転機に稽古を1ヶ月以上休んだ方は、たいてい稽古を続けることはありません。このような転機にあっても、何とか時間を作って稽古に行こうと考えた人はひき続き上達しています。

 三つ目は我が強く素直でない人。すぐに稽古を止めてしまわれます。このような方は武術に強い先入観をもたれており、こうあらねばならないと思われている方がほとんどです。特に無双神伝英信流抜刀兵法を習おうとされる方に多かったのですが、自分が時代劇が好きで時代劇のように刀を振り回したい、道場で教えられることはまどろっこしいと思われる方。無双神伝英信流でも渋川一流でも、実感を求めることを良しとしませんが、そのような方は腕力で刀を振り回し、疲労感が残ることを良しとします。指導には素直に従われることはありません。今では無双神伝英信流抜刀兵法の入門は人を選び許可しますので、そのような方はおられませんが。
 
  
 3月30日(日)に一般に公開した自由参加形式の貫汪館居合道講習会を実施します。講習会のテーマは『自由に動く為の大森流の稽古のあり方』です。詳しくは貫汪館ホームページ(←クリックしてください)の無双神伝英信流抜刀兵法 稽古のページを御覧下さい。


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  1. 2008/03/14(金) 21:30:39|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

意識過剰

 無双神伝英信流抜刀兵法の稽古において、考えるなということを強調してきましたが、ようは意識過剰になることを避けなければならないのです。
 素抜き抜刀術での敵への抜付けにしても、敵が切りかかってこなければ抜付けは必要ないので、敵がかかってくると想定します。この想定がなければ抜付けは起こりません。問題はこの次で、「相手を両断しよう。」と思って抜きつけたならば、ほとんどの人が上半身に、特に肩から先に力を込め、文字通り力一杯抜きつけます。結果として重心は高くなりますので体はふらつき、それを阻止するために、下半身を固め、体は無理無駄だらけになってしまい、自由自在はどこにも存在しなくなってしまいます。体ががちがちに固まることを体の充実と思う人もいますので、さらにどうにもならなくなってしまいます。
 相手が切れるのは自分の体遣いの結果であって、調和の取れた動きの中から抜付けは生まれ、速さ威力も生まれてくるのです。このとき、決して「相手を両断しよう、たたききろう」と思っているわけではないのです。刀は体の一部であって体の末端です。したがって末端を使おうとすれば本体が崩れるのは当然のことなのです。
 結果を直接求めようとする意識が自分自身を崩します。結果は直接的に求めるものではなく、結果は「結果として生じるものである。」ということを知らなければなりません。
  
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  1. 2008/03/16(日) 23:33:19|
  2. 居合・剣術・柔術 総論
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