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無双神伝英信流 大石神影流 渋川一流 ・・・ 道標(みちしるべ)

無雙神傳英信流抜刀兵法、大石神影流剣術、澁川一流柔術を貫汪館で稽古する人のために

鼠径部

 今日、先日に続き九州支部長が休みを取り稽古に来ました。今回は日曜日の講習会まで稽古を続ける予定です。先日来の課題、腹筋に力みを持たない事には随分となれてき、先週の課題であった腰を入れるということの間違いもなんとか直しつつあります。
 今日の課題は、鼠径部でした。腹、腰にこり、かたまりが無くなり随分と自然に座れるようになっても、鼠径部に力みがあっては、重心はやはり高くなってしまいます。
 座る前から鼠径部の緊張を解き、座ったあとにも鼠径部は弛み続け、上半身が埋まるように感じる位まで緩めます。
 ここで、始めて座していても姿勢を作っていない、そこにあるがままの姿勢になります。よくよく、稽古してください。、
 以上の状態となったとき、体は完全に弛みますので、動けないと感じるかもしれません。しかし、そこから業は生まれていきます。弛んで動けないと感じた体を、今までとはまったく別の方向からみた場合、これほど自由な動きとなる姿勢はないと感じます。
 委細は道場において。


  貫汪館ホームページの渋川一流行事のページに厳島神社・第18回日本古武道術技向上演武大会 (日本古武道協会主催)の演武写真を載せました。
貫汪館ホームページに会報54号を載せました。御覧下さい。


 12月9日(日)、午前9:30~午後16:00の間、貫汪館 無双神伝英信流抜刀兵法 居合道講習会を実施します。
 今回の講習内容は無双神伝英信流の基礎的事項です。道場外の方にも公開して行う講習会ですから、どなたでもお越しください。詳しくは貫汪館ホームページの無双神伝英信流抜刀兵法 稽古のページ(←クリックしてください)をご覧下さい。
  1. 2007/12/07(金) 01:00:47|
  2. 居合 総論

無双神伝英信流居合道講習会への御参加有難うございました。

 12月9日(日)無双神伝英信流居合道講習会を開催したところ、剣道連盟、その他の連盟に所属される方を含め多数の方にお集まりいただきました。ここに感謝申し上げます。次回は3月下旬から4月にかけて実施する予定です。日程が確定いたしましたら、「道標」ならびに貫汪館ホームページでお知らせいたします。引き続き公開した形での講習会を実施いたしますので、他流派の方を歓迎いたします。
 さて、今回の講習会で感じたことをいくつか述べたいと思います。
 はじめに無双神伝英信流抜刀兵法は武術であるということを再確認しましょう。武術である以上相手(敵)がいますので、たとえ、素抜き抜刀術の稽古をしているとしても生きて自由に動く相手(敵)を想定していなければ武術にはなりえません。
居合の稽古をされる方のほとんどが居合という枠の中に閉じこもり他の武術を見ようとしない傾向にあります。しかし居合が武術である以上、相手(敵)は刀や槍や長刀を持って自由に働き、我に斬りかかる者であり、その相手(敵)を気迫で制してその間に抜付けるという空想は成り立ちません。これが、理解できない方は毎年、11月に行われる日本古武道協会主催による厳島神社・日本古武道術技向上演武大会を御覧になられることをお勧めいたします。
 さて、以上の「居合は武術である。」という大前提から、第一に「実感を求めてはいけない。」という事についてお話いたしたいと思います。
 講習会のはじめに座法や礼法を稽古いたしましたが、全ては業であり、座法や礼法は業と別物ではありません。刀(柄)を手にしていない状態での座法や礼法では、直接実感を求めることが無いために、なんとか、ごく自然に、あるがままに存在できるようになった方が、いざ刀を手にすると、脇をしめて、手首を入れて、腰を定めてなどと考え、あるがままの自己の存在をなくし、武術とはいえない不自由な自縛する動きを求められています。武術はどのようにでもあることができる術でなければ、斬捨てられてしまいます。自ら、決まった様にしか動けない体を養ってはなりません。たとえ手順が決まった形を稽古していても、その形は如何様にも変化できる形で無ければならないのです。自由自在とは如何なることか、深く考えていただきたいと思います。「脇をしめる」「手首を入れる」「腰を入れる」等々の実感は体の緊張に過ぎず、「やった。」という思いは残るでしょうが自由自在からは程遠いものです。
実感があるとすれば、「楽である。」という実感のみです。稽古をしたら体が楽になっていく、自由になっていくという実感。師 梅本三男貫正先生は「正しく動けば体が喜ぶ。」という表現を用いられました。
 次に全くの初心者の方に対してですが、上級者の動きに惑わされて、外見を真似ようとしてはいけません。上級者が速く強いのはあたりまえのことで、上級者は「速く」とも「強く」とも思っていません。それらは全て結果にすぎません。
素人のちゃんばらのように、ただ刀を振り回すだけでは刃筋も通らず、ただ叩いているだけになっています。しかも刀の伸びもないために実際には相手に届いてもいません。「はじめは正しくゆるゆると」忘れてはなりません。はじめに間違ったことを身に付けてしまえば、後からの修正はその何倍もの時間を要してしまいます。本質を身に付けていけばやがては上級者のように、意図せずとも速く鋭い動きは生まれてくるものです。決して結果を直接求めてはなりません。
 また、ある程度、稽古が進んだ方は自らの感覚が繊細になることを心がけてください。体の歪や力みが生じたことに気付けないような感度では稽古が進むことはありません。これは道場の中でなくとも日常生活全てにわたって稽古できる事柄です。また、繊細でなければ相手(敵)の変化に気づくこともありません。
 最後に体がある程度自由になった方で、呼吸が浅い方がおられたようです。呼吸は全ての動きを無意識のうちにコントロールしてしまいます。呼吸法については、個々にご指導いたしておりますので、工夫してください。
 以上気がついたことを幾つか述べましたが、決して外見にとらわれることなく、どうしたら自由自在であれるか深く追求していただきたいと思います。 



  貫汪館ホームページの無双神伝英信流行事のページに貫汪館居合道講習会の写真を載せました。御覧下さい。
  1. 2007/12/10(月) 22:12:14|
  2. 居合 総論

より楽に

 今日の無双神伝英信流の稽古で特筆すべきことは、稽古を始めて間もない中学生の男の子が、学校行事で下校が遅くなり稽古の終了時間に間に合わなかったにもかかわらず、刀と稽古着をもって挨拶に来てくれたことです。比較的遠方であるのにもかかわらず、このようなありがたい姿勢を持つことは、きっと上達につながっていきます。保護者の方もご協力有難うございました。
 さて、今日は人数も少なかったので、1時間以上の通し稽古をしましたが、どのように感じられたでしょうか。体に疲労を覚えたり、筋肉の疲れを感じられた方は、未だ自分の動きが理にかなっていないということを知らなければなりません。稽古が進んだ方は「以前より随分と楽になっています。」と話してくださいましたが、それが本当の稽古のあり方です。
 居合に体力や筋力は必要なく、刀を手にするが故に、何も無い状態で動くよりも楽に動けなければなりません。随分前の話ですが、私が大学生のころ、大学の居合道部では筋力トレーニングをすると聞いて驚いたことがあります。何故無駄な時間を費やすのかと。
 今日、あの程度の通し稽古で、疲労を覚えられた方は、自分の動きのどこが、おかしいのかを、よくよく研究し次回の稽古に臨まれて下さい。

  貫汪館ホームページの無双神伝英信流行事のページに貫汪館居合道講習会の写真を載せました。御覧下さい。

 12月22日(日)の貫汪館・廿日市天満宮奉納演武の日程は午後1時~2時、廿日市スポーツセンター武道場で稽古。その後、廿日市天満宮に移動して正式参拝、演武の順に行います。時間を間違われないようにお願い致します。
  1. 2007/12/21(金) 00:32:49|
  2. 居合 総論

京都の建物

 昨日は所要あり、日帰りで京都へ行きました。往復で約8時間、先週の高知行きよりも時間がかかりましたが、高速道路代は深夜割引を利用したおかげもあり安くつきました。京都市内の移動等もあり、広島に帰ってからも、まだ所用があって自動車を使いましたので、1日で11時間以上運転していたことになりました。
 京都行きでも、さる事を授かったのですが、それは道場でお話することとして、京都の建物について感じた事を記します。
 私自身は京都に数十回行っていますので、なにも感じなかったのですが、同行の年少者が「京都も広島の町と変わらない面白くない。」と言ったのです。よく話を聞いてもいると京都の建物は旧来の日本建築の建物ばかりのようなイメージを持っていたということで、そういうイメージを持っていたら現代的な建物ばかりの京都の町はつまらなく思えるだろうなと感じ入ってしまいました。そしてしばらくして古い神社仏閣を見ると、年少者が「やっと京都らしい。おちつく。」と言いました。
 私自身も建物が気になってみていたのですが、以下のように感じました。
 旧式の建築物の神社仏閣や庵の重心は大地に根を下ろしたように低くどっしり、ゆったりとしていて、柔らかく、現代工法の建物の重心は高く、硬い。
 まるで、居合の違いを見ているようでした。前者が古武道としての居合、後者が現代居合道です。無双神伝英信流抜刀兵法の稽古をされている方で長年稽古をされているにもかかわらず、後者の居合をされる方がいます。同じ建物、雨露がしのげればよいのではないかと思われるかもしれませんが、基本的な思想が異なっています。思想が異なれば、動きの本質もまた異なります。
 よくよく考えて稽古に望んでいただきたいと思います。

 年末の奉納演武は終わりましたが、居合の稽古は26日(水)は七尾中学校武道場で、27日(木)は廿日市市スポーツセンター武道場でそれぞれ行います。日頃、柔術の稽古を専門にしておられる方でも、時間のある方はお越しください。
  1. 2007/12/24(月) 22:34:40|
  2. 居合 総論

写真

 先日の廿日市天満宮奉納演武でカメラを3台持っていき、主に柔術を稽古される方に写真をとって頂きました。
 写真を撮ることは武術の稽古となるということは何度か述べました。特に写真は一瞬であり、武術の動きもまた一瞬であることから、ただ、演武を漫然と見ていることよりも写真を撮ることは武術の動きを読む良い稽古になります。今回写真を撮って頂いて気づいたことを幾つか述べます。
 はじめに写真を撮りなれていない方に起こる技術的な問題ですが、被写体が流れている写真がかなりありました。暗い場所ではシャッタースピードを速く出来ないので、必然的に動きが速い武術の場合画像は流れてしまいます。したがって動きの最中ではなく一瞬の静止した瞬間をとらえるようにしてください。
 居合の動きがとらえきれない写真がかなりありました。特に無双神伝英信流抜刀兵法ではタメやキメといた作為的な動作はしませんので、難しいとは思いますが、刀に対抗しえる柔術の業を身につけるためには刀の一瞬の動きが読める稽古をしなければなりません。
 次に被写体が中央に無い写真も何枚かありました。無双神伝英信流にも渋川一流にもその場にとどまって行う形はほとんどありませんので、次にどのように変化していくのかをあらかじめ読んだ上で、事前にカメラをどの方向にもっていけばよいかを知っていなければなりません。
 写真を撮ることを通じて動きをより正確に読む稽古をしていただきたいと思います。
  1. 2007/12/27(木) 22:41:48|
  2. 居合 総論

無双神伝英信流抜刀兵法 稽古納め

 本日が無双神伝英信流抜刀兵法の本年の稽古納めでした。本日は居合を専門に稽古される方のほかに渋川一流柔術を主に稽古される方が3名来られ熱心に稽古されました。
 渋川一流柔術は現代の格闘技のジュージュツと異なり、江戸時代、武士の時代の武術ですので、素手と素手で勝負して優劣を競うものと言う発想が全くありません。当然武士は事ある時には刀を用いますので、たまたま刀が側に無い場合に斬りかかられた、あるいは抜きあわす間が無いくらい急に斬りかかられた、懐剣で急に斬り付けられた際に何とか素手で対処できるレベルに動きを高めるのが渋川一流柔術の業の上での目標です。したがって刀の動きを知らなければ刀に対処する業を身につけることは至難のことになってしまいます。時間が許せば無双神伝英信流の稽古にお越しいただくことをお勧めいたします。
 さて本日の稽古の気づきですが、柔術を専門に稽古される方と居合の初心者の方は、自らを客観的に感じることが出来るようになっていただきたいと思います。ただ、一生懸命稽古しているだけでは己の歪みは見えてきませんので、自分の隙にも気づけず、動きを正すことも出来ません。稽古においては今の自分の状態がどのようになっているのか、冷静に観察できる心のゆとりが必要です。
 次に、稽古が進んだ方ですが、動きの出来不出来に大きな波が存在します。ある時には今までに無く良い動きをされているかと思えば、少したつと全く駄目な動きをされていたりまします。これは全て自分の心が引き起こしていることですので、自分の心の動きを感じれるようにしてください。私が動きの拙さを指摘する時にはたいてい、意識的にせよ、無意識にせよ速く動こう、強く振ろう、スムーズに動こう、滑らかに角立たぬように動こう、静かに動こうなどといったいらない意識が働いています。自分の心が自分の素直な動きの邪魔をしているのです。
 「心こそ心惑わす心なれ心に心心許すな」
 
 渋川一流柔術の稽古始は1月5日(土)午後2時から廿日市市スポーツセンター武道場で行います。また、無双神伝英信流抜刀兵法の稽古始は1月9日(水)午後6時半から七尾中学校武道場です。しばらく稽古はお休みですが、意識の稽古等は怠らないで下さい。
  1. 2007/12/27(木) 23:27:50|
  2. 居合 総論

緩む

 本日の無双神伝英信流抜刀兵法の稽古の気づきを述べます。
 初心者の方がやっと、緩むとはどういうことなのかを理解し始められました。いままで、動きの中で緩むということを経験したことが無いので、手探りで緩めていたつもりが関節を曲げていたに過ぎないということが理解できたと思います。緩むことができなければ、刀はどうしても腕力で操作してしまいます。たとえ自分では力を使っていないつもりでも、それはゆっくり動いているに過ぎず腕力を用いていることにかわりはありません。これをきっかけに自分の体をより感じられるようになっていただきたいと思います。これでよいと言うことはありませんのでより深く、より深く。
 技がある程度上達された方に、通し稽古をしていただき大森流と英信流表を3回ずつ抜いていただき、奥居合の2本目まで稽古、太刀打も手直しをしながら通しました。今日は久々の稽古ということもあってか呼吸が浅い状態での動きが多かったように思います。いくら体が緩んでいても、呼吸が浅ければ重心は浮き刀に力は伝達されません。しっかりと呼吸を工夫していただきたいと思います。

 貫汪館ホームページの無双神伝英信流抜刀兵法と渋川一流柔術のそれぞれの行事のページに平成20年度の行事予定を載せました。未確定のものもありますが、ご確認ください。
  1. 2008/01/10(木) 00:15:09|
  2. 居合 総論

思い込み

 無双神伝英信流抜刀兵法の稽古では、思い込みを避け常に今現在の自分の動きを見つめ直す習慣を身につけていただきたいと思います。
 初心者の方が歩法の稽古をするとき、以前に比べ、無駄な力を抜いて歩いているように自分では思っても、さらに深く自分を見つめればいたるところに無理無駄があることが分かると思います。これでよいだろうと思い込んだときに、自分の中に甘い基準が確立され、そこから抜け出すことが出来なくなります。
 随分稽古された方の中にも抜付けた時の重心の位置や体の角度が思い込みによって、しかるべきところに無い方もおられました。刀を持たずに動いていただき、解説すると体で感じることが出来たようですので、刀を振るとはこういう事という思い込みが自分自身をくづしていたようです。
 私が指摘したところは、冷静に自分自身を分析してください。
 それから鞘手ですが、これも随分と自分自身のの思いで鞘手を狂わせている方が多いようです。何人かの方には稽古の時に時間をかけ手を取って詳細にお教えしていますが、正しい鞘手が出来ていれば、絶対に肩や上腕に力みが入ることは無く、鞘引きをしても体は緩んだままの状態にあります。鞘を送ると言う思いが体を狂わせ、結果として異なった手の内になっている方が多いようです。肩や上腕に少しでも無理無駄な力みが生じた時は鞘手の動きが間違っているということですので、再度見直してください。 

貫汪館ホームページの無双神伝英信流抜刀兵法と渋川一流柔術のそれぞれの行事のページに平成20年度の行事予定を載せました。未確定のものもありますが、ご確認ください。
  1. 2008/01/10(木) 23:52:19|
  2. 居合 総論

外形

 無双神伝英信流抜刀兵法の稽古では太刀打、詰合、大小詰、大小立詰といった二人で組んで行う形よりも一人で行う素抜き抜刀術の形稽古に時間をより多く割きます。
 したがって、素抜き抜刀術の稽古の質がよくなければ太刀打、詰合、大小詰、大小立詰となどの二人で組んで行う形の稽古の質はそれ以上のものにはなりえません。
 稽古の最中に、動きに質のよくなった人には「今の動きで良いです。」と声をかけますが、それを「今の外形で良いです。」とかってに解釈して、先ほどの外形を再現しようと試みてはなりません。以前も述べましたが、形稽古は、自由自在な動きを身につける為のものであって形を身につけようとするものではありません。そして形を身につけようとしたしたが最後、それは武術とは程遠い不自由なものになってしまいます。
 外形は無理無駄の無い調和の取れた動きについてくるものであって、武術の稽古は外形を求めているのではないのです。よく工夫してください。
 今日の稽古の気付きを述べました。
  1. 2008/01/16(水) 23:07:48|
  2. 居合 総論

初心の段階の稽古

 今日の無双神伝英信流抜刀兵法の稽古では初心者の方を2名重点的に指導いたしましたが、それぞれに特徴があり指導の内容も異なったものになりました。
 2人ともに礼法、歩法、刀の構え等の稽古をしましたが、年長の方は体を使う繊細なお仕事をされているためか、動きの修正をすると、どこが悪いのかを感じ、自分自身で見つけられ無理無駄の無い動きへと本質的に変化していかれました。今日のような稽古をこれからも続けていただきたいと思います。
 もう一人の方は中学生ですが、年長者に比べ体を用いて繊細な動きをした経験の量が圧倒的に少ないため、ややもすれば、感じることによって自分の動きの質を変化させるのではなく、形を覚えてそれを繰り返そうとする稽古となりがちでした。
 何度も述べているように、座した時、歩く時、礼法の時の体の角度や肘の位置、手の位置等を覚えてそれを再現しようとするのは意味のないことどころか不自由な体を作り上げてしまう基となってしまいます。そういった外形は無理無駄なく調和の取れた動きになれば自然とそうなるものですから、けして外形を作る稽古はしないで頂きたいと思います。
 初心の段階で意図的に形を作る稽古をしてしまったら、むしろ稽古はあだにしかならず、後々上達することはありません。覚えるのではなく違和感を感じる稽古をすることを、よくよく心してください。
 初心者から中級者の仲間入りをされかけている方、初心の頃の稽古を忘れ、一つ一つの動きが荒くなり始める時期です。ここでコースアウトしてしまったら、もともこもありません。一つ一つの動きを細部に至るまで再確認していただきたいと思います。刀をもたない道場外での稽古を大切にしてください。
  1. 2008/01/18(金) 00:02:36|
  2. 居合 総論

形稽古は細き道を行くが如し

 昨日と本日、無双神伝英信流抜刀兵法九州支部長が稽古に帰ってきましたので、3月から九州支部指導部長となり九州に赴かれる方との二名に特別稽古を致しました。昨日は手直しをしながら大森流・英信流表を約3時間通し稽古。本日も手直しをしつつ約3時間の稽古をし、大森流・英信流表の通し稽古も100本を超える数を抜きました。
 稽古のときにも十分にお話したと思いますが確認のために再度記します。
 無双神伝英信流の稽古においての上達とは無理無駄がなくなることを意味します。したがって上達すればするほど、「刀を抜きつけた。」「刀を振った。」という実感はなくなっていきます。私が手直しをし、そのとおりに動かれ、私の目から見て質の向上が見られたとしても皆さんはすぐに実感として質の向上を感じることは難しいと思います。何故ならばより質の高い動きには筋肉の無駄な緊張はありませんし、抜付けも斬撃も威力は大きくなったとしても自分で刀を止める訳ではありませんから当然その反動もありません。「自分自身ではよく分からないが、それで良いと言われる。」まさしくそれでよいのです。自分で分かれば自ら道を歩むことが出来るのですから導く師は不要です。分からぬ故に師匠が導きます。実感がないからといって決して自分自身で実感を求め、かってな方向へ歩まないで下さい。細い道をそれてしまえば、後戻りは困難を極めます。
 次に座法について述べますが、座法は形の大元であり座法が出来なければ、その後どのように動こうとも基礎のない建物のようにもろいものです。崩れるしかありません。崩れようとするものを筋肉の緊張によって補強してしまえば、見た目はしっかりしていても武術として動けぬ体に過ぎないということも忘れないで下さい。また、いくら動かぬ時に座法が出来ようとも、動き始めてしまえば全く異質な体の備えをするようでは無双神伝英信流における業とはなりえません。抜付けようと、斬撃しようと、血振るいしようと、全ての動きは座している状態と全くかわりません。また、正座も立膝も立姿勢さえも本質からすれば異なるものではありません。座法の稽古は道場でなくてもどこにおいてでもなすことが可能です。たとえ椅子に座っていようとも、またその本質は変わるものではありません。姿勢を作ることなく、そこにあるだけ。よくよく工夫されてください。
 動きを乱すものは多くの場合己の心だということも知っておかねばなりません。たとえば抜付けの鞘の動き。初発刀の抜付けは前方の我に斬りかからんとする敵の左側面に抜付けますが、抜付けは前方への動きではなく我が体の意識の前後への広がりです。したがって抜付ける時の鞘の動きは自分の中心を中心として刀の反りのままに素直に後方にさがります。小尻が自分の右のほうに出てしまうということはありません。そのような抜付けは抜いた後に両肩を使ってその動きによって刀を動かしているに過ぎず、抜き、斬るという2動作になり居合とはなりえません。これは自分のより強く抜付けたいという思いがそうさせるのであって、その思いを無くさねば本当の抜付けは出来るものではありません。動きの歪みはそのような自己の思いから生じてきます。「強く」「速く」「勢いよく」といった思いが、動きのひずみを生み出しているのです。技術としての無念無想を忘れてはなりません。
 
 
  1. 2008/01/20(日) 23:20:21|
  2. 居合 総論

形稽古に自在を求める

 無双神伝英信流抜刀兵法では、素抜き抜刀術でも太刀打や詰合といった二人で組んで行う形でも稽古において絶対に忘れてはならないことがあります。
 それは、自分がどのような状態にあろうとも、その瞬間その瞬間はそこにあるだけということです。どういうことかというと想定によって形の手順は決まっており、それを変えることはありませんが、抜付けの刹那も斬撃の最中も、あらゆる状態において、相手が変化したらそれに応じられる体勢になければならないということです。
 形稽古は決まった手順を繰り返すために次の動きが分かっており、ややもすればその手順どおりにしか動けない体勢を作ってしまいがちです。しかし、それでは自由自在な武術である為の稽古にはなりえず、かえって動けない体を作ります。
 たとえば初発刀では前から我に斬りかかる相手の左側面に抜きつけますが、無双神伝英信流において細川義昌先生が抜付ける箇所をこめかみとか手首といったように限定されて教えておられないのは動きの中で如何様にも変化できる稽古のためです。したがって初発刀は相手がこのように変化することも想定できるので、このような換え業をも稽古し・・・左刀は・・・などということは無双神伝英信流にはありません。それは形稽古において常に自由であるからです。したがって一番分かり易い例でいうと「横雲」と「向払」は別物ではないのです。あらかじめこのように動こうとして動けば別物ですが常に自由である形稽古からすれば同じ物なのです。
 太刀打や詰合において時々、待つべき打太刀の私が先に斬りかかる事がありますが、これは遣方の稽古をされる方がそのようにしか動けない遣方をされる場合です。意地悪をしているわけではなく、心と体の歪みをお教えしているのです。
 素抜き抜刀術では相手がいませんのでそのような教え方は出来ませんが、自分自身が今の動きはと常に感じておれば正すことが出来るものです。
 武術の形稽古において自由自在を求めるとは、どういうことか工夫を怠らないで下さい。
  1. 2008/01/21(月) 23:04:01|
  2. 居合 総論

「手癖が悪い」

 「手癖が悪い」  別に盗み癖があると言っているわけではありません。無双神伝英信流抜刀兵法の師 梅本三男貫正先生が門人を指導されるときによく使われていた言葉です。
 人間は手先が器用であり、指や手首が非常によく働きます。しかし、無双神伝英信流にあっては、「肚で抜き肚で斬る」という言葉でも示したように体の中心を使うことを良しとし、末端を使うことを良しとしません。
 相当に稽古を積んできた方でも知らず知らずのうちに動きが崩れ、鞘手で指先や手首を使おうとし、抜付け、斬撃においても手首や指を使おうとします。これは手先や指先が器用で他の部分より感覚がより発達しているために起っていることですが、その弊害については稽古のときにお話し、どのようになすべきかを指導していますので、ここでは詳説しません。「肚で抜き肚で斬る」ためには技術としての「無念無想」が不可欠です。ああしよう。こうしようと思えば必ず手先が働き、体にひずみが生じます。
 これと同様「背筋を伸ばし」「腰を入れて」「脇をしめて」などという思いのもとに体を動かすことも、末端を使っていることにほかなりません。
 調和のとれた無理無駄の無い動きのためには手先の業を使ってはなりません。もう一度自分の動きを見直してください。
  1. 2008/01/23(水) 23:32:53|
  2. 居合 総論

思いを消す

 昨日と本日の稽古を見ていて、やはり、何かしようとする思いが強すぎて、その思いが人の動きを狂わせているのだと感じざるを得ませんでした。
 「正座する」「礼をする」「刀を構える」「鞘手を引く」「抜付ける」「血振るする」「納刀する」すべての思いが体を歪ませています。頭が体よりも先に働き、何かしようとした部分から自分自身を崩していく。崩れたから直そうとしてさらに歪みを大きくしていく。そういう悪循環に陥っています。
 常々、感じる事と考える事の違いについて、耳にたこが出来るくらいお話していますが、初心者でもない方がいまだに考えています。また、初心者であっても、ある程度できるようになったら、同じ動きを稽古するうちに動きに慣れ、感じるのではなく考え、何かしようと思って自らを狂わせています。
 初心者を卒業された方は次の段階に入らなければなりません。何度も繰り返すようですが術技としての「無念無想」を求めなければなりません。


 加賀友禅のはぎれで作ったくるみボタンです。写真よりずっと感じが上品です。先日、中國新聞に私のバッグを載せてもらったら、友人の奥様と、別の友人のお嬢さんからがま口を依頼されたので、バッグ用の生地のはぎれがでました。

        加賀友禅
 
  1. 2008/01/25(金) 00:19:58|
  2. 居合 総論

我が強い

 「我が強い」 無双神伝英信流の師 梅本貫正先生が『手癖が悪い」と同じように指導されるときに使われていた言葉です。
 たとえば抜付けのさい、腰が上に伸び上がる方は「早く動こう。」という我の思いが強すぎるのです。切先が鞘から離れる前に右手が中心から右にずれている方は、意識的にせよ無意識にせよ「早く抜きたい。」という我の思いが強すぎるのです。鞘手の肘が後方に折れているのは「早く鞘を引きたい。」という我の思いが強すぎるのです。
 
 すべてにおいて、「無理無駄なく」からはなれてしまうのは自分自身の「こうしたい、ああしたい」という思いが強すぎるためであり、自分自身が自分を崩しているのです。
 渋川一流柔術においてもしかり、重心が浮いてしまう方はたいてい、相手に業を掛けたいという思いが強く結果として自分自身を崩しています。動いた結果、相手が崩れているのであって、崩そう崩そうと思って崩しているのではありません。
 再度、自分自身の心を観察してください。
  1. 2008/01/30(水) 22:06:30|
  2. 居合 総論

稽古は一歩一歩薄氷を踏むが如きもの

 先日来、渋川一流柔術を専門に稽古される方が数名、無双神伝英信流抜刀兵法の稽古に来ておられます。
 現在は歩法、礼法、刀の構え方をくり返し稽古して頂いていますが、稽古を見ていると、その日の最初の頃の稽古内容のほうが終わり頃の稽古の内容よりも良いように思います。その日の最初の稽古は新鮮な感覚で手探りで探求しながらされているのですが、繰り返すにつれ動きに慣れが生じ、感覚が鈍感になっていっているのです。この慣れの感覚は奢りに通じるものですので、厳に慎まなければなりません。繰り返し述べますが稽古は毎回新たな感覚で自分自身を磨くものでなくてはなりません。そうでなければ下達してしまいます。
 喩えて述べれば、薄い氷の上を歩いて向こう岸まで行こうとするのに途中で慣れてしまっていいかげんな動きとなり、池に沈むようなものです。一歩一歩静かに歩まなければなりません。
 無双神伝英信流の稽古が進んで中級者になろうとされている方は特に上記のことに留意しなければなりません。形の動きは一通り覚え手順を間違うことは無くなっているのですから、次は内容を高めていかなければならないのです。強さ、速さを短絡的に求めては決して至ることはなく、至ったと思ってもそれは体力の低下とともに衰えていくものでしかありません。中級者にさしかかるころから、見栄え良くとか、斬った突いた実感を求めようとする欲が生まれ始めます。それは閉ざされた道でしかありません。
 業が進むということは、動いた結果、強さ速さが、それこそかってに出現するものであり、自分で出現させるものではないという事をよくよく心しておかねば稽古にはなりません。中級者の稽古はいかに動くかこそが大切で、強さ速さは動きが正確になれば自然と生まれてくるものです。目に見える動きは目に見えないものの働きによります。私がお話した言葉を腑に落ちるまで稽古されることを望みます。
 稽古は一歩一歩薄氷を踏むが如きもの。慎重に慎重に。
  1. 2008/01/31(木) 22:53:36|
  2. 居合 総論

なんら変わること無き事を知る

 無双神伝英信流抜刀兵法の師範代代理に英信流奥居合を教えていますが、短期間のうちに立膝の形をつかえるようになりました。
 もっとも無双神伝英信流の稽古を始めて約二年、そのうち半年ほどは礼法、歩法等の基礎の稽古で形の稽古はほとんどしておらず、英信流表の稽古を始めてからも約半年しか経っていません。しかし奥居合の立膝の形のレベルも使えるレベル(形を覚えたというレベルではありません)にありますから、長足の進歩といっても過言ではないでしょう。今まで教えた門人の中でも群を抜いて最も早い上達です。
 他の門人の方は、何故このように早く上達できるのかと思われるかもしれませんが、当然のことながら理由があります。
 一番大きな理由は、下手な欲が全くなかったということです。「美しい姿勢を作りたい。」とか「よく見られたい、その為には刃音をさせて見栄えを力強く。」とか「素早く動いて、切れのある業を使いたい。」とかそういった欲が全くなく、教えに素直に稽古をしました。全く回り道をしなかったのです。
 次に、きちんと基礎から作り上げていったこと。そこにあるままの座姿勢が出来るようになれば全てはそのまま業になります。大森流、英信流表、英信流奥、太刀打、詰合全ては座姿勢が業を作ります。そこにあるままに座れないのに、形の上達を求めても砂上の楼閣に過ぎません。感覚の中では抜付けた姿勢、斬撃の姿勢、血振るい、立姿勢、全て座した体の状態と変わるものではありません。何も変化しないのです。師範代代理の上達は座姿勢を身につけたことから始まりました。
 師範代代理は外から見て自分の動きが速くても強くても、そういった実感はもっていません。それが業だからです。
 奥居合は簡単に言えば表の形の手順が複雑化したものに過ぎません。したがって、なんら変わること無き事を知ったものには特に難しいものではないのです。
 これから師範代代理の稽古は動きを中心とするものではなく、心と動きの関係を知ることに重点をおいていかなければなりません。より難しいところに入ってきました。
 
 
  1. 2008/02/01(金) 23:33:50|
  2. 居合 総論

無理無駄がないのが名人達人の定義

 「無理無駄がないのが名人達人の定義。」というのは、無双神伝英信流抜刀兵法の師 梅本三男貫正先生が言われていた言葉です。
 今日の稽古を見ていて、やはりまだまだだと思わざるを得ません。座れるようになったにもかかわらず、動き出したら無理無駄だらけになり自分自身を乱しておられます。座れていないのならいざ知らず、座り方がある程度できるようになっているのですから、そこから無理無駄を生じさせているのは自分の心以外の何物でもありません。
 無理無駄をなくしていけば体は自然に動き出します。工夫あるのみです。
 今日の稽古では師範代代理が随分腕を上げたと実感しました。仕事の都合で稽古の終了時間近くになって急いできたので、時間がないこともあり大森流から奥居合の座技まで、礼法がすんでいきなり一本ずつ一緒に抜いたのですが、普段の稽古と変わることなく自然に抜けていました。今日は全ての形に間をとることなく、格を離れ早く抜いたのですが全く遅れることなく焦ることなく自然について来ていました。勿論、呼吸の乱れはありません。疲れもなかったと思います。最近の上達のスピードは目を見張るべきものがあります。
 初心者のうちから、真面目にひたすら無理無駄を無くす稽古に取り組み、立っては刀が抜けず、座っては動けなくなり、随分苦労し工夫し泣いてきましたが、その成果が出ています。十分に「中傳」の位に至っています。素抜き抜刀術の動きは出来上がってきたので今後は、変化し続ける対人関係の中での動きの工夫を重ねなければなりません。
  1. 2008/02/06(水) 22:48:17|
  2. 居合 総論

意識

 抜付け、斬撃し、血振るいし、納刀するとき、初心者の方は、また、長年稽古された方の中にも意識を刀にもっていき刀を扱おうとされる方がおられます。
 しかし、これではいつまでたっても「小手先の技を使う」状態から脱却できません。言葉で理解していただくのは難しいことですが、今後、稽古の質をより高いものとしていただくために如何にあるべきか記します。あくまでも言葉の奥にあるものを読み取っていただかなければ考え違いをしてしまいますので、文章を読んだだけで簡単に分かったと思わず、理解できなければ道場でご質問ください。
 刀は体の一部であり体の末端に位置します。この体の末端が斬り、突くという働きをなしますので、初心者の方は刀という末端を使おうとして、手首、前腕、上腕を用いて刀を動かそうとしてしまいます。しかし、それでは体の外側に生まれた力が中心を崩してしまい、その崩れを止めようとして体を固めるがゆえに、結局のところ自分自身の動きに隙ができてしまいます。のみならず、動きが体の中心を用いていないために力の伝達は末端近くから行われ、自分自身の体感は強いものであっても、実際は刀に十分な力は伝達されていません。
 手首、前腕、上腕、肩はあくまでも中心からの力の伝達経路であり刀と一体となったものであらねばなりません。しかし、この伝達経路に力みという障害物があると刀に力が伝わらず、また、力の方向がずれ刀が思ったところを動かなくなってしまいます。
 初心者の方は自分自身の体の力みがわからないために、これを勘違いし、腕に力がこもっていないからだと思い、再度、手首、前腕、上腕を用いて刀を動かそうとしてしまいます。これでは、はじめから無理無駄をなくす稽古をしていることが無意味になってしまいます。
 何のために無理無駄をなくす稽古をしているのか、何のために座る稽古を重ねてきたのか、何のために礼法、歩法の稽古を重ねてきたのかを再度確認し稽古を重ねる必要があります。


 無双神伝英信流抜刀兵法を稽古していただいている劇団夢現舎の公演が行われます。詳細は以下のとおりです。東京に出かけられる機会があれば是非、御観劇ください。詳しくは劇団夢現舎のホームページ(←クリックしてください)を御覧下さい。 

 劇団夢現舎公演 No.21  『続・遺失物安置室の男』
2008年2月26日(火)~3月4日(火)  於アトラクターズ・スタジオ
過去の記憶を遺失した遺失物預かり所の管理人とそこを訪れる何かを欠落してしまった人々。
現代に生きる人々の物の価値に一石を投じる、夢現舎流シニカルファンタジー

作       劇団夢現舎
演出・構成  小竹林早雲

出演   横川明代 大野寛嘉 齋藤真 春日裕美 宮崎陽介
      久住奈央 高橋正樹 池田立道  マス(□に斜め線)田喜晴
美術   山下昇平
衣装   五十嵐千恵子
小道具 満木夢奈
照明   伊藤馨
制作   劇団夢現舎
協力   及川芳泉 古川真司 堀泰緒
後援   杉並区 杉並区文化協会
     東京高円寺阿波踊り振興協会 高円寺パル商店街振興組合
      (有)アトラクターズ  金子正且  
  1. 2008/02/13(水) 23:56:41|
  2. 居合 総論

刀あるが故に

 昨日の稽古で1時間あまりかけて、大森流、英信流表、英信流奥の虎走まで三本づつ約90本を続けて抜きました。
 最近は数を抜いても疲れることがありません。むしろ1時間散歩するほうが随分疲れます。したがって、居合は運動というには全くものたりないものになってしまいました。
 何故楽なのか、無理無駄が少なくなっただけではありません。刀が軽いからでもありません。むしろ上田刀匠に打っていただいた私の2尺8寸2分の刀は樋はなくやや重いほうかもしれません。この重さに助けられています。軽ければ未熟な心が小手先で振れると判断しでかえって体力の消耗は大きいと思います。
 刀が自分自身の動きを助け、動かせてくれています。刀が体を起こし、刀が体を進め、刀が体を立たせ、刀が体を沈める。まるで体を操っているかのように。何も持たない時以上にはるかに動きは楽になるのです。
 柔術には刀の助けがありません。自分の体が全てです。体そのものを刀にしなければなりません。
 
 3月30日(日)に一般に公開した自由参加形式の貫汪館居合道講習会を実施します。講習会のテーマは『自由に動く為の大森流の稽古のあり方』です。詳しくは貫汪館ホームページ(←クリックしてください)の無双神伝英信流抜刀兵法 稽古のページを御覧下さい。 

 
 無双神伝英信流抜刀兵法を稽古していただいている劇団夢現舎の公演 No.21『続・遺失物安置室の男』が行われます。東京に出かけられる機会があれば是非、御観劇ください。詳しくは劇団夢現舎のホームページ(←クリックしてください)を御覧下さい。 
  1. 2008/02/19(火) 22:27:33|
  2. 居合 総論

作為を廃す

 昨日の無双神伝英信流抜刀兵法の稽古では初心者の方も中級者にさしかかっておられる方も初発刀の抜付けの稽古をして頂きました。
 これくらいは出来るだろうと思われるような簡単な動きですが、「鞘手ををかけよう」「柄手をかけよう」「抜こう」という思いがどんなに自分の動きに無理無駄を生じさせ、狂わせているかが良くおわかりになったと思います。稽古の絶対条件は「力を入れない」ことで、この条件を守っていたから、自分の動きの至らぬところを感じることが出来たのです。
 稽古とは如何に作為的な動きを廃すかであって、作為的な動きがなくなれば、意図せずして「抜付け」は自然に生じます。
 これが初めから手首を折るだの、下からかけるだの、脇をしめるだのといった作為的な動きの稽古をしていては自分のひずみにすら気付くことはありません。
 言葉でいえば、「腰を落とす」は実は「腰が落ちる」のであり、「手をかける」は「手が掛かる」であり、「抜く」は「抜ける」であって何一つ意図的な動きはないのです。
 自分で何かしようという思いが強ければ強いほど動きは歪みを生じ居付き、武術としての自由はなくなってしまいます。もっとも自己満足のカタチを求められる方は歪みがあるほど「やった」という実感が残りますので、そのようにされれば良いと思います。しかし、それは師伝の無双神伝英信流抜刀兵法ではありえません。業とは実感が残らないものなのです。術技としての無念無想を求めてください。
 
 3月30日(日)に一般に公開した自由参加形式の貫汪館居合道講習会を実施します。講習会のテーマは『自由に動く為の大森流の稽古のあり方』です。詳しくは貫汪館ホームページ(←クリックしてください)の無双神伝英信流抜刀兵法 稽古のページを御覧下さい。 

 
 無双神伝英信流抜刀兵法を稽古していただいている劇団夢現舎の公演 No.21『続・遺失物安置室の男』が行われます。東京に出かけられる機会があれば是非、御観劇ください。詳しくは劇団夢現舎のホームページ(←クリックしてください)を御覧下さい。 
  1. 2008/02/22(金) 22:00:55|
  2. 居合 総論

全ては同じ

 無双神伝英信流抜刀兵法九州支部長が稽古にきましたので、土曜日に指導しました。今回の稽古でやっと稽古の本質が分かったようです。確認のために記します。
 貫汪館では座法・礼法・歩法の稽古を普通の方で半年くらいして頂いて方の稽古に入ります。それらの稽古の中に居合の全てが存在するといっても過言ではないからです。形に入っていないが故に敵を想定する必要はなく、「敵を両断する」とか「早く早く」といった思いが生まれず、心と体に無理無駄を生じさせる可能性は随分少なくなります。
 大森流等の形に入ってもこれらの動きがそのまま形の動きとなるのですが、一部を少し解説します。
 座法の稽古はそこにあるだけの稽古ですが、決して姿勢を作ることはありません。姿勢を作ることがないからこそ自由に動けるのです。形の稽古にに入ったら敵を想定しなければならないために自らを緊張させて背筋を正し、腰を要れ、力強くという思いが生じる方が多くおられます。それは決まったようにしか動けない姿勢であり、形は決まったようにしか動けない体を作り上げてしまいます。そうならない為の座法の稽古です。かって稽古した座法を忘れてはなりません。
 礼法において座礼では、そこにあるだけの姿勢であるが故に体を傾け礼をしようとすれば、自然に手が前に出始めます。決して「手を出す」訳ではありませんでした。この自然に手が前に出る動きを用いて柄手は柄にかかります。手を柄に「かける」わけではないのです。抜付けの稽古をしていない座礼の稽古の段階ですでに抜付けの稽古はしているのです。敵を想定した時に自ら手を掛けに行く方が多いのですが、礼法の稽古の動きは既に抜付けの稽古の動きとなっているのですから別の物と考えてはなりません。
 立礼の場合、体に無理無駄が無ければ《特に下肢に)体を前に傾けたとき自然に体はさらに沈みお尻は後方にスライドします。正座しての抜付けの際の前傾も立礼と同じです。座すが故に外見では沈んだようには見えませんが体は沈みお尻は後方にスライドします。立礼の稽古も抜付けの稽古に通じるのです。しかしながら敵を想定したとたん。すぐにお尻を浮かし、腰を伸ばす方が多いのはどうしてでしょうか。心が動きを乱しているのです。
 歩法の稽古では下肢の筋肉のどこにも緊張が入らないように稽古しています。この動きは大森流の血振いの後の足の踏みかえの際の動きであり、このとき下肢のどこにも緊張があってはなりません。また、これは虎乱刀の足運びであり、さらには奥居合の虎走の足運びとなります。
 参考までに一部のみ解説しましたが、貫汪館で稽古される方には、初めから居合の動きの本質をお教えしており、「所詮基本。」と言ってよいことではないのです。土曜日に理解されたことを大切に稽古を続けて頂きたいと思います。
   
 
 3月30日(日)に一般に公開した自由参加形式の貫汪館居合道講習会を実施します。講習会のテーマは『自由に動く為の大森流の稽古のあり方』です。詳しくは貫汪館ホームページ(←クリックしてください)の無双神伝英信流抜刀兵法 稽古のページを御覧下さい。 

 
 無双神伝英信流抜刀兵法を稽古していただいている劇団夢現舎の公演 No.21『続・遺失物安置室の男』が行われます。東京に出かけられる機会があれば是非、御観劇ください。詳しくは劇団夢現舎のホームページ(←クリックしてください)を御覧下さい。 
  1. 2008/02/24(日) 22:46:45|
  2. 居合 総論

お尻を浮かせるな

 無双神伝英信流抜刀兵法の師 梅本三男貫正先生にマンツーマンでよく指導を受けたものですが、私の居合の質が変化し始めたのは先生の「お尻を浮かせるな。」という指導を受けてからでした。
 無双神伝英信流抜刀兵法においては爪先立ててから抜付け始めるということはせず、抜きつけたとき結果として爪先は立っていたという体遣いをします。先生に初発刀の抜付けの指導を受けたとき先生は「お尻を浮かせるな。」といわれ、何度やっても制止され刀を抜くことを許しては下さいませんでした。お尻を浮かし腰を伸ばさなければ刀は抜けないと勘違いしていた私は「刀が抜けません。」と申しあげましたが、先生は「本当にそうか、全ての無理無駄を無くしお尻を浮かせるな。」と指導されました。
 私は抜けなくてもともとと、言われるままに、お尻の力も抜き、素直に抜き出すと、何もしないうちに刀は鞘から離れていました。自分にとってはとても不思議な経験でしたが、先生はにっこりされ、「できるだろう。」と話されました。それ以降、私の抜付けの質は変化し始めました。そのときの私の刀は二尺六寸で、その頃は扱いにくかったのですが、今にして思えば何ともないことです。
 貫汪館で稽古される方にも、「お尻を浮かせない。」と指導いたしておりますが、まだまだ、理解が浅いように思います。「これくらいできれば」という事は決してありませんので、よくよく工夫してください。
  
 3月30日(日)に一般に公開した自由参加形式の貫汪館居合道講習会を実施します。講習会のテーマは『自由に動く為の大森流の稽古のあり方』です。詳しくは貫汪館ホームページ(←クリックしてください)の無双神伝英信流抜刀兵法 稽古のページを御覧下さい。

 4月13日(日)午前9時より、廿日市市の速谷神社で貫汪館奉納演武会を実施いたします。 
  1. 2008/03/05(水) 22:09:40|
  2. 居合 総論

大森流講習会

 本日、大森流講習会を開催いたしましたが、他県、他流派、他道場から多くの参加を頂き、無事盛況のうちに終えることが出来ました。誠に有難うございました。
 礼法、歩法等の前回の講習会の復習の後、初発刀の柄手、鞘手のかかりに随分時間を費やし、初発刀のみで午前中を使ってしまい、午後は陰陽進退と一つとばして順刀までの講習しか出来ませんでしたが、内容のある講習会であったと思っています。 多くの方が自分のレベルに応じて何物かを会得されていたと思います。

 「手のかかり」というのは文字通り手がかかるからであって、「手をかける」訳ではないからです。講習でお話しましたとおり、体の末端の動き、刀に手がかかってからは切先までの動きは全て中心を使った結果であって、同じように見えても結果としてそうなる動きと、そういう結果を求めて末端を使う動きでは本質的に異なっています。結果を直接的に求めて動く動きには末端に筋肉の緊張による「やった」という実感が残りますが、中心を使った結果末端が働く動きには末端の筋肉の緊張はありませんので、「やった」という実感は残りません。
 したがって、実感をどうしても求めたい方は、いくらお教えしても違う内容を求めているので、無双神伝英信流抜刀兵法における、本質的な上達はありません。師、梅本三男貫正先生は「思いが異なれば教えようがない。」と仰られました。
 同様に、今日の講習会では外見の物まねは硬く禁じましたが、外見を真似ることには全く意味がありません。中心の動きが外に現れるので、中心がぶれれば外の動きは当然ぶれてしまいます。動きが上達し、完成しているわけではないので、外の動きはぶれて当然なのです。むしろ、ぶれることによって体の調和が乱れているのを知ることが出来、より、良い質の動きを求めることが出来るのです。
 しかし、外がぶれるのがいやだからと言って外を固めて、小手先で、上級者の形の真似をしていたのでは武術における「形」ではありません。形稽古において出来もしないのに、できた振りをしたく外見をつくってしまえば、その時点で上達はないことを知らねばなりません。形稽古の目的は自由自在に動ける体を養うことにあるのであって、形を見事に演じることにあるのではないからです。「下手である」という実感無しに上達はないのです。

 次回の講習会は5月25日(日) 「英信流・表」講習会 です。他流派、他道場、初心者の方のご参加をお待ちいたします。
 
 4月13日(日)午前9時より、廿日市市の速谷神社で貫汪館奉納演武会を実施いたします。
  1. 2008/03/30(日) 21:37:17|
  2. 居合 総論

上達過程

 無双神伝英信流抜刀兵法の稽古を今までされてきた方の中に上達ということについて全く考え間違いされてしまっていて、あるいは自分で勝手に思い描いてしまっていて、上達どころか下達された方が多くおられますので、上達の過程について記しておきます。
 はじめ、座法・礼法・歩法を稽古しても、斬撃の稽古をするようになっても、さらに形の稽古をするようになっても、今までの日常生活の動きからの脱却を図り、無双神伝英信流抜刀兵法における動きへの転換を図りますので、まず、無理無駄を動きから無くすことを要求されます。
 したがって、相当長い期間、ゆっくり静かに、まるではじめて赤ん坊が立ち上がり歩くかのような感覚で動かねば、すぐに元の動きへと戻っていってしまいます。この期間は現在の自分の必要最小限と思われる筋力しか用いることは許されないため、感覚的には非常におぼつかなく頼りなく感じられるはずです。このおぼつかなさ、頼りなさを嫌ってもとの動きの延長線で形を稽古してしまえば、それは武術として成り立たない動きでしかなく、衰えてしまう動きでしかありません。
 やがて、ゆっくり静かに動いていても、おぼつかなさ、頼りなさがなくなり、それがごく自然に感じられる時がやってきます。それが、その速さにおいて無理無駄が無くなった段階です。
 無理無駄が無くなれば、しだいに動きには速さがついてきますが、このとき、もっと速くと思って行った速さは作り物でしかなく、大きな無理無駄を伴うものとなってしまいます。動きに精度が加わり無理無駄がなくなればなくなるほど、自然に速さは増してきます。それは自覚できるほどの変化ではなく、何時の間にか変化していくものです。気づいたときには以前よりは速くなったと感じる程度です。
 無双神伝英信流抜刀兵法においてはこのような上達過程をたどります。したがって私が上達したと褒めたとしても、第三者には、なんであんな弱弱しい動きが良いのかと思われるでしょう。しかし、それは上達のために必ず通らなければならない道であり、真の動きを身につける為の過程なのです。
 動きの質を変化させて向上しようとしているのですから、右上がりの直線で上達するわけではありません。むしろ、第三者が外見のみ見れば、一度右下へと下がった(下手になった)ように見えるでしょう。

  貫汪館ホームページ(←クリックしてください)の無双神伝英信流抜刀兵法と渋川一流柔術の行事のページに速谷神社奉納演武の写真を載せました。御覧下さい。
  1. 2008/04/24(木) 21:37:44|
  2. 居合 総論

昨日の稽古の気づき

 昨日の無双神伝英信流抜刀兵法の初心者の方2名の稽古の気づきを記します。
 初発刀の鞘手柄手の掛かりまでは随分工夫されたこともあり動きは良くなってきました。しかし、柄手がかかってからの動きは自分勝手に敵にお構い無しに、ただ刀を抜いておられます。
 無双神伝英信流にあっては初発刀・左刀・右刀・当刀・陰陽進退の抜付けは動かぬ敵を斬る据物斬りではなく、我に斬りかかる敵を迎撃します。したがって、ただ刀を早く抜くとばかり思っていては敵がまだ間合に入っていないのに抜付け、抜付けが空を斬った後に敵に斬られてしまいます。また、「ゆっくり、静かに」を勘違いし独善的に抜いていたのではやはり、斬られてしまいます。
 自分の動きを武術としての居合となすためには、前述した「我に斬りかかる敵」をしっかり想定する必要があります。敵は我を斬ろうとして接近しますので、当然、彼我の間合は変化します。抜付けで自分の切先がどこを通るのか自分の有効範囲はどこまでなのかが分かっていなければ、間合を制することはできず、抜付けは意味のないことになってしまいます。
 昨日は早く抜くという事にのみ意識が行き、実際の自分の刀の有効範囲よりも手前しか斬っておられませんでした。二尺四寸五分の刀が脇差ほどの働きしかなしていないのです。
 右手を動かすことにより、速くという実感を求められていますが、技術的に言うならば、抜付けで右手が動くということは切先は遅れることを意味します。
 また、今の段階で敵に間に合う居合など全く求めておりませんし、できようはずもありません。動きの質の変化が全くなされていないからです。したがって、今これを求める気持ちがあるとすれば、思いをかえなければ上達しようはずもありません。自分が動ける速さ以上に速く動こうとすることは自ら自分自身の動きを壊していることを意味します。
 想定する敵は自分の腕に応じてゆっくりとした敵で良いのです。
 自分の刀の有効範囲をよく知り、ゆっくりではあっても自分に斬りかかる敵をしっかり想定して稽古しなければなりません。 
 

  貫汪館ホームページ(←クリックしてください)の無双神伝英信流抜刀兵法と渋川一流柔術の行事のページに速谷神社奉納演武の写真を載せました。御覧下さい。
  1. 2008/04/25(金) 18:49:13|
  2. 居合 総論

出来なくて当たり前

 今日は無双神伝英信流抜刀兵法の稽古日でしたが、まだまだ稽古への取り組みが甘すぎるように思います。
 身体の無理無駄を無くすことを稽古して頂いているのに、抜付け、斬撃、血振いにこだわり、形にしなければならないと思い、身体を力ませて固めてしまう。これでは形稽古は全く役に立たないどころか武術にとって形稽古はしないほうがましという状態になっています。
 形稽古における外見は求めてそうなるものではなく、自在な動きを工夫した結果、そのようになったものでなくては武術における形とはいえません。形稽古の目的はあくまでも自由自在に動ける己を作ることにあるのです。そのための基礎として無理無駄を無くす稽古をしているのですから、それをないがしろにして外見に目が行くようでは、無双神伝英信流抜刀兵法における上達は望むべくもありません。
 極限まで無理無駄を排除するためには今までの日常生活の中で得ていた動きの実感からは離れなければならないのです。実感は薄らぎ不安に感じるかもしれませんが、そこがスタート地点なのです。スタート地点に立つことをおそれていては、何も出来ません。
 初心者なのですから形は出来なくて当たり前なのです。

 5月4日(日)京都下鴨神社において午後1時から、5月5日(月)京都白峯神宮において午前11時から、日本古武道振興会による奉納演武会が行われます。無双神伝英信流抜刀兵法は4日と5日、渋川一流柔術は5日に演武します。お時間のある方はお越しください。 
  
 5月25日(日)に一般に公開した自由参加形式の貫汪館居合道講習会を実施します。講習会のテーマは『英信流表の形・・・形が教える事』です。詳しくは貫汪館ホームページ(←クリックしてください)の無双神伝英信流抜刀兵法 稽古のページを御覧下さい。

  1. 2008/04/30(水) 22:15:55|
  2. 居合 総論

繊細さ

 今日も無双神伝英信流抜刀兵法の稽古でしたが、昨日とは稽古する形が異なるので、道場は全く異なる雰囲気になります。
 今日は渋川一流柔術の稽古を積まれた方が中心でしたので、出来る出来ないは別にして私の話すことは理解をされています。後は出来るようになるだけです。
 今日の稽古では繊細な感覚で稽古するということをよく実行されていましたので、どの時点で自分の動きが崩れてしまうのかを理解できていたように思います。自分の動きの崩れ始めが分からず、動いた結果として崩れていたことが分かるのは稽古に繊細さが足りないからです。ただがむしゃらに動く稽古からは業は生まれることがありません。指一本の動き、肘のほんの僅かな張り、足の裏の緊張、小さなことに思えてもその小さなことが全てを狂わせてしまいます。崩れ初めが分かれば何がそうさせているのかを見つけ、直し、上達へとつなげていってください。 


 5月4日(日)京都下鴨神社において午後1時から、5月5日(月)京都白峯神宮において午前11時から、日本古武道振興会による奉納演武会が行われます。無双神伝英信流抜刀兵法は4日と5日、渋川一流柔術は5日に演武します。お時間のある方はお越しください。 
  
 5月25日(日)に一般に公開した自由参加形式の貫汪館居合道講習会を実施します。講習会のテーマは『英信流表の形・・・形が教える事』です。詳しくは貫汪館ホームページ(←クリックしてください)の無双神伝英信流抜刀兵法 稽古のページを御覧下さい。
  1. 2008/05/01(木) 22:47:05|
  2. 居合 総論

軽い刀

 昨日は繊細さという事に付いて書きましたが、今日は繊細さについて軽い刀のほうが難しいというお話です。
 私の真剣の重さは約千四百数十g ほぼ同じ長さの居合刀の重さは約千二百数十gです。約200gの重さの違いがあります。普通に考えれば重い刀のほうが難しいように思いますが、実は軽い刀のほうが難しいのです。
 いつもお話していますように無双神伝英信流抜刀兵法では稽古において無理無駄を無くすことを大切にしています。つまり、余分な力、緊張というものは全くなくさなければならないのです。自分の現在の限界まで無理無駄を無くす努力をしていれば、軽い刀を使った場合ほんの僅かな無理無駄、「振りたいと」いう思いが生じてしまったら、刀の運行は意図していたのとはずれた軌跡を描きます。指一本の緊張でかわってしまうものなのです。重い刀の場合には重さに助けられて多少の無理が働いても刀の重さがそれを修正してくれます。
 軽い刀はより繊細に、軽い重さを感じる感覚を持って使わなければならないのです。そういった意味で、ある程度上達された方で稽古用に重さの異なる二振りの刀をもたれている方は違いを試みてみてください。

 
 5月4日(日)京都下鴨神社において午後1時から、5月5日(月)京都白峯神宮において午前11時から、日本古武道振興会による奉納演武会が行われます。無双神伝英信流抜刀兵法は4日と5日、渋川一流柔術は5日に演武します。お時間のある方はお越しください。 
  
 5月25日(日)に一般に公開した自由参加形式の貫汪館居合道講習会を実施します。講習会のテーマは『英信流表の形・・・形が教える事』です。詳しくは貫汪館ホームページ(←クリックしてください)の無双神伝英信流抜刀兵法 稽古のページを御覧下さい。
  1. 2008/05/02(金) 21:07:37|
  2. 居合 総論

臍から下に

 昨日は渋川一流柔術の稽古日でしたが、平日に無双神伝英信流抜刀兵法の稽古ができない方が二名来られて稽古されました。
 二名の方は、いつも稽古で、どうしても肩が身体からはなれ手先の業になってしまうので「心と身体の動きを臍の下におく」稽古を徹底的に行ってもらいました。その結果、自分の動きが肩先で動く場合と、臍下で動く場合の感覚上の差は分かられたようです。
 ですが形の中で、出来ているのに急に出来なくなって手先の動きになってしまうところがありました。そのような時には必ず心が焦っており、「速く速く」とのみ思い、自分の身体がどのような状態なのか全く分からない速さで動いておられます。
 しかし、それでは稽古にはなりませんので、自分の動き、体の状態が認識できる速さのうちで、稽古を重ねなくてはなりません。そうでなければ結局いい加減な動きが身についてしまうだけになってしまいます。
 それから、「心と身体の動きを臍の下におく」稽古をしていただいたわけですがいくら臍の下においたところで、それこそ、手先で動いて形を求めていては自分の下半身と上半身はバラバラになってしまい。本当の意味で心と身体の動きを臍の下においているわけではありません。心と身体の動きを臍の下において動けなくなってしまったのであれば、どれだけ時間がかかろうと動き出すのを待つだけです。下手に形にこだわり動いてしまえば決して無双神伝英信流抜刀兵法の上達はありません。 

 貫汪館ホームページ(←クリックしてください)の無双神伝英信流抜刀兵法の行事のページに京都下鴨神社と京都白峯神宮の奉納演武の写真を、渋川一流柔術の行事のページに京都白峯神宮の奉納演武の写真をそれぞれ載せました。御覧下さい。
  

 貫汪館会報第56号を貫汪館ホームページ(←クリックしてください)の会報のページに載せました。御覧下さい。
  
 5月25日(日)に一般に公開した自由参加形式の貫汪館居合道講習会を実施します。講習会のテーマは『英信流表の形・・・形が教える事』です。詳しくは貫汪館ホームページ(←クリックしてください)の無双神伝英信流抜刀兵法 稽古のページを御覧下さい。講習会の後17時より会費二千円でお酒無しの懇親会を行います。お時間がある方はご参加ください。

  1. 2008/05/11(日) 23:48:34|
  2. 居合 総論

英信流 表 講習会

 本日、貫汪館居合道講習会にご参加いただいた皆様、誠に有難うございました。おかげさまで質の高い講習会となりました。
 地元の方だけでなく、広島市内、呉市、庄原市、さらには岡山県や神奈川県、九州から、また他流派の方も参加していただき、無双神伝英信流抜刀兵法の業を経験し、また体得していただけたと思います。朝9時半から夕方4時過ぎまでの長時間、また雨上がりの蒸し暑い中よく頑張っていただけました。
 講習では横雲、虎一足、稲妻、浮雲、山下風、岩波、鱗返、浪返、瀧落、抜打の10本の形を稽古して頂きましたが、私自身は当たり前だと思っていた英信流の座法のさいの右足の出し方が全ての動きに通じるのだということを師範代代理に指摘され私自身改めて認識を深くしました。
 確かに、足の出し方と抜付けの際の脚の動きは同じ質の動きをしており、足一つ出すのも、全く疎かにできません。
 講習会の気づきはまた少しずつ述べていきたいと思います。

 次回の講習会は7月13日(日)、講習内容は「太刀打」の予定です。どなたでもご参加ください。

 貫汪館ホームページ(←クリックしてください)の無双神伝英信流抜刀兵法の行事のページに京都下鴨神社と京都白峯神宮の奉納演武の写真を、渋川一流柔術の行事のページに京都白峯神宮の奉納演武の写真をそれぞれ載せました。御覧下さい。 
  1. 2008/05/25(日) 22:56:58|
  2. 居合 総論

袴捌き

 昨日の無双神伝英信流抜刀兵法の講習会では、はじめに袴捌きの稽古を行いました。
無双神伝英信流の袴捌きは他流派の多くと異なっているのは前述した通りです。
 肩甲骨周辺、背筋を緩めることができると書きましたが、私自身当たり前になっていることでも、そうでない方にとっては難しいものだということに気付きましたので、ポイントを述べます。
 まず、はじめに袴捌きをしようとして両手を袴に差し込む動きですが、手先で動いてはならず、後方にかるく肘を引くことによっては上方に動きます。
 次に袴を掬い上げるタイミングですが胴体が下方に落下し始めた後であり、その前に動こうとすると返って上半身を固めてしまうことになります。
 袴を掬い上げるとき、あくまでも腕は引力によって下方に引っ張られており肘は下に降りたまま体を開きながら指先を上にあげます。身体を開いた結果指先は左右に分かれるのであって、決して指先から動かそうとするのではありません。また指は肘よりも高い位置になります。
 また、肘が引力によって下方に引かれているのを感じずに動けば必ず、肩が硬直し、上腕が固まってしまいます。こうなると肩甲骨周辺も緊張し背筋も緩むことはありません。
 胴体が沈んでいくと同時に袴も下(床面に)おりますが、指先、腕に袴の重さを感じられる繊細さが無いときには身体が緊張していることになります。

 次回の講習会は7月13日(日)、講習内容は「太刀打」の予定です。どなたでもご参加ください。

 貫汪館ホームページ(←クリックしてください)の無双神伝英信流抜刀兵法の行事のページに貫汪館居合道講習会(英信流表)の写真を載せました。御覧下さい。 
  1. 2008/05/26(月) 21:44:30|
  2. 居合 総論

自分を疑う

 「無理無駄なく」「調和」・・・言葉は簡単ですが、行うのは簡単ではありません。
 少なくとも貫汪館における武術の基本は姿勢、動きに無理無駄、歪が無く調和が保たれていることを言います。それは姿勢・外見を形作る事とは異なり、それらが自然になった結果、姿勢・外見として現れるものであり、師や兄弟子の形を真似したところで猿真似に過ぎず基本ができてきたという事とは程遠いどころか、武術としては害あるものでしかありません。師は一人一人の癖、身体・心の歪をみて正そうとします。したがって、集団教授法はとる事ができないのです。
 一人一人に対しての指導ですから、ある人は座るばかり、ある人は形がどんどん進むということもありえます。
 ここで「修行」と思えずに焦りを感じたり不安に思ったり自分自身の考えで稽古を行ってしまったら絶対に進歩はありません。
 とくに「このような稽古をしなさい」「~を正しなさい」と指示しているにもかかわらず、そこを解決するための稽古に集中せずに他のことに目が行ってしまう方は絶望的といってよいでしょう。自分ではできたという錯覚に落ちるのかもしれませんが、初心の内から自分の姿勢、動きが自分自身で簡単にわかるほど甘いものではないのです。自分自身の姿勢、動きを徹底的に感じ、工夫しても次から次へと至らぬところがわかってくるというのが本当の稽古に取組む姿です。今の自分を疑い稽古すれば、「ここも、あそこも」と至らぬところがみえてくるもなのです。
 初心のうちの稽古はただ数を重ねれば上達するというものではありません。自分自身のなすべきことを教えられたら、今の自分を疑い、徹底的に稽古するよう心がけてください。できるようになったときには次の稽古を指示します。それが出来なければ次に進むことは意味がないどころか、道を閉ざしてしまうことを意味します。それまでは工夫に工夫を重ねなければなりません。

 武術が武術となる稽古は、そのような姿勢、動きの稽古を経て後と心得てください。


 次回の講習会は7月13日(日)、講習内容は「太刀打」の予定です。どなたでもご参加ください。

 平成20年 第5回講習会は11月30日(日)に行う予定でしたが、日本古武道協会の厳島神社古武道演武大会が当日開催されることになったため、10月に変更します。日程は後日ご連絡します。
第4回講習会「詰合」は予定通り9月21日(日)に実施します。

 貫汪館ホームページ(←クリックしてください)の無双神伝英信流抜刀兵法の行事のページに貫汪館居合道講習会(英信流表)の写真を載せました。御覧下さい。 
  1. 2008/05/29(木) 22:15:18|
  2. 居合 総論

劇団夢現舎講習会感想文 2

 劇団夢現舎の俳優の方の講習会の感想文の二通目です。よくよく参考にして下さい。
 劇団夢現舎は7月31日から8月25日までの間、英国のエジンバラで公演されます。詳しくは劇団夢現舎のホームページ(←クリックしてください)を御覧下さい。

 お忙しい中、そして非常に遠い中、本当に有り難うございました。
 今回稽古を付けて頂いて、強く感じた事はやろうやろうとしては行けないという事、そして頭で考えては体が付いてこないという事です。
 抜刀の際、刀を感じて刀の思うほうに動かせば刀は勝手に抜けて行くのですが、やろうやろうとしてしまうと力が入ってしまい、体が思うように行きません。そしてまたそれを出来なかったとその場で考えてしまうと体と心がバラバラになってしまうので全くおかしな事になってしまいます。
 全く芝居も同じで頭で考えてしまうと、うまくいかない。その場で反省するとそこで集中が切れてしまい何も出来なくなってしまう。相手の呼吸を感じずに自分だけで芝居をしてしまうと何も生まれてこない。無理のある独りよがりなつまらないものになってしまう。  
 芝居だけでなく物事を作り出す、人に感動を与える、何かを究めるという事は自分の一人よがりな感情では無理だ。相手の呼吸を感じられない人には何も生まれてこないのだと思いました。
非常に実のある時間を有り難うございました。これからもどうぞ宜しくお願いします。 


・・・稽古雑感・・・
 今日は無双神伝英信流抜刀兵法の稽古日でした。稽古を見ていて感じたのですが、まだ、まだ、形にとらわれています。動きが止まるところ、たとえば抜付けの終点、斬撃の終点、血振いの終点等に無駄な力がこもっているのです。こもっていると言うよりも込めているといったほうが良いのかもしれません。
 始まりと終わりは同じでなければなりません。終わりは又始まりであるのです。そうでなければ体も心も居着き動くたびに隙だらけになってしまいます。始めに無理無駄がなければ終わりもまた、無理無駄があってはなりません。終点においても筋肉の緊張はないのです。

  貫汪館無双神伝英信流抜刀兵法講習会を7月13日(日)に実施いたします。講習内容は「太刀打」で、講習会のテーマは「太刀打・・・居着きをなくす」です。貫汪館ホームページ(←クリックしてください)の無双神伝英信流抜刀兵法の稽古のページを御覧になり、どなたでもご参加ください。なお、気温が高くなることも予想されます。冷たい飲物が必要な方は各自ご用意くださいますよう御願いいたします。講習会後はお酒の入らない懇親会を会費二千円で行います。

 6月から無双神伝英信流抜刀兵法 久留米道場が本格的に活動を始めました。毎週水曜日の夜間の稽古です。7月は毎週水曜日全て荘島体育館剣道場での稽古になる予定です。興味のある方は貫汪館ホームページの無双神伝英信流抜刀兵法稽古のページの連絡先からご連絡ください。
  1. 2008/07/02(水) 21:54:18|
  2. 居合 総論

別物

 以前、高校生で無双神伝英信流の稽古に熱心に通ってくる男の子が居ました。就職で広島を離れ、稽古にはこれなくなりました。その男の子は中学高校とクラブ活動で熱心に剣道を稽古しており、居合の稽古にも熱心に来ていましたが、無双神伝英信流の居合はどうしても上達することが難しかったようです。
 理由は剣道の術技と居合の術技を混同していたことにあり、両者を別物と認識できなかったことにあります。世間には「剣居一体」などという言葉があり、いかにも現代剣道と、武術としての居合が一体のものであるかのように勘違いさせていますが、術技の面では絶対に一体ではありえないものです。「剣居一体」については次のように言われています。

 「剣居一体」と言われるように剣道と居合道は不可分の関係にある。
 剣道は抜互に抜き合わせて有効打突をめぐっての攻防の技を錬り、居合道では仮想した敵を一瞬
 のうちに抜き打ちして勝ちを制する技を錬る。
 精神面でも技術面でも剣道と居合道とは相互に補い合い、「車の両輪のごとき関係」にある。

 上記の文章ではあたかも技術面において相互に補完しあうかのような印象を与えますが、はたしてそうでしょうか。
 簡単に言えば、剣道の竹刀は「打つ」ものであり、刀は「斬る」ものです。打つと斬るとでは技法に大きな違いがあり、ましてや、かたや、ほとんど振りかぶらず跳び込んで使い、かたや振りかぶって、跳び込む事はまずなく用いるもの。当然のことながら手の内は大きく異なってきますし、下肢や上半身の用い方も大きく異なってきます。
 極論すれば、卓球の選手がテニスの練習に励み、テニスのラケットの握り方を一生懸命稽古して卓球の試合にテニスのラケットの持ち方で臨んで、よい成績がのこせるでしょうか。卓球には卓球の体の使いかたがあり、テニスにはテニスの体の使いかたがあります。同じように丸い玉を用い、ラケットをつかうとしてもその術技は異なっているのです。
 前述した高校生は、刀を使っても、どうしても竹刀の使いかたからは離れることができませんでした。同様に、もし剣道を専門にする人が、刀の用いかたで竹刀をもち、打つ際にいちいち振りかぶり、跳びこまずに歩み足を用いたとしたら、はたして現今のルールにおいて良い成績を残し、昇段することができるでしょうか。よく居合をすると剣道は下手になるといわれる原因は此処にあるように思います。
 剣道を専門にする人にとって居合は刀を知るということには役立つと思いますし、素抜き抜刀術(一人で行う形稽古)しか知らない居合を専門にする人にとって、剣道における対人動作の心の用いようは役に立つものである事は当然の事と思います。
 しかし、それは剣道を専門にする方が古流剣術を稽古すれば無理に居合の稽古をしなくとも身につくことですし(多くの古流剣術には居合の形も付属しています)、素抜き抜刀術(一人で行う形稽古)しか知らない居合を専門にする人は正式な居合の流派を学び対人関係のある(仮想的ではない)居合の形や付随する剣術技法、柔術技法、その他の稽古方法を学べば身につくことでもあります。
 少し余談が長くなりましたが、貫汪館にあっては現代剣道と居合を併習される方は現代剣道と無双神伝英信流抜刀兵法における術技は別物であると認識して、両方の上達を目指していただくよう御願いいたします。


  6月から無双神伝英信流抜刀兵法 久留米道場が本格的に活動を始めました。毎週水曜日の夜間の稽古です。8月は6,20、27日の各水曜日、荘島体育館剣道場での稽古です。午後7時位からの稽古ですので興味のある方は直接、荘島体育館剣道場をお訪ねください。
 また、8月23日(土)、8月24日(日)は久留米市での終日の稽古会を行います。興味のある方は貫汪館ホームページ(←クリックしてください)の無双神伝英信流の稽古のページ に記してある連絡先へご連絡ください
 
  1. 2008/08/10(日) 20:01:07|
  2. 居合 総論

共通点

 昨日は現代剣道と無双神伝英信流抜刀兵法は術技の上では別物であると書きましたが、絶対に共通していなければならない事があります。
 それは心・体が常に自由自在でなければならないことです。言い換えれば絶対に居着くことがあってはならないということです。以前もお話したことがあると思いますが、日本武道学会が行われたときに、ある剣道の先生とお話した時の事です。
 その方には一般に行われている居合が、抜き付けたとき、斬撃した時、血振いしたときにぐっと筋肉が緊張した状態で刀と体を静止させる事に全く違和感をもたれていなかったのですが、「小手や面や胴を打ったときに、いちいち筋肉を緊張させて竹刀と体を止めていますか?」とお話すると、すぐにおわかりになられました。そんな事をしていたら相手に散々打ち込まれてしまいます。
 その方が、居合には違和感をもたれなかったのは「居合とはそんなもの」という先入観があったためだと思います。一般にはそういう居合が行われているのですから、「居合はそんなもの」という意識になるでしょうし、確かにそんな居合をしていたら現代剣道にとってマイナスにしかなりません。技術の混同を超えた絶対的なマイナスです。
 現代剣道も居合も対人関係の中での動きである以上、心と体が自由自在であるということは共通でなければならないことです。居合の形の中で抜付けや斬撃や血振いなどの動きの直後のように止まっているように見える動きも、止めているのでは武術になりません。止まるのであってとめるのではないのです。したがって心と体の居付きはそこにはありません。常に動ける状態にあります。また、そのような動きを稽古しなければ絶対に術とはなりえません。素人受けするような居合は居合ではないのです。
 これは渋川一流柔術にも共通していえることです。いつまでたっても形の手順を考えて、体をこうしてこう動かして、足の位置は、手の位置はなどと考えていたらそれは武術の稽古をしているのではありません。不自由に居着いてしまう体を養っているに過ぎません。
 


  6月から無双神伝英信流抜刀兵法 久留米道場が本格的に活動を始めました。毎週水曜日の夜間の稽古です。8月は6,20、27日の各水曜日、荘島体育館剣道場での稽古です。午後7時位からの稽古ですので興味のある方は直接、荘島体育館剣道場をお訪ねください。
 また、8月23日(土)、8月24日(日)は久留米市での終日の稽古会を行います。興味のある方は貫汪館ホームページ(←クリックしてください)の無双神伝英信流の稽古のページ に記してある連絡先へご連絡ください
 
  1. 2008/08/11(月) 22:18:38|
  2. 居合 総論

基本

 無双神伝英信流抜刀兵法において「基本ができる」とは形が要求する手順を間違えずに行えることではありません。
 大森流の形や英信流、太刀打などの形の手順を全く間違えずに行えたとしても、心も体も臍下に静まらず、抜きつけても斬撃しても臍から上で行い、肩は体から遊離し、呼吸も臍下では行えない。これではいくら外側がよかろうと、自由に動くことなどはるか先にしかありません。形は手段であって目的ではなく、いくら形を見事に行おうが自由に動けるということはないのです。
 無双神伝英信流抜刀兵法の稽古では形・外見は結果であって、求めるものではないということを肝に銘じて稽古せねば何年、何十年稽古しようと上達はありません。

  6月から無双神伝英信流抜刀兵法 久留米道場が本格的に活動を始めました。毎週水曜日の夜間の稽古です。8月は6,20、27日の各水曜日、荘島体育館剣道場での稽古です。午後7時位からの稽古ですので興味のある方は直接、荘島体育館剣道場をお訪ねください。
 また、8月23日(土)、8月24日(日)は久留米市での終日の稽古会を行います。興味のある方は貫汪館ホームページ(←クリックしてください)の無双神伝英信流の稽古のページ に記してある電話番号へご連絡ください
 

 9月21日(日)に貫汪館居合道講習会を実施いたします。今回の講習会のテーマは「詰合・・・居合と剣術のはざま」です。貫汪館ホームページ(←クリックしてください)の無双神伝英信流の稽古のページを御覧下さい。公開して行う講習会ですので、流派、団体を問わずどなたでもご参加ください。
  1. 2008/08/21(木) 21:49:03|
  2. 居合 総論

久留米稽古会

 8月23日(土)、24日(日)と久留米で無双神伝英信流抜刀兵法の指導をしてきました。また前日には久留米で古文書の調査を行い、ある程度の成果を得ることができました。
 久留米での無双神伝英信流抜刀兵法の稽古は23日は一ヶ月ぶりの指導でしたので、若干の手直しを行い、24日は形の稽古と渋川一流柔術柔術の経験をして頂きました。
 新しく稽古を始められた方は、兄弟子達の指導と本人の努力で、大変素直に稽古を重ねておられましたので、私が直接指導するのは今回が2回目にもかかわらず、一ヶ月の間に無双神伝英信流抜刀兵法の動きが身についており、日曜日には「初発刀」「左刀」「右刀」「当刀」までを指導することができました。私は中身が出来ていない方に先先を教えることは絶対にしませんので、本当によく努力されたものだと思います。今後も素直に我意をはさまず稽古を積まれ上達していただきたいと思っています。
 上達の妨げになるものは、ある程度できるようになた時に、教えから逸脱して私見を交えてしまうことですので、素直さがもっとも大切です。初心の段階で「先生はこう言われたけれども、この方が良いように思う。」という私見を加えて稽古してしまうと、始めは少し道をそれただけのものが、そのまま進み続けると、もとの道には戻ってこれないことになってしまいます。心してください。
 師範代代理は事前に「崩れているので、先生はガッカリされると思います。」と話していましたが、少しの手直しですぐに元に戻りました。もともと基礎は十分に身についていて(無理無駄が無いこと)、崩れようは無いのですが(自然で楽な動きをしているのですから)、自分で余分な動きをして崩してしまっていただけでした。余分な物を取り去ってしまえば、もとの自然な動きに戻ります。それどころか、すぐに上達するのですから不思議なものです。一ヶ月ぶりに奥居合や太刀打の稽古もしましたが、その形の稽古をしていなくても確実に上達しています。ある程度のレベルまで行けば、他の形の稽古が稽古していない形のレベルを上げますし、日常生活が道場での動きの質の向上の基礎にもなっています。
 次回は9月の27日、28日に指導に参りますが、それまで、素直に無理無駄なく稽古を重ねていただきたいと思います。 



 9月21日(日)に貫汪館居合道講習会を実施いたします。今回の講習会のテーマは「詰合・・・居合と剣術のはざま」です。貫汪館ホームページ(←クリックしてください)の無双神伝英信流の稽古のページを御覧下さい。公開して行う講習会ですので、流派、団体を問わずどなたでもご参加ください。 

  6月から無双神伝英信流抜刀兵法 久留米道場が本格的に活動を始めました。毎週水曜日の夜間の稽古です。9月は3,10、24日の各水曜日、荘島体育館剣道場での稽古です。午後7時位からの稽古ですので興味のある方は直接、荘島体育館剣道場をお訪ねください。 
 また、9月27日(土)6時から9時まで、28日(日)は終日、久留米市での指導稽古会を行います。興味のある方は貫汪館ホームページ(←クリックしてください)の無双神伝英信流の稽古のページ に記してある連絡先へご連絡ください
 
  1. 2008/08/25(月) 21:02:25|
  2. 居合 総論

とまる事が楽しい

 「身の曲尺の位を深く習ふべし留めねど留る事そふしぎや」

 以前、久留米の師範代代理が「刀は何もしなくても止まるのが楽しいのに。」と言ったことがあります。刀を振ったら前腕に力を込め、所謂 手の内をしめるkとによって刀を止めようとする人を見ての素直な感想です。
 体が正しく使えれば、いくら抜付けで刀が速く動こうとも、斬撃で刀に重い威力があろうとも、とめようと思わなくても刀は自然に止まるべきところで止まります。
 したがって、一日中稽古しようとも腕が筋肉痛になったり、乳酸がたまってこわばるということは起こりません。もし、そのような状態になったとしたらあやまった動きをしていると自覚しなければなりません。
 師範代代理は指導に素直に稽古してきましたので、無双神伝英信流の動きの本質を体で理解できており、居合の稽古を、つまり自分自身の動きの質の向上を楽しむことができるのです。自分の動きが無理無駄なく楽になっていくことを楽しむことができる心が技を上達させていきます。


9月21日(日)に貫汪館居合道講習会を実施いたします。今回の講習会のテーマは「詰合・・・居合と剣術のはざま」です。貫汪館ホームページ(←クリックしてください)の無双神伝英信流の稽古のページを御覧下さい。公開して行う講習会ですので、流派、団体を問わずどなたでもご参加ください。 

  福岡県久留米市での無双神伝英信流抜刀兵法の稽古は毎週水曜日の夜間の稽古です。9月は3,10、24日の各水曜日、荘島体育館剣道場での稽古です。午後7時位からの稽古ですので興味のある方は直接、荘島体育館剣道場をお訪ねください。  
 また9月27日(土)6時から9時まで、28日(日)は終日、久留米市での指導稽古会を行います。興味のある方は貫汪館ホームページ(←クリックしてください)の無双神伝英信流の稽古のページ に記してある連絡先へご連絡ください
 

  1. 2008/09/15(月) 22:17:29|
  2. 居合 総論

天の咲手

 「天の咲手」とは、ある師から御教えいただいた古神道の行法で、簡単なようで奥が深く、心身一如をえるには最適な法です。具体的には、その位にある方には教えしていますのでここには述べませんが、無双神伝英信流抜刀兵法の稽古は、「天の咲手」と無縁ではないということを感じます。
 柄手、鞘手は左右に分かれた状態から、柄と鞘に掛かることによって刀を通じて一つとなり、抜付けによって二つに分かれるように見えますが、実際は離れていても一つにつながっています。この感覚がなければ、左右の手はバラバラに働いており「天の咲手」とは全く無縁のものになてしまいますし、体は一つに調和が取れておらず、また、心も定まることがありません。
 左右の手が一つにつながっているからこそ運剣においても、初めから両手で構えて両手で振りかぶる動きと異ならず、運剣、斬撃段がつくことはなく、抜付けから斬撃までが一つの動きとなり、さらに血振で左右に手が分かれても納刀まで左右の手はつながっているのです。
 少し難しくなってしまいましたが、要は鞘手、柄手の掛かりから、最後の納刀の終わりまで、左右の手はたとえ位置が離れていても一つであり、一つであればこそ、心身の調和が保たれ、動きに無理無駄が生じることがないということを、稽古において体感しなければなりません。

9月21日(日)に貫汪館居合道講習会を実施いたします。今回の講習会のテーマは「詰合・・・居合と剣術のはざま」です。貫汪館ホームページ(←クリックしてください)の無双神伝英信流の稽古のページを御覧下さい。公開して行う講習会ですので、流派、団体を問わずどなたでもご参加ください。 

  福岡県久留米市での無双神伝英信流抜刀兵法の稽古は毎週水曜日の夜間の稽古です。9月は3,10、24日の各水曜日、荘島体育館剣道場での稽古です。午後7時位からの稽古ですので興味のある方は直接、荘島体育館剣道場をお訪ねください。  
 また9月27日(土)6時から9時まで、28日(日)は終日、久留米市での指導稽古会を行います。興味のある方は貫汪館ホームページ(←クリックしてください)の無双神伝英信流の稽古のページ に記してある連絡先へご連絡ください
 

  1. 2008/09/18(木) 22:23:25|
  2. 居合 総論

詰合

 本日の貫汪館居合道講習会にも多くの方にご参加居たあき有難うございました。今日の講習会のテーマは「詰合・・・居合と剣術のはざま」でしたが、多くの方に理合を体で確認していただくことができたと思います。
 講習会の前半は大森流の初発刀、陰陽進退、英信流表の横雲、虎一足を稽古して頂き、間に合う体の動きを確認していただきましたので、詰合の稽古にはスムーズに移行できました。素抜き抜刀術の動きに無理無駄があると詰合は絶対に上手くいきませんのでしっかりとした動きを養っておかなくてはなりません。
 虎一足の動きがある程度体得できたので詰合の発早、拳取、岩波、八重垣、鱗形などの遣方の張り受けの動きが間に合うものになっていました。理論的に張り受けの動きは脛に抜付ける動きよりも速くて当たり前ですから打太刀の動きを見て後動き出しても十分に間に合うものなのです。
 張り受けした後は技術的には剣術となりますが居合と別物ではなく動きは居合で養った動きを用います。単純な形ほど実際には難しく、形を生き物とするためには工夫した稽古の積み重ねが必要となります。今後とも稽古を欠かさないようにお願い致します。
 次回は奥居合を稽古いたします。
 

  福岡県久留米市での無双神伝英信流抜刀兵法の稽古は毎週水曜日の夜間の稽古です。9月は3,10、24日の各水曜日、荘島体育館剣道場での稽古です。午後7時位からの稽古ですので興味のある方は直接、荘島体育館剣道場をお訪ねください。  
 また9月27日(土)6時から9時まで、28日(日)は終日、久留米市での指導稽古会を行います。興味のある方は貫汪館ホームページ(←クリックしてください)の無双神伝英信流の稽古のページ に記してある連絡先へご連絡ください
 


10月26日(日)に貫汪館居合道講習会を実施いたします。講習会のテーマは「英信流奥・・・滞りなき動きのために」です。貫汪館ホームページ(←クリックしてください)の無双神伝英信流の稽古のページを御覧下さい。公開して行う講習会ですので、流派、団体を問わずどなたでもご参加ください。 

  1. 2008/09/21(日) 22:18:55|
  2. 居合 総論

もの真似

 無双神伝英信流抜刀兵法の師 梅本三男貫正先生は物まねが嫌いであったということは以前お話したと思います。
 「歌を本物の歌手が歌うのに似せて歌っても、それは歌手の癖をとっているだけであって本質をとっているわけではないから、所詮物まねは物まねに過ぎない。本物の歌手を越えることは絶対似ない。」と何度か教えていただきました。当然それは居合に関する教えなのですが、「いくら私のビデオをみて私の居合の真似をしても所詮物まねであって、本質は稽古することにならないし、決して身につくものではない。」とも仰っていました。あのころは先生の居合をビデをにとってテレビの画面に映る先生の居合に合わせて居合の稽古をして上達したと錯覚し先生に自分の稽古を褒めてもらおうとする方がおられましたから。
 私も何度も、言っていますが、道場で私の外見をいくら真似たところで、それは猿真似に過ぎません。大切なのは動きの本質を身につけることであって、本質が同質であれば、外に現れる動きは身長差や足の長さ、刀の長さ腕の長さ、体重などによって異なるのが自然です。それを本質を学ばずに外見を真似しようとすれば一見似てはいるものの全く異なったものに過ぎません。
 初心者の方はたとえゆっくりであっても、またゆっくりでしか実現できないことなのですが、本質を練る稽古をしなければなりません。上級者の動きが速くともそれは決して速く動いているわけではなく、本質を身につける稽古を重ねた結果、「ゆっくり、速く」(梅本三男貫正先生の言葉です)が身についてきただけなのですから。

 
 貫汪館ホームページ(←クリックしてください)の無双神伝英信流抜刀兵法の行事のページに詰合講習会の写真を載せました。 御覧下さい。


  福岡県久留米市での無双神伝英信流抜刀兵法の稽古は毎週水曜日の夜間の稽古です。9月は3,10、24日の各水曜日、荘島体育館剣道場での稽古です。午後7時位からの稽古ですので興味のある方は直接、荘島体育館剣道場をお訪ねください。  
 また9月27日(土)6時から9時まで、28日(日)は終日、久留米市荘島体育館剣道場で指導稽古会を行います。興味のある方は直接荘島体育館剣道場をお訪ねください。
 


10月26日(日)に貫汪館居合道講習会を実施いたします。講習会のテーマは「英信流奥・・・滞りなき動きのために」です。貫汪館ホームページ(←クリックしてください)の無双神伝英信流の稽古のページを御覧下さい。公開して行う講習会ですので、流派、団体を問わずどなたでもご参加ください。 

  1. 2008/09/25(木) 22:41:45|
  2. 居合 総論

無双神伝英信流抜刀兵法 久留米道場

 9月27日(土)、28日(日)と久留米道場に指導に行って来ました。
 久留米道場では師範代代理が中心となって毎週水曜日に稽古しており、私も月に一度2日間指導に行くので、きちんと稽古していれば実質的には毎週二回は稽古しているくらいの稽古量になります。
 初心者の方は日頃の師範代代理の指導も、適切であり、また、本人も素直に指導に忠実に稽古されていますので、上達が早く私も安心していることができます。これからも強く速くという欲を出すことなく、調和の取れた動きを身につけていただきたいと思います。
 強く、速くなどという迷いが生まれた瞬間に、体にためを作りいっきに動こうとしてしまいますが、ためを作った瞬間は動けざるところですから、その隙を捕らえられ相手に制せられてしまいます。また強くと思い、下半身をかため力を下肢に込めててしまえば、また動けざるところとなりますので、そこは隙にしかなりません。強く斬る前に、軽く斬られて終わってしまいます。体のどこにも力みを作らず、臍下を体の中心として動くことができるよう稽古を重ねてください。細部は今回の稽古のさいにお話してありますので、達成できるように稽古を重ねてください。また、よく師範代代理の動きを観ることによって自分の鑑としてください。
 稽古を重ねている方は崩れは自分自身の心の乱れによって生じるということを忘れず、動きが乱れた時には自分の心をみつめ、心を正してください。一度身についた業は衰えることはありません。安心して稽古を重ねてください。

 
※ 阿刀神楽に関してコメントを頂いた「わたた」様、よろしければ難波一甫流に関する伝承者の情報をいただけませんでしょうか。 貫汪館ホームページ(←クリックしてください)の無双神伝英信流の稽古のページ に記してあるメールアドレスに送信していただけましたら届きます。宜しく御願いいたします。 


10月26日(日)に貫汪館居合道講習会を実施いたします。今回の講習会のテーマは「奥居合・・・とらわれない動きのために」です。貫汪館ホームページ(←クリックしてください)の無双神伝英信流の稽古のページを御覧下さい。公開して行う講習会ですので、流派、団体を問わずどなたでもご参加ください。 

  福岡県久留米市での無双神伝英信流抜刀兵法の稽古は毎週水曜日の夜、荘島体育館剣道場での稽古です。午後7時位からの稽古ですので興味のある方は直接、荘島体育館剣道場をお訪ねください。  
 また10月18日(土)6時から9時まで、19日(日)は終日、久留米市での指導稽古会を行います。興味のある方は貫汪館ホームページ(←クリックしてください)の無双神伝英信流の稽古のページ に記してある連絡先へご連絡ください
 

  1. 2008/09/30(火) 20:45:47|
  2. 居合 総論

据え物斬

 居合の稽古をはじめしばらくしたら、欲が出始め、力強く刀を振ろうとか豪快に振りたいと思う心が出始めます。或は居合の稽古を始める前から、居合とはそのようなものと思われている方も居られます。今は居合といったら試し斬りをイメージする方が大半となり、無理もないことかもしれません。
 しかし、試し斬りというものは本来刀の切味を試すためのものであり、対人関係における技術の武術とは重なりは僅少なものでした。武道史の研究をしていても試し斬りの稽古をしている記述には出会った事がありません。それよりも、石燈篭に止まっていた蜻蛉を斬り、燈篭に傷一つつかなかったとか、蝋燭の芯を抜付けに斬ったとか、小豆を斬ったとかいう繊細な刀の遣方を賞している記述が多く目に付きます。
 無双神伝英信流抜刀兵法の師 梅本三男貫正先生は多くの弟子の居合を見て据え物斬りをしていると嘆かれていました。敵は生きているのに、想定が動かなかったり、敵を両断するのだとばかりに足腰に力みを入れ下半身を固め安定させたうえで、渾身の力を込め上半身で斬るような居合をする方が多かったのです。敵は自由に動き攻めてきます。斬ってくれとばかりにそこに留まっていることはありません。そのような自由な敵に対するのに、こちらの下半身が固まってしまって良いはずもありません。
 敵を両断する前に自分の額を割られたら、敵を両断する前に自分の手を落とされたら、如何ともしようはありません。自由なものに不自由なものはかなわないのです。
 自己満足の表面上の強さを求める方には武術としての居合は不向きなのかもしれません。
 
 
※ 阿刀神楽に関してコメントを頂いた「わたた」様、よろしければ難波一甫流に関する伝承者の情報をいただけませんでしょうか。 貫汪館ホームページ(←クリックしてください)の無双神伝英信流の稽古のページ に記してあるメールアドレスに送信していただけましたら届きます。宜しく御願いいたします。 


10月26日(日)に貫汪館居合道講習会を実施いたします。今回の講習会のテーマは「奥居合・・・とらわれない動きのために」です。貫汪館ホームページ(←クリックしてください)の無双神伝英信流の稽古のページを御覧下さい。公開して行う講習会ですので、流派、団体を問わずどなたでもご参加ください。 

  福岡県久留米市での無双神伝英信流抜刀兵法の稽古は毎週水曜日の夜、荘島体育館剣道場での稽古です。午後7時位からの稽古ですので興味のある方は直接、荘島体育館剣道場をお訪ねください。  
 また10月18日(土)6時から9時まで、19日(日)は終日、久留米市での指導稽古会を行います。興味のある方は貫汪館ホームページ(←クリックしてください)の無双神伝英信流の稽古のページ に記してある連絡先へご連絡ください
 

  1. 2008/10/02(木) 20:52:13|
  2. 居合 総論

久留米での稽古 一日目

 久留米での稽古の一日目の気づきについて述べます。
 まず、初心者の方に留意していただきたいことを述べます。初心者の方は片手で刀を用いる抜付け、血振いの動作の時にどうしても不安になり、刀を握り締めてしまいがちです。結果として抜付けでは刀の動きにブレーキがかかり、せっかく生まれ始めている速さや、重さを殺しています。また血振いでも同じく刀が終点に行くにしたがってブレーキがかかるため、動きがもたっとしてしまい、握り締めているために、刀が死んでしまっています。
 刀を片手で扱うということに不安が生じてこのようになってしまうのですが、接点は片手であっても体の中心で扱っているため、刀と体は一体であり、腕に力を入れる必要は全くなく、刀は止まるべくして止まりますので、不安であれば少しずつでも無駄な力を抜く稽古を重ねてください。
 私の師 梅本三男貫正先生は私が初心者の頃、刀が手から飛んでいってもいいくらいに軽くと教えられました。
 中級者の方は、自分自身で自分の動きに気づくことが出来るようになっているので、確実に上達されつつあります。一点だけ述べるなら、関節に少し無理が入っていました。すぐに元に戻り2日目にはさらに上達されたのですが、少しでも下手に「頑張ろう」とすると体に無理無駄が生じますので、あくまでも調和の取れた動きを忘れずに稽古されると良いと思います。

10月26日(日)に貫汪館居合道講習会を実施いたします。今回の講習会のテーマは「奥居合・・・とらわれない動きのために」です。貫汪館ホームページ(←クリックしてください)の無双神伝英信流の稽古のページを御覧下さい。公開して行う講習会ですので、流派、団体を問わずどなたでもご参加ください。

   貫汪館ホームページ(←クリックしてください)の会報のページに貫汪館会報58号を載せました。御覧下さい

  福岡県久留米市での無双神伝英信流抜刀兵法の稽古は毎週水曜日の夜、荘島体育館剣道場での稽古です。午後7時位からの稽古ですので興味のある方は直接、荘島体育館剣道場をお訪ねください。 
  1. 2008/10/23(木) 21:18:46|
  2. 居合 総論

久留米での稽古 2日目

 久留米での稽古 2日目の気付きを述べます。
 初心者の方に「逆刀」「勢中刀」をお教えしました。大森流は英信流の居合とは別に別の体系として成立した居合ですので大森流を一通り遣えるようになれば、居合のレベルも相当に高くなるように仕組まれています。 「逆刀」「勢中刀」の後の「虎乱刀」は完全に立った状態からの形であり、ある程度の技量が完成した状態になければ抜けない(真の意味で)のですが、その前段階である「逆刀」「勢中刀」では立って立たざることを学ばなければなりません。その会得無しでは「虎乱刀」は会得することはできません。進もうがさがろうが下肢に力は入らず、ふわっとした状態にありながら刀を遣えるようにならなければなりません。しっかりと稽古してください。
 中級者の方には主として英信流表を稽古しましたが、大森流に比べ、さらに無理無駄なく臍下にぶれがないようにならなければ遣える事はありません。少しでも抜きたい、振りたい、打ちたい、突きたいという心が起こった時には調和が乱れ、体は乱れてしまいます。また、ここで、体がぶれないようにと固めてしまっては絶対に上達することはありません。体の乱れは心の力みによって生じることをよくよく理解して、「かたち」にとらわれることなく本質の稽古を重ねてください。


10月26日(日)に貫汪館居合道講習会を実施いたします。今回の講習会のテーマは「奥居合・・・とらわれない動きのために」です。貫汪館ホームページ(←クリックしてください)の無双神伝英信流の稽古のページを御覧下さい。公開して行う講習会ですので、流派、団体を問わずどなたでもご参加ください。

   貫汪館ホームページ(←クリックしてください)の会報のページに貫汪館会報58号を載せました。御覧下さい

  福岡県久留米市での無双神伝英信流抜刀兵法の稽古は毎週水曜日の夜、荘島体育館剣道場での稽古です。午後7時位からの稽古ですので興味のある方は直接、荘島体育館剣道場をお訪ねください。 
  1. 2008/10/24(金) 21:41:14|
  2. 居合 総論

「英信流奥・・・滞りなき動きのために」

 本日、無双神伝英信流抜刀兵法講習会「英信流奥・・・滞りなき動きのために」を実施いたしました。
 大森流、英信流表の復習を行い、詰合の稽古から英信流奥へと入っていきましたが、詰合と英信流奥との関係はよくおわかりになったのではないかと思います。
 本日の講習会では短剣道を指導していた時に用いていた右篭手をいくつか持参して特別な稽古をしていただいたり、鞘木刀を用いて普段行わない指導をしたりと工夫した指導を致しましたので、奥居合がいかなるものかが体でわかり易かったのではないかと思います。

 奥居合は向拂を始めとして決めれた形を手順どうりに上手に行おうという発想からは業は絶対に生まれることがありません。決められていてしかも毎回初めて行うものであるという感覚がなければ奥居合を稽古する意味はないといえます。
 向拂では返す刀が初めから頭にあれば動きは不自由な物となってしまいますし、柄留では相手の小手に抜き付けようという思いがあるだけで遅れをとってしまい、逆に斬られてしまうことは経験して頂いておわかりになったと思います。結果として相手の小手を斬っていたという動きでなければ絶対に間に合うものではありません。
 向詰では相手との間を知っていただきました。詰という状況の中で如何に動かねばならないかお分かりいただけたと思います。
 前後詰、両詰では如何に横雲の動きが大事かおわかりになったと思います。抜付けの動きができなければ突くことはかないません。突くことはできても遅れをとってしまうのです。また、柄頭が敵に向かうという抜付けの条件にかなっていなければ、そのままでは突きの切先は敵には向かうことがないと理解できたと思います。
 三角、四角では自分の体が思っていた以上に硬く居着いていることを知ることができたのではないでしょうか。渋川一流柔術を専門に稽古されている方はあのような動きが自由にできる者を相手にしなければならないと心して稽古しなければなりません。
 棚下の稽古では今までとは異なる刀、体の遣方を学べたと思います。

 今日、初めて奥居合の講習を致しましたが、このような動きが自在にできる世界があるのだということを忘れず、それぞれの課題に取り組んでいただきたいと思います。
 次回の講習会は、来年になります。また、ご連絡いたしますので、ご参加いただきたいと思います。


  福岡県久留米市での無双神伝英信流抜刀兵法の稽古は毎週水曜日の夜、荘島体育館剣道場での稽古です。午後7時位からの稽古ですので興味のある方は直接、荘島体育館剣道場をお訪ねくださり、お声をおかけください。 
 11月15日(土)18時半から21時まで、16日(日)9時半から17時まで久留米市での指導稽古会を行います。興味のある方は貫汪館ホームページ(←クリックしてください)の無双神伝英信流の稽古のページ に記してある連絡先へご連絡ください 


 11月3日(月)、無双神伝英信流抜刀兵法と渋川一流柔術が明治神宮で演武致します。お時間がある方はお越しください。
  1. 2008/10/26(日) 20:58:03|
  2. 居合 総論

無双神伝英信流抜刀兵法 久留米道場ホームページ

 無双神伝英信流抜刀兵法 久留米道場のホームページ(←クリックしてください)を作成しました。元としたのが貫汪館のホームページですので、随分似た構成になっていますが、少しずつ更新していきます。
 久留米道場は久留米市荘島体育館剣道場で毎週水曜日の夜に九州支部長や師範代代理を中心に稽古しており、高いレベルの稽古を続けています。久留米藩は江戸時代には武術のさかんな藩でしたので、古武道に興味のある、まじめな方に一人でも多く稽古にきていただければと思います。
 無双神伝英信流抜刀兵法 久留米道場のホームページでは[久留米の武道史]というページが貫汪館のホームページとは異なっており、武道史に興味のある方は[久留米の武道史]をお読みください。
 [久留米の武道史]には流派ごとにそれぞれの武術について記述します。久留米の武道史と一言で言っても、剣術、居合、槍術、長刀、柔術、馬術・・・など多くの分野があります。また、浅山一伝流のように同じ流名であって、他藩で柔術を主に稽古していて柔術に分類されるものでも久留米藩では剣術を主に稽古していて剣術に分類されるものもあるなど簡単に記述できるものではありませんが、少しずつ記事を増やしていきます。
 武道史調査の過程で撮影した資料なども載せていきます。

 無双神伝英信流抜刀兵法 久留米道場のホームページの稽古記録に記入が始まりました。
また、久留米の武道史の砲術の項の種子島流に解説を書きました。


  11月15日(土)18時半から21時まで、16日(日)9時半から17時まで久留米市での指導稽古会を行います。興味のある方は貫汪館ホームページ(←クリックしてください)の無双神伝英信流の稽古のページ に記してある連絡先へご連絡ください。 
 福岡県久留米市での無双神伝英信流抜刀兵法の稽古は毎週水曜日の夜、荘島体育館剣道場での稽古です。午後7時位からの稽古ですので興味のある方は直接、荘島体育館剣道場をお訪ねくださり、お声をおかけください。 
 

 無双神伝英信流抜刀兵法 久留米道場のホームページ(←クリックしてください)を開設しました。これから徐々に更新していきますので御覧下さい。

 貫汪館ホームページ(←クリックしてください)の無双神伝英信流抜刀兵法と渋川一流柔術の行事のページに明治神宮奉納演武の写真を載せました。御覧下さい。
  1. 2008/11/06(木) 18:17:24|
  2. 居合 総論

眠たい居合

 明治神宮の古武道奉納演武に身内の年少者を連れて行きました。その年少者は人よりも感性が優れているところがあり、同じ物を見てもはっと驚くような観方をする事があります。
 その年少者の私の居合に対する評が「眠たかった。」でした。 年少者は居合をほとんど知りませんし、古武道もほとんど知りません。その年少者から「見ていて眠たかった。」といわれたのです。人によっては私が演武場に現れたら「ふっと空気が変わる」といわれる方も居られますし、「観客席にまで斬り音が聞こえたような気がしてびっくりしました。」と言ってくださった方も居られました。
 が、年少者には私が異なる形を演武していても全て同じ形を繰り返しているように見えたそうです。「眠たい居合」、初めて聞いた評ですが、私にとっては悪い評ではないと思っています。


  11月15日(土)18時半から21時まで、16日(日)9時半から17時まで久留米市での指導稽古会を行います。興味のある方は貫汪館ホームページ(←クリックしてください)の無双神伝英信流の稽古のページ に記してある連絡先へご連絡ください。 
 福岡県久留米市での無双神伝英信流抜刀兵法の稽古は毎週水曜日の夜、荘島体育館剣道場での稽古です。午後7時位からの稽古ですので興味のある方は直接、荘島体育館剣道場をお訪ねくださり、お声をおかけください。 
 

 無双神伝英信流抜刀兵法 久留米道場のホームページ(←クリックしてください)を開設しました。これから徐々に更新していきますので御覧下さい。

 貫汪館ホームページ(←クリックしてください)の無双神伝英信流抜刀兵法と渋川一流柔術の行事のページに明治神宮奉納演武の写真を載せました。御覧下さい。
  1. 2008/11/07(金) 21:16:05|
  2. 居合 総論

上達する為の形稽古

 無双神伝英信流抜刀兵法の稽古の上達にとって大切な事は、感覚を発達させるという事です。
 ただいたずらに回数をかけ、力強く振れるようになったとしても、それは上達とは言いません。ただ、動きに手馴れ力強くなっただけの事。振ったという実感を求め、強さを感じたければそのような結果になるでしょう。
 しかし、形に求められているものは何か。なぜ、始めに初心者にできよう筈もない左や右や後ろの敵に対処する形があるのか。
 なかなか上達しない人に共通していえることは自分のしようとしていることだけに集中してしまい、前後左右四方八方、天地に意識がないということです。したがって刀を振りかぶろうとする時には感覚の中に自分の後半身は存在せず、また、抜付けようとするときにも自分の後半身は存在していません。自分の体が自分のものであって自分の物ではなくなってしまっているのです。
 そのような動きであるから、調和は存在せず歪を支えるためにたかが1時間や2時間の稽古で腿が張ってしまったり、上腕が硬くなってしまったりするのです。
 形を稽古するという事は形を上手に演じるために行うのではなく、自由自在になるために行っているのです。極論すれば形を稽古するのは形から離れるためであるという事ができます。
 形稽古において始めはユックリというのはただ正確さを求めるだけではありません。自分自身の全てを知るためでもあるのです。
 
 無双神伝英信流抜刀兵法 久留米道場のホームページの[久留米の武道史]のページの柔術の項の「新関口流」「関口新心流」、砲術の項の「若松流」に解説を加えました。


  11月15日(土)18時半から21時まで、16日(日)9時半から17時まで久留米市での指導稽古会を行います。興味のある方は貫汪館ホームページ(←クリックしてください)の無双神伝英信流の稽古のページ に記してある連絡先へご連絡ください。 
 福岡県久留米市での無双神伝英信流抜刀兵法の稽古は毎週水曜日の夜、荘島体育館剣道場での稽古です。午後7時位からの稽古ですので興味のある方は直接、荘島体育館剣道場をお訪ねくださり、お声をおかけください。 
 

 無双神伝英信流抜刀兵法 久留米道場のホームページ(←クリックしてください)を開設しました。これから徐々に更新していきますので御覧下さい。

 貫汪館ホームページ(←クリックしてください)の無双神伝英信流抜刀兵法と渋川一流柔術の行事のページに明治神宮奉納演武の写真を載せました。御覧下さい。
  1. 2008/11/08(土) 21:48:10|
  2. 居合 総論
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貫汪館館長(無雙神傳英信流 大石神影流 澁川一流)

Author:貫汪館館長(無雙神傳英信流 大石神影流 澁川一流)
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