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無双神伝英信流 大石神影流 渋川一流 ・・・ 道標(みちしるべ)

無雙神傳英信流抜刀兵法、大石神影流剣術、澁川一流柔術を貫汪館で稽古する人のために

大石神影流剣術初段論文 2

武道における礼と大石神影流剣術における礼法について

 これは、武道における礼と大石神影流剣術における礼法について論じるものである。

 その前に、まず自分の立ち位置を確認することから始めたい。
 私は齢四十五にして初めて武道の世界に足を踏み入れた。貫汪館の門を叩いてからまだ一年ほどの初心者である。
 入門当初は武道に関して知識が浅薄であるというよりも、ほぼ無知ともいえる状態であった。武道が現代武道と古武道に分けられることはおろか、武道とスポーツの境界線すら私の頭のなかでは曖昧だったのである。
 「初めて武道の世界に」と先に記したが、中学校から高校までは体育の必修科目の一つとして剣道や柔道の授業が年に数回あり、武道とスポーツをひとつに括ることができるのならば「まったく初めて」とは言えないかのかもしれない。したがって私が武道について何か論じるとすれば、その体育の時間にスポーツの一環として触れた武道を出発点としなければならないだろう。
 長年にわたり武道およびそれに関連する行事に真摯に取り組み、日々研鑽を重ねる館長や先生方、そして兄弟子たちからすると異質な感じを受けるかもしれないが、初心者が論じることはある意味で、ごく一般的な現代人から見た武道の一側面が見えるのではないかと思う。

 武道における礼について

 結論から言えば、現代武道における礼は形骸化しているといえるだろう。
 道場に入る時、稽古や試合が終わった時、道場を出る時、師に対して或いは相手に対して「礼」という動作を行う。
「礼に始まり礼に終わる」とはよく聞くが、初心者の私から見ればその動作は小学校で教わった「きりつ、きょうつけ、れい」となんら変わらない。師や相手、道場や道具に対して各人の心に尊敬の念が存在することはもちろん否定できないが、「敬う表れとしての礼」というよりも「礼をしているので敬っている」という免罪符的な匂いを先に感じてしまう。
 また戦後に武道が競技化し加速度的に世界に広がっていく流れの中で、本来の礼の意味はますます失われている気がする。一言に纏めればどこかしら「失礼」なのだ。中身を伴わない儀式的動作であり、文句をつけられないための免罪符的動作であり、試合相手を確認するための競技的動作でもある。あくまでそれは自発的な動作に納まるだけであって、そこに他者や物(道場や武具)を含んでいないことが多いのではないだろうか。


 礼とはそもそも何であったか

 儒教における思想の一つが、社会に秩序をもたらすための道徳的な規範として現代まで脈々と受け継がれてきたものという。
 確かに、親しい仲で礼を失えば縁が切れ、集団同士で礼を失えば揉め事となり、国同士が礼を失えば戦争になる。礼は人と人との関係、人と社会との関係、社会と社会との関係を円滑にするための装置でもある。
 また人間はその五感においては己しか感じることができないが、周りに広がる空間や他者を使って己の存在を認識するという矛盾した存在である。自分が欠けても、相手が欠けても、存在としては不安定な生き物なのである。その不安定さの中に礼というものが根付くことによって、他者や宇宙とのつながりを感じ、社会の中で円滑に活動することができる。
 社会生活においては他者への敬いの気持ちを保ち、武道においては決して相手の尊厳を奪わない(他者や対象物への尊厳を奪えば、それによって成り立っている自分自身が存在できないからである)ということが礼の基本だと考える。
 そしてその基本を保ち続けている武道や流派はそう多くはないのかもしれない。以上をふまえて、次に大石神影流剣術の礼法について考察する。


 大石神影流剣術の礼法について

 大石神影流剣術の礼法は、まず神前、上座、正面への礼は右膝を着いてこれを行う。立った状態から右足を軽く引き右膝をつき、上体を腰から折って両拳を床につけて頭を下げる。相互の礼は、お互いに向き直り軽く会釈する。そして、一般的な剣術や居合と違って刀に対する礼が存在しない。
 これら一連の動作は初心者からするとあまり馴染みがないものである。というのも現代的な一般武道における形式的な礼や、テレビの時代劇などで都合よく簡略化、またはデフォルメされた礼法に見慣れてしまっているためで、私のように安易に「正座が最も礼儀正しく敬意を表している」と誤解している人は多いだろう。
 しかし大石神影流剣術の礼法の特異性については、その歴史から振り返ると極めて合理的であるといえる。正座の礼がないのは、柳川藩で上覧を行う際、屋内にいる貴賓に対して庭で演武を行ったためであると伝え聞く。このように時代や社会、そして風土などによって最敬礼の形が変わるのは想像に難くない。大石神影流剣術の礼法についても、そうした背景があって成り立っていることを常に頭にいれておかなくてはならない。それは礼法に留まらず、歩法や形などの根底にも流れているものだからである。
 従って、片膝立ちであるから略式であると考え違いをせず、神前、上座、正面への礼は最高の敬意をもって行わなくてはならない。さらにお互いの礼もまた同様に、軽い気持ちで行わず、敬意を表しながら油断なく行う。
 しかしながらこの部分が、稽古を重ねるごとに一番難しさを感じるところである。
 形式的な礼ではなく、稽古の初めから終わりまで、神、師、相手、剣、道場、時間など自分を取り巻くすべてのものに注意深く敬うのが必要だという。そしてそれは先に記したとおり、礼とは「自分という存在を生み出す他者や周りへの敬いそのもの」という考え方に通じるからだ。
 またその考え方が根底にあることで、自分より弱いものに強い力を誇示したり、自分より力のあるものに同じ力で立ち向かうこともないだろう。実のところ、大石神影流剣術の形の中には「勝ち切らない」「いなす」という動作が存在する。これらは剣術の形のひとつでありながら、礼法の中にしっかりと内包された動きにも思えるのである。そう考えると「礼法」はすべてを含む大きなひとつの形といえるだろう。絶対に見失ってはならない一番大事な形である。

 礼法をひとつの形として考える中で、触れておきたいことがある。
 知人に草月流の華道家がいる。師範にして異端ともいわれる作風が日本のみならず、海を越えて外国の地でも大きな評価を得ている人物である。彼曰く「流派の形は大事。とにかくすべての形を極めなくてはならない。形を極めた上で、次の時代を切り開くものが『形破り』。形を極めず、都合よく自分勝手な解釈をするものが『形崩れ』である」と。
 この言葉は武道にも当てはまるのではないだろうか。「形破り」になるのはあまりに先の話で今は考える必要もないが、「形崩れ」には今すぐにでもなる危険がある。自分が稽古を重ねていく上で、先達が積み上げてきた大事な「形」を都合よく崩していないか、常に自問していかねばならない。
 また華の世界では「花」を切る瞬間に、生命の誕生と死にゆく定めを一手に受け入れ「華」へと昇華させていくという。赤子が臍の緒を切られ、人として生まれると同時に死にゆく定めを負う流れを花の世界に見出していくのだ。そこには形式的な礼法は一切無いのだが、一連の動作の中に「生命を敬う」また「生かし生かされている」という哲学としての礼が明らかに存在している。
 これを武道に置き換えるとどうであろうか。
 武道を習う身であっても武士ではないので、真剣に構えたところで生死を賭けた勝負にはならないが、ここで礼を見失えば、武器を手にしたただの暴力になりうる。または勝敗のみを目的としたただのスポーツとなってしまうだろう。「生かし生かされている」という自発的かつ他発的な考えが基本となる敬いの精神、つまり礼が、武道を武道たらしめるのではないだろうか。


 最後に

 大石神影流剣術の礼法は、礼にあって、ただの礼にあらず。
 剣術のすべてを内包したひとつの大きな器であり、己を見出させてくれる森羅万象への敬いを有した礼法である。大石神影流剣術を学ぶ一人として、今後も稽古を重ねながら礼の意義を常に問い、礼法の形を崩すことのないよう心して努めなくてはならない。
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  1. 2016/01/23(土) 21:25:00|
  2. 昇段審査論文

武道における礼と無雙神傳英信流抜刀兵法における礼法について

1.武道における礼
 武道における礼の意味を考える際に、対比としてスポーツでの礼が引き合いに出されることが多い。対比することで違いが明確になると共に、歴史から進むべき姿が明らかになる。このため本文でもスポーツとの対比を述べる。なお、ここではスポーツの中でも、元が武道であった柔道を挙げ、武道と対比して述べることとする。
 柔道はスポーツと変わったため、オリンピック競技になるなど、世界的に広く受け入れられてきたが、その一方でスポーツ化に伴い、ルールの策定、審判の存在といった武道に無かった要素が加わった。加わったことにより、同時に無くすものが出るなど大きく変化して行った。変化したものは、試合時間や、試合場所(範囲)、階級、急所への攻撃、そして礼である。文化の異なる世界に広めるには、致し方ないことであり、これにより世界に広げることには成功したのだが、本来の武道とは大きくかけ離れてしまった。特に礼を始めとする日本文化に特有の精神性は、傍から見て評価が難しく、ルールの分かりやすさが重要なスポーツでは、次第に無くなる方向にあるようだ。決められたルールの中での勝敗が全てのスポーツでは、礼は始めと終わりマナーへと変化していき、その精神や、動きの中にある意味は次第に忘れ去られているように見受けられる。柔道での柔道着のカラー問題のように、世界に広がるにつれ古い伝統は忘れ去られ、代わりに新たな変化が重要視され、結果さらなる変化が予測される。現在では、まだ礼の大切さを説いてはいるものの、精神性が重要視されており、動作の意味を説いてはいないようである。
 たとえば、柔道の当初の坐礼は、両足の爪先を立てて礼をしていた。これは柔道の元となった起倒流と同じ動きであったが、昭和初期には、足の甲を畳につける姿勢に変わっている。また座り方も右座左起から、左座右起に改正されている。礼法の形は変わっても、相手を思いやる気持ちなどの精神性が変わらなければ良いとの考えであり、ここに動作の意味は消失している。
 精神性は同じ日本人のなかでも伝えることが難しい。これを世界に広げることは、さらに難しく、したがって変化の方向に動くと思われる。実際、柔道の場合、神前の礼は稽古場および試合場への礼があるが、これは元々神前の礼であった。創始者が宗教性を排したことから、設立当初から神への礼でないとされてきた。しかし宗教上の理由から、中東や北米での礼の拒否が問題になったことがある。現在では、柔道の礼は宗教性はないと判断されているが、前述の問題を受け、礼の目的の明確化が必要となり、「試合が行われる神聖な場所」との神聖性すら排除するに至っている。
 礼ばかりでなく、技やルールなども、今後世代を経るに従い、原型を留めないままに変化すると思われる。
 スポーツの礼が、意味を無くし急速に変化していくのに対し、武道の礼は、全く変化してないと言える程、変化のスピードが遅い。ただし遅いのであって生まれた時から全く変わってない訳ではない。それは伝統技術を継承していくように、先ずは師の動きや考え方までも完全にトレースし、受け継いだ後に創意工夫を加えてゆくためである。この中でも武道における礼は、心構えや精神ばかりでなく、その流派の基本の動きを内包している。基本を変えることは、その流派の存続にかかわる。このため変化へのブレーキがかかり、時代を経てもほとんど変化してゆかないと考えられる。
 今この時代に武道を稽古する我々も、後代へ伝えてゆくには、礼の意味を深く理解し、実践してゆかなければいけない。


2.無雙神傳英信流抜刀兵法における礼法
 無雙神傳英信流抜刀兵法の礼は、①神前の礼、②刀礼、③相手への礼の3つある。師への礼は別にして、稽古に関わる全てに対し礼を行う。
 大森流は、一般に大森六郎左衛門が新影流の鞘の内5本と、長谷川流抜刀術より11本を考案し、小笠原流礼法の正座を取り入れ完成させたとされているが、実際は幾つかの流派を基に編纂された可能性がある。いずれにせよ、一つの流派から生じた訳でない。江戸時代に編み出されたこともあり、立膝でなく正座から始まる。これは刀礼にも見られる。

①神前の礼
 神前の礼は、武道の神である鹿島神宮の武甕槌大神と、香取神宮の経津主大神を対象にしているが、通常の神社で行う二拝二拍手一拝ではなく、一礼のみである。
 無雙神傳英信流抜刀兵法の神前の礼は、他の多くの居合の流派に見られるように、右手に刀を持ちかえて、刃が神前に向かないようにしてから礼をする。この姿勢では刀が抜けないため、神前に対し刀を抜く意思が無いことを示す。この礼は、稽古の安全を祈ると共に、心を鎮める役割を果たすと思われる。
 神前とは言え、実際に神棚がない場所での稽古が多く、こちらが神前と予め決めた場所に向かって礼をする。このため神前の礼は、稽古場所への礼でもあると言える。稽古の後にも神前の礼をするが、これは、神前に稽古の無事を感謝すると共に、稽古場所への感謝の気持ちを持って行うべきと考えている。

②刀礼
 神前への礼に続いて刀礼が行われる。刀礼は、刀に対し稽古をつけてもらうお願いの礼であるが、その所作は、無雙神傳英信流抜刀兵法の抜刀の基本が内包せれている。刀を前に、上体が倒れてゆくに従い、左手が自然に前に出て床に着く。さらに倒れてゆくと右手も前に出て、両手がそろった所に額が下りてくる。臍下丹田が主で、手はそれに伴って動くのであって、手を先に出す意識で行うと、いつでも動ける自由な状態ではなくなる。この動きは、礼の後に上体を起こす時も同じで、手は上体を起こすに従いついてくる。一度上体を起こした後、下げ緒を持って刀を膝先に引き寄せて立てるが、この時も手の力で引き寄せるのでなく、体の動きで引き寄せる。続く刀を倒して帯にさす時には、手の力で倒したり引き寄せたりするのでなく、刀が倒れる力を利用して倒し、帯へ誘導する。このように刀礼中の動きは、臍下丹田を動きの主とし、日常生活でつい行ってしまう、手が主になる動きを改めることを意識するべきと考える。
 刀礼を稽古することにより、臍下丹田の力を利用する基本を学びとることができるばかりか、刀を倒す動きは、刀の動きを邪魔しない運剣の動きに繋がる。毎回、稽古始めと終わりの2回行うが、稽古の始めの刀礼では、これら2点の注意点を思い起こさせることができ、稽古の終わりには、本日の稽古が無理な動き出なかったか反省することができる。

③相手への礼
 大森流の11本では行わないが、相手への礼もある。前述の2つの礼が、神前(場所)、刀への礼であったが、この礼は稽古相手への礼である。稽古をつけてくれる相手への礼であるが、いついかなる時に切りかかられても対処できるよう、相手への注意を怠らない。
 本来、礼式での礼であれば、相手を意識しての礼ではあるが、襲いかかってくることを想定はしない。この礼でも、礼をするのであれば、感謝の気持ちをもってすべきであり、いつ襲いかかってくるかもしれないといった気持ちで行うのではなく、あくまでも気持ちは感謝しつつ、体は何事にも対処できる状態にあるべきだと思われる。対処できる状態とは、臍下丹田を意識しつつも、居着かない状態であり、頭を下げても、相手とのつながりを意識することで、相手を感じている状態であると考える。

参考文献
 1) 内住先生:貫汪館 横浜支部ホームページ「稽古日記」
 2) 中村勇・濱田初幸:柔道の礼法と武道の国際化に関する考察、鹿屋体育大学学術研究紀要、第36号、2007年.
 3) 村田直樹:講道館柔道に於ける礼法の変遷について、鹿屋体育大学国際武道シンポジウム、2008年.
 4) 森本先生:貫汪館 ホームページ「道標」

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  1. 2016/08/31(水) 21:25:00|
  2. 昇段審査論文

武道における礼と無雙神傳英信流抜刀兵法における礼法について

 はじめに

 貫汪館に入門してやっと一年半ほど経つ初心者である私は、未だに戸惑うことばかりであるが、その戸惑いが一番顕著だったのは礼法においてであろう。
 入門当初、貫汪館で学ぶ三つの流れである大石神影流剣術、渋川一流柔術、そして無雙神傳英信流抜刀兵法の礼法がそれぞれ違うということにまず驚きを禁じ得なかった。そもそも初めて武道の世界に足を踏み入れたということもあり、見慣れた現代武道の礼法との違いには他の誰よりもことさら驚いたものである。
 それもそのはずで、現代の武道における礼法は安心して楽しめる整備された環境の中で育まれたのに対し、貫汪館での三流派の礼法は実戦から生まれ、またはそれを想定し、不測の事態に備え、さらに身分や場所の差異によって独自の形を成してきたものである。つまりそこには確かな「歴史」が背景として存在する。私自身、礼法の意味とその成り立ちを当初はあまり深く理解していないながらも、それぞれの礼法に含まれる先人たちの知恵と歴史を肌で感じた故の驚きと戸惑いであったと今では理解している。


 武道における礼について

 日本の武道は「礼に始まり礼に終わる」と言われているように、それぞれに礼法がある。剣道、柔道、空手などの現代武道やスポーツ競技において見られる礼が一般的だが、作法の違いこそあれ、相手への尊敬や感謝などの気持ちを形式の上で表現しているという点は共通している。これは社会に秩序をもたらすための道徳的な規範として受け継がれてきた儒教における思想の一つが現れているものである。つまり、日常生活における相手への尊敬の念や感謝などの気持ちを表す動作の延長線上にあり、「礼」の概念が武道という場に端的に表わされたものといえよう。「親しき仲にも礼儀あり」という言葉もあるように、人間関係を円滑にするための潤滑油的な役割をもつ「礼」は、長い歴史の中で一つの教えという枠を飛び越え、武道に取り入れられ、今では人としての在り方を広く問うものとなっている。
 このように、他者への敬いの気持ちを保ち、決して相手の尊厳を奪わないということが武道の礼の基本だと考える。

 次に無雙神傳英信流抜刀兵法の礼法について考察する。
 無雙神傳英信流抜刀兵法の礼法は、大石神影流剣術、渋川一流柔術よりも動作が多いが、手数に惑わされず、その本当の意味を知るためには注意が必要である。一般的な「礼」という言葉に含まれる「敬う」という意味を柱として考えてしまうと、「手数が多いし、正座もするから、きっとこれが最敬礼なやり方なのだろう」と勘違いをしてしまう。そうではない。
 例えば、大石神影流剣術の礼法において片膝だけをついたり刀礼がなかったりするのは、柳川藩で上覧を行う際に屋内の貴賓に対して庭で演武を行ったためという歴史的背景が存在するためであり、決して略式ではない。同じように、無雙神傳英信流抜刀兵法の礼法にもまた何かしらの意味と背景があることを考えなければならない。


 無雙神傳英信流抜刀兵法の礼法について

 無雙神傳英信流抜刀兵法の礼法の大きな流れは、神前の礼、刀礼、帯刀し形を終えた後、ふたたび刀礼、神前の礼と順を追う。次に、普段稽古している中で常々師より注意を受ける点を踏まえながら細かく見ていきたい。

 まずは神前の礼である。
 右手に持った刀を神前に対して鎬が平行になるよう左手を添えながら正面に持ち、刃が地面に向くよう右手を持ちかえ、柄を後ろ向きに右腰脇に落ち着かせる。そして腰を折るのではなく、呼吸に合わせて全身を緩めるよう体を曲げていく。曲げていった体が呼吸と共に戻るのを待って、再び右手に持った刀を神前に対して鎬が平行になるよう左手を添えながら前に持ち、刃が上、柄が前に向くよう右手を持ちかえる。
 続いて刀礼へと移る。
 重力に逆らわず、力まず、柔らかく正座する。この時、刀は右腰脇にあり、地面と平行になっている。正座した時の下へと向かう運動が地面を通して再び自分に戻ってくるのを感じながら、刀の小尻を右斜め前方へと置く。その流れを止めることなく刃を自分の方に向けて、真っ直ぐ正面に音を立てずに置く。右手の指は鍔を押さえ下げ緒を絡めているので、柄が左になるよう右手で刀を置いた時には自然と体の左側に運動が回ってくる。そしてその傾いた力の流れを使い、肚を中心にして左側の栗形から右側の小尻へと下げ緒をぐるりと這わせる。這わせ終わったところで自然と体が起き、右手も太腿へと戻ってくる。
 一連の動きが一旦自分の肚に収まるのをもって、刀に対する座礼へと移る。この時、手を先に出すのではなく、肚を軸に頭を下げるという正座から変化する動作の一環として手が出なければならない。倒れていく体を支えるように左手が前に出、さらに沈んでいく体を支えるように追って右手が前に出る。そして地面へと沈んだ力が再び自分に返ってくるのを受けると、自然と頭が上がり、右手が離れ、順に左手が離れ、体が起きるとほぼ同時に腿上に両手が戻る。
 ここまでの動きを再確認すると、立っていた状態から座るために下方へと垂直運動がおこり、正座して刀を置く動作で円運動へと変わり、今度は前へ倒れていくという回転運動へと変わる。形や方向を変えながらも決して止まることなく、体の中心を感じながら一連の動きの中に全てを収める。
 次に帯刀である。
 自分の肚へと戻って来た運動を再び前への回転に変えながら下げ緒と共に刀を取り正面に立てる。左手を添えながら、刀を少し傾けることで力を使うことなく浮き上がらせ帯へと差し込む。下げ緒を通し、位置を整えた後、一度沈む力を使って蹴ることなく静かにその場に立ち上がる。
 以上が始める時の刀礼の流れである。終わる時の刀礼と神前への礼の手順はこれの逆を行っていく訳だが、始める時と同じく注意深くやるべきである。
 もしこれがただの儀式としての礼法であれば、もっと簡単に書くことができるだろう。
「刃を向けないように立って神前にお辞儀をし、正座して刀を置いてお辞儀して、今度は刀を帯に挿して立ち上がります。終わる時はその逆です」と。
しかし無雙神傳英信流抜刀兵法の礼法は一行あまりで済むようなただの儀式ではなく、形を学んでいく中での基本が詰まっており、それはそのまま「大森流」や他の形へと繋がっていく。大森流は刀礼と同じく正座の姿勢が基本となっているが、その動きはすべて礼法に内包されていて、礼法の垂直運動、円運動、回転運動のいずれもが、大森流の「刀を抜く」「体を起こす」「立ち上がる」「座る」という動作の基本となっている。肚を中心とした礼法の動きをしっかり習得すれば楽に自然に動けるようになり大森流へと繋がっていくが、逆に礼法を正しく身につけなければ大森流はおろか、そのあとの多くの形も上達するのは困難といえるだろう。

 ここで貫汪館館長森本邦夫先生の言葉を引用したい。
『無雙神傳英信流抜刀兵法の礼法の質の高さは、形の質の高さを生みます。礼法を疎かにする方は形の稽古に入っても、形の質は高くはなりません。』
『初心者の方が礼法の稽古を行う上で気を付けることは、動きの結節点ごとに自分の体の状態を知ることです。自分の状態を確認する習慣をつけてください。』
『前に刀を置こうとしたり前にある下緒をと取ろうとするときに、体を用いることを先にし、そののちに体に連れて手が動くように心がければ、抜き付けにおいても柄手・鞘手が体と無関係に動くことがなくなります。』

 貫汪館における教えの中で重要なのは「無理無駄がないこと」「肚(臍下丹田)で動くこと」、そして私欲にとらわれず「自分を客観視できること」である。無理無駄があり中心が振れ自分の思うままというのは、まったく自由に動けていないということでもある。
 それを忘れることなく、無雙神傳英信流抜刀兵法の礼法の「立つ」「座る」「礼をする」という簡素な動きの中に、自由に無理無駄なく動くための基本が含まれていることを再確認していかなければならない。


 最後に

 無雙神傳英信流抜刀兵法の礼法においては、神や刀を真に敬う心を持つことを前提とし、またそれだけではなく、「力に頼らない」「無理無駄がない」「自然な動き」を基本とするすべての形に通じるよう体系づけられた業であることを常に念頭に置きたい。今後稽古を重ねていく中で、礼法そのものが道を見失わないための標と考え、疎かにすることなく一つの業として日々研鑽に努める所存である。


参考文献 
1)貫汪館 ホームページ
2)森本邦生館長:「道標」

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  1. 2016/09/01(木) 21:25:00|
  2. 昇段審査論文

これまで修行上留意してきたこと、今後留意しなければならないことについて

大石神影流昇段審査の論文を載せます。

1 はじめに
これまでに修行上留意してきたこと、今後留意しなければならないことを記述するにあたり、大切なことを整理して考えるため“修行への取組”として、貫汪館段位審査規定「昇段審査実技審査項目および審査基準」のなかの審査項目に従って考えていきたいと思います。

2 修行への取組
(1)礼法
大石神影流剣術では、木刀を床の上に置いたり、お互いに正座で礼を行うという所作はありません。
演武の最初から最後まで、常に木刀は腰にあります。
大石神影流剣術が、道場稽古ではなく、神社の境内などで行われたこと、また、藩主に上覧する際に、その庭先で演武がおこなわれたことにも関係しているとのことですが、こうした歴史への理解も大切です。
常に帯刀(当然のように半身)しているという現代人にはない動作である、腰に刀を差した状態での動きを意識する必要があります。
(2)立姿勢・構え
立姿勢は、帯刀から抜刀、真剣等、いかなる姿勢においても、当然のように半身がとれていることであり、縦の正中線と横の手の内から刀の柄を通して切っ先への線が、臍下丹田で交わり、どこにも力みがないことです。
構えについては、真剣から上段にとったり、真剣から附けにとったりする全ての構えは、その位置に切っ先を持っていく「構える」ということではありません。
それは居ついてしまうことであり、心や上半身や下肢に力みがあったりします。
形を固めることではなく、全ての構えは、肚が動いた結果として、刀がたまたまそこに位置しているだけなのだという意識を持つことが大切です。
(3)手順(形)
大石神影流剣術の手数については、試合口からはじまり、陽の表、陽の裏と多くを学んできました。
しかし、手順を覚えようとするのみではなく、一つ一つを大切に習得していくことが必要です。
一つ一つを大切にするとは、呼吸に乗せた構え方をしっかり身につけて、本当に臍下丹田の動きが切っ先に繋がっているのか、中身がどうなのかを検証しながら稽古していくことではないでしょうか。
たとえ一人で稽古するときであっても、自分の動きが理にかなっているのかを検証しながらすることを身につける必要があります。
(4)目付
澁川一流柔術の論文の中でも記述しましたが、「道標」のなかで「目は相手の目に付けます。目には心の全てが表れるものです。」と明確に述べられ、単に相手の目を見るだけではなく、相手の目を中心に相手の動きの全てと相手の心の動きを読むことの大切さが示されています。
手数の稽古をする時、相手に集中すると考えて相手しか見えていないのは間違った目付です。
相手を中心に相手の前後左右上下、相手の心の状態、さらには現在・過去・未来にも目付が行われていなければなりません。
今目の前にあるものだけしか見えていなければ変化に応じる事が出来ません。
相手の剣を張ったり、抑え、左右に動く動きになると自分の目が相手からそれ相手の剣についてしまうこともありますが、しっかりと、いつそれているのか確認し稽古して修正していくことが大事です。
(5)気迫・気合(発声)
自然な気迫が備わっているためには、正しい姿勢が保たれていること、臍下丹田を中心にした深い呼吸ができなければなりません。
そして、心も体も隙がない状態であり、無理に作り出そうとしたものは気迫ではありません。
大石神影流剣術の手数では多くの形が攻めることを重視しており、脇中段や車、どんな構え、たとえ手数の手順がどうあれ相手を斬るための構えであるということです。
さらに、発声を正しく気合を込めて発することができること。
こちらから斬りこむ時は「ホーッ」、受けるときは小さく「ハッ」、応じて斬りこむ時は「エーッ」。口先や胸から発するのではなく、肚からしっかりと発することが大切です。
(6)間と間合
大石神影流剣術は、総長三尺八寸の木刀を用いますが、通常の木刀よりも長いもので、当然のように間合が遠くなります。
間合に対する自分の感覚を養うことが必要であり、さらに手数の稽古を打太刀・仕太刀で行うときにお互いに間合については、双方が繊細になり、間違っているときには修正しなければなりません。
有効な間合は人それぞれです。
いつもの相手はこの程度の間合だから、違う者が打太刀にたっても自分で決めた通りの間合いしかとらなければ相手の切先は自分に届いてしまいます。
仕太刀は打太刀の出様によって自分の動きを変えていかなければなりません。
常に繊細な気持ちが大切です。
(7)呼吸
大石神影流剣術のみならず、無雙神傳英信流抜刀兵法・澁川一流柔術のいずれの流派においても呼吸にのって動くことが大切です。
呼吸にのって動くためには呼吸が正しく行われなければなりませんが、呼吸するためには鼠蹊部のゆるみが不可欠となります。
鼠径部が緊張していると重心は高くなり臍下丹田での呼吸は難しくなります。

呼吸の稽古には正座の状態で行う方が理解が早いと教えていただきましたが、それは、正座で臍下丹田を中心として右手の中指を丹田に当て左手の中指をその反対の背の部分(腰板の下)にあてて意識をそこにおろし、静かに呼吸を繰り返して臍下丹田で呼吸できるようになるまで繰り返して、おおむね臍下丹田で呼吸できるようになれば立ち姿勢でもその感覚を確認する方法です。
呼吸と動きがつながっていることが大切です。
特に、大石神影流剣術の「張る」動きは臍下丹田の呼吸あります。
手先で「張る」のではなく、呼吸を止めているために臍下中心に動けていないので、「張る」ときに短く息を吐き、その息に乗せて張ります。
本来、「張る」ことができなければ次の段階に進むことはできないところです。
しっかりと稽古しなければなりません。
(8)残心
大石神影流剣術の手数で、残心とは相手とのつながりです。
特に相手の正面を切り込んで後方に下がる場合、切先は相手の両眼の間を位置させるところを下がることに意識が行ってしまうと相手への残心がおろそかになり相手とのつながりが切れてしまう場合があります。
常に切先は相手に生きたまま指向していなければなりません。
(9)肚
初心のうちは、木刀を使おうとして肩・腕・手首を用いてしまい、体と腕と刀がばらばらになっていることがあります。
やはり、基本的な動きから身につけなければ手数の稽古をいくら行っても正しく手数が身につくことはないのです。
また、体を力ませているため各部が自由に動かないということも原因になり、特に肩に力みが入ると体幹と肩から先の動きはバラバラになってしまいます。
肩を用いない努力が大事です。
常に肚を意識し、肚が動いた結果に剣が動くことを感じとらねばなりません。
(10)無理無駄
大石神影流剣術は、剣による攻防だと、相手の剣をより強く張ったり払ったり、隙があるところへ直ちに切り込もうと考えてはいけません。
一見攻防の稽古に見える手数においても調和が大切です。
相手(敵)との調和を求めるならば、そうなるべくしてなる動きが生まれ、必要もないのに強く張ったり払ったりという動きにはなりませんし、手数の中で隙ができたところへは体が自然と動いて斬り込んでいるはずです。
相手との調和ある動きがあれば必然的にそうなるのです。
つまり、無理無駄のない動きが生まれます。

3 おわりに
大石神影流剣術の手数稽古で、しっかりした基礎を身についている形の上達は早いものです。
基礎とは正しい体の状態ができていることで、鼠蹊部の緩み、重心が落ちて肚で動く、手の内の状態などが整っていることです。
心を臍下丹田に沈めて動くこと。
相手がおらず、自分の身体だけを動かす時には出来るのに相手がいれば、相手との繋が     
り、調和を忘れ速く業を掛けよう、極めようという思いが先にたち、身体の調和を自らが乱し、小手先で業を掛けてしまう。これは結局のところ自分の心がそうさせてしまうのです。
出来なくて当たり前だからこそ、静かにゆっくり調和を乱すことなく稽古しなければなりません。
やがて業が身につき、意識しなくとも有効な動きが生まれてきます。
稽古に「我」を交えることなく稽古を続けること。
① 無理・無駄が無い心と体のあり方を求めること
② 師や兄弟子の教えに素直であること
③ 自分自身で工夫探求し、稽古を継続すること
という貫汪館での稽古への指針に従って、自分の稽古に対する取り組み方を常に見つめなおすことが重要です。
イタリア・ルネッサンスを代表する万能の天才レオナルド・ダ・ヴィンチは、絵画作品だけでなく、さまざまな自然観察、科学実験をも重ね多くの書簡を残しています。今日、「ダ・ヴィンチの手記」として編纂されていますが、そのなかに次の言葉があります。
「流れる川に手をつけてみる。この手に触れる川の水は、流れ来る最初の水であり、最後の水である」
日々の稽古は、歴史という伝承を正しく受け、自らを律し上達していくことになるのではないでしょうか。
以上

参考:貫汪館ホームページ「道標」

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  1. 2016/12/17(土) 21:25:00|
  2. 昇段審査論文

澁川一流柔術昇段審査論文

これまで修行上留意してきたこと、今後留意しなければならないことについて
~澁川一流柔術~

1 はじめに
これまでに修行上留意してきたこと、今後留意しなければならないことを記述するにあたり、大切なことを整理して考えるため“修行への取組„として、貫汪館段位審査規定「昇段審査実技審査項目および審査基準」のなかの審査項目に従って考えていきたいと思います。

2 修行への取組
(1)礼法
渋川一流柔術は礼式から始まります。
礼式は「履形」、「吉掛」、「込入」、「四留」の形の始めにおかれ、争うことなく、相手を押し返すのみという澁川一流柔術の理念をあらわしています。
しかし、捕りは受けの突きを取り受けの肩を「もう攻撃はしない。争いはやめよう」と諫め、意思を示し叩き、受けの腰を押したのち片膝をついて、両掌を下にして胸の前に、受けも取りに押し出され体を回し捕りに正対し両掌を胸の前に、双方が気合いとともに両手を水平に広げるわけですが、この動作を形のまま再現しているのでは、意味がなく大切なものを見失っていることになります。
まず、双方とも体の正中線をしっかりと重心が両足の土踏まずから大地に根を下ろし、鼠蹊部の緩みとともに自然に膝が曲がり、肩も落ちていなければなりません。
また、捕りは受けを押し返し片膝をつきますが、上半身も下半身も無理無駄なく大地にあずけ、自分が天と大地の間に位置する気を感じること、左右の手は胸の前に、正しく壇中の前で臍下丹田からつながっていること(臍下丹田から背をとおり脇の下から腕をとおり手へ、決して肩との繋がりではない)が大切です。
そして、両手が開くのは臍下丹田を開くからであって、左右の手先を動かすわけではなく、結果として左右の手が動き、開いた後、両手が静かに体側に降りていくのも、気が臍下丹田により沈むことによってなのです。
(2)立姿勢・構え
よい姿勢、正しい姿勢とは、背筋をピンと伸ばし、胸を張った直立不動の姿勢と現代人は教えられてきました。
これは上半身を重視した姿勢です。
古武道では、崩しやすく中途半端な状態と言えるでしょう。
さらに姿勢を作ろうとすることは、相手に簡単に押し返されてしまいます。
姿勢を作ろうとするものではなく、あるがままに重心はまっすぐ下方に落とし、どのようにでも対応できる体の状態を求めることが大切で、それが正しい構えを生み出します。
姿勢を作ってしまえば、そこは動けない隙になってしまいます。
(3)手順(形)
諫めなければならないのは、「いち、にい、さん」などのように、手順に順番をつけ、リズムをとるかの如く、手順(形)を考え動いてしまうこと、また、相手の手首を、このように取り、相手の体を制する方向や、床に相手を倒した位置など、マニュアルのように動くことです。
いつも同じ相手と対するわけではなく、腕の長さ、身長や体格など千差万別です。
見た目、華麗に動いたつもりや極まってもいないのに極めたようなつもりになってしまい正しい形からは程遠く自己満足の力技になってはだめなのです。
最後の極めが、それまでの動きと途切れ別物になったりすることなく、正しい一連の動きは最初から最後まで途切れることなく極めているもので、ゆっくりとした動きであっても自然な動きであればあるほどの隙のない動きとなります。
 動きを区切って細部に囚われると本質を見失ってしまいます。
(4)目付
「目付け」はただ相手を睨みつけることではなく、自分の目線を受け(相手)の何処に置くか、「道標」のなかでは「目は相手の目に付けます。目には心の全てが表れるものです。」と明確に述べられています。
単に相手の目を見るだけではなく、相手の目を中心に相手の動きの全てと相手の心の動きを読むことの大切さが示されています。
目の前の相手の突いて来る拳に目を奪われ、拳にのみ目を付けてしまっては、相手に遅れをとり対応することはできません。
相手の拳を体を捌き返に取るにせよ、拳の出を抑えるにせよ、視覚的な事象面のみの動きではなく、その裏にある心の働きを感じる相手の心を読む自分の心眼によっておこなわれなければなりません。
薄幸の詩人金子みすゞの詩に『上の雪 さむかろな つめたい月がさしていて。したの雪 重かろな 何百人ものせてゐて。中の雪さみしかろな。空も地面もみえないで。』というものがあります。中の雪など誰にも見えない。しかし、それを思いやる心が大切です。
仏教に「達観の眼」という言葉がありますが、深くものを見る、肉眼で見るのでなく心の眼で見るという事で、詩はその精神を詠っています。
目付とは心眼を磨いていくことといえるでしょう。
(5)気迫・気合(発声)
気迫は、相手に働きかける力強い精神力で「気迫のこもった試合」といった積極的姿勢として使われますが、むしろ自らの内に発現して相手を諫める心の力のように思います。
また、渋川一流柔術では形の最後にかける「エイッ」という気合は、形の一連の流れとは別ものとして流れが止まった後にかけるものではなく、気勢が充実した結果としての気合であり、常に流れと一体です。
(6)間と間合
武道の『間合』は、相手が一歩踏み出さなければこちらに届かぬ距離を保ち、相手の心の動きをとらえることが出来たならば相手の動きに容易に対処することが出来る距離といわれます。
澁川一流柔術の稽古では、受けの仕掛けがあらかじめ約束された状態で行いますが、受けの仕掛けに合わせて動いてしまうパターン化された動きではなく、受けのどのような仕掛けにも無意識に対応できる適切な『間合』が大切です。
相手の仕掛けを起こそうという心の動きを読み、その動きを抑え、相手がどのような行動に出ても臨機応変な対応がとれる、そのための正しい間合いです。
(7)呼吸
正しい呼吸は、体幹と手足が全体として調和した動きを生み出します。
そして、すばやく動く、強くかけるといった間違った道ではなく、速さ、強さは動きの結果であって、ゆっくりとは自分の体の状態が認識できる速さが大切です。
調和の取れた動きを生むのは腹筋に力を入れて腹を引っ込めないこと、肚で呼吸ができていることです。
しかし、胸で呼吸をすれば上半身は浮き上がり、正しい姿勢は崩れてしまいます。
(8)残心
残心というと、技を掛けて相手と離れる際、相手を睨みつける目付と勘違いする場合がありますが、残心は、隙がなくいつでも相手に対応できるということに他なりません。
 相手から離れるという動きは、安心して相手からぱっと離れてしまうと、離れるという意識が隙を生んでしまいます。
あくまでも相手を抑える事が主となります。
残心とは相手を制した後にも油断せず、心も体も広くのびやかに自由に働ける状態にあることです。
(9)肚
澁川一流柔術には、相手を崩し、固める業が多くありますが、腕力で相手を押さえつけてはいけません。
押さえつけようという意識は下半身よりも上半身が強くなり、自分の重さではなく腕力のみで押さえつける動きになってしまいます。
動きの源は、「臍下丹田に力を込める」ということですが、これも勘違いして、腹筋に力を入れて腹を引っ込めてしまえば、下腹を力ませ、下半身を固め、自在な動きとはなりません。
大切なのは、臍下丹田の工夫ですが、下腹の腹圧は高め、相手を自分の臍下に納めて、相手を自分の身の内でコントロールすることです。
不必要な腕力を用いる必要はなく、自分の重さを利しているので相手を抑えるのに腕力を用いる必要はなくなります。
とても難しいことですが、大切なことです。
(10)無理無駄
体の力みが無理無駄を生みます。
したがって、まず体の力みを無くすこと、体の力みがなくなれば、体のそれぞれの部分はおさまるべき所におさまり、落ち着くべきところに落ち着きます。
「早く。強く。」という思いが先に立つと、体は力み無理な動きが生まれてきます。
臍下丹田により、体が自然に導かれる意識、自分の心を常に見つめ直すことが大切です。

3 おわりに
以上のように、修行への取組として、「貫汪館段位審査規定『昇段審査実技審査項目および審査基準』のなかの審査項目」に従って考えてきましたが、「これまで修行上留意してきたこと、今後留意しなければならないこと」を考えるに、もっとも重要なのは、臍下丹田を中心とした調和の取れた動きではないでしょうか。
心を臍下丹田に沈めて動く。
自分の身体だけを動かす時には出来る動きが、相手がいることで、速く業を掛けよう、極めようという思いが先にたち、身体の調和を自らが乱し、小手先で業を掛けてしまう。
帰するところ自分の心がそうさせるのであり、稽古に対する心掛けにが悪いといえるでしょう。 
出来なくて当たり前、静かにゆっくり調和を乱すことなく稽古していくことが大事です。
結果として、やがて業が身につき、意識しなくとも有効な動きが生まれてきます。
稽古に「我」を交えることなく静かにゆっくり体の調和を乱すことなく稽古を続け、常に自分の稽古に対する取り組み方を見つめなおしていかなければなりません。
以上

参考:貫汪館ホームページ「道標」

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  1. 2016/12/18(日) 21:25:00|
  2. 昇段審査論文

大石神影流昇段審査論文

武道における礼と大石神影流剣術における礼法

1.武道における礼
 一般的に武道は「礼に始まり礼に終わる」と言われますが、貫汪館で武道を学ぶまで「礼」というものを稽古の初めと終わりに行う単なる形式的なものと考えていました。それまで武道というものにほとんど触れたことがなかったため、礼というと学校教育で教えられる「起立・気を付け・礼」という号令によって行う礼のイメージがあり、武道における礼もそれと同様のものと考えていたように思います。
 昇段審査を受けるにあたり武道における礼とはどのような意味があるのか、学んだことを述べたいと思います。

 「礼」という言葉・思想は古来、中国から導入されてきたものですが、中国の哲学的思考が日本ではより実践的な行動規範として取り入れられてきました。
 新渡戸稲造の『武士道』では「礼」とは「他を思いやる心が外へ表れたものでなければならない」「それはまた、物事の道理を正当に尊重することであり、それゆえに社会的な地位を当然のこととして尊重する意味も含まれている」また「礼はその最高の姿として、ほとんど愛に近づく」と述べられています。
 また小笠原清忠の『武道の礼法』には「例えば先生に対して稽古を求めるのであれば、稽古の中に、その先生に対する礼というものが常にあって、全身全霊でぶつかっていき、そして稽古の最後には、心から「ありがとうございました」という挨拶ができる、そのような稽古でなくてはならないのです。」また「なぜお辞儀をするのか、その意味である”気持ち”が先に立つことが大切です。」とあります。
 礼法とは形式ばった堅苦しいものと考えがちですが、ただ形式を押し付けるだけでは意味がありません。相手を思いやり、敬意を払う心からの礼の気持ちがあり、それを表現する手段として礼法があるということです。

 武道で行われる礼法には神前への礼や刀への礼、お互いの礼などそれぞれの場面で用いられる礼法があります。
 上述した「武道の礼法」には「礼とは「時・所・相手」に応じて臨機応変に正しい生活態度として、現れるべきものでありますが、このためには、正しい生活態度とはどういうものかをわきまえていてこそ、社会生活に当たっても正しく臨機応変に行動することができるものなのです。」と述べられています。
 目上の人に対する礼と、同輩への礼が同じであってはいけないように、礼法とは相手との関係性によって変化するものでなくてはなりません。そのため、その場の状況や相手との距離感、間について常に考える必要があります。自分と周囲に対して気を配り、広い視野をもって行動することが求められているのです。これはそのまま武道の技の稽古にもつながるものだと考えられます。

 このように武道における礼とは心を表現する手段として用いられ、「時・所・相手」に応じた正しい礼法を身に着けることにより、「心」と「体」の両方を修めることを目的としていることが分かります。

2.大石神影流剣術における礼法
 貫汪館では3つの流派を稽古していますが、流派によって礼法が異なることも興味深いことです。
 大石神影流剣術の神前への礼は片足を着いた折敷の礼ですが、これは当時の稽古が神社の境内などの屋外で行われていたことに由来するそうです。

 右膝を着き左足を立て、両手を軽く握って地面につけて礼をします。このとき注意する点として『道標』の記述を抜粋します。
「左右鼠蹊部は十分に緩んでおく必要があります。またお尻の力みも無くさなければなりません。」
「大石神影流剣術では礼法は簡素なものであるため、それほど時間を掛けて稽古することはありませんが、神前に折り敷いて礼をする動きは簡単なようですが余程稽古せねば出来るようにはなりません。私はいまだに苦労していますが、この礼が正しくできるようになれば、立姿勢での下半身の緩みはできるようになるはずです。」
 大石神影流の武術では下半身が緩んでいることが非常に重要です。天から頭頂部を通り、両足の間から地中に向かう重力の流れを感じます。礼をするときは鼠蹊部が緩むことによって前傾し、前後の立ち姿勢においてもどこにも力みがない状態でなければなりません。このように礼法を稽古することによって流派の基本姿勢を習得できるように導かれていることが分かります。

 神前での作法について『道標』には「神座に向かって刀を振らない、抜き付けない。このような当然の作法を忘れてしまうのは神座に神を感じる心を持たないからだと思います。たとへば、そこに神話の絵に出てくるような神がおられたとするならば決して神に向かって斬りつけることも抜き付けることもないでしょう。」と述べられています。
 神前への礼をするときも礼をする対象である神の存在を強くイメージする必要があります。そこに神がおられるということを感じなければ、形だけの心のこもっていない礼となってしまいます。
 また神前の礼をしたのち、お互いに礼をして形の稽古に移ります。そのため稽古を行っているときも神前であるということを忘れないようにしなければなりません。

 貫汪館の武道は「肚から動くこと」を重要視していますが、礼法の動作も当然肚を起点とした動作でなければなりません。私自身この肚から動くということは非常に難しいと感じていますが、「肚からの動き」と「考えて動いた時」の動作の違いは少しずつ分かるようになってきたように思います。礼をするときも頭を下げなければと考えると、頭だけを丸めた姿勢となり、また立つことを考えて立ち上がろうとすると脚に力が入ります。頭でこうしよう、ああしようと考えて動こうとするとその部分が動きの起点となり力みが生じるのです。
 礼の「形」を目指して動くのではなく、肚から動いた結果として「形」が表れているということが重要だといえます。

 『道標』には「体が整わない原因のほとんどが心にあります。」「速く動こう、強く動こう、力を込めよう、こうしよう、ああしようと思えば思うだけ体の動きは乱れていきます。心に波風を立てていては体もまた整うことはありません。業の上での「無念無想」を求めるしかないのですが、無雙神傳英信流抜刀兵法であれば礼法の間に、大石神影流剣術であれば神前での礼の間に、澁川一流柔術であれば礼式の間に静かに心を整えて、そのまま形の稽古に入って我欲を出さずに動いてください。」とあります。
 礼法は頭で考えて動いていないか確認するチェックポイントでもあります。礼法を行うことで自らの心を整え、稽古でも常に肚から動くということに注意しなければなりません。

3.終わりに
 貫汪館のホームページ『貫汪館について』には稽古の指針としてこのように記述されています。
「古武道における「礼」は形式的なものではなく、相手の立場を尊重し人と人との調和のある関係を尊ぶ心から生まれるものです。「礼」がなければ調和はなくなり、有形無形の争いに至りますが、争いに至らないために稽古するのが貫汪館の古武道です。」

 武道を学ぶにあたり「礼」を失すれば、それはただの殺人術となってしまいます。相手の立場を尊重し周囲との調和を求めることで、争いを未然に防ぐということは、もっとも基本的で、もっとも重要な「技」だと思います。
 貫汪館に入門して、ちょうど一年になりますが、稽古をすればするほどその奥深さを知り、同時に自分の至らなさを実感しますが、これからも礼の心を忘れず稽古に励みたいと思います。

【参考文献】
1) 森本邦生:貫汪館 本部ホームページ
2) 森本邦生:道標
3) 新渡戸稲造(著) 岬龍一郎(訳):武士道 PHP研究所 電子書籍版 2005年
4) 小笠原清忠:武道の礼法 財団法人日本武道館 初版第8版 2015年

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  1. 2016/12/19(月) 21:25:00|
  2. 昇段審査論文

大石神影流昇段審査論文

武道における礼と大石神影流における礼法について

1.概要
日本では過去から現在において、礼や礼法は重要視されてきた。本論文は武道の礼と、大石神影流の礼法についての考察を目的とする。
まず本論文の概略を説明する。はじめに礼とは何かを再確認するために一般的な礼法として、普段行われている挨拶をもとに礼法の本質とは何かについて考察する。次に武道一般における礼および礼法について述べる。そして最後に大石神影流を中心に、貫汪館での武道における礼法について考察する。

2.一般における礼と礼法について
現在、世界各地においてそれぞれ特有の礼法が存在するが、その中でも特に挨拶について注目してみる。
我が国日本においては腰から上体を曲げ、頭を下げるいわゆる「おじぎ」が最も一般的な挨拶であると言えるであろう。おじぎには立って行う「立礼」と座って行う「座礼」があり、また角度や細かな作法によっていくつかの種類に分けられる。
また欧米においては手と手をにぎり合う「握手」が一般的な挨拶と言える。さらに地域や世代、性別、相手との関係性によっては握手の他に抱き合ったり、ほおにキスを行ったりすることもある。日本においても親しい間柄で挨拶として抱き合うこともあるが、欧米ほど一般的には行われていない。その他挨拶の方法として変わった例としては、ニュージーランドのマオリ族はお互いの鼻を合わすのが挨拶であるという。
このように地域によってその土地独自の礼法(挨拶)が存在するが、それ以外に時代や職業によっても特有の礼法(挨拶)が存在する例がある。
たとえば魏志倭人伝の中で、倭人の風習として「見大人所敬 但搏手以當脆拝」という一文が見られる。筆者は漢文の専門家ではないため誤解が存在するかもしれないが、この一文は「身分の高い人に敬意を表すときは、手を打つことで跪き拝むことに代える」と訳しても間違っていないであろう。すなわち、古代の日本人は現在神社で行われるような拍手を人間に対しても行い、それが脆拝に代わるような礼法であったということがうかがえる。
また、現代の軍隊や警察など一部職業において、右手を額の高さに掲げる「敬礼」と呼ばれる礼法が行なわれている。
このように地域や時代によってさまざまな様式が存在するが、それら全てが「礼法」あるいは「挨拶」として一括されている。ではこれらさまざまな様式を一括して扱えるような、共通する要素とは何であろうか。それは相手に友好的であると伝える手段であるということであろう。すなわち、相手に対し無防備、非武装であることを示すことで、敵ではないことを伝える手段であるということである。たとえばおじぎは首を相手に差し出すことで無防備さを、握手は相手に利き手を預けることで無防備さと非武装を表すのである。また古代日本で行われた拍手は、手を打ち鳴らすことで手に何も持っていないことを表したという説もある。
さらに敬礼は、元々は兜の目の保護具をずらし顔見せる動作であったという。これも自らの身分を明かし、敵ではないことを表す動作であると言える。
したがって、礼法とは根源的には相手に対し敵ではないことを示し、友好的な関係を築くための作法であったと考えられる。

3.武道における礼法
武道は礼に始まり礼に終わると言われるように、一般に武道は礼を重視すると思われている。実際に剣道や柔道、弓道など各武道では礼法を重視し、試合においては非礼な行いをした場合ペナルティを与えられることもあるという。しかし改めてよく考えてみると、礼と武道とは一見して関連がないようにも思える。礼とは第2項で述べたように、もともとは敵ではないことを示す作法であったと考えられるが、武道とはそもそも戦いの技術であり、敵対している相手に対する技術であると言える。ではなぜ武道において礼が重視されるのであろうか。ここでは筆者の考える、武道において礼を重視する意義を述べていく。
第一に、仮に武道を学ぶことで素晴らしい技術が身につくとしても、そこに礼がなければただの暴力に成り下がるということがあげられる。
武道を身につけることは武道を学んでいない人より強くなるということであり、ともすればそういった人の脅威になる危険性をはらんでいる。他人より力があるからといって傍若無人に振る舞うのは他人と協力し社会生活を営む人間として忌避すべきことであり、そのように導く武道が存在するとしたら、それは淘汰されるべきであると筆者は考える。したがって、戦いの技術を身につけることが目的の一つである武道を学ぶ者は、その責務として礼も学ぶ必要があるのではないだろうか。
次に、礼とは武道の観点から見ると大変合理的な手段であると考えられる。
上で筆者は武道を戦いの技術と書いたが、自分から積極的に相手と戦うように教える武道は少ないのではないだろうか。弓道などの特殊な武道は別にして、多くの武道はいたずらに争いを起こすのではなく、争いが起こってしまったとき、その争いをいかに安全に終わらせるかを教えていると筆者は考える。
さてこのような観点から武道を捉えると、そもそも争いを起こさないことが最も理想的であると言える。実際に難波一捕流の掟には「夏は日方冬は日隠を通候心得にて万端相慎み候事」とあり、争いを起こすことを避けるよう教えている。また貫汪館に伝わっている澁川一流には、攻撃してきた相手を押し返すのみの「礼式」があるが、これは相手と争わないという澁川一流の理念を表すものである。その他の流派においても争いを避け、争いを起こさないような教えが残されている。剣道や柔道といった現代武道は古武道を下敷きに発生したものであるので、現代武道も古武道と同様に争いを起こさないことを重視しているであろう。
第2項で述べたように、礼法とは相手と敵対せず友好的な関係を築くための作法である。礼を尽くすことにより相手と敵対しないことで争いを避けることは最も安全に争いを収める手段であり、武道の観点からみると大変合理的であると言える。
次に、武道の技と礼法とは本質的に共通しているという点が考えられる。
戦闘の場においては、間合いをはかり自分に有利で相手が嫌な場所に身を置き、相手の動きや心を読むことが大事であるが、これらは外に現れる形は違っても礼法に共通する。相手との間合いをはかることはそのまま相手との失礼ではない距離感をはかり、双方にとって心地よい場所に身を置くことにつながり、相手の動きや心を読むことはそのまま相手が何をして欲しいか読み、先回りして礼を尽くすことにつながる。
したがって、礼法において何かできないことがあるとすれば、それは同時に戦いの場においても技に不足があるということであり、日常において礼を尽くすということは、武道の稽古を行っているのと同じであると言える。
また、古武道においてはその流派が稽古されていた時代、地域の作法を残しているという点で貴重な意義が存在する。
その他まだまだ武道において礼を重視する意義や理由は存在するとは考えられるが、本論文においては主にこの四つについて注目した。

4.貫汪館の流派、特に大石神影流から見た礼と礼法について
ここまで広い意味で礼と礼法について見てきたが、ここでは主に大石神影流を中心として、貫汪館における礼と礼法について考察していく。
一般に古武道の礼法としてイメージされるものとは違い、大石神影流には正座での礼が存在しない。これは大石神影流が神社の境内などの屋外で稽古されていたことに由来する。また上覧の際にも庭先で演武を行ったため、神前や上座に対する礼は右足を引き、右膝を下ろし左膝を前に向ける折敷の礼となる。これも大石神影流が生み出された当時の状況を表すものとして大変興味深いものであるし、古武道の礼とは必ず正座をして行うものだというように、先入観を持つことは危険であるということも示している。
また大石神影流流祖、初代大石進が長沼無双右衛門と試合を行った際、大石進の突きの激しさと当時の面の不完全さから、大石進の突きによって長沼の眼球は抉り出されてしまった。しかし、その後長沼は大石進に入門している。自分の眼球を潰した相手を恨むことなく逆に入門したという事実は、大石進の技の素晴らしさとともに、その人格の素晴らしさをも表しており、その逸話から、試合相手といえども大石進は礼を尽くしたであろうことが推察される。そこで大石神影流を学ぶ我々は、流祖の思いを受け継ぎ、同様に他者を敬い、礼を尽くさなければならないと考える。
また第3項において、礼法と武道の技は本質的に共通していると述べたが、貫汪館においては動作そのものの本質も共通している。つまり、普段構えや手数などを稽古する際の注意点と全く同じことに注意する必要がある。例えば立つときや立ち上がるときには鼠蹊部や脚に力を入れないこと。膝を下ろすときは脚の力で曲げるのではなく、緩むことにより重力にしたがって降りていくこと。礼をするときは鼠蹊部やお尻に力が入らず、肚を中心に動くことなどである。
手数の稽古では相手がつくため未熟な身では相手につられて心や動きが乱れてしまうが、礼法では心が落ち着きやすく、その分自分に向き合うことが比較的簡単だと言える。したがって、特に初心の段階には礼法の稽古を十分につむことが重要である。
さらに貫汪館の稽古では、手数の手順を追わず、我や作為を無くし、相手と調和し、無理無駄がなくその場の状況に合わせて自然に生まれる心や体の動きを求めることを大切にしている。したがって、礼法においても同様のことを大切にしなければならない。いくら折り目正しく礼法の作法を行ったとしても、そこに心がこもっていなければ本当に礼儀正しいとは言えないのではないだろうか。あるいは、外国人のように違う文化圏から来た人に対し、相手に歩み寄るのではなく自分にとって正しい礼法を貫くのは相手に敬意を持っているとは言えないのではないだろうか。本当の礼とは、多少作法にのっとっていないとしてもその場の状況や相手に合わせたもので、また頭を下げようと思って下げるのではなく心がこもり、自然に頭が下がるようなものではないかと考える。そして貫汪館で古武道を学ぶ身としては、そのように礼ができるような心を求めていく必要があると痛感している。

5.まとめ
以上、さまざまな観点から礼や礼法について見てきたが、礼や礼法とは武道において大切なものであって、特に貫汪館の門人にとっては技に直結する大変重要なものであることがわかった。
貫汪館で学ぶ古武道は、一部の現代武道のように日常から切り離された試合の場を目的に行うものではなく、日常生活の延長線上にあるものである。したがって、日常生活の中で存在する礼は満足にできなければならない。貫汪館で古武道を学ぶ者として、礼法の本質を求めこれからも精進していきたいと思う。

参考文献
1)小笠原清忠:武道の礼法 財団法人日本武道館 初版第1版 2010年
2)森本邦生:貫汪館 本部ホームページ
3)森本邦生:道標

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  1. 2016/12/20(火) 21:25:00|
  2. 昇段審査論文

臍下丹田

 私が無雙神傳英信流抜刀兵法の師 梅本三男貫正先生に入門して間もないころ、臍下丹田というものはどのようなものか質問したことがあります。先生は意識していればはじめは大きなボールくらいに感じ、やがては小さくなって、活きて働く丸い小さな球体のように感じると答えてくださいました。
 そのような感覚を覚えるようになったのはずっとのちのことですが、求めていればそのような感覚を覚え始めます。求め続けてください。

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  1. 2018/03/04(日) 21:25:00|
  2. 昇段審査論文

~無雙神傳英信流抜刀兵法指導上の留意点について~

無雙神傳英信流抜刀兵法四段の論文です。


1.はじめに
 本論文は無雙神傳英信流抜刀兵法を稽古するものが正しい道筋で上達していくため、指導者がどのような点に留意し、指導するべきかを論じるものである。
 まず基本となる思想・動きについて、次に居合術流派の大きな特徴である一人で行う素抜き抜刀術の稽古について、続いて二人組で行う稽古について、最後に貫汪館の大きな特徴である大石神影流剣術と澁川一流柔術との三流併修における留意点について述べる。

2.基本
 無雙神傳英信流抜刀兵法の形稽古はどのような状況でも対処できる自由な動きを身に付けることが目的である。そのためには心身が無理無駄のない楽な状態でなければならない。これは貫汪館で伝えている他の二流派、大石神影流剣術、澁川一流柔術にも共通することである。現代の生活で多くの人が身に付けている動きは体に力を入れて安定させ、動いたという実感を覚えながら体を動かすもので、貫汪館の古武道における楽な状態・自由な動きとは正反対のものである。人は今までの経験に沿って行動することに安心感を覚えるものであり、まったく異なる感覚を身に付けるためにはそれまでに身に付けた方法・知識を一旦崩さねばならず、これには多くの場合、かなりの苦労を伴う。しかし、この楽な状態・自由な動きは全ての基本となるもので、初心の段階から求めていかなければならない。基本を理解できないまま形稽古を行っても、ただ手順に合わせて外形を作っただけの動きとなり、流派の動きを身に付けることは決してできないからである。

以下に挙げるのは全ての動きに共通する要素である。弟子がこれらに適う動きをしているか、間違った方向に向かっていないか常に気を配る必要がある。

・動きの中心は常に肚(臍下丹田)であり、全ての動きは肚の働きから生まれる。
・呼吸は臍下丹田での深い呼吸であり、全ての動きは呼吸によって導かれる。
・力みを捨て、必要最小限の力で、体感的には全く力を用いないで動く。
・天から地へ体の中心を貫く重力の流れを感じ、重力の線と体の中心が一致している。
・全ての動きは自然の働きに導かれて生まれる。
 外形は上記の要素に従って体が働いた結果として勝手にそうなるものであり、自ら作為的に外形を作ってはならない。

 基礎的な稽古はこれらの感覚を身に付け、今までの生活で身に付けた動きとの違いを理解するのに適したものである。また古武道はそれが作られ、伝えられてきた時代の生活に根差した伝統文化であり、文化としての学びも現代における古武道の大きな意義であるが、基礎の稽古はそういった文化的側面を理解するためにも大切なものである。それらの稽古における留意点について以下に述べる。

(I)座る
 無雙神傳英信流抜刀兵法の稽古において座るということは極めて重要である。正しく座ることがまさしく極意であり、全てといえる。座ることが出来なければ、技の上達はない。
 入門者が貫汪館で稽古を始める前の生活で身に付けてきた感覚は人それぞれ異なるが、多くの人に共通しているのは床に座した姿勢、特に正座はすぐには動けない、窮屈で不自由な姿勢という考えである。無雙神傳英信流抜刀兵法における座姿勢はそれとは正反対のものであり、稽古で目指す自由に動くことが出来る楽な状態そのものである。地面に完全に体を預け、下肢は重力から解放されており、体の中心は重力の線と一致している。そのまま前後左右に自在に動くことの出来る姿勢が居合術における座った状態である。これは何の作為もなく、自然の理と調和して、ただそこにあるだけ、という状態である。全ての技はこの座った状態を基本とし、前に出る技も、後ろに下がる技も、左右に変化する技も、立って行う技も体はその状態のまま、形の想定に従い、表に現れる形が変化している。故に座る稽古が不十分では流派の教えに適う動きは決して出来ず、上達することは不可能である。
 このように極めて重要な座姿勢であるが、座るというのは日常的に行ってきた動作でもあり、つい従来の感覚で行ってしまいがちである。座る動きの感覚を変えていくには繊細な稽古を繰り返す必要がある。動きの中で力みが出やすく、自分自身で気付きにくいのは以下の点であり、弟子がこれらに気付けているか、指導の際に留意するべきである。

<正座・立膝共通>
・呼吸が浅くなっていないか。肚で呼吸出来ているか。
・座る前の立ち姿勢で脚に力が入っていないか。鼠径部が固まっていないか
・袴捌きの際、腕力で袴を持ち上げていないか。袴の重さを感じられているか
・筋肉を使って脚を曲げることで座っていないか。下肢が緩むことで座っているか
・静かに腰を下ろしているか。周囲に振動が伝わるようないい加減な座り方ではないか
・尻側の重さによって上体が起きているか。自ら上体を起こし、背中が反っていないか
・鼠径部が緩んだまま座れているか
・脚の上に手を置こうとして腕を伸ばしていないか。
肩・肘はその重みで自然に納まっているか
・足首の力が抜け、踵が尻の外側に位置しているか。肚が沈み切っているか

<立膝>
・右足を出し、半身になる時、鼠径部が緩むことで足が出ているか
・半身のまま座れているか。座った時に上体が正対しないか

これらは動作的・技術的な観点での留意点だが、真に留意すべきはある程度稽古が進み、これらを出来たと思ってしまう心の働きである。繊細さは求めれば求めるほど限りが無いものだが、ある程度出来てくるとそこに停滞したいという思いが生まれてくるのが人の常である。しかし、出来たと思い、その時点のレベルに留まってしまうと、稽古はいい加減となり、繊細さを失し、一旦到達したレベルどころか、それよりも下の動きにしかならなくなってしまう。これは全ての動きで起こり得ることであるが、全ての基本である座る動きでは特に戒めるべきことである。座る稽古が繊細でなければ、他の稽古も繊細さを欠いたものになる。一回々々の座る稽古が繊細なものとなるよう指導していかなければならない。

(II)礼法
 礼法において最も重要なのは心である。神前の礼では本当に神に向かって頭を下げるのだという心が伴わなければならない。刀礼では刀をただの道具ではなく霊格のあるものだと考え畏敬の念を持って礼を行わなければならず、打方・遣方の互いの礼も相手の心を感じ、敬意を持って行わなければならない。全て敬いの心が必要であり、まさしく礼を尽くさねば礼法の意味は失われてしまう。このような心は一人の稽古で仮想の敵を想い浮かべる心、二人組での稽古で相手の心を読むことに繋がるものであり、初心の段階でその大切さをしっかりと理解できるよう導かなければならない。無雙神傳英信流抜刀兵法の礼法は貫汪館の他の二流派と比べると手順としては最も長く、やや複雑である。動きに慣れない内は手順を追うことに終始してしまったり、ある程度手慣れてくると、ただ形式的に行ってしまったり、ということがしばしば起こるが、これでは大切な心の稽古にならない。このような傾向が見えたら、即座に諫め、どのような心持ちで稽古しているのか省みるよう指導するべきである。

隙が無い所作である、ということも礼法において重要な点である。古武道流派の体系に含まれる礼法であり、当然ながらその動きは武道の技そのものでなければならない。また上述した礼の心に真に適う所作が出来ているならば、気を途切れさせることなく、神・刀・相手、更には周囲の状況すべてに心を配り、把握し続けているはずであり、そこに隙は生じないはずである。稽古を重ね、このような心身の在り様を身に付けていけば、礼法と武道は等しいものになっていき、礼法の稽古が隙のない武道の技を身に付けるものに、武道の稽古が周囲に気を配る礼の心を身に付けるものになるはずである。このことは狭義には戦いの技術でしかない古武道を現代で教える意義の最たるものであり、このようなものとして伝えられないのであれば、現代において古武道を教える意味は無いと言っても過言ではない。

神・刀・相手への礼、更には刀を腰に帯びる所作までが含まれている無雙神傳英信流抜刀兵法の礼法は武士が行っていた日常の作法そのものであり、日常の礼、日常の武を体現する所作である。命を守るための隙の無い動作と周囲に気を配る礼の所作が等しいものだと学ぶことが出来るのが、礼法の稽古であり、弟子がこのことを意識して稽古するよう導かねばならない。

技術的な観点としては、全ての所作を極めて静かに行っているか、刀を扱う所作ではなるべく音を立てず、刀が揺るがぬようにしているかに留意すべきである。これらは力みを捨て、無理無駄なく、刀を体の一部として動く感覚を養うために大切なことである。また座して礼をする際の前傾しながら手を床につく動きは後述する抜付の動きと同質のものであり、この動きを繊細に稽古出来れば、抜付の上達に繋がるはずである。礼法・抜付の稽古双方で異質な動きになっていないかも気を配るべき点である。これらは先述した礼の心をもって稽古出来ていれば自然と理に適う動きになるはずのものであるが、動きから弟子の心の状態を見て指導するための点として留意すべきものである。

(III)歩き
 座ることと歩くことは一般的な感覚では全く別のこととして捉えられるものと考えられるが、無雙神傳英信流抜刀兵法においてはそのように捉えてはならない。座る稽古で求める地面に完全に体を預け、重力の線と体の中心が一致した自由で楽な状態のまま動けるよう稽古しなければならない。指導の際は以下の点に留意すべきである。

 ・地面を蹴って体を進めようとしていないか。重心の移動で動いているか
 ・各関節、特に鼠径部は緩んだままか
 ・呼吸を止めていないか。肚で呼吸しながら動けているか

(IV)斬撃
 刀を抜いて正眼に構え、数歩歩いて振りかぶり、振り下ろす、再度正眼に構え、元の位置まで下がる。極めてシンプルな稽古であるが、この一連の動きから学ぶことは多い。

 ・刀を抜く際、体の開きで抜いているか。腕を伸ばして抜いていないか
 ・正眼に構える際、肚で刀の重さを感じているか。刀と体が一つになっているか
 ・前進、後退の際、半身のまま歩けているか、歩きの稽古と同じように動けているか
 ・振りかぶり、振り下ろしで呼吸に乗せて肚を中心に動けているか

 刀を用いる際の基礎的な動きのほとんど全てがこの単純な稽古に含まれている。この稽古を繊細に出来ないようでは、形稽古での繊細さは望めない。繊細さを失した動きの例として肩中心に動いてしまうことがある。刀を抜く、正眼に構える、前進、振りかぶり、振り下ろしなど体勢が変化する際に刀を肩・腕で使ってしまうことが起こりがちである。そのように動いていないか気を付けなければならない。

4.一人の稽古 「素抜き抜刀術」
 一人で行う形は大石神影流剣術、澁川一流柔術にもあるが全体のごく一部である。それと比べて無雙神傳英信流抜刀兵法では一人で行う素抜き抜刀術が体系の大半を占めており、流派の大きな特徴と言える。この稽古の意義を理解し、これを通して流派の教えを理解できなければ、無雙神傳英信流抜刀兵法の上達はあり得ない。

 以下に素抜き抜刀術を構成する大きな要素毎の留意点について述べる。

(I)仮想敵
 一人で行う上での極めて重要な要素が仮想敵である。目前に仮想の敵を思い浮かべ、それを相手に形を行うのである。この際、大切なのは動かない人型の的のようなものではなく、生きた敵を想像することである。自由に考え、自由に動く相手を想定して稽古しなければ、己の技が生きて働くものになることはないからである。
 陥りがちなこととして、自分の体の動きばかりに意識を囚われ、仮想敵を忘れてしまうことがある。難しい動きをしようとする際や、より繊細に動こうとする時によく起こることだが、それでは対敵の技の稽古にならない。そのような様子が見受けられた時はすぐに正しい意識の持ち様を指導するべきである。

(II)気を途切れさせない
 手を掛ける、刀を抜く、振りかぶる、振り下ろす、など動きの区切りとして考えてしまいやすい所作が多いが、それらを区切って動いてはならない。心身をいちいち止めてしまっていては、そこが斬られる隙となってしまうからである。形の初めから終わりまで気を途切れさせることなく稽古しているか、気を配るべきである。形のグループに属する形を全て覚えたら、そのグループの最初から最後まで、気を途切れさせず稽古するよう導かねばならない。
初心の段階では難しいことだが、本来であれば道場に来てから退出するまで気を途切れさせるべきではなく、また居合が平時の危機に対処する想定の武道であることを考慮すれば自明であるが、目標とするのは日常生活の全てを繋がったものと捉え、気を途切れさせずに行動できることである。
気を途切れさせない、ということを常に神経を張り詰めた状態と勘違いする場合もしばしばあるが、それは自らの心の状態を作為的に作っているに過ぎず、貫汪館の稽古で求める自由な状態とは真逆のものである。これも気を付けなければならない点である。

(III)抜付
 無雙神傳英信流抜刀兵法における抜付は体の開きによって行われる。貫汪館の三流派の動きは全て自然の働きに導かれて生まれてくるものだが、抜付の稽古はその理を学ぶのに非常に適したものである。作為的に動きを作ることなく、最初から最後まで体と刀が自然に働いて動きが生まれてくるのを待つ繊細な稽古を重ねることで理を体得することが出来る。そのような稽古の留意点を述べる。

 ・体の開きによって刀が自然と抜けるのを待てているか
  抜き付けた形だけを求めて、作為的に刀を抜き付けた位置へ持ってきていないか
 ・体の働きによって自然に姿勢が変化するのを待てているか
  筋力で体を持ち上げ、抜き付けた姿勢を作っていないか
 ・仮想敵を意識出来ているか
  自分勝手な動きになっていないか

 この動きは高度なものであり、初めから正しく刀を抜けるケースは稀である。体が充分に働かず、抜けないことの方が多い。そのような場合、根が真面目な人ほど師が示した動きと同じことをしようとして腕を使って刀を抜いてしまい、間に合わせの形を作ってしまうことがあるが、それでは稽古の意味が失われてしまう。この稽古においては抜けないなら抜けない、動けないなら動けないのが正しいと観念することが重要である。これは他の二流派も含めた貫汪館における古武道の稽古全体に共通することであるが、素抜き抜刀術の抜付は一人稽古であり、また動きの性質的にもこのことを学ぶのに非常に適していると言える。弟子がそのような稽古をしているか、よくよく留意すべきである。

(IV)運剣
 抜付の後、刀を振りかぶる動作であり、力み・焦りが生じやすい部分である。ここでも抜付と同様に刀が自然に働くのを待つことが大切である。

 ・切先の重さに導かれて柄が頭上に移動しているか
  腕力で刀を持ち上げ、移動させていないか
 ・肚を中心に刀自体の重さによって自然に体の周りを廻っているか
  腕力で自分勝手に刀を振り回していないか

(V)斬撃
 振りかぶった刀を振り下ろす動作であり、ここも力みの起こりやすい部分である。それまでの動作を自然に行えていても、斬撃で力みが入り、動きを崩してしまうケースは非常に多い。主たる原因は心の働きであり、斬りたい、力強く刀を振りたい、といった思いが生じると腕力で刀を振り回す動きに変わってしまう。元々剣に憧れがあり、時代劇・漫画・アニメ等から剣を振ることについてのイメージを作り上げてしまっている人はなかなかそれから脱する事が出来ない。以下のことを理解し、意識を変えられるよう指導する必要がある。

・一刀両断にする必要はないこと
・力みが入ればそこで斬られてしまうこと
・速さ・強さは正しく動いた結果でしかないこと
・正しい動きを身に付けるにはゆっくり動く稽古を重ねる方が近道であること

(VI)血振るい
 斬撃で形が終わったような気持ちになり、血振るいで気が途切れるのはよく起こることである。血振るいでは残心を学ぶことが最も重要である。目の前の敵を確実に倒せたとは限らず、他にも敵がいるかもしれない、そのように気を途切れさせないことを稽古出来ているか留意するべきである。

(VII)納刀
 納刀も血振るいと同様の意味で気が途切れやすい部分である。想定上、敵を倒した後の所作なので、心が変化してしまいやすい。そのような状態になっていないか、血振るいに引き続き残心が出来ているか留意すべきである。
 また、納刀は抜付と表裏の動きであり、同じく体の働きによってなされる。単に刀を鞘に入れることに気を取られ、腕を伸ばして切先を鯉口に持って来るような安直な動きになっていないか気を配らなければならない。

4.二人組での稽古
 一般的に居合という言葉から連想されるのは前項で述べた素抜き抜刀術だと考えられるが、無雙神傳英信流抜刀兵法には二人で行う剣術的もしくは柔術的な技法も含まれており、それらも合わせての居合の流派である。以下にその留意点を述べる。

(I)素抜き抜刀術との関係
 同じ流派の体系に含まれる技法であり、当然ながら動きの理は共通している。別のものと考えて稽古してはいけない。素抜き抜刀術では静かに自然に動けていたのに、相手がついた途端、心に焦りや気負いが生じ、動きが崩れてしまうことがあるが、そのような場合は素抜き抜刀術で身に付けたことを思い出し、同じ心身の状態で稽古するよう指導するべきである。

(II)心を読む
 相手がいるため、実際の相手の状態を感じながら稽古できるのは組で行う稽古の利点であるが、それにも関わらず、形の手順に心を囚われて相手の心を読むことなく自分勝手に動いてしまう場合がある。形を立派に見事に行いたいという欲、もしくは失敗して相手に迷惑を掛けないようにしなければという思い、あるいは単純な焦り、これらが原因となり手順を追い掛けた動きになってしまうことがあるが、それでは武道の稽古とは言えない。弟子がそのような傾向を見せていないか留意するべきである。また、そういった傾向があるということは素抜き抜刀術の稽古で生きた仮想敵を想定出来ていないことを示唆している。一人の稽古、組の稽古双方でどのような心の状態で稽古しているのか気を配らなければならない。

(III)打太刀の位
打太刀は基本的に師、兄弟子などより上位の者が務める。これは打太刀が仕太刀を導く役目だからである。
仕太刀に怪我をさせるような荒い稽古をしてはならないが、それを過度に気にして、当たらない間合いで技を使ったり、全く威力のない打ち込みをしたりしては仕太刀が形を通じて流派の教えを学ぶことは出来ない。そのような稽古をしていないか気を配るべきである。
打太刀を務める者には仕太刀の心身の働きを読み取る余裕が求められる。仕太刀が全く対応できない動きをしては稽古にならず、仕太刀の現在の力量を読み取り、その一段上の動きをしなければならない。また仕太刀が形から外れた動きをしても落ち着いて対処できなければならない。そのような位に立って稽古することが出来ているかも留意すべき点である。

5.三流併修
 貫汪館の三流派は動きの根本は共通しており、どれかで身に付けたことは他の稽古にも活きてくるはずである。ある部分について一つの流派ではなかなか理解できないことがあっても、他の稽古を通して理解できることもある。それぞれの流派を通して多角的な見方を養うことが出来るのは貫汪館の稽古体系の特徴の一つと言える。その観点からもそれぞれの流派の違いを正しく理解するのは重要なことである。類似した部分について混同してしまうことがしばしばあるが、それでは異なる流派を稽古する意味が無い。また学問的観点において流派は一つの文化体系であり、それを後世に正しく伝えるためにも思想・技法の混同があってはならない。そのようなことが無いよう、歴史的背景も含めてきちんと学ぶことが出来ているか留意すべきである。

(I)大石神影流剣術との関係における留意点
 同じ剣を用いる武術であり、構え・形の想定には一見、類似したところがあるが、剣の用い様は異なっており、流派の思想には明確に違いがある。それを理解して稽古出来ているか気を付ける必要がある。

構えは特に混同が起きやすい。よく起こる例としては以下のものがある。
 ・見た目が似ている水月刀の構えと大石神影流の附けを混同する。
 ・上段に取る際、大石神影流の上段のように切先を右に向ける。

 構えを間違えたまま動いては流派の想定を正しく学ぶことは出来ない。初心の段階から今は何の稽古をしているのか、正しく理解して稽古できるよう導くべきである。

(II)澁川一流柔術との関係における留意点
 澁川一流柔術の動きに求められる体の状態は居合における座った状態と全く同じである。居合は苦手だが柔術は上手に動ける、またはその逆というのはしばしば見られることだが、それぞれの動きを別物と捉えているために起こることである。十分に動けるレベルに達しているのに心が別のことをしようとしているために一方の稽古で身に付けたことが活きないのである。どのような意識で稽古しているのか留意しなければならない。

6.まとめ
 以上、様々な観点から留意点を述べたが、全体に通底しているのは心の在り様が大きく影響を与えるということである。正しい動きに導くのも動きを崩してしまうのも心であり、心が全てを決めてしまうと言っても過言ではない。指導者は弟子が武道の稽古は心の稽古であることを心得て稽古できているのか留意し、弟子を導く自分自身の心の在り様にも注意を払い、常に向上を目指していかなければならない。

参考文献
1)森本邦生:貫汪館 本部ホームページ
2)森本邦生:「道標」

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  1. 2018/06/22(金) 21:25:00|
  2. 昇段審査論文

昇段審査論文

 昇段審査論文を掲載します。非常に良い内容ですので最後まで読み、稽古の糧としてください。


「無双神伝英信流抜刀兵法を通じて何を教えるべきか」

 貫汪館では居合術流派である「無双神伝英信流抜刀兵法」、柔術流派である「渋川一流柔術」、剣術流派である「大石神影流剣術」の三流派を学ぶことになっている。本論文の主題である「無双神伝英信流抜刀兵法を通じて何を教えるべきか」について記す前に他の二つの流派(渋川一流柔術、大石神影流剣術)について説明したい。貫汪館では「柔術だけを学びたい」「私は剣術だけでいい」「居合術はやりたくない」といったことは認められておらず、三流派を併修することが義務つけられている。柔術流派である「渋川一流柔術」の独自性は剣術流派である「大石神影流剣術」、居合術流派である「無双神伝英信流抜刀兵法」と比較することにより明らかとなり、剣術流派である「大石神影流剣術」は柔術流派である「渋川一流柔術」、居合術流派である「無双神伝英信流抜刀兵法」と比べることによりその特質が明確となる。そして居合術流派である「無双神伝英信流抜刀兵法」の特質(本論の主題である無双神伝英信流抜刀兵法を通じて何を教えるべきか)は剣術流派である「大石神影流剣術」、柔術流派である「渋川一流柔術」と相違点を比較することにより明確となると考えるからである。

 先ず初めに「渋川一流柔術」について記してみたい。
 「渋川一流柔術」は江戸時代末期、所謂幕末に首藤蔵之進満時によって創始された流派である。首藤蔵之進は宇和島藩浪人と伝えられる彼の叔父宮崎儀右衛門満義を師として「渋川流」と「難波一甫流」を習得。さらに他所で「浅山一伝流」をも習得し「渋川一流柔術」を創始した。
 蔵之進は広島城下にて5,6名の広島藩士と争いになった際に「渋川一流柔術」の業で難なくこれを退けた。これがたまたま居合わせた松山藩士の目に留まり、その推挙により松山藩に仕えることとなった。天保10年の頃と伝えられており、その後蔵之進は松山においても「渋川一流柔術」の指南を始めた。
明治維新以後、首藤蔵之進は親族のいる安芸郡坂村にたびたび帰り、広島の門弟にも「渋川一流柔術」を伝え残し、明治三十年 八十九歳で松山に於いて没した。
首藤蔵之進以降の伝系は以下のとおりである。
 首藤蔵之進満時(初代) 宮田友吉国嗣(二代) 車地国松政嗣(三代) 畝重實嗣昭(四代) 森本邦生嗣時(五代)
「渋川一流柔術」の特質は以下の3点であると考える。
1.素手対素手を主眼においておらず、武器対武器、その先に素手対武器を想定していること。
2.全ての形に飾り気がなく、単純素朴な技法で相手を制すること。
3.無駄な力を用いず無理なく技をかけること。
1は現代武道である「柔道」、「ブラジリアン柔術」等が一般的に素手対素手の試合のイメージであることから古武道である「柔術」も素手の相手に対し素手で対応する技術体系であると思われがちである。しかし、実際の「渋川一流」は素手対素手の形は基本に過ぎず、武器対武器、素手対武器を含む豊富な内容となっている。
「渋川一流柔術」には以下のとおり400余りの形がある。
履形(35本) 吉掛(25本) 込入(37本) 打込(24本) 両懐剣(4本) 互棒(7本) 四留(14本) 拳匪(7本) 枠型(9本) 引違(5本) 袖捕(2本) 二重突(14本) 一重突(12本) 片胸側(11本) 壁沿(12本) 睾被(12本) 上抱(14本) 裏襟(7本) 御膳捕(10本) 御膳捕打込(11本) 鯉口(10本) 居合(16本) 肱入(22本) 三尺棒(25本) 三尺棒御膳捕(2本) 六尺棒(8本) 六尺棒裏棒(8本) 六尺棒引尻棒(2本) 刀と棒(14本)小棒(14本) 十手(3本) 分童(3本) 鎖鎌(11本) 居合(抜刀術)(18本)
上記の内太字で下線を付した、打込、互棒、御膳捕打込、鯉口、居合、肱入、三尺棒、三尺棒御膳捕、六尺棒、六尺棒裏棒、六尺棒引尻棒、刀と棒、小棒、十手、分童、鎖鎌、居合(抜刀術)の形は相手が短刀や刀などの武器を用い、こちらが素手や棒、十手などを用いるものである。合計本数428本余りの形のうちこれら武器を使用した形は202本と約半数を占める。半数が武器を使ったものであり、ここには「柔術」は素手対素手というイメージは全くといっていいほどない。余談になるがこれら400を超える膨大な数の形を習得できるのか?と疑問に思う方もいると思うが「渋川一流柔術」では最初に習う「履形」という形が全ての基本となっており一部例外はあるものの他の形は「履形」の変化となっているため習得が可能となっている。なぜ「渋川一流柔術」には形が多いのか?私の師匠である森本邦生先生によると「渋川一流柔術」を創始した首藤蔵之進満時が学んだ三流派のひとつ「難波一甫流」に形が増える要素があったということである。私見ではあるが中国武術の門派である「蟷螂拳」も形の数が多い門派として有名であり、相手の攻撃パターンに対する方法をそれぞれ形にして残すという考え方を取っている。おそらく「難波一甫流」にもそのような要素があったのではないかと考える。
2は上記した400余の「渋川一流柔術」の形に見栄えのするような形がないことである。いずれもシンプルに相手を制するものであり、奇妙奇天烈な技はない。私が初めて師匠である森本邦生先生に「渋川一流柔術」の形を拝見させていただいた時もシンプルすぎて凄さが全く判らなかった。しかし、「履形」の指導の際、実際に技を掛けていただいて初めて「渋川一流柔術」の凄さを痛感したのだった。先生の身体には力感がほとんどないにも関わらず、まるでクレーンやショベルカー等の重機に振り回されるような感覚であった。
3は無駄な力を使わないということである。この言葉自体は他の武道でも使われているが一般の方が考えている力の抜き具合ではまだまだ無駄な力が入っていると言わざるを得ない。押されたらそのまま「ふわっ」と後ろに下がってしまうぐらいに力を抜く。まるで風に乗る凧のようになるのである。力を入れていないのになぜまるで重機に抑えられているような状態になるのか?それは力を入れずとも、いや入れないからこそ身体の重さが無駄なく相手に作用するからである。だからこそ、一見単純素朴な技であっても相手を制することができるのである。森本先生曰く「渋川一流柔術」の師である畝重實先生に手を取られると力感は全く感じず、まるでつきたての餅のようなあたたかさと柔らかさで抵抗する気持ちが失せてしまうとのことであった。

 続いて「大石神影流剣術」について記したい。
「大石神影流剣術」は大石進種次により創始された流派である。大石進種次は寛政9年(1797年)三池郡宮部村に生まれ、幼少より祖父の大石種芳から「愛洲陰流剣術」と「大嶋流槍術」の指導を受けた。文化10年(1813年)頃から、これまでの「愛洲陰流剣術」の袋撓と防具の改良を開始、独自の突技と胴切の技を始めたと言われる。文政3年(1820年)に祖父大石種芳より大嶋流槍術の皆伝を受け、続いて文政5年(1822年)に愛洲陰流剣術の皆伝を受けた。文政8年(1825年)には父の後を受けて柳河藩剣槍術師範となり、天保3年(1832年)暮れには聞次役として江戸へ。その翌年にかけて江戸で試合を行っている。このときに試合をした相手は定かではないが男谷精一郎との試合は有名である。天保10年(1839年)には再び江戸に出て試合を行っているが、この時、水野忠邦の前で試合を行い忠邦から褒美の品を与えられている。
大石進種次以降の伝系は以下のとおりである。
 大石七太夫藤原種次(初代) 大石進種昌(二代) 大石雪江(三代) 坂井真澄(四代) 大石一(五代) 大石英一(六代) 森本邦生(七代)
「大石神影流剣術」の特質は以下の三点であると考える。
1.突技、胴切を得意とすること。
2.形を行う際に相手との「繋がり」を重視すること。
3.無駄な力を用いない。腕(かいな)力でなく丹田の力を用いること。
1は大石進種次が祖父大石種芳から「愛洲陰流剣術」の指導を受けた当初、その防具は突技、胴切に耐えうるようなものではなかったため実際に試すことが難しかったと思われる。そこで大石進種次は防具の改良を行うことにより他流では会得することが難しかった突技と胴切を稽古しやすくすることにより得意技とすることが出来たのではと推測される。
「大石神影流剣術」に伝わる手数(大石神影流剣術では「形」を「手数」と呼ぶ)は以下のとおりである。
試合口(5本) 陽之表(10本) 陽之裏(10本) 三学円之太刀(9本)
鑓合(2本) 長刀合(2本) 棒合(3本) 鞘ノ内(5本) 二刀(5本)
天狗抄(10本) 小太刀(5本) 神傳載相(13本)
上記の内太字で下線を付した鑓合、長刀合、棒合、鞘ノ内の手数は相手が槍を用いたり、こちらが棒や長刀を用いたり、居合で対処する形であり、刀に対処することのみを考えていない。また、突技、胴切は手数の中に特に多く表現されているということはなく、手数の中では突技にいつでも入れる体勢を重んじており、「大石神影流剣術」に独特の「附け」という構えに表現されている。
2は形を行う際に手順を追うのではなく、相手との繋がりを重視するということである。もちろん、初めは形の手順を覚えるのが先であるが、覚えた後は形を行う際手順のことは忘れて相手と心を繋げることに徹するのである。これは身法でなく、心法を高めるための稽古である。こうした心法の稽古なしには「大石神影流剣術」の手数を真に理解することは難しいであろう。「大石神影流剣術」の手数にはそれぞれその手数のテーマというべきものがあるが、この心法を最も重視しているのが「陽之裏」ではないかと私は考える。「陽之裏」にはどういった意味があるのか理解するのが難しい形(4本目「張身」7本目「位」)があるが心法の稽古だということが分かれば非常に高度な形であることが理解できるのである。
3は刀を扱う際に腕(かいな)力を使わず「(下)丹田」の力を用いることである。これは「大石神影流剣術」の身法において最も重要な部分であり、その要訣は「半身」になることである。言葉にすれば簡単なことのように思えるが実際に行うのは中々難しい。特に剣道の経験があった私は正面を向いてしまう癖が無意識に出てしまっていた。なんとか「半身」を理解できたのは稽古を始めてもうすぐ一年が経過する頃であった。その理解の助けになったのが森本先生から伺った大石英一先生の「大石神影流の構えはがに股です」「大石神影流の動きは鍬を振る動きと似ている」という二つの言葉であった。
「半身」を取り、そけい部を緩めることが出来てはじめて「丹田」の力を使う準備が整うのである。

 次に「無双神伝英信流抜刀兵法」について記したい。
「無双神伝英神流抜刀兵法」の流祖は戦国時代末期の林崎甚助重信である。林崎甚輔は居合の始祖であり、林崎甚助より多くの居合流派が生まれた。
 第九代林六太夫守政により「大森流」が取り入れられ、片膝立ちの座法の英 信流の前に正座法の大森流の稽古をすることになり、「無双神伝英信流抜刀兵法」の稽古体系が確立された。また、林六太夫守政により「無双神伝英神流抜刀兵法」は土佐国に根付き、以降土佐居合とも言われるようになった。
 林崎甚助重信以降の伝系は以下のとおりである。
 林崎甚助重信(初代)、田宮平兵衛業正(二代)、長野無楽入道僅露斎(三代)、百々軍兵衛光重(四代)、蟻川正左衛門宗読(五代)、萬野団右衛門信貞(六代)、長谷川主悦之助英信(七代)、荒井兵作信定(荒井清哲)(八代)、林六太夫守政(九代)、林安太夫(十代)、大黒元右衛門清勝(十一代)、松吉八左衛門久盛(十二代)、山川久蔵幸雅(十三代)、下村茂一、坪内清助長順(十四代)、細川義昌(嶋村善馬)、嶋村右馬允(丞)義郷(十五代)、植田平太郎竹生(十六代)、尾形郷一貫心(十七代)、梅本三男貫正(十八代)、森本邦生貫汪(十九代)
 「無双神伝英信流抜刀兵法」の特質は以下の3点であると考える。
 (以下特質部分については三段受験の際の論文「居合いの歴史における無双神伝英信流抜刀兵法の歴史とその特質について」から引用)
1.無理無駄のない動きであること。
2.太刀打ち、詰合、大小詰、大小立詰が伝承されていること。
3.形(かたち)を作ることをせず、内面を重視すること。
1は無駄な力を使わないこと。特に手足等の末端の力を使わず丹田からの力を伝えることにより全ての動きを行うことで、加齢により筋力が衰えることがあっても武道としての動きは衰えない。江戸時代の武士は年を取ったからといって現在のスポーツ選手のように引退することはなく、戦う準備をし続ける必要があった。このため生の筋力に頼った動きに価値が見出されなかったのであろうと思われる。
2は所謂、素抜き抜刀術だけでなく、剣術技法である太刀打、居合と剣術の中間的技法である詰合、柔術的技法である大小詰、大小立詰を体系に含んでいること。大森流、英信流表、英信流奥は所謂、素抜き抜刀術であり、相手を想定し一人で修練を行うものである。一般の人が居合と聞いて思い浮かべるのがおそらくこの部分であろう。利点は相手を想定し、一人で行うために自身の動きを内省的に把握することが比較的容易なため、自身の動きを修正し、高めていくことができることである。問題点は相手を想定するといっても自身の都合の良い想定になってしまいがちであり、独りよがりな動きに陥る危険性があることである。太刀打、詰合を行うことにより、素抜き抜刀術の想定が正しいか、実在の相手からのプレッシャーを掛けられた状態でも正しく動くことが出来ているかを確かめることが出来る。また、柔術的技法である大小詰、大小立詰を行うことにより、居合(素抜き抜刀術)が正しい身法で行われているか確認することができる。大小詰、大小立詰の身法は居合(素抜き抜刀術)と同じであり、大小詰、大小立詰で力に頼らず技をかけることができていれば、居合(素抜き抜刀術)も力に頼らずに動くことができているといえるのである。
3は居合いを学ぶ場合、どのように学ぶかということである。例えば指導者の動きを倣う際に形を真似するのか、内面の動きを真似するのかということである。形を真似るのは容易であるため、得てして形のみをトレース方向に行ってしまいがちである。しかし、指導者と自分は異なる体格、個性を持っているため形を真似るのみでは自分に合った動きになることはないのである。ではどうすればよいのか?外面に表れた形でなく、その形に至った身体の内面の動き、もう一歩進めれば、心の動きを真似るのである。身体の内面、まして心の動きを感じることはとても難易度の高いことであるがこの先にこそ、真の上達への至る道があるのである。

 以上、貫汪館で学ぶ古武道三流派の概略とその特質について説明を行った。
「無双神伝英信流抜刀兵法」「渋川一流柔術」「大石神影流剣術」の三流派は伝えられた時代、地域がそれぞれ異なり直接的な関係はない。私の師匠である森本邦生先生が三人の異なる師から受け継いだものである。しかし、偶然ではあるが三流派には本質的な部分での共通点があった。それは大きく分けて2点あると私は考える。
 ひとつは「無駄な力を抜き、丹田を中心に無理なく動くこと」である。腕、脚それぞれで力を出すのではなく、丹田を中心に全身が柔らかく繋がった動きで力を出すのである。
 もうひとつは「心法」を重視するということである。居合(素抜き抜刀術)のような一人稽古の際は自分の心の動きを感じ取り、形稽古では相手の心を感じ取り動く。自分の逸る心を制御する、相手と心を繋いで形を行うということである。
 私が「無双神伝英信流抜刀兵法」を通じて、いや他の二流派を含む貫汪館の武術を通じて必ず教えていかなければならないと考えているのは「身体の無駄な力みをなくし、丹田を中心に全身を繋げて無理なく動く身法」そして「自分の心を感じ取り向き合う、相手の心を感じ取り繋がるといった技術としての心法」である。なぜなら西洋のスポーツ的考え方が入って来て以来(おそらく明治維新以降)日本の武術で失われてきたのが上記二つの点であると考えるからである。断っておきたいのは私はスポーツを否定しているのではないということである。スポーツの考え方(体力増進、娯楽としての楽しみ等)は素晴らしい。しかし、武道の考え方とは相容れないものである。競技スポーツの目的は相手に勝つことである。ルール内であれば勝つためには何をしてもよい(審判に判らなければルール違反をしてもよい?)のである。武道の目的は勝つことではない。綺麗ごとに聞こえるかも知れないが(試合)に勝つことを目的にしては「心法」を会得することはできないのである。
 貫汪館武術に伝わるこの二つの要素を失うことなく伝えていくことが指導する立場の人間として最も大事なことだと思うのである。

【参考文献】
森本邦生:無双神伝英信流の形・・・大森流、英信流 奥
貫汪館ホームページ 無双神伝英信流の歴史、形 渋川一流柔術の歴史、形 大石神影流の歴史、形
森本邦生:中学校武道必修化にあたり、武道のなにを学ぶか―古武道の立場から

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  1. 2018/10/04(木) 21:25:00|
  2. 昇段審査論文

つくろわない

 演武でいくら集中しても、また細心の注意を払っても稽古しただけしか表に出ることはありません。むしろ半分でもできたらよい方です。
 ところが演武を見事にみせようとして、いかにもそれらしく動いてしまうと、素人受けするかもしれませんがみえる方には見抜かれてしまうものです。稽古しただけのことしかできないのですから素直にやってきたことを演武する方がはるかに質の高い演武ができます。

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  1. 2019/07/14(日) 21:25:00|
  2. 昇段審査論文

渋川一流柔術初段審査論文

澁川一流柔術の初段審査論文を紹介します。

「武道における礼と澁川一流柔術における礼法について」
                           貫汪館北大阪支部 ○○○○

1 はじめに
 礼という概念を歴史的に振り返ると、その言葉自体が儒教に由来するものであることは自明であるし、心の修行という点で密教や禅などの仏教の影響や神道的な要素もみられるように、はるか以前から思想や宗教と密接に結びついて日本文化の中に存在してきた。しかし、相互の敬意や感謝といった相手に対しての礼、自らを律するための自己修養の礼、神前への礼や開祖への礼など対戦相手や自分自身を超えた修行の空間そのものに対する礼が日本的な礼として明確に意識されたのは、室町時代から戦国時代を経て江戸時代になって、武士による社会統治のシステムに礼が組み込まれ、礼に関する理解・解釈が深まり社会一般に定着した頃からではないかといわれている。(中村勇、濱田初幸『柔道の礼法と武道の国際化に関する考察』10頁 鹿屋体育大学学術研究紀要第36号 2007年)
  近年、柔道や空手のように、オリンピック競技や世界選手権などの大会が開催され、メディアを通じて世界に向けて発信され、参加する選手も国際色豊かになり、世界標準のメジャーなものになる日本の武道も多くなってきている。そのこと自体は武道の発展という意味で喜ばしいことだと思うが、一方で、ルールを決めた試合での勝敗により優劣を決めるスポーツ競技化が進むということでもある。日本で生まれ住んできた我々は、ともすれば何となく分かった気になりがちであるが、例えば日本と全く異なる文化圏の人々に対して武道における礼の概念をどのように理解してもらうのかといったことも現実的な問題として起きてくる。いや我々は本当に分かっているのか、仮に分かっているとしてもそれを知らない人に説明できるのか、現代に生きる我々は、武道を稽古する者として礼に関する理解を改めて自ら問い直していく営みが必要不可欠となっていると思う。
 本稿では、私が渋川一流柔術にどのように向き合っていくのかという点を念頭に、標題について考えるところを述べたい。

2 武道における礼
日本人の精神構造を広く欧米に紹介した新渡戸稲造は、その著『武士道』の中で、「礼とは、社会秩序を保つために人が守るべき生活規範の総称であり、儀式、作法、制度等を含むものである。また礼は、儒教において最も重要な道徳理念として説かれ、相手に対して敬虔な気持ちで接するという謙譲の要素がある。他人の安楽を気遣う考え深い感情の体現化であり、形だけの礼を虚礼とし、真の礼と区別しなければならない。」(新渡戸稲造「武士道」三笠書房1997年p55-64)と述べている。儀式や作法だけ繕っていても相手に伝わることはない。また、たとえ「礼の精神」を内面に持ち合わせていても、それを適切に体現できなければ相手に伝わることはない。「礼の精神」と「礼を表現する作法たる礼法」の両方が備わって初めて礼を体現できるということである。
  日本武道協議会が制定した『武道憲章』の前文に「武道は、心技一如の教えに則り、礼を修め、技を磨き、身体を鍛え、心胆を錬る修業道・鍛錬道として洗練され発展してきた」とあるように、礼を修めることは、武道を稽古する者にとって技や身体能力を高めることに先んじて求められている。武道が単なるエゴイズムの産物となったり、暴力のための技術に堕することへの戒めということだと思う。
 それでは澁川一流柔術では、どのように捉えられているのか、以下、具体の事例を挙げていく。

3 澁川一流柔術の礼法
  貫汪館では、礼の意義と稽古する者の心得について次のように述べている。

…武道は人との関係において成り立ちます。「和」がない武道は暴力に過ぎません。相手との「和」を保たせる基本が礼です。神を畏怖し敬う心がなければ「神拝」は形だけのものにすぎません。神を畏怖し敬う心があれば神前において無作法な振る舞いをすることはありません。たとえ、その場における作法を知らなくても不敬な動きにはならず神との関係は保たれます。稽古も同じです。相手をたんに稽古の対象と考えていては見えるものも見えてきません。見えるものが見えてないのは「我」中心で、和は存在しないからです。見えるものが見えないというのは、相手も自分も、またその手数・形を工夫された流祖や、それを伝えてこられた代々の師範の心も見えていないということです。また、師に対する畏怖の念や尊敬の念がなければ、見えるものも見えてきません。話されたことも聞こえず、示されたことも見えません。…(道標「礼」2014/12/15)

…手数・形稽古も機をうかがって打ち突きするのは初心の段階であり、相手と心と心でつながっていれば打つとも突くとも思わずに、自然に自分の体と心がしかるべき時にしかるべきところへ入っていきます。理論を頭に入れてその通りに動こうとするのとは異なりますし、ましてや機をうかがうのとも異なります。相手と心と心でつながる(つながろうと思わなくてもつながる)方法は稽古の時にお伝えしてあります。疎かにしなければやがて理解できる時がやってきて、そのときに私たちが稽古しているのが何なのかということが分かります。…(道標「心と心をつなぐ稽古」2018/02/09)

  それでは、どのような実際にどのような動きであるのか、澁川一流柔術で初めに稽古する形のグループ「履形」の礼法は次のとおりである。
 礼法の動きとしては、①互いに蹲踞して、前に両拳を着き、礼をする、②互いに立ち上がる、③受が右手で突いてくるので、捕は後方に下がりつつ左手でその手首を下から取り、そのまま背を向けさせる、④捕は、右手のひらでポンと相手の右肩を軽くたたき、その後両手で相手の腰を押し放つ、⑤向き直った受とその場に片膝を付いた捕の双方が胸の高さに両手を位置させ、気合とともに水平に両手を広げる、というものである。
  この①②の動きにおいては、臍下丹田から息を吐きながら引力の方向へ身体を沈め、立つときには臍下丹田に息を吸い込みながら静かに動くことが大切とされ、呼吸に合わせた不用意に力を用いない動きが求められる。また両拳を着く際にも、両拳を着くという意識があると上半身中心に動いてしまい臍下丹田中心の動きではなくなってしまうので、臍下中心に回転した結果として両拳が床に着いたという動きを稽古する必要がある。(道標「履形の礼式」2016/07/30より)
 ③④の動きにおいては、後方に下がる時に床を前脚で蹴ることなく、鼠蹊部(股関節)の力みをぐらぐらになった様に感じるまで、つまり極限まで抜くことにより重心を後方に下げることによって下がる。相手の手を取ったり押す際には相手を腕力で操作せず、自分の体を用いて操作することを学ぶことになる。また、相手の肩をポンと軽く叩くのは「もうするなよ。」と言うことであり、そのあとの間で相手の体の声を聴かなければならない。ポンと叩いたのにもかかわらず、相手はまだ反撃しようとするのか、あるいは素直に従おうとするのか、それがわかる為の間であり、ただ焦って早く押し放したり、気を抜いてしまったりしては全く稽古にはならない。それぞれの動きは重力を意識し臍下丹田を中心に行うこととし、指先、さらにその先へと「気」の流れを意識すべきである。それは、身体に力みがないか、指先まで自分の身体として感じられているか、ということと一体である。(道標「礼式(初心者のために)1」2016/03/04より)

 …澁川一流柔術において礼式は動きを練るうえで非常に大切な稽古です。相手を押し返したのち、受と捕の双方が胸の高さに両手を位置させますが、両手の位置が高すぎると上半身中心の動きになりがちで、低すぎると天地が通らなくなる傾向があります。両手指先は澁川一流でいう檀中に正しく位置させなければなりません。檀中は胸に手をあてて心の奥底で思索する時や、神仏に手を合わせるときなど一番心が落ち着く位置です。礼式の時両手の指先の位置が檀中より下がってしまうと心が虚になってしまいますし、高くなってしまうと臍下を中心とした体が虚になってしまいます。両手の指先はどこでもよいということは無いのです。…(道標「礼式1」2016/05/07)
 
…初心の内に、これを単なる儀式と考え、手順をしっかり確実にという事に主眼を置いて稽古してしまえば、後々の自分自身の稽古はそのレベルを基準にしてしか進みませんので、上達は困難を極めます。自分で初心に戻って礼法から稽古しなおさなければならないのですが、人の心はそう素直ではなく、手順を覚え、体に染みついたものを再度壊してやり直すことほど難しいものはありません。神に礼をする、刀に礼をする、師に礼をする、互いに礼をするのは礼の心が大切であり心なくして礼の形を作ってしまえばそれは礼ではありません。目的のない動きなのですから、それ以後いくら形を稽古したところで形のみを求めてしまう癖からは逃れることはありません。…(道標「礼法」2012/09/04)

このように、修行する場全体に対する礼、相手に対する礼、自らを省みる礼に加えて、和、繋がりを意識することが、古武道の稽古を進める上で不可欠とされている。また、澁川一流柔術の礼式は、鼠蹊部を緩めた肚からの動き、相手の手を取ったり押したりする際の力を用いない無理無駄のない動き、相手とのつながり、和を重視する動きなど、柔術に求められる動きそのものである。
形を追い求めるという姿勢が上達を阻害するとの同様に、礼を形式だと考えて疎かにしてしまうと形の上達どころか、稽古自体が前に進まない。礼法は、具体的な稽古にかかる第一関門であり上達するために不可欠なものであると、貫汪館においては、再三にわたり様々な表現を通じて我々に警鐘を鳴らしている。これは、進むべき道を違えやすいからこそのことだろう。このように、技術と徳目とに分かれるものではなく、礼法として表現される徳目は技術と表裏一体に歩むことが真の上達への道であるということであり、澁川一流柔術における礼法の意図するところであると私は思う。

4 おわりに
  いざ実際に稽古を始めると、少なくとも私は身体が鎮まらないまま中身の伴わない稽古になっていることに気ばかり焦り身体がついていかないなど、身体の使い方や心の置き方一つ一つについてこれを実践することの難しさに直面してしまう。そうであればこそ稽古の序章であり、稽古を通じて体得する流派の動きの総括とも言える礼法に立ち返っての稽古が重要になると考えている。虚心坦懐に師に範を仰ぎ、今後とも稽古の道を歩んでいきたい。



≪参考文献≫
1)魚住孝至「武道の歴史とその精神」国際武道大学付属武道・スポーツ科学研究所編集『武道論集』第1集 2008年
2)末次美樹「武道における礼の教育的価値」駒澤大学総合教育研究部紀要第3号 2008
3)中村勇、濱田初幸『柔道の礼法と武道の国際化に関する考察』鹿屋体育大学学術研究紀要第36号 2007年
4)新渡戸稲造「武士道」三笠書房1997年


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  1. 2020/02/02(日) 21:25:00|
  2. 昇段審査論文

無雙神傳英信流抜刀兵法二段論文

無雙神傳英信流抜刀兵法二段の論文を紹介します。

「これまで修行上留意してきたこと、今後留意しなければならないことについて」
                             貫汪館北大阪支部 ○○○○

1 はじめに
無雙神傳英信流抜刀兵法は、天文十一年(1542年)生まれの林崎甚助重信を流派の祖として、土佐藩に伝承されてきた居合である。貫汪館では、膂力に頼ることなく、刀と身体との一体感、相手との繋がりを重視し、肚からの無理無駄のない動きを求めており、稽古においては礼を尊重することによる人格の陶冶を最優先に置いている。私は、四十を超えてからの入門であるが、体力が衰えても人生を通じて稽古を積み重ねていけるような武道と出会うことができたのは本当に幸運だったと思っている。
修行即ち終わりなき行を修め(続け)るということについて、貫汪館の講習会や支部での定例稽古での教えを基に、私自身、無雙神傳英信流抜刀兵法にどのように向き合い、どのような点に留意して稽古しているのか、今後の展望と併せて述べることとしたい。

2 大森流から
  無雙神傳英信流抜刀兵法は、大森流、太刀打之事、英信流表、詰合、大小詰、大小立詰、英信流奥と稽古の段階に応じて形が進んでいくことになっており、初心者は、礼法や座り方、立ち方、歩き方、刀の扱い方などの基本を学んだうえで大森流から稽古を始める。大森流は、冒頭の礼法に続く11本のうち10本までが正座姿勢からの形である。一本目の初発刀から、座り方、抜きつけ、振りかぶりからの斬撃、納刀、立ち方と基本的なエッセンスを一通り稽古することができるようになっている。と同時に、礼法を稽古に先立つものとして意識をすることが必要で、その身体的な動きを通じて、心の在り方との連関を意識することで常に深化していくことが必要とされている。
立礼を例に言うと、身体から無駄な力みを抜いて足首、膝、鼠蹊部を緩めて立った状態から礼をすると、身体は自然にバランスを保とうとするため、上体が前傾するにつれて、足首、膝、鼠蹊部はさらに緩み臀部は中心線から後方に位置するようになる。これは正座から抜きつける際の臀部の動きと同じである。座礼ではどうか。上体の前傾とともに左手、右手と順に前に手を着いていく際の、左手の着いていく動きは鞘手の動きと同じ、遅れて出る右手は柄手の動きと同じである。また帯刀の前段階で刀を前に立てる動きは、身体をただすのに役立つ動き、身体に無理無駄なく肩ひじも下方に降りている、右手で刀が立つのを支えているだけの状態を知ることで、自分の体のあるべき状態を求めていくことができる。(道標2016/04/29~05/03より)
初発刀に続く左刀、右刀、當刀は、正面、左、右、後ろから斬りかかる敵に抜付けるという想定での初発刀の応用である。
一般的に座った状態から抜きつけようとすれば相手を斬らんとして上へ前へ進むことになりがちであるが、これらの抜付けは沈むことにより行われ、腰の角度は半向半開の状態のまま、上半身の力が抜けていくことによって抜付けがなされる。これが無雙神傳英信流抜刀兵法で伝えられている敵に対して間に合う動き、技術である。我々稽古する者にとっては素早く力強く抜こうとする既存の発想の転換と共に、身体の動かし方や心の在り方を根本的に見直さなければならず、これらの稽古を通じて抜付けの質を高めていく必要がある。
大森流では、當刀に続いて、陰陽進退、流刀、順刀、逆刀、勢中刀と、各形では正座姿勢から抜きつけが始まり立姿勢へ移行するが、後の形になるにしたがって立姿勢になるのが早くなり、次の虎乱刀では立姿勢から形が始まる。この展開は、立っていようが座っていようが同じ身体の運用であるということ、立姿勢は座姿勢の状態のまま立つということを身に着けさせるということと伝えられている。
我々は一般に足腰を使って動いたりバランスを保持したりするのが常であり、座ったまま抜きつけたり動くのには不自由さを感じるものである。その制約の中で自由に動くことを稽古するとともに、立ち姿勢での稽古においては、抜き付け、斬撃と上半身に力が入り、脚力を用いて身体を安定させようという既存の発想、無雙神傳英信流抜刀兵法で説くところの無理無駄をなくすことを意識しなくてはならない。

3 太刀打之事から
太刀打之事は、ほとんどの形が剣術の業で構成されている二人で組んで行う形であり、鞘木刀を用いて稽古する。既に刀を抜いた状態にある敵が、自由に斬りかかって来る状況の中で、刀が鞘に納まった状態から対応しなければならない。如何に無理無駄を廃し、何物にもとらわれない融通無碍の自由な状態になるかという課題が与えられている(道標2006/10/16より)。
しかし、稽古相手を前にした時の様々な心理状態を振り返ると、相手に迷惑をかけてはいけない、上手くこなしたい等の我執に如何に囚われていることか。人に刀を振り下ろすという行為自体、稽古のためとはいえ緊張を伴うものである。貫汪館では、こうした心理の葛藤を克服するために、立木を敵と想定してひたすら心を鎮めて袈裟に斬り込む独り稽古により心と身体を整えることを薦めている。
太刀打之事の形は、出合、附入に始まり、独妙剣、絶妙剣、心妙剣、打込で終わる一連の形の稽古を通じて、剣術の動きを知り剣術に対抗できる力を身に着けることを一つの目的としているという。また剣術の動きを通じて居合の体の遣い方を深める稽古とするものである。素抜き抜刀術でありがちと言っていいのかどうか、所謂タメを作っていては間に合わないこと、足腰を固め構えていては隙ができて斬られてしまうということ、相手に対して正対を続ける事に意味は無いことなど居合の動きを向上させるヒントが込められており、剣術形であるが居合の質を向上させる形として工夫が必要である。
私は、独り稽古においては、ともすれば自分の世界に没頭、埋没しがちである。それが相手を立てた場合、力みや焦りが呼吸や姿勢の乱れにつながりがちになる。平常心を保つことがいかに難しいか、これは私が対人稽古の際にいつも直面する課題である。常に変化する間合いの把握、居着かない動き、そして稽古相手との攻防を通じた心身のコントロールと意識の繋がり、これらを肚からの動きで体現することなど、課題を自らに課して貴重な稽古の機会として捉えている。

4 これまで留意してきたこと
(1)形稽古について
…初心者の方が陥りやすいことに、なにがなんでも形の手順を覚えようということがあります。覚えられない事を劣ったことのように考えられることもあるようです。その結果、もっとも大切な無理無駄のない動き、呼吸に基づき力みがない動きを忘れて、体に力を込めて手順を繰り返すという悪癖を身につけそうになってしまいます。初心者の方は手順を覚えようとする必要はなく、大切な基礎を身につける努力を重ね、稽古を重ねた結果として自然に手順を覚えたという方法を取らなければなりません。…(道標 2019/5/29)

古武道における形稽古をどのように捉えるのかについては、「すべての形稽古は毎回新たなもの、いわば手順はあってないようなものである。前後左右上下いずれへも変化できる動きを内包するべきものであり、動いて動かず、止まって止まらず、すべての形は異なっていてかつ同じものである。」(道標2017/06/24より)というのに尽きると思う。形は流派の動きを体現するものなので、反復により身体に刷り込ませる必要はあるのだろうが、その意図するところは一つのパターンを刷り込ませるということではなく、自由自在にあるべき境地に至る一つの筋道として稽古するということなのだろう。この点、師の範を通じて我々は常に方向を間違えていないか確認しなければならず、道標においても師の稽古での指導においても、あるべき道について様々な方便を用いて諭されているところであり、難しいことであるがよくよく心に期しておくべきである。

(2)独り稽古について
居合は仮想敵を置く独りで行う形が多い。しかし、武術が敵に対する業である以上、独り稽古というのは対人稽古を補完するための稽古というのが元々の姿ではないかと思う。私の場合、稽古環境の事情から独り稽古が多かったということもあり、講習会や支部稽古で指導を受けた内容を糧に、自分の身体の遣い方、相手との間や間合い、精神的な意味での心のつながりをどう体得すればよいのか大いに試行錯誤し、指導されたことを反芻して自分なりに工夫しようと、一つの形を何度も稽古するということをよくやった。恥を晒すようだが、その結果、身体のあちこちを順番に痛めてしまったのも事実である。後に「形の順番というものは非常によく体系立てられ、まんべんなく正しく稽古することによって自然に上達するように組み立てられている。流派の形は教習体系として組み立てられているものであり、どの形にも偏るべきではない」「できないなりに試行錯誤しながら稽古を先に進めることで基本技の理解に立ち返ることもある、寧ろそのように出来ている」との教えを知ることとなり、随分と遠廻りしてしまったなと思ったものである。実際、大森流の初発刀の抜き付けの要領が何とも理解できなかったのが、英信流表の稲妻の抜き付けの手の内の感覚から改めて感じることがあり、このことかと私なりに一歩前に進めたかなと実感したことがある。若くない無理の利かない身体であるからこそ、正しい導きの下で稽古することが効果的で効率的だということだろう。
因みに、貫汪館で求められている境地は、「居合が武術である以上、起こりを見せてはいけない。無雙神傳英信流の抜付けは敵の殺気を感じてこちらから先に抜付けるといったものではなく、敵が自分に斬りこもうとするので抜きつける。柄を取って、あるいは柄に手を掛けて抜付けるという意識や動きがあってはこの働きはできない。見方を変えて言うならば腰にある刀は体と別物ではなく、抜こうとする前からすでに体と一体である故に柄手に変化は起こらない。」というものという。動きの起こりを察知させないということは、単に物理的な速さを追求するというだけでなく、むしろ動きを見せないことが敵に対する速さになるという技術を自ら追求するということであろうか。否、究極的にそれは「運剣は地の力の伝達により、我の力を排して天の意思の下で行うものであり、天地人の一致を求める」境地だという。求めるべき先は果てしなく遠いという他ない。

(3)日常生活での稽古について
道場での稽古は限られた機会でしかなく、日常生活での稽古を意識して行うかがどれほど重要かということは、勉強やスポーツの例を出すまでもない。例えば、「歩く」ということについては、「重心は常に両足の真ん中に置き特に大腿筋が緊張しないようにしながら股関節は緩め、膝から下にも力を入れず、足先が自分の膝を追い越さない状態を続ける。常に体の中心を中心にあらせているだけだが、これができなければ抜付けは本物にならず、運剱・斬撃は隙だらけになってしまう」。
「斬撃」ということについては、「斬撃の稽古は一般的なスポーツの素振りとは異なり、強さ、鋭さ、筋力の強化などといったものを求めているのではなく、自分自身の歩みの歪に気付き、それを自身で正せるようになる事、刀を上げ下げする時に臍下中心の動きから肩あるいは腕中心になっていないかということに気付き、それを自身で正せるようになる事を目的としている。ただむやみに速く動こうとか速く刀を振ろうとしてはならないのは、自分の体を感じる事が出来ないからであり、自分自身の体の状態が分からなければ正す事も出来ない」という。
刀を持ち出さずとも、何かを動かしたり、手にしたり、歩いたり、座ったり、日常生活のあらゆる局面で、身体の働きをどこまで意識できるかということだと思う。

3 これからの展望
(1)歴史や伝統、先人から学ぶということ
現代武道(スポーツ)では、現役の選手が競技から引退して指導者に専念するということが当たり前のように行われる。しかし、かつての武士は、隠居して家督を譲るとしても、例えば出家でもしない限り刀を持つことから引退するということはなかった。武術は、体格や性別、老化による体力の低下といった生理的な格差を補完する技術であるわけで、かつて江戸時代の武士たちが修練した武術は力に頼らないことを理想としたという。

…稽古を始めたばかりの頃は、未だ何も会得していないのにもかかわらず、前回の自分の稽古を基準にそれをしっかりしたものにしていこうとすることがあります。初めての稽古は右も左もわからず、素直であろうとしますのでわからないながらにうまくできます。次の稽古、その次の稽古では前回できた(と思った)ことをよりしっかりさせたいという心が生まれる時があります。それは間違いの始まりで、毎回初心にもどって新たな稽古をすることで見えなかったことがよりはっきりと見えるようになり進むべき道が見えるのだと考えなければなりません。
少し上達してくると、与えられたことを工夫するのではなく、自己流でこうしたほうがより良いと思う心が生まれる時があります。できない時にそうなりがちですが、それを自分で工夫と思ってしまい、工夫したからできるようになったと勘違いしてしまう時があります。実は与えられたことを工夫した結果できるようになったわけではなく、自分がしたいようにしているだけなので実際は道をそれています。…(道標2019/04/19)

こと武道においてもスポーツ全盛の現代に生きる我々としては、力ではなく業と心で戦う方法を稽古により復元していく必要があり、筋力のあるものはその筋力を用いることを否定されて稽古が始まる。この筋力に頼らずに動く事一つでも相当難しい。身体の遣い方、考え方を一から再構築しなくてはならない。
自身の稽古する古武道の長い伝統と継承の重みをよくよく噛みしめるということだと思う。稽古の積み上げに潜む陥穽に陥ることのないよう、稽古による工夫のつもりが独りよがりの理解にならないよう虚心坦懐を心しなくてはならない。

(2)三流併修のこと
居合を武道として稽古する以上、例えば剣術に対抗できるほどの力を身につけなければ意味がない。剣術に対抗しようと思えば剣術の動きを知らなくてはならず、それは逆も然りで、居合にも柔術にも当てはまる。

…貫汪館の居合、柔術、剣術は本質がすべて同じであるため、無雙神傳英信流抜刀兵法、澁川一流柔術、大石神影流剣術と三流派を稽古しても異なったものを三つ習うのだという意識は全く必要ありません。たとえば古い流派が居合、柔術、剣術さらには槍術や長刀までも同一流派の中で稽古されているのとかわらないと思います。
貫汪館で稽古されている方は三つの流派が別物と思わず、同質のものを違う角度から稽古しているのだと理解して上達してください。どの流派を稽古していても三つの流派は同時に上達していきます。…(道標2019/07/07)

貫汪館の三流派は動きの根本は共通しているということなので、どれかで身に付けたことは他の稽古にも活きてくるはずであり、それぞれの流派を通して多角的な見方を養うことが出来るのは貫汪館の稽古体系の特徴の一つと言える。
根本の考え方が共通しているとはいえ、無雙神傳英信流抜刀兵法の形の中にも、剣術的、柔術的な形があり、大石神影流剣術の手数の中にも居合的なものがあり、澁川一流柔術の中にも、居合的なものや剣術に対抗する形があり、それぞれの流派特有の考え方があるのだろうが、それぞれの流派に共通する目指すべき境地に向けて歩んでいくということが、相乗効果という意味でも肝要だということだと思う。

4 おわりに
  幕末の土佐藩士に片岡健吉(1844~1903)という人物がいる。彼の「文武修行日記」によると、安政4年(1857)に寺田忠次に入門し大石神影流剣術を学び、安政5年に下村茂市に入門し長谷川流居合(無雙神傳英信流抜刀兵法)を学ぶなど、貫汪館の古武道を併修されている。
その彼は下村茂市から高木流柔術を併修しており「體術道標」という柔術を学ぶ初心者への心得を遺している。高木流柔術がどのような柔術だったのか今では分からないということであるが、この心得で示されている内容は、まさに私がこの小論で与えられた主題とも通底する。

〇力みをなくして身体全体を柔らかく、身体の内から出る力が端々に行き渡ることが重要であるので、初心のうちは大きな業を(堂々とゆとりを持って無理無駄なく無理な速さを求めず、正しく)稽古すべきこと
〇業がかからないことを恥ずかしく思ったり、教えられた業が間違っているとして、自分の作為を加えれば、業は進まないこと
〇稽古の時は、相手は常に敵と心得て、間違った仕掛けがあったとしても業を途中で中断しないこと
〇稽古では相手の体が動く拍子に気を取られてはならず、相手の気に応じるようにすべきこと
〇敵に勝つことを急がず、負けまいとして自分の身を守り、残心を大切にし敵に隙を作らないこと 

など、いずれも身に覚えのあることばかりである。
「體術道標」の最後は、「武芸は理屈ではなく、ただ日夜稽古を積めば上達するものではなく、業に理論を重ねて修行すれば事理一致の修行といえること」という文章で締められる。私は、「合理的」に追求することで技術は進化し得ると思っているので現代武道を貶めるものでは決してないが、修行を通じて力ではなく年齢・体格・筋力等の違いに左右されることのない技術と心を求め続けていく営為に大きく共感する。そこには、自分と向き合うことによる自己陶冶、何より流派の稽古を通じて歴史や伝統的価値に触れ、先人の遺産を次代へ継承することの喜び、自己達成感があるからである。
よくよく心して稽古していきたい。



≪参考文献≫
1) 森本邦生:
「無雙神傳英信流の研究(1)」
広島県立廿日市西高等学校研究紀要第11号 平成15年3月23日
2) 森本邦生:
 「無雙神傳英信流の形・・・英信流表、太刀打、詰合」
広島県立廿日市西高等学校研究紀要第12号 平成16年3月31日
3) 森本邦生:
 「無雙神傳英信流の形・・・大森流、英信流奥」
広島県立廿日市西高等学校研究紀要第13号 平成17年3月31日
4) 森本邦生:
 「土佐藩 片岡健吉の稽古記録について-安政5年の『文武修行日記』を中心に-」
平成26年度日本武道学会中四国支部会発表抄録 平成26年12月20日

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  1. 2020/02/03(月) 21:25:00|
  2. 昇段審査論文

大石神影流剣術三段論文

大石神影流剣術三段論文


「剣術の歴史における大石神影流剣術の歴史とその特質について述べなさい。」
                              貫汪館北大阪支部 ○○○○

1 はじめに
今日につながる武道の原型が形成されたのは、15世紀後期から16世紀にかけて生まれた流派武術においてであるという。15世紀後期、剣術では飯篠長威斎の天真正伝神道流、愛洲移香斎の陰流、念流を継いだ中条長英の中条流など後の剣術の源流となる流派が現われている。16世紀になると、それらを受け継ぎ、剣術では塚原卜伝の新当流、上泉伊勢守秀綱の新陰流、伊藤一刀斎の一刀流など、さまざまな流派が展開している。
戦国時代が終焉を迎え、徳川幕府の時代となるのが17世紀初頭。剣術関連でいえば柳生宗矩の『兵法家伝書』(1632)や宮本武蔵の『五輪書』(1645)が書かれたのは江戸時代の初期にあたる。17世紀後半には、幕藩体制が定着し、武術においては実戦の可能性はほぼない時代となる。
18世紀からは、経済発展の中で町人・豪農の社会的な立場の上昇が見られ、社会全体が大きく変動していく中で、徳川吉宗、松平定信、水野忠邦により享保(1716~45)、寛政(1787~93)、天保(1841~43)の幕府の三大改革がなされるが、その際に質素倹約、尚武の気風が奨励され、その度に武術の復興が図られた(「武道の歴史とその精神 概説」魚住孝至 国際武道大学附属武道スポーツ科学研究所 2008年7月10~16pほか)。
大石神影流剣術が創始されたのは江戸時代後期である。現在、大石家に伝わる文書で散逸したものが多く、また当時の稽古道具は残っていないことから大石神影流の成立過程の詳細は不明のことが多いということである(参考文献(1)1p)が、先行研究の成果をたどりつつ、大石神影流剣術の果たしてきた役割や歴史的価値とは何か、そして我々が生きる現代において稽古する意義をどう考えているかについて述べてみたい。

2 大石神影流剣術の創流の経緯
大石神影流剣術の創始者である大石進種次は、寛政9年(1797)、九州は柳河藩の三池郡宮部村に生まれ、幼少のころより祖父の大石種芳から愛洲陰流剣術と大嶋流槍術の指導を受け、文政3年(1820)には大嶋流槍術、文政5年に愛洲陰流剣術の皆伝を受けている。柳河藩に愛洲陰流剣術と大嶋流槍術を伝えたのは豊後岡藩浪人の村上一刀長寛であり、大石種芳は彼からこれらの免許を得ている。大石家に伝わった愛洲陰流剣術の形名は不明であるが、門人の残した伝書から推定するに新陰流の形もあるが柳生新陰流とは異なる、より実践的なものであったとされる。
文政8年には父の後を受けて柳河藩剣槍師範となり、天保3年(1832)、聞次役として江戸へ出立し翌年にかけて江戸で他流試合を行っている。また天保10年、再び江戸へ出て試合し、水野忠邦より引き立てを受けている。
愛洲陰流剣術と大嶋流槍術を修めた大石進種次が、いつ頃、大石神影流剣術を創始したのかについてであるが、伝書を比較したところ、天保5年には愛洲神陰流と記載されたものであったのが、天保8年には形名の変化があり天保13年、14年のものは現在の形名と変わらないということが分かる。したがって、体系が整理されたのは8年から13年の間、大石神影流を称したのは8年ころと推定されている(参考文献(1)2p)。
江戸を席捲した大石進種次の剣術が当時の人々に驚かれる特徴を持っていたということなので、私は、てっきり大石神影流剣術の遣い手として他流試合に臨んだと思っていたのだが、最初の江戸での活躍のときには、愛洲陰流剣術と大嶋流槍術の師範という看板であって、未だ自らの流派を大石神影流剣術と称していなかったということになる。
愛洲陰流剣術は、大石神影流剣術の伝系の最初に愛洲移香斎が据えられているように陰流の流祖名を冠した剣術であり、普通に考えて大石家以外にも伝承されていたのだろうが、愛洲陰流剣術の他の伝系を知る者からすれば江戸で披露された大石進種次の愛洲陰流剣術は吃驚だったろうと思う。いや当流の免許皆伝を得ている者がどう工夫を加えるのか、それは千利休の守破離ではないがオリジナリティとして普通に受け止められたのだろうか。
さて、大石神影流剣術を創始したきっかけについてであるが、免許皆伝の際に授与される伝書の一つである「大石神影流剣術陰の巻」によれば、初め愛洲陰流剣術の竹の面と袋撓で行う仕合方法を学んだが、文化10年(1813)ころ、刀の切っ先を活かさない、胴を斬ろうとしないことに疑問を持ち、突き技と胴切りを取り入れ、それに対応できるよう愛洲陰流の袋撓と防具を改良したということである(参考文献(5)3p)。当時の剣術の諸流派は、刀法としてはともかく、少なくとも竹刀での試合稽古の範疇では、突き技や胴切り技をあまり想定していなかったということらしい。そもそも突き技は防具を着用しても危ない技であるとか、逆に竹刀がその衝撃に耐えられないので暗黙の裡に使われていなかったりとかするのを、大石進種次は、それではせっかく試合をするのに実践的ではないと考えて、むしろ竹刀と防具の改良を進めたということなのだろう。それと並行して、これらを特徴づけるような形(以下、大石神影流剣術の形を「手数」という。)を初めとする剣術探究の集大成として大石神影流剣術を創始したのだと思う。もしそうならば、大石進種次という人物は、とても合理的な考え方をする実践的な人だと思う。

3 手数からみた特徴の例
(1)突きと附けの構え
今日に伝わる大石神影流剣術における突き技については、最初に稽古する試合口の五本からして一心、無明一刀、須剣と三本に採用されている。また、突きの構えとして、左手を柄頭に添えた附けの構えが多くの手数に取り入れられている。手数において附けから実際に突きに移行することはないが、何時でも突きに入ることができるという前提で、手数の攻防が構成されている。「附けの構えからの突き技が手数には表されていないのは、それが当然のことだからであり、附けは、こちらが主導権を持つための構えである(道標2015/7/14より)」とされている。

(2)張りと受け
  張りと受けは二つでセットになった動きである。「実際に張るときはごく小さな動きで張り、身体のわずかな落下を用いる(道標2015/7/15より)」「刀の鎬で張るのだが、全身が連動して下からの力が呼吸に乗って鎬に伝わってくるように張る。体のどこにも無駄な力が入っていてはいけない(道標2014/11/5より)」とされる。これも試合口の三本に採用されており、附けの構えと同様、続く陽の表や陽の裏でも出てくる特徴的な動きだと思う。

(3)阳剱と阴剱
  阳剱と阴剱は、試合口に続いて稽古する陽の表の一本目、二本目の手数である。

…阳剱、阴剱は大石神影流の極意を教える手数です。阳剱で相手の木刀に意識を取られて、自分の動きが正しく出なければ大石神影流は身に付きません。阴剱で相手の動きに意図的に合わせて動いているようでは(こう来たから、こう動くという動きでは)大石神影流は身に付きません。…(道標2015/7/6)

  阳剣は、「打ち太刀の動きに乗って勝つ手数。先に打太刀が動きを起こすがそれは仕太刀に攻められ動きを起こさざるを得ない状態であるからであり、その打太刀の起こりに対して、上段から攻める仕太刀が打ちこむ(道標2015/9/4より)」のであり、阴剱は、「打ち太刀に応じて勝つ手数。ただし車の構えからどのようにも斬り込めるのが前提であり、打ち太刀がどのように動いても仕太刀は相手と調和が保てていなければならない(道標2015/9/5より)」とされる。
初心の段階で稽古する手数であるが、このように大石神影流剣術における相手との攻防の考え方が陽と陰という手数に凝縮されているという。稽古を重ね、極意であるという意味をよくよく探究していきたいと思う。

4 歴史的価値について
(1) 形稽古と試合稽古
新陰流系統の流派は、流祖である上泉信綱が考案した袋撓を用いて試合稽古をしていた。袋撓を用いない流派は、木刀による怪我もあり、面や手袋など怪我を防ぐ工夫をしたところもある。稽古方法の変遷については、宝暦年間(1751-1764)に、一刀流の中西忠蔵子武が鉄面、竹具足を用いた竹刀打ち込み稽古法を採用したことが旧来の一刀流と対立したというエピソードが知られているように、竹刀打ち込みによる試合稽古を採用するかどうかは流派の分岐点になり、組太刀や木刀による形稽古から、むしろ竹刀による打ち込み稽古が盛んになっていったという(参考文献(5)3p)。
大石家に伝えられた愛洲陰流では簡素な防具と袋撓を用いていたことが、大石神影流剣術陰之巻に記載されている。形稽古だけでなく、簡素な防具を用いて袋撓で自由に打ち合う稽古方法が存在していたということである。手数の稽古については、「私が形を稽古するのは、力士が下稽古を積んで土俵に上がるのと同じである。撃剣(防具をつけて竹刀で打ち合う剣術の形式)の技法は千差万別であるといってもその極意にいたっては形の外に出るものではなく形の変化とみるべき。したがって形を熟練して態度を調えれば、撃剣もおのずと上達するものである」という趣旨を語ったという記録がある(参考文献(2)9p)。この点、現代においても、大石神影流剣術では「防具着用稽古をせずに大石神影流剣術を名乗ることはできない。確かに大石進は手数を大切にしたが、それは試合稽古の基礎基本であったからで、大石神陰流が大石神陰流であったのは防具を着用して竹刀を用いて自在に攻防ができたからである。手数の稽古で養った動きが防具を着用したうえでもできなくてはならない。(道標2013/10/21より)」とされ、手数の稽古と試合稽古が相互に補完し高めあうという考え方が今に伝わっている。
翻って現代、(スポーツ化した)剣道と(形稽古中心の)古武道である剣術が相互に孤立したまま併存しているという状況を鑑みるに、真に実践的な剣術とは何かを志向する際、一つのヒントが内包されているのではないかと感じる。

(2) 竹刀や防具の改良
大石進種次については長竹刀が有名である。大石神影流剣術では竹刀の長さは各人の乳通りの高さまでとされ、身長七尺と言われた種次は五尺三寸の竹刀を用いた。これほどの長さであれば、従来の袋撓では撓み(たわみ)が大きくなってしまうので、先革、中結を竹刀につけて弦で引っ張り、反りが落ちないようにしたという。天保期の初めに撓まない四つ割り竹刀が使用されていたという指摘もあるが、弦で引っ張る現代の竹刀の形は大石進種次の工夫ではないかとされている。
また、大石進種次に試合で敗北した剣士の談として、「(大石進種次は)槍術用の面を改良したものを使用しており面金の山形が高いので突いても滑り、こちらの面金は低く突きが止まる。(彼の)面垂は幅が狭く当たりにくいのに、こちらの面垂は大きく突きが止まる。こちらの竹刀は半分あまりの長さに過ぎない。道具と方法の違いで負けた」というものがある。
現代の剣道とは勝敗の考え方が異なるというが、当時の防具をつけた試合の様子が伺えるとともに、剣術そのものの修行とともに道具の改良に余念のない大石進種次の合理的な考え方が垣間見える。

(3)他流派との交流
江戸時代後期は、従来の閉ざされた諸藩の流派の時代から、諸流派の試合によって開かれた時代へと移っていった時代である。しかし地域によって温度差があったようで、西日本では、文化(1804-1818)末の他流試合の記録がある一方で、関東地方の諸藩の剣術師範家で他流試合を認めていたところはほとんどなかったという(参考文献(5)2p)。
  試合によって大きな怪我を負い再起不能になっては、名誉が傷つき怨恨沙汰にもなり双方にとってメリットはないのは明らかである。つまり、この他流試合を可能にしたのは、防具をつけて竹刀で打ち合う剣術の形式である撃剣という共通基盤があってこそであった。この他流試合というのは、大体18世紀末から、撃剣流派の者が地方を回って始めたとされている。寛政年間には九州地方の諸藩において廻国修行者を受け入れる素地があり、近世初期までに成立した古流と言われる流派も試合をしていたという記録が残っている。
他方、関東地方では、文化文政(1804-1830)のころまでは廻国修行者を受け入れて他流試合を行う多くは村落部に集中しており、関東地方の農村では、剣術の心得のあるものに屋敷などを提供して道場を開かせ、そこで近隣の若者が剣術の稽古をしていたという図式があった。こうして村落部では試合の形式をとる撃剣が活発になる。因みに、そのような村落部に勢力を持って門人の拡大に成功した流派が直心影流、中西派一刀流、神道無念流などであり、江戸でも隆盛を誇るようになったという。
江戸の町道場では多くの庶民がつめかけ、なかには免許皆伝を受ける者も少なくなかったようである。このような傾向は武士階級としては由々しきことであり、天保10年(1839年)、天保14年、文化2年、慶応3年(1867年)など、幕府は再三にわたり武士以外の階級が武芸の稽古を禁止する布告を出している。何度も禁令が出るというのは、それだけ剣術を稽古する庶民が多かったという証拠にほかならない(「剣術修行の旅日記 佐賀藩・葉隠武士の『諸国廻歴日録』を読む」永井義男 朝日新聞出版2013年8月 第1刷34p)。
柳河藩では、18世紀中ごろには藩の剣術師範が他流試合に参加している記録が残っている。大石進種次と種昌の門人を記載した諸国門人姓名録によると、ほとんど武士階級であり、関東と様相を異にするが、試合剣術が18世紀後期には普通に展開されていた柳河藩の槍剣師範で育った大石進種次は、実践的な剣術の工夫を追求する環境にも恵まれていたということだろう。ちなみに、大石進種次は文政5年ころ、ちょうど江戸に出る前に九州を廻国修行している。
江戸の流派への大石進種次の影響については、天保7年(1836)に柳河藩の笠間恭尚が江戸で記した「他流試合口並門対」に、剣術等の試合口(試合における技術的特徴)について略述する下りがあり、そこから大石進種次の活躍以降、江戸で突き技が広まっていった様子が読み取れる。江戸の剣術で主導的な役割を果たした男谷精一郎がもろ手突き、片手突きを取り入れたということも書かれてある。
大石神影流剣術の門人を記録した諸国門人姓名録によると、種次と種昌の直接の門人は650余名で、主に九州、中国、四国地方出身者であり、柳河藩252名、大石進が指導に通った隣藩の三池藩79名のほか人数が多いのは長州萩藩43名、土州藩60名、佐賀藩武雄領17名、日向飫肥(おび)藩14名、肥前小城(おぎ)藩13名などが挙げられる(参考文献(1)5p)。これらの門人のうち嘉永7年(1854)正月までに種次によって免許皆伝を受けた者が49名おり、皆伝者の出身地でいえば、ざっと10名を超えるのは長州藩、5名前後が肥前小城藩、土州藩、日州飫肥藩が挙げられる。一方、地元の柳川藩、三池藩は2名づつに限られている(参考文献(5)8p)。地元の柳川、三池は門人数の割には少ないというところ、想像に過ぎないが、意識と技量の高い廻国修行者には積極的に皆伝を認める一方で、地元の修行者には辛めの審判であったのだろうか。
遠方からの留学者の目的については大きく二つに分かれるようで、一つ目は防具着用の試合法を習得する目的である。長州藩の剣術師範の稽古目的はこれだったとされ、進んだ稽古方法を持ち帰り、自らの流派の稽古にも応用しようというものである(参考文献(7)1p)。二つ目は、大石神影流剣術の全てを習得する目的であり、廻国修行の記録を残している樋口真吉はこのパターンらしく、初めから大石家の下で修行することが目的で廻国修行を始めたわけではないようではあるが、何度も柳河藩に滞在してみっちり修行している。ちなみに樋口真吉は、文化12年(1815)土佐藩出身で元々無外流を修行していたが、形で突きを教えているのに実際には使うことを許されない、下段の構えを伝えているのに下段を禁じる、他流試合を認めないなどといった旧来の稽古法の墨守に反発し、その道場を破門になったという人物である(参考文献(2)2~3p)。その人物が、柳河藩の大石家を訪れ、伸び伸びと修行にいそしむ。まさに、当時の様相が垣間見えるエピソードだと思う。
他流派との交流には、様々な流派を参考にしてより進化できるという側面もあれば、試合稽古で有利な技術を中心に収斂していくということや試合のルールや使用する道具の制約を受けるといった側面もあり、メリットとデメリットはあるだろう。また試合稽古の隆盛により多くの門人が殺到した道場では、一子相伝のような訳にはいかず、稽古方法も自ずと変化せざるを得ない。しかし、なぜ大石進種次が江戸で活躍できたのかということを考えるとき、愛洲陰流剣術と大嶋流槍術の師範という確固たる軸を持ちつつ、他流派との交流も開かれたマインドで活発に行い、大胆な改革も辞さないということが大きなポイントだったのではないかと思う。後の剣術・剣道に与えた影響については、まだまだ発掘・顕彰される余地が大きいのではないか。

(4)明治維新への影響
  上述の土佐藩は安政2年に他流試合を解禁することになる。その立役者は、柳河藩の大石進の門人であった樋口真吉、甚内の兄弟である。「大石神影流は四つ割りの長竹刀で下段を使う。土佐藩の二大流派は小栗流と無外流であるが、いずれも他流試合を嫌い、袋撓で上段を使う。ところが、吉田東洋が寺田忠次について大石神影流の稽古を始めたので、吉田門下や後藤象二郎なども大石神影流の稽古を始めたため、他流試合を行う勢力が大きくなった」という記録が残っている。
また後に、嘉永4年(1851)、津藩江戸屋敷の藤堂邸で大石進種昌、男谷精一郎、千葉栄次郎、斎藤新太郎、桃井左右一郎、島田虎之助らが集まり試合をした際に、大石進種昌が好成績を残したことから、その後土佐藩で指導することになる(参考文献(4) 5p)。そのとき、土佐藩の重鎮であった吉田東洋や後藤象二郎は、大石進種昌から直接指導を受けている(参考文献(3)2p)。吉田東洋は土佐藩の志士に暗殺された人物であるので守旧派かとイメージされる向きもあるが、和漢洋の学があった開明な人物で、大石進種昌が土佐を去るにあたり、大石神影流剣術を西洋科学に喩え、科学が進歩するように剣術も進歩しているとたたえる序を漢文で記したという。
もともと西国には徳川幕府の外様藩が多いが、大石進種次らの門人に長州、土佐、肥前といった、後の明治維新で活躍した藩の出身者が名を連ねているのが目につく。幕末の動乱期は江戸時代より前と同じように実践的な剣術が必要な時代であった。試合稽古による交流を通じて進取の気風を好む人的ネットワークが広がっていき、やがては維新の原動力の一つになったといえば言い過ぎだろうか。

4 おわりに
明治維新の廃刀令や武士階級の没落、風俗習慣の西洋化、特に戦後の近代化などの荒波の中、幕末に存在した武道の多くが現代では廃絶してしまった。大石神影流剣術の今日的意義とは何かと考える際に、途中で途切れてしまい伝書から復元した流派や出所が歴史的に明確に分からない流派もあると聞く中で、客観的な歴史的資料から跡付けることができる系譜が創始から現代まで連綿と続いている数少ない古武道であるということは、まず認識しておく必要があると思う。
そんな現代に生きる我々が大石神影流剣術の稽古を通じて学ぶことができること、それは、私にとっては古武道の修行という心と身体をつなぐ稽古そのものであるとともに、歴史的存在としての古武道の命脈に触れ、師範に師事することを通じて伝統の継承という営為に関わる喜びを感じることでもある。更には、廻国修行という訳ではないが、志を同じくする諸士との出会いの楽しみというのも挙げられるかもしれない。
いずれにせよ、初心を忘れずよくよく稽古していかなくてはならない。



≪参考文献≫
(1)「大石神影流『諸国門人姓名録』について」
 森本邦生 日本武道学会第40回大会発表抄録 2007年8月30日
(2)「樋口真吉 第一回廻国修行日記について -大石神影流の土佐への伝播-」
 森本邦生 日本武道学会第42回大会発表抄録 2009年8月24日
(3)「土佐藩 片岡健吉の稽古記録について-安政5年の『文武修行日記』を中心に-」
 森本邦生 平成26年度日本武道学会中四国支部会発表抄録 2014年12月20日
(4)「嘉永4年の藤堂邸における剣術試合の様相について」
 森本邦生 日本武道学会第48回大会発表抄録 2015年9月9日
(5)「大石神影流の門人分布について」
 森本邦生 平成28年度日本武道学会中四国支部会発表抄録 2016年12月25日
(6)「幕末期の柳河藩・大石進に関する研究-日本剣術史への影響を中心に-」
 森本邦生 放送大学大学院文化科学研究科 修士論文 2016年12月(特に脚注を記していない部分にかかる多くは本書を参考としている)
(7)「長州藩 渡部直八の廻国修行について」
 森本邦生 平成29年度日本武道学会中四国支部会発表抄録 2017年12月23日

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