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無双神伝英信流 大石神影流 渋川一流 ・・・ 道標(みちしるべ)

無雙神傳英信流抜刀兵法、大石神影流剣術、澁川一流柔術を貫汪館で稽古する人のために

貫心流「糸引きの伝」

昨日、初心者の方と太刀打の稽古をしていて、久々に「糸引きの伝」という言葉を思い出しました。
 無双神伝英信流の太刀打の稽古では形としての手順はきまっていますが、稽古の目的は自由に動けるようになることですので、「相手がこうくるからこう」「相手がこう応じるからこう」と形を遣って数を重ねていたのでは、その形が見事に見えるようになるかもしれませんが、相手の自由な動きに自由に対応するのは難しくなってしまいます。
 手順以上に大切なことは、相手の心、相手の動きに、隙間無く、遅延無く、弛み無く、無心の状態で自然に応じることです。言葉で理解していただくことは難しいと思いますが、昨日の稽古では貫心流の「糸引きの伝」という言葉を中心に説明することによって、初心者の方もこの状態の理解ができたようです。
 貫心流については、第34回日本武道学会で「広島藩の貫心流に関する研究―その伝系と伝書について―」として調査研究したところを発表していますので、興味のある方はそれをお読みいただければと思います。貫心流の概略を以下にのべます。

「貫心流の流祖は安芸国甲立庄五龍城主宍戸元家の三男である宍戸家俊司箭である。宍戸司箭は由利刑部正俊より源義経以来の家伝の法を伝えられ、その芸は神業となった。さらに、司箭は薙刀の徳を考え、直鑓・カギヤリ・十文字鑓・卍ノ法を発明し、これを河野大蔵に伝えた。元亀元年(1570)四月四日、司箭は空中に飛行し京都愛宕山を住処としたという。
 貫心流は宍戸家俊司箭から伊予の河野家の一族、河野大藏通昭に伝えられ、後、築山(河野改姓)通護が広島藩に仕えることによって広島に再度もたらされた。以後築山家によって広島にその伝統は続いた。江戸後期、阿波国の貫心流師範であった細六郎義知は貫心流剣術の正伝を求めるため阿波から廣島に移り、築山嘉平通欽のもとで修行、相伝を受けた。広島藩の剣術は明治元年(1869)に貫心流に限られた。幕末の師範は細六郎致義であった。
細六郎義知の奉納額が現在も宮島の千畳閣に掲げられている。
築山家の墓は清岸寺にあったが、現在は鈴張楽土霊園の無縁墓地にあり、細家の墓は禅昌寺にある。」

貫心流は築山五郎太夫通有のときその弟子であった鉄柱無端によって阿波国、徳島にもたらされています。無双神伝英信流の師 梅本三男貫正先生の師である尾形郷一貫心先生は貫心流の免許皆伝でもあったので梅本先生にも「糸引きの伝」という言葉を用いて説明しておられます。
「糸引きの伝」とは相手の目、相手の剣、相手の心と自分の目、自分の剣、自分の心の間に糸が張られているかのようにつながれている事を言い、かつその糸は糸電話の糸が相手の声を伝えるように弛み無く張られています。しかもそれは物質的な糸ではないので、相手の心の動きや体の微細な動きもそのままこちらに伝わってきます。そのような状態にあるとき相手のなそうとすることは自分にそのまま伝わるので、形は手順ではなく生きた自由な動きを生み出す形となります。
 無双神伝英信流には「糸引きの伝」という言葉はありませんが、形を稽古するには太刀打、詰合、大小詰、大小立詰は勿論の事、現実の相手がいない仮想の敵に向かって抜き付ける居合の稽古であっても、上述した心を忘れてはいけません。また、これは渋川一流柔術の形稽古でも同じ事です。
くれぐれも生きた形の稽古を心掛けてください。

 
  1. 2007/03/27(火) 20:57:52|
  2. 居合 総論

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Author:貫汪館館長(無雙神傳英信流 大石神影流 澁川一流)
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