無双神伝英信流 大石神影流 渋川一流 ・・・ 道標(みちしるべ)

無雙神傳英信流抜刀兵法、大石神影流剣術、澁川一流柔術を貫汪館で稽古する人のために

武道のスポーツ化

 前回は無双神伝英信流抜刀兵法の師 梅本三男貫正先生の短剣術のお話を、前々回は渋川一流柔術の師 畝重實嗣昭先生の銃剣術のお話を書きました。
 今回は銃剣道・短剣道から見た武道のスポーツ化ということについて考えてみたいと思います。
 私自身が初めて銃剣道の手ほどきを受けたのは中学生の頃、戦時中は大日本帝国海軍軍人で、戦後は陸上自衛隊官であった父からでした。その時は銃剣はこのように使うものという教えしか受けませんでしたので、本格的に稽古を始めたのは大学卒業後、奈良にある航空自衛隊幹部候補生学校に入ってからのことになります。したがって銃剣道と関わってもう20年以上経ちますし、短剣道を始めたのは自衛隊退職後、旧軍人の方や退職自衛官の方と稽古するようになってからですが、もう20年近く短剣道と関わっていることになります。段位も自然にあがり、銃剣道も短剣道も七段を頂いています。この20数年の間に銃剣道は大きくスポーツ化していきました。
 銃剣道はもともと銃槍とも呼ばれ、明治維新前後、各藩で、続いて陸軍で、まず、槍術の技法を応用して戦場での白兵戦用の武技として訓練されました。ついでフランス式の銃剣術が取り入れられましたが、日本人になじまず、再度、槍術等の理を用いて日本式の銃剣術が作られました。
 戦場の白兵戦用の武技ですので、第二次世界大戦の終了までは簡単にスポーツ化することはなく推移しています。
 私がはじめて銃剣道を本格的に習ったのは航空自衛隊幹部候補生学校でしたが、正課の銃剣道の訓練の時間だけでなく課外のクラブ活動でも銃剣道を選択していましたので、稽古時間だけは確保することができました。
 その頃の銃剣道は既に床尾板打撃は禁じられていましたが、しっかりと刺突部位である左胸部(心臓)または喉を突かなければ有効とされず、心臓に剣が届かないような突きはたとえ防具を突いていても「軽い」とされていました。「一本」となる突きは、突き技の特性から、突かれた者の体が衝撃で後傾するような突きであり、前に出ようとしたときに突かれた場合は、身動きができなくなるような突きでした。しかし、銃剣道競技として国体の種目になっていた銃剣道の自衛隊以外への普及を図ろうとする全日本銃剣道連盟の「やって楽しい、見て楽しい・・・・・・。」という方針からどんどんスポーツ化され、防具を突いただけの、心臓に達しない、以前は「軽い」とされて「一本」とならなかった突きが「一本」となるようになり、体全体で突いていたものが、木銃が軽くすばやく、小刻みに動くように体全体で突くのではなく下半身と同時に木銃は前に出てはいるものの、上半身、肩から先で軽く早く突く動きに変わってっていきました。したがって木銃の先に重さはまったく無いような突きが主流となっていきました。特に銃剣道を盛んに行う陸上自衛隊での銃剣道の変化は早かったようで、航空自衛隊に居た私が退職後初めて陸上自衛隊の銃剣道を見たときには「これが同じ銃剣道?」と感じるくらいに変化していました。
 もっとも私が大学生の頃に父から「今の銃剣道は自分が海軍に居た頃の銃剣道とは全く違う、あれでは役に立たない。剣道と同じで、白兵戦では使えない。」と聞いていましたので、陸上自衛隊での銃剣道の競技化・スポーツ化はそれほど銃剣道をしない航空自衛隊での競技化・スポーツ化よりも早かったのかもしれません。
 「一本」となる突きの基準が変化すれば、「一本」をとるための最適な動きも変化するのは当然のなりゆきで、これは「剣居一体」の項でも書きましたが、現代剣道の試合が日本剣道形の動きとは全く異なっていることと共通します。
 一方、短剣術は大正時代に銃を持たぬ砲兵の白兵戦用の武技として対銃剣用に始められたもので、試合は銃剣に対して短剣で行われるというものでした。私が短剣道を始めた頃も、その形が踏襲されていて、自衛官以外の銃剣道の団体戦では一名が短剣で出場しなくてはならず、私は日本武道館で行われる全日本銃剣道優勝大会の一般第一部(都道府県連盟)の試合に何度か短剣で出場し、また中四国大会にも短剣で出場しました。その頃は短剣は銃剣の突きを制しながら半身で入身し体を転じて相手の腕を制し刺突するという動きが行われていましたので、一瞬で勝敗がきまるため、無駄な動きはできず一瞬も気を抜くことはありませんでした。
 ところが、短剣道も銃剣道と同じくスポーツとして一般に普及させようとする全日本銃剣道連盟の方針から急速にスポーツ化が図られることになりました。危険な銃剣対短剣の試合はなくなり、短剣対短剣の試合のみとなり、面部への打ちも振冠りを要さず、まるで剣道の打ちと同じになってしまいます。もともと白兵戦用の武技ですので、鉄鉢をかぶっている敵にはよほどの打撃力が無ければ頭上への打突は有効ではありませんが、まるで片手で行う剣道のように遠間から飛び込んで、短剣の竹刀で手首のスナップだけで面を打てば「一本」となるようになり、突きも剣道の打ちと同じように遠間から飛び込んで胴や喉を突くようになってしまい、相手の体に貫通する刺突は必要とされないために、より早く遠くから飛び込んで防具を打ち突くための体使いとなり半身が基本の短剣の試合が飛び込みやすいようにほぼ正対して行われるようになってしまいました。

 このように競技として武道が行われるとき「一本」の基準が実際の武器を用いるときの有効な動きとかけ離れてしまうとそれは簡単にスポーツとなってしまいます。
 我々も渋川一流の稽古において危険な技を制限した上での意治稽古を行っていますが、あらゆる攻撃を相手から受ける可能性があるとした上で、稽古しなければ、それはルールのもとでのスポーツとなってしまいます。
 また、無双神伝英信流の稽古で、たとえ懐剣や袋竹刀を用いて稽古しても、剣を基準とした用い方をせず、ただ単に当てることのみにこだわった場合にはたんなるスポーツの競技となってしまうことを心しなければなりません。
 


  1. 2007/03/21(水) 18:02:05|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

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