無双神伝英信流 渋川一流 ・・・ 道標(みちしるべ)

無雙神傳英信流抜刀兵法と澁川一流柔術を貫汪館で稽古する人のために

国民皆兵の下地

 歴史の教科書などでは明治になって徴兵制がしかれると、武士でなかった階層の人々は随分これに抵抗したように記されていますが、地域差があったのではないかと感じています。
 徴兵制に抵抗があったのは江戸時代には身分制度があったために農民は武器を持って戦う必要がなかったにもかかわらず、明治になって徴兵制がしかれ、武士でなくても命をかけて戦わなくてはならなくなったからとも説明されていますが、はたして実態はどうであったのでしょうか。
 江戸時代後期には、広く武士以外の身分のものに武術が修練されるようになりました。藩によってはこれを禁止したりしていますが、禁止するということ事態、看過できないくらい後半に行われるようになっていたということです。広島藩でも、城下に寄宿して武術を学ぶものは一度、各村に帰って後許可を得て学ぶようにという指示が出ていますが、はたしてどの程度守られていたものかわかりません。いずれにしても裕福な農家のものが城下で武術を学び、免許をえた後、農村で指導を行い、それほど豊ではない農民の間にも武術が広まるようになっていきます。この背景には農村地帯では自分たち自身を守るのは自分達しか居ないという自衛の意識があったようです。
 これと同じように自衛の意識から商人にも武術が行われるようになっています。徳島県剣道連盟の剣道史編纂委員の坂本先生によれば藍の商人には剣術を修めたものが多く居たということです。また、山口県の柳井市は商業の町ですが、この商家にも武術を修めたものが居ました。廿日市市の世保流の河内次郎もまた商人でした。
 このように武士階級以外にも武術は広く行われるようになっていたのですが、これに目をつけ各藩では地域の治安維持のために農兵を組織しました。農兵には階級があり、軍隊組織として機能するようになっていました。広島藩では長州征伐のとき農兵が動員されましたが、治安維持のためと思っていた農兵には随分これを避けたい思いを持っていたものもいたようです。
 いずれにしても、全てではありませんが、明治維新以前にすでに兵となることを体験したものもかなりの数いたわけですので、徴兵にさほど抵抗のなかった者も居たのではないかと思います。
 数年前に調査した安佐北区の渋川流を伝えた農家の古文書には、徴兵のときに政府から出された文章とともに、その家が系図をたどればもともとは武士であったのだという古文書も出てきました。
 在村武術や農兵についてはもっと調査を進めたいのですが、生きるために一日の大半は働きもせねばならず、道場にはでなければなりません。研究が職業になればよいのですが、世の中そう上手くはいきません。



10月26日(日)に貫汪館居合道講習会を実施いたします。今回の講習会のテーマは「奥居合・・・とらわれない動きのために」です。貫汪館ホームページ(←クリックしてください)の無双神伝英信流の稽古のページを御覧下さい。公開して行う講習会ですので、流派、団体を問わずどなたでもご参加ください。 

  福岡県久留米市での無双神伝英信流抜刀兵法の稽古は毎週水曜日の夜、荘島体育館剣道場での稽古です。午後7時位からの稽古ですので興味のある方は直接、荘島体育館剣道場をお訪ねください。  
 また10月18日(土)6時から9時まで、19日(日)は終日、久留米市での指導稽古会を行います。興味のある方は貫汪館ホームページ(←クリックしてください)の無双神伝英信流の稽古のページ に記してある連絡先へご連絡ください
 

  1. 2008/10/07(火) 20:48:44|
  2. 居合・柔術総論

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