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無双神伝英信流 大石神影流 渋川一流 ・・・ 道標(みちしるべ)

無雙神傳英信流抜刀兵法、大石神影流剣術、澁川一流柔術を貫汪館で稽古する人のために

林六太守正 2

昨日の続きです。同じ『南路志』の巻七十一  八.多芸の人林六太夫と居合劔術 には次のようにあります

「林六太夫守正翁ハ、享保十七年七月七日七軒町ニ而七十歳にて終られし。豊昌君より仕へし侍也。此人ハ、伊勢兵庫直門にて伊勢流の古実に達、無双流の居合ニ妙を得、和術・劔術にも達し、又料理の妙手也。書ハ佐々木文山ニ學。其余音曲をも能し、小技曲藝に器用成人にて、弟子も多し。足達甚三郎の実父也。 甚三郎ハ六太夫の実子、足達茂兵衛の養子と成。和・剱術の達人師匠なり。無雙流の居合ハ柑崎甚助重信より始。柑崎ハ北条五代目に仕へ、此流を以後太閤秀吉公學被成、無雙流と云名を始て御附け被成しと也。其後塙團右衛門に傳り、團右衛門より長谷川内蔵助に傳ふ。夫より近年の兵作に傳へ、兵作は大男つミこぼしにて褊綴(ヘンテツ)を着けると也。権現様以来江戸住居の浪人也。林氏の居合剱術ハ、二代目の勢哲より直傳也。右の柑崎ハ居合の元祖也。其以後段々に流枝出来る也。柑崎ハ上泉伊勢弟子也。上泉ハ鬼一法眼の流の剱術鍛練の由、法蔵院流の鑓も本ハ上泉より初るといふ。右林六太夫の物語也。安太夫は六太夫の養子、安田道玄の弟也。居合剱術の達人也。」

 昨日の記述と似たような内容ですが少し詳しく記されています。ここでは「林氏の居合剱術ハ、二代目の勢哲より直傳也」とあり長谷川英信をの次が荒井兵作としています。「二代目の勢哲より」という表現がすっきりしないのですが長谷川英信を初代、二代を、荒井兵作、この兵作は勢哲と同一人物と考えられていますので、その次、三代目が林六大夫と解釈するのが妥当だと思いますが、文章を素直に読むと、長谷川英信―荒井兵作―荒井勢哲―林六太夫と考えられなくもありません。どうもすっきりしない文章です。
 長谷川英信を初代と考えるのは土佐で長谷川流と呼ばれたことからも理解できると思います。伝書には林崎甚助から記してありますが、これはよくあることです。当時、土佐に伝えられたのは長谷川英信による居合であると考えられていたのではないかと思います。実際他の地方に伝わった、長谷川流の伝書には長谷川英信を中興としてそこから伝系を記しているものもあります。
 「林氏の居合剱術ハ」と記されていますが当時は長谷川流はたんに居合のみの流派とは考えられていませんでした。といっても現在の無雙神傳英信流以上に剣術の方があったわけではなく太刀打・詰合をもって剣術と考えています。他所に伝わった長谷川流の伝書にはそのいわれを記していますので、いつか武道学会で言及したいと思います。
 「法蔵院流」と「法」の字を用いているのは間違いではありません。谷川英信は宝蔵院の文字を法蔵院と変えています。
 林崎甚助(柑崎と記していますが)は北条家に仕えた、また無雙流の名は太閤秀吉がこれを学んで名付けたとありますが史実なのでしょうか?いずれにしても「右林六太夫の物語也」とありますから林六大夫はそのように信じていたのかもしれません。

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  1. 2020/01/31(金) 21:25:00|
  2. 武道史

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