無双神伝英信流 大石神影流 渋川一流 ・・・ 道標(みちしるべ)

無雙神傳英信流抜刀兵法、大石神影流剣術、澁川一流柔術を貫汪館で稽古する人のために

銃剣道

 世の中、銃剣道が学習指導要領に明記されたと大騒ぎですが、まるで、大戦中に「鬼畜米英」と米英の実態を知らずに述べていたのと同じように、銃剣道がどういうものかを知らずに述べているのを見ると日本人の体質は変わらないのだと感じざるを得ません。
 現在自衛隊で必修なのは「徒手格闘」と「銃剣格闘」であり「銃剣道」ではありません。自衛官は銃剣道をする必要はありません。なぜなら、現代の近接戦闘には「銃剣道」は役に立たないからです。「銃剣道」は他の武道と同じように競技として発展したので大昔の銃に着剱した長さの木銃を使いますが、すでにその長さの銃は用いられることもありません。アンティークといってもいいくらいです。
 そのような用具を用い、ルールも競技として厳格なため今の戦闘には「銃剣道」は役立たないのです。
 昨日、広島県銃剣道連盟の総会に理事として出席しましたが、話題は自衛官が銃剣道をしないことです。広島県には陸上自衛隊の第13旅団がありますが、広島県銃剣道連盟の会員は220名です。「銃剣道」は部隊対抗では試合が行われますが、それは一部の銃剣道を趣味として行う人たちが主体となって選手になるからです。したがって、自衛官といっても銃剣道を経験したことはあるが段位を持っていない者が大半です。有段者でなければ連盟の会員ではないので連盟の運営費が入りません。
 広島県には海上自衛隊がありますが、海上自衛隊は基本的に「銃剣道」はしません。
 歴史的に見れば銃剣道の日本における起源は江戸時代に唯一日本と国交があった西洋の國オランダです。長崎の商人であった高島秋帆が西洋列強から日本を守るためにオランダ人に西洋砲術を学び高島流として体系化しました。砲術といっても銃や大砲を打つ術だけではなく銃陣を含む戦術といってもいいと思います。その中に銃剣の使用も含まれていました。秋帆は幕府に『天保上書』を提出し、徳丸ケ原で高島流の演習を行います。そのため、現在徳丸ケ原は高島平と呼ばれるようになりました。
 当時は号令はオランダ語で行われていましたが、秋帆の弟子である江川英龍が中心となって日本語の号令を考案していきます。当然銃剣を用いる号令も日本語となり、私はこの時をもって銃剣道・術(当時は銃鎗ともいいました)の日本化が始まったと考えています。銃剣道は西洋列強から日本を守るために取り入れられ発展していきました。詳しいことは9月に行われる日本武道学会第50回大会で「日本における銃剣道の起源について」という演題で発表しようと考えています。
 私は航空自衛隊に在職していた時に銃剣道4段をいただきましたが、依願退職した後は、広島で旧軍の軍人さんたちに銃剣道の指導を受け教士7段までいただきました。もう20年位前のことになります。銃剣道を経験したことがない方が大半なので旧軍で銃剣道をされ戦後も趣味で銃剣道を行われた方の業がどのようなものであったか想像できないと思います。素人考えではただ殺伐なイメージかと思います。
 今から述べるこの感覚は、武道をしばらく続けたことがない人には、お分かりにならないかと思いますが、旧軍人で戦後も銃剣道を続けられた方の剣(銃剣・木銃)は真っ直ぐで、濁りがなく、限りなく澄んでいました。つまり心に雑念がないのです。私は古武道にその境地を求めていますが、先生方のあの境地に達するのはまだまだ先のことになると思います。現在、銃剣道の全日本選手権で活躍されている方の動きは素早く競技的には高レベルだと思いますが、あの先生方の境地をみることはできません。
 これが実際に銃剣道を稽古した者の銃剣道に対する感想です。
 「銃剣道」うんぬんと騒いでいる方の騒ぎ方は私には、「僧兵は武器を持っていたから現在も僧侶は危険」「一向一揆があったから宗教は危険」「旧軍の日本兵は日本刀で白兵戦をしているから剣道は危険」「空手は各國の軍隊で訓練されるから空手は危険」というに等しく感じられます。

写真は徳丸ケ原での高島秋帆の演習の図
DSC07516a.jpg

次の写真は幕府歩兵訓練を双六にしたものの一部で銃剣の練習
DSC07617a.jpg


 
  1. 2017/04/02(日) 11:55:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

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