無双神伝英信流 大石神影流 渋川一流 ・・・ 道標(みちしるべ)

無雙神傳英信流抜刀兵法、大石神影流剣術、澁川一流柔術を貫汪館で稽古する人のために

『教授館總宰餘業記録』にみる土佐藩の居合について 12

4.田宮流
(1)坪内清助長順
 前述のように田宮流ははじめ山川久蔵門下の増井茂之進,下村茂市,坪内清助の3名によって長谷川流の見分の際に演じられていたが,天保6年(1835)4月に坪内清助取立の者によって行われている。
 坪内清助はのちに傳左衛門と名のるが,天保12年(1841)に父傳次長成の跡目を継ぎ,慶応2年(1866)に亡くなっている。『御侍中先祖書系図牒』の坪内清助の項に居合の事績に関する記述はない20)。
 『教授館總宰餘業記録』には文政11年(1828)8月2日の記述に「足達長十郎 山川久藏 両人召連出ル 坪内清助 右清助儀居合抜形幷和術遣形とも一見之後、手許ニ呼出し、鍔壹枚令取之。数年藝術出精によつて也」とあり,坪内清助が小栗流と長谷川流に長じていたことがわかる。
(2)演じられた形
 前述のように山川久蔵弟子として田宮流が演じられたのは文政13年(1830),天保3年(1832)の2回であるが,形名は記録されていない。次に田宮流が演じられたのは天保6年(1835)であり,この時は坪内清助取立の者によって演じられており形名も記録されている。演じられた形は「表」「立合」「表籠手仕合」「真法釼」「臺籠手」「居場引」である。 
 次に田宮流が演じられるのは天保9年(1826)であるが,この時は坪内清助取立の2名によって「真法釼」だけが演じられている。
(3)新田宮流
 土佐藩に田宮流が伝えられた経緯についてははっきりしないが,天明元年(1781)に生まれ天保4年(1833)に亡くなった新田宮流の松村善蔵茂達があった21)。その墓碑には「君性敦厚有才識而不求知於世文學武技努在古意其少也學真心陰流剣法伴水流剣法新田宮流抜刀法皆救奥」とあり22),新田宮流を修業したことがわかる。
 また,細川家文書に文政13年1月吉日に松村善蔵茂達から坪内清助にあてられた『新田宮流兵法家傳書上』23)『新田宮流兵法家傳書下』24)と天保元年8月15日に松村善蔵茂達から坪内清助にあてられた『新田宮流秘書』25)があることから,『教授館總宰餘業記録』に記された田宮流は水戸の和田平助正勝が創めた新田宮流の事と思われる。松村善蔵の師はこれらの伝書から鈴木三郎兵衛であると思われる。

スライド25b
  1. 2016/09/24(土) 21:25:00|
  2. 武道史

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