無双神伝英信流 大石神影流 渋川一流 ・・・ 道標(みちしるべ)

無雙神傳英信流抜刀兵法、大石神影流剣術、澁川一流柔術を貫汪館で稽古する人のために

『教授館總宰餘業記録』にみる土佐藩の居合について 10

2)大森流
 大森流は細川家文書の『神傳流業手付』18)(天保12年(1841),坪内清助より島村右馬丞宛)に「大森流居合之事」として「此居合と申ハ大森六郎左衛門之流也。英信流此居合格段意味無相違故ニ話而後に守正公翁是を入候。六郎左衛門は守正先生の剣道の師也。真陰流也。上泉伊勢守信綱之古流五本之仕形有と云ふ。或は武蔵守」とあり、その来歴は長谷川流とは異なり土佐に長谷川流をもたらした林六太夫が真陰流剣術の師から習い,これを長谷川流に附け加えたものだということがわかる。
 大森流に関してはその成立過程を語ると思われる『大森流居合術名覚』19)という伝書がある。『大森流居合術名覚』は慶応2年(1866)に下村茂市から嶋村善馬(細川義昌)に出された伝書で,その伝系は以下のように記されている。

上泉武蔵守無楽齊―上泉孫次郎義胤― 一宮左太夫照信―柳生石但宗嚴―柳生但馬守宗雉―柳生十兵衛三嚴―伊藤一刀齊景久―伊藤典膳正忠―大森六郎左衛門正光―林六太夫守正―林安太夫政詡―大黒元右衛門清勝―松吉八左衛門―下村茂市定

 この伝系は一見すると一つの流れのように見え,人名にも誤字が多いが,以下のように考えられる。
  上泉武蔵守信綱―上泉孫次郎義胤―大森六郎左衛門正光
  長野無楽入道槿露斎―上泉孫次郎義胤―大森六郎左衛門正光
  一宮左太夫照信―大森六郎左衛門正光
  柳生石但宗嚴―柳生但馬守宗雉―柳生十兵衛三嚴―大森六郎左衛門正光
  伊藤一刀齊景久―伊藤典膳正忠―大森六郎左衛門正光

 つまり、大森六郎左衛門は,上泉孫次郎に新陰流・無楽流を習い,一宮左太夫照信に一宮流を習い,柳生十兵衛三嚴に柳生新陰流を習い,一刀流の伊藤典膳正忠(小野典膳忠也カ)に一刀流を習った。そのうえで大森流の居合を編み出し,これを教授した。
 大森流は土佐に長谷川流をもたらした林六太夫の頃から長谷川流に取り込まれて稽古されており,大森流だけが独立して教授されたわけではないため,長谷川流の見分の際に大森流も演じられたものと考えられる。
3)田宮流
 田宮流に関しては長谷川流とは別に教授された流派であると考えられる。田宮流の『教授館總宰餘業記録』の初出は文政13年(1830)2月24日で一通り見分した後に「右之通いつれも済而後好申付之輩左のことし」と記され,再覧の際に最後に増井茂之進と下村修(下村茂市)の2名によって演じられている。足達甚三郎が小栗流の見分のあとの再覧で長谷川流を演じたように,田宮流が表芸とはなっていないため山川久蔵門下で田宮流の稽古をする者に演じさせたと考えられる。なお,山川久蔵が田宮流を教授した記録は現在のところ見出すことができない。
 次に田宮流の記述がでてくるのは天保3(1832)年5月で5巡目に下村茂市と坪内清助によって6巡目に坪内清助と増井茂之進によって演じられている。その次に田宮流の演武があるのは天保6年(1835)4月23日であるが,この時には田宮流は表芸となっていたようで「稽古場ニ田宮流居合坪内清助取立之者とも見分可致申付之」と記されている。
 田宮流については4.に再度述べる

スライド19aa
  1. 2016/09/22(木) 21:25:00|
  2. 武道史

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