無双神伝英信流 大石神影流 渋川一流 ・・・ 道標(みちしるべ)

無雙神傳英信流抜刀兵法、大石神影流剣術、澁川一流柔術を貫汪館で稽古する人のために

『教授館總宰餘業記録』にみる土佐藩の居合について 8

(2)林八郎次について
 林八郎次は林家第5代の林益丞誠の二男として寛政11年(1799)に生まれた。兄は林家第6代の林弥内(弥大夫)政敬である。文政12年(1829)に長谷川流居合心掛け厚きをもって3人扶持で馬廻末子に取り立てられ,のちに池田政承と名乗った。天保2年(1831)に33歳でなくなっている13)14)。林八郎次の師は不明である。
(3)谷村亀之丞について
 谷村亀之丞自雄は谷村家第4代谷村自煕の二男として寛政13年(1800)に生まれた。文久2年(1862)に居合導役・馬術導役となり同年に63歳で亡くなっている。師は林弥内(弥大夫)政敬である。
 嫡子林彛吉自修も文久2年(1862)に居合導役となったが同年に亡くなっている15)16)。
2.弟子・取立
『教授館總宰餘業記録』では山川久蔵の門下の人数もしくは名前・演武の内容をあげる場合には「山川久蔵弟子」と記している。
一方,林八郎次の場合には文政11年(1828)4月23日の初出から「林八郎次取立」と記されており,「林八郎次弟子」と記されているのは文政13年(1830)3月23日からの記述で天保2年(1831)に亡くなる前の4月10日の記述まで「林八郎次弟子」となっている。
谷村亀之丞の場合には天保5年(1834)4月10日の初出時には「谷村亀之丞弟子ともを」と記されているが,それ以降,天保11年(1840)10月23日まで「谷村亀之丞取立」と記され同年12月23日の最後の記述で「谷村亀之丞弟子」と記述されている。
「弟子」「取立」の意味するところは『教授館總宰餘業記録』には記されていない。山川久蔵の弟子である坪内清助は天保5年(1834)に島村右馬丞に伝書を発行しており,いわゆる家元制とは異なった制度かと思われる。稽古回数によって褒賞を与える奨励法17)の関係で稽古回数の取りまとめを存命中の師が行っていたことによるものかもしれない。

スライド16a
  1. 2016/09/20(火) 21:25:00|
  2. 武道史

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