無双神伝英信流 大石神影流 渋川一流 ・・・ 道標(みちしるべ)

無雙神傳英信流抜刀兵法、大石神影流剣術、澁川一流柔術を貫汪館で稽古する人のために

『教授館總宰餘業記録』にみる土佐藩の居合について  4

(1)長谷川流について
 「口述」では長谷川流の元根は「奥州林崎初助卜申者」にあるとし,それよりだんだん相伝し「長谷川主税助卜申者江戸ニて導。居合計ニて無御坐、諸芸ニ達し江戸中長谷川流ト人の唱申由。」と記し,長谷川主税助が居合を相伝しただけでなく諸芸に達して江戸で教授していたとしている。さらに長谷川主税助には多くの弟子があったが「荒井兵作と申者諸業達者ニ仕、諸業不残相伝ニて諸人を導申侯よし。」と記し,荒井兵作が長谷川主税之助から相伝された諸芸を教授していたことが記されている。
 『北信濃における無雙直傅流の伝承について−江戸時代村落の武術と『境界性』−』には「滝沢家や松代側の史料では長谷川英信は和の相伝者であり,新しい林崎流系統の居合は小菅(荒井)正継によって加えられたことになる。」4)とあるが,土佐藩では土佐藩に長谷川流が伝えられた時から長谷川主税助は居合の相伝者とされていたことがわかる。
(2)林六太夫の江戸での修行
林六太夫は15歳の時に江戸への供を仰せつかり、江戸で武藝を学んでいる。長谷川流については「其時分六太夫儀兵作弟子ニ相成、居合不己而諸芸執行仕、兵作ゟ伝受請申候由。」と記し,荒井兵作より居合だけでなく諸芸を伝授されたとしている。
林六太夫は享保17年(1732)7月17日に70歳で亡くなっているから5),寛文3年(1663)生まれで江戸に出た15歳の頃は延宝5年 (1677)である。
『北信濃における無雙直傅流の伝承について−江戸時代村落の武術と『境界性』−』には「兵作(荒井兵作,荒井清鉄,荒井勢哲清信,小菅精哲斎正継)はこの頃に80歳ほどであったと記されるのであるから,元和・寛永(1615~1644)の頃の生まれとなる。すると長谷川英信もこれと同時期,あるいはこれ以前の人とみなければならない。」4)と記されており,「口述」の記述はおおむね合致していると考えられる。
(3)林六太夫による土佐藩への伝播
 林六太夫の「其後御国ニて抜合懇望之人エハ稽古為致申由伝承仕候。」とあり,林六太夫は土佐では長谷川流の居合のみを教授したことがわかる。
林六太夫が和を教授しなかった理由は不明であるが,『朝比奈氏家系幷小栗公由緒書』6)には林六太夫は小栗流ヲ教授した朝比奈丹左衛門可長の弟子で中伝を得たと記されている。また『土佐史談第六拾四號』の「朝比奈丹左衛門と小栗流諸藝家」には「林六太夫は既述の如く長谷川流居合の功労者として知名であるが、朝比奈丹左衛門の高弟の一人で、小栗流和術をも傳授した。楠瀬六右衛門貞次はその弟子で皆傳を得たものである。」7)とあり,林六太夫が小栗流和術を教授していたことがわかる。林六太夫は長谷川流の和を教授する必要を感じなかった可能性がある。

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  1. 2016/09/16(金) 21:25:00|
  2. 武道史

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