無双神伝英信流 大石神影流 渋川一流 ・・・ 道標(みちしるべ)

無雙神傳英信流抜刀兵法、大石神影流剣術、澁川一流柔術を貫汪館で稽古する人のために

武道における礼と無雙神傳英信流抜刀兵法における礼法について

 はじめに

 貫汪館に入門してやっと一年半ほど経つ初心者である私は、未だに戸惑うことばかりであるが、その戸惑いが一番顕著だったのは礼法においてであろう。
 入門当初、貫汪館で学ぶ三つの流れである大石神影流剣術、渋川一流柔術、そして無雙神傳英信流抜刀兵法の礼法がそれぞれ違うということにまず驚きを禁じ得なかった。そもそも初めて武道の世界に足を踏み入れたということもあり、見慣れた現代武道の礼法との違いには他の誰よりもことさら驚いたものである。
 それもそのはずで、現代の武道における礼法は安心して楽しめる整備された環境の中で育まれたのに対し、貫汪館での三流派の礼法は実戦から生まれ、またはそれを想定し、不測の事態に備え、さらに身分や場所の差異によって独自の形を成してきたものである。つまりそこには確かな「歴史」が背景として存在する。私自身、礼法の意味とその成り立ちを当初はあまり深く理解していないながらも、それぞれの礼法に含まれる先人たちの知恵と歴史を肌で感じた故の驚きと戸惑いであったと今では理解している。


 武道における礼について

 日本の武道は「礼に始まり礼に終わる」と言われているように、それぞれに礼法がある。剣道、柔道、空手などの現代武道やスポーツ競技において見られる礼が一般的だが、作法の違いこそあれ、相手への尊敬や感謝などの気持ちを形式の上で表現しているという点は共通している。これは社会に秩序をもたらすための道徳的な規範として受け継がれてきた儒教における思想の一つが現れているものである。つまり、日常生活における相手への尊敬の念や感謝などの気持ちを表す動作の延長線上にあり、「礼」の概念が武道という場に端的に表わされたものといえよう。「親しき仲にも礼儀あり」という言葉もあるように、人間関係を円滑にするための潤滑油的な役割をもつ「礼」は、長い歴史の中で一つの教えという枠を飛び越え、武道に取り入れられ、今では人としての在り方を広く問うものとなっている。
 このように、他者への敬いの気持ちを保ち、決して相手の尊厳を奪わないということが武道の礼の基本だと考える。

 次に無雙神傳英信流抜刀兵法の礼法について考察する。
 無雙神傳英信流抜刀兵法の礼法は、大石神影流剣術、渋川一流柔術よりも動作が多いが、手数に惑わされず、その本当の意味を知るためには注意が必要である。一般的な「礼」という言葉に含まれる「敬う」という意味を柱として考えてしまうと、「手数が多いし、正座もするから、きっとこれが最敬礼なやり方なのだろう」と勘違いをしてしまう。そうではない。
 例えば、大石神影流剣術の礼法において片膝だけをついたり刀礼がなかったりするのは、柳川藩で上覧を行う際に屋内の貴賓に対して庭で演武を行ったためという歴史的背景が存在するためであり、決して略式ではない。同じように、無雙神傳英信流抜刀兵法の礼法にもまた何かしらの意味と背景があることを考えなければならない。


 無雙神傳英信流抜刀兵法の礼法について

 無雙神傳英信流抜刀兵法の礼法の大きな流れは、神前の礼、刀礼、帯刀し形を終えた後、ふたたび刀礼、神前の礼と順を追う。次に、普段稽古している中で常々師より注意を受ける点を踏まえながら細かく見ていきたい。

 まずは神前の礼である。
 右手に持った刀を神前に対して鎬が平行になるよう左手を添えながら正面に持ち、刃が地面に向くよう右手を持ちかえ、柄を後ろ向きに右腰脇に落ち着かせる。そして腰を折るのではなく、呼吸に合わせて全身を緩めるよう体を曲げていく。曲げていった体が呼吸と共に戻るのを待って、再び右手に持った刀を神前に対して鎬が平行になるよう左手を添えながら前に持ち、刃が上、柄が前に向くよう右手を持ちかえる。
 続いて刀礼へと移る。
 重力に逆らわず、力まず、柔らかく正座する。この時、刀は右腰脇にあり、地面と平行になっている。正座した時の下へと向かう運動が地面を通して再び自分に戻ってくるのを感じながら、刀の小尻を右斜め前方へと置く。その流れを止めることなく刃を自分の方に向けて、真っ直ぐ正面に音を立てずに置く。右手の指は鍔を押さえ下げ緒を絡めているので、柄が左になるよう右手で刀を置いた時には自然と体の左側に運動が回ってくる。そしてその傾いた力の流れを使い、肚を中心にして左側の栗形から右側の小尻へと下げ緒をぐるりと這わせる。這わせ終わったところで自然と体が起き、右手も太腿へと戻ってくる。
 一連の動きが一旦自分の肚に収まるのをもって、刀に対する座礼へと移る。この時、手を先に出すのではなく、肚を軸に頭を下げるという正座から変化する動作の一環として手が出なければならない。倒れていく体を支えるように左手が前に出、さらに沈んでいく体を支えるように追って右手が前に出る。そして地面へと沈んだ力が再び自分に返ってくるのを受けると、自然と頭が上がり、右手が離れ、順に左手が離れ、体が起きるとほぼ同時に腿上に両手が戻る。
 ここまでの動きを再確認すると、立っていた状態から座るために下方へと垂直運動がおこり、正座して刀を置く動作で円運動へと変わり、今度は前へ倒れていくという回転運動へと変わる。形や方向を変えながらも決して止まることなく、体の中心を感じながら一連の動きの中に全てを収める。
 次に帯刀である。
 自分の肚へと戻って来た運動を再び前への回転に変えながら下げ緒と共に刀を取り正面に立てる。左手を添えながら、刀を少し傾けることで力を使うことなく浮き上がらせ帯へと差し込む。下げ緒を通し、位置を整えた後、一度沈む力を使って蹴ることなく静かにその場に立ち上がる。
 以上が始める時の刀礼の流れである。終わる時の刀礼と神前への礼の手順はこれの逆を行っていく訳だが、始める時と同じく注意深くやるべきである。
 もしこれがただの儀式としての礼法であれば、もっと簡単に書くことができるだろう。
「刃を向けないように立って神前にお辞儀をし、正座して刀を置いてお辞儀して、今度は刀を帯に挿して立ち上がります。終わる時はその逆です」と。
しかし無雙神傳英信流抜刀兵法の礼法は一行あまりで済むようなただの儀式ではなく、形を学んでいく中での基本が詰まっており、それはそのまま「大森流」や他の形へと繋がっていく。大森流は刀礼と同じく正座の姿勢が基本となっているが、その動きはすべて礼法に内包されていて、礼法の垂直運動、円運動、回転運動のいずれもが、大森流の「刀を抜く」「体を起こす」「立ち上がる」「座る」という動作の基本となっている。肚を中心とした礼法の動きをしっかり習得すれば楽に自然に動けるようになり大森流へと繋がっていくが、逆に礼法を正しく身につけなければ大森流はおろか、そのあとの多くの形も上達するのは困難といえるだろう。

 ここで貫汪館館長森本邦夫先生の言葉を引用したい。
『無雙神傳英信流抜刀兵法の礼法の質の高さは、形の質の高さを生みます。礼法を疎かにする方は形の稽古に入っても、形の質は高くはなりません。』
『初心者の方が礼法の稽古を行う上で気を付けることは、動きの結節点ごとに自分の体の状態を知ることです。自分の状態を確認する習慣をつけてください。』
『前に刀を置こうとしたり前にある下緒をと取ろうとするときに、体を用いることを先にし、そののちに体に連れて手が動くように心がければ、抜き付けにおいても柄手・鞘手が体と無関係に動くことがなくなります。』

 貫汪館における教えの中で重要なのは「無理無駄がないこと」「肚(臍下丹田)で動くこと」、そして私欲にとらわれず「自分を客観視できること」である。無理無駄があり中心が振れ自分の思うままというのは、まったく自由に動けていないということでもある。
 それを忘れることなく、無雙神傳英信流抜刀兵法の礼法の「立つ」「座る」「礼をする」という簡素な動きの中に、自由に無理無駄なく動くための基本が含まれていることを再確認していかなければならない。


 最後に

 無雙神傳英信流抜刀兵法の礼法においては、神や刀を真に敬う心を持つことを前提とし、またそれだけではなく、「力に頼らない」「無理無駄がない」「自然な動き」を基本とするすべての形に通じるよう体系づけられた業であることを常に念頭に置きたい。今後稽古を重ねていく中で、礼法そのものが道を見失わないための標と考え、疎かにすることなく一つの業として日々研鑽に努める所存である。


参考文献 
1)貫汪館 ホームページ
2)森本邦生館長:「道標」

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  1. 2016/09/01(木) 21:25:00|
  2. 昇段審査論文

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