無双神伝英信流 大石神影流 渋川一流 ・・・ 道標(みちしるべ)

無雙神傳英信流抜刀兵法、大石神影流剣術、澁川一流柔術を貫汪館で稽古する人のために

『保古飛呂比』佐佐木高行日記 10

嘉永5年(1851)11月 23歳 

 日付は記されていませんので、後から記したものだと思います。

「在京中ハ処々剣術試合に立越ス、阿部伊勢守屋敷ニテ、柳行流(柳剛流)トテ、足下打之流儀、岡田十内弟子ト試合ス、
柳行流ハ頗ル長竹刀ニテ、遠方ヨリ足ヲ打チ候事ニ付、兼テ竹刀ノ寸法ヲ取極メ、双方同寸法ノ約ヲ為セリ、孰レモ其心得ニテ立合候處、自分ハ勿論、何レモ立合ニ足ヲ打タレ、大敗ス、是ニ於テ石山ノ内弟子笠井吉人ナル者大ニ怒リ、兼手の約ニ背キ、長刀ヲ被用タリト見ヘ、双方ノ竹刀ヲ相糺スベシ、果シテ約ニ違ヒ候ハバ武士ニ有ルマジキ仕業ナリ、此ノ儘ニハ致シ難ク候、拙者共ハ主人ノ馬前ニ討死スルハ、平日ノ覚悟ニテ、私ニ一命ヲ捨て候コトハ、不本意ナレ共、場合ニヨリテハ、一身ハ勿論、主人迄ノ恥辱ニモ相掛リ候事アレバ、其節ハ不得止第ナリト、時宜ニヨラバ、真剣勝負ニ及ブベキ勢ナリ、自分共モ負ケ原ナレバ、笠井ノ議論ヲ助クルノ景況ヲ示シタレバ、岡田十内等狼狽ノ色ヲ顕シタレバ、阿部藩ノ役人共心配シテ、市内寸尺ノ儀ハ不行届ノ段ヲ謝ス抔ニテ、漸ク事ナク治マリ、又々仕合ヲ初メ候處、竹刀ノ寸尺モ約ノ如クニテ、且又一同モ足ヲ防グコト聊カ巧者トナリテ、最初ノ如キ大敗ハ無之、其上石山先生ハ未ダ試合無之處、追々相初メ、勝利ヲ得テ、孰レモ喜悦トナリ、試合畢リテ阿部侯ヨリ酒飯ノ饗応アリ、敵味方相和シテ帰レリ」

 この記事は樋口真吉の11月26日の「於阿部伊勢守様屋鋪柳剛流岡田十内弟子ト試合、脛打妙ナリ」という記事と同じ日のことであろうと思います。
 面白いのは嘉永5年の時点で他流試合において竹刀の長さを同じにする約束をして、試合を始めようとしたことです。柳剛流は脛打をするので長い竹刀を用いたものだと思いますが、試合の条件を同じにしようとする動きは。講武所においては2尺8寸までに統一される以前にあったということを示しています。
 また、ここで述べることではありませんが「講武所の剣術では、各流派の名手が教授方になり、流派を越えて、試合を中心に行われた」とあるのも他藩ですでに行われていたことを講武所が取り入れたと考えるべきではないかと思います。

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  1. 2016/05/24(火) 21:25:00|
  2. 武道史

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