無双神伝英信流 大石神影流 渋川一流 ・・・ 道標(みちしるべ)

無雙神傳英信流抜刀兵法、大石神影流剣術、澁川一流柔術を貫汪館で稽古する人のために

『保古飛呂比』佐佐木高行日記 4

弘化4年(1847)12月 17歳

「一 此年、大坪流馬術師匠澤田勘平ニ入門致シ候事、澤田ヘ馬術入門致シ候処、馬役ハ一体風儀悪シク候テ、弟子ニテモ大身ノ人ニハ贈物モ多ク、時々馳走不致テハ、能ク稽古出来ズ、自分等ノ小身且ツ貧窮ニテハ、不面目事ニテ、修業セズ、止ミタリ、
一 同年漢文章ヲ原傳平ニ学バントシ、算術ヲ小栗謙吉ニ学バントス、然ルニ両様共書籍ニ依レトノ事ナレ共、買求メ候事出来ず、廃業ス」

 馬術の稽古も学問も貧乏であったため続けられなかったことが記されています。もともと100石であった家は実父の急死により48石になっています。48石がお金がかかる武術や学問修業には少なかったことが分かります。
 「弟子ニテモ大身ノ人ニハ贈物モ多ク」というのは禄高の高い武士は武術の師に贈物をしていたということです。学校教育の感覚であれば賄賂のように見えますが、今も昔も出費の多い武術の師匠は大身が入門してくれることによって生活が支えられる面がありました。広島藩の貫心流の例では大身の子息が入門した時に支度金として師匠の細六郎にお金を渡しています。師に対する礼として余裕のあるものには当然のことであったと思います。

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  1. 2016/05/18(水) 21:25:00|
  2. 武道史

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