無双神伝英信流 大石神影流 渋川一流 ・・・ 道標(みちしるべ)

無雙神傳英信流抜刀兵法、大石神影流剣術、澁川一流柔術を貫汪館で稽古する人のために

大石神影流剣術初段論文 1

武道における礼と大石神影流剣術における礼法について

1.武道における礼
私は高校で弓道を、社会人になってからは柔術を習いました。この中で、それぞれの礼法を学びましたが、その違いや理由については深く考察してきませんでした。
弓道では、道場に神棚があり、この神棚に向かい神前礼拝を行っておりました。神棚への礼でしたので、神社での礼拝と同じ二拝二拍手一拝でした。最初に習った時に、稽古で怪我がないよう神様に祈るのだと伺い、特に疑問を持ったりせず、よって礼法の意味を考えることはありませんでした。宗教上の理由から、礼を行わない人もいましたが、それはそれで良いと思っていました。今改めて調べ直すと、深い理由があるようで、その理由に気づかせるために神前礼拝を行っている道場もあるようです。
柔術では、稽古場として体育館を利用していましたので、神棚はありませんでしたが、神前と決めた方向に向かい、先生と一緒に礼を行っておりました。その礼法は、正座して体を屈してゆき、畳に左手をつき、さらに屈して行き右手をついて礼をするものでした。手をつく位置は、無雙神傳英信流の刀礼とは異なり、もっと体に近い位置で、体を屈していったときに、ちょうど鼻の位置になる所でした。
この時に習ったことは、以下の3点でした。
①いつ攻めこまれても対処できるように、利き手である右手は最後に出し、また礼の後も右手から収める。これにより隙のある時間を最小限に抑えること。
②礼の最中に頭を押されても鼻が潰れないように、手のひらを少し曲げ、鼻を守ること。
③親指を切られると刀を持てなくなるから、礼の前後では親指を切られないように、常に隠すこと。
神前への礼ですら、気を抜かないのですから、稽古相手への礼も、同じく気を張り詰めた礼でした。
柔術は、立ち技と、正座でつま先立ちになった状態の跪坐の2つの姿勢があります。立ち技での礼は、両手の親指を隠したままで軽く会釈するもので、相手から目を離さないように注意されました。跪坐での礼は、神前への礼と同じ礼法でした。頭を下げるため相手の動きは見えませんが、気を張り相手の動きを察することを学びました。
弓道と柔術を習うことで、礼法にも流派ごとに作法が違うこと、礼の意味も全く異なることに気づきました。また、柔術の礼法を学ぶことで、弓道の礼拝のように、その場の礼で礼法が終わるのでなく、礼が終わった後の稽古でも、気を張り注意することを心がけるようになりました。ただ日常生活ではすっかり忘れ、稽古に来て、礼法の時に気を張るスイッチが入るといった事の繰り返しでした。稽古と日常生活が解離していたように思えます。
今振り返ると、礼法は毎回行うものですから、どの技より多く稽古するもので、ただ漫然とおこなっていたのでは、その裏にある重要な何かを悟ることなく、進歩もしないものではないかと思っています。当時の先生から伺った言葉で、一番印象に残っている言葉は「万年稽古」です。正しい稽古を積み重ねないと、何年経っても微々たる進歩しかしません。これを回避するために、正しい稽古を指導してくれる師を選ぶことの大切さや、師を探すには3年かけてでも探す努力の必要性を教わりました。柔術は転勤のため、やめてしましましたが、その後の数年間は、通勤の際に歩き方や、立ち方を工夫してみました。いずれ武術を再び習うつもりでしたし、その日のために、少しでも動ける状態を作っておきたいと考えていたからです。この時に気をつけたことは、柔術の稽古の際によく指摘された、力を抜くことと、いつでもどこから敵に襲われても動ける状態を作ることでした。残念ながら、この数年の間に進歩は全くと言ってよいほどありませんでした。それは、一人で稽古をしていたのでは、正しいのか、間違っているのか評価されないからだと思います。いつ敵に襲われるか分からない時代なら、襲ってきた敵により評価できますが、現在ではそれが無いため、評価できません。師のいない稽古は、評価が無いため、万年稽古に陥ることを、身を以て知りました。
貫汪館に入門することで、万年稽古から脱することができました。柔術をやめてから、課題にしていた正しい立ち方や歩き方は、未だに納得できる所まで至っておりませんが、先生に今の動作が良かったのか、悪かったのか評価を頂ける度に、進歩したことが分かります。特に立ち方は、自分では気付かなかった前かがみの癖をご指摘頂き、自分でも大きな進歩があったと自負しています。また、先生の礼法や技を拝見する度に、進むべき方向が見える気がします。

武道における礼は、各流派により異なるもので、その作法や意味はそれぞれです。武道を稽古することで、礼が身に付いたり、相手への感謝の心が現れたりするなど、人により千差万別のとらえ方があります。どれもその通りだと思いますが、それだけではないと思います。礼は稽古の前後に毎回行うものですので、ともすると、この道場の規則だと捉えがちで、その瞬間から万年稽古になってしまいます。私の場合も、弓道と柔術ではそうでした。演武会などで他の流派の礼法を拝見するに、どの流派も先生が前に出られて、礼をされ、弟子はその後で礼をしています。毎回の稽古で先生の礼を見るわけですから、そこから何が学べるのか、自分の動きは合っているのか、思考することで武道の上達に寄与するものと思います。


2.大石神影流剣術における礼法
大石神影流剣術での礼法は、帯刀したままで、片膝と両拳を床につけます。このときの手の付き方は、爪甲礼です。爪甲礼は、拳を握って床につく礼で、武家流茶道での基本の礼とされています。掌を床につけず、拳をつけるのは、畳は歩く場所であるため、不浄な場所を掌で触ってからの点前を嫌ってのためです。大石神影流は、神社境内での稽古であったり、庭先での演武が行われたりしていたため、このような礼法になっています。
最初に礼法を拝見した時、刀礼が無いのは、略式からだと思いましたが、正式な礼法であることを先生から伺いました。刀礼が無いのですから、礼法の最中でも刀が抜ける状態にあります。
また立った状態から、片膝を床につけるまでは、力を抜きストンと落ちるのではなく、隙を作らないために、ゆっくり同じ速度で動くようご指導いただきました。柔術では、まさに、力を抜きストンと落ちることで、相手にかける技がありましたので、先生のご指導がなければ、いつまでもそのように動いていたと思います。柔術の経験は、見るべきところを見えなくしてしまっていたようです。この経験が稽古の妨げにならないよう、できるようになったと思った動きでも、何度も見直す必要があると思います。
さらに、礼法の前後の立ち方も、膝を伸ばして骨格で立つのではなく、いつでも左右前後に動けるように、膝を軽く曲げることも学びました。骨格で立っていると力がいらないので、楽ですが、瞬時に動くことができません。弓道では骨格を使って弓をひきますので、立ち方も、骨格を使うと良いと勝手に考えておりました。これも先の経験が妨げになった例でした。
私は、まだまだ礼法の意味を理解するまでには至っていないと思いますが、刀礼が無いことや、同じ速度で動くことや、膝を曲げて立つことで、いついかなる時も気を抜かず、相手への対応ができる状態になれることを、大石神影流剣術の礼法から学びました。
これからも、礼法に内在する意味を読み取るように注意しながら、再び万年稽古のような停滞状態に陥らないよう、注意したいと思います。そのためには、礼法の稽古をおざなりにせず、真剣に行うことが重要だと思います。
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  1. 2016/01/22(金) 21:25:00|
  2. 昇段審査論文

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