無双神伝英信流 大石神影流 渋川一流 ・・・ 道標(みちしるべ)

無雙神傳英信流抜刀兵法、大石神影流剣術、澁川一流柔術を貫汪館で稽古する人のために

大石神影流剣術五段 論文 2

受審課題 :大石神影流剱術を通じて何を教えるべきかを論じなさい。

前言
 課題である「大石神影流剱術を通じて何を教えるべきか」を論じる前に、まず大石神影流剱術について再確認してみたい。
 さらに初段から四段までの論文課題について簡単に確認したうえで、さらに「貫汪館における大石神影流剱術の位置付け(剣術、居合、柔術)」について確認し、最後に五段の論文課題である「大石神影流剱術を通じて何を教えるべきか」を論じてみようと思う。

Ⅰ.大石神影流剱術とは
 大石神影流は、柳川藩に伝えられた、陰流の流れを汲む剣術流派である。
 流祖は大石進種次であり、柳川藩に伝わる愛洲陰流剣術と大嶋流槍術の皆伝者であった。愛洲陰流は陰流の別称であり、流祖 愛洲移香斎の名を冠してそう呼ばれる。
 愛洲陰流は当時、袋撓と唐竹面、長籠手を用いて稽古をしていた。大石進種次は、この防具を改良し、独自の突技と胴切の技を工夫して、大石神影流剣術を創始したと言われている。突技には、大嶋流槍術の影響があったことは想像に難くない。
 唐竹面は十三穂の鉄面とし、胴切のために竹腹巻を考案し、長籠手を半籠手にして腕の活動を敏速にした。また突技のために喉当も考案した。従来の八つ割袋撓は、コミ竹刀に改めた。これらは、現代剣道の竹刀・防具の元となっている。
 初代と二代は江戸に出て試合を行い有名となった。初代と二代は同じ進を名乗ったため混同されることがあるが、有名なところでは男谷精一郎と試合をしたのは初代、鏡心明智流の桃井春蔵らと試合を行ったのは二代である。勝海舟はこれを「ご維新以来の騒動」と評したと言われている。
 初代が江戸に出る前に剣術修行として行った試合で有名なものに、長沼無双衛門との試合がある。初代が得意の左片手突きを繰り出すと、長沼の鉄面が破れて眼球が面の外まで飛び出してしまったと伝えられている。これは大石進の突きの威力の凄まじさを伝える逸話とされているが、実際には竹刀・防具の不完全さを表しているとも言える。長沼無双衛門は傷が癒えた後、門人18人を引き連れて、大石進に弟子入りした。
 柳川藩に伝わった愛洲陰流は、新陰流、神影流、愛州神影流とも呼ばれていた。初代大石進はこれより神影の字を選び、それに大石を冠して大石神影流と定めた。俗称として、大石流、神影流とも言うが、正式には大石神影流と呼ぶ。
 修得の過程は、愛州陰流の階程を踏襲して、截目録、陽之巻、陰之巻皆伝とした。
 大石神影流は長らく柳川藩に伝えられていたが、現代では継ぐ者がなく福岡県大牟田市 大石英一を最後に絶伝の危機にあった。近年、広島の貫汪館館長である 森本邦生が皆伝となりこれを受け継いだ。貫汪館では、無雙神傳英信流抜刀兵法と澁川一流柔術とともに大石神影流剣術を伝えている。

Ⅱ.初段から四段までの論文課題
1.初段 武道における礼と大石神影流剱術における礼法について
 武道における礼は省略し、大石神影流剱術の礼法について簡単に再確認する。
 まず、一般の剣術・居合とは異なり、刀に対する礼が存在しない。稽古と演武とに関わらず、すべて帯刀した状態から始まる。
 もちろんこれは形式上の問題であって、刀に対する敬意が存在しないということではない。刀を取り扱う際には注意が必要であって、ぞんざいに扱ってはならないのは当然のことである。放り投げたり、壁に立てかけたり、足で跨いだりということをしてはならない。また、他者からもそうされることがないよう、きちんと管理する必要がある。
 演武などの際には帯刀した状態で入場して、定位置まで進む。
 神前、上座、正面への礼は、立った状態から右足を軽く引いて右膝を着いた状態となり、上体を腰から折り、軽く握った両拳を床に着けて、頭を下げる。
 相互の礼は、元に戻り、お互いに向き直り、軽く会釈をする。
 そのまま抜刀し、演武に入る。
 終わりの礼は、逆の手順となる。
 正座の礼がないのは、柳川藩で上覧を行う際に、屋内にいる貴賓に対し、庭で演武を行ったためであると伝え聞いている。また、稽古も一般に神社の境内などで行われていたためであろう。剣術というと、板の間の道場での稽古を思い浮かべるかもしれないが、実際には時代や地域によって様々である。
 一般的に、正座が最も礼儀正しく敬意を表していると考えてしまいがちであるが、実際には蹲踞が正式な最敬礼であることもある。片膝立ちであるから略式であるなどと考え違いをしてはならない。神前、上座、正面への礼は、最もな敬意を持って行うべきである。
 お互いの礼も同様である。くれぐれも軽い気持ちで行ってはならない。敬意を表しながら、また油断のないように行わなければならない。

2.二段 これまで修行上留意してきたこと、今後留意しなければならないこと
 大石神影流剱術の特質に着目したうえで、その稽古上の注意点として考えてみる。
(1)長竹刀
 大石神影流は一般に長竹刀で有名である。
 しかし、刀の総長(切先から柄頭まで)は概ね立ったときの自分の乳の高さとしており、竹刀もそれに応じている。身長が七尺といわれた初代の大石進は、五尺三寸の竹刀を用いていた。初代よりも小柄だったといわれる二代目の大石進は、四尺二寸の竹刀を用いていた。その弟子である大石雪江も四尺二寸の竹刀を用いていた。これらはいずれも流派の掟に従っており、とくに長すぎる竹刀を用いていたというわけではない。ただ、当時の撓の長さは三尺二三寸を常寸としていたので、それに比べれば長かったのはたしかである。
 竹刀の長さが各人の身長に比していることに対して、手数の稽古に用いる木刀の長さは総長三尺八寸(刃長二尺八寸二分)と定められている。これは、あまりに身長が違う者同士では稽古も演武もしにくいものであるが、たとえ身長が同じであっても刀の長さが違うと術理の上で問題が生じやすく、それを避けるためであろうと思われる。
 総長三尺八寸(刃長二尺八寸二分)の木刀は、たしかに現代の一般的な感覚からすると長い物であると言える。しかし、身長六尺程度の人間でも、稽古次第でとくに違和感なく扱うことができるようになるものである。
 目下(背が小さい者)は、総長三尺四寸(刃長二尺四寸五分)の木刀と定められている。こちらは、現代の一般的な感覚からも受け入れやすい長さであるかもしれない。総長三尺八寸の木刀が手に余るようであれば、こちらの長さの木刀で稽古するのも良いであろう。ただし、上述のように、お互いの刀の長さが違うと、稽古も演武もしにくいものである。注意が必要である。
 可能な限り、流派の掟である総長三尺八寸(刃長二尺八寸二分)の木刀を遣えるように稽古を重ねる必要があるであろう。木刀に限らず、刃引きや真剣も同様である。
(2)突技と胴切
 大石神影流は大石進種次が愛洲陰流と大嶋流槍術を元に、独自の突技と胴切の技を工夫して始めたと言われている。
 しかし、手数の中では突技や胴切は特に多く表されているということはない。
 ただし、手数で多用される構えの一つに「附け」がある。これは、刀を胸の前に構え、柄頭を左手のひらで包むようにして、いつでも突技に入れる構えとなっている。
 胴切については、修業初期に習う試合口、陽之表、陽之裏には直接は表れていないが、似たような動作として、右肘通りを切る動作がいくつかある。修業後期に習う手数である天狗抄においては10本中3本に胴切の動作が表されている。
 大石進種次は、突きと胴切について次のように書き残している。
幼ナキ時愛洲新陰流ノ唐[金面]袋品柄ノ試合ヲ學タリトモ十八歳ノ時ニ至リヨク〃考ルニ刀ノ先尖ハ突筈ノモノナリ胴ハ切ヘキノ処ナルニ突ス胴切ナクテハ突筈ノ刀ニテ突ス切ベキノ胴ヲ切ス大切ノ間合ワカリカ子ルナリコノ故ニ鉄[金面]腹巻合セ手内ヲ拵エ諸手片手突胴切ノ業ヲ初タリ其後東都ニ登リ右ノ業ヲ試ミルニ相合人々皆キフクシテ今ハ大日本國中ニ廣マリタリ夫ヨリ突胴切ノ手數ヲコシラエ大石神影流ト改ルナリ然ル上ハ諸手片手胴切ノ業ヲ學モノハイヨイヨ吾コソ元祖タルヲ知ベシ
 突技や胴切は、いついかなる状況からでも繰り出すことができるよう稽古が必要である。実際には突くことのできない附けの構えには意味がなく、そこからは手数の発展のしようもない。胴切についても同様である。
(3)上段
 上述のとおり、大石神影流は長竹刀と突き技で有名であるが、実際に稽古してみると、上段の構えが特徴的であることがわかる。
 もちろん、構えに関しては、附けの構えを多用する点が最も特徴的と言える。しかし、いわゆる中段、上段、下段、八相、脇構えに相当する構えがある中で、どれも流派として特徴的ではあるが、その中でもとくに上段が特徴的であると言える。
 上段の構えは右足前のみで、体の左を通って半面を描くように剣を上段に持ち上げる。切っ先は右斜め上を向き、左拳は額の前、右拳は額の上となる。両肘は張らず、だらんと落ち、あたかも宙に浮いた剣にぶら下がるかの如しとなる。背は落ち、剣と両腕の重さが流れる。いわゆる一般的な上段のイメージから脱却することができないと、いつまで経っても正しい上段の構えができないということになるであろう。
 そこから振り下ろす際には、剣は正中線をまっすぐに通る。
 通常の振り上げ振り下ろしの際には、振りかぶる際に剣が体の左を通らず直線的に振り上げる点を除けは、他は同じ動きとなり、振りかぶった際には上段の構えと同様となる。剣をまっすぐに振り上げてまっすぐに振り下ろすのではなく、上段の構えを経由した振り上げ振り下ろしとなるのである。慣れない手数でただ手順を追ったり、あわてて急いで動こうとするとついまっすぐに振りかぶってしまいがちであるが、それでは大石神影流を稽古しているとは言えない。いつでも自然とこの動きができるよう、よくよく稽古を重ねる必要がある。
 この特徴的な動きは、長い刀の振り上げ振り下ろしとしてはとても合理的な動きである。正しく稽古を重ねていれば、自然と理解、体得できるものであろう。
(4)張る、乗る、気先を掛ける
 他に術理の上では、張る動き、乗る動き、気先を掛ける動きが重要となる。これらについても、よくよく稽古する必要がある。肚から動くことが重要なことはもちろんであるが、ただ手順を追っていてもできるようにはならない。内面の稽古が重要である。

3.三段 剣術の歴史における大石神影流剱術の歴史とその特質について
 歴史については“Ⅰ.大石神影流剱術とは”で、特質については前段で述べたとおりであるので、ここでは省略する。

4.四段 大石神影流剱術指導上の留意点について
 詳しくは、貫汪館昇段審査論文課題「指導上の留意点について」(自著)で述べたとおりだが、おおよその項目は次のとおりである。
・個別指導が原則であり、相手の資質に合った指導をすること
・打つと斬るの違いに留意すること
・教え過ぎないこと
・呼吸、肚、気合
・礼法、構え、素振り
・手数
・防具稽古
・伝系・歴史

Ⅲ.貫汪館における大石神影流剣術の位置付け(剣術、居合、柔術)
 貫汪館では現在、剣術、居合、柔術の三流派の古武道を稽古、伝承している。
 剣術は大石神影流剱術、居合は無雙神傳英信流抜刀兵法、柔術は澁川一流柔術である。
 古武道である剣術、居合、柔術は、現代武道である剣道、居合道、柔道と名称はとてもよく似ているが、その内容は大いに異なるものである。
 現代武道はいずれも古武道が近代化されたもので、明治以降に成立し、体系化、競技化、スポーツ化されたものであると言えよう。
 剣道であれば、防具を着用し、竹刀でもって安全な部位の打突を競い合う。
 柔道であれば、危険な関節技を廃し、武器は使用せず、素手の投げ押さえを競い合う。
 居合道であれば、型の演武の正確性、美しさを競い合う。
 いずれも、武道のある一面に着目して、専門化、特化したものと言える。
 それに対して古武道は、流派によっても大きく異なるが、一般的にある意味では全面的な物であると言える。
 大石神影流は剣術の流派であるが、小太刀、二刀、鞘之内にとどまらず、棒、長刀、鑓をも扱う。また防具を着用して竹刀での自由稽古も行うが、主な稽古は木刀による形稽古であり、打突部位は現代剣道とは異なる部分が多い。
 無雙神傳英信流抜刀兵法は居合の流派であるが、全体で約八十本ある形のうち、現代居合道のように一人で行う形は約四十本と半分程度である。そして他の形は、相手をつけて行い、その内容はいわゆる居合の技法にとどまらず、剣術や柔術的な技法となっている。
 澁川一流柔術は柔術の流派であるが、いわゆる素手による闘争を想定したものではない。たしかに稽古の最初は素手対素手の型から始まるが、究極的には相手の刀に対してこちらは素手で対するという型になる。そして刀に対するためには自らも刀が遣える必要があるのは当然のことであり、半棒や六尺棒、分童や鎖鎌の他に、抜刀術も併伝されている。
 貫汪館で稽古、伝承されている剣術、居合、柔術の古武道三流派は、それぞれが広範な分野をカバーしているとは言え得意分野が異なり、それぞれが相互補完的な存在となっていると言える。
 現代武道のように、剣だけ、居合だけ、投げ押さえだけができれば良いという価値観で稽古をしているわけではない。
 剣があれば剣で、剣がなければ素手で、剣を抜くことができなければ抜かずに、相手を制することができなければならない。そのためには、単に剣術のみ、居合のみ、柔術のみの稽古では完全とは言い難いであろう。剣術の裏は柔術であり、柔術の裏は剣術であり、居合は剣術と柔術をつなぐものである。いずれを自己の表にするにしろ、他の稽古も必要不可欠である。
 現代武道と古武道は対立するものではなく、お互いの優劣を競うようなものではないが、まったく別個のものであるのはたしかなことである。現代武道の価値観の延長で古武道を理解、修業しようとすれば、根本的な弊害を生じることであろう。よくよく注意が必要である。

Ⅳ.五段 大石神影流剱術を通じて何を教えるべきか
 これまで見てきたとおり、大石神影流剱術は古武道であり、流派剣術である。現代武道のように近代化、競技化、スポーツ化されておらず、伝統文化的な側面も有している。
 大石神影流剱術は、
・歴史ある古武道であり、現代剣道にも連なる剣術流派であること
・上述のとおりの特徴のある剣術流派であること
・貫汪館が伝える古武道三流派のうちの剣術流派であること
・ただ剣のみではない剣術流派であること
といった点が重要であると考える。
 重要なのは、ただ手数の手順を伝えるだけではなく、その文化・背景を含めて伝えるということである。
 大石神影流剱術を通じて、こういった大事を伝えるべきであろう。

参考文献;
1)「大石神影流を語る」藤吉 斉、第一プリント社、1963年、初版
2)貫汪館ホームページにおける大石神影流剣術の歴史のページ及び形のページ
4)貫汪館昇段審査論文課題「指導上の留意点について」自著
5) 〃 「剣術の歴史における大石神影流剣術の歴史とその特質について」自著
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  1. 2015/11/28(土) 21:25:00|
  2. 昇段審査論文

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