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無双神伝英信流 大石神影流 渋川一流 ・・・ 道標(みちしるべ)

無雙神傳英信流抜刀兵法、大石神影流剣術、澁川一流柔術を貫汪館で稽古する人のために

澁川一流柔術二段 論文

「これまで修行上留意してきたこと、今後留意しなければならないことを述べなさい」

1、これまでの修行上留意してきたこと

 (1)形
 私事ですが、幼少より高校卒業まで日本舞踊を習った経験から、辞めて20年以上経つというのに、その時の癖が棒回しや、柔術に出てきてしまい意識していないだけに、とても妨げになり、稽古を始めた当初はまず、そこを改善すべく意識する事から始まりました。長らくしていなかった事が、幼少時に経験していると自然に出来てしまう能力はすばらしいですが、癖として妨げになった時は改善するのにとても苦労するのだなと実感しました。
 現在稽古をするに当たり形の上で注意していることは、呼吸を止めない。股関節を緩める。力まない。丹田を中心に動く。技をかけ終えるまでを一つの動作とする。などきりが無いくらい稽古中は頭の中はいっぱいになっています。
 ですが、いざ形を始めると左手で辺に取り、右手はここ、それから回る、と全く一つの動作ではなく、受けをしてくださる先生に「動きが止まった」と指摘され、次に気を付けて受けの体制を崩すことが出来、押さえ込む事が出来ても呼吸が止まっていて、「地面はあっても気持ちはまだまだ回り続け、沈んでいくつもりで」と指摘を受け、呼吸がとまっている事に気づき、そこで息を吐く。といった事を何度も繰り返してしまいます。
 半棒や六尺棒では、武器も体の一部と捉えて扱わなくては、相手の体制を崩すことは出来ません。腕の力だけで崩そうとせず、丹田から腕、腕から棒へと思いを伝える事を意識しながら稽古をしていますが、こちらも思いと体の動きが一つとならないことが多いです。
突きの動作や、半棒を相手の頭に振り下ろす際も、状態が前のめりになってしまったり、前のめりにならないよう意識をやると、相手との間合いの悪さから全く打ち込めない距離に居たりと、中々得物を体の一部にすることが出来ずにいます。
 また、柔術の稽古を始めてからずっと感じていることの一つに、形が決まった時に手応えがないということです。力で相手を制するのではなく、相手の力を利用して制するという所に魅力を感じ、稽古することを決めた筈なのに、具体的にこうしたから形が決まったという手応えのなさに、次も同じことが出来る自信が無いと思うようになります。そこを稽古量で補っていかなければいけないのだと考えます。

(2)心
 心のあり方で注意していることは、「敵を倒すための「間積もり」が、使い方次第で人に不快を与えない、人をいたわるための作法に転化するのである」
「相手に不快を与えない(困らせない、怒らせない、淋しがらせない、心配させない、手数をかけさせない、いやがらせない、恥をかかせない、当惑させない)こと」など、普段の生活の中でも実践出来そうな部分は気を付けているつもりではありますが、後悔する事もしばしばで、できているかどうかは自信の無いところです。

2、今後留意しなければならないこと

 武道を学んでいるものが、知ったのちに行動しなければ学んだ意味はありません。
 武道は行動のために学ぶ学問であり、古武道を稽古してもそれが単なる懐古趣味であっては稽古に費やす貴重な時間は無駄になってしまいます。
 無雙神傳英信流抜刀兵法は不測の事態に対応するための武術であり、澁川一流柔術は条件的に不利な状況を克服するための武術であり、大石神影流剣術はまさしく兵法であり手数の中に兵法のエッセンスが学べるように仕組まれているといっても過言ではありません。 行動するために学ぶのが武術であって、何もせずにただ願っているのは武術を稽古するものがとるべき道ではありません。
 武術では技を生かすのも殺すのも間づもりひとつである。
 形をまねるのでなく、「心」を知ることである。「きまり」と考えてしまったのでは、その「きまりごと」の一つひとつをすべて覚えなければならないが、「心」を承知していれば応用変化が可能である。
 武道人の立居振舞いには「他人への敬意」と「隙のなさ」と「威」がそなわっていなければならない。
 価値観、考え方、感覚、行動などのすべてが自分と違う相手とも付き合うことを可能にする方法の一つが、相手と密着しない「間合」の心得である。
 武道の「精神的自立」と「自分主義」精神的自立とは人格の独立でもあるが、情緒面においても他人の「いたわり」や「やさしさ」を期待しないでいられる強さである。「理解」や「評価」あるいは「同情」を求めないでいられる強さといってもよい。極論すれば「支援」や「応援」を求めないでいられる能力、という事にもなる。
 むろん「同情」はともかくとして「理解」や「評価」「支援」が得られなくては成り立たない仕事もある。だがその場合も他人に協力を求めることが可能になるのは、評価や支援に値するものを本人が持っている事が前提になるのであって、ただ単に他人の善意だけをあてにするという事ではない。支援に値するものを持つことは自前の仕事で、それを支えるのは自分の足、つまり自立した精神である。
 
 
 以上、今回の論文に当たり引用した文献の内容から、今後留意しなければならないことは「武道」とは「技」のみではなく「心」も合わせて学んでいかなくては身に付かないのだという事だと考えます。
 やはり技が効いて受けが倒れてくれると手応えこそないものの、うれしくなり、もっと技を磨きたいと思うようになりますが、そこに「心」の部分が置き去りになってはいけないのだと思います。
 昇段試験を受けるよう先生におっしゃって頂いた時も、技の試験は週に一回ではありますが、稽古をしているので、ある程度抵抗無く受け入れることが出来るのですが、合わせて論文を書かなければならない事で、論文を書ける程「心」の部分を理解できていない。と躊躇してしまうのですが、改めてこうして論文を書く為に学んでいくと、やはり心の部分の理解が、技と同じくらい大事なのだなという事に気付かされます。
 澁川一流柔術は条件的に不利な状況を克服するための武術との事ですが、相手を投げ飛ばしてやる。とか押さえつけてやる。といった心持ではなく、向かって来た相手を、相手の力を利用し、その相手の力を奪うだけ。見ていると投げているようだが、その場にしゃがむ事で相手が投げ飛ばされてしまった。という結果論の様に思います。普段の稽古時にいつも「心」の部分を意識していけるよう今後、気をつけたいと思います。とは言え、意識すると「居着き」になってしまいそうで、意識しながら意識しないと言う境地になれればと思います。
 森本館長の「道標」に多くの文献を読みなさい。とありました。まだ多くの古武術の文献を読んだ訳ではありませんが、驕ることなく謙虚に、思いやりのある行動を心がける。という内容がよく用いられている様に感じました。この事が武道を志す上でずっと心に留めておかなければならない事なのではないかと感じました。
 今後留意しなければならないこと、自分で気付いていない留意すべきところをご指導頂きながら、少しでも達成できるよう、日々精進して参りたいと思います。

参考文献
1)野中日文: 武道ー日本人の行動学ー  2001年1月5日第2刷
2)野中日文: 武道の礼儀作法(改訂版) 2002年12月10日第3刷
3)森本邦生先生:貫汪館ホームページ「道標」
 
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  1. 2015/11/26(木) 21:25:00|
  2. 昇段審査論文

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貫汪館館長(無雙神傳英信流 大石神影流 澁川一流)

Author:貫汪館館長(無雙神傳英信流 大石神影流 澁川一流)
無雙神傳英信流抜刀兵法、大石神影流剣術、澁川一流柔術 貫汪館の道標へようこそ!
連絡先は貫汪館ホームページで御確認ください。

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