無双神伝英信流 大石神影流 渋川一流 ・・・ 道標(みちしるべ)

無雙神傳英信流抜刀兵法、大石神影流剣術、澁川一流柔術を貫汪館で稽古する人のために

学館での稽古

瓜生等勝先生の『来嶋又兵衛文書』の『功過萬要日記』は弘化3年正月一ヶ月間の来嶋又兵衛の日記ですが、この中に来嶋が厚狭毛利家の学館朝陽館で道化の家来50人に指導を始めた時の記録があります。

廿四日
「八ツ時に稽古場へ参。一応学館へ参惣人数へ相対致し候。家老中へ相対、其後誓紙相済候事。夫より稽古場へ参、形を遣初させ候事。人数相済、血印済し、門人引取候。吸物、引杯二編、肴の引皿、夫より本盃、肴鉢弐つ、こいの吸物、本膳、壱汁三菜之事。夫より、宿へ帰休足候事。」

廿五日
「早朝より起、要吉来、稽古場出席致し候。惣人数形を遣し候。試合不残二遍余遣ひ候事。八ツ過に相済候事。来原又済候事。伊藤源太左衛門来挨拶候事。門人中不残見送に来候事。」

来嶋又兵衛は天保14年(;1843)に大石神影流の免許皆伝を得たのち、弘化2年(1845)に長州藩の新陰流の一つの流れ(通称平岡新陰流)の免許皆伝を得ていますので学館でどちらの流派を教えたかは記述がないためにわかりません。
来嶋は自分の導場では両流派を教えています。
いずれにしても、誓紙から始まり、形を教習し、血印させ、翌日も形の稽古をさせ、試合をさせています。これが一応の手順であったのだと思います。
来嶋の前に誰が指導していたかわかりませんが、長州藩は萩の剣術師範に防具着用稽古を習わせるため、師範全員を大石進種次のもとに派遣していますので、来嶋以前の師範からも防具着用稽古を習っていたため、早くから試合稽古ができたのたと思います。

 来嶋に関してはこれで区切りとします。

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  1. 2015/11/13(金) 21:25:00|
  2. 武道史

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