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無双神伝英信流 大石神影流 渋川一流 ・・・ 道標(みちしるべ)

無雙神傳英信流抜刀兵法、大石神影流剣術、澁川一流柔術を貫汪館で稽古する人のために

江戸時代後期の貫心流 2

 昨日に続き、江戸時代後期の貫心流の様子を紹介します。
 広島藩では他流試合の実施は他藩に大きく遅れをとりました。しかし、それが必ずしも武術の質が低かったとはいえないと思います。競技化が遅れたというだけの事ですから。競技をする上では遅れをとったかもしれませんが、実際の場で役に立たなければ武術とはいえませんので。
 また、当時、農村でも武術が盛んであった様子が伺えます。農村での武術の基盤があったので広島藩は地域の治安を維持させる為の農兵を組織できました。


    他流試合について(細六郎致義のころ)

 当時、廣島藩の師家は他に三家あった。上流町に住んだ藩主の師範であった一刀流の間宮一左衛門、白島に住んだ真影流の關十郎左衛門、下柳町に住んだ圓明流の多田源左衛門である。これらの師家は他流試合をしないだけでなく、観覧をも許さなかった。細六郎は「どうして実用に適するようになることがあろうか。」とこれを嘆いた。
 後に、多田源左衛門が細六郎の門弟を招き伎を校ベさせたが、これが廣島藩における他流試合の始めとなった。他流試合を俗に出會ともいう。次いで間宮一左衛門や關十郎左衛門、また段原に住んだ信抜流の原毅平も細六郎の門弟を招いた。この後相往来し、士気を鼓舞振興することになったが、門弟の多さは細六郎に並ぶ者はなく、その名声は四国・九州に及んだ。


   農村部での指導について(細六郎致義のころ)

 廣島藩の郡中へは細六郎の弟、亀之進が各村を巡回指導していたが、その没後は廃止していた。しかし、懇請する者が多いため、門人中の錬達者を選定し門弟の取立をさせた。
 郡中では一か所で100人以上の入門者があり、20日以上滞在し、入門料を一人一歩徴収して細六郎に納付した。

   武者修行者への対応について(細六郎致義のころ)
 
 武者修行に来廣するものは細を目的としていた。武者修行者が来廣した時には「かざりや」という定宿に案内し、門人に朝夕旅宿に送迎させ、歓待した。「かざりや」とは大手町三丁目の吉川旅館で当時は二丁目にあった。
 宿泊費用は細家が支出したが、後に藩費から支出することになった。
 武者修行者は細家で二日、原家で一日、その他の師家は三家老が順次引き受けることと
し、廣島での滞在は五日間を要した。

 
 3月30日(日)に一般に公開した自由参加形式の貫汪館居合道講習会を実施します。今回も他流派、他道場の方が参加していただける予定です。講習会のテーマは『自由に動く為の大森流の稽古のあり方』です。詳しくは貫汪館ホームページ(←クリックしてください)の無双神伝英信流抜刀兵法 稽古のページを御覧下さい。

 4月13日(日)午前9時より、廿日市市の速谷神社で貫汪館奉納演武会を実施いたします

  1. 2008/03/25(火) 21:49:39|
  2. 武道史

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貫汪館館長(無雙神傳英信流 大石神影流 澁川一流)

Author:貫汪館館長(無雙神傳英信流 大石神影流 澁川一流)
無雙神傳英信流抜刀兵法、大石神影流剣術、澁川一流柔術 貫汪館の道標へようこそ!
連絡先は貫汪館ホームページで御確認ください。

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