FC2ブログ

無双神伝英信流 大石神影流 渋川一流 ・・・ 道標(みちしるべ)

無雙神傳英信流抜刀兵法、大石神影流剣術、澁川一流柔術を貫汪館で稽古する人のために

江戸時代後期の貫心流

 明日、徳島県で「広島藩の貫心流と難波一甫流について」という演題で講演をします。貫心流について江戸時代後期の様子が明治41年に倉田毎充氏によって記された 『尚古』第参年第壹號の「細六郎について」という記事に載せられていますので、今日と明日、ご紹介いたします。

 防具の改良とともに打突部位が限定され、競技化していったのだろうと推定できますし、本来全てを習う貫心流が競技化とともに剣術の教授に特化していった様子が伺えます。


 稽古道具について

 稽古道具は細六郎義知のころは、面鉄の間隔は離れ、偏平なものもあれば中央が突起しているものもあった。胴は竹製で咽喉の下まであり、小手は肩胛まであったので動作が自由にならなかった。竹刀は袋竹刀を用い敏捷の技を行うことはできなかったが、細家では細六郎義知以来、竹製のもののみを用い、袋竹刀は用いなかった。
 細六郎致義の頃になると全国的に改良が加えられ、胴は皮製となり、竹刀は恰好体裁のよい竹製となり、面がねも鉄線と鉄線の間隔が一定となり、密となって小手も臂までとなって行動が楽になった。

 稽古の内容等について(細六郎致義のころ)

 試合(註:防具着用の稽古のことであろう。)は毎日午前中に行われ、午後は半の日に侍士のみに指南し、形・長刀や種々の口傳を教授した。
 寒稽古は寒中20日間とし毎朝未明に出て、黎明に至るまで修練した。
 休日は毎月15日、30日の2回であった。
 毎年、100日以上出席した者は翌年、その名を掲示して奨励の一助とした。
 細六郎義知の子、細六郎義為呑空は貫心流剣術・司箭流長刀・柔術を全て指南していたが、細六郎致義に至っては、剣術の門人が増加し、教授の時間がないため柔術の指南は廃止した。


 
 3月30日(日)に一般に公開した自由参加形式の貫汪館居合道講習会を実施します。今回も他流派、他道場の方が参加していただける予定です。講習会のテーマは『自由に動く為の大森流の稽古のあり方』です。詳しくは貫汪館ホームページ(←クリックしてください)の無双神伝英信流抜刀兵法 稽古のページを御覧下さい。

 4月13日(日)午前9時より、廿日市市の速谷神社で貫汪館奉納演武会を実施いたします

  1. 2008/03/25(火) 00:49:04|
  2. 武道史

FC2カウンター


無料カウンター

プロフィール

貫汪館館長(無雙神傳英信流 大石神影流 澁川一流)

Author:貫汪館館長(無雙神傳英信流 大石神影流 澁川一流)
無雙神傳英信流抜刀兵法、大石神影流剣術、澁川一流柔術 貫汪館の道標へようこそ!
連絡先は貫汪館ホームページで御確認ください。

カテゴリー

ブログ内検索

リンク

このブログをリンクに追加する

最近の記事

月別アーカイブ