無双神伝英信流 大石神影流 渋川一流 ・・・ 道標(みちしるべ)

無雙神傳英信流抜刀兵法、大石神影流剣術、澁川一流柔術を貫汪館で稽古する人のために

芸藩弓道小史14

当然のことですが、幕末になり西洋砲術の優位がはっきりすると和式砲術も弓術もさらには槍術も無用の長物になります。それでも勝田家の弓術のみは残されたのは精神性を弓に求めたからでしょうか。
文政13年(1830)
3月10日
村井貞馬没する。相刀流の剣術もよくする。禅昌寺に葬る。12)
(『安芸備後両国偉人傳』)p308/『芸備碑文集上巻』p,129,130)

文政13年(1830)
3月22日
家中の者が弓銃に事寄せ賭け事をする弊風あるのを禁ず。
(『廣島市史(第3巻)』p26)

天保5年(1834)
8月20日
三田村丹治定善没する。その祖、保右衛門定虎、文武に達し『神軍』を著述す。その書、散逸のため遺編を復旧する。金龍寺に葬る。9)(写真3)
(『安芸備後両国偉人傳』)p308)

文久3年(1863)
正月
軍制改革により弓術師範家の門生教育を停止する。但し、勝田勇の弓術は事由ありて特に希望者へ教授することを妨げず。この時、令達を受けた弓術師範は徒歩頭次席番外・伴兵左衛門、側詰次席・小篠吉左衛門、奥詰番外・神尾源兵衛、奥詰番外・久保田権衛門、馬廻り・山下角太夫である。
(『芸藩史拾遺』(第26巻)p68,69/『芸藩史』(第3巻)p,331)

Ⅴ 終わりに

 簡単にではあるが広島藩の弓道史をまとめてみた。弓道は経験したことの無い武道であり、古流の弓術と現代弓道との違いさえわからないので全く具体的なイメージがわかず、字面だけの研究となってしまった。
 本小論を書くにあたって旧弓術師範の家に残るであろう古文書類を調査するため、いくつかの菩提寺を訪れた。しかし、そのほとんどが無縁となっており、「原爆で途絶えた家も多いですから」という説明を各寺でうけた。

参考文献

『安藝備後両國偉人傅 全』、昭和12年12月15日、手島益雄著、東京藝備社
『藝備碑文集』上巻、大正17年7月20日、櫻井照登編、友田誠真堂
『藝藩史』(第3巻)、昭和52年7月27日、橋本素助・川井鱗三編、㈱文献出版
『藝藩史拾遺』(第26巻)、昭和53年4月28日、橋本素助・川井鱗三編、㈱文献出版
『藝藩輯要 附藩士家系名鑑』(『復刻 藝藩輯要』)、昭和45年7月20日
                               芸備風土研究会
『三百藩家臣人名事典』第6巻、1989、家臣人名事典編纂委員会編、㈱新人物往来社
『新修広島市史 第4巻 文化風俗史編』、昭和33年12月27日、編集発行 広島市
『増補大改訂 武芸流派大事典』、昭和53年12月10日発行、綿谷雪・山田忠史編
                             ㈱東京コピイ出版部
『広島県史 近世1』、昭和56年3月20日、編集発行 広島県
『広島県史 近世2』、昭和59年3月27日、編集発行 広島県
『広島県人名事典 藝備先哲傅』、昭和51年1月28日、玉井源作著、㈱歴史図書社
『廣島市史(第1巻)』、昭和47年12月12日、広島市役所編、㈱名著出版
『廣島市史(第2巻)』、昭和47年12月12日、広島市役所編、㈱名著出版
『廣島市史(第3巻)』、昭和47年12月12日、広島市役所編、㈱名著出版
『廣島市史(社寺史)』、昭和47年12月12日、広島市役所編、㈱名著出版
『飽薇光華録 附芳名録 上』、昭和45年1月30日発行、益田啓編、
                            廣島縣私立修道中学校
『尚古』第二年 第八号、明治40年11月10日、山本群二、廣島尚古会

宮島千畳閣の絵馬
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  1. 2015/06/14(日) 21:25:00|
  2. 武道史

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