無双神伝英信流 大石神影流 渋川一流 ・・・ 道標(みちしるべ)

無雙神傳英信流抜刀兵法、大石神影流剣術、澁川一流柔術を貫汪館で稽古する人のために

芸藩弓道小史12

享保10年(1725)に設けられた「稽古場屋敷」ですが、この時剣術なども稽古できる藩の道場として設置されたようです。藩の道場としては他藩に比べて割と早く成立しているのですが、藩の資金がなく廃止になってしまったようで幕末に広島藩講武所ができるまで再び個人の道場で指導が行われたようです。
明和3年(1766)の、円明流剣術師範多田家は円明流剣術、円水流居合と半弓の術を家伝としていました。幕末には他流派との防具着用の試合稽古も行っています。



5月10日
藩士、勝田五左衛門(吉田流)・近藤彦兵衛・生熊金重郎の三名、弓射場に於いて通矢の練習を開始する。
(『廣島市史(第2巻)』p89)

正徳5年(1715)中
尾長村東南矢賀村境に弓銃の射的場を設ける。
(『廣島市史(第2巻)』p135)

享保8年(1723)
6月12日
藩主、御中小姓、小篠文太(吉田流)に銀三十枚を賜う。小篠は伊勢国、津藩士,吉田六左衛門につき弓術を修行し、廣島藩に於いて門弟に教授す。
(『廣島市史(第2巻)』p240)

享保10年(1725)
7月13日
藩府「稽古場屋敷」を白島に起こし、武術練習場とする。当時の弓術の師範に勝田五左衛門(吉田流)・小篠五左衛門(吉田流)・中尾五太夫・吉田四郎兵衛・佐瀬半左衛門あり。
(『廣島市史(第2巻)』p530)

享保13年(1728)
正月13日
小篠五左衛門(吉田流)、門生の教育に力を尽くし今回家伝の半弓発射法を藩主へ教授の故をもって新知行百五十石を給与。
(『芸藩史拾遺』(第26巻)p66)

享保20年(1735)
12月28日
当時、足軽一組中に銃手二十人・弓手五人という藩制であったが、これ以後、銃の射撃法は井上権之丞・奥弥三兵衛の両流で、弓の発射法は吉田五左衛門(印西流)・勝田太郎左衛門(吉田流)の両流で教練すべきことに一定する。
(『芸藩史拾遺』(第26巻)p67)

延享2年(1745)
正月20日
小篠文太元實没(吉田流)する。初め四郎五郎と称し、長じて文太といい、後、改めて五左衛門という。国前寺境内に葬る。7)(写真1)
(『芸備碑文集上巻』p40)

宝暦元年(1751)
4月8日
筒井弥右衛門季時(印西流)没する。筒井は初め吉田直勝に学び後、筒井兼暁に従って秘巻を得る。超覚寺に葬る。8)
(『安芸備後両国偉人傳』p299)

明和3年(1766)
6月14日
藩主・重晟、円明流剣術師範、多田源八紀久に家伝の半弓(大和流)の修練を命じ、その射法を検閲。
(『芸藩史拾遺』(第26巻)p67)

徳山市の東のあたりです。
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  1. 2015/06/02(火) 21:25:00|
  2. 武道史

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