無双神伝英信流 大石神影流 渋川一流 ・・・ 道標(みちしるべ)

無雙神傳英信流抜刀兵法、大石神影流剣術、澁川一流柔術を貫汪館で稽古する人のために

芸藩弓道小史 8

Ⅳ 広島藩弓術史年表

 人名と事績のみ判明していて流派名がわからない者が多いが、今後の研究により明らかにしていきたい。


慶長7年(1602)
12月

藩家第二世幸長公、江州堅田の住人、木村壽徳庵宗佐より日置流の印可状を受ける。
(『芸藩史拾遺』(第26巻)p61)

寛永年中
(1624~1643)

蒲生飛騨守浪人、岡越前広島に来て弓細工を教え、藩士の求めに応じ製作。また、藩用の弓も製作す。
(『廣島市史(第1巻)』p390)

承応元年(1652)中

勝田五左衛門、玄徳公の命により加賀藩士吉田左近太夫(吉田流)につき弓術修行。印可を得て翌年帰藩
(『芸藩史拾遺』(第26巻)p62)。

明暦2年(1656)中 
 藩府、京都蓮華王院三十三間堂に擬して城内三館境内に射場を新築
(『芸藩史拾遺』(第26巻)p62)。

閏4月晦日
藩命により徒歩小姓入江吉左衛門の倅,入江八郎右衛門、京都三十三間堂で矢数を試す。
(『芸藩史拾遺』(第26巻)p64)

9月19日
入江弥太郎(後に茨木弥太郎と称す)、湯川重三郎、入江八郎左衛門へ翌春上京矢数修行を命じ銀三貫四百五十目を下賜す。
(『芸藩史拾遺』(第26巻)p62)

9月19日
 入江八郎右衛門、矢数試しの功により切米15石と三人俸で採用さる。
(『芸藩史拾遺』(第26巻)p64)

瀬戸内海を広島から大分の鶴崎へ向かう航海図です。現在の広島市の中心部の対岸に宮島が位置していたり、おかしなところも多々ありますが、当時の人の感覚ではそうだったのだと思います。
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  1. 2015/06/08(月) 21:25:00|
  2. 武道史

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