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無双神伝英信流 大石神影流 渋川一流 ・・・ 道標(みちしるべ)

無雙神傳英信流抜刀兵法、大石神影流剣術、澁川一流柔術を貫汪館で稽古する人のために

芸藩弓道小史 4

日置流

 流祖・日置弾正正次は伊賀平氏の出自で、その射法を伝えるとともに源氏系の逸見の射法も伝えた。文明の頃佐々木氏が多賀党と近江箕作山西麓に戦ったとき、佐々木氏のために奮戦し、後土御門天皇にも仕えた事があるという。正次は弓術修行のため諸国を遊歴し、審固持満・飛貫中の秘術を会得したという。3)
廣島藩では、日置流には文化の頃に父山下角太夫より教を受けた山下勘左衛門があった。幕末には山下角太夫がいる。また、前述の神尾弌之があった。

吉田流

吉田流弓術の祖といわれる吉田重賢は近江国蒲生郡河森に生まれた。幼時から家伝ともいうべき源氏系の逸見・武田・小笠原の古流弓術を習得したが、日置弾正正次に学び新流の開祖となった4)
 廣島藩の吉田流は勝田家によって伝えられていた。承応元年(1652)、玄徳公の命により勝田五左衛門は、加賀藩士吉田左近太夫につき弓術修行。印可を得て翌年帰藩し、それ以降勝田家が師範となった。この系統は左近衛門流とも呼ばれていた。
これとは別に小篠家によって伝えられた吉田流もあった。享保の頃、御中小姓、小篠文太は伊勢国、津藩士,吉田六左衛門につき弓術を修行し、廣島藩に於いて門弟に教授を始めた。この後五左衛門・斧槌・三左衛門・五左衛門と続き幕末に小篠吉左衛門があった。三左衛門の子五左衛門は伊勢国津の吉田家から相伝の秘書を授かり、また、もう一人の子源左衛門は諸国遊歴の後、常陸国水戸に居住し、門弟を育成した。

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  1. 2015/06/04(木) 21:25:00|
  2. 武道史

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