FC2ブログ

無双神伝英信流 大石神影流 渋川一流 ・・・ 道標(みちしるべ)

無雙神傳英信流抜刀兵法、大石神影流剣術、澁川一流柔術を貫汪館で稽古する人のために

昇段審査論文 12

1.はじめに
 大石神影流剣術の指導における留意点について述べる。
 本論文は大石神影流剣術を稽古するものが正しい道筋で上達していくため、指導者がどのような点に着目し、どのように振る舞うべきかを論じるものである。

2.個人に応じた指導
 大石神影流剣術の指導において、門人全員に画一的な指導を行ってはならない。
 人間の心身は個々人によって異なる。身長、体重、性別、年齢、身体能力、性格、武道経験の有無、武道以外の運動経験の有無、など。あらゆる条件が異なっているのが当然である。

 個々人の特質による違いの例として、以下のような状況が考えられる。
 ・腕力が弱い者は力で剣を振る事は無いが、腕力が強い者は力で振ってしまう。
 ・剣道の経験がある者は竹刀の振り方で剣を使おうとする。
 ・素直な性格の者はこちらの指導をそのまま理解しようとするが、頑固な性格の者は自分の価値観に当て嵌めて理解しようとする。

 同じ人間は一人としていないのに全員に同じ指導を行っていては、流派の教えを正しく理解させることは不可能である。個人の特質を良く見極め、当人が大石神影流剣術の稽古における正しい道筋を進んで行けるように導き、間違った道筋に入ろうとしているときには正しい道筋に戻すような指導をしなければならない。
 よって、集団教授法による稽古は不可能であり、指導者と門人のマンツーマンでの指導が必須だと考えられる。

3.基本を身に付けさせる
 初心の段階で基本をしっかりと見に付けさせることは大石神影流剣術の指導において最も重要なプロセスである。基本が身に付いていなければ、その上に成り立つ技術を理解できるはずはなく、正しい道筋で稽古をしていくことは不可能になってしまうからである。
 大石神影流剣術における基本とは主に以下の事柄を指す。
 ・無理無駄が無く、調和が取れている
 ・肚、臍下丹田を中心に全身が統一されている
 ・すべての動き・発声は呼吸に乗せて行う

 初心の段階において、これらを理解し、稽古の正しい道筋に入るためには礼法、歩法、構え、素振りなどの基本稽古を繰り返し行い、しっかりとした基礎を身に付けさせるべきである。以下にこれらを指導する際の留意点を述べる。

(I)礼法
 大石神影流剣術で礼法といえるのは神前の礼くらいで、これは極めてシンプルなものだが、正しく稽古すれば基本の習得に適した動きである。
 留意すべき点としては、天から降り脳天から左右の脚の真中までを貫き地面の下に至る流れ、すなわち重力に支えられて立っているか、体を落としていくときは脚を曲げるのではなく、体が緩むことによって自然と体が落ちていくのか、に気を配る必要がある。
 重力の働きと大地に身を委ねて立つことはあらゆる動きの基点であり、他の動きの稽古に与える影響も大きく、これを理解することは極めて重要である。

(II)歩法
 剣を持たずに、あるいは剣を構えて前後に歩くことはあらゆる攻防の動きに繋がるものであり、極めて重要な基本稽古である。
 礼法と同じく重力の流れを感じ、大地に体を預け、どこにも力みなく立てているか、歩く際は地面を蹴って進むのではなく、重心の移動によって進退できているのかに留意する必要がある。

(III)構え
 構えが正しく取れていなければ、その構えから始まる攻防の動作も当然正しいものにはならない。基礎がしっかりと身に付くまで繰り返し稽古させるべきである。
 構えにおいて留意すべきは完成形ではなく、構えるまでのプロセスである。小手先の操作で剣を移動させるのではなく、肚を中心とした動きで構えることができているかどうか、呼吸に乗せて動けているかどうかが重要である。

(IV)素振り
 素振りも構えと同じく、腹を中心として動き、呼吸に動きを乗せることが重要である。吸う息に乗せて上段に振りかぶり、吐く息に乗せて中段まで振り下ろす、このように動けているかどうかに留意すべきである。

4.駄目な動きを理解させる
 下手な動きと駄目な動きとでは明確な違いがある。下手な動きはレベルが低いが方向性は正しく、いずれ上達可能な動きであり、駄目な動きは方向性が異なり、いくら繰り返しても大石神影流剣術としての上達に結び付かない動きである。また駄目な動きのほとんどは、大石神影流剣術の稽古を始めるまでの人生で当たり前に身に付けてきた極めて常識的なものであることが多い。大石神影流剣術やその他の古武術の動きは江戸時代以前の日本の生活習慣が前提となっており、衣食住のあらゆる条件が江戸時代以前と異なる環境で育ってきた現代人の場合、身に付けている駄目な動きの割合も江戸時代以前と比較して大きいと考えられる。
 大石神影流剣術の稽古は全く新しい技術を身に付けていくのではなく、既に身に付けてしまった駄目な動きの一つ一つに気付き、理解し、取り去っていくプロセスに費やす時間がその大半となる。駄目な動きは本人にとって当たり前のものであり、無意識に行っていることが多いため、気付くことが難しい。何が駄目な動きなのかを理解できるまで指導する必要がある。

5.悪癖を身に付けさせない
 前項の「駄目な動き」を理解・修正できないまま稽古を進め、その動きで流派の技を行うようになってしまうと後から正すことは難しい。そのように悪癖として身に付いてしまった動きを正しい動きに修正するのはそれを身に付けるときの何倍もの労力を必要とする。一旦身に付いてしまった動きは当人にとって当たり前のものであり、それを悪いものだと認識し直し、捨て去るのは非常に困難な作業だからである。
 駄目な動きを行ってしまいがちな原因の一つはそれが「実感を伴う動き」だからである。力を込めて剣を振った、力強く地面を踏みしめた、といった自分が動いたという事をしっかり認識できるような動きをしたいと思ってしまうものだが、肚を中心として無理無駄なく動いた場合、体に実感は残らないものである。ある程度稽古が進んだ段階の者でも実感を求めて駄目な動きをするようになり、それが悪癖として身に付いてしまう危険は常に存在するので、注意しなければならない。指導者は門人が駄目な動きをしていないかに気を配り、悪癖を身に付けず、正しい道筋で上達していけるよう留意する必要がある。

 他に悪癖として身に付きやすいこととして「手順を追ってしまう」ことがある。初心の段階では仕方ないことだが、ある程度身に付いたら手順に囚われていてはならない。実際の状況は手順通りに進むものではなく、敵対の意思を持つ相手は自由に考え、自由に攻撃を仕掛けてくるものである。それに対処するにはこちらも自由でなければならない。どのように状況が変化しても自在に対処できる体の働きを養わなければ、大石神影流剣術において上達したとは言えない。手順に沿って稽古しながら、どのようにでも変化できる動きを目指すべきである。門人が手順を追う傾向を見せ始めたら、指導者はそれを直ちに戒めなければならない。

 以上のように悪癖とは流派が目指している動きとは逆の方向性を持った動きを指すものだと言える。門人がそれを身に付けることが無いように気を配らなければならない。

6.言葉による指導は最小限とする
 言葉による指導は簡単にイメージを伝えることができ、状況によっては有効に働くものであるが、最小限に控えるべきである。
 言葉の解釈は個々人が身に付けてきた知識・価値観によって異なるものであり、必ずしも指導者の意図した通りに門人が捉えるとは限らない。また人間が完全に理解できるのは当人が到達しているレベルのことまでであり、自分ができないことは言葉で聞かされても正しく理解できない場合が多い。
 誤ったイメージを植え付けてしまえば、間違った方向へ導くことになり、上達の妨げとなってしまう。このようなことから、言葉による指導は補助的に用いるに留めるべきである。




7.想定を正しく理解させる
 動きの意味合いを正しく理解していなければ、正しい道筋で稽古することは不可能である。構えや手数の想定を理解して稽古しなければ、それらに込められた教えを汲み取ることはできない。指導者は門人が想定を正しく理解して稽古を進められるよう導かなければならない。

(I)構え
 構えの稽古において留意すべきは何故その姿勢を取るのか、それに込められた意味は何かを理解させることである。以下に挙げるものは大石神影流剣術の特徴といえる構えであり、これらを正しく身に付けることは流派の教えをより深く理解することに繋がるため、非常に重要である。

(I-I)上段
 兜の前立てを避けるため、頭上に掲げず、額の上辺りに振りかぶる。また小手を切られにくくする構えでもある。
(I-II)附け
 突き技で有名な大石神影流剣術を象徴する構えであり、これを正しく身に付けなければ大石神影流剣術を修めたとは言えないほど大事な構えである。
 切先は相手の左目を指向し、左手は柄頭をくるむように保持する。最も大事なことはいつでも相手を突けるように切先が生きて働いていることである。
(I-III)下段
 下から相手を攻める構えであり、ただ手の位置と切先の高さを下げるだけでは大石神影流剣術の下段とは言えない。
 中段に構えているときよりも更に下肢が緩むことにより自然と切先が下がるのでなければ、求められている働きをなす構えにならない。
(I-IV)脇中段
 剣道や他流派で八相と呼ばれる構えに近似した構えであるが、弓を引くかのように右腕が地面と水平になるように構えるのが特徴である。剣道・他流派の剣術の経験がある、またそうでなくても八相という構えを知っている門人には八相との違いをよく理解させる必要がある。

(II)手数
 手数の稽古においてはただ手順を追うだけの稽古をさせないのはもちろんだが、想定に込められた流派の教えを理解できるよう導くことが大変重要である。
 以下、全ての手数に共通する留意点について述べる。

(II-I)最初の構え
 ほとんどの手数は中段の構えを基点として、そのまま中段で、あるいは他の構えに変化してから間を詰める構成になっているが、ただそういう手順だからと思って漫然と構えてはならない。最初に構える時も対敵の関係性の中で相手の働きに応じて構えるものであり、攻防は手数の手順に入る以前から始まっているのだと理解させなければならない。

(II-II)自分勝手に動かない
 手数は対敵の技術を学ぶためのものであり、当然だが相手がいるのが前提である。そのため決して自分勝手に動いてはならない。相手の攻めに応じるにしろ、こちらから仕掛けて相手の反応を引き出すにしろ、相手の状態を無視して技を仕掛けては手数は成立せず、それに込められた教えを学ぶことはできなくなる。
 手順を覚えた者は早くその手順を完成させたくなり、相手を無視して動きがちなものだが、そのような傾向は厳しく戒めなければならない。

(II-III)残心
 手順が一段落したからと気を抜いてしまっては手数の稽古は意味の無いものになってしまう。実際には相手が再度仕掛けてくるかもしれず、他の敵がいる可能性もある。手数の稽古を通して学ぶべきものは何が起きるかわからない状況で自由自在に対処できる心身の働きであり、そのためにはしっかりと残心が取れているのかに留意すべきである。

(II-IV)途切れるところは無い
 これまでの項目で述べたように手数の稽古はその手順の前後にも気を配らなければならないものである。常に状況がどのように変化しても対処できるような心の状態でなければならない。
 複数の手数を連続して行う場合は、一つの手数の手順が終了したところで気を抜いてしまいがちなものだが、当然そのようなことがないように指導する必要がある。

8.知識を身に付けさせる
 大石神影流剣術は江戸時代から続く伝統文化であり、流派自体の歴史、土地柄・同時代の出来事などの流派が生まれた背景、用いる稽古道具の特徴、などの知識を学ぶことも重要である。
 また他者を傷付けるために用いることも出来る技術であるため、その本質を知り、決して悪用しないよう、しっかりした精神的背景、倫理観・道徳観を身に付けるためにも流派にまつわる知識だけでなく、様々な知識を学ぶことが大切である。
 実技には興味があっても知識に興味を持たない者は少なくなく、ある程度専門的な基礎知識が無いと理解が難しい部分もあり、一朝一夕に見に付くものではない。指導者は実技の教授以外にも折に触れて知識の学習を促していかなければならない。
 流派の歴史には興味が持てなくても、歴史上の偉人には興味があり、その繋がりから興味を引き出せる場合もある。様々な方向から門人の興味を引き出せるよう、一人々々と会話することや、色々な質問に答えられるよう指導者自身の知識を増やしていく努力も必要である。



9.常に最高の技を見せ、向かうべき方向性を示す
 門人にとっては普段目にする指導者の技がそのまま稽古の指針となるため、指導者は常に己の最高の技を見せることを心掛けなければならない。
 指導者が駄目な動きを示してしまえば、門人が素直であればあるほど、駄目なまま取り込んでしまう。先述したように一度身に付いた駄目な動き、悪癖を取り除くことは難しく、正しい方向へ修正するために大変な労力を要する事になってしまう。
 指導者は可能な限り正しい方向性を示す必要があり、そのため指導者自身が常に正しい方向へ向かって上達し続けるよう不断の努力が必要である。
 当然のことだが、門人や見学者などに良いところを見せよう、などという考えや、自分の方が上だろう、というような慢心は厳に慎むべきものである。
 また門人には現在の指導のレベルではなく、その目指すところを目標にすべきであることを理解させることも重要である。先の述べたように指導者といえども、常に上達し、変化し続けているべきものであり、一時の状態を参考にし続けては、いずれそのレベルに停滞してしまうことになるからである。

10.打太刀をするとき
 門人の相手に立って打太刀をするときはゆったりとした呼吸に乗せて動くことが重要である。対処できないような早さで動いてしまえば、門人は無理に合わせようとするため、正しい動きを学ぶことが出来なくなってしまうからである。門人の動きを引き出し、手数の理合を学び取れるよう導く働きをしなければならない。
 また門人が手順を間違えても慌てずに対処しなければならない。指導者自身がどのような状況でも対処できるような心身の働きを身を以って示すことが大切である。そのためにも前項で述べたように指導者自身が常に上達し続ける努力が必要である。

11.おわりに
 以上、大石神影流剣術の指導における留意点について述べた。
 様々な観点において留意すべきことを述べたが、最も大切なのは流派の教えを正しく伝え、正しい上達の方向へ門人を導いていくことである。
誤った指導を行えば、間違った方向に門人を導き、長きにわたる伝統を歪めてしまいかねない。一度誤った形が伝われば、それを正すことは極めて難しいものである。
伝統を正しく伝え、大石神影流剣術を後世に伝え残すためには指導者自身が正しい方向を向いているのか常に自問し続ける必要がある。


参考文献
1)森本邦生:貫汪館 本部ホームページ
2)森本邦生:「道標」

DSC_0173.jpg

  1. 2014/10/29(水) 21:25:50|
  2. 昇段審査論文

FC2カウンター


無料カウンター

プロフィール

貫汪館館長(無雙神傳英信流 大石神影流 澁川一流)

Author:貫汪館館長(無雙神傳英信流 大石神影流 澁川一流)
無雙神傳英信流抜刀兵法、大石神影流剣術、澁川一流柔術 貫汪館の道標へようこそ!
連絡先は貫汪館ホームページで御確認ください。

カテゴリー

ブログ内検索

リンク

このブログをリンクに追加する

最近の記事

月別アーカイブ