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無双神伝英信流 大石神影流 渋川一流 ・・・ 道標(みちしるべ)

無雙神傳英信流抜刀兵法、大石神影流剣術、澁川一流柔術を貫汪館で稽古する人のために

昇段審査論文 9

大石神影流剣術4段の論文です。

「大石神影流剣術指導上の留意点について」
                               
Ⅰ.はじめに
 大石神影流剣術は初代大石進が江戸時代末期に創始した剣術流派である。現代の武道と比較して、いわゆる古武道と呼ばれるものである。これらの古武道はそれを創始した流祖の考えが強く反映されていると考えられ、それぞれの流派の教授体系を有している。大石神影流剣術においてもそれは例外ではなく、大石進の考えが形の中に反映され、それを抜きにして大石神影流剣術を指導してゆくことはできないと考えられる。それでは、次にどのような事に留意して指導を行えばよいかを「構え」・「素振り」・「試合口」を通して考えて行きたいと思います。

Ⅱ.構えについて
 まず、初めに指導をしなければならない事は構えであると考えます。古武道各流派には、それぞれ独特の構えを有しているものがあり、それは大石神影流剣術にもあります。また、いわゆる中段・上段・下段と呼ばれている構えにも守らなければならないことがあります。それらの構えの一つ一つを基礎とし、正確に行わなければ大石神影流剣術であるといい難いと考えます。初めに学ぶ事の説明として「兵法家伝書」において柳生但馬守宗矩は次のように説明をしています。

 「大学は初学の門也。と云事、凡家に至るには、まづ門より入者也。然者、門は家に至るしるべ也。此門をとおりて家に入り、主人にあう也。学は道に至る門也。此門をとおりて道にいたる也。しかれば、学は門也。家にあらず門を見て、家なりとおもう事なかれ。家は門をとおり過ておくにある物也。」

「大学」とは儒教の聖典であり、四書の一つです。「兵法家伝書」では、この「大学」が学問を志す者・学問を始める者にとっての「門」であると例え、「門」をとおりて「道」に到達すると述べています。つまりどのような事においても基礎、初めに習うことが大切なことであるということだと考えます。そこを疎かにして武道においても上達は無いと考えます。大石神影流剣術においても構えが「門」に当たると考え、構えを正しく指導することが始まりであると考えます。それでは、構えを具体的にどのように指導すべきなのでしょうか?
 一般的に思い当たる構えとして、「中段」・「上段」・「下段」などがあげられると思われます。大石神影流剣術においてもそれらの構えは存在しています。まずはこれらの構えを中心に指導し、大石神影流剣術で守らなければならない事を指導してゆくのが良いと考えます。また、大石神影流剣術は甲冑を用いていたころの剣術の色合いを濃く残しているのが特徴であり、足の構えは撞木となり、現代剣道のように立つことはありません。そこのところも構えを通して指導してゆくのが良いと考えます。その後、「中段」・「上段」・「下段」などと構えを変化させ、それぞれの構えの求める身体のあり方を身に付けるように指導をしてゆきます。また、その他に「附け」・「脇中段」・「脇上段」・「裏附け」・「車」と大石神影流剣術の構えを指導しなければなりません。構えについては宮本武蔵が「五輪書」のなかで述べています。

 「五方のかまへは、上段、中段、下段、右わきにかまゆる事、左のわきにかまゆる事、是五方也。構五ツのわかつといへども、皆人をきらん為也。構五ツより外はなし。
 いづれのかまへなりとも、かまゆるとおもはず。きる事なりとおもうべし。
 構の大小はことにより利にしたがふべし。上中下は体の構也。両わきはゆうの構也。右ひだりの構、うえのつまりて、わき一方つまりたる所などにての構也。右ひだりは所によりて分別あり。
 此道の大事にいはく、構のきわまりは中段と心得べし。中段、構の本意也。兵法大きにして見よ。中段は大将の座也。大将につきあと四段の構也。能々吟味すべし。」

 ここでは、「いずれのかまへなりとも、かまゆるとおもはず。」と言うことに留意しなければならないと考えます。そこで、「構のきわまりは中段と心得べし。」とあるように、中段を基本としそこからあらゆる構えへと変化をすることを指導します。構えを指導しますが、構え無いということを厳しく指導しなければなりません。
 それから、もう一つ重要な事を指導しなければなりません。ここを疎かにすると今後形を稽古する時に「華法剣術」となり上達をすることは望めません。それは、「呼吸」と「肚」で構えを行うことです。「肚」を中心として「呼吸」にのせて構えを行うことを指導しなければなりません。「肚」と「呼吸」を意識して稽古をすることで、「五輪書」に述べられている「かまゆるとおもはず。」と言う事が理解しやすいと思います。
 構えが一通りできるようになれば、次に「素振り」を指導しなければなりません。素振りも呼吸に乗せて行わなければなりません。次に指導する形に繋がってゆくからです。素振りは速く行う必要はなく、あくまでも肚を中心として、自分の深い呼吸に合わせて行う必要があります。そして、この素振りの出来によって「形」が生きたものになるのか、死んだものになるのかが決まってくるのではないでしょうか。それほど、素振りを疎かには出来ないと言う事を指導するものは心に留めておかなければなりません。
 そして、もう一つ指導する者にとって心しておかなければならない事があります。それは、まず自らが構え・素振りを示すことです。ここで間違えてはいけないことは、動きを示すと言うものではなく、自分自身の最高の動きを示す事が大事と言う事です。言葉での指導ではなく動きをもって指導することを一番とすることを心しておかなければなりません。指導者の動きが指導を受ける者の指針となるからです。

Ⅲ.はじめに指導する「試合口」における「位を読む」・「張る」・「突き」について
 次に「形」を指導して行きます。「形」については、窪田清音が「劔法幼學傳授」の中で次のように述べています。

「一. 形の事
 劔法を學ぶの本は形を正しくするに在り。其の本正しからざれば、末皆整ひがたし。故に形を整ふるを以て先きとす。其の形如何んと云へば、各人常に歩履する所の姿勢卽ち天賦の形なるを以て、其の形の如くにして之れを失はざれば、手足の動作も正しきに、各人気よりして形に病を求め、天賦の正直なる形を失ひ、或は偏り、或は歪む。是に於て腹の力脱け、腰の座宜しきを失ひ、手足の動作も意の如くならず、四肢の均衡を得ずして、癖を各處に見はし、其の形整ふことを得ず遂に不正の形に流る丶ものなれば、常に心を用い、身體を横にせざるを要とす。凡そ事は善きに遷ること難く、不善に趨くことは易きを以て、常に身を省み天賦の正しき形を失ふことなかるべし。」

 大石神影流剣術において最初に学ぶ形は「試合口」です。この「試合口」において大石神影流剣術で大切な「位を読む」・「張る」などを学びます。
 「試合口」では、最初に打太刀(指導者)と仕太刀がお互いに三歩歩み寄り、刀の切先を触れ合わせ、お互いの中心を捕るように左右に刀を動かします。指導者はここで切先を触れ合わせる距離を守るように指導しなければなりません。この距離は一歩前に出れば、相手を斬ること、突く事ができる距離であり、これを剣術の間合として身に付くように指導します。この間合で「位を読む」事が大切であると考えます。この間合については、窪田清音が「劍法初學記」の「相互の距離」で次のように述べています。

 「一.敵手と相對する相互の距離を場合と曰ひ、互に相構へて掛合せ太刀先大抵三寸五分合せたる所を謂ふ。打つにも突くにも互いに一歩を出でざれば達せざる所を場合の定めと爲し、此の間に於て構ひ掛合を爲し聊か浮沈を爲してあるべきなり。前に記す所の上太刀になり聊か抑ゆると云へるは一の別格なり。」

 大石神影流剣術では三歩歩みより切先の触れる距離で「位を読み」・打ち・突きまたは形の終わりに切先を合わせ終わります。この間合が疎かになると剣術ではなくなり、大石神影流剣術ではなくなります。故に、指導者はこの間合を正確に指導して行くことを忘れてはなりません。
 この間合が取れる事から「試合口」においては「位を読む」ことが始まります。この「位を読む」事をただ単に切先を触れ合わせ左右に動かせばよいと考えるのは間違えです。「位」と言う事ですが、これは相手の力量・状態・隙などを測る事であることを厳しく指導することが求められます。
 それでは、「位を読む」にはどの様な事をまずは指導するべきなのでしょうか。ここでは、最初に指導をした「構え」が重要になります。お互いが中段の構えで「位」を読みますが、構えてしまうと身体が硬さを持ち相手との繋がりは消えてしまいます。そこで、呼吸を深く行うように指導をし、身体を柔らかくすること、リラックスをするように導きます。そうする事で「肚」から「刀の切先」までが繋がり、その先にある「相手」とつながる事が可能になります。
 指導者は「肚」を中心として「呼吸」に乗せて動き、刀の切先を通じて「相手と触れ合う」と言う事に留意する必要があると考えます。
 
 次に、大石神影流剣術の中で重要となる「張る」と言う動きについて考えてみたいと思います。この「張る」と言う動きは、「打太刀が斬って来る刀を鎬で受けて落とす。」と言葉で説明をするとこの様になるかと思われます。「位を読む」もそうでしたが、この単純な動きの中に深い物が含まれている事を教える事も指導をするうえで忘れてはならない事です。
 まず、打太刀が斬って来るのを受ける時の注意点ですが、柔らかく受けることを疎かにしてはいけません。また、腕で受けるわけではありません。受けるためには身体を柔らかくし、刀を通して「肚」で受けることを工夫しなければなりません。「受ける」という言葉のイメージで、受け止めるのではなく、打太刀の刀を受け入れるようにすることに留意しておかなければなりません。
 次に、受け止めた刀を「張り」ます。受け止めた刀を落とすのですが、これも腕で落とすと勘違いをしてはいけません。刀を「肚」で受け止めたのち、「肚」、つまり「臍下丹田」からのつながりと、呼吸に乗せた動きで打太刀の刀を「張り」ます。
 これらの動きを行う際に、仕太刀は動きに囚われ、腕のみの力で行いがちになります。そこのところを、指導者は「肚」と「呼吸」に留意して、自然な体の使い方を求めるように指導をしなければなりません。この自然な体と言う事について、柳生新陰流兵法第二十二世宗家 柳生耕一厳信先生の著書「負けない奥義 柳生新陰流宗家が教える最強の心術」の中で、自然な動きとして、柳生新陰流の「性自然」を次のように説明されておられます。

 「太刀という道具と自らを一体化する「刀身一如」、心と身体を一つにする「心身一如」こそが性自然の目指すところ。動きを作ろうと意識した段階ですでに自然な動きから外れています。人として自然に備わったあるがままの働きと尊ぶという意味で、それを「性自然」と称するのです。」

 また、この著書の中で日本人が食事で箸を使う時、その存在を意識せずに箸を使っていることを例えとして述べています。存在を意識せずに箸が使えるように、刀を自身の一部として使えるようになる事が大切であると考えます。そしてこの様な、「自然に備わったあるがままの動き」で「張る」動きが出来ることが望ましいと考えます。

 最後に「試合口」には多く「突き」で形が終わっています。この「突き」について述べておきたいと思います。
 大石神影流剣術にとって「突き」技は大切な技です。初代大石進は、「刀剣は、斬るばかりでなくその先端は尖っていて突くようにできている。然るに刀法に突技がない。」と考え、両手突きの技と片手突きの技を考案されたと伝わっています。また、刀術目録で突き技の動機を述べた条に、「刀の先尖は突筈のものなり」とあって、初代大石進は刀の構造を分析して「突く」と言う見識に達していることは明らかで、そこには槍術説を裏付ける言葉は一言半句も述べられてはいない。この様な事を、藤吉 斉は大石神影流剣術の歴史を研究され、彼の著書「大石神影流を語る」で発表されております。
 さて、それでは、具体的に「突き技」をどのように指導して行けば良いのでしょうか。身体的には今まで述べてきたことと何ら変わることはありません。身体は柔らかく、肚を中心として、肚から腕の内側を通った意識が刀の先に繋がります。その線を保ったまま突いて行きます。突き技で指導上留意しなければならないことは、やはり「肚」と「呼吸」です。「呼吸」に乗せて「肚」で突きます。決して腕で突かないように注意をします。意識の上では打太刀の顔面を突き切ることです。それから、突いた後ですが、固まらないように指導しなければなりません。以上な様な事に留意しながら、「突き」については指導をして行かなければならないと考えます。

Ⅳ.気合いについて

 最後に、大石神影流剣術においての気合いについて述べておきたいと思います。大石神影流剣術においての気合いの掛け声には、①.こちらから斬り込むときは「ホーッ」・②.応じて斬り込む時は「エーッ」・③.受ける時は、小さく「ハッ」とこの三種類があります。これらの気合いの掛け声は、大石神影流剣術の特徴であり守らなければならない事です。しかし、守ろうとするあまりに気合いにおいての大切な事である「深い呼吸」が出来ていないと言う事です。ここのところを指導者は、見分け、的確に指導しなければならないと考えます。このことについて、「常靜子劍談」のなかで、松浦靜山は次のように著しています。

「一.劍術を學とき聲をかくること、聲に虛聲實聲あり、虛聲は悪く實聲は善きことは勿論なり、其聲いかがにしても能しと心得るは不宜なり故につとめて實聲を旨として、虛聲を發すること有るべからず、此虛聲の聲、耳にも心にも不分者は劍術の意志は未悟としるべし。」

 虛聲とはただ単に声を出す事または小さい声とがんが得ます。そして、實聲とは深い呼吸がなされ、その呼吸にのって出されるものであると考えます。この聲の違いが分からないものは剣術の上達は難しいと言う事だと考えます。また、指導を受ける物の上達も阻害にかねません。指導者はこの聲を聞き分け的確に指導して行くことに留意しなければなりません。

Ⅴ.まとめ

この様に、大石神影流剣術を指導するうえでまず留意しなければならない事は、大石神影流剣術は現代武道とは異なる古武道であり、江戸時代に初代大石進によって創始された剣術流派であると言う事です。これらの流派には流祖の考えが「形」の中に反映されており、それが教授体系となっています。故に「構え」・「気合い」も含め「形」と言うものを正確に教えなければならないと言う事です。
次に、これらの「構え」や「形」を行う上で大切である「肚・臍下丹田」と「呼吸」の指導を怠らないと言う事です。「形」のみを指導し、その者がいくら見事に形を行ったとしても、それは「実践」には何の役にも立たない、所謂「華法剣術」になってしまいます。江戸時代に創始された古武道とはいえ、我々は現代に大石神影流剣術を稽古しています。形のみ出来ても中身の伴わないものは意味の無いものです。「肚」を中心に動き「深い呼吸」を行って稽古をすることは、「形」に「魂」を入れるものであり、ここの所を指導者は留意して指導をしていかなければならないと言う事です。
今回は、大石神影流剣術の「門」のところである、「構え」・「素振り」・「試合口」を通して指導上の留意点を観てきましたが、これらの事はこの後の「形」にも生きてくることであり、上達へと導くために指導者は留意しなければならない点であると考えます。



<参考文献>

1)藤吉 斉 「大石神影流を語る」 第一プリント社 初版 1963年10月20日
2)加藤 純一 「兵法家伝書に学ぶ」 財団法人 日本武道館 再版第1刷  2004年3月1日
3)宮本 武蔵 著  神子 侃 訳者 「五輪書」 徳間書店 七四刷  2001年2月5日
4)柳生 耕一平厳信 「負けない奥義 柳生新陰流宗家が教える最強の心身術」
   ソフトバンク クリエイティブ株式会社 初版第1刷 2011年5月25日
5)山田 次朗吉 「剣道集義 正続」 合資会社 高山書店 第7刷 1975年9月1日
6)吉田 豊 編者 「武道秘伝書」 徳間書店 20刷 2000年7月10日

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  1. 2014/10/26(日) 21:25:13|
  2. 昇段審査論文

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