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無双神伝英信流 大石神影流 渋川一流 ・・・ 道標(みちしるべ)

無雙神傳英信流抜刀兵法、大石神影流剣術、澁川一流柔術を貫汪館で稽古する人のために

昇段審査論文 4

澁川一流柔術4段の論文です

「澁川一流柔術指導上の留意点」

 澁川一流柔術の指導だけではなく、誰かに何かを指導するということにおいての一番の留意点とは、指導者の指導が人それぞれの個性に合わせた指導であるかどうかということです。 
 『教育の過程はどのように進行していくのか、人間はどのようにして学習していくのか、教える者と教えられる者との人間関係が教育にどのように影響していくのか、などの理解がなくて、がむしゃらに専門的知識を生徒に詰め込もうとしても、その知識は生徒のみに定着しないし、生徒の成長にも役立たない。』
 以上の抜粋は学問としての教育をテーマとしたものですが、全ての教える立場の者が頭に入れておかなければならないことです。指導とは、自分の知識を指導対象者にわからない言葉や動作で伝え、さらには理解してもらおうと指導者が努力をしないような自己満足なものではなく、自分の知識を相手個人が理解できるような言い方や工夫などを凝らし伝え、相手に理解してもらう教えのことを言うのです。また、それぞれの個性に合わせた指導とは相手の年齢、経験、考え方を指導者が知る必要があります。指導を受ける者の努力も必要とされますが、それ以前に指導者の教えるための知識、指導対象者を知ろうとする努力が必要となってくるのです。
 このことを踏まえ、澁川一流柔術の指導についてです。勉学などの頭を使わなくてはならないものの指導は口で説明し、時には紙に書くなどして視覚的に指導するものですが、澁川一流柔術などの古武術、剣道や柔道などの武道においての指導は思考する力だけでなく自分自身の体の動きを相手に理解してもらわなくてはなりません。体の動きを口頭だけで説明するというのは非常に困難なことであるので、澁川一流柔術の道場では座学ではなく、実際に相手に体の動きを体感してもらう稽古が行われています。稽古で指導者の動きをそのまま”形”だけ真似するのは簡単なことですが、指導者は体の中心から動くことや間合い、相手の中心を感じることや呼吸の仕方など、列挙してもキリがないほどの多くの”中身”を持った動きを示しているのです。故に形だけを追う者に指導者は、形は中身があってこそなるべき形となることを教えなければなりません。その際に、指導者は教える相手をよく見て指導をしなければなりません。

 指導する相手について、流派によるところもあるかもしれませんが、指導者は指導対象である相手が大人であれ子供であれ指導することができなければなりません。しかし実際には大人への指導と子供への指導は勝手が違うので、澁川一流柔術の指導者は双方の指導法について考えなくてはなりません。
まず、大人への指導について考えます。澁川一流柔術の指導にあたってまず大事なことは力を入れての行動をやめさせることです。ただ立っている動作ですら足腰に力を入れて立っていることに気づかせ、また柔術とは力任せに相手を制すものではなく、力を使うことなく相手を制することができるということを理解してもらわなければなりません。端的に言ってしまえば頭では理解できるかも知れませんが、ほとんどの人が立つ動作に対しても、実際に相手を制する際にしてもそれを示すことはできないはずです。これは足を棒のように突っ立てているので足を踏ん張らなくては自身の体を動かすことができず、動かしにくいものは手の力を使って動かす、というものが無意識に今日までに自分の体に染み付いてしまっているからです。体に染み付いてしまったものはなかなかぬぐい去ることはできないので、指導者は根気強く指導していかなければなりません。また、”中身”を教えるということに関してもいくつか注意しなくてはなりません。体の動きを口頭だけで説明するのは非常に困難であると述べましたが、実際に指導者は自身の体の動きを指導対象者に感じ取ってもらい、その補足として口頭で説明するという順序で指導するほうを理想としなければなりません。細かなところの全てを口頭で言ってしまうと、相手は言われた言葉を頭の中で繰り返し、結果動きとして出てくるのはどこかぎこちない動きとなってしまう恐れがあるからです。相手の性格にもよるところであるとは思いますが、指導対象者が指導内容を頭で考え始める動作を見せた際は時にはそれを中止させることも大事かもしれません。始めは指導者が何度もやってみせ、感じ取ってもらうことが一番いいのです。無意識についての指導は述べましたが、逆に意識的に柔術とはこうであるはずという強い思い込みがある場合や、指導対象者が今までになんらかの武の道に関わっていたりする場合も指導者は注意しなくてはなりません。こうであるべきという強い思い込みは相手に余計な力や理想を作らせてしまい、返って上達の妨げになってしまいかねません。他、相手がなんらかの武の道に関わっていた場合、例えばこれまでに柔道、剣道、弓道や空手などを経験している者にとって柔術とは今まで培ってきた武の延長線上のものであると考えている可能性があるので、それが柔術のあるべきものとかけ離れているものであればひとつずつ間違いを訂正していかなければなりません。それは時としてまったくの未経験者に指導することよりも困難なことであるかもしれませんが、上達するにつれて体を自由に使うことを覚え、他の武の上達へと繋がることもあるのです。指導対象者が大人である場合、指導者は体の動きかた、性格や意識や考え方を考慮した指導をしなければなりません。
 次に子供への柔術の指導について考えます。まだ成長過程である子供は経験も考え方も精神的にも幼い部分があり、大人への指導とはまた少し違ったところで指導者を悩ませることもあるかと思います。子供の指導は「礼に始まり礼に終わる」というように、学校だけでなく稽古の場でも礼儀や態度などが教えられます。むしろ学校で教えられる礼儀や態度よりも相手を尊重する、思いやるという意味でのそれらが稽古の場で多く学べるといった方が正しいのかもしれません。子供は幼ければ幼いほど目録上でみる稽古の進行速度は早くはないかもしれませんが、中身を作るという意味での上達は大人よりも早いです。それは子供は形に捕らわれず、教えられた動きを抵抗なく受け入れ、素直に実行に移すことができるからです。初めは細かいことは理解できず、ただがむしゃらに力を使って体当たりをしてくるような動作が見られたとしても、繰り返し指導することで動作を覚え、大人相手に力を使って向かっていったとしても無駄だと理解するようになり、ならば指導され感じた通りに無理無駄のない動きを真似ようとする姿勢が見受けられます。小難しい理論を説明されるよりも、指導者から感じることのできた”中身”を体で覚えて、それを自然と自分の動きとして取り入れることができるようです。また、これは道場の子供たちを見ていての気付きとなるのですが、子供の技の上達は精神的な成長も関係してくるようです。周りの環境からか、気持ちの変化なのか、学年が上がってくるにつれて前よりも落ち着いた振る舞いができるようになった子が著しく上達している様子が伺えます。小学生以下の子供が澁川一流柔術を始めようとする時、それはかなりの割合で親が子供に護身術を覚えさせたいといった要因が多いようです。子供本人の柔術を始めたいという気持ちよりも、親が子供に柔術を始めさせたいという気持ちのほうが勝っているのです。そのことから、稽古を長く続けている子供は柔術を始めた当初の気持ちが追いつかず、稽古に対して上達しようという気持ちが薄れてしまいます。しかし心身ともに成長した子供が柔術に対し、自分で上達したいなどといった気持ちを持っていれば、これは大きな上達のチャンスとなるように思います。しかしその気持ちを持つか持たないかは個人差によるところもありますが、指導者がいかにうまく相手に意欲を沸き立たせるかも関係してくるので、指導者も相手の気持ちを理解し、その子の気持ちを大事にするような指導をしなければなりません。ある程度学年が上がっている指導対象者は、自分を抑えるといったことができるので心配はいらないとは思いますが、基本的に子供は自分のしたいことをし、したくないことはしない、というわがままなものです。育った環境に依存するとは思いますが、幼ければその気持ちはより表に現れてくることでしょう。ここで指導者は稽古をしたい、という気持ちを相手に作ってやらねばなりません。指導者にとって、興味ややる気のない相手を指導するのは至難の技です。相手に柔術の稽古をどう興味付けさせるかが問題となってきますので、それについて少し考えてみます。現在の子供の興味や楽しいものといえばゲームやインターネットなどの仮想現実による世界であるとよく聞きますが稽古ではそのような仮想的なものではありません。『子どもたちは、どこまでが自分の実力でどこからがフィクションなのかの境界が曖昧のまま、自己不確実感にとらわれて生きているともいえよう。しかし、武道では自分の体を媒介として自分と出会う。さらに、自分がどこまで上達したか、どの程度の実力なのかにも、否応なしに直面するだろう。自分と出会い、自分を正しく理解し、自分を受け容れなければ前に進めないのである。』という文章からも伺えるように武術は仮想現実の世界で使うことのない、自身の体というものを使う。何かスポーツや武術などの自身の体を使うことに打ち込んだことのある人には理解してもらうことができると思いますが、仮想現実世界で仮想の自分を操作することよりも、自分の体を実際に使用して何かを成す、ということのほうが難しいのです。そこに楽しさを見出すことで子供の興味を引き出すことができるかもしれないと考えます。子供への指導は大人への指導と違って精神的なものから指導しなければなりません。しかし動きを見て、その動きを本当の意味での”中身”を感じることができるので口先だけの指導ではなく、指導者は大人へ指導する時以上に、中身を教えることのできるレベルでなけれればなりません。

 これまで指導者からみた指導対象者への指導法について述べてきましたが、ここからは指導者と私自身のことについて大きく二つのことに触れていきたいと思います。
 まず一つ目は、始めのほうで述べさせていただきましたが指導者は指導対象者を理解しなくてはなりません。指導者だって初めから指導者だったわけではないので、かつての指導される立場を思えば指導対象者の気持ちもわかってくると思います。しかし、その際にも指導対象者が大人か子供であるかを考慮して考えなくてはなりません。私は小学校低学年の時に澁川一流柔術を始めました。礼法の意味もよくわからず、言われるからやっていたような時期ではありましたが、あの時期から今日まで指導されていた礼法が私が普段の生活で役立てている”武器”になるものであったと今は思うことができます。私が澁川一流柔術において多くのことを身につけたのは子供の時期であったので今現在子供に指導する際、相手は何に行き詰まっているのか、今まで指導された内容をどのように受け取っているのかなど、なんとなくではありますが理解することができます。かつて私が指導された際に一番理解できた表現や方法で指導することで、指し示したかったことを相手に理解してもらうこともあるので、指導者のかつて指導してもらった表現などを自分の中で噛み砕くことができれば、それは指導者にとって上手な指導の仕方となっていくのではないでしょうか。しかし私が指導する立場になり、初めて相手の気持ちがよくわからないと思ったのは大人の方に前回り受身を指導する場面でした。その方は私が前回り受身を直接見せ、簡単な手順を教え、いざ実践いてもらおうとした際に前回り受身を怖いと言われたのです。前回り受身を教えてもらい今日までやってきて、私は前回り受け身を怖いと思ったことがなかったので、どう指導すればいいのかわからなくなってしまいました。子供たちが前回り受身を抵抗なくやろうとしてくれるのは、普段の遊びで体を一回転させる動作など多くやっているからであり、反対に大人の方が体を一回転させる動作など滅多にないことであるので、普段しない動作に恐怖を抱いたのだと考えるようになりました。その時指導する立場の難しさを感じ、より相手のことを考えた指導法を考えなくてはならないと感じました。相手の上達に指導者の行動や発言は大きく関わってくるので、指導者は自身の行動と発言に責任を感じなければなりません。
 そして二つ目は、指導者は自身の技術がこれでよいと慢心することがあってはなりません。私は武の道に完成はないと考えるので指導者が自身に満足してしまっては、指導者自身の上達を妨げるだけではなく、自身が指導している指導対象者の上達も妨げてしまうことになると考えます。指導者といっても未だ上達を目指して日々の稽古を重ねなくてはならないのです。また、指導者にとっての上達の瞬間は指導されているときのみではありません。確かにこれまでは指導される瞬間ばかりが上達の機会であったのかもしれませんが、指導者となる者は自身が指導対象者に指導をしている瞬間も自身の上達の機会であることを理解していなければなりません。相手に自分を重ね、相手の動きを見て学ぶことも稽古なのです。相手の上達の度合いによって時には自分もまだ掴みきれていないことまで教えなければならないこともあるかもしれません。そのときは同じように学べばいいのではないでしょうか。自分もわからないから教えない、という考えは指導者としては失格です。指導者はたとえわからないことであっても間違いは間違いとわからなくてはなりません。間違いがわかっているなら、指導者なりの理想もあるはずです。それを相手にも教えなければ、自分も上達しなければと向き合おうとしなければ上達はありえません。私は今、指導する機会と指導される機会が与えられているので、指導の際には相手の上達を見極め、相手に合った指導をし、自身の上達にも務めるために普段の稽古でも指導をする際も人のための稽古であると思わず、自身の稽古として励めるよう努力しています。

 澁川一流柔術指導上の留意点についてのまとめとして、指導者は自身の上達も望まねばならないが指導する相手の上達も考え、稽古しなければなりません。また指導とは相手を知り、その相手に適した指導法を探し出し、教えての繰り返しです。指導対象者が間違った方向にいかないよう、自身の行動と発言にも責任を持たなければならないのです。相手の上達の一端を担うということは責任も生じることではあるが、自身の上達と同様に、あるいは自身の上達以上に指導対象者の上達は喜ばしいことであることも私は理解しています。指導され、その指導を一生懸命こなしていくよりもはるかに高度なことが求められているのが指導者でありますが、自身のより大きな上達のためにも通らなければならない道であるということです。

参考文献
1)岩田純一、梅本夫:教育心理学を学ぶ人のために 世界思想者 初版 1995年
2)日本武道館:日本の武道 財団法人日本武道館 初版 2007

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  1. 2014/10/20(月) 21:25:20|
  2. 昇段審査論文

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Author:貫汪館館長(無雙神傳英信流 大石神影流 澁川一流)
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