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無双神伝英信流 大石神影流 渋川一流 ・・・ 道標(みちしるべ)

無雙神傳英信流抜刀兵法、大石神影流剣術、澁川一流柔術を貫汪館で稽古する人のために

昇段審査 論文 1

 今日から先日行った昇段審査の論文を載せていきます。皆さんそれぞれの立場からよく書かれていると思います。今日は澁川一流柔術の初段の論文です。

 
「武道における礼と澁川一流柔術における礼法について述べなさい。」

 この度、昇段審査論文の作成に取り組むにあたりましてまずはじめに武道における礼について記述させていただきたいと思います。
 以下に武道憲章の一部を抜粋させていただいております。
第二条 稽古に当たっては、終始礼法を守り、基本を重視し、技術のみに偏せず、心技体を一体として修練する。
第三条 試合や形の演武に臨んでは、平素錬磨の武道精神を発揮し、最善を尽くすとともに、勝っておごらず負けて悔やまず、常に節度ある態度を堅持する。
第四条 道場は、心身の鍛錬の場であり、規律と礼儀作法を守り、静粛・清潔・安全を旨とし、厳粛な環境の維持に努める。
第五条 指導に当たっては、常に人格の陶冶に努め、術理の研究・心身の鍛錬に励み、勝敗や技術の巧拙にとらわれることなく、師表にふさわしい態度を堅持する。

 第二条および第四条は「礼に始まり礼に終わる」という武道における理念を表し、第三条は試合における対戦相手や演武における神様や観客への礼を表し、第五条は指導における師としての礼を表しているのだなと解釈しました。武道憲章は全部で第六条までありますが、その半分以上が礼について触れているため武道の基本的な指針は礼を重んじていると感じました。
 また、現代における武道の教育を発達臨床心理学および教育臨床心理学の観点から着目しますと、稽古によって豊かな人間関係力、すなわち他者の気持ちを推し量ったり、場の空気を読む力などを獲得できることから人間形成に直接に結びつけられて考えられるようになってきておりますが、礼がその大きな要因になったと思います。
 以上より、武道における礼には精神性や道徳性のような、人間形成を実現する上での大事な要素が包含されており、時代を越えても自分たちが教えられ、そしてそれを実践しなければならない普遍的な概念が多くあるといえます。
 しかし、現代の武道における礼は形骸化の傾向にあるという側面も持ち合わせております。オリンピックなどの柔道の試合で見られるガッツポーズなどがそれにあたります。その原因として「武道における勝利至上主義、結果主義」や、「礼の意義についての伝統の忘却」などが挙げられております。
 前者は、試合の勝敗に捉われ過ぎてしまうことで礼が動作形式になってしまい、中身が伴わなくなるために、武道において尊重されるべき礼が無視されていることを指します。個人的な経験から記述させていただきますと、自分は高校一年生から大学二年生までの間、弓道をしてきたのですが、高校の弓道では礼と的を射る技術の両面を重視しているように見えたのに対し、大学の弓道では的を射る技術のみに重点が移っているような印象を強く持ちました。
 後者は、武道全体における礼の役割や内容やその方法が、「礼<お辞儀>をするという動作」という形式的な部分のみが重視されてきたものの、現在ではその形式的な振る舞いすら曖昧になりつつあることを指します。人間形成の重要な役割を担う「武道の礼」が曖昧なまま、人間形成と武道がつながっているのです。
 以上より、これまでの武道における礼の教育的価値やその意味は明確のように見えて実は不明確なものであり、礼の本質を探り続けていく必要があります。

 次に、渋川一流柔術における礼法について記述させていただきます。これまで「競技である武道」として弓道をやってきましたが、「競技ではない武術」である渋川一流柔術に入門した時は違和感でいっぱいでしたが、礼法に関することと同時に体や呼吸のはたらきも先生から教えていただき、うわべだけのことしか教わっていなかった弓道に対し、なぜそうなるのか?なぜそのような動作が必要なのか?といった物事の本質から渋川一流柔術において学ぶことができることを実感しました。
 先ほど記述しました、礼の形骸化の原因として「武道における勝利至上主義、結果主義」を挙げましたが、渋川一流柔術においては試合という形式がないので勝利という概念が存在せず、また、先生から「うまくなったと」言っていただけることが何度かあったのですが、自分としてはうまくなった実感が持てないゆえに結果主義になろうにもなれないといった点で礼の形骸化を抑えるような環境が自然と形成されているのではないのかなと思いました。
 新渡戸稲造が執筆した「武士道」にて、以下のことが掲載されております。
 我が国のきめ細やかな礼儀作法の躾を、ヨーロッパの人たちが軽蔑して、「そんな型にはまった躾を受けているから、日本人は柔軟な考え方ができないのだ」と、言っているのを聞いたことがある。しかし、形式的な礼儀作法にも取り柄はある。それは、ある目的にたどり着くための最も良い方法を、長い年月をかけて、最も優美なやり方で試した結果、やっとできた形だということだ。スペンサーは、「優美とは、最も無駄のない動きのことである」と定義している。
 渋川一流柔術の形は、いずれも「無理無駄のない動き」でありますからスペンサーの言葉を借りると優美なやり方と捉えることができますので、形式的な礼儀作法と同様に長い年月をかけて試行錯誤を重ねた末に生まれたものであると思い、それゆえに礼法も形もルーツは同じなんだなと思いました。
 同じく「武士道」より、このようなことも掲載されております。
   礼儀を教える流派のうちで最もよく知られている小笠原流の家元は、「礼道の中で一番大切なことは、心を磨くことである。礼を会得して座るなら、たとえ凶暴な人間が攻撃してきても害を加えることはできない」とまで言っている。礼法では、正しい作法を絶えず訓練することによって自分自身の肉体と環境を調和させ、精神を支配することさえできるというのだ。
 これを読んで礼法を身に着けることで護身は成立するものであると思いました。日々稽古でやっている形は、「相手が危害を加えてきた時の対処の方法」という狭義の護身術になりますが、礼法などは「様々な状況を配慮し、最も対処できる可能性の高い方法」という広義な護身術になります。形ばかりが護身ではないことを知りました。

 武道における礼と渋川一流柔術における礼法のまとめといたしましては、「礼」は武道における重要な役割を果たし、武道の教育の場における人間関係力獲得の要因となり、我々が教わり、実践し、次の世代へ教えていかねばならない概念を多く有しているのに対し、現代において「礼」本来の意義が薄れていっているといった側面があり、理由として「結果にこだわる考え」や、「伝統が少しずつ忘れられている」といった点が挙げられているため、「礼」というものの本質を再度改めて探し求めることが必要になってくるかと思われます。渋川一流柔術における礼法につきましては物事を本質から見つめ直す機会を与えてくださり、武道にありがちな「勝ち負けや結果にこだわる考え」がないことから余計な考えを捨て去りきることができる環境であると、入門して一年経った今、実感することができております。また、今回のこの昇段審査論文の作成を通して漠然としていた礼法に対する考えが少し具体的なものになったように思います。

 最後に、このたび、礼に関して参考にした別の文献にて以下のような句が掲載されており、これにとても感銘を受けました。
  実るほど 頭を垂るる 稲穂かな
  さがるほど その名は揚る 藤の花
 この稲穂や藤の花のように、謙虚で礼法を忘れることのない生き方を目指しつつ日々精進していきたいと思います。

<参考文献>

陶次 美樹:「武道における礼の教育的価値」、駒沢大学総合教育研究部紀要 第3号 2008年、pp.305-325
新渡戸 稲造:「武士道」、株式会社 幻冬舎ルネッサンス 初版 2012年
入江 康平:「武道文化の探求」、不昧堂出版 初版 2003年
日本武道館:「日本の武道」、財団法人日本武道館 初版、2007年
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  1. 2014/10/17(金) 21:25:22|
  2. 昇段審査論文

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貫汪館館長(無雙神傳英信流 大石神影流 澁川一流)

Author:貫汪館館長(無雙神傳英信流 大石神影流 澁川一流)
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