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無双神伝英信流 大石神影流 渋川一流 ・・・ 道標(みちしるべ)

無雙神傳英信流抜刀兵法、大石神影流剣術、澁川一流柔術を貫汪館で稽古する人のために

大石神影流剣術論文

春の昇段審査、大石神影流剣術の2段の論文です。

「これまで修行上留意してきた事、今後留意しなければならない事」

 大石神影流剣術は剣と一体になるだけではなく、相手とも一体となって行える剣術であると私は思っている。それは自分だけで行なってもうまくいかず、また自分体全体だけを意識してもうまくいかないということである。他の剣術でも同じかもしれないのだが、
大石神影流ではそれが特に感じられるように思う。
 私はこれまで自分の身体のみを意識し、相手のことを考えずどうやれば自分の身体が楽に動けるのかを意識して練習してきた。もちろんそれだけではうまくいかず、ある程度今動けているのはお相手の先生がうまく誘導してくれているからだ。実際に、先生以外の方と練習するときには更に動きがおかしくなっていると感じる時が頻繁にある。その度に直していければ良いのだろうが、私は一人の時は自分の動きのみを考え練習し、相手のことをうまくイメージできていない。まあ、動きがおかしいのは私の稽古不足もある。このことも大きな原因になっている。それでも、一人のときはできる限り注意されたことを直そうとし、どうすれば楽な動きになるのかを意識して行っている。例えば、どうすれば腰をもっと楽にして落とせるのかなどそういうことを意識している。他にも、素振りの時は楽でいてなるべく自分の中心を意識しつつ振るようにしている。
 では、どう稽古すれば良いのかというと私はこれを未だに閃いてはいない。ただただ、相手のことをできる限りイメージして相手がどうきたらどうするのかという型ばかりを考えている。今までからして駄目だったのだからこれだけでは駄目なのだろうということは薄々分かるのだが、先生がおっしゃるような「天地一体で相手とも一体の動き」というのが想像しにくい。だが、このままでは自分本位な動きしかできないことは分かっているつもりだ。実際に、最近の話では自分ばかりを意識して相手との間合いがおかしかったり、剣に当たってしまったりしている。これでは、楽な動きばかりを意識しても本末転倒もいいところだろうと私自身も思う。
 他にも問題点はたくさんある。ここで述べるのは五つだが、実際にはもっと自分では気づけていない問題点もあるものだと思っている。ここでは自分で気づけている問題点の内の五つを述べようと思う。
第一に、気合いだ。あれは自然な流れでリラックスしているからこそ出せるものだ。さらに、出せたとしてもただ出すだけでは意味がない。相手を威圧できなければ気合いの意味がないからだ。だが、私はこのことが頭では分かっていても実際にはできていない。出せたとしても腹から出るものとは違うと思っている。これまでは腹から出すことを意識してやってきた。例えば、腰を落として腹を楽にして呼吸をする中で一気に息を出そうとするなど。しかし、実際に相手との稽古の中で行なってみるとその意識が出来なくなっている。それは、先生がおっしゃるには「出そうとしても出るものではない」からだそうだ。どうやら、深い呼吸をしていないとできないものらしい。なので、一人の稽古のときはリラックスしていることを感じながら息を一気に吐くということをしているのだが、このとき私は相手を意識できていない。相手に向かってやるものなのだから相手を意識できていないのならば、できていないことも当然だ。
 第二に、先ほども述べたが間合いだ。これに関しては本当に分からない。自分本位で行なっているからなのだろうが、出来る限り自分の剣の長さを意識して稽古している。
大石神影流剣術の剣は他の剣術より長い。これを私は意識して行っているがここでも問題になってくることは相手のことだ。一人のときは特にだが、剣の長さを意識するのは良いのだが相手のことを意識できていない。これにより、実践での間合いがさらに分からなくなっている。このせいで相手の剣に当たってしまうということがおきている。先生のおっしゃることには、型を頭で考えながらやっている限りは無理だということなのだが、要は私の稽古不足が原因だということである。これにはできる限り頭で考えないようにしながら自然に型のイメージトレーニングをすることで稽古している。
 第三に、足の動きや半身だ。私はどうやら自分の動きを止めようとするときに癖があるらしく、大概右足が横に向いてしまっている。このことは、相手に右足を向けるというように意識して稽古しているが相手をうまくイメージできていないこともあり、できていないことが多い。もう一つの半身だが、大石神影流剣術では左足をいつもより広く開く。これは半身によってなのだが、私は左足を意識してしまい半身がおかしくなっていることがある。これには大きく呼吸をし、腰を息にあわせて落とすことで対処している。だが、相手のことを意識しようとするとできていないときがある。
 第四に、楽な動きだ。先ほど意識していると述べたがそれは自分本位での動きをやっている限りおかしな方向に進むのではないかと思っている。楽な動きとは、隙が無いという上で自分が楽な動きをするということであって自分が楽な動きをして相手に隙をつくってしまうようではこれも本末転倒だ。楽な動きをするだけではなく、相手を意識することが重要になってくる。これの原因は私の稽古がおかしいからなのだろう。なぜなら、ちゃんと稽古がこなせていれば徐々に体は楽な姿勢になってくる。もちろん、相手を意識できていないことも原因だが、このことも原因だと考えている。
 第五に、先ほどからあがっている稽古不足と稽古がおかしいことだ。私はどうも自分で思っていることがちゃんとできていないようだ。言われたことを意識して稽古してはいるのだが、素振りをやっていなかったなど変なところで抜けていることがある。型はイメージトレーニングで補っているが私はイメージというものが苦手なのかもしれないとおもうことが多々ある。
これまでは自分の動きをできる限り型を全部で一つだというようにイメージしようとしていたがそこに相手のことが含まれていなかったり、往復でイメージができなかったりなどイメージが駄目なことがある。これはおそらく私の稽古が不足しているためイメージできないのではないかと思っている。実践でうまくいっていないのはそういうこともあるのだろう。要するには私のイメージ不足だ。出来る限り抜けることがないよう意識して稽古をしている。
 ここまで、私自身の問題点を述べてきたがそのどれもから分かるように私は相手のことを意識して稽古ができていないことと、稽古量が不足していることだ。もし、できていたならば起きなかった問題もあると思っている。第一に、これからは相手を意識していかなければならない。でなければ、それは実践ではなくなってしまう。それにともなって、私の稽古不足も大きな問題だ。相手のことを意識してやれてないこともあるが、楽な動きなどは数をこなせば身体に染みついてくるものだ。それにより、相手との間合いというものも対処ができていくものだと思われる。自分の稽古が抜けていないかどうかということも今まで以上に意識していかなければならない。
 私はこれらのことから大石神影流剣術では特に相手とのことを考えていかなければならないと思っている。これからは自分本位の動きではなく、相手との一体の動きを意識しつつ稽古をしていかなければならないと考える。そして、相手との一体の動きを意識しつつする稽古を増やし、稽古不足をなくさなければならない。

高知に行った時には細川義昌先生のお墓参りをしますが、ここがお墓のある山への入り口です。
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  1. 2014/05/27(火) 21:25:39|
  2. 昇段審査論文

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貫汪館館長(無雙神傳英信流 大石神影流 澁川一流)

Author:貫汪館館長(無雙神傳英信流 大石神影流 澁川一流)
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連絡先は貫汪館ホームページで御確認ください。

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