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無双神伝英信流 大石神影流 渋川一流 ・・・ 道標(みちしるべ)

無雙神傳英信流抜刀兵法、大石神影流剣術、澁川一流柔術を貫汪館で稽古する人のために

昇段審査論文 9

   『澁川一流柔術普及の方策について』
                              
 澁川一流柔術を普及させるための方策について論ずるにあたり、まず第一に必要なことは世間に澁川一流柔術が認知されることだと思います。私自身、澁川一流柔術と出会うまで柔道、剣道、空手というものが武道であって、古の刀を帯刀し歩いていた時代の流派武術というものが今日までその伝系と共に残っているということを知りませんでした。子供の頃、剣道教室に通っていたときには剣道のほかに居合や杖道を目にする機会はありましたが、流派武術の名を耳にする機会はなかったように思います。私が不勉強であったこともありますが、そのような環境において刀を前提とした体術の存在を想像することもできませんでした。これもまた大人になるまで続けていればまた違ったのかもしれませんが、その場合には古武道の世界に進むことはなかったように思います。初めにふれた環境はその後の進路に大きな影響を与えると思います。
 澁川一流柔術を普及させるうえで、「古武道」そのものが世間一般にあまり認知されていないというところに一つの壁があるように思います。そういったまだ「古武道」というものをご存じない一般の方に「古武道」の存在を知ってもらう手段としてホームページの開設、Facebookをはじめとするソーシャルネットワークサービス(SNS)での告知は現代社会において有効な手段であることは疑いようもありません。しかしながら今武道を始めたいと思う人のなかにも、知らないがゆえに情報検索の段階で「古武道」という文字にたどり着くことなく、出会いの機会を失っている方も少なからずいると考えられます。また特に柔術というと、世間一般ではいわゆる格闘技の「ジュウジュツ」を連想されるほうが多いのではないかと思います。せっかくの出会いも格闘技を連想されてこられた方には貫汪館の目指す姿をご理解いただけない可能性も少なからず出てくるように思います。
そこで演武会や講演会などで実際に行う演武では、古武道を目的に見学に来られた方はもちろんのこと、初めて目にされる方にも柔術が如何なるものかを理解いただく絶好の機会となると考えます。以前、貫汪館を訪ねてこられた方で、子供の頃にハワイで澁川一流柔術の演武をご覧になられて、その演武をきっかけに貫汪館を訪ねて来られた方がおられました。ご本人のお話では「演武がとても印象深かった」と話されていました。そうした同じ空間で私たちの演武から様々な印象を感じ取っていただくことは大変有意義なことであると思います。またご覧いただいた方と直接ご縁が持てなかったとしても、人づてに伝わりまた新たな人に知られるということも十分に可能性としてあると考えられます。
 次に様々な手段を講じて世間に知られる存在となったとしても、貫汪館で稽古を望まれる方が現れた場合に近くに道場が存在しなければ、また出会いの機会を逃してしまうこととなりかねません。せっかく稽古を始められた方でも進学や転勤といった理由で道場に通うことが難しくなり、やがて稽古から遠ざかってしまうことも考えられます。そこで各支部道場の存在が重要となってくると思います。進学先や次の勤務先でも無理なく稽古に通うことができる環境があれば近い将来の進学があるから、転勤で稽古を継続させることが難しいからと貫汪館での稽古を始めるのに躊躇されている方にも入門の機会を広げることにつながると考えられます。それを可能とするためには支部道場ごとの技術水準の差をなくしていくことが重要だと考えます。ある道場で習ったことがほかの道場では全く通用しないということでは、それまでの稽古に費やした時間が無駄となってしまうだけではなく、上達への遠回りをかすこととなり上達の機会を奪ってしまうことにもなりかねません。そうなれば稽古への意欲もやがて失われ道場から足が遠のくことになると思います。これではまた道場から人材を失うということになります。
澁川一流柔術を普及させるにあたり組織を構成することは、情報が氾濫し何が真実で、何が間違ったことなのかが不透明となった現代社会において重要な意味を持っていると思います。世の中で知られた存在となりそこに価値が生まれるということは、裏を返せばそれを利用され、あるいは悪用される可能性が生まれるということになります。もしそのようなことに巻き込まれた場合、それが道場外で起こった事だとしても、我々には無関係であると言えないケースも少なからず出てくることが考えられます。そういった場合に一個人で判断し行動することは極めて危険なことだと思います。組織内にそういったトラブルの解決や回避に詳しい人材がいれば少なからずそういった危険に備えることができます。たとえそのような人材が組織内にいなかったとしても様々な意見を出し合い解決へと導くことが可能となると思います。またトラブル解決だけに留まらず、今後あらゆる事情をクリアしていくためにも道場の組織化は必要条件になると思います。
組織を構成する最小の単位は人です。その人を育てる役目を担うのが各道場ということになります。そこで各道場で人をどう指導するかが組織の存続に大きく影響すると思います。そこで各道場での方策が大きなカギとなります。
 道場運営において、まず組織の最小単位の人を集めることが必要です。今、武道を始めようとしている人にとって一番の関心は見栄えであるとか、ステータスであるといったものになるのが正直なところかと思います。そういったものを求めて貫汪館に関心を持っていただくその前提として重要なことは、貫汪館で稽古されている柔術が本物であるということだと思います。なにをもって本物とするかは難しいところですが、道場を導く者のレベルがあまりに低い水準にあっては、興味すら持ってはもらえません。道場を管理運営していくものが常に自分の問題点を把握し変化し続ける存在でなければ、そこに価値を見出していただくことはできないと思います。これが企業でいうところの商品にあたると思います。この商品にいかに関心を向けさせるかということが道場運営の戦略ということになるかと思います。
 経営学の父と呼ばれるドラッカーはマネジメントにおいて「企業の目的の定義は、顧客を創造することである」と述べています。いくら優れた商品(製品、サービス)があっても消費者が買ってくれなければビジネスは成立しません。すでにあるニーズを満足させるための商品、あるいはニーズそのものを生み出すような商品を生み出すことで顧客に満足を与え続けることが「顧客の創造」であると述べています。これを道場運営に置き換えて言えば、常に質を向上させて変化し続ける存在という価値を生み出すことだと思います。それを可能とするためには、互いに高めあうことのできる稽古相手(人材)、いつも決まった時に稽古をできる環境(場所・時間)、運営していくための資金が必要となります。そのためにも門人を集めることは絶対不可欠です。
また入門した門人をどう導いていくかは道場運営に大きく影響するものだと思います。ドラッカーは「働く者が満足しても、仕事が生産的に行わなければ失敗である。逆に仕事が生産的に行われても、人が生き生きと働けなければ失敗である。」と述べています。道場において言えば、門人が切磋琢磨しより質の高い稽古をすることができていたとしても、運営していくための資金が集まらず、一部の者だけで補てんしていたのではやがて無理が生じ道場の存続自体が危うくなります。またそれとは逆に人が集まり資金には苦労しなくとも門人にやる気がなくいつまでも上達しないような状態ではでは柔術そのものを残すことが不可能となってしまいます。この運営していく上での資金と人のやる気の両立があって初めて道場の運営が成り立ちます。
人のやる気を導くために、ドラッカーは「マネジメントのほとんどが、あらゆる資源のうち人がもっとも活用されず、その潜在能力も開発されていないことを知っている。」と述べ、人のやりがいを引き出す労働環境の要素に次の3つを挙げています。
① 仕事が生産的でやりがいがあること。
真に必要な仕事が与えられ、自分の能力にあっている。成果を上げるための仕事のやり方も評価の基準も明確で、用いるツールや参照すべき情報も与えられている。
② 自分の成果についてフィードバックがあること。
自分の仕事の成果について、評価がフェアである。良かった点、悪かった点についての過大評価・過小評価がない。そうした環境下では自己管理が可能となり、人は仕事に対して意欲的、能動的になる。
③ 継続的に成長できる環境であること。
自分の能力をより専門化・より高める環境がそろっている。他の専門分野との仕事を通して新たな経験を積み、問題意識を抱き、ニーズを感じることができる。
 こうした環境下であれば、働く人自身に自己管理の意識と自己啓発の意欲が生まれる。適度に相手に任せ、結果に適切な評価を下すことが働く人を成長させ、生産性を向上させる。働く人が仕事に責任を持つようになると、上司への要求が高くなる。だから、働く人が成果を上げるためには、上司は彼らから一目置かれる存在でなければならない。こうして全員がボトムアップすれば会社の成長にもなる。会社の最大の資産は人間である。組織の違いが人の働きを変えると述べています。
 入門時点では人それぞれ様々な思いで前向きに稽古を始められます。ですがやがて月日がたち、初心を忘れて自分の現時点での上達の進み具合や未来の自分の目指す姿を想像することが難しくなることがあります。そうしたときに道に迷い、やがて稽古から遠ざかっていきます。その原因は自分自身を客観的に見ることができなくなってしまっていることにあると思います。そこで昇段審査会を開き、昇段の条件や審査をける資格の基準が明らかにされることは今の自分の稽古の進み具合やなぜ昇段に至らないのかという理由が明確になり、自分の現状を把握するのに一つの目安となるとともに目標となると思います。また道場の運営についても、会報制作、会の名簿管理、入会募集などをはじめとする役割を分担して責任を担うことは、教えられるという受動的な立場を、自分たちで運営していくという能動的な立場へと変えてくれるものだと思います。
 道場を導く者に必要な資質について、「人を管理する能力を・・・学ぶことはできる。・・・だが(マネジャーが人材を開発するには)それだけでは十分ではない。根本的な資質が必要である。真摯さである。」とドラッカーは述べています。マネジャーに求められる任務は、第1に生産性が高まるように自部署を導くこと。強みを生かし弱みをなくすことである。第2に現在と未来、短期と長期の面からリスクの種類と大きさを判断し、リスクを最小限にとどめること。たとえば現在の顧客や成果を重視するあまり、将来の変化を見逃して波に乗り遅れてしまうといったことにならないようにすると述べられています。そこでマネジャーに必要な資質をただ一つ「真摯さ」であるといっています。「真摯さ(integrity)」とは「正しいと信じることに対して、正直であり、誠実である」こと。たとえいつも仏頂面で気むずかしい人物でも、信念があって志が高く公平な判断ができるなら、その人物はマネジャーの資質を持っている。いかに愛想がよく、有能で聡明であろうと、真摯さに欠く人はマネジャーとして失格だとしています。道場においても有能な門人を育てることが道場の目的とするならば、その指導において妥協を許さず真摯に指導に当たらなければならないとともに、その評価についても私見を交えず公平に判断することができなければならないということになります。そしてその結果に責任をもつものが道場長ということになります。
 道場運営において目標を設定することは必要不可欠なことです。目標のないまま運営していくことは、目的地を決めずに大海に出ていくのと同じくらい無謀なことだと思います。目的地がないのですから、行く先に必要な燃料も食料の全てがどんぶり勘定となります。それでは当然のことながらいつかは破滅ということになってしまいます。全体としての組織としての目標、そして各道場としての目標というものを明確にさせたとき、自分はどう行動するべきかという個人の力を引き出すことができるようになると思います。ドラッカーは「目標管理の最大の利点は、自らの仕事ぶりをマネジメントできるようになることにある。自己管理は強い動機づけをもたらす。・・・最善を尽くす願望を起こさせる。」と述べています。
マネジャー、つまり管理職の仕事は、働く人たちを1つの方向に向かわせること。しかし、しばしば誤ったやり方が取られることがある。
① 組織を機能で細かく分けること。こうすると、専門分野でのスキル向上自体が一人の目標になってしまう。
② 上下関係を厳しくしすぎて「上の言うことを聞く」ことが過度に意識されてしまうこと。
③ 現場と管理職の思惑のズレによって、両者の価値観や関心事が大きく異なること。
④ 報酬の多寡によって間違った行動を評価し、助長してしまうこと。
 こうしたやり方をとると一見、組織はまとまっているように見えても、成果の出ない単なる人の集まりとなってしまうと述べられています。道場において、たとえば門人の関心が単に自分だけの技術の向上に目が向かってしまっては、有能な柔術家を輩出することができたとしても個人として売名に関心が善き、目標とする流派の普及と後に澁川一流柔術を確実に残すという目標に沿わなくなる恐れがあります。そのためにも道場長は適切な方向付けを示す必要があります。
 マネジメント体系で最も重視する「目標による経営」は、上位部署の目標に基づいて自分の部署の目標を明確に設定し、それに貢献できるように部下の仕事を導くのだ。目標には売り上げの伸び、コスト率の削減、新しい仕事の立ち上げ、後継者の育成、社会貢献など様々なタイプがある。どんなものでも部署の目標が明確になると、「自分はそのために何ができるのか」を考えられるようになる。目標による経営の最大のメリットは、経営管理者も自分の目標も自分で考えて立てられるという点だ。自己の働きをいかに貢献につなげるかという意識で主体的に仕事を見直すことができるのだと述べられています。道場運営においても道場長が目標を明確にすることで、門人一人一人がその目標に向かって自分の強みを発揮させる機会をつくることができると思います。人材育成においてもより質の高いものを目指すとき、一人では難しいことも門人の間でこれまでしてきたことを伝えあうことで、全体としてのボトムアップにつながることが期待できると思います。そして道場としてより完成度が高まったとき、また新たな目標の設定が可能となってくると考えます。 ドラッカーは「凡人が力を合わせて非凡な成果を上げるのが組織の強み」であるといっています。それとは逆に組織全体への貢献の意識が衰えると、足の引っ張り合いや個人主義がはびこり、ノウハウの共有力が落ち、失敗を極端に恐れるようになる。だが失敗しない人に新しい価値を生み出すことを期待できない。「成果を上げる人」とは「価値を生み出す人」のことである。当然、試行錯誤の段階で短期的には失敗もするであろう。しかし失敗しない人をほめ、失敗した人を責めるのは大きな間違えである。意欲的な人、優秀な人ほど失敗はつきものである。それを失敗ととらえる組織では、人の意欲と士気は大きく下がると述べられています。道場長の役割として人材の可能性をいかに伸ばしていくかがに力を注ぐかということを常に考えて行動しなければならないと思います。そのとき私見で人を評価してしまえば、人は不公平さを感じやがて足の引っ張り合いや個人主義のはびこり、ノウハウの共有力の低下を招くことになりかねません。ですからそれを束ねるもの資質には「真摯さ」が不可欠になると思います。
 道場としてあるべき姿ができたとき門人に対し、「組織は澁川一流を普及させるために、あなたにどんな貢献を望んでいるか」を示し、理解を共有することでまた新たな普及のための方策を立てることができると考えます。
 これまで述べましたように組織を構成するのは人であり、澁川一流柔術を修業するのも人、それを次の世代へつなげていくのも人です。その人によって栄えもすれば滅びもするのが無形の文化の伝承なのだと思います。
私事になりますが私の職場で、先輩方から一通りの機械加工を教わったころ「この技術は人を傷つける可能性も持っている。人に技術を教えるのは恐ろしいこと。人を傷つけるものをつくるなよ。」と教わったことがあります。力のあるものは人を豊かにしてくれます。ですがそれと同時に人を不幸にもすると感じるようになりました。伝える人には技術だけではなく、その心を伝えていく責任があるように感じます。広く世の中に広めていく中でその中身まで薄く広がっていくことは避けなければならないことだと感じています。
そのためにも人を見る目を持つことは道場長に必要な資質であることを述べ終わらせていただきます。

参考文献
・P.F.ドラッカー 『マネジメント【エッセンシャル版】-基本と原則 ダイヤモンド社 2013年5月28日 第51刷発行
  1. 2013/10/04(金) 21:25:44|
  2. 昇段審査論文

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Author:貫汪館館長(無雙神傳英信流 大石神影流 澁川一流)
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