FC2ブログ

無双神伝英信流 大石神影流 渋川一流 ・・・ 道標(みちしるべ)

無雙神傳英信流抜刀兵法、大石神影流剣術、澁川一流柔術を貫汪館で稽古する人のために

昇段審査論文 8

無雙神傳英信流抜刀兵法指導上の留意点

 無雙神傳英信流抜刀兵法の指導はそれぞれの人に応じた指導をしなければ、伸びるものではありません。
そのため、一人一人の動きを見た上で、その人にとって最適な指導方法をしていくことが大切であり、下記のことを理解させながら指導しなければなりません。

・先入観、イメージを捨てる。
 無雙神傳英信流抜刀兵法を学ぶにあたって、今までの自分が思い描いている居合・古武道のイメージ・先入観を捨ててもらうことが必要です。
 現代は情報過多の時代であり、様々な流派の居合・古武術の書籍やインターネットなどで様々な情報を簡単に得ることが出来ます。そのため、そこで得た様々な情報を自分の頭の中で取捨選択し、居合・古武術というもののイメージが思い描いてしまっている方々が多くあります。また、テレビや雑誌などで行われる派手な試し斬りや刃音をさせながら迫力を出し、素人目にはいかにも「斬りました」と、力を込めたパフォーマンス的なことを行う武術とはかけ離れた動きが「居合である」と、イメージづけられてしまっている現状もあります。
 これらのイメージのまま無雙神傳英信流抜刀兵法を始めてしまうと、全く違う方向へ向かってしまいます。
「白紙でなければ新たにものを書くことはできません」ので、まずこのイメージを捨てて白紙になることが必要です。

・経験に頼らない。
 無雙神傳英信流抜刀兵法は江戸時代、武士が刀を差していた時代に土佐に伝わった居合であり、現代の常識、考え方、姿勢、動きなどが大きく異なります。ですから、無雙神傳英信流抜刀兵法で指導されることは全て現代人が今までの人生で経験したことのないことばかりであり、今までの経験に頼ってしまうととんでもない方向に進んでしまいます。
 今までの経験とは、まず他流派の居合や古武術の経験。居合・古武術は現在も多くの流派が伝わっており、その中には無雙神傳英信流抜刀兵法と見た目は同じような形・動作もあります。しかし、見た目は似ていてもそれぞれの流派にはそれぞれの理念・基準などがあり、無雙神傳英信流抜刀兵法とは異なることを理解しなければなりません。
 次に、競技武道・格闘技・スポーツの経験。
競技武道・格闘技・スポーツなどは西洋の影響を受けて成立したもので、成立過程、目的、考え方など全てが異なっています。しかし、現代人には競技武道・格闘技・スポーツと武術の区別がつかない現状があり、これらのことを知ることも必要です。
 スポーツ武道・格闘技・スポーツではルール、場所が事前に決まっておりルールに従って優劣を競います。ですから、ルールで定められた以外の部位の攻撃をされることはないため、ルールで定められた中で勝つために特化した動きのみの練習を行います。つまりウエートトレーニング等で筋力・瞬発力・スタミナをつけ、ルール内で勝つために特化した動きを身につけることが必要になります。
さらに根深いのは、学校教育などで長年教えこまれてきた正しい姿勢、正しい動き、常識などであり、それを基準にして経験してきたことです。
 日本の学校教育は明治維新以降、欧米に追いつこうとする富国強兵政策の教育の中で国民皆兵のために導入された軍隊用の訓練方法が取り入れられており、大勢を号令により一斉に訓練して個性をなくすことで統一させた行動をとりやすくさせる方法です。その訓練方法は大勢をまとめて訓練して一定のレベルに引き上げる効果があり、その基礎として体育の授業の中に取り入れられたものです。そこで長年指導されてきた正しい姿勢とは、体を緊張させ・力むことにより両肩甲骨を引き寄せ胸を張って背筋を伸ばすことで体を統一させようとする姿勢です。
 また、正しい動きとは、動きにメリハリをつけ、動作をはっきり一つ一つ区切る見た目が良く見える動きであり、いずれも体を緊張させ緊張という実感を伴うことがよいことだと、頭と体に刷り込まれています。ですから、無雙神傳英信流抜刀兵法を学ぶにあたって、今まで述べてきたような常識・正しいと思っていること、経験、先入観、イメージなどを捨て、師の言うとおりに私心を交えず稽古をしなければ習ったことが素直に身につくことはないことを理解しなければなりません。

・無雙神傳英信流抜刀兵法の形。
 無雙神傳英信流抜刀兵法の形は「無理無駄なく、力みなく、体を固めることなく動くこと」が形の稽古の上での絶対条件であることを理解しなければなりません。

・無雙神傳英信流抜刀兵法は未知なものである。
 無雙神傳英信流抜刀兵法の稽古は、現代人とは身体の使い方、考え方、動きなど、全く異なるものを身につけようとしています。ですから、今までの生活で体験したり、経験したりしたことがない全く未知なものであり、生まれたばかりの赤ん坊が急に歩いたり走ったりできないように、始めは自分の動きがおぼつかなく頼りないのが当たり前です。
 そして、このおぼつかなさ、頼りなさが無ければスタートラインに立つことが出来ません。しかし、いまさら赤ん坊のように立てばすぐに転び、歩けばすぐにつまずくような思いはしたくはないと思いますが、その経験に抜きにしては新たな業を習得することは不可能であることを理解しなければなりません。

・武術である。
 無雙神傳英信流抜刀兵法は武術であり、競技武道・スポーツ・格闘技などと異なり決まった日時・場所においてルールにのっとって戦い、勝敗を決めて行くというものではなく、いつ何時起こるかわからない突発的な事故・危機状況において、自分の命を守ることが出来ねば無意味なものであります。当然、相手は一対一、武器を持たない、正面から正々堂々となど、ルールにのっとって襲って来るわけではありません。
 また、動きやすく平坦な足場の良い場所で動きやすい服装とは限りません。そのような状況に対応するための武術の動きというのは、全身のどの部分にも隙はなく、どのような状況にも自由自在に動けるある普遍的な心身の動きが求められます。このように特定のルールがあり、特定の動きに特化したほうが勝利につながる競技武道・格闘技・スポーツと異なるところです。
 だから、指導法として学校教育を始め、世間一般的な考え方として「褒めて伸ばす。」という考え方があり、至らぬところや欠点を指摘するよりも褒めることが大切だと考えられていますが、武術の稽古ではそのような「褒めて伸ばす。」という指導方法をとることができません。なぜなら、競技であれば今回の試合の敗北の原因を糧に次回の試合につなげるという発想も持てますが、ルールの無い武術では敗北することは命を落としてしまうことであり、次はないからです。したがって、武術においては自分自身が苦手なところ、不得意なところを直すのが先決となります。
 そのほかにも、武術である以上は習ったものはその場で出来るだけ身につける努力が不可欠です。なぜなら、習ったその帰り道に襲われる可能性もあり、「習って間がないから使えません。」とか、「まだ初心者ですから・・・」と言っても相手は身につけるまで待ってはくれません。だから、「また教えてもらえるだろう。」とか「そのうち身につくだろう」という考えは通用しないことを理解しなければなりません。

・武術の動き
 武術の動きというものは簡単に素人や初心者が見てわかるものではありません。なぜなら素人や初心者に判断できるような動きであれば、素人や初心者にも簡単に避けられたり、斬られたりしてしまうからです。だから、初心者は見た目で判断することなく、師の言われた通りに稽古しなければなりません。

・無雙神傳英信流抜刀兵法の想定
 無雙神傳英信流抜刀兵法の稽古のとき、そこに本物の敵がいるかのような想定がなければ、それは踊り以下のものになってしまいます。
 無雙神傳英信流抜刀兵法の想定は、既に刀を抜いた状態にある敵が自由に自分に斬りかかって来るのを、まだ刀が鞘に納まった非常に不利な状況で対応しなければならない想定です。それを据物斬りではないのに敵が待ってくれると思ったり、自分勝手に動かない敵を想定したりしては全く使えないものになります。
 そこには「斬りかかってくる敵を気で制してから抜付ける。」という非現実的な空論などは成立しません。
また、「敵の殺気を感じて、こちらから先に抜付ける。」という想定とは異なっています。そのような想定の敵に対応するためには極限まで心と体の無理無駄を廃し、何物にもとらわれない融通無碍の自由な状態になければなりません。そのため一人稽古により、まず自分自身に向き合い、自分自身の動きの質そのものを高めなければなりません。

・生きた想定
 無雙神傳英信流抜刀兵法は生きた想定です。
 自分の動きがいつもより遅れた場合、早かった場合。想定する相手の身長や状態など、そのたびごとに少しずつ異なります。したがって、当然、斬り込む位置、刀が止まる位置も少しずつ異なってきます。
 ですから、何度形を行っても毎回、自分の動きや仮想の敵が全く同じというようなことはなく、毎回新たな状況下にあるということを認識して稽古しなければなりません。

・形稽古。
 無雙神傳英信流抜刀兵法の形稽古では形の手順は決まっていますが、形を間違えずに上手に行うことには何の意味もありません。
 形の手順は決まっていますが、相手に応じていつでもどのようにでも変化出来る動き、姿勢を養っていかなければ形稽古をすることで、自由な動きを養うどころか、決まった動きしか出来ない体を作ってしまいます。

・無雙神傳英信流抜刀兵法の姿勢。
 無雙神傳英信流抜刀兵法は武術であり、どこにも緊張がなく固まりのない姿勢でなければ、体の各部に居着きが生じ、そこが隙になって動けなくなり斬られてしまいます。ですから、胸を張ることなく、両肩甲骨をつけることもなく、背筋をピンと伸ばすこともなく、体を力みによって統一させることのない、あくまでそこにあるだけの姿勢がもとめられます。
そのような自然の姿勢から無雙神傳英信流抜刀兵法の業は出てきます。

・美しさ、速さ、力強さは結果である。
 無雙神傳英信流抜刀兵法の形は全てが対敵動作であり、形を見事に美しく演じるとか、力強く速くとか、威圧感を出すという考えは全くありません。たとえ、その形の動きが美しく力強く速く見えたとしても、それはあくまで「より自由に、より楽に」を求めた結果、動きが洗練されて無理無駄がなくなったのであり、決して美しさ、力強さ、速さを求めているわけではありません。

・調和を乱すもの。
 無理無駄が無くなれば、体の調和が取れてくるので意識しなくとも自然に動きが整うことで速く、強くなってきます。しかし、「より速く、より強く」と求める心や、「刀で斬った、刀を振った」という実感を求めてしまうとそれが筋肉の緊張・力みになり、体の調和が乱れ、かえって遅く、弱くなってしまいます。

・欠点に気付く
 自分の至らぬところ、欠点に気付くには自分の体の状態が認識できる速さで動くという事が大切です。自分の体の状態が認識できる速さはそれぞれ人により異なりますので、他人に合わせて動いては意味がありません。

・自分自身に備わっている。
 無雙神傳英信流抜刀兵法の稽古は自分の体に備わっていないもの新たに作り上げるのではなく、心も体も無理無駄をなくすことにより、本来自分自身に備わっている能力を現すことによって業と成します。

・無雙神傳英信流抜刀兵法の呼吸。
 形の中で行っていなければならないのは臍下丹田の呼吸です。全身の何処にも無駄な力みや緊張があっては臍下丹田で呼吸を行うことは出来ません。

・中心で動く
 無雙神傳英信流抜刀兵法では、体の末端、切先までの動きは全て中心を使った結果であって、形が同じように見えても中心で動いた結果そうなる動きと、結果を求めて末端を使って同じような形を作ろうとしてできた形とでは本質的に異なっていることを知らねばなり。

・伝達経路。
 無雙神傳英信流抜刀兵法の形は体の末端にある刀が斬る、突くという働きをするので、手首、前腕、上腕を用いて刀を動かそうとしてしまいます。そうなると動きが体の中心を用いていないために力の伝達は末端近くから行われ、自分自身の実感は強くても、実際は刀に十分な力は伝達されていません。
 また、体の外側に生まれた力が中心を崩してしまうため、その崩れを止めようとして体を固めてしまい、結局のところ自分自身の動きにひずみ、ゆがみ、力みができてしまいます。
無雙神傳英信流抜刀兵法においては手首、前腕、上腕、肩はあくまでも中心からの力の伝達経路であり、刀と一体となったものでなければなりません。ですから、この伝達経路に力みという障害物があると刀に力が伝わらず、力の方向がずれてしまい刀が本来動くべきところに動かなくなってしまいます。

・座る
 無雙神傳英信流抜刀兵法においては座法こそ極意であり、座ることが出来れば、あとの業はその状態のまま動いているに過ぎず、座っている状態と変わるものではありません。しかし、たかが座法、形とは別と考えてしまえば、いくら形を稽古してもそれ以上のものを形から会得することはできません。また、あるがままに座ることが出来れば中心は感じようとしなくとも存在しています。

・根本を修正する。
 無雙神傳英信流抜刀兵法は中心で動いた結果、悪いところがあれば各部位にひずみ、ゆがみ、力みなどが現れてきます。だから、悪い部分「肩が上がっているから肩を下げる。」では、何の解決にもなりません。根本である中心の動きを見直し、原因を突き止め修正しなければなりません。

・心の働き
 緊張した心からは自由な働きは生まれません。無雙神傳英信流抜刀兵法における心の持ちようは何の緊張状態もない、凝り固まりのない心であり、心の緊張状態は心の居着きであり、動けない体を作る原因となってしまいます。

・そこにあるだけの姿勢
 体の中心と地球の引力の線が一致しており、体のどこにも無理無駄がなく意図的な緊張を生み出さない姿勢を求め稽古していきます。姿勢を作ることがないからこそ、自由に動くことができます。

・量より質。
 間違った動作を何度行っても間違ったものが身につくだけであり、正しいものが身につくことはありません。
ただ回数を行えば体が慣れて業が身につくという考えは捨てなければなりません。

・再現できない。
 毎日、体調も感覚も変化していきます。
また、記憶は曖昧であり、上手くできた過去の感覚を追い求めて稽古をしてしまうと、とんでもない方向へ行ってしまいます。だから稽古は毎回、新たなものであり、自分の動きを日々新たな視点から新たな感覚で全てを見直しながら、進めなければなりません。

・教えすぎない。
 何でもかんでも教えていると自分で考え、工夫することがなくなります。成長の度合いに合わせヒントを与えながら指導しなければなりません。

・言葉にとらわれない。
 言葉で説明すれば、その言葉から自分がイメージした動きをしてしまいます。また、言葉で説明しすぎると頭で考える癖がつき、言葉に縛られ自ら動きを阻害してしまいます。言葉で伝えるのは一部分であり、言葉での説明は最低限にしなければなりません。

参考文献 貫汪館H.P
  1. 2013/10/03(木) 21:25:47|
  2. 昇段審査論文

FC2カウンター


無料カウンター

プロフィール

貫汪館館長(無雙神傳英信流 大石神影流 澁川一流)

Author:貫汪館館長(無雙神傳英信流 大石神影流 澁川一流)
無雙神傳英信流抜刀兵法、大石神影流剣術、澁川一流柔術 貫汪館の道標へようこそ!
連絡先は貫汪館ホームページで御確認ください。

カテゴリー

ブログ内検索

リンク

このブログをリンクに追加する

最近の記事

月別アーカイブ