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無双神伝英信流 大石神影流 渋川一流 ・・・ 道標(みちしるべ)

無雙神傳英信流抜刀兵法、大石神影流剣術、澁川一流柔術を貫汪館で稽古する人のために

昇段審査論文 7

これまで修行上留意してきたこと、今後留意しなければならないこと

 古武道を修行するにあたって、師より教えていただいたことを何も変えず。何も加えずに身に付け、機会があればそのままに次へ伝えられるように心がけております。近年では、人の体格が持つ特徴により何種類かに分類して、その体格の持つ特徴に従って稽古を進めなければ無駄なことをしてしまう、デッドコピーになってしまうという説もあるようですが、出来うる限りそのままに身に付けられるように、そして頭でなく身体で理解出来るようにしています。古武道を本格的に学ぼうとするときに、現代武道やスポーツの概念で理解しようとすると大きな間違いを起こします。その目的とするところが違うからです。その目的を正しく理解していないと、古武道とは似て非なるところに辿り着いてしまいます。 今まで経験していないことを稽古していくのはとても不安でもあります。師や兄弟子より指導していただいたことを手掛かりに一人で稽古していますと、自分の勝手な思い込みや旧来の癖が出てしまい、稽古があらぬ方向へ向かってしまうことも多々あります。その中でどのように稽古を進めていったらよいかを考えてまいりました。やはり今まで経験したことのない動きや技を身につけるためには、反復することが欠かせません。質量転化の法則という言葉がありますが、これは量をこなすことによって質的な変化、つまり上達をもたらすということです。しかしだからといって、ただ闇雲に量をこなし、漠然と質的転化を期待しても無駄なことです。やはり自分が反復稽古している動きの意味や形の想定を正しく理解しておこなうべきです。身体を漠然と動かすだけの反復運動ではなく、全身の感覚で感じながら、常に頭で考えながらおこなうということです。この感じながら考えるということは、言い換えますと具体的に想像するということで、武道の稽古の過程ではこの想像力がどれだけ活用できるかが効率的な上達を実現するうえで重要なポイントとなります。例えば相手に切りかかられたり、また反撃してこちらから切り付けたりすることがどういうことか、何を意味するのか想像力を活用して深く掘り下げていくことができなければ、正しい武道の稽古は困難だと言わざるをえません。つまり起こりえたはずの、しかし実際には起こっていない事象への反応を磨くということが上達に繋がります。それには実際に起こったことに対する反応と同じことが起こるくらいの想像力が必要です。それと困難なことかもしれませんが、現実と想像が的確な距離感を保つためには経験によって自分の武道の実力を客観視できなければなりません。ゆっくりでも想定に従って実際に切りかかってもらったりすることも経験を積むのに役立ちます。そこで身に着いた感覚を持って又一人稽古に立ち返ることが重要です。ここで振り返りますと、今までは身体に関すること、身体の使いかたばかりに注目してきたように思えます。確かに身体を無理無駄なく使えるように訓練するのが武道の稽古ですが、その武道が必要とされ使われる状況を想像しますと、平常心でいられるのは非常に困難なことだといえます。普段の稽古においても少しでも心理的動揺がありますと、いつも通りの動きが出来ないことを何度も経験しております。しかしながら短絡的に心を強くしようとすることは、武道の稽古には必ずしも有効とは限りません。なぜならその方法の多くが、鈍感になることを意味しているからです。 自分自身と会話し、洗練させ、深めていくことが重要です。ここでは、武道が使われる状況を想像しにくい経験のないようなこととせず、より身近な大勢の前で演武する場合はどうなのか、として考えてみます。まず平常心でなくなる、つまりアガリが起こるのは、自分にとって難しいと感じていること、あるいは正直手に負えないと感じることを大勢の人前の舞台でおこなおうとする時です。これは本能的で、かつ正直な、起こるべくして起こるアガリと言えるでしょう。不可能なことまたはそう感じていることをおこなおうとすると、身体は必ず緊張します。次に能力以上のことをおこなおうとして緊張し失敗した経験がアガリの原因にあります。人前で緊張し失敗するという体験は非常にショッキングであり、自己否定や自己不信の原因となってしまいます。多くの場合これらの二つの原因が混在しているといえます。この自己不信に陥りますと、本当は何なく出来ることも、頭のどこかで出来ないと思ってしまい、どんどん身体が動けない状態になっていき、実際に失敗してしまいます。ひどい場合は、手は震え、口が渇き、身体のコントロールは効かなくなります。過小評価や自己否定は非現実を現実と思い違えて信じ込んでいます。つまり頭の中で駆け巡っていることと現実がマッチしない。その時にアガリが発生します。まずは現実を知ることです。本番の舞台でのドキドキ感や恐ろしいほどの緊迫感は、それ自体は正常かつ望ましものです。多くの場合このことを問題視しますが、実際の問題は思考と現実がずれているときに、演武を失敗してしまうようなアガリが発生します。アガリからの脱出を目指す時に、押さえておかなければならないことは、ネガティブな要素としてとらえがちな心臓がバクバクとなり、口がカラカラに渇き、妙にソワソワしていろんなことに気持ちが散漫する傾向は実はすべてポジティブで有益な現象であることと言うことです。大舞台での演武をおこなうのに必要なエネルギーなのです。心臓が普段よりたくさん働いてくれるおかげで、全身に新鮮な血液が送り届けられます。それによって身体は反応し動けます。また新鮮な血液は、脳に酸素を送り意識が高まります。相手の微妙な変化にも対応できるようにしてくれます。この活発な意識の高まりというのは、脳の情報収集活動であります。脳がたくさんの情報を集めて初めて、気持ちは落ち着くことができます。どれだけ心臓が高鳴っても、どれだけ身体が震えても、どれだけ口が渇いても、それはよりよい演武をするために全部必要なことである。そういうふうにプラス思考で考えていきたいものです。現在古武道と呼ばれる様々な流派は、戦国時代において形成されたものは少なく、多くがむしろ戦乱の収まった江戸時代に発展したものであり、幕藩体制のもとで、各藩は指南役を設けたり、特定の流儀を御流儀として指定するなどしました。長らく続いた平和により経済が発達し、町人文化が興り、武道は都市部や農村地帯に広まりました。このような日本固有の社会や風土が武道を生み育てたものであるならば、江戸時代に限らず、昔の日本の社会等を学んだり、同じような環境で生まれた芸術・芸事または風習等にも興味をもち、機会があれば参加することなども武道を深く理解するために必要といえます。例えば昔の日本では、民衆の移動は制限されていました。国の周囲は、早い海流をもつ海に囲まれ閉鎖的な環境で、そして国土の7割近くが高い山に囲まれ、山間部には流れの早い河川が流れています。このような自然に造られた閉鎖的な地形は、大陸文化とは異質のものを造り上げます。このような社会・風土の中で生まれ、生活に定着して共通認識となっている考え方があります。日本固有の考え方です。それらの中で、武道修練の際に必要となる考え方があります。それを西欧の文化を基にして、いくら理解しようとしても不可能です。それの経緯・背景を理解して、日本人の社会にある考え方・価値観を理解しなければなりません。近年、外国人等が武道を学ぶことが多くなってきていますが、我々日本人もきちんと原点を学び、考えていかなければなりません。


参考文献
1)大森曹玄:剣と禅、春秋社、新版第1冊、2008年
2)桑田忠親:五輪書入門、日本文芸社、版数不明、1980年
3)時津賢児:武道の力、大和書房、第1刷、2005年
4)三浦つとむ:弁証法はどういう科学か、講談社、第39刷、1990年
  1. 2013/10/02(水) 21:25:06|
  2. 昇段審査論文

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貫汪館館長(無雙神傳英信流 大石神影流 澁川一流)

Author:貫汪館館長(無雙神傳英信流 大石神影流 澁川一流)
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連絡先は貫汪館ホームページで御確認ください。

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