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無双神伝英信流 大石神影流 渋川一流 ・・・ 道標(みちしるべ)

無雙神傳英信流抜刀兵法、大石神影流剣術、澁川一流柔術を貫汪館で稽古する人のために

昇段審査論文 2

 同じく初段の論文です。

武道における礼と大石神影流剣術における礼法について述べなさい。
 
礼における起源を遡るなら、古代中国の孔子の時代まで遡る。礼とは社会における行動規範の基本であり、人間関係を潤滑に行うために必要であった。儒教における五常、仁・義・礼・智・信とあるように、儒教の思想の中でも礼は非常に重要な概念であり、のちに礼記として編纂をされるほどであった。儒家である荀子は性悪説を唱えたとして有名であるが、荀子は性悪説を礼によって拘束をすることを考えた。これが「礼治主義」と呼ばれる。
中国大陸の思想は、当然日本へ大きな影響を与えたことは言うまでもない。平安後期から鎌倉時代かけ、儒学は思想として拡大する武家勢力とともに武家の間でも広まり始める。しかしながら、体系化された礼や礼法はさら時代が進むこと室町時代にいたる。現在でも小笠原流礼法として名を残す小笠原長秀らにより『三議一統」が編纂された。
小笠原氏は、清和天皇の流れを組む系統である。小笠原氏の始祖と言われる長清は源頼朝に仕え、小笠原姓を名乗った。長清は弓馬に優れ、二十六歳で頼朝の弓馬師範となり、弓馬等の儀式を執行したと言われている。
その後、小笠原流中興の祖と言われている貞宗により、礼法が加わった。貞宗は、後醍醐天皇より「小笠原は日本武士の定式たるべし」と御手判を賜った。
貞宗四世後の長秀の時代になると、足利三代将軍義満の命によりって、今川氏、伊勢氏とともに、『三議一統」の編纂が行われた。
序文には「世上の身体起居動静の躾の極まる所を鹿苑院義満、昇殿の御家人御一族の中に其旨を総記して進上のやからに鑑賞有るべきのよし、仰せ下さると雖も厚学の輩なし」とあり、そのため、今川氏、伊勢氏、小笠原氏の三氏により『三議一統』が編纂された。
『三議一統』は正式には『当家弓法躾之抄三議一統』で、供奉の仕方、食事の作法、食事の作法、賞状の書き方、首のあらため方、蹴鞠に関する心得なども書かれていた。
その後『三議一統』以来加えられた今川家、伊勢家に伝わる故実を組み入れて小笠原流礼法の整序に努めてまとめられた『小笠原礼書七冊』は、長時と貞慶の時代に研究され、貞慶から秀政に伝えらてたという(1
室町幕府また三代将軍義満は、当時体系化されていなかった礼法を体系化し、武家の教養として躾けることで、人間関係はもちろんであるが武士たちの統制をとることを目的にしていたと考えられる。さらに室町時代から江戸時代と時代が下るにつれ、戦乱は集結し、封建制度の下、儒教の教えと武士の生き方より「武士道」が生まれることになる。
武道における礼は武士道に色濃く反映されている。その手がかりとして新渡戸稲造の『武士道』にある。
『武士道』は江戸時代が終わり、明治の世に武家社会が終わった後に書かれた書物である。『武士道』の中では、西洋との比較が多く見られる。西洋に騎士道があり、武士道と通ずる部分がある反面、まったく異なる価値観も存在するなど考察されている。
礼法は西洋における騎士道にも見られるが、西洋人から見た武士の礼法は「堅苦しく、形式的」に見えると書かれている。
しかし、礼はその最高の姿として、ほとんど愛に近づく。私達は敬虔な気持ちを持って、礼は「長い苦難に耐え、親切で人をむやみに羨まず、自慢せず、思い上がらない。自己自身の利を求めず、容易に人に動かされず、おおよそ悪事というものをたくらまない」とアメリカの動物学者で親日家でもあり甲冑等の研究をしていたディーン博士の言葉を紹介し、「礼法における奥ゆかしさはもっとも無駄のない立ち居振る舞いである。」つまり長い年月をかけて培われてきた経験上の賜物であるとも書かれている。
しかし著者は「私が強調したいことは、礼の厳しい順守に伴う道徳的な訓練である。」と述べ、小笠原流の小笠原清務の「あらゆる礼法の目的は精神を統治することである。心静かに座っているときは凶悪な暴漢とても手出しすることを控える、というが、そこまで心を練磨することである。」という言葉を紹介し、続けて「それはいいかえれば、正しい作法にもとづいた日々の絶えざる鍛錬によって、身体のあらゆる部分と機能に申し分のない秩序を授け、かつ身体を環境に調和させて精神の統御が身体中にいきわたるようにすることを意味する。」と締め括っている。
これらの言葉が物語るに、単に形式的な礼法というわけでなく、武士にとっては自らの心身の調和をとるための修行であるとも言える。
これらは武芸のみならず、能や禅、茶道の世界にも共通して見られる。細部に渡り、決められた作法所作は慣れないうちは、ぎこちなく堅苦しいものと感じられるかもしれない。しかしそれらは、形だけ追い求めている限りはいつまでもぎこちなく感じるのかもしれない。真に心より礼をすることが自然と形を作り、心を律し心身の調和を図るのである。
現小笠和流礼法宗家である小笠原敬承斎氏はその著書の中で次のように語っている。『「こころ」と「かたち」、どちらかが先かといえば、もちろん「こころ」である。
「かたち」が身につくと「こころ」も身につく、などともいわれるが、私はそうは思わない。「かたち」を追い求める人は、どこまでいっても「かたち」ばかり囚われがちである。しかしながら、「こころ」を大切にする人が「かたち」を身につけると、自然で美しい立ち居振る舞いができるようになる。』まさにこの言葉こそ、大石神影流剣術の稽古と通ずる。構え、素振り、試合口とそれぞれの手数を意識しがちである。その結果、構えてしまい、身体が緩まず固くなってしまう。
さらに小笠原氏は続けて『「こうでなければならない」などと、かたちばかり拘る礼法など存在しない。時・場所・状況に応じて変化する「かたち」でなければ、相手を大切にすることなどできないからである。』と書かれている(1 手数にこだわり、こうでなければと細部に意識すればするほど遠ざかっていくことは稽古の中でも何度も考えることがあった。
もちろん神礼は神への畏敬の念であり、試合における礼は相手に対する敬意と感謝を表すものであることも言うまでもない。当然、その気持ちやこころを何よりも大切にすること必要である。
しかし、それを表すために礼法におけるかたちを作ってしまってはまったくの意味のないことである。そのためにも、初心のうちに礼法を大切にしていくことがのちのち構えや素振り、試合口にあらわれてくると考えられる。
大石神影流剣術では神礼に際し、右足を引き、右膝を床につけて両手に拳を軽く作り、拳を床につけ礼をします。この際、身体ひいては下肢に力みが生じやすく注意が必要です。相手に一礼し、刀を抜く際もしっかりと身体の力を抜き緩ませ、臍下へ重心を持っていき丹田を中心として動くことに注意しなければなりません。このように礼法からの多くのことを学ぶことが出来ると考える。
現代において、かつてのように武士が命を懸けて戦うことはない。物質的に豊かさを享受することは出来ても、その結果、こころはどこか置き去りになったかのようである。現代に生きる私達はかつての武士のように武芸を中心とした生活とは程遠く、その力量も遠く及ばない。
しかし、縁があり大石神影流剣術を学ぶこととなり、森本先生という師に学ばせていただき、先輩方に出会うことが出来たことは、何より感謝と喜びであります。この初心を忘るることなく、こころより礼を尽くして大石神影流剣術に励んでまいります。

【参考文献】
1)小笠原敬承斎『誰も教えてくれない男の礼儀作法』光文社新書 四版 2010年
2)新渡戸稲造『武士道』三笠書房 三十五版 2004年


 大牟田での大石先生のもとでの稽古の帰りに写した門司港の写真です。
mojikouDSC03983.jpg
  1. 2013/09/27(金) 16:25:23|
  2. 昇段審査論文

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Author:貫汪館館長(無雙神傳英信流 大石神影流 澁川一流)
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