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無双神伝英信流 大石神影流 渋川一流 ・・・ 道標(みちしるべ)

無雙神傳英信流抜刀兵法、大石神影流剣術、澁川一流柔術を貫汪館で稽古する人のために

剣号と諱

 今日は剣号と諱について記します。一般的にはなじみがない剣号と諱ですが、武術の世界ではいまだに用いられていますので、知識の一部とされてください。
 貫汪館という道場名は私の剣号による道場名ですが、師 梅本三男貫正先生より無双神伝英信流の道場開設を命じられたときに、師は「道場名につける最高の剣号を考えておく。」と言われ、「一番良い剣号を考えたよ。」といって授けていただいた号であり、当時、渋川一流柔術の畝重實嗣昭先生の師範代をしていた私は、畝先生からも柔術の指導をすすめられており、この道場名で無雙神傳英信流抜刀兵法と澁川一流柔術の指導をする許可を梅本先生から頂き、爾来貫汪館での指導を続けております。
 
 おおよそ武術(古武道)における諱・剣号というものは遊芸における「名取」の制度とはかけはなれたもので、これを遊芸の家元制度における「名取」と同一視して語る者があるのは、無知からくるものか、本来家元制度のない自己の修める流派武術の世界に自分だけが尊いという宗家を詐称したうえ、さらにその地位を固守しようとする意図をもつものか、嘆かわしい限りです。
 江戸時代およびそれ以前の武士は、字(あざな)と諱(いみな)の両方をもっていました。字は通称であり、諱は本名で、日常は字をもちいていました。
 たとえば、無雙神傳英信流の流祖林崎甚助重信は甚助が字(通称)であり重信が諱(本名)となります。また、田宮平兵衛業正は平兵衛が字(通称)であり業正が諱(本名)となります。通常、諱は漢字2文字のうち親、先祖代々の諱の特定の1文字を入れることになっていました。たとえば無雙神傳英信流の歴代の師範中、林六太夫守政の子、林安太夫政詡に政の字が引き継がれ島村馬允義郷の子、島村(細川)善馬義昌に義の字が引き継がれているように。
 ところが、明治5年5月7日の太政官布告「従来通称名乗両様相用来候輩自今一名タルへキ事」により、諱と通称を併称することが公式に廃止されたため、伝書に代々書きつがれていた諱が書けなくなり、そのかわりとして用いられたのが剣号です。号(ごう)とは、名や字以外に人を呼ぶ際に使われる称号で字や諱と異なり、自身で名付けたり、他人によって名付けられるものです。尾形郷一貫心先生の剣号は先生が貫心流の免許皆伝者としてすでに指導されていたところからつけられたもので、梅本三男貫正先生の剣号は尾形先生から授けられたものです。ちなみに植田平太郎竹生先生のご子息で、無雙神傳英信流の指導をされていた植田一先生にはご尊父から授けられた竹譲という号があります。この場合、ご子息なので、その性格は諱に近いものであると思われます。
 植田平太郎竹生先生の伝を受けられた尾形郷一貫心先生の剣号に植田先生の剣号の「竹」も「生」も用いられていないことから、「名取」の制度であるという主張がいかに根拠のないものであるということがわかると思います。
 一方、澁川一流柔術では畝重實嗣昭先生からは「かつては親の諱の一字をもらって諱としましたが、今は、そのような風習はなくなったので、師が弟子に諱を授けるようにしているのです。」と話され私に「嗣時」という諱を授けてくださいました。宮田友吉國嗣先生、車地國松正嗣先生、畝重實嗣昭そして私へと「嗣」の一字が用いられているのは、そのような理由によります。
 私の柔術の諱の「時」には畝重實嗣昭先生の澁川一流柔術を流祖、首藤蔵之進満時の時代のように、再びゆるぎないものにと言う願いが込められています。剣号の「汪」の字にも師の梅本三男貫正先生の思いが込められています。興味ある方は漢和辞典で調べてみてください。



  1. 2006/12/11(月) 07:04:08|
  2. 武道史

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貫汪館館長(無雙神傳英信流 大石神影流 澁川一流)

Author:貫汪館館長(無雙神傳英信流 大石神影流 澁川一流)
無雙神傳英信流抜刀兵法、大石神影流剣術、澁川一流柔術 貫汪館の道標へようこそ!
連絡先は貫汪館ホームページで御確認ください。

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