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無双神伝英信流 大石神影流 渋川一流 ・・・ 道標(みちしるべ)

無雙神傳英信流抜刀兵法、大石神影流剣術、澁川一流柔術を貫汪館で稽古する人のために

長谷川英信について

 以前も一度、林崎甚助の居合は、その林崎神社に林崎甚助より奉納された太刀の拵が差料であった事から、腰に刀を差した状態の居合であったのではないかと述べました。また、古い文献のどこにも長谷川英信が太刀を佩いた状態の居合を腰にさした状態の居合に改編したという記録を見出すことがいまだに見つけることもできません。
 長谷川英信については伝書に「目録には無雙神伝英信流抜刀兵法と有り
本、重信流と云ふべき筈なれども長谷川氏は後の達人なる故に是を称して英信流と揚られたる由也云々」と書いてあり、改編したとはかかれていません。
 江戸時代より長谷川英信が改編したという説があるわけではなく、どうもこの説は「無雙直伝英信流第十七代宗家大江正路先生の実話」という冊子に載っているように無双直伝英信流の政岡壱実先生の推定にはじまるのではないかと思います。少し長くなりますが一部を引用してみます。
 「一、流祖の居合
 流祖、林崎先生の時の居合を考えますに、当時は刀を差すことがなくて佩いていたので刃が下に向いていたわけです。故に下から切り上げる動作が主であつた、という事は誰が考えてもおわかりと存じます。現に林崎先生の弟子の片山伯耆守の伯耆流では、下からの抜き上げ業が非常に多い、それと同じ様に林崎先生は抜いておられただろう事が想像出来ます。又、もう一つ下から抜いたが、斬る事は、上からも右からも、左からも斬つただろうということも想像出来ます。・・・
二、英信の居合
 英信という人は、非常な武芸の達人であつた様です。居合は無論、剣道も出来たし、柔道、その他の武芸を沢山練習した記録が残つております。先生は初め林崎先生の行われたものを、そのまゝ行われたわけなんです。現に英信先生の曽孫弟子の方の伝書の写しを持つて居りますが、絵も載せてありますし、又、内容も書いてありますが、それを見て私が考えまするに、当時、林崎先生のをそのまゝで行われた様に思われます。しかし初めのうちは林崎先生のをそのまゝ習つていて、晩年になつて、或いは中年かも知れませんが、これではどうも具合が悪いと変革されたものと考えられます。

 当時は徳川初期で、林崎先生当時に比して社会情勢、生活様式も変化して参りまして、その時分にはじめて武士の家にも畳を敷くことが出来て、現在の正坐様式の坐法が出来てきた。かくなると同時に刀を差す「帯刀」という風が出来てきた。また今迄通り刃が下向きになつていないから下から抜いていたのでは具合が悪い、上向いているのだから、それはその通り抜かねぱならぬという大変革をきたした。 そこで上から抜くべきだが、実際には斜、又横から抜きつける方が効果的であると考えたのが、英信先生であります(それまで考えなかつた片山伯耆守は昔のままを、そのまゝ行つており、現在迄引継がれていると考えさせられます)英信先生はこれは、刀の差し方が変つたのだから改めねばならぬという考えで変えられたのがそのまゝ伝えられ現在、我々が行つている抜き方になつたと申し上げてよいのであります。 ・・・」

 基本的にこれは政岡壱実先生の推定であり、林崎甚助の頃に既に刀を腰に差す風習があったということを知られなかったために起こった間違いであろうと思います。
 現在一般にいわれている説が、一体、どの時代に言われ始めたことであるのか再度検証する必要があると思います。

 貫汪館ホームページの会報のページに月刊『武道』3月号と6月号の記事を載せましたのご覧下さい。

 9月30日(日)に行う無双神伝英信流 居合道講習会の案内を貫汪館ホームページの無双神伝英信流の稽古のページに載せましたのでご確認ください。一般の方にも公開して行う講習会ですので柔術の初心者の方も御参加ください。
  1. 2007/08/16(木) 18:24:52|
  2. 武道史

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Author:貫汪館館長(無雙神傳英信流 大石神影流 澁川一流)
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