FC2ブログ

無双神伝英信流 大石神影流 渋川一流 ・・・ 道標(みちしるべ)

無雙神傳英信流抜刀兵法、大石神影流剣術、澁川一流柔術を貫汪館で稽古する人のために

姿勢についての論文

 先日、昇段審査を行った際に提出された「姿勢」についての論文を掲載します。優秀な論文ですので、皆さんも稽古の参考にされてください。

  「姿勢について」

 柔術または武術においての姿勢の重要性は、それがもっとも武術の基本にかかわる点にあります。もともと武術は、敵に対したときにどうやって勝つか、あるいは少なくとも命を落とさないですむかという方法として工夫されてきたものです。その工夫のなかで、姿勢が最も大切なものの一つとされるのは次の点にあります。
 敵の攻撃は、あらゆる方向から、あらゆる方法でやってきます。それに対するには、心身がそれに対応できるものでなければなりません。心身が敵のあらゆる攻撃の対して対応出来る状態であるためには、心身が一カ所に止まっていないことが大事です。もし心身が一カ所に止まれば、心身は自由闊達に働かず敵のあらゆる攻撃に対処することが出来ません。悪くすれば命を落とすことになってしまいます。 

                
 鈴木 大拙 著「禅と日本文化」の中に次のようなエピソードがあります。
一人の熱心な弟子が剣術を習いたいとある剣匠のところにやってきます。山中に隠棲していた先師はやむをえずそれを承知します。ところが、弟子の毎日の仕事は、師を助けて、薪を集め、水を汲み、火を起こし、飯を炊き、室を掃く等、家事の世話をさせられます。べつに規則正しく剣術の法をおしえられることもない。日がたつにつれて若者は不満をおぼえてきた。自分は召使いとして働くためにやってきたのではなく、剣の技をおぼえるためにやってきたのだ。そこである日、師の前にでて、不平を言って教えを請うと、師匠は「うん、それなら」という。その結果、
若者は何一つの仕事も安心の念を持ってすることができなくなった。なぜかというと、早朝、飯を炊きだすと、師匠が現れて、背後から不意に棒で打ってかかるのだ。庭を掃いていると、何時何処からともなく、同じように棒が飛んでくる。若者は気が気でない。心の平和を全く失った。いつも四方に眼を配っていなければならなかった。かようにして数年立つと,始めて、棒が何処から飛んでこようとも、これを無事にさけることができるようになった。しかし、師匠は、それでもまだ、彼を許さなかった。ある日、老師が炉で自分の菜を調理していたのを見て、弟子は好機だと考え、大きな棒を取り上げて、師匠の頭上にうちおろした。師匠は、おりから、鍋に上に身をかがめて、なかのものをかきまわしているところだったが、弟子の棒は鍋の蓋でうけとめられた。この時弟子は、これまで到りえなかった、自分の知らない剣道の極意に対して、はじめて悟りを開いた。

 ここに語られているのは、武術の極意は何時いかなる時にあっても心身を自由に働かせることにあるということです。どのような攻撃にも瞬時に対応できるためには、まず、身体が対応出来る状態でなければいけません。身体が対応出来る状態とは、身体がどのようにでも働くことが出来る可能性をもっていることです。それが武術における、身体の状態=姿勢の基本です。ここに武術のにおける姿勢の大切さがあります。しかし、身体が自由に働くためにはそれだけでは十分ではありません。心が自由に働く必要があります。心がとらわれていては、身体はその自由さを失ってしまいます。心と身体が何処にも居着かない、何もとらわれない状態になって、始めて可能となります。
 心身が一カ所に止まることなく、あらゆる状況の変化に対応する心身を持つために、初心者がまず習得を目指すのは身体の柔らかさと身体の中心を保つことです。これによって始めてあらゆる方向と方法の動きの可能性がでてきます。固まった身体と崩れた中心では対応出来る変化はわずかです。静止した状態で、身体の中心を意識し、身体の力を抜くことから始め、次第に動作中も力を抜くように意識し、その動作が静止したときもその柔らかさと中心を保ち、静止状態でも動作中でもあらゆる状態で居着かない心身を目指すことが肝要です。
  1. 2007/07/21(土) 23:59:18|
  2. 昇段審査論文

FC2カウンター


無料カウンター

プロフィール

貫汪館館長(無雙神傳英信流 大石神影流 澁川一流)

Author:貫汪館館長(無雙神傳英信流 大石神影流 澁川一流)
無雙神傳英信流抜刀兵法、大石神影流剣術、澁川一流柔術 貫汪館の道標へようこそ!
連絡先は貫汪館ホームページで御確認ください。

カテゴリー

ブログ内検索

リンク

このブログをリンクに追加する

最近の記事

月別アーカイブ