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無双神伝英信流 大石神影流 渋川一流 ・・・ 道標(みちしるべ)

無雙神傳英信流抜刀兵法、大石神影流剣術、澁川一流柔術を貫汪館で稽古する人のために

知ることは行えること

 こと武道においては知ることは行えるようになるためにあります。知識は豊富であるけれども口先ばかりで行うことはできない。このような状態が武道を行う者にとっては最悪な状態です。
 こういう人になってしまったら抜け出すことができずますます知識を誇るだけになっていきます。増上慢になってしまうのです。本人はそれをおかしなこととは思えなくなっており、知識くらいの力があると思い込みますので、どうにもならなくなります。そうなる前に自分自身で気づけるように自分を戒めておかなければなりません。

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  1. 2021/04/01(木) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

柔術の一人稽古

 澁川一流柔術の師 畝重實嗣昭先生は戦後の日本経済の高度成長期の稽古する人がいなくなった時期には一人稽古をしておられました。相手を想定し、素抜き居合のような稽古をされていたのです。それで形を忘れることがなかったと仰いました。
 なかなか素手の柔術の稽古ができる状況になりませんが、一人稽古もできるのだということを忘れないでください。イメージの中で稽古することもできます。


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  1. 2021/04/02(金) 21:25:00|
  2. 柔術 総論

指導者としての自分自身の稽古

 無雙神傳英信流抜刀兵法の師 梅本三男先生は「弟子を指導しているときには自分の為の稽古はできないから」と正月から100日間早朝に自分自身のための稽古をされていました。晩年になり業が進み、また稽古に来る人が少なくなった時期には、私が道場にお伺いしたときに一人で稽古を楽しまれていることもありました。
 指導するために稽古場に出るだけではなく自分自身の稽古をする時間を取ることも必要だと考えます。

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  1. 2021/04/03(土) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

達磨のように

 無雙神傳英信流の師である梅本三男先生は、居合は手もなく足もない達磨のような状態にならなくてはならないと教えてくださいました。高校生の時に初めてその教えを聞いたときには、「動けなくなってしまう」と思ったものですが、大切なことは動きの中心が臍下丹田にあり、端のほうに位置する肩や肘、手首で刀を扱おうと竹刀、また足裏で床を蹴って歩もうとしない、膝から下を使って進もうとしないということになります。意識の中心動きの中心が臍下丹田にあれば、末端の意識は薄くなっていきます。
 
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  1. 2021/04/04(日) 21:25:00|
  2. 居合 業

まず稽古

 初心者で形・手数の手順がわからないというレベルを脱していたら、稽古に稽古を重ねたのちに疑問があれば質問します。稽古を重ねてもないのに答えが見つからないからといって安易に質問して答えを聞き、わかったつもりになってしまうと体得する努力を行なわなくなってしまいます。そうなれば、知っただけであるのにできるという錯覚に陥り、自分が思っている自分自身の実力と本当の能力は大きくかけ離れてきます。
 初心者でなければ、指導されたことをまず稽古し体得する努力を重ね、そのうえで質問すれば身につけるべきものは身についていきます。

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  1. 2021/04/05(月) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

正面に斬り込む

 大石新影流では真剣から振りかぶる場合も刀の位置が上段の位置(切先が斜め右上)からになりますので、焦って正面に斬り込むと太刀筋が表面に斬り込むときのように斜めになってしまいます。
 そのような癖に気づいたら、落ち着いて稽古するように心がけるとともに、初心に戻って素振りの稽古をして自分の歪を正してください。鏡の前で確認したり映像を用いることも役立ちます。

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  1. 2021/04/06(火) 21:25:00|
  2. 剣術 業

知らぬ武道

 したこともないのに、ああだ、こうだと述べたがる人もおられます。自分は現代武道を少し、あるいは古武道の1種目を少し、または複数を少しずつ稽古しただけであるにもかかわらず、古武道についていろいろと語り、あたかも何でも知っているかのように実技についても述べたがります。昔から戒められているように自分がしたこともない種目の武道について話したがるのは心の問題で、人に認められたい、敬われたいという思いがそうさせています。実際にその種目の武道をしている人から見れば薄っぺらな事ばかりなのですが本人は気づきません。
 そうならないように自分自身に気を付けておかなければなりません。

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  1. 2021/04/07(水) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

剣術の一人稽古

 剣術の一人稽古で陥りやすい間違いがあります。下手な癖を身につけかねないので記しておきます。
 打太刀と仕太刀が打ち合い、打太刀が仕太刀の動きを止めるとき、仕太刀は普通にに斬り込んでいます。しかし一人稽古では打太刀がこちらの木刀を止めてくれることはありません。そのため普段の稽古と違って柄を握りしめて自分の木刀を空中で止めていることがあります。臍下丹田の動きが止まれば末端の木刀の動きも止まるのですが末端を止めようとして握りしめてしまうのです。
 ゆっくり動いて自分がどのようにしているか確認してください。

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  1. 2021/04/08(木) 21:25:00|
  2. 剣術 業

現在から過去を考える

 過去から現在へは一つの流れです。しかしその一つの流れは何百何千とあった可能性の一つにすぎません。現在から過去へ歴史を考えるとどうしても現在の姿と類似した、しかしまだまとまっていない原型がそこにあるのだろうと考えてしまいます。武道史であれば現在は普通に突き技が行われているからすでに防具があった江戸時代も当然突き技が普通に行われていただろう、現在も江戸時代も胴をつけているので江戸時代にも現在と同じような胴切りが普通に行われていただろう。こういうような考え方です。一刀流は胸当てを用いたと伝わっていますが、胸当ての目的も胴打ちから体を守るためであったのでしょうか?
 銃剣術が現在繰り突きを行わないので繰り突きが普通の技術であった槍術の伝統を受け継いではいない。そうでしょうか。ヨーロッパ諸国の銃剣術にも普通に繰り突きはありました。日本でも繰り突きはしていました。しかし、日本では明治以降、銃剣術で繰り突きをさせない傾向が出てきます。(このあたりについてはいつか武道学会で発表したいと思いますが、寿命がもつかどうかわかりません)
 現在は過去の無限にあった可能性の一つの姿にすぎません。
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  1. 2021/04/09(金) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

怪我・故障

 怪我をしていたり、故障があるのに無理に稽古してはいけません。明治以降無理をして何かすることがよいことのように錯覚していますが、江戸時代には開国修行の最中であっても体調が悪ければ試合していませんし、受け容れるほうも体調が悪ければ試合していません。
 怪我や故障があるのに無理して稽古すれば治りも悪くなりますし、下手をしたら一生後遺症が残ります。また、無意識のうちにでもそこをかばい歪んだ動きをせざるを得なくなります。歪んだ動きを続ければ悪癖となって身についてしまうことにもなりかねません。
 怪我・故障があるときには速やかに治療することを心掛け、道場に出ることができる状態であれば見取り稽古をしてください。

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  1. 2021/04/10(土) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

暑ければ暑いように、寒ければ寒いように

 稽古をするときには何を目的としているのかを考えて第一の目的が追求できるようにしてください。夏の暑いときに暑さに耐えるためと言って窓も開けず厚着をして稽古すれば、耐暑訓練にはなるかもしれませんが、稽古で得ようとしているものからはかえって遠ざかってしまいます。また冬の寒いときに耐寒訓練と言って薄着で戸外で稽古したら、これもまた耐寒訓練にはなりますが、何を目的としているのかわからなくなります。
 目的が何かをはっきりさせ、それにそうような稽古方法をとればよいと考えます。

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  1. 2021/04/11(日) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

刀の長さ

 大石神影流剣術では竹刀・刀の総長の上限はおおむね地面から乳通りの高さまでです。これはあくまで上限ですのでそれよりも短いものを用いても構いません。しかし、より長いものを用いようという欲が起こった時には自分を戒めてください。流祖が上限と定めていますから、大石神影流の手数を使うにはこれ以上長いものだと支障が出るということなのです。
 大石進種次が用いた竹刀は5尺3寸と伝わっています。また、この種昌が用いた竹刀は4尺5寸と伝わっています。2代目は初代よりも一回り小柄だったようです。したがって竹刀も短くしていたのです。佩刀に関しては伝わっていません。大石本家が東京で文書・武具類を散逸してしまったからです。初代が小城藩士の指導への御礼として小城藩主から賜った刀は忠吉の3尺3寸であったと伝わっていますので長い刀を差していたのであろうことは想像できます。
 私の身長は170cmですのでおおむね総長4尺1寸のものが上限になります。鞘之内の稽古に用いる真剣は3尺で柄が1尺、鍔・切羽・鎺などを合わせるとおおむね4尺1寸です。自分の身長に比して定めよりも長いものを使いたい気持ちが起こったら、無雙神傳英信流の稽古に用いる長さの真剣や模造刀であってもよいので大石新影流の手数が正しく行えるのかどうかを確認してください。正しく行えるかどうかわからない場合は必ず指導者に確認してください。
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  1. 2021/04/12(月) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

刀の長さ 2

 大石神影流の竹刀・刀の総長の上限を述べましたが、無雙神傳英信流ではおおむね身長の半分くらいが上限です。腕、脚の長さや体の柔軟性によって多少の差はありますが心得ておいてください。170cmの私の身長でおおむね2尺8寸です。これよりも長い刀を用いると無理が生じてきます。古い流派の居合と「抜きつけ」る無雙神傳英信流では業の理合が異なります。古い居合の稽古に用いる刀が3尺3寸だと思い、その長さを用いれば無雙神傳英信流の技は使えなくなってしまいます。

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  1. 2021/04/13(火) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

批評家

 批評家とは批評することを職業としている人を言い、また、自分では何もしない、できないのに他人の言動を批評するばかりの人をあざけっていう語のようですが
 武道の場合、後者の、自分では何もできないのに他者の批評ばかりする人は多いように思います。おそらくは経験した程度のことを自分では、あれも稽古し、これも稽古したことがあると思い込んでいて安易に他者の批評をするのだと思います。
 自分自身が批評できる力を備えているのかどうなのかを考えたら、とてもできないことです。自信過剰ほど恐ろしいものはありません。
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  1. 2021/04/14(水) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

外形

 形・手数の手順ができるから、外形がわかるからと言ってそれは習得したことではありません。形・手数の中にあるものを習得して自由に使えるようになったときに習得といいます。初心者の方がおちいりやすいところです。また、指導者が気を付けなければならないところです。そのままにしておいたら取り返しのつかないことになります。中にあるものを会得させるように努めなければなりません。
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  1. 2021/04/15(木) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

重さ

 木刀と真剣では重さが異なります。手数で木刀を自由に使えると錯覚しても、実際に、その形や手数で真剣を用いると自分の想像以上に難しいことがわかると思います。
 特に片手で用いる手数や二刀の場合、木刀を腕力で用いていて自由になると勘違いしているときには真剣では同じように用いることはできませんし無理が生じてしまいます。日ごろから一人稽古において真剣で手数を使ってみて、真剣を基準に木刀を用いることができるように工夫してください。 

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  1. 2021/04/16(金) 21:25:00|
  2. 剣術 業

無重力状態にある刀を

 「無重力状態にある刀を横に振っても縦に振っても自由になる。」と梅本先生が言われましたが、刀が無重力状態にあるように感じるためには、それなりの業が身についていなければなりません。先生の刀は身長に応じた2尺6寸7分でしたが高齢になられても、先生が話されていたように自由でした。
 そのための第一歩が手の内で、絶対に握りしめないことです。臍下丹田からの力が切先に伝わっていなければなりません。
 次に大切なのが無理無駄がないこと、そのためには筋肉の無駄な緊張を可能な限り排除することです。
 この二つが体得できれば先生が話されたような状態も遠くはありません。

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  1. 2021/04/17(土) 21:25:00|
  2. 居合 業

左足前で斬撃

 無雙神傳英信流では左足前で斬撃することはほとんどありません。しかし、どのようにでも動けるためには左足前の斬撃も右脚前の斬撃と同じようにできなければなりません。
 いつもは斬撃の稽古では左足で振りかぶり右足で斬り下していますが、時に右足で振りかぶり左足で斬り下ろしてみてください。その時に腰が安定しなければ右足を出したときに不要な緊張がありますので、それをなくしてください。
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  1. 2021/04/18(日) 21:25:00|
  2. 居合 業

覚悟はみえる

 以前にも述べたことがありますが、演武するときにどのような思いで演武しているのかは見える人には見えてしまいます。
 「失敗しないように」と思って演武していたり、「上手に思われたい」と思って演武していたり、「自分自身ができると思っている業」を誇りたかったりという余計な思いが見えて取れるのです。「形通りに」「とか打太刀として」といったような思いも余計なものです。
 この1回のみと覚悟を決めて無念無想で演武しなければなりません。

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  1. 2021/04/19(月) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

知識のなさを笑う

 今は誰でもインターネットを用いて自分の考えを述べることができますので、なかには知識不足から間違ったことを言う人もあり、あるいは意図的に間違いを発信する人もあると思います。
 そんな時に同門であれば直接丁寧に間違いを指摘することもできますが、全く知らない人の場合に、発信している人が誰かわかるような形で「誰々がこんなことを言っているけれど・・・」という発信を自分がすることは避けてください。無駄に相手に恥をかかせることになりますし、発信した当人にしてみればその人の無知をあざ笑われたとも受け取れます。親切でも何でもありません。無用な諍いを生むもとともなりかねません。また、間違いを発信した人が武道の稽古をしたことはなく興味を持っている人であった場合、そのようなことをする人がいる武道を始めることもありません。自流にかかわることなどで、どうしても正したければ、「誰がどういっているけれど・・・」と記さず、事実のみを発信してください。

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  1. 2021/04/20(火) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

 人の「我」をなくすのは大変難しいことです。形を覚え、ある程度自由になり始めてからは「我」をなくすための稽古であるといっても過言ではありません。しかもやっかいなのは自分で気づけない「我」がいたるところに頭をもたげてくるのです。自分の演武の写真を見て気づくことができれば、見ることがいやになってきます。少し見ることができる写真になったと思っても、自分が進めばまた写真を見るのが嫌になる。その繰り返しで少しずつ「我」がすくなくなった動きができるようになっていきます。また写真も必要なく自分自身に気づけるようになっていきます。

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  1. 2021/04/21(水) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

妥協

 「先生はこういわれるけど、すぐにはできないからいいや、今は他の部分の稽古をしよう。」と自分自身に妥協してしまうと進歩が止まってしまいます。
 先生は全体を見てここを正しておかなければ先に進むことは難しいと判断して指導していますので、乗り越えなければならないところなのです。妥協してしまいたくなるところはたいてい自分自身の心が邪魔をしているところでもあります。

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  1. 2021/04/22(木) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

見えない

 初心者の方が先生の動きが見えないために自分勝手な動きをするというのはよくあることです。無雙神傳英信流の先生の斬撃の刀の動きが速いからと思って一生懸命肩腕を早く動かしたのだけれど、違うといわれる。私が初心者の頃の見えてないための間違いでした。
 先生の斬撃の振りかぶりから斬り下ろしが速く、ついていけず、これはと思って床を蹴ってみたけれど、違う。実際は膝を抜いておられました。
 見えなければ正しいと思って違うことをしてしまいます。まず、見えるようにならなければなりません。

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  1. 2021/04/23(金) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

見えない 2

 先生の動きが見えていないのは正しく稽古を重ねて行けば見えるようにもなっていきます。その次に見えなければならないのは自分自身です。自分自身が見えていなければ先生が見えても誤差を正すことはできません。自分ではできていると思っていると進歩はないのです。
 先生の動きが見えるようになることよりも自分自身をみえるようになるのは難しいことです。写真を活用するのも自分自身を見ることができるようになるための手段です。
 梅本先生も畝先生もよく私の写真を撮ってくださいました。梅本先生は白黒の写真をご自身で現像・焼き付けをしておられ、記念写真ではなく自分自身の動きを見るようにといわれて、写真をくださいました。畝先生は現像などははされませんでしたが非常にタイミングの良い写真を撮っておられました。「いい写真ですね」と私が言うと、畝先生は「技師がいいからの。」と笑って冗談を言っておられました。 お二人とも自分自身をよく見るようにとのお教えでした。
 今はスマホで動画を取って稽古に活用することもできます。自分自身が見えるようになってください。

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  1. 2021/04/24(土) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

 武道は欲を離れるために稽古しますが、武道の宿命としてどうしても相手よりも勝りたいという欲が起こります。この欲は試合のある武道の勝負への欲だけではありません。
 名誉欲が大きなものです。武道の組織での立場で人に勝りたい。その目的のため人を蹴落とすためにないことを言って自分の立場をよくしようとする。実際に〇道世界チャンピオンがそうしているのを目の前で見ました。道のためには存在してはならない人物ですが、立場が立場を築くので、その立場をなくすことはないでしょう。試合で勝つことと人間性は全くの別物だということを明白に示していました。
 金銭欲もあります。日本ではなかなか武道とお金は結び付きませんが、海外では結びつきます。金銭のために師を利用したり、地位を詐称したりします。これも実際に見たことです。日本では武道具屋と結びつき、上達するためにはと言って小学生に高額な防具をかわせるということを聞いたことがあります。
 何のために武道を稽古しているのか再度考えてみなければなりません。

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  1. 2021/04/25(日) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

呼吸の稽古

 呼吸の方法についてはお伝えしていますが、これを武道の稽古とは別に単独で行うことにその効果を求めるよりも、居合柔術、剣術の稽古のときに行った方が武道の上達につながることは言うまでもありません。
 一度、呼吸の方法を会得すれば、日常生活の中で稽古しようとすればいくらでも稽古できます。これは無理無駄な動きをしない稽古と同じことです。なにか特別なときに特別の場所で行った方が武道に益すると考えると間違った方向へ行ってしまいます。

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  1. 2021/04/26(月) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

斬る

 貫汪館では斬るための稽古は特にしていません。剣術、居合の動きがそのまま斬るための動きだからです。
 いつも鈍器のような鋭利ではないものでぶち殴るような動きで形・手数を稽古していたら、別に切るための動きを稽古しなくてはならないかもしれません。また、テレビで行われているような巻き藁を何本も並べて何人もの胴体を斬るようなことをするためには別の動きをしなければならないかもしれません。ふだん現代剣道の防具を付けた打突の稽古をしている方は、斬るためには現代剣道の防具を付けた打突の稽古とは別の動きをしなければならないかもしれません。
 貫汪館では何時も稽古している動きが斬る動きにつながっていますので、特に斬るための稽古はしていないのです。

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  1. 2021/04/27(火) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

突く

 少し悲惨な話ですが、突けば胴体には簡単に貫通するようです。私は実際に人を突いたことはありませんが、旧軍の軍人さんたちの体験談を聞いたところではそうで、木綿の防寒服に切り付けても切れない場合はついたとか、銃剣では簡単に人体を突くことができるという話もありました。旧軍の仮標刺突も、手慣れた人は全く力を入れず銃の重さで突いていたようです。
 稽古される方は居合・剣術ともに突き技は正しく突くことを心がけ決して力まないようにしてください。

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  1. 2021/04/28(水) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

斬撃:体が反る

 斬撃の稽古で刀を振りかぶるときに体が少しでも反ってしまうと、斬り下ろした時にその反動で体がやや前傾、柄頭は肚に収まらず少し前に出てしまいます。また、これは形の稽古で抜付けから刀を横に廻し振りかぶるときにもおこります。
 振りかぶりは最後まで臍下中心に行うべきものですが、途中から肩腕を使いたくなると鼠径部が伸び体は沿ってしまいます。「振りかぶる」という思いが中心ではなく末端を動かしてしまうのです。
 工夫してください。

  1. 2021/04/29(木) 21:25:00|
  2. 居合 業

抜付け:親指

 初発刀などの横への抜付けの抜付けで抜付けたときに右手の親指が床と平行になっていないときには親指中心の動きではなく人差し指から小指までの4指を中心に抜付けています。この時刃筋はわずかにくるっています。
 親指が床と平行になるためには臍下丹田から体の右側面、脇した卯でしたから親指への流れが感じられていることと、体の左側と右側の調和の取れた動きが不可欠です。
 工夫してください。

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  1. 2021/04/30(金) 21:25:00|
  2. 居合 業

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貫汪館館長(無雙神傳英信流 大石神影流 澁川一流)

Author:貫汪館館長(無雙神傳英信流 大石神影流 澁川一流)
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