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無双神伝英信流 大石神影流 渋川一流 ・・・ 道標(みちしるべ)

無雙神傳英信流抜刀兵法、大石神影流剣術、澁川一流柔術を貫汪館で稽古する人のために

『刀と劍道』10 「香川県の新田宮流」

 『刀と劍道』第1巻第5号(昭和14年9月1日発行)に小さな囲み記事で香川県の新田宮流の記事が載っています。

 水戸藩士が高松藩に養子に来ることによって伝わった新田宮流はこの頃は全く振るわず、片山高治氏が大正7年に中山博道に次いで居合術教師となりその子である片山高一氏が大正9年に教師になって、二人で稽古している。
 
 ただし、『刀と劍道』第1巻第6号(昭和14年10月1日発行)に片山高治氏自から記したものによると、この新田宮流は水戸藩の支藩である守山藩士の佐野惣内にいたると守山藩主のときに守山藩の流儀として藩主の直指の号をとって直指流と呼ばれた。守山藩主の三男が高松藩の嗣子として藩主となると高松藩士の富永甚兵衛忠高を守山藩士鈴木新兵衛利以の門に入らせ、皆伝後に高松藩で教えさせたと書いてあります。

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  1. 2020/11/01(日) 21:25:00|
  2. 武道史

『刀と劍道』11 「御工夫の劍」

 『刀と劍道』第1巻第5号(昭和14年9月1日発行)に「武道家としての楽翁公」という記事に松平定信の武道について記されています。
松平定信は甲乙流で有名ですが、山本流の居合に「御工夫の劍」と呼ばれる松平定信が編み出した形があったようです。それは通常の居合の業ではなく、柄わざ、體わざ(特に足技)、白刃取り、など刀法と柔術の組み合わせのようなものであったとされています。

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  1. 2020/11/02(月) 21:25:00|
  2. 武道史

『刀と劍道』12 「突刀」

 昨日述べた記事の中に松平定信の工夫した「突刀」に突いて述べられています。

 「突刀」は八尺の薙刀で二間の槍に対するもので、始終攻勢を取り相手の槍をはねのけ抑えて敏速に突き入ることを主として、鎗に退却しかできぬようにして回復の余裕も与えない技であり、徹頭徹尾突進的で同技量の者が槍と突刀で対すれば突刀に六分の利があった。現在の銃剣術に等しい形と気合であった。

 司箭流の長刀にも薙刀で槍に勝つ技があったといいます。このような動きだったのでしょうか。

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  1. 2020/11/03(火) 21:25:00|
  2. 武道史

『刀と劍道』13 「真剣に強い坂本龍馬先生」

 『刀と劍道』第1巻第5号(昭和14年9月1日発行)に「幕末維新の剣客」という中山博道の一文が掲載されています。その中の「真剣に強い坂本龍馬先生」という項目があります。

 坂本龍馬は竹刀を以て立合うと大したことはなかったが、真剣となると、その太刀先に怖ろしい威力が出てきて竹刀の時と格段の強みが生ずるという。それは土佐流抜刀の上手の致すところであろうか。龍馬ははじめ土佐藩の某氏に学びのち江戸に出て千葉周作先生に北辰一刀流を学んだ。寺田屋事件で獰猛なる三十余りの新撰組の狂人と自若として戦いよく敵を倒し結露を開いて逃れえた。

 この文章には誤りがいくつもあります。当時はこのような一般の認識で中山博道も、一般の考え方に従ったのでしょうか。中山博道が記していれば信じられてしまいます。

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  1. 2020/11/04(水) 21:25:00|
  2. 武道史

『刀と劍道』14 「居合」


 『刀と劍道』第1巻第7号(昭和14年11月1日発行)の斎村五郎剣道範士【1887年(明治20年)― 1969年(昭和44年)】の「剣道質疑応答」で居合に関する質問に斎村範士が答えています。斎村範士は大日本武徳会武術教員養成所に第1期生です。

 「問」大森流居合術に関し諸学者に便宜を與ふる纏まった良書が欲しいと思います。・・・以下略
 「答」河野稔氏著「無雙直傳英信流居合道」がよいとおもいます。

 「問」中山先生橋本は誰に居合を習われたのですか
 「答」中山先生は土佐の森本兔久身。細川義昌両先生に長谷川英信流を習はれたそうです。

 この当時すでに河野百錬が居合の書籍で名を成していたことがわかります。今も昔も書籍による影響は大きいと思います。
 また、中山博道は森本兔久身、細川義昌両先生に習ったと言っていますので戦前にはこれはよく知られたことであったと思います。現在は細川義昌だけが強調されますが、戦後何らかの思惑が働き、細川義昌のみを強調するようになったのかと思います。

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  1. 2020/11/05(木) 05:21:25|
  2. 武道史

『刀と劍道』15 「引上げ」

 『刀と劍道』第1巻第7号(昭和14年11月1日発行)の斎村五郎剣道範士【1887年(明治20年)― 1969年(昭和44年)】の「剣道質疑応答」に引上げについて記されています。

 引上げというのは斬突の後、試合を中断して残心のないことです。例えば面なら面を撃って片手を離したり、横を向いたりして面々々など懸聲して後の備がないのが引上です。

 幕末には「ひきあげる」という動作は、打突した後に相手に後打をされないように後方に間合いを切ることを言っていたようですが、いつ頃から言葉の意味の変化が起こったのかを知りません。撃剣興業の頃からでしょうか。大石神影流では打突後に相手に切先を向けなければ1本とはなりません。
 
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  1. 2020/11/06(金) 21:25:00|
  2. 武道史

『刀と劍道』16 「精神」

 『刀と劍道』第2巻第1号(昭和15年1月1日発行)の小川金之助剣道範士の「剣道修行の精神」という文に次のようなことが述べられています。

 ドイツの博士が京都武徳殿で剣道の稽古を参観した時に、5時間も6時間もこのように猛烈な運動を行って平然としているあなた方の肉体力は何によって養われたのかと質問した。
 これは肉体力ではなく精神力だと答えると、その精神力は何によって養われるのかと再び質問した。

 次はそのままの文章を載せます。
 「お気の毒であるが、それは貴下外人には分からない、何となれば貴国と我国とは国体が異なるから、日本の国体が諒解出来なければ、吾々剣道家の精神の拠って来る處は断じてわからないであろう」と昂然と答えてやったことがある。

 日本はほかの国とは違うのだという意識は、この当時の時代背景が元となっているのだと思いますが、昨今の日本凄いという風潮とよく似ている考えだと思います。危機的状況になると、そのような考えが起こるのでしょうか。
 
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  1. 2020/11/07(土) 21:25:00|
  2. 武道史

『刀と劍道』17 「剣道はスポーツに非ず」

 同じく『刀と劍道』第2巻第1号(昭和15年1月1日発行)の小川金之助剣道範士の「剣道修行の精神」という文に次のようなことが述べられています。

 今日スポーツの流行とともに剣道をスポーツと同一視する観方がないでもない。成程剣道の練習特に試合に於いては一定の気息の下に勝敗を争っているから、その点はスポーツと類似しているが、剣道の本質意義目的に就いては、すでに述べた如く、単に勝負を興味の中心として行う事を目的とするものではない。剣道に於いては実際に必要なる場合真剣を執って忠節を尽くす武術であって、スポーツの如くスポーツすることそれ自体が目的ではない。剣道の稽古及び試合はそれ自体が剣道の目的ではなく、何れも剣道鍛錬の方法にすぎないのである。本末転倒してはならない。

 現在の剣道にも残る考え方であろうと思います。しかし、突き詰めて考えると、優勝者を決めた天覧試合の存在が問題をこじらせたのではないかと思います。優勝しても表彰されることがなければ、そうであったのかもしれませんが・・・。
第1回 御大礼記念天覧武道大会(昭和4年)、
第2回 皇太子殿下御誕生奉祝天覧武道大会(昭和9年)
第3回 紀元二千六百年奉祝天覧武道大会(昭和15年)

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  1. 2020/11/08(日) 21:25:00|
  2. 武道史

『刀と劍道』18 「谷村亀之亟」

 『刀と劍道』第2巻第1号(昭和15年1月1日発行)に河野稔居合術練士の「居合術諸学講座 無雙直傳英信流居合道」という文が載っています。
その中に無雙直傳英信流居合の伝統(正統宗家)として14代林彌太夫、15代谷村亀之亟、16代後藤正亮、17代大江正路と記されています。
 ここでも谷村亀之亟の子が谷村のあとを継ぎ致道館で居合導役であったことは無視されています。歴史上の存在をなかったことにされているのですから、本人はあちらの世界でどのように思っているのでしょうか。
 また、河野稔が無雙直傳英信流に正統宗家が存在するという考え方を戦前から持っていたことがわかります。
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  1. 2020/11/09(月) 21:25:00|
  2. 武道史

『刀と劍道』19 「試し切」

 『刀と劍道』第2巻第2号(昭和15年2月1日発行)に薄田斬雲の「尚武國日本武術の再検討」という文が載っています。薄田斬雲は小説家・ジャーナリストであったようで、柔道家・前田光世(コンデ・コマ)の世界武者修行の様子を描いた『世界横行柔道武者修業』で知られているようです。
 さて、その文章の中に試し切について述べられています。

 居合道の隆盛とともに巷間試し切が盛んに行われるようになって来たのである。剣道を修行する者は時に試し切に依り自己の手の内を試すこと又必要なことであるが、本来試し切は刀剣の良否、切れ味の善悪を吟味するために行うものである、刀剣は人を切るためにつくられたものであるから切れない刀剣等は無いわけである、然し刀剣の良否、切れ味の善悪のあることは否めない事実であるが故に、一刀に己の生命を託した武士は片時も刀剣を身辺よりはなさず武士の魂として尊重したのであるから勢い刀剣の良否を試し切に依って判断したのは寧ろ当然である。

 このころすでに、自分の腕を確かめるため、誇るための試し切りが行われていたのでしょう。薄田斬雲は試し切りの意味をよく知っておられたようです。

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  1. 2020/11/10(火) 21:24:01|
  2. 武道史

『刀と劍道』20 「島田貞一の銃剣術観」

 『刀と劍道』第2巻第3号(昭和15年3月1日発行)に島田貞一の「槍術作興論」があります。その中で島田貞一が銃剣術について述べた文章があります。

 現代の銃剣術は槍術からでたものである。勿論銃剣術は西洋の発明品であるから輸入当初には日本も西洋式銃剣術を学んだ。すなはち、明治初年陸軍は銃剣術につき仏国式を採用した。併しその技の日本人に不適なるを知り、明治中期以降は専ら日本の槍術を参考として研究し、遂に現代の如き精妙に至ったのである。

 島田貞一は槍の研究の第一人者ですが、どのような根拠から「明治中期以降は専ら日本の槍術を参考として研究し、遂に現代の如き精妙に至ったのである」と述べたのかは不明です。その当時にはしっかりとした資料が残っていたのかもしれません。すでに述べたように陸軍の剣術教範はあくまでも初心者教育用のものにすぎませんから、そこから当時の銃剣術の全体像をとらえることはできません。

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  1. 2020/11/11(水) 21:25:00|
  2. 武道史

『刀と劍道』21 「面紐の色による段位の識別」

 『刀と劍道』第2巻第5号(昭和15年5月1日発行)の斎村五郎剣道範士【1887年(明治20年)― 1969年(昭和44年)】の「剣道質疑応答」に面紐の色による段位の識別について述べられています。なんとなくはわかっていましたが、詳しくは知りませんでした。

 武徳会では面紐の色を段は黒 一ニ級は茶褐 三四級緑 五級緑白交としてあります。一般に有段者は黒または紫他は白紐を用いているところが多いようです。

 講道館の帯の色の影響でしょうか。

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  1. 2020/11/12(木) 21:25:00|
  2. 武道史

『刀と劍道』22 「時代性を加味した新剣法」

 『刀と劍道』第2巻第6号(昭和15年6月1日発行)のコラムのような欄に下記のような要旨の文が載っていました。

戦場での敵も鉄兜をかぶっているので、面は切れず仕方なく腕に切りつけ、度々このようなことがあるので、実戦経験からして肩先から斜めに斬りつける、腰から上部一面に刺突するという方法を取り相当な効果があった。と記し、これは邪道であろうか、剣道の美風を損なわない時代性を加味した新剣法があってほしいと痛感する。

 これは私の無雙神傳英信流抜刀兵法の兄弟子が語られたことと同じです。将校として白兵戦を経験された兄弟子は、ご自身の弟さんに剣道の稽古での横面(鉄兜の下)を稽古するように勧められたようです。

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  1. 2020/11/13(金) 21:25:00|
  2. 武道史

『刀と劍道』23 「刀ノ力ヲ各自デ試シ」

 『刀と劍道』第2巻第7号(昭和15年6月25日発行)の広告に皇刀梶原政美先生著『初心 一刀両断法』の広告が載っています。

 戦地慰問品又贈呈品ニ是非此ノ一冊デ如何ナル刀デモ実際ノ刀ノ力ヲ各自デ試シテカラ安心シテ実戦ニ以ッテ行ケマス

 梶原政美は皇刀軒流の創始者ですが、この広告にも試し切りは刀を試すためのものだという考え方がはっきりと表れています。

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  1. 2020/11/14(土) 21:25:00|
  2. 武道史

『刀と劍道』24 「無想神傳流」

 無雙神傳英信流でもなく、夢想神伝流でもなく、ましてや夢想神伝重信流でもありません。
 『刀と劍道』第2巻第8号(昭和15年7月1日発行)の「武徳会大演武会記」という斎村五郎剣道範士が記された紀元二千六百年奉祝第四十四回大演武会について述べられた記事が載っています。その中に各種武道という項目があり、古武道の形の演武について述べられているのですが、中山博道の弟子の演武について「橋本統陽範士の無想神傳流抜刀術は其技神に入り」と記されています。流名は無雙神傳英信流でもなく、夢想神伝流でもなく、ましてや夢想神伝重信流でもありません。
 同じ号に紀元二千六百年奉祝東亜武道大会の記事に「長谷川英信流 橋本統陽」「無想神傳流抜刀並試切 中山博道」とあります。
 その他諸書にも「無想神傳流」と記してあります。
 江戸時代の記録からも明らかなように大森流のみを演武するときには大森流と記し、英信流のみを演武するときには英信流または長谷川英信流と記します。中山博道の起請文にも明らかなように、全体を言うときには山川久蔵の流れは無雙神傳英信流といいました。
 中山博道は森本兔久身と細川義昌に土佐の居合を習い自分の工夫を加えて自分の流派を作ったのですから「無想神傳流」と名乗ったのでしょう。なぜ中山博道没後にその門人たちが「夢想神伝流」としたのかはわかりません。大森流とか、長谷川英信流とか言って名称が一定しなかったからだという理由を書いた書籍も見ましたが、前述したように大森流のみを演武するときには大森流と記し、英信流のみを演武するときには英信流または長谷川英信流と記します。中山博道が自分の工夫を加えた居合を「無想神傳流」としたのは明白です。亡くなられる直前にご自身で「夢想」とされたのでしょうか。「夢想神伝流」と言い出した人たちはどこまで中山博道に習っていたのでしょうか。中山博道の系統で中山博道がなのった「無想神傳流」ではなく、「無双神伝流」を名乗るところもあるようです。
 
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  1. 2020/11/15(日) 21:25:00|
  2. 武道史

『刀と劍道』25 「胸当(胴ではなく)」

 『刀と劍道』第2巻第10号(昭和15年9月1日発行)の斎村五郎剣道範士の「剣道質疑応答」に次のようにあります。

 「山田平左衛門と長沼四郎左衛門の父子がそれまでの不完全な道具を改良して面、籠手を考案し、其後五十四年、一刀流の中西忠蔵が胸当を考案したのが現在の道具のはじめだとする説が一般的に認められております。」

 当時は胴打ちは一般的に行われてはいなかったため、体の前面を不測の事態から守るための胸当が用いられています。胴打ちが一般的に用いられるようになったのは大石進が突き技と胴打ちも用いて江戸で試合をしたからです。
 大石進が工夫した防具(胴は厚い革製でふくらみがあり、面は突きに耐えられるように鉄で密に作られ突垂があった)を用いたと考えられる河田佐久間(家伝の一刀流師範で、大石神影流は、はじめ長府の多賀虎雄に習い、大石進種昌の直門にもなっています。英名録には一刀流兼大石神影流と記しています)や高杉晋作(大石進種次の門人となった長州藩新陰流師範内藤作兵衛の門人)の胴は厚い革製でふくらみがあります。
 柳川市又は大牟田市で古い大石神影流の防具を発見できればよりはっきりするのですが・・・。

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  1. 2020/11/16(月) 21:25:00|
  2. 武道史

『刀と劍道』26 「時局の要望する剣道」

 『刀と劍道』第2巻第12号(昭和15年11月1日発行)に佐藤忠三 武道専門学校教授が記した「時局の要望する剣道」があります。その一部分を要約すると

 支那事変勃発以来3年を経て戦争における実地体験や実地検分によって現今の剣道では実戦上不適当であるから改革を図らなければならないという声が良く聞こえてくる。
 竹刀は長すぎ真剣とは隔たりがあるので短く重いものを使用しなければならない。
 敵を斬るときには引き切りでなければ切れないから剣道でも引き切りを練習するようにしなければならない。
 現在練習されている小さい詳細な技は実戦には役に立たないから学ぶ必要はなく、直ちに飛び込み一刀両断に切りつける稽古をしなければならない。
 等々、いろいろな意見があるが剣道は戦争の有無にかかわらず実戦的でなければ価値がなく、最も効果的に研究されることは重要である。
 竹刀の長短軽重は真剣を以てよく働き得るように稽古するのでそれが必ずしも真剣と同じようなものでなくてはならないと限らない。練習の時に竹刀が短すぎては間合いが近くなりやすいとか、籠手をはめていたら柄が短くては差し支えるとか実際と練習とはいろいろ異なることもある。引き切りを練習の時に常に用いていたら体や技が縮むことはないか。など、いかに実戦経験からの意見と言っても独断的に処理するべきではなくすべて十分な研究を要すると考える。
 私には実戦の経験はなく又実地検分したこともないからこれらに関しては実戦者の尊い経験を聞き他日研究することにしてここで意見を述べることは避けたい。

 戦場で真剣を用いて白兵戦をする機会が増えてくると、剣道の稽古と実戦との差が問題となって来るようですが、剣道の指導者は明確な答えを持っていません。軍人にとっては切実な問題であったと思います。当時の剣道の稽古が形を練ったうえで、刀の代わりとして竹刀を持つという稽古方法を捨ててしまったために起こった問題だと思います。
 また、剣道の指導者が剣道の質・動きが幕末から昭和にかけて変化していったということに気づいていないのかもしれません。

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  1. 2020/11/17(火) 21:25:00|
  2. 武道史

『刀と劍道』27 「氷上剣道演武大会」

 『刀と劍道』第3巻第1号(昭和16年1月1日発行)に「氷上剣道演武大会観戦記」という面白い記事があります。昭和15年11月23日に芝浦スケート場で行われたようです。
 スケートをはき、剣道・銃剣道の基本動作や応用動作、試合教習が行われ、さらに1対複数、複数対複数の試合。異種白兵応用動作として軍刀対銃剣、銃剣対短剣、さらに異種白兵試合、これも1対複数、複数対複数が行われ、さらにスケートを履いたまま滑走しながらの仮標に対する銃剣の刺突や、軍刀による巻き藁の斬撃(試し切り)。
 愛知淑徳大学の矢野先生が詳しく研究されています。

 今では考えられない大会です。

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  1. 2020/11/18(水) 21:25:00|
  2. 武道史

『刀と劍道』28 「一子相伝之大秘事」

 『刀と劍道』第3巻第7号(昭和16年7月1日発行)に「柳生但馬守宗矩」という記事があります。そのなかの記述です。

鍋島元辰の記述になる『御流兵法の由緒』に
「但馬守殿御嫡子十兵衛殿不行跡ニ付、勘当有之候ニ付、一子相伝之大秘事御付属ノ十ヶ月堂様(鍋島元茂)御真実ニ付、右一子相伝三箇条ノ大秘事御付属被成候、以後代々御相伝トハ相成候云々」

 鍋島家に柳生新陰流の秘事が伝わっているという自負を持っていたようです。

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  1. 2020/11/19(木) 21:25:00|
  2. 武道史

『刀と劍道』29 「居合中興の祖」

 『刀と劍道』第3巻第12号(昭和16年12月1日発行)に野水庄一という方が記した「武道遺跡行脚之巻」という記事があります。そのなかに林崎甚助について記した部分があります。それを要約すると、
 林崎甚助は居合中興の祖であって、居合の始祖ではない。林崎流のある秘巻に「林崎甚助重信諸流の居合を学びて以て新に、一流を創始す、云々」という記述がある。またその秘巻に何々流の何の手を自分の流の何々とし、という条項もある。したがって林崎流の末流の諸派に至っては居合の中興の祖かもしれないが、林崎に関係のない流派には当てはまらない。

 この秘巻、何流の何という伝書なのでしょうか。また、どこかに現存するでしょうか。

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  1. 2020/11/20(金) 21:25:00|
  2. 武道史

『刀と劍道』30 「抜けば短くなる鞘」

 『刀と劍道』第4巻第1号(昭和17年1月1日発行)に「抜けば短くなる鞘」という面白い記事があります。

 軍刀の鞘が実戦の際に長すぎて邪魔になり勝ちで行動の敏速を欠くことがあるので、この改善に中支戦線で工作部員をしていた関田由若氏が研究を重ね「引込式鞘」を完成させた。
 外部は軽金属で内部は木材。抜刀すると鞘の下半部内に送致されたはさみ板に挟まった刀剣により下半部が上半分に引き込まれ実際の長さの半分となる。納める場合はそのまま刀剣を差し込むと刀剣の背が挟み板の間に入り、そのまま下半部が伸びて普通の鞘になる。
 普通の鞘より二割くらい安く、この程新案特許が認可された。

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  1. 2020/11/21(土) 21:25:00|
  2. 武道史

『刀と劍道』31 「冠入身」

 『刀と劍道』第4巻第2号(昭和17年2月1日発行)に馬場豊二という方の「文検剣道講座」という面白い記事があります。その中で戦国時代の合戦を描いた屏風絵に出てくるような構えが銃剣に対するときの対処の仕方としてのっていますのでそのまま記します。

 又冠入身と称し左足を前にし、左側面を敵に向けて半身に構え右手を頭上に冠り左手にて竹刀の中ほどを取り、竹刀を以て身体を覆ふが如くすれば、決して突き入る能はず、そのまま敵に肉迫し直に竹刀を返して打込べし。

 他にも鎗に対しては小太刀を用いる方法を記していますが、銃剣に対する法は鎗に対しても有効な方法であったのだろうと思います。

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  1. 2020/11/22(日) 21:25:00|
  2. 武道史

『刀と劍道』32 「1週間の武道講習会」

 『刀と劍道』第4巻第3号(昭和17年3月1日発行)に田島啓邦という方の「武道と其実用」という記事があります。今と同じ状況のようで面白い部分があります。抜き書きします。

 今日では国民学校まで武道が取り入れられ、国民皆兵、武道皆習の良き時代が出現しそうであるが、これまでろくに竹刀を握ったことがない先生が体操主任だというので1週間の武道講習会に出席して何か話を聴いてきただけで数百の全校児童の剣道の先生であり、わずか2日間の講習を受けた女の先生が頓珍漢な気合をかけて薙刀術をおしえている。

 今も昔も、同じようなことをするものだと思いましたが、昔行ったことを真似て行っているのかもしれません。

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  1. 2020/11/23(月) 21:25:00|
  2. 武道史

『刀と劍道』33 「立て掛ける」

 『刀と劍道』第4巻第5号(昭和17年5月1日発行)に堀田捨次郎剣道範士の「剣道経典」という記事があります。その中に竹刀の取り扱いについて次のようにあります。

 竹刀又は木刀を置くには壁、窓際、手摺等に立て掛けておき、決して板の間に投げ遣りにしておくことは禁ずべきである。

 居合刀、真剣の場合には道場の壁などには立て掛けないでください。万が一倒れた場合には衝撃で鞘が割れる場合があります。また刀身が痛む可能性もあります。六尺棒や半棒なども立て掛けない方が無難です。
 今回で『刀と劍道』からの拾い読みはおしまいです。

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  1. 2020/11/24(火) 21:25:00|
  2. 武道史

下緒

 無雙神傳英信流はもちろんですが、大石神影流の鞘之内、澁川一流の居合では下緒の先を袴のひもに挟みます。この動作でその人の持ち力量がわかってしまいます。
 上手な人は下緒を袴のひもに挟むときにも体の中心は正しく保持され、下腹部を引っ込めることはありません。一方初心者は目で下げをを見るために体は歪み、はらを引っ込めて重心を上部に上げてしまいます。これは初心者の人には下緒を扱う前の刀を腰に差すときにも起こります。
 自分がどのような状態で動いているか確認してください。

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  1. 2020/11/25(水) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

師を語れない

 ある門人が興味深いことを話してくれました。
 
 ちゃんと師について稽古した人でなければ師について語ることはできません。

 なるほどと思いました。それまでそういうことに気づいていませんでした。そういえばこれまで会った人の中にも、技や歴史について語っても、師の言葉や教え、師の人物などについて全くと言っていいほど語らない、語れない人たちがいました。語るとしても自分の都合が悪いときに師からそんな話は聞いたことがないと自分のために師をもちだすだけでした。技を通り一遍習っただけか、そもそも師に学ぶという姿勢そのものを持っていない人たちであったのでしょう。
 幸い私が教えを受けた三人の師は、それぞれの師がどのような人たちであったのかよく話してくださいました。師を選ぶ時の参考の一つになると思います。

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  1. 2020/11/26(木) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

穏やかさ

 これまでたくさんの現代武道や古武道の先生方と接してきて、この方は武道を通じてしっかりと学ばれてきたのだろうと感じた方はしっかりとした強い芯を持たれながら穏やかな方たちです。しかし一見丁寧に礼儀正しく見えても、よくみれば、ぎらついた欲を隠すために丁寧に礼儀正しくしておられる方たちもおられました。
 これは現代武道においても古武道においてもみられる現象です。どちらの道を歩むのかは武道に取り組む一人一人の姿勢によるものだと思います。

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  1. 2020/11/27(金) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

斬撃の稽古

 斬撃は無雙神傳英信流の基礎を気づくための稽古方法の一つです。斬撃がまともにできるようにならなければ形もまた基礎なしの形になってしまいます。したがって初心者のうちには徹底的に斬撃を繰り返させて身につけさせます。
 上達してきて少し動きにくるいが生じてきたと思ったら斬撃を重点的に繰り返し行ってみてください。30分程度毎日繰り返せば形の歪がなくなることがあります。

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  1. 2020/11/28(土) 21:25:00|
  2. 居合 業

下稽古

 大石神影流の師の大石英一先生によると大石進種次は手数(形)を大切にしていて、「手数の稽古をせずに防具をつけて試合をするのは相撲で下稽古をせずに土俵に上がるようなものだと。」話していたということです。
 現代の剣道では形稽古をしっかり行ったうえで試合に臨むという方はおられないと思います。防具をつけたうえで切り返しや、基本の面打ちや連続技や応じ技の稽古をするのでしょうが、大石神影流ではその部分は手数の稽古で行います。防具を着けたら、手数で養った心と動きで試合の稽古をするだけです。大石進種次が大切な試合の前には必ず手数の稽古をしていたといわれるのはそういう意味です。
 大石神影流の手数を稽古される方は生きた手数を稽古するように心がけてください。それがそのまま防具を着用したときの稽古に結びつきます。
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  1. 2020/11/29(日) 21:25:00|
  2. 剣術 総論

無駄な力を入れない 1

 無雙神傳英信流では師の梅本三男先生から無理無駄を排することを教えられ、私も無理無駄をなくすことをお教えしています。無理無駄をなくすことについて落ちりやすい過ちについて記します。
 抜付けは肚中心に行われなければならず、臍下丹田から右脇後方、上腕下部、前腕下部、親指から切先までがつながっていなければなりません。 抜付けの初動で無駄な力を抜くことばかりを考え、しかも臍下丹田からの感覚が不十分であると、力を抜いた片腕で、刀を振り回してしまうだけになります。
 指導する方はここをよく見、また稽古する方はここをよく感じながら稽古しなければなりません。

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  1. 2020/11/30(月) 21:25:00|
  2. 居合 業

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