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無双神伝英信流 大石神影流 渋川一流 ・・・ 道標(みちしるべ)

無雙神傳英信流抜刀兵法、大石神影流剣術、澁川一流柔術を貫汪館で稽古する人のために

師弟といえば親子も同然

 「師弟といえば親子も同然。子の危機の際しては親は命を懸けてでもその子を守る。」と澁川一流柔術の師畝茂實先生が私の入門を許してくださった後にお話しくださったということは依然述べたとおりです。このあとには「弟子ができること(可能なこと)は師となる人物を選ぶことくらいである。」という話が続きます。
 つまり、許して入門させたからには師は全力で弟子を導く。弟子は師の導く通りに「私」を交えずに道を求める。ということです。自分が教えられたことをすべてを授けようとするときに、弟子が「私」を交えてしまえばすべてを伝えることはできなくなってしまいます。そのような教えを畝先生はしてくださいました。私はそれが当然だと思っていました。無雙神傳英信流抜刀兵法の師梅本三男先生のお教えも表現は違っても同じものでした。明日述べます。

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  1. 2020/06/01(月) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

コップの水を

 これも以前お話したことですが無雙神傳英信流の師梅本三男先生は私が入門して間もないころ、「教えるということは自分のコップの水をすべて弟子のコップに溢すことなく移すということだけれども、弟子のコップが空でなければすべてを移すことはできない。」ということを教えてくださいました。私はその時に全てを教えてくださろうとしているのだと胸が熱くなったことを覚えています。すべてを教えるかどうかは師の判断するところだからです。
 このお話も昨日の畝先生と同じです。「私」を交えていては教えても伝わらないということなのです。コップにすでに半分「私」をいれていれば教えられたことの半分しか入っては来ません。つまり半分は我流であって、流派を名乗ってはいても手順が似ているだけで同じ流派ではありません。修行途中で先生はこういわれるけれど、自分はこう考えると言って行っていてはすべてを伝えることはできないものです。

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  1. 2020/06/02(火) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

修行

 昨日述べたこととも重なりますが、仏教にも戒律があります。私は大叔父二人が曹洞宗のお寺の住職をしていたものの詳しくはありませんが、戒律を守りながら修行をしなければならなかったようです。
 私は武術の稽古そのものが人を導くと考えていました。しかし畝先生が話されたように「弟子ができることは師を選ぶことだけ。」つまり、師の教えに従って稽古しなければならないという事や梅本先生が話されたコップの水の話、つまり余分なものをコップに入れていては渡そうと思っても渡すことはできないということが正しいのだと思えるようになりました。
 人は自由に求めさせるだけでは自分のエゴが大きくなり、自分の都合の良いように解釈し、自分の都合に合わないことは間違っているのだと考える傾向があるようです。そうなってしまうと、先日のヨガや瞑想の話と同じ状態になります。自由に求めさせても間違った道に入らない人は求道心が強く、師に従っていこうと覚悟を決めている人だけのように思います。
 ダメなものはダメ、従えない者は上達はない。それが道理なのだと思います。

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  1. 2020/06/03(水) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

無念無想

 30年ほど前のことですが、ある時期新興宗教の教祖様が梅本三男先生のもとで稽古されていたことがありました。新興宗教の教祖様ですが、それなりの神通力ともいえるものも備えていたように思います。ある期間が過ぎると梅本先生の神道の師が言われていたように去っていきました。
 その方が私に言われたことがあります。「梅本先生は抜き付けても斬撃しても無念無想です。」とそのころ私は航空自衛隊を依願退職して間もないころでもあり、体力も気力もあり、抜こうと思って抜き、斬ろうと思って斬っていました。
 梅本先生にお尋ねしたところ何も思わずに動いておられることを教えていただき、いわゆる無念無想の状態での稽古をしておられるました。私はいまだに邪な心が頭をもたげますが、そうありたいと稽古を続けています。

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  1. 2020/06/04(木) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

斬撃

 無雙神傳英信流の師 梅本三男先生は私が所信のうちには斬撃の稽古を相当長い時間させてくださいました。ある程度上達してからは「斬撃はよいから形をしろ。形の中にはすべてが含まれている。」とおっしゃって形の稽古が中心になってきました。
 私の場合には現代剣道の素振りの癖がなかなか抜けなかったために斬撃の稽古をさせていただくことで無雙神傳英信流の斬撃を身につけることができるようになったと思います。
 他流派や現代武道の経験者にはどうしても、その癖が残りますので斬撃の稽古をしっかりして流派の基礎を身につけてください。そうでなければ、早めに形の稽古に入る方が良いかもしれません。

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  1. 2020/06/05(金) 21:25:00|
  2. 居合 業

まっすぐに

 大石新影流は振りかぶりが特殊で、振りかぶった状態も、無雙神傳英信流とは異なっており、切っ先が中心にありませんので、焦る人は木刀を自分の右方から斜めに振り下ろしてしまいます。何度もそのような動きをしてしまうとその悪癖が抜けなくなってしまいますので、ゆっくりと動いてまっすぐに振り下ろせるように正してください。鏡はあまり稽古に用いませんが一人稽古のときに鏡の前で確認してください。

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  1. 2020/06/06(土) 21:25:00|
  2. 剣術 業

映像による指導

 海外の支部長には真面目に映像を送って修正を求められる方がいます。
 米国エルパソ支部長は以前からこのような方法で指導を仰いできました。メッセンジャーで映像を送ってくれるのですが、勘違い思い違いを正すには大いに役立ちますし、何度も直接指導をしていますので私が言いたいこともよく理解できるようです。
 トリニンダードトバゴ支部長も、現在の世界的状況になってからYouTubeで映像を送ってくれています。遠方のために直接指導の回数は多くはありませんが武道に関する経験が豊富なため指導の内容がよく理解できるようです。また私の演武の映像と照らし合わせて、工夫を重ねているようです。
 日本では住宅環境などもあり、なかなか自分の映像はとれないと思いますが機会があれば送ってください。
 もともと一斉教授法はとっておらず、基本的には個別指導で、内側を正して外側が整っていく指導ですので私の指導はズームを用いるには向かないように思います。映像をおくってください。時間はかかりますが、アドバイスを返します。
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  1. 2020/06/07(日) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

桃井春蔵

 桃井春蔵といえば上段で有名です。上段も現在のように上段から片手打したようですので現代剣道の上段のはしりといえるかもしれません。日本剣道形に上段からの片手打がないのは一般的に試合以外では上段から両手で切り下していたからだと思います。
 久留米の加藤田平八郎の門人の武藤為吉が桃井春蔵と試合をした時の記録に、武藤は桃井と勝負について舌戦したことを記録しています。桃井は自分の上段からの打を面金にかかるかかからぬかくらいであるにもかかわらず、引き上げを行って有効であると主張し、武藤の打ちは軽いといいます。一方武藤は、確かに軽いかもしれないが桃井の上段からのの打ちは片手打、自分の打はしっかり届いており、しかも両手での打ちであると主張します。
 このころから軽いの浅いのという現代剣道に通じる主張と、打ったように見せかけるということが行われています。
貫汪館で防具着用稽古をする方は、軽かろうが浅かろうが、刀が自分に触れれば致命傷でなくても自分は動くことができなくなると考えてください。

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  1. 2020/06/08(月) 21:25:00|
  2. 武道史

ゆるむこと

 数か月前のことですが、月間武道3月号の「四股探求の旅」にこのように書いてありました。「体を緩めることにより、重力ベクトルと抗力ベクトルを的確に感じ取り、その微妙なずれや関係性をつかんで体の最適な位置取りを微調整し、力の出し方や方向性を効率よく発揮することができます。一方、体にガチガチに力が入った状態では、そういう細かい情報を感じることができないので構えが雑になり、不必要な力ばかりを使うことになってしまいます。」
 私たちが稽古していることも同じです。ただし、短絡的に理解して、腑抜けになってしまえば何の意味もありません。起こりがちなのが腑抜けになっていることと無理無駄がないことを混同することです。
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  1. 2020/06/09(火) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

鏡新明智流

 先日、桃井春蔵について書きましたが、桃井春蔵が上段を取っていたため「鏡新明智流は上段」という印象があります。しかし、土佐の樋口真吉の嘉永5年12月11日の日記には下記のようにあります。

早起、八丁堀ニ趣、左右八郎痛処アツテ立合ハズ、始予亦疒(病カ)アリ、適来テ足下ノ技ヲ見スンハ遺憾也、予病ト雖モ黽勉闘技ヲ請、且予左右八郎カ他日大久保氏ノ門生ト試合セルコトヲ知、因テ強テ請、左右八郎病間児輩ノ相手而已、近日間ヲ得テ御沙汰セント、不得止也、門人数百、就中廿四五輩試合ス、頗当時ノカタケ口也、賞スルニ足ラス、笠井吉人小野某ト闘技、譟然桃井門人皆下段也

 桃井春蔵の門人は皆下段(現在の中段)であったと記してあります。

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  1. 2020/06/10(水) 21:25:00|
  2. 武道史

臨機応変に

 大石神影流の特徴の一つに附けのかまえがありますが、防具着用の稽古において構えは臨機応変に取ってください。

 嘉永4年(1851)5月19日に藤堂藩江戸藩邸での大石進種昌の試合ぶりの記録では桃井春蔵との試合で大石進種昌は中段にとって突き技胴切りの技で桃井春蔵を寄せ付けませんが次の天野将曹との試合では上段に取っています。

右仕合双方中段、又進上段ゟ(より)面を打、小手ニ打込、将曹やはすに切込候処ヲ左腹江進切ぬけ、かるし〱と申候処を数本、見事と参候由将曹答申候、其後敵乱正懸ケ候ニ付、上よりのり懸面を付跡江引、面三本打申候、将曹より見事之打一本も参不申候、

 大石神影流では試合のときにはこの構えをしなさいという規定はなく自由に使っています。初代大石進の弟は常に兄の進にしたがって他国に稽古に行っていたようですが、試合は二刀を用いたということです。

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  1. 2020/06/11(木) 21:25:00|
  2. 武道史

子供の素直さを伸ばす

 子供の指導に当たっては早急に形の手順を覚えさせようとか、正しくとか、すばやく動けるようにとかを指導の中心にしてはいけません。とくに手順を覚えさせようとして型にはめてしまうと、形によって本当の自由を会得させることはできなくなってしまいます。初心者の子供は生まれながらの自由さを持っています。それを殺す指導をしてはなりません。子供が持っている、固定観念にけがされていない人本来の素直な心、素直な動きを大切にして伸ばしていかなければなりません。
 指導者が理に適う無理無駄のない動きをしていれば子供はそれを見習います。指導者が型にはまった動きしかできなければ子供は自由さを失ってしまいます。常に自分自身が鏡であれるかどうかを自分自身に問わなければなりません。

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  1. 2020/06/12(金) 21:25:02|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

子供の指導は別

 現代では小学生中学生のうちから試合をさせるのが普通で全国大会までありますが、これまで調査してきた江戸時代の各藩の傾向をみると道場に入るのは大体元服前後です。それ以前は父親や家族、親戚などが指導をしています。つまり、大人に混じって一緒に稽古修行をするのは大人としての行動の自覚ができるようになってからであったようです。当然、例外もあり頼山陽は小さなころに父親が不在であり指導できないため母親に連れられて司箭流を築山通欽に習っています。おそらくは個人指導ではないかと思います。
 貫汪館で子供の稽古時間と大人の稽古時間を分けているのはそのような理由によります。子供に大人のような技を身につけさせようとしているのではなく、自由にのびのびした動きのまま成長させ、自覚ができるようになってから、大人の稽古で成長させたいためなのです。したがって無理して外形を整えさせようとか、素人の大人が見て感心するような動きを身につけさせようっとしているわけではありません。
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  1. 2020/06/13(土) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

立場が人を育てる

 人の置かれた立場が人を育てていきます。もともとはそのような人物ではなかったのに立場によって成長していくのです。
 武道の場合であれば、道場を開き指導する立場に立てば、その道場の中で常に先を歩いていかなければなりません。また、最高の弟子を育てるためには、自分の中での最高の技を示していかなければなりません。師の道場で師に甘えて自分は二番目だと自負していたようにはいかなくなります。
 その立場に立っても成長していけない人もいます。弟子が上達したときに、自分で指導しておきながら、彼、彼女のほうが自分よりも上手だからと上達をあきらめてしまうときです。正しく教えていれば弟子のほうが上手だと思える部分も出てくるかもしれません。その時に自分に甘えてしまえば上達は止まります。
  師である以上はそれにまさった技を身につけていかなければなりません。その覚悟があれば上達し続けます。

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  1. 2020/06/14(日) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

会得する覚悟

 私の三人の師匠の指導方法は、与えたことを会得すれば次の教えを授けるという方法でした。会得できなければ次のことは教えていただけません。私もこの教え方を踏襲しています。
 流派の体形が段階的に教えを受けて上達するシステムですので、できない人が次の教えを受けたとしても混乱するだけで上達はしません。したがって上達するためには、教えられ、示されたことはなにがなんでも会得するという覚悟がなければなりません。

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  1. 2020/06/15(月) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

個人指導

 無雙神傳英信流の師 梅本三男先生からは最終的には個人指導を受けました。澁川一流柔術の師 畝重實先生は初めから私と私の従甥と二人のみで指導を受けました。また、大石神影流は初めから最後の手数まで大石先生に一人で指導を受けました。
 複数相手に同時に指導することにはやはり限界もあります。徹底的に指導するには個人指導が必要になります。
 幸いなことに世田谷支部長には個人的な指導が大半でした。よく重圧に耐えたと思います。

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  1. 2020/06/16(火) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

内なる自分を見つめることができなければ

 特に外国人に多いのですが、形数をたくさん知っている方が偉いと思い込む方がいます。何も会得していないのに形数をたくさん知っていても武道としては何の役にも立ちません。形数を求める方に多いのが自分ができているかどうかには興味がないことです。手順ができることが会得したことだと思っている節もあります。したがっていくら稽古しても真の上達はありません。
  内なる自分を見つめることができる方だけが真の上達をしていきます。

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  1. 2020/06/17(水) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

周りの状況が読めない

 時々、周りの状況が全く読めず、自分のことしか見えていない方がいます。このような方は指導を受けても自分の思いが中心になっていますので指導に従わず、自分はこれでよいのだと思っています。
 かつて、自分の都合で稽古を続けられないと思った大人の方がいました。そのころ、大学受験に失敗して浪人をしているにもかかわらず何とかやりくりして一生懸命稽古している子、大学受験が迫っているのに時間をやりくりして稽古している高校三年生の子がいました。その子たちの時間のやりくりに比べれば稽古を続けられないという理由はそれほどでもありませんでした。稽古中にふらっとやってきて何か言おうとしましたが、前述の子供たちが一生懸命稽古しているので、私は、今はダメだからと制しました。そして帰っていきました。次も稽古するでもないのに稽古時間に遅れてふらっと来て同じことを繰り返そうとしました。時間をやりくりして稽古している未成年には聞かせたくないことでした。その時の状況も読まずに自分のことだけを済ませたい人でしたが、公的な演武会でも指導にのっとった演武ではなく、それまではしてもいなかった自分の勝手な思いで我流の演武をしていました。他流派の先生がわざわざ、来てくださったほどでしたが、自分が良いと思っているので迷惑をかけたとも思わず、むしろ立派な演武をしたと自己満足をしていました。このような方も世の中にはいます。そのような方には指導は困難です。
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  1. 2020/06/18(木) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

自作

 木製の稽古道具で自作できそうなものは一度自作を試みてください。
 一番簡単なのは澁川一流の稽古に用いる懐剣です。損傷した木刀を適切な長さに切ってけづっていけばそれほど手間はかかりません。また、同様に大石神影流の稽古に用いる小太刀も作ることができます。木刀の柄が損傷することはまずありませんので、柄の部分をそのまま利用すれば簡単に小太刀を作ることができます。また、小太刀の鞘は短いので塩ビ管(硬質ポリ塩化ビニル管(UnplasticizedPoly(VinylChloride)(PVC-U)Pipes))を用いて比較的簡単に作ることができます。小太刀ですので厚いVP管ではなく薄いVU管でも大丈夫なのではないかと思います。私は厚いVP管やHI管(HIVP管)で作っていますが、作業は薄いVU管のほうがずっと楽だと思います。
 澁川一流で用いる互棒や小棒、三尺棒は損傷した六尺棒や半棒があればすぐに作ることができますし、ホームセンターで売っているハンマーの柄などを加工して作ることもできます。
 木刀や半棒、六尺棒さらには木製の薙刀や槍などの稽古道具を自作することはむつかしいと思いますが、江戸時代から数代にわたり難波一甫流を伝えた宇高家には当然ですが自作の稽古道具が残っています。できる人は試みてください。

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  1. 2020/06/19(金) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

経験

 新たなことを始めるにあたって類似したことの経験が障害になる例はたくさん見てきました。全く武道の経験がなく思い込みもない方はゼロから始めることができ、上達も早いのですが、武道経験がある方で思い込みが強い人ほどそれが上達の邪魔になるようです。
 ものを振ったことがある方はそれが応用できると考え、投げたことがある方はそれが応用できると考え、また、打ち蹴りをしたことがある方もそれが応用できると考えます。そしていつまでたっても似たようなことは続けていても同じものにはなっていきません。
 むしろこれまで上達が早かった方は何も経験したことがなかった方や演劇の経験が深かった方です。何も経験したことがなく、思い込みもない方は素直に習ったことをしようとしますので濁りなく上達していきます。演劇の経験が深い方は自分を無にしてその役になりきる訓練ができているために上達が早いのかとも思います。
 外国人で日本の武道を習った方には特に思い込みが強く、自分は何年何々をやったので、基礎基本はできておリ、アドバンテイジがあるとさえ思いこんでいるふしがある方もおられます。日本の武道とひとくくりに考えてしまうものかと思います。現代日本人も同じようなものかもしれません。

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  1. 2020/06/20(土) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

美しさ

 美しさの感じ方はひとそれぞれです。武道の形にたいしても感じ方はそれぞれで、軍隊の教練の動きのように節度があるキビキビした動きを形の美しさと感じる方も多くおられます。形を鋳型だという考えればそう思うのが当然です。
 私たちの無雙神傳英信流、渋川一流大石神影流の形は鋳型ではありませんので、上記のような考え方は当てはまりません。
 他の複数の団体と同じ場所を共有して稽古せざるを得ない場合など、初心者の人ほど他人の目が気になりますが、他の人の評価は気にしないで稽古してください。

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  1. 2020/06/21(日) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

文化

 私たちが稽古しているのは江戸時代に成立した武道です。したがって現代人の目から見れば、不思議に思える作法やかわった状況を考えた形などがあります。流派が形作られたころの習慣や考え方などを広くみてみなければわからないことです。
 稽古が進んだ方は江戸時代の文化も自ら学んでください。

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  1. 2020/06/22(月) 21:25:02|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

会得もできていないうちに

 これまでも何度かお話してきましたが、流派で求められていることが会得できていないのに、またその域に達していないのに、新たなことを発見したとか、教えられてきたことが間違っていたと思うのは自己流を生み出しているときです。
 そのような方に限って、江戸時代のだれだれは素晴らしい技が使えたとか、今ではできないような技を行っていたということがあります。稽古している流派を求められているところまで稽古することなく、できないからといって変えていくのは守破離とは全く異なったことです。まず、できるようにならなければ超えることもできません。断絶したものを復元したという流派ではなく、正しく伝えられてきた流派を稽古するということはそういうことです。まず求められることができるようになってから破や離の段階に入るものです。
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  1. 2020/06/23(火) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

白黒写真

 無雙神傳英信流の師 梅本三男先生の趣味の一つは写真でした。よく撮っていただいていました。白黒写真だとカラー写真のように色に注意力を分散させられることなく動きそのものに意識を集中して写真を見ることができます。色がいらない情報となって大切な部分が見えてこないようなのです。先生は写真をあえて白黒にして渡してくださっていました。
 静止画を見るときでさえそうなのですから、目の前で人の動きを見ても刀の動きに心を奪われて本質が見えなかったり、虚飾に心を奪われることがあります。
 見取り稽古もただ漠然と見ているだけでは、何も会得できません。

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  1. 2020/06/24(水) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

柳生松衛門の教えと伝えられるもの

 三次の新影流の伝書に柳生松衛門の書いた切紙の写しとされるものがあります。全文は以下の通りです。
意味は読んでわかる通りです。いかにも新陰流という感じを受けます。

(付紙)
 柳生松右衛門御切紙写 十河伊右衛門
一柳生但馬守様之御教ノ第一ハ身ヲ入込肩サキハ切 ラルヽトモ敵之命ヲトルヿヲ常ニ仕覚敵ノ打太刀ヲサカントスルハ我意ナリ、 タヽ敵之打ヘヤウシニ合セ肩腰トモニヨコ身ニナリテ打ハ敵ノ太刀ハヲノズトサクヘシ、敵之打太刀ヲ。ハズス身ハ前ノ足ヲヒシキ  テム子ヲスカスヿ可シ覚、執行未熟ナレハ勝分ラスタヾ無疑事稽古カン要也、
一極意我身無事ニ而敵ノ命ヲ取ラントスレハ。マクルナリ、 我身ヲ不惜カタ手カタ股ヲ敵ニ切ラセ敵之命ハ我 取ト思ヘシ、亦名人
 トハ太刀スチヨロシ打ハ。タカイニ サシチカイニ死スヘシ、是我命ヲステヽ万人ニスクレシ、 敵ト打合タカイニ死ル則ハ敵ハ気オ
 クレ。シカタハマス〃 勢ツヨクツイニ勝トナルナリ、是ヲ以君之タメニ忠トモナリ


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  1. 2020/06/25(木) 21:25:00|
  2. 武道史

無理無駄をなくす

 武道が上達することを何か特別な技を身につけたり、特別な能力を身につける事だと思う人もいますが、無雙神傳英信流、澁川一流、大石神影流に共通してそのようなことはありません。
 「名人、達人の定義は無理無駄がないこと」と無雙神傳英信流の師 梅本三男先生は教えてくださいましたが、それは澁川一流にも大石神影流にも当てはまります。無雙神傳英信流、澁川一流、大石神影流には特別な技や身につける特別な能力はありませんので、ひたすら練磨してください。それが上達につながります。

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  1. 2020/06/26(金) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

加藤善右衛門の教え 1

 高槻藩藤井又一の日記には加藤善右衛門の藤井又一に対する試合稽古のときの槍術の教えがいくつか記されていますので抜き出してみます。槍を用いるときの参考にしてください。

今之所先ヲ取リテ進時足ヰキトマリ(註:行き止まり)スラヽヽト仕者宜

 藤井又一は前に進むときに足が固まってしまっていたのでしょう。

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  1. 2020/06/27(土) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

加藤善右衛門の教え 2

 加藤善右衛門の藤井又一に対する教えです。

調試随分出、先生ニ聞ハ、宜敷と申さレル、少シ引請ニ成、其心思ニ而仕餘程ワさカワリ(註:業変り)六ケ敷(註:難しく)成ト被申也

 待ち受けになっていたのだと思います。そこを変えると相手が使いにくくなるとの教えだと考えます。

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  1. 2020/06/28(日) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

加藤善右衛門の教え 3

 今日は加藤善右衛門の教えではなく、同門の高槻藩藤井又一に対する教えです。

今日安部茂介ニ能々咄聞、稽古の仕所敵のヱテ(註:得手)ヲ見出シ其所を能附込仕ト申ル成

 相手が得意とするところに付け込んで勝てという教えです。ある程度稽古が進んでいなければ相手の得手とするところもわからないと思います。

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  1. 2020/06/29(月) 21:25:00|
  2. 未分類

加藤善右衛門の教え 4

高槻藩士藤井又一に対する加藤善右衛門のおしえです。

一槍を構ヘテ躰後ヘ引ケン様ニ心得之事、稽古ハ成タケ業ヲ大キク仕ヘ、素突ハ毎朝毎夜三百本ツヽ十分ニ突バ為ニ成ル也

 槍を構えた時に状態が後傾していたのでしょうか。稽古においては大きく(小手先の技を用いず)技を使い、つまり勝ち負けにこだわるなということでしょうか。素突きは毎朝毎晩300本ずつ行うといい。
 剣術と同じようなことを述べています。もっとも加藤善右衛門は愛洲新陰流の剣術の師範でもありましたから同じように考えているのかもしれません。

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  1. 2020/06/30(火) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

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プロフィール

貫汪館館長(無雙神傳英信流 大石神影流 澁川一流)

Author:貫汪館館長(無雙神傳英信流 大石神影流 澁川一流)
無雙神傳英信流抜刀兵法、大石神影流剣術、澁川一流柔術 貫汪館の道標へようこそ!
ご質問のある方は貫汪館ホームページに記載してあるメールアドレスからご連絡ください。記事へのコメントではアドレスが記されてないため返信ができません。

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