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無双神伝英信流 大石神影流 渋川一流 ・・・ 道標(みちしるべ)

無雙神傳英信流抜刀兵法、大石神影流剣術、澁川一流柔術を貫汪館で稽古する人のために

神陰流伝書より 1

 しばらく久留米の所謂 加藤田神陰流の伝書等から引用します。他流派がどんな考えをもっていたか学んでください。句読点を適宜付します。

一.打刀之事
 定尺ナシ。刃宗厚ク、幅狭ク、鋩細ク、釣合ノヨキ焼刃浅ク、ニヘアル刀宜シ。鍔打タルヲ打刀、鍔ナキヲ鞘巻ト云

 加藤田神陰流には所謂定寸という考えはなかったことがわかります。加藤田平八郎は3尺の刀を腰にしていたこともあるようです。身長は不明ですが、私の短い方の刀が2尺8寸2分(主に無雙神傳英信流に用いる刀)、長い方の刀(主に大石神影流に用いる刀)3尺ですので当時の人の身長からすれば私が用いている刀は長いわけではありません。
 また貫心流は身長の半分の刀を用いますので私の2尺8寸の刀は貫心流の考え方からすると定寸ということになります。広島藩では時代に依りますが、おおむね2尺8寸5分までの刀が許されていました。
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  1. 2020/01/01(水) 21:25:00|
  2. 武道史

神陰流伝書より 2

一.脇差之事
 突ニハ七八寸、切ニハ1尺89寸。元ハ懐剣後世表ニ差。下緒短ク、結留ニ扇ヲ貫キ鞘ヲ留メ置ク


 脇差に短刀をまとめています。もっともなことが記してあります。相手を突くのであれば短刀の長さのものがよく、切るには長い脇差がよい。短刀で切るには重さも長さも不足で、長い脇差で突くには取り回しが不便です。短刀で突くには柔術の心得が役立ちます。特に相手が刀を持ていた場合には入身して相手をとってつくべきでしょう。

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  1. 2020/01/02(木) 21:25:00|
  2. 武道史

神陰流伝書より 3

一.目釘之事
 竹ノ皮付タルヲ頭ノ方ニ向ケ打可シ。草ニテ包ニテモ可ナリ


 竹の皮が付いたものというくだりは知っていましたが、草で包むということは知りませんでした。ナメクジというのはよく聞く話です。
これまで素抜抜刀術の稽古で目釘がおれたことが一度だけあります。一度であっても大事に至ることもあります。稽古始めと稽古終わりには目釘を確認してください。また、竹の質を確認して目釘として用いてください。

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  1. 2020/01/03(金) 21:25:00|
  2. 武道史

神陰流伝書より 4

 敵二人、我一人仕合之事
 夫敵は二人、我は一人仕合ふ時は、二人の敵を向ふに受けて右方の敵にかかる気色を見せて左の敵の方へ立廻るべし。右方の敵、後へ廻らんとせば左方の敵を撃つべし。

 さすがに前後の敵に対するのは困難でしょう。相手が複数の場合には自分がどの位置にいるかが大切です。吉田東洋は大石神影流を知ってから剣術に取り組み始めました。暗殺された時には正面の敵を斬りたてていたときに側面から襲われたようです。無雙神傳英信流抜刀兵法には三角、四角の、教えがありますが周囲から詰め掛けられた場合には三角の教えが実際には役に立つと思います。
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  1. 2020/01/04(土) 21:25:00|
  2. 武道史

神陰流伝書より 5

不動ノ敵之事

 夫動かざる敵といふは、すでに兵器の鞘をはずし戦はんと欲する時に及んでも去らず来たらず色を変えざる敵あり、この如くなる敵をば利なくしては急に撃つべからず、兵器を以つて心を奪ひはからふべし、奪ふといえども奪はれざるは退いて利を得て撃つべし、又敵兵器の術に心奪れ其色変ずる時撃に利あるべし。

 全く動じない敵は動じさせてうつべきだという、もっともなことが記されています。初めから彼我の位の違いがはっきりしていれば退くしかないでしょう。このような敵にかかるのは無謀でしかありません。

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  1. 2020/01/05(日) 21:25:00|
  2. 武道史

神陰流伝書より 6

 先勝先負之事

 夫兵法に先負先勝といふ事あり、先づ先勝といふは打つべき利を速く見て之を以って打つをいふ也。次に先負といふは打つべき利もなきに先に撃んとして返って敵に撃るるを云ひ又は我先にうつと雖も兵器鈍きは斬ることなくして返って敵の兵器に斬りうたれ或はわれ先に少し撃ちて敵に大いにきらるる類也

 無理やり斬りかかっていってはかえって斬られるということはよく理解できます。斬れない刀で先に斬りつけてもかえって斬られてしまうということがあるのでしょう。戦場では甲冑の上から槍を用いるので槍先がなまり、突けなくなるということがあったようです。
 前半の理に関しては防具着用の稽古の時に理解してください。貫汪館で稽古を始めた方は早めに防具が購入できるように計画的に貯金してください。大石神影流の稽古に防具は不可欠です。
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  1. 2020/01/06(月) 21:25:00|
  2. 武道史

神陰流伝書より 7

 敵多勢我一人仕合之事

 夫敵は多勢にて我は一人の時は地理を第一とす。地理の用なくば敵を前一面に受くる様に働き我左の敵を目当に戦ふべし、右方の敵を撃つ間ははづるるが故敵後へ廻るべし。廻らば我も左の端の敵に付きて共に廻るべし、若し廻はられずして真中にとりこめられんとせば、走るべし。逐ふ事一ならずして前後にあり、其先立来るを開きて打つべし、走りかかりたる足はふみとめられずして行きすぐるにより打つに利あり


以前も複数の敵に対する心得が記してあり、敵との位置関係について記してありました。今回も敵との位置関係が記してありますが地理を用いることについても言及してあります。
敵が多勢の時は地理を利用して細い道などで一人一人と戦う。もし取り囲まれそうになったら、走って逃げ追掛けてくるものを開いて斬る。追掛けてくるものは急には止まれない。
無双神殿流居合兵法の立場から言うと、虎走や追掛切の時には気を付けておかなければならない事です。

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  1. 2020/01/07(火) 21:25:00|
  2. 武道史

神陰流伝書より 8

敵一人味方多勢仕合之事

 夫敵一人にて三方二人ならば前後より撃つべし三人の時に三方より打ベシ、四人の時は四方より打ベシ、十人の時は十方より打つに利あり

 前回とは反対の状況です。一人の側はこういう状況にならない様にしなければなりません。またこちらに人数が多い時や優勢なときにはひとりひとりに隙ができやすいものです。心しておかなければなりません。

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  1. 2020/01/08(水) 21:25:00|
  2. 武道史

神陰流伝書より 9

翔通る(かけとおる)者を撃ノ事

 夫翔通る者をうつには向フ様にはうたれぬ者也、我前をやり通し右後方より打つに利あり


 以前に記されている追いかけてくるものを開いて斬るという考え方と共通していますが、無雙神傳英信流抜刀兵法の「馳抜」と驚くほど類似した考え方です。また澁川一流柔術の「刀と棒」」の中にも同じような考え方の形があります。古武道には流派が違ってもその考え方に共通したものがよくあります。

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  1. 2020/01/09(木) 21:25:00|
  2. 武道史

神陰流伝書より 10

相間有ル敵ト仕合事

 夫敵と我と相間ある仕合には敵の来るをまちて行くべからず、待つには大なる利あり、一には身を苦しめざる利、二には心動作せざる利、三には工夫鍛錬の間ある利。さはいへども我居所悪しきときは前後左右に心くばり地利をもとめて敵を待つべし。

血気にはやって駆け出してはいけないという戒めです。三つの待つ事に関する理を述べていますが、間がそれほど離れていなければこちらから動きのも理があるかもしれません。距離次第でしょう。
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  1. 2020/01/10(金) 21:25:00|
  2. 武道史

神陰流伝書より 11

山坂仕合之事

 夫山坂の仕合は高き方に居るに利あり、一には敵を見下す利、二には進むにやすき利、三には躰上に危なき事なき利なり然りとは雖も高き方に居ても足場悪しくば其地を去るべし、去るに三つの心得あり、第一後高き方へ去るには心を静めて足を高く上ぐべからず、第二に左右に開くには心を動かして足を軽く運ぶべし、第三は低き方へ行くには風の発する如く走るべし、敵したがって追えばひらきてうつに利あり、其利はひきくる方へ逐ひ来る勢は思ひのままに踏とめられずして行き過る者也かるが故に我開きて敵を打つに利あり、又云く敵は高き方に居る吾は低き方に居る時も右の利を用いて可なり


 読んでそのまま理解できると思います。一般的になだらかな斜面では上にいるほうが利があります。大切なところはそのあとの部分でしょう。特に高い方から攻めかかる場合は勢いがつきすぎるので守る方はそれを用いるようにという部分は大切です。これは平地でも同じことで、無雙神傳英信流と澁川一流の居合には逃げる敵を追いかけて斬る形がありますが、心にとどめて稽古しなければなりません。

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  1. 2020/01/11(土) 21:25:00|
  2. 武道史

神陰流伝書より 12

階段上仕合之事

 夫階段にて仕合時は我平地へ近くば平地へ去り手敵を階石段にあらしめて仕合ふべし。次に敵も我も平地へ遠くして階石段の中にて仕る仕合にはなだらかなる階石段ならば敵を下にして吾は上に居るべし、急なる階石段ならば敵を上に我は下に居るべきなり、或いは云くきざはし石段にては横に動きて可なり

 高低差があまりにある場所で自分が上に居れば足を払われる危険があり斬り下ろす自分の刀は届かない可能性があります。
 澁川一流柔術にはある形について高低差がある場所で役立つという口伝があるものもありますが、こういうことは頭に入っていないと何かあった場合には動けないと思い72890546_1612316425570297_5820763945551527936_na.jpg
ます。



  1. 2020/01/12(日) 21:25:00|
  2. 武道史

神陰流伝書より 13

茂ノ内ニテ仕合之事

 夫茂の内といふは森藪等の類也、左様のところに手は短兵を以って利を得べし、鉤鎗十文字等用ふべからず

 もっともな話で長い槍は森や藪の中では取り回しにくいうえに突起物があればひっかかってしまいます。江戸時代、槍術を稽古する者も剣術を稽古しており秋月藩の有名な槍術家である間角弥は大嶋流を加藤善右衛門に習うと同時に大石神影流を大石進にも習いました。
 森や藪の中を通るときには言うまでもないことですが油断せず、小さな気配にも気を配ってください。

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  1. 2020/01/13(月) 21:25:00|
  2. 武道史

神陰流伝書より 14

足場悪キ地にて仕合之事

 夫足場悪き地にて仕合には見を動かずして利をはかるべき也、若し先づ足場悪しき地にいて時に当つて我足場よき地に退き敵を悪き地に置く也


 これまでにも出てきた内容ですが、いたずらに動けば足をすくわれて自滅してしまいます。足場が悪いところに敵が潜んでいるときにはなおさらのことですが、敵は自分に有利な場所に待ち構えています。

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  1. 2020/01/14(火) 21:25:00|
  2. 武道史

神陰流伝書より 15

日中仕合之事

 夫日中に仕合ふときは日を背に受くべし、気盛んなる理あり、又敵を日に向ハすれば、眼(ま)ばゆくして、我色めを見ぬもの也


 戦いの常識であり兵学の大星伝も浅くはこの意味で教えています。演武をするときにも心しておかなければ思わぬ失敗をすることがあります。

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  1. 2020/01/15(水) 21:25:00|
  2. 武道史

神陰流伝書より 16

闇夜仕合之事

 夫闇に仕合ときは我は身を沈めて敵の形を見透かし、兵器の色をはかるべし、若し難所あらば吾前に当て仕合べきなり


 無雙神傳英信流抜刀兵法の「夜太刀」、澁川一流柔術の居合の「闇ノ刀」でお教えしていることと同じです。
自衛隊でも教えられたことですし、大陸で戦った経験のある兄弟子も同じことをおっしゃっていました。将校として実戦を経験した方の話は重く、頭から離れません。
 また、これとは少し離れますが、闇夜では少しの明かりが命取りになります。訓練で闇夜のたばこの光を見せられたのですが、200mくらい離れたところからはっきりと見えました。

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  1. 2020/01/16(木) 21:25:00|
  2. 武道史

神陰流伝書より 17

風吹仕合之事

 夫風は四季にかはりて吹く也、先づ春風は地より空へ吹く也、夏風は中を吹く也、秋風は上より下へ吹き下すなり、冬風は下を吹く也、右の心得を以って風邪を背に受くる様に動くべし、背に受るときは風難を得ずして進の利あり、また敵を風に向はす時は眼くらみて先を見ずただ後へ心ひかるる様に思はるるのりあるを以ってなり。


 季節による風の吹き方は地域性もあるかもしれませんので確認してください。風に向った時に目にゴミや砂が入った経験はおありかと思います。都会で生活していると微小な風の向きには気づきにくいと思いますが、薄着をしている夏に感覚を養っておくと顔に当たる風で向きがわかるようになってきます。
私はかつてウインドサーフィンをしているときに風向きがわかるようになりました。
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  1. 2020/01/17(金) 21:25:00|
  2. 武道史

神陰流伝書より 18

寒日仕合之事

 夫寒日に仕合時は手足冷えこほり手兵器を持つに覚えなし、又は取落すこともあるなり、かるが故に口に生姜を含みて手足に能く酒をぬりてよし


 桜田門外の変の状況を考えてください、守る方は体が冷え切り、襲う方は手を温めていた。それだけでなく柄袋も邪魔になっています。
 バイクに乗る人もわかると思いますが、冬に手足が冷えてしまうと全く力が入らないどころか手足の感覚さえなくなってしまいます。そのような状態では戦うことは不可能です。

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  1. 2020/01/18(土) 21:25:00|
  2. 武道史

神陰流伝書より 19

試合前の覚悟

 試合前にはあらかじめ我面籠手鍔等其の外身の廻りに気を付け取り調べ置くべし、袴をつけ俄かに覚悟するは当流には嫌ふ事也、可慎、猶又撓面籠手等自身は勿論人の踏み跨り等致さぬ様に取置に気をつく可し、初め折敷の時当流にては一礼致さぬ作法也、しかし掛打の人は目上の人に対し引立て頼むといふ心にて一礼必ず丁寧に致すべし、先輩の人も夫に応じて一礼し仕合終りて互いに見合一礼し静かに立ち本の座につき初めの如く慎みて道具を除け行儀よく大切に道具を取扱ひ置べし、撓を投げ面籠手を抜捨て粗略に取扱ふ事武士の作法にあるまじき事にて心を用ゆべき事也


 これまでの仕合という漢字ではなく試合という漢字を用いています。これまでの仕合は真剣勝負の心得にも用い試合は防具着用の試合に用いているのではないかと思います。
 ここでは防具着用の試合について述べていますが、「猶又撓面籠手等自身は勿論人の踏み跨り等致さぬ様に取置に気をつく可し」というところはよく読んでください。他人にまたがせない配慮は大切です。
 又、礼について「引立て頼むといふ心にて」とあり、心を込めた礼の大切さについて述べられています。
 「道具を除け行儀よく大切に道具を取扱ひ置べし、撓を投げ面籠手を抜捨て粗略に取扱ふ事武士の作法にあるまじき事」とも述べて稽古道具を大切に扱うことが武士の作法であるといっています。
 これまで指導してきた中で外国人の門人の中では居合や剣道、合気道などの道具を扱う経験がある人はこれらの常識があり、空手や柔道といった素手の武道しかしたことがない人はこういったことも知らない割合が高いように感じられます。

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  1. 2020/01/19(日) 21:25:00|
  2. 武道史

神陰流伝書より 20

折敷作法

 折敷様は先づ足間を狭く撞木に踏み其上に腰を据え跨り広く左膝をつき右ひざを少し起し顔は仰かす俯かず直にして首は後ろの筋うなしに力を入れ両肩の落様に背筋をろくにしりを出さず腰の屈せざる様にして下腹を張る可し、折敷の内先師も心の下の作りもの等の大事と被仰けり、心の下の作りものとは未だ試合ぬ前に敵に勝つべき術を工夫致置こと也、能々工夫鍛錬すべし


 現代剣道の折敷の方法とは異なるようです。
「心の下の作りもの」の意味をよく考えてください。澁川一流でも大石神影流でも同じようなことは教えてあると思います。
ここを焦って早く動いてしまうのは心が治まっていないためですので、ここをしっかり稽古してください。

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  1. 2020/01/20(月) 21:25:00|
  2. 武道史

神陰流伝書より 21

礼の作法

 前略・・・立上りて面を直し撓の先を地に突く様に致す事当流には大に嫌ふこと也、先抜けて負を取る故なり、敵に附け入る時愈々丈高くなりて敵と丈比べする心持にて詰込むべし、ひるみ屈みする事嫌ふ也、如何に忙しき場にても體の崩れざる様能く習練すべし、初心の内は突損じ、撃損じ、防ぎ兼る時詮方なく撓をそとになし腰を屈め面を差出し敵間に懸込み其場を逃れんとする者あり、或いは首許り左右に振り敵の太刀を迯さんとする者あり甚だ見悪きもの也

 神陰流では撓の先を床に突くのは好まなかったことが分かります。また、現代剣道にも共通するようなよけ方についても言及しています。「敵に附け入る時愈々丈高くなりて敵と丈比べする心持にて詰込むべし」は五輪書の影響かと思います。

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  1. 2020/01/21(火) 21:25:00|
  2. 武道史

神陰流伝書より 22

掛声の事

 掛声は気の張り強く底より出るを可とす・・・後略

 貫汪館でもなかなかこのような掛声が出る方がおられません。「出る」のではなく出しているからです。たとえて言うなら小学校の音楽の時間に発声練習をさせられた時のように声を出しているのです。ここが会得できていない方は、大石神影流や澁川一流の外側の動きがいくらできても、それは絵空事だと思いしっかり本物の稽古をしなければなりません。たかが掛け声ではないのです。

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  1. 2020/01/22(水) 21:25:00|
  2. 武道史

神陰流伝書より 23

互角試合の心掛

 勝負試合の時は歩負せぬを第一とす、真剣の心持にて心に用心して其内より見込む処如何にも速かに死生を顧みず切込む事肝要也、

 山川の末に流るる栃殻も身を捨ててこそ浮む瀬もあれ
 
 此歌の心大切なる所なり、稽古と思ふこと勿れ、撓と思ふときは命の惜しき事もなく今日負れば明日勝たんと思ふが如き第表紙の心得にては自得の場に至る事能はざるもの也、深く鍛錬すべし


 貫汪館での防具着用竹刀稽古においてもこのように心得てください。
当時の剣術の試合と現代剣道の試合のもっとも異なるところです。当時の試合は一合すれば一本です。一合したときにどちらかの打突が入っているか、相打ちか、それとも応じ技が入っているか、、双方が外れているかとなります。それを10回繰り返せば10本勝負です。あくまでも真剣勝負の代わりです。
 がちゃがちゃがちゃがちゃ当たればいいと打ち合い、なかなか1本とならないような現在の高校生が行っている剣道の試合とは異なっています。ふれれば切れます。
 今のような試合になったのは神道無念流や直心影流の影響ではないかと思っています。

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  1. 2020/01/23(木) 21:25:00|
  2. 武道史

神陰流伝書より 24

互角試合本数定

 互角試合は初に一礼なし直に立揚り勝負すべし尤も互角は長くすべからず、長きも拾本を限るべし、たいがいは六七本くらいなるべし、譬ば六本致すなれば四本済みて互いに折敷息を入れ新に立向ふべし、拾本致すならば二度も三度も折敷息を入れ精気を養ふべし、尤も合打も勝負の分るる事なれば互に相止む可き也続けて致す時は気勢薄くなりて自然惰気になりて宜しからず、亦互に勝負の本数をきめ置き其本数終りて後今一本二本と所望致すは宜しからず、所望致すならば必ず敵の働きを見据え、此方に気の乗らば所望苦しからず、晴なる場所にて勝負合の時は定の本数により互に先を致さぬもの也

 昨日と同じような内容です。
 幕末の試合は審判もなくおおむね10本程度の稽古であったようです。神陰流では間に居り敷いて呼吸を整えるということが行われたようで、直心影流では1本ごとに呼吸を整えたようです。樋口真吉はこのような試合の仕方を古いといっていますので、やがては一度も呼吸を整えることなく10本使ったのかもしれません。
 ただし、「尤も合打も勝負の分るる事なれば互に相止む可き也続けて致す時は気勢薄くなりて自然惰気になりて宜しからず」とあるように現代剣道のように何回打ちあっても一本にも相打ちにもならないということはありません。10回打ち込めばそれが10本勝負です。つまりどちらかがあるいは同時に、あるいは打ち込まれた時に応じて打ち込んだら、それが1本で、その時にはどちらかが撃ち込んだか、相撃ちか、双方無効かということになります。一度動いたら1本で10本勝負というのは10回動くという事です。あくまで真剣勝負の代わりですので、ガチャガチャガチャガチャやってお互いに何回も打ち込む試合とは異なっています。
 貫汪館の防具着用稽古はこのような方式で行っていますので、防具着用稽古を始めてする方は現代剣道の稽古とは異なるのだということを頭に入れて始めてください。

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  1. 2020/01/24(金) 21:25:00|
  2. 武道史

神陰流伝書より 25

一、業ヲ尽クシテ技ヲ捨ツベシ業ヲ離レザレバ藝ヲ得タル人トハ云ひ難シ

 もっともなことが記されています。技にこだわっていては本当の業は出ず、構えにこだわっていては本当の構えになりません。あくまでもしっかり稽古を重ねての上のことですけれど。
 貫汪館の居合も剣術も柔術もこのようになるために形稽古を重ねます。

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  1. 2020/01/25(土) 21:25:00|
  2. 武道史

神陰流伝書より 26

着眼

 先ツ最初ノケ條ガ着眼ト申マスルハ眼ノ着ケ所デゴザリマスル、相手ノ眸子ト申マスルハ目ノ玉人見ノコトデゴザイマスル、喜怒哀楽ノ情ガ萌シ発リマスルト直様眼中ニ其模様ノ顕レマスル、丁度其ノ如ク相手ノ念慮ノ起リマスルト其儘眼中ニ露レマスルヲ以テ此方ニ手当ヲ致シマスル、丁度医者ノ脈ヲ診察致シマシテ其病ヲ知リ薬ヲ投シマスルト同シコトデアリマス、見損シマスレバ負ヲ取リマスル故ニ如何ニモ大切ナルコトデゴザリマスル、



目は相手の目につける。相手の目に心が現れる。澁川一流の畝先生が教えられた目付と同じです。

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  1. 2020/01/26(日) 21:25:00|
  2. 武道史

神陰流伝書より 27

長短ノ矩

 長短ト申マスルハ敵ノ太刀ノ高シ低シヲ申タ物デアリマス、ケ様ノ道具ノ違ヒ長ノ高シ低シノ相手ニ由リ業ノ変リ有ルコトヲ申シタ物デアリマス、喩ヘバ敵ハ長剣或ハ丈ノ高キ相手ニハ体ヲ懸ニ致シテ足ヲ待ニシテ中誓眼ノ構ニテ至テ速ナル所作ヲ用ヒ、或ハ又敵ハ短剣丈モ卑キ相手ニハ下段ノ構ヘニテ突ヲ重ニ用ヒ、或ハ引違ヘテ上段ニ冠ルモ亦宜フゴザリマスル、太刀ノ長短丈ノ高シ低シニ依リ構ノ変リ術ノ変ル處ヲ長短ノ矩ト申マスル

 長剣は間合頻りに押詰めて唯一筋に先々の先
 短剣は間合を遠く引き放し地摺の剣の色に随え
・・・後略


 もっともなことが記してあります。大石神影流の鎗合も剣の側にはこの心構えがなくてはならず、槍の側にもこの心構えがなくてはなりません。小太刀もまたしかりです。

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  1. 2020/01/27(月) 21:25:00|
  2. 武道史

神陰流伝書より 28

相気之先

 相気ト申シマスルハ双方互ニ気体満テ立向フ処ヲ相気ト申マスル、兵書ニモ能戦者ハ其鋭気ヲ避クルトゴザリマスレドモ相気ニテ引マスレバ其虚ニ付ケ込マレマシテ受ケ冠リ手ノ出ヌ様ニナリマスル物デ、頓ト致シ方ノナキ所デアリマスル、故ニ兎角受ル時ハ損デアリマスルニ由テ、思ヒ切リ必死トナリ打込ンデ当ラヌ時ハ速ニシハキマスルト自ラ透間ノ出来マスル、其虚ヲ透間ヲ打チマスルヲ相気ノ先ト申マスル、シハキマスルハ相刃ヲ打マスル心持デアリマス、

 引けは損、進ムニ利アリ只管シハク処ニ隙ぞあらはる、
 未熟にて強きを避けて引くときは其虚に乗られて自滅するなり
 悪きとは見合せ探り飛刎ぞ至極は掛れ先は極楽


 相気は合気とも書きますが、このようなときには引かずに、懸っていけという教えです。「シハク」というのは神陰流の術後であろうとおもいますが、続けざまに打つということでしょうか。

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  1. 2020/01/28(火) 21:25:00|
  2. 武道史

神陰流伝書より 29

試合の心得 守、礼、譲、不可争勝負

 剣術は本勝負ヲ主ト致スコトデアリマシテ、其上直剣ノ場ヲ心掛修行致シマスレバ互ニ勝負ヲ争ヒマスルトキハ自然口論ニモ及ビ其末刃場ニモ及フ様ニモ成マスコトナレバ、掟ニモクワ敷ショウブ相対聞シ申間敷ト深ク戒メ置レマシテゴザリマス、故ニショウブヲ争ハズシテ互ニ譲合謙退ヲ致ス心得カ大切ト申コトテアリマス老子ニモ以不争天下能無與此。トゴザリマシテ仮令人ハ争フモ此方ヨリハ譲退致シマスレハ相手ノ人モ後ニハ恥テ辞譲致スヤウニナリマスコトデアリマス
 元来此剣道ヲ用フルコトハ三度ナラデハナキモノデゴザリマスル、一ニハ戦場ノ太刀打、二ニハ泰平ノ時主君命ニ依リテ仕ル討者テゴザリマスル、三ニハ運命逆サマニナリ不意ノ喧嘩ニテ大ニ恥辱受ントスル時止ムコトヲ得ズシテ用ル場合、三ツナラテハゴザリマセン、然ルニ平常稽古ノ節争論刃傷ニモ及ビ私ニ命ヲ落シ君ニ不忠親ニ不孝トナリマシテハ士タルモノ深ク恥ヅベキコトニテゴザリマスル、真剣デゴザリマスレバ勝負ハ自前ニ分リマスルトモ撓ナルガ故ニ争モシゼン出来マスルコトデゴザリマスル、太刀当リノ軽重、届ク届カヌコトハ銘々心ニ知リオリマスレバ強テ取合ニモ及バヌコトデゴザリマスル
歌ニ

人間ハ有ルヲナシトモ言フベキガ心ニ問ハバ如何答ヘン
勝ち負の善し悪しきの戒は是流法の深き戒め  

 当時は審判がいませんから、お互いの判断によりました。お互いの判断で1本を決めますので勝負にこだわれば口論が始まります。廻国修行の日記等にも表れるところです。
 流派によっては打たれても後から強く打って自分の勝ちを主張する流派もあり、幕末から競技化していると考えさせられることがあります。相手の刀が自分に触れたら大きな傷を受けるという発想がないのです。「あとから強く打ったから自分の勝ち」と主張するのです。
 ここで述べられているように刀を用いるのは戦場か、主君の命による討ちものか、あるいは喧嘩の場でやむを得ないときであり、試合で口論に及んで刃傷となるのは論外の事であったでしょう。防具着用の試合はあくまでも何かある時のために備えるための稽古であり、そこが優勝者をきめるスポーツと大きく異なるところでしょう。

今回で神陰流の伝書からの拾い読みは一応終わりにします。

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  1. 2020/01/29(水) 21:25:54|
  2. 武道史

林六太守正 1

 土佐藩にいわゆる長谷川流の居合をもたらしたのは林六太ですが林六太夫に関しては『南路志』巻四十五 人物(下)六十一.林守正19)に次のように記してあります。

「名守正、字六太夫、性質英才ニシテ諸道ノ達人也。無雙流ノ居合ハ荒井二代目ノ勢哲ニ學テ、其到底ヲ究メテ竟ニ傳授ヲ得タリ。又故實を伊勢兵庫ニ傳授シ、和術・劔法ニ達シ、傍ラ書ヲ善クシ、佐々木文山ニ學フ。又包丁ノ妙手也。享保十七年七月十七日、七十歳ニシテ卒ス」

 この文面では「無雙流ノ居合ハ荒井二代目ノ勢哲ニ學テとあることから長谷川英信 - 荒井 - 荒井勢哲 - 林六大夫と伝授されたように感じられます。ただし、現存の伝書には荒井は一人ですので、明日記す記事のように長谷川英信を初代、荒井勢哲を2代と書くべきところを書き間違ったとも考えられます。
 押さえておかなければならないところは、伊勢流礼法を許されていたこと、和術も収めていたこと、書もよくしたこと、包丁人であったことでしょうか。

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  1. 2020/01/30(木) 21:25:00|
  2. 武道史

林六太守正 2

昨日の続きです。同じ『南路志』の巻七十一  八.多芸の人林六太夫と居合劔術 には次のようにあります

「林六太夫守正翁ハ、享保十七年七月七日七軒町ニ而七十歳にて終られし。豊昌君より仕へし侍也。此人ハ、伊勢兵庫直門にて伊勢流の古実に達、無双流の居合ニ妙を得、和術・劔術にも達し、又料理の妙手也。書ハ佐々木文山ニ學。其余音曲をも能し、小技曲藝に器用成人にて、弟子も多し。足達甚三郎の実父也。 甚三郎ハ六太夫の実子、足達茂兵衛の養子と成。和・剱術の達人師匠なり。無雙流の居合ハ柑崎甚助重信より始。柑崎ハ北条五代目に仕へ、此流を以後太閤秀吉公學被成、無雙流と云名を始て御附け被成しと也。其後塙團右衛門に傳り、團右衛門より長谷川内蔵助に傳ふ。夫より近年の兵作に傳へ、兵作は大男つミこぼしにて褊綴(ヘンテツ)を着けると也。権現様以来江戸住居の浪人也。林氏の居合剱術ハ、二代目の勢哲より直傳也。右の柑崎ハ居合の元祖也。其以後段々に流枝出来る也。柑崎ハ上泉伊勢弟子也。上泉ハ鬼一法眼の流の剱術鍛練の由、法蔵院流の鑓も本ハ上泉より初るといふ。右林六太夫の物語也。安太夫は六太夫の養子、安田道玄の弟也。居合剱術の達人也。」

 昨日の記述と似たような内容ですが少し詳しく記されています。ここでは「林氏の居合剱術ハ、二代目の勢哲より直傳也」とあり長谷川英信をの次が荒井兵作としています。「二代目の勢哲より」という表現がすっきりしないのですが長谷川英信を初代、二代を、荒井兵作、この兵作は勢哲と同一人物と考えられていますので、その次、三代目が林六大夫と解釈するのが妥当だと思いますが、文章を素直に読むと、長谷川英信―荒井兵作―荒井勢哲―林六太夫と考えられなくもありません。どうもすっきりしない文章です。
 長谷川英信を初代と考えるのは土佐で長谷川流と呼ばれたことからも理解できると思います。伝書には林崎甚助から記してありますが、これはよくあることです。当時、土佐に伝えられたのは長谷川英信による居合であると考えられていたのではないかと思います。実際他の地方に伝わった、長谷川流の伝書には長谷川英信を中興としてそこから伝系を記しているものもあります。
 「林氏の居合剱術ハ」と記されていますが当時は長谷川流はたんに居合のみの流派とは考えられていませんでした。といっても現在の無雙神傳英信流以上に剣術の方があったわけではなく太刀打・詰合をもって剣術と考えています。他所に伝わった長谷川流の伝書にはそのいわれを記していますので、いつか武道学会で言及したいと思います。
 「法蔵院流」と「法」の字を用いているのは間違いではありません。谷川英信は宝蔵院の文字を法蔵院と変えています。
 林崎甚助(柑崎と記していますが)は北条家に仕えた、また無雙流の名は太閤秀吉がこれを学んで名付けたとありますが史実なのでしょうか?いずれにしても「右林六太夫の物語也」とありますから林六大夫はそのように信じていたのかもしれません。

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  1. 2020/01/31(金) 21:25:00|
  2. 武道史

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