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無双神伝英信流 大石神影流 渋川一流 ・・・ 道標(みちしるべ)

無雙神傳英信流抜刀兵法、大石神影流剣術、澁川一流柔術を貫汪館で稽古する人のために

阳剱

 大石神影流の、阳剱は稽古の時にお教えしている通りに行っていただければよいのですが、自分で気づけない人の過ちは次の2点です。
 仕太刀はただ打太刀の正面を斬り込むだけであるにもかかわらず、無意識に打太刀の木刀が気になり、打太刀の木刀をわきへよけようとして真直ぐであるべき自分の木刀の動きが左に偏ってしまう。打たれることを恐れずに稽古しなければなりません。
 他武道を経験した方に起こりやすい過ちが打太刀の動くタイミング(でばな)を狙って打ち込もうとすること。したがって打太刀に遅れてしまう。仕太刀は無心です。打太刀も無心です。はじめから難しいことを要求される手数ですが、ここをこえなければ大石神影流では先に進んでいくことができません。相手の隙を伺って打ち込もうとするような心を持つなという事です。他の武道を経験された方で、阳剣に求められるような理を経験したことがない方に起こりがちで、自分が経験していることをもとに大石神影流を行おうとする最も悪い悪癖です。心から直さなければ治るものではないと考えます。
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  1. 2019/12/01(日) 21:25:00|
  2. 剣術 業

 海外の支部長や貫汪館い新しく入った方が間違った考え方を持ってはいけないので改めて記しておきます。
 貫汪館では袴をはじめから穿きます。他の武道にあるように稽古が進んでからという事はありません。無雙神傳英信流の稽古の礼法には袴捌は不可欠で袴捌がなければ基本が身につかないと言っても過言ではありません。澁川一流の稽古では袴をはくことによって足捌きが難しくなると考えられるかもしれませんが、それは動きが西洋式のズボンをはいた動きのままであるからであり、澁川一流柔術の足捌きにしていくためには袴が必要です。袴がなければ足捌きは変化していきません。また大石神影流においてもしかりです。袴があるから動きが変わっていきます。動きが身についてから袴を用いればいいという考えは本末転倒であり、貫汪館で稽古する流派において求められる動きは袴がなければ初心者の上達を望むことはできません。
 袴をはいたときの動きが身についたうえであれば、逆にズボンで稽古したとしても稽古はできるものです。

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  1. 2019/12/02(月) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

先生

 以前senseiという記事を書きました。貫汪館で稽古される支部長は先生と呼ばれることに初めかなり違和感を覚えられます。それは真面目な方で真摯に道を求められているからです。自分自身に先生と呼ばれる内容があるのだろうかと思われるのです。至極まともな感覚だと思います。私自身もそうでした。武道の場合学校の教師が先生と呼ばれるのとは大きな違いがあります。
 あるとき、何かの本か雑誌で、「師が師であることを自ら否定しては自らも育たないし弟子も間違った道に進んでしまう。」という意味の記述を呼んだことがあります。真面目な方ほど先生と呼ばれることに違和感を覚えてしまいますが、思いを変えて先生と呼ばれる内容を持った人となろうと覚悟して稽古していけば上達を続けることができると思いますし、弟子もそれについていこうとします。下手な仲間意識しか持てなければ師は自らに厳しくあることもできませんし、弟子は師に習う、師についていこうという意識が薄れてしまい、道の上達から遠ざかってしまいます。

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  1. 2019/12/03(火) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

広報

 貫汪館の最大の欠点は「広報下手」に尽きると思います。先日、広島市立図書館でお世話になった方に連絡を取り少しやり取りをしたことがあるのですが、その方の周りで勤務されている広島市立図書館で勤務される方は全て古武道が何かを知っておられませんでした。2年前に広島市立図書館の依頼で講演と演武をしたにもかかわらず・・・・。武道を知らない方の多くが現代柔道や現代剣道を武士が稽古していたものと思っておれれ、多少時代劇を見たことがある世代に「現代柔道や現代剣道には流派はないでしょう。」とお話しするとその時に気付かれるくらいです。
 古武道全体の広報も考えていかなければなりませんが、まずは我が身です。貫汪館の支部長や貫汪館で稽古されている方は貫汪館の行事があるときには必ずシェアしていただきSNSで広報していただきたいと思います。知っていただかないことには存続さえ危ぶまれる事態にもなりかねません。インディアナポリス支部の支部長は勤めて広報をしてくれています。
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  1. 2019/12/04(水) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

経験

 以前、足音を立てずに部屋を歩くように躾られた人と、そうではなく、足音を立てて部屋の中を歩くことを何とも思わない人は出発点が異なるために上達の早さが異なるという事を述べたことがあります。
 ほかの多くのことにも言えるのかもしれません。たとえば私が子どもの頃は五右衛門風呂であったため薪があれば薪をわって風呂を沸かすという事は当たり前のことで、下手ながらも鉈を使っていました。また農作業の手伝いもしましたので今はみることがなくなった木製のねこを押したり、一輪車も小さな頃にフラフラしながら押していました。山に入って杉や檜の枝打ちもし、杉や檜の苗を山に植えることもしていました。また間伐して枝を落とした丸太をそのまま肩にかつぎ端を引きずりながら家まで何本も持って帰ったこともあります。
 こういう経験をして育った者と、そういう体を使う作業を全く経験することなく育った者では稽古する上においてやはり何かが違うのではないかと思います。
 大人になっていても経験できる機会があれば経験し、子供にも経験させてみてください。

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  1. 2019/12/05(木) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

自分自身で行う

 インディアナポリスで稽古している人たちは同じことを教えても日本人に教えるよりも早く上達します。支部長の普段の指導もよいことは言うまでもありませんが、どうも昨日述べたことと関連があるようです。
 話をしていてわかるのが、家を買ったら補修は自分で行いペンキ塗りまでします。庭造りも花壇を作るのも自分自身で手作業で行っています。日本人よりも色々なことを自分自身で何でもこなしています。かつては日本人もしていたことなのでしょうが、今では忙しさもあり日本人が自分自身でしなくなったことです。体を使った経験が武道の上達に関係しているのだと思います。時間と余裕があるときには自分自身で行ってみてください。

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  1. 2019/12/06(金) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

良いものを見る

 研師の上田先生に長期にわたり色々と刀剣に関して教えていただいてきましたが、やっと善し悪しがわかるようになってきたと思います。これも刀剣展示に一緒に行っていただきご説明をいただいて良いものを見てきたからだと思います。小道具については早くから鍔などに興味をもって良いものを見てきたので、自然と見る目がついてきたように思います。
 武道に関しては良い師につくことができたので、これもまた善し悪しが見えるようになって来たように思います。
 貫汪館の支部長には善し悪しがわかるように指導をしてきたと思います。初心者の方で何をもって良しとし、何をもって悪しとするのかがわからない方は必ず支部長に尋ねるようにしてください。わからないままに自分自身で判断しているとやがて取返しがつかないことになります。

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  1. 2019/12/07(土) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

 「これくらいはいいだろう。この程度なら許されるだろう。」という思いは誰にでも湧くことであろうと思います。そしてさらに甘くなると自分に妥協してそうなったにもかかわらず、やがてそれが正義となり「何がいけないのか。こんなことをおかしいと思う者の方がおかしいのではないか。」と考えるようになってきます。初めは誠をもって、すこしはやましい気持ちを持っていたにもかかわらず、それがなんともなくなっていくのです。
 常に心に誠をもっていなければ自分自身のそういう心を止めることが難しくなってしまいます。

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  1. 2019/12/08(日) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

俗説・定説を疑う

 武道史の研究をしていて、一般的に言われていることの間違いに気付くことがよくあります。
 大石進種次にしてもそうで、一般的には長い竹刀を用いたことによって試合に勝ったという事が言われ、長い竹刀だけが強調されますが、身長が7尺ですので当然竹刀や刀も長く、実際には防具着用での試合における突き技、胴切の技の功績の方が大きかったという事がわかってきました。
 土佐の居合に関しては、でたらめと言えるようなことが常識となっています。刀の定寸と言われる長さのものを居合の稽古に使わなければならないと言われてきたことも、どこの流派の事なのだろうかという常識の一つです。
 お世話になっている広島県立文書館の先生からも

先行研究などは当てになりませんから,ご自身で原典に当たって,
改めて考察すると,先行研究とは異なる結論が導き出されることもよくあります。


という言葉をいただきました。貫汪館で稽古されている方は「おやっ」と思うことがあったら御自身で調査研究をされてください。

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  1. 2019/12/09(月) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

自分に対する誤魔化し

 世の中には自分の思い通りにならない事は多いものです。「ここまでやってきたのだから。」と諦めもつかず、「仕方ない。」と割り切ることもできません。諦めずに続けていればできるようになることもあるのですが、できないとも思われたくない。そういった時に誤魔化しをする人もいます。「今までの教えが間違っているから、本当はこの方が正しいのだ。「このやり方の方がよりよいのだ。」そうやって自分を誤魔化し、他をも誤魔化していったとき、伝えられてきたことが悪い方へ変質していきます。
 「本当はこの方が正しい。」「このやり方の方がより良い。」と言える人は伝えられてきたことも当然できる人でなければなりません。安易に自分に妥協して誤魔化していけば取り返しのつかないことになってしまいます。

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  1. 2019/12/10(火) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

まず、出来てから

 稽古を始めて少し経つと形について色々と「ああでもない、こうでもない。」「こういう時にはこういうように変化して・・・。」等々色々考え始めるものですが、まず求められることができるようになってください。できるようになったとき、自分であれこれ考えたことがさして意味がなかったことだというのがわかるでしょう。

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  1. 2019/12/11(水) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

木刀は真剣の代わり

 いうまでもなく稽古で用いる木刀は真剣の代わりです。したがって木刀を真剣のように用いず木刀を木刀として、木刀を用いるのに最適な動きで稽古していたらいくら稽古しても剣術にはなりません。木刀を最適に使う動きでは剣術ではなく木刀術になってしまいます。
 貫汪館では居合、柔術、剣術の併修を義務付けていますので大石神影流剣術を木刀で稽古しても居合で刀を用いるベースがあれば迷うことはないと思いますが、もし木刀を用いる動きが真剣を用いる動きと異なるようであれば稽古を見直し、一人稽古で大石神影流の手数を真剣を用いて行ってみてください。
 
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  1. 2019/12/12(木) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

半棒の間合

 半棒は手の内をスライドさせて用いますのでその間合は状況によって敵から遠く使ったり、敵に近く使ったりと伸縮します。
 しかしこの間合の伸縮が自由にならない方もおられます。その場合は自分の手の内を確認してください。前に来る手の手の内が固く、棒を握ろうとしているはずです。また握りしめていないのに間合が伸縮しないのであれば下半身が固く半身になれなかったり、形・肘・手首が固い可能性がありますので確認してください。
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  1. 2019/12/13(金) 21:25:00|
  2. 柔術 業

礼式

 澁川一流柔術の礼式は、とくに心を鎮め、正しく行う事を心がけてください。礼式がすべての形の始まりになりますので、ここを疎かにしてしまうと、続いて行う形の稽古もおろそかになってしまいます。
 向かい合って蹲踞をするとき、拳を床に着くとき、体を起こす時、立ち上がるとき、すべての動作を疎かにすることはできません。また、履形の礼式であれば受は捕を正しい間合いで突くこと。ここがおろそかになっていたらすべての形稽古は役に立ちません。
捕は突かれるときには、受の突こうとする心を読んで後方に体をゆっくり開き、動くこと、開く動きが出来なければ、これもまた形の稽古が無意味になってしまいます。最後に胸前に両手を開くときも指先までが自分の体であることを自分自身に言って聞かせ、肩・腕ではなく臍下を中心にしっかり体を開くこと。これができなければすべては小手先の技になってしまいます。
 素早く行う事は全く必要ありません。静かに心を鎮めて正しく行ってください。

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  1. 2019/12/14(土) 21:25:00|
  2. 柔術 業

礼式 2

 礼式では稽古する相手との「和」が保たれていなければなりません。相手をどうこうしようという思いや、相手にお構いなく自分だけが動こうとしては上達はありません。己の我儘を廃し、相手の心と自分の心が通じ一つとなり「和」して動くことを稽古してください。
 ここができれば上位の形稽古を行うことができます。

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  1. 2019/12/15(日) 21:25:00|
  2. 柔術 総論

両足の真ん中

 無雙神傳英信流抜刀兵法、澁川一流柔術、大石神影流剣術の3つの流派のいずれも左右の足のどちらかに体重が偏ることはありません。左右に開いたときにはその真ん中、前後に開いたときにはその真ん中です。体を進めて足が動きている最中でも前後の真ん中です。偏りは隙を生んでしまいます。
 日常生活から見直していけば道場では意識しなくてもできるようになっています。
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  1. 2019/12/16(月) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

教え

 流派には流派の教えがあります。その教えに基づいてそれを求めて稽古していきます。以前もお話ししたことがありますが、無雙神傳英信流の師が教えられたことが難しくできないから、このようにしたこのようにした方がやりやすいと行い、また私に教えてくれた兄弟子がいました。代々伝えられてきたことをできないからと言って自分が考えたことに置き換えてしまったらそれは「流」とは呼べない新たな武術になってしまいます。形は似ていても中身が異なったものです。
 できなければできるようになるまで稽古するだけの事。できないのは自分が至らないからだという自覚を持って稽古しなければなりません。
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  1. 2019/12/17(火) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

知られていない

 武道を知らない人、また多少は知っていても深く知らない人と話していると現在の武道がいかに大きな影響を与え、また間違ったイメージの形成をしているのかということが分かります。
 多くの人は現在行われている運動形態の剣道が江戸時代に行われていたと思っており、剣術については御存知ありません。また、現在の柔道が江戸時代の柔道だというイメージを持っておられ、合気道に似たような技の方が多いということも御存知ありませんし、多くの柔術流派に棒術も伝わっていたということは全くご存知ありません。江戸時代の武士が正々堂々と素手で戦っていたのだというイメージです。「武士は普段刀を差していますよ。」というと、その映像が思い出されるのか「あれっ。」という顔をされます。また、時代劇の刀の遣い方と現代剣道の竹刀の遣い方の差を考えてもらってもその差に不思議な顔をされます。
 剣術、柔術は一般の方からは忘れ去られています。
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  1. 2019/12/18(水) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

居合のイメージ

 一般の方の居合のイメージも同じような状態です。多くの方のイメージには刀を用いて多くの巻き藁を斬るというイメージがあります。次に多少知っている方のイメージには、老人が一人で刀を抜くというイメージです。二人で組んで稽古する居合の形もあるということは全く頭の中にはありません。
 このイメージと異なっていると、それぞれのイメージする居合とは異質なものと思われるようです。さて、どうすべきか。
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  1. 2019/12/19(木) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

みやすい

 物事をわかりやすく、みやすくするのは良いことのように思いますが、実際にはそうではない事があります。
 誰にでも、わかりやすく、みやすくするためには簡素化が必要です。本来は100あってすべてがそろうのに、70や80にしてしまいます。残りは捨て去られます。捨て去られた部分がそろってすべてが理解できるのですが、捨て去ってしまえば全体は理解できなくなります。
 また、学習意欲の面からいっても、難しいから探究心が起こるのですが誰にでも平易でわかりやすくしてしまうと、自ら探求しようという気持ちは起こらなくなってしまいます。そしてわかったつもりの人を増やしてしまいます。
 貫汪館の無雙神傳英信流、澁川一流柔術、大石神影流の形・手数はシンプルですが決してわかりやすく、みやすくはありません。かつて稽古されている方が「みんなにわかりやすい何々理論という物がなければ、広まっていくことはない。」といわれました。当時、マスコミに取り上げられていた人の感化をうけたようでした。
 しかし、難しく奥深いからこそ求めていくことができ、会得することが大きいと考えています。
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  1. 2019/12/20(金) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

去り際、死に際が大事

 12月に入って、航空自衛隊に勤務していた時の上司に御挨拶に行く機会がありました。元は戦闘機のパイロットしておられ、まっすぐな方で論理的で常に世の中のことを考えておられます。
 今回は「去り際、死に際が大事」というお話もしていただきました。確かにと頷けることです。去り際を考えることは死に際を考えることにも通じます。如何に生きて如何に死ぬか、常日頃から覚悟しておかなければ残念なことになってしまいます。

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  1. 2019/12/21(土) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

一度先生と呼ばれたら

 稽古しているアメリカ人が、「一度先生と呼ばれたら他の事を初心者として習うのは困難だと思う。自分は色々やってきたけれど、まだ人に教える立場に立ったことはないから、初心者となって古武道を習っても大丈夫だったけれど」と話してくれました。私が「私は居合を教え始めてから、柔術を習い、そして柔術も教え始めてから、剣術を習った、さらに機織りや書道を習っても常に初心者。」と話すと、「そのようなことは稀だ。」と話してくれました。
 そうなのかもしれません。これまでに稽古に来た人について考えてみたら思い当たる節があります。変なプライドがあるためか新たに何かを始めるという覚悟はなく、これまでしてきた事の上に新たに何かを付け加えようとしていると感じられることもありました。
 しかしながら、自分がこれまで先生と呼ばれる立場である、あるいはその道で〇段であるという妙なプライドを完全に捨てて稽古している人は本質を会得しようとして上達しています。大切なことなのだと思います。
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  1. 2019/12/22(日) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

つながり

 ほとんどの人は利害関係を基準にしてつきあいをきめていきます。特にビジネスを中心として生きている人にとってはビジネスに役立たない人と付き合いを持つのは時間の無駄でしかありません。
 これは武道の世界でも同じです。道として武道を稽古する人はそのような人との付き合いがありますし、武道の世界で地位を得たい、名誉を求めたいと思う人は組織の中で上に立つ人との付き合いを求めます。その人がどのような人間性を有しているかどうかは関係ありません。
 また、武道をしたことがない人が武道を始めようとするときにも、武道を自分のファッションのように考える人は、それにふさわしい派手な流派を稽古したいと思い、武道を道として求めたい人はそれにふさわしい流派を求めます。
 人と人とのつながりはこのようにして構築されますので、たとえいろいろな方に紹介を受けたとしても一般的には利害関係になければそれはしっかりとしたつながりとはなっていきません。また、自分がどのような服装をしていようと、どのような地位にあろうと、他の人が自分との付き合いが利益を生むと考えれば、つながりを求めようとするのが普通です。
以前もお話ししたことがありますが、私自身も古武道の団体の役員をさせていただくようになったとたんに、急に脈絡なく全く縁のない人から〇〇流の〇〇と申しますと挨拶されたことがあります。また私自身は道を求めて稽古される先生方とのつながりはありますが、武道の世界で高い地位を求めよう、名誉を得たいとする方とのつながりはありません。
 つながりはそのようにできてきますので、真摯に道を求めていれば、素晴らしい方とのつながりができてきます。
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  1. 2019/12/23(月) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

旧軍の先生方の銃剣道

 私は自衛隊を依願退職した後は、旧軍で軍人であった先生方に銃剣道を指導いただきましたので、どうしても古い銃剣道と新しい銃剣道の差が目についてしまいます。旧軍で稽古された先生方の銃剣道は木銃を用いていても、それが実際の刃物であることを前提とした動きであり、突かれたら刃物が体の内に入ってくるような感覚を覚えました。一方、現在の銃剣道はたとえ激しく突かれても刃物ではない棒の先端でドンッと突かれたという感覚しかありません。競技として発達してきたということでしょうか。わかる人にしかわからない感覚だと思います。
 私たちが大石神影流の防具着用稽古をするときに心しておかなければならない事です。

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  1. 2019/12/24(火) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

旧軍の先生方の銃剣道 2

 旧軍の先生方は先端が鋭い刃物であるという感覚のもとに木銃を用いられていたということを述べましたが、重さも感じられながら稽古されていたのだろうと感じます。最近の銃剣道の形を見ると、木銃の重さをそのままに素早くきびきびした動きで用いていて、その動きそのものは素早く見事です。一方、旧軍の先生方の動きは、木銃を用いていても重い真銃を用いているような、どしっとした動きでした。ある意味、古武道に通じるものがありました。このようなところも私たちが気を付けて稽古していかなければならないところだと思います。
 先日、令和元年度オーストリア共和国派遣日本武道代表団の銃剣道の形の演武をインターネットで見たのですが、銃対刀の形で木刀を使われた方の動きは普段から刀を使い馴れた先生であるため刀の代用としての木刀の動きであり、木刀であっても真剣の動きを感じる見事な形をされていました。
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  1. 2019/12/25(水) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

広島藩三次における新影流についてー原田家文書を中心にー 1

 先日、日本武道学会中四国支部会で発表した「広島藩三次における新影流についてー原田家文書を中心にー」を数回に分けて載せていきます。広島は原爆の被害にあっており武道の古文書もなかなか見つからないのですが、今回は幸いでした。

Ⅰ.はじめに
 三次には広島藩の支藩である三次藩があったが寛永9年(1632)に成立して享保5年(1720)に藩主の浅野長寔が幼少で病没,嗣子なく遺領は本藩へ還付された。20年ほど前に三次の武道史について調査しようとして三次市歴史民俗資料館に行き,また三次市教育委員会に尋ねたが何の手掛かりもなく三次では三次藩がなくなったあと武術の稽古は行われなかったのかとあきらめていた。
 しかし昨年,三次市の郷土史家である森岡 晋様にご新影流の伝書が発見されたとの連絡を受け,原田家の御子孫である田辺英子様のご協力によって三次における幕末までの新影流の存在が明らかとなった。
原田家文書の中の武術関係文書には原田兵太が授かった新影流の伝書のほかに,原田の師である小谷幾蔵がその師である近藤三兵衛から授かった伝書や,小谷幾蔵が加藤惣太に出した伝書,近藤三兵衛が高津七太郎に出した伝書などが存在する
 本研究ではどのような経緯で新影流が三次に伝わったか,また広島藩の新影流との関連,そして伝書内容について明らかにしたい。
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  1. 2019/12/26(木) 21:25:16|
  2. 武道史

広島藩三次における新影流についてー原田家文書を中心にー 2

Ⅱ.原田家の新影流文書について
 原田家に保管されていた新影流関係文書には以下のものがある。

1.『新影流奥儀覚書目録 全』(天明5年(1785)2月18日,署名・宛名なし)(資料1)(写真1)
 心得の名称が13ヵ条記される。
2.『新影流兵法惣目録』(文化5年(1808)3月,近藤三兵衛→小谷幾蔵)(資料2)(写真2)
 新影流の形名が記される。
3.『新影流兵法巻附り伝授』(文化5年3月,近藤三兵衛→小谷幾蔵)(資料3)(写真3)
 心得の名称が15ヵ条記される。「以上都而十六カ條」と記されているが15ヵ条しかない。
4.『新影流兵法惣目録』(文化5年3月,近藤三兵衛→小谷幾蔵)(資料4)(写真4)
 新影流の形が記される。
5.『新影流兵法本目録』(文化8年(1811)6月,近藤三兵衛→小谷幾蔵)(資料5)(写真5)
 新影流の来歴が柳生但馬守以降近藤三兵衛まで記される。
6.『無題 (新影流兵法之壱巻)』(文化11年(1814)正月15日,近藤三兵衛→小谷幾蔵)(資料6)(写真6)
許状,付紙には柳生但馬守の教えが記される。冒頭に「新影流兵法之壱巻」と記されている
7.『無題 (影之流奥義)』(卯2月25日,近藤三兵衛→高津七太郎)(資料7)(写真7)
 文末に影ノ流奥義と記されている。
8. 『新影流兵法本目録』(年月日,あて名なし)(資料8)
5と同じ新影流の来歴が途中まで記されている。使われている巻紙は5と同じ。
9.『新影流兵法巻附り伝授』(天保3年6月,小谷幾蔵→加藤惣太)(資料9)
 心得の名称が15ヵ条記される。「以上都而十六カ條」と記されているが15ヵ条しかない。3と同じ内容。
10.『新影流兵法巻附伝授』(天保3年(1832)6月,小谷幾蔵→原田兵太)(資料10)
 心得の名称が15ヵ条記される。「以上都而十六カ條」と記されているが15ヵ条しかない。3と同じ内容。
11.『新影流兵法惣目録』(天保3年6月,小谷幾蔵→原田兵太)(資料11)
 新影流の形名が記される。2と同じ内容
12.『新影流兵法惣目録』(天保3年6月,小谷幾蔵→原田兵太)(資料12)
 新影流の形が記される。4と同じ内容
13.『新影流兵法本目録』(天保3年6月,小谷幾蔵→原田兵太)(資料14)
 新影流の来歴が柳生但馬守以降小谷幾蔵まで記される。5と同じ内容。
14.『起請文之事』(天保10年5月,署名・宛名なし)(資料15)(写真8)
 起請文の下書きか。
15.『中誓紙起請文』(年月日・署名・宛名なし)(資料16)(写真9)
 起請文の下書きか。

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  1. 2019/12/27(金) 21:25:00|
  2. 武道史

広島藩三次における新影流についてー原田家文書を中心にー 3

Ⅲ.新影流の傳系について

  『新影流兵法本目録』(資料5)および『無題(新影流兵法之壱巻)』(資料6)には原田兵太の師の師である近藤三兵衛までの伝系が記されており,これに『新影流兵法本目録』(資料12)を加えると原田兵太までの新影流の傳系は以下の通りである。

柳生但馬守(宗厳) ― 柳生松右衛門 ― 有地蔵之丞 ― 有地四良右衛門 ― 岩本武太夫 ― 関 慈門 ― 十河伊右衛門 ― 十河裕太夫 ― 近藤三兵衛 ― 小谷幾蔵 ― 原田兵太

1.柳生但馬守
 柳生但馬守は上泉伊勢守に教えを受けた柳生但馬守宗厳(1527/1529~1606)のこと。
2.柳生松右衛門
 柳生松右衛門は「新影流兵法本目録」(資料5)には,以下のように記されている。松右衛門は新影流を学ぶことを願い柳生家の門人が稽古するのを見ていた。宗頼(ママ)は松右衛門を家臣として柳生の姓を与えた。その後、柳生松右衛門は日本国中を廻国修行して47人と試合して長州に至り,有地蔵之丞にその技を授けた。
宗頼は宗厳の誤りであると考えられる。
また,「新影流兵法本目録」(資料12)にも柳生但馬守宗厳をその次男の柳生但馬守宗矩と記し,さらに宗頼と記す誤りがある。書き伝えられるうちに間違ったものと考えられる。
 柳生松右衛門は毛利輝元が萩に移封になったときには毛利家に仕えていたようで,萩城築上の際の慶長10年の起請文にその名があり,萩藩初代藩主毛利秀就が慶長16年にお国入りしたときの祝宴の席に名があることが指摘されている。1)
 柳生家の重臣萩原斉宮信之によって記された柳生家歴代の記録である『玉栄拾遺』には,長州藩の毛利家に仕える馬木宗六が享保9年(1724)4月15日に柳生家を訪れたこと。馬木宗六は柳生宗冬の時代に兵法をもって毛利家に仕えた松野文(ママ)右衛門の流れを伝え,兵法(新影流)をもって毛利家に仕えており,「兵法ナオシヲ願」った事が記さている。
 さらに,宝暦9年(1759)9月16日には馬木宗六の養子である馬木平内兵衛が江戸の柳生家で養父宗六が師事した松野文右衛門について次のように語ったと記されている。大阪の油商人で大野松右衛門という者が柳生宗厳の門弟となって兵法に達した。天正年中に京都で眼流の根岸矢柄が所々に高札を建て新陰流を嘲笑したので,柳生宗厳に願い試合をして勝った。その後,松右衛門は柳生の称号を賜って毛利家に仕えた。その子を兵助といい,また、その孫を文右衛門といった。文右衛門は15歳のときに長州を離れ柳生宗冬に勤仕士、柳生の称号を返上し松野文右衛門と名乗り剣術修行の上で再び毛利家に伝えた。2)
 毛利家の新陰流の師範家の一つである内藤家の師範であった内藤作兵衛によって藩庁に提出された『家譜』(写真10)には先祖の内藤内蔵允元幸が柳生松右衛門から新陰流の相伝を受けたこと。内蔵允は子の内藤亦左衛門就幸にこれを授け,内藤亦左衛門は毛利家でこの新陰流を教授していたが,江戸の柳生家に赴き柳生十兵衛三厳に学び、命によって毛利家に仕官したことが記されている。3)
 毛利家の一門家老の一つである右田毛利家には柳生但馬守宗厳から柳生松右衛門にあてた天正15年2月吉日付の印可状の写し(資料18)(写真11)が存在する。4)

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  1. 2019/12/28(土) 21:25:00|
  2. 武道史

広島藩三次における新影流についてー原田家文書を中心にー 4

Ⅲ.新影流の傳系について

3.有地蔵之丞
 有地蔵之丞は『新影流兵法本目録』(資料5)によれば毛利家家臣である。
4.有地四良右衛門
 有地四良右衛門は『新影流兵法本目録』(資料5)によれば有地蔵之丞の弟である。江戸に赴き20年間旗本以下の諸士に教えた。その後石見国に行き松平周防守の家老,用人,中老などに教えた。さらに福岡藩主の黒田右衛門佐は有地四良右衛門がよく兵法に達していることを聞き,師範として迎えた。
5.岩本武太夫
 岩本武太夫は『新影流兵法本目録』(資料5)によれば,はじめ傳六と言った。有地の一族であったため有地四良右衛門と同居していた。9歳から新影流を有地四良右衛門に習い18歳でその伝を得た。長州で毛利家の師範を数年した後,広島に赴き9年滞在し,さらに広島藩の支藩である三次藩で俸禄を受けている。
 岩本武太夫の名は享保(1716~1736)初年頃の三次侍帖に「御下屋敷番 十五石四人扶持岩本武太夫」とある5)ことから三次藩に仕えたことに間違いはない。
6.関 慈門
 関 慈門については『新影流兵法本目録』(資料5)に岩本武太夫の門人であることしか記されていない。三次侍帖に岩本武太夫と同時期に「御料理人 八石三人扶持 關九兵衛」とある6)が,これが関 慈門と関係があるかどうかは不明である。
 後述する広島藩の新影流の師範である關家の關六左衛門と同一人物の可能性がある。
7.十河伊右衛門および十河裕太夫
 十河伊右衛門および十河裕太夫については『新影流兵法本目録』(資料5)に「其術傳於所々民家傳」とあり,武士階級以外の者に新影流を教えたことしかわからない。
8.近藤三兵衛
 近藤三兵衛は『新影流兵法本目録』(資料5)の「十河氏其術傳於所々民家傳 (貼紙)近藤亮昌予亦趨亍 十河氏之庭者二十年粗窮其閫奥(こんおう)親接」という文脈からすると武士階級ではない。
 近藤家に関して『復刻 藝藩通史』には,比叡尾城主三吉安房隆亮に仕え,三吉家滅亡後も三次に居住したと記されている。7)また,『三次町国郡志』には同じく近藤家が,三吉安房隆亮に仕えたことや,福島家を経て浅野家の統治となってからも大庄屋や町年寄の役職を与えられ,帯刀も許されたこと,所蔵品の中に「一新影流 免状一巻」があることが記されている。近藤家には三兵衛と名乗るものは6代目,8代目,9代目にいた。8)
9.小谷幾蔵
 小谷幾蔵については近藤三兵衛の弟子であることしかわからない。近藤三兵衛から小谷幾蔵に発行された伝書で現存するものは文化5年3月の『新影流兵法惣目録』(資料2),『新影流兵法巻附り伝授』(資料3),「新影流兵法惣目録」(資料4)の3巻であり,文化5年6月に「新影流兵法本目録」(資料5)を文化11年正月に無題の(資料6)伝書を授かっている。
 文化11年正月に授かった『無題 (新影流兵法之壱巻)』(資料6)には「貴殿事従寛政九丙巳夏ゟ文化十一癸戌春迠十八年之積功」とあることから寛政9年に近藤三兵衛に入門し,18年後の文化11年に最終的な伝授を得たものと考えられる。
10.原田兵太
 原田家は『原田家系譜』9)によれば幕末に広島藩の鉄方役人を務めていた。新影流の伝書を授かった原田兵太種房(?~1854)の生年は不明であるが,文化11年(1814)に御鉄方御雇となり,天保6年(1835)には御鉄方帖元を仰せつけられている。天保15年(1844)には八郎左衛門と名を改め,安政元年(1854)に亡くなっている。生年は不明であるが,妻の富が文化6年生まれであるため,それ以前の生まれであると考えられる。
 小谷幾蔵から原田兵太に発行された伝書で現存するものは天保3年6月の『新影流兵法巻附伝授』(資料10),『新影流兵法惣目録』(資料11),『新影流兵法惣目録』(資料12),『新影流兵法本目録』(資料13)の4巻である。師の小谷が近藤から授かった『無題 (新影流兵法之壱巻)』(資料6)と同じものは見当たらない。
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  1. 2019/12/29(日) 21:25:00|
  2. 武道史

広島藩三次における新影流についてー原田家文書を中心にー 5

Ⅳ.広島藩の新影流
 広島藩には江戸の柳生家に新陰流を学ぶ者もあったようであるが10),主流は新影流であった。『復刻 藝藩輯要』第四編藩士家系録の關仁右衛門正武の項11)に次のような記述がある。
 關家二代の關六左衛門侶直は岩本武太夫盛政に師事して新影流免許皆伝を受け三次藩の師範を命ぜられ,三代關勘右衛門右直は宝暦6年(1756)に浅野本家に召されて広島に移り新影流の師範を命じられた。四代關七左衛門直方,五代關六左衛門直温,六代關百之助直行と剣法の師範をした。
 つまり広島本藩の新影流も三次に伝わった新影流と同じく柳生松右衛門からの流れの新影流であったことがわかる。
柳生但馬守(宗厳) ― 柳生松右衛門 ― 有地蔵之丞 ― 有地四良右衛門 ― 岩本武太夫 ― 關六左衛門 ― 關勘右衛門 ― 關七左衛門 ― 關六左衛門 ― 關百之助 

岩本武太夫に師事した關六左衛門が原田家文書の關慈門と同一人物であるかどうかはわからない。原田家文書では關慈門武直としるされており,広島藩の關家の事績では關六左衛門侶直とある。

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  1. 2019/12/30(月) 21:25:00|
  2. 武道史

広島藩三次における新影流についてー原田家文書を中心にー 6

Ⅴ.伝書内容について
柳生宗厳が金春七郎に伝授した形名と柳生宗厳から柳生松右衛門をへて小谷幾蔵に教授された新影流の形名を表1で比較した。柳生宗厳が金春七郎に伝授した形名は『武術伝書の研究』からとった。12)
 柳生宗厳から金春七郎宛の目録・印可状には「三学円太刀」「九箇」の分類があり,近藤三兵衛より小谷幾蔵宛のものにはその分類はないが形名はほぼ変わらない。また「天狗抄」の形名は近藤三兵衛より小谷幾蔵宛の者の方が数は増えている。あとの形名も多少の変化はあるが,おおむね同じ形名を伝えていたと考えられる。
 ただし,実際の形(勢法)の動きに関してはその動きを記した文書がないため確認はできない。

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Ⅵ.まとめ
 広島藩三次に伝わった新影流は柳生但馬守宗厳の門人である柳生松右衛門の系統であることが確認できた。また,新影流は武家によってのみ稽古されたものではなく,三次においては武家身分以外の者によっても稽古されていたことが確認できた。
 広島藩で行われた新影流は三次に伝わった新影流と同系統であり,長州藩では同系統の新影流の指導が江戸の柳生家の新陰流に変わったににもかかわらず,そのまま柳生松右衛門の系統の新影流が稽古されていたことも確認できた。
 新影流の実技については確認できなかったものの,形名は柳生但馬守宗厳が伝えたものからそれほど変化していない事も確認できた。

本発表に当っては次の方々に御指導とご協力を賜りました。

広島県立文書館 西村晃様
三次市の郷土史家 森岡 晋様
原田兵太の御子孫の田辺英子様
三次市教育委員会 文化と学びの課 友廣様,山崎様


 心より御礼申しあげます。




  1. 2019/12/31(火) 21:25:00|
  2. 武道史

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