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無双神伝英信流 大石神影流 渋川一流 ・・・ 道標(みちしるべ)

無雙神傳英信流抜刀兵法、大石神影流剣術、澁川一流柔術を貫汪館で稽古する人のために

品格

 修行を重ねた結果、品格が備わるという事が実感できるようになってきました。自分に品格が備わってきたということではなく、様々な方を拝見することによって、うわべを繕っただけの品格であるのか、修行を重ねられた結果としての品格なのかがお会いした時に感じられるようになって来たという事です。言葉使いや会釈、行動などを外から作っている人と、自ずからそうなっている人との差がはっきりと分かるのです。
 うわべを繕っただけの品格を多く見てきたために、武道の稽古を重ねることによる品格の存在があるのかどうかも怪しいと思っていましたが、厳然として存在します。願わくば稽古を通じて品格が備わるような稽古をしたいと思います。 

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  1. 2019/11/01(金) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

他流派を交えない

 しばらく前のことですが、無雙神傳英信流抜刀兵法の稽古をされる方に、また別の方で澁川一流柔術の稽古をされる方に、お教えしたこともないおかしな動きをされる方がおられました。二人とも武道の稽古をするのは初めてで、他の流派の影響でもないだろうと思っていましたが、居合の稽古をされる方は体を正対させ意図的に大きく抜き付けて左肘が後方に・・・、柔術をされる方は相手に技をかけた後になぜか相手を見ずにあらぬ方を向き・・・。何度か同じように妙な動きをされるので、たずねてみました。二人とも同じような答えで居合をされる方は他流派の居合の本を読んでおり、柔術をされる方は柔術の出版された本を読まれて、本に書いてあることなので、それが正しいことだと思い込まれていたのです。
 初心者の方はこのような思い込みをされている場合もあるので、気を付けて指導しなくてはなりません。

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  1. 2019/11/02(土) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

姿

 座姿勢・立姿勢はその人の心の状態や武術のレベルを知る目安になります。
 正座をしたときに大きく膝の間を開き、肩肘張っている姿勢をとる人、立姿勢でも少し両足の間を広く取り、腕と体の間を離すことによって自分を大きく見せる人は自分を大きく、偉大に見せようとする傾向があります。その内面はそう見せなければ自分は・・・という気持ちが見て取れます。また、自然な姿勢ではないのでその人の持つ業もそのレベルにあることもわかります。武術ではなく見せなければならない演技ではこのような姿勢をとるのが良いこともありますがこれは別の話です。
 反対にある程度のレベルにあるのに、必要以上に委縮した姿勢をとる人もいます。この場合は二つ考えられ、意図的に見える人に見られないようにしているのか、自分のレベルを過小評価しているのです。
 自分がどのような姿勢をとっているか、確認してください。

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  1. 2019/11/03(日) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

外形を作らない

 形稽古においては外形を作ることが最も上達から遠ざけてしまいます。
 無雙神傳英信流抜刀兵法においては、いかにもやったようにいかめしい顔を作り、いかにも残心をとっているように見ている顔をつくりいかにも斬ったように力みいかにも振りかぶっているように肩を怒らせ・・・。
 澁川一流柔術にあっては、いかにも技を決めたように最後に自分の体を力ませ、また大声を咽喉から出し、いかにも残心をしているようにあらぬ方向を見、、いかにも投げているようにことさらに大きく動き・・・。
 大石神影流剣術剣術にあっても、いかにも気合をかけているように大声を張り上げ、いかにも上段に振りかぶっているように肩を上げ、いかにも抑えているように上半身を用い・・・。
 すべて自分自身を上達から遠ざけてしまう行いです。見せたい、見られたいという心を無意識の心の中からもなくさなければなりません。

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  1. 2019/11/04(月) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

色に出さない

忍れと色に出にけり我恋は
            物や思ふと人のとふまで


 色に出してしまえば相手にすべてを見て取られます。演劇などではあえて強く色に出さなければ観客に伝わらないこともありますが、武術は相手にこちらの意図が伝わってしまえば斬られてしまいます。一番わかりやすいのが顔で、また顔だけでなく体の到る所にも色は出てしまいます。
 見てほしいという武術は別にして、心を鎮め体を鎮め、術としての無念無想をもとめてください。

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  1. 2019/11/05(火) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

真実の人

 武道史の研究も長くなったので、何流の伝書であったか忘れましたが、真実の人でなければ伝えてはならないという文言があったのを覚えています。
 そのころは稽古しようとす方は皆「真実の人」ではないかと思っていましたので、真実の人の意味が良くわからず、形式的なものだろうと思っていましたが、最近はよくわかってきました。稽古に取り組む姿勢を私自身を基準ににして考え、「私はこの程度にしかしかできない。この程度にしか稽古できていない。」と思い、自分自身の至らぬところばかり見えていたのですが、実際は私程度にも稽古しない、また真摯に取り組めない人のほうがが多いのだという事がやっとわかってきたのです。
 十分に稽古しないどころか、
 自分が出来なければ自分の都合の良いように変えてしまい、それを後輩に得々として説明する。
 自分はできていないという自覚があるからこそ上達するにもかかわらず、他者からできていないと思われたくないために、飾ってしまう。
 できないのは、指導を受けたように稽古しないからにもかかわらず、代々伝えられてきたことが間違っているかのように考える。
 できないから、できたように見せるために小手先の技を使う
 以前習った事の指導法が良いと思い込み、勝手に指導法を変えてしまう。

 いくらでも、真実でないことはあります。いかに素直に稽古することがむつかしいことか。
 真実の人でなければ・・・と書かざる状況が当時にもあったのかもしれません。

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  1. 2019/11/06(水) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

覚えたことをしようとしない

 大石神影流の手数、無雙神傳英信流抜刀兵法の太刀打・詰合、澁川一流柔術の半棒など手数・形の手順が決まっているからと仕太刀や仕方が決まったことをただ行えば稽古になると考えていたら大きな間違いです。それでは全く業は身についていきません。手数・形には理合があり、打太刀はそうなるべくしてそうしています。それに和して動くことなく決まった手順だからと打太刀にお構いなしに仕太刀が適切な時間的な間よりも先に動いて待っていたり、遅れて動いていたりすれば、単に手順を繰り返しているにすぎないことになります。
 よくよく稽古の意義を考えなければなりません。

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  1. 2019/11/07(木) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

校閲

 以前「鵜呑みにしない」というブログを書いたことがありますが、そこに記したことは何も武道史を専門にされた方が知っているような特殊なことではなく、防具の変遷や竹刀の変遷は『大日本剣道史』やその他の既に刊行された書籍を読めば記されていることです。また、刀の長さについても少し調べれば出てくることでもあります。つまり、それほど調べていなかったにもかかわらず、幕末の武道について書かれたということになります。武道史関係のことには大して意義はなく通説で良しとして詳しく調べる必要も感じなかったのかもしれません。
 また、書籍ができるまでには、誤字や脱字といった文字の誤りを正す「校正」という作業や文章表現や事実関係に間違いがないかを確認する「校閲」という作業が必要だと、「校閲」をしていた友人に聞いたことがあります。「校閲」はその書籍を書いた著者以上に大変な作業をしなければならないらしいのですが、以前、記した書籍には「校閲」という作業が少しあまかったという事なのかもしれません。一般の方にとって武道史はある意味どうでもいい事ですから。
 貫汪館で稽古される方は、何か記す時にはなるべく多くの書籍に当たったほうが良いと考えます。
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  1. 2019/11/08(金) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

不器用な人

 何事にも器用な人と不器用な人があり、古武道もその例外ではありません。不器用な人は、はじめは上達が遅いかもしれませんが、求め続ける人は器用な人に比べて稽古において様々なところをさ迷い歩きますので、やがて、こうすれば上達するし、この方法では上達しないという事を自分自身で見つけ出すことができます。そのように自分自身で見つけ出したことは自分の身から離れることがなく、定着していき、やがては人を導くことができるようになります。
 ぎゃくに器用な人はあまり努力をすることなくある程度まで上達しますので、そこで安心して工夫せず、そのレベルにとどまり続けることがあります。
 自分が器用でないからと悲観する必要は全くありません。求め続ける限り道は開けます。
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  1. 2019/11/09(土) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

Sensei

 海外では先生という言葉をDr.〇〇とかProf.〇〇とかSir〇〇とおなじようにSensei〇〇という使い方もするようですがこれは日本文化を大きく間違った使い方だと思います。
 武道において先生というのは肩書ではなく、弟子にとっての先生であり、また弟子ではなくても尊敬できる方に対して用いるものであり、海外であってもまったくの部外者や体験に来るだけの人にSensei〇〇と呼ばせるのは慢心を育てるもととなります。日本文化としての古武道を広める上においては弊害にしかなりません。海外の支部長は心してください。

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  1. 2019/11/10(日) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

二刀

 大石神影流の二刀は基本的に大小が協力し合って一刀に勝つようになっていますが、霞のように二刀を用いても片手で脇差の助けを借りることなく両手持ちの一刀を圧していく形もあります。稽古を重ねている人はわかると思いますが片手で両手で持つ刀に対するためにはかなり稽古工夫が必要となります。また、片手で一刀を使う場合と両手で一刀を使う場合の間合い等もしっかり工夫していかなければなりません。
 工夫鍛練がなければ難しい形です。
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  1. 2019/11/11(月) 21:25:00|
  2. 剣術 業

教える覚悟

 5年から10年しっかり稽古を続けている人で技も随分と身について武道について理解でき始めたら、自分で道場を持ち教える覚悟を持ちながら稽古していかなければ上達していけません。
 教えるためには何が大切で、どう指導していかなければならないかを考えながら稽古していきます。そうすることによって理解がより深まり自分がしていることが理解でき、自身の不足もみえてきます。また、道場をもって運営していくという事は流派の技量が必要なだけでなく、どのように運営していくのかという、広い目で自分が行っていることを見ることも必要になってくるため、そのような面からも自分を広げていくことができるようになります。
 ただ指導者におんぶにだっこで、責任を考えることがなければ広い目で見たときに上達していくことはありません。

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  1. 2019/11/12(火) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

稽古量

 稽古量が足りない方は、できるようになってはいないために自分に自信が持てず、また下手にも見られたくないためにどうしても自分を飾ってしまいます。
 できてもいないのにやったように見せるために顔を作る。これは自己満足のためでもありますが、顔を作って他に見せようともしています。動きが止る所で力むのも同じです。力むことによっていかにもやったように見せようとします。そして、自己満足をするのです。
 稽古を重ねた人は自分を知っているので自分はここまでだと自覚でき、飾る必要はなくなります。自分の稽古量を振り返ってください。また常に言っているように稽古量は道場に出て稽古した回数ではありません。日常生活にどのように取り組んでいるかも稽古となります。
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  1. 2019/11/13(水) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

一人稽古の弊害

 一人稽古は必ず行うべきもので、無雙神傳英信流抜刀兵法の師 梅本三男先生は「復習をしてくるような人でなければ上達はしない。」と話されていました。
 しかし、道場で稽古することなく一人稽古だけを続けていると、これもまた上達を阻害することになります。貫汪館で行っている武道は対人関係を抜きにしては存在しえません。しかし一人稽古では相手をイメージして稽古を行うため、自分に都合の良い相手をイメージしてしまいがちです。こうなってしまうと一人稽古は弊害にしかなりません。
 一人稽古と道場での対人稽古を繰り返すことで上達していきます。

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  1. 2019/11/14(木) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

手の内

 刀、木刀、六尺棒、半棒、三尺棒、鎖鎌、全て手の内の本質は同じです。手にするものと自分の体が一体となり自分の体の一部として用いるための手の内です。初心者は握りしめれば持つものと一体となったような錯覚を覚えますが、握りしめることによって、手にするものを物として、自分とは別のものとして扱ってしまいます。自分の一部となることはなく、自由に働くこともありません。

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  1. 2019/11/15(金) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

柔術の手の内

 素手の柔術の場合、直接相手の体や衣服を取りますが、この手の内も刀や棒を持つ時の手の内と変わることはありません。相手をしっかり握り締めることによって相手を自由にできると錯覚しますが、自分の働きは握りしめることによって握りしめたところで途絶えて相手に働くことはありません。刀や棒、素手の時も全て同じです。工夫してください。

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  1. 2019/11/16(土) 21:25:00|
  2. 柔術 業

広くみる

 無雙神傳英信流は兵法という言葉を用いて、言葉の上ではたんなる居合術ではないですよということを言っています。大石神影流は剣術と言う言葉を用い、澁川一流柔術も柔術という言葉を用い兵法という言葉は用いていません。しかし大石神影流の手数(形)はたんに剣術の攻防のやりとりだけではなく、人が生きていく上でのさまざまな状況における対処の仕方が含まれており、澁川一流柔術も多くの形を通じて同様な教えが含まれています。これは稽古をしていく中で見える人には見え、見えない人には見えないことかもしれません。
 この部分を会得していくことができる人は稽古によって多くの事を得ることができますので、稽古をより楽しむことができ、この部分が見えない人よりも上達は速いものとなるでしょう。

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  1. 2019/11/17(日) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

演武会での気合

 有声の気合いは声を出すのではなく、呼吸に音がのることによるということはすでに述べていますが、演武会で有声の気合いが小さくなってしまう原因はそこにあります。緊張のために呼吸が浅くなり音をのせようにものせることができないのです。
 演武会では形の手順を間違えるまいと考えるのではなく、まず深い呼吸を心掛けてください。

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  1. 2019/11/19(火) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

八方美人

 「誰にでも良い顔をする、要領の良い人」という意味のようですが、こと流派武術にあっては八方美人であることは上達を阻害してしまいます。流派とは個性です。それぞれに個性があるために多くの流派が生まれてきました。ある流派で良しという事も他の流派では喜ばれないという事があるのは当然のことです。
 しかし、ある場所ではこちらが好まれるから、また、ある場所で演武するにはこのほうが好まれるからと流派の教えから離れてその場その場で異なる事をしていればいくら本人が真面目に稽古しているつもりでも身につくはずのものも身につくことはありません。
 むしろ、自分が行っている流派を知らない方には「あれは・・・」と言われてもよいものなのです。

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  1. 2019/11/20(水) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

日常生活の基盤の上に

 いくら武道が上手であっても、日常生活の中で普通の礼儀作法や心遣いが出来なければ、それは人を傷付けたり、人を殺める技術が上手なだけということになります。武道によって心を磨くのではなく武道と反対方向に進むことになります。
 したがって武道を稽古する人はまず日常生活から修行していかなければならないのですが、中にはそのようなことはお構いなしで、技術が優れていることが素晴らしく、人に誇れることだと考える人もいます。
 以前もお話ししたかと思いますが、現代武道の世界チャンピオンであった人に会ったことがあります。その人は自分が気に入らない人を貶めるために大きな嘘を平気でついてはばかりませんでした。また、私が名刺を渡しているにもかかわらず、まともに名刺を見ることもなく、「広島には〇〇という先生がおられ・・・。」という話をして自分がいかにこの世界で名が知られているかを言おうとしていました。その武道とかかわりのない私には哀れとしか思えず、そのような人間を八段という高段者にしている団体の存在すらおかしく感じられました。一般の人から見れば八段を得ている人は高潔で清廉潔白非の打ち所がないような人だと思われます。私も八段を得ている人で高潔な方にたくさんお会いしてきましたのでそのように思っていました。しかし、実際にはそうではない人もいるという反面教師をみたのです。
 貫汪館で稽古される方は心して日常生活のなかでのふるまいを大切にしてください。

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  1. 2019/11/21(木) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

ゆっくり稽古する

 自分の癖や歪を知るためにはいつもよりゆっくり稽古することが大切です。素抜き居合であれば一人で稽古できるのでいつもよりも心を落ち着けて静かにゆっくりと。大石神影流や、太刀打、あるいは澁川一流などでは二人で行うところを一人で相手をイメージしながらゆっくり静かに。そのようにして自分の癖や歪に気付き、修正してください。

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  1. 2019/11/22(金) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

明撃

 居合の稽古をはじめて大森流も英信流も身につき始め、斬撃も抜き付けの流れに乗っても自由に行えるようになった頃、斬撃が少し疎かになることがあります。
 無雙神傳英信流抜刀兵法の師 梅本三男先生はこのようなときに「明撃」という言葉を用いて教えてくださいました。文字通りの教えです。しかし、「据物斬りのように動く」ことは絶対にに避けなければなりません。師が厳しく戒められたところです。

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  1. 2019/11/23(土) 21:25:00|
  2. 居合 業

流派名

 江戸時代には自流派の流派名であってもかなりルーズなところがあります。
 例えば大石神影流の前身の愛洲陰流であっても愛洲新陰流ということもあり、たんに新陰流と言ったこともあったようです。大石神影流であっても初めは大石神陰流と名乗っていたものが大石神影流に定まっていった後にも、大石神陰流と大石進自ら書いていることがあります。
 広島では貫心流は主に剣術に、司箭流は主に長刀に使われているのですが貫心流長刀ということもあり、貫心流取捨も司箭流という場合もあります。
 久留米の加藤田家の剣術しかりです。
 貫心流剣術は徳島藩に広島藩浪人の溝口鉄柱無端によって伝えられましたので、貫心流という場合もあれば鉄柱流と云う場合もあったようです。
 武道史を調査するときに、そういうこともあるのだという事は頭の片隅に置いていてください。

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  1. 2019/11/24(日) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

半身

 無雙神傳英信流、澁川一流柔術、大石神影流剣術ともに状況に応じて角度の違いはあっても全て半身をとります。
 下半身が半身になっていても上半身が正対に近い角度になってしまうのは下半身の上に上半身が載っていないからですが、そもそも上半身が正対しがちな方は下半身に無理がある場合が多くあります。つま先が外を向いていても足首、膝、鼠蹊部が緩まずそれらが前を向きたがっていたら腰は半身にはならず正対しようとします。足先だけを外に向けていながら下半身をひねりつつ正対しようとしているのです。
 このような方には現代武道で正対することを徹底的に叩き込まれたり、他流派で正対することが絶対だと教えられている方が多く、心に沁みついているため、その心の部分から見直していかなければ、半身になるのは難しいと言えます。

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  1. 2019/11/25(月) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

澁川一流柔術の體捌

 澁川一流柔術は相手に対した時、初めは正対します。動き始めてから体の開きが生まれますが、これは足で床を蹴って作るものではありません。前に出るときも後方に下がるときも体の開きを用います。体の開きができるためには臍下丹田を中心として鼠径部、膝、足首が緩んでいる必要があります。これらの部位が緩んでいなければ床を蹴って動いてしまい、体は開くことがありません。
 澁川一流柔術の動きは非常にシンプルなため、体を開く動きが出来なければ、澁川一流柔術とは言えません。似ている動きはするけれど真似事にすぎなくなってしまいます。工夫してください。

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  1. 2019/11/26(火) 21:25:00|
  2. 柔術 業

中心

 居合の稽古で斬り込もうとするばかりに、大きく刀を振り込もうとて本来自分の中心が切先までを含めた中心であるべきにもかかわらず。中心が前に出てしまい自分の体がとられてしまうことがあります。
 無雙神傳英信流は基本的にインターセプトであるという事をしっかり頭において、相手が自分に斬りかかって来るのだという想定をしていれば崩れはあまりなくなってきます。
 かといって、崩すまいとして体を力ませて固定してしまえば求めるところから離れてしまいますので注意してください。
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  1. 2019/11/27(水) 21:25:00|
  2. 居合 業

脇差または短刀

 大石神影流剣術の正式な演武では、脇差または短刀を腰にすることになっています。模造刀でも構いませんが、余裕のある方は拵付きの真剣を腰にされてもかまいません。
 脇差または短刀を腰にして演武すると、普段の稽古で鞘木刀のみを腰にしているときとは異なった感覚が必要になります。正式な演武をする機会がありそうな稽古を積んだ方は、脇差または短刀の模造刀・真剣を腰にして稽古してみてください。
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  1. 2019/11/28(木) 21:25:00|
  2. 剣術 総論

半身・首

 半身となるのは無雙神傳英信流抜刀兵法、澁川一流柔術、大石神影流剣術に共通することと述べ、半身になるために下半身のゆるみが大切だという事も述べましたが、半身となるためにもうひとつ大切なことがあります。首が自由であることです。
 現代人の多くはデスクワークをする人たちですので、パソコンに向かったり、書類に向かって正対する時間が圧倒的に多く、半身をとることはありません。また農作業をされる方も機械化が進むと半身をとって鍬や鍬を用いる時間も少なくなっていると思います。首に左右に角度を持たせて物事をする時間が少なくなっているために首が回りにくくなっているのです。そうなると、正面を向く首に上半身がとられてしまい半身がとりにくくなってしまいます。
 そのような疑いがある方は、首を左右に向けてその際に余分な緊張がないかに確認してください。
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  1. 2019/11/29(金) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

三角

 無雙神傳英信流抜刀兵法の三角は、取り囲まれた時に一度に周りの敵を切り払って活路を開く形です。
 この形のポイントは相手を引き寄せる事と相手を軽く切り払う事にあります。相手を引き寄せることなく切り払っても刀は相手に届かず、しっかり強く切ろうとしたら多敵にはおくれを取ってしまいます。工夫してください。

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  1. 2019/11/30(土) 21:25:00|
  2. 居合 業

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貫汪館館長(無雙神傳英信流 大石神影流 澁川一流)

Author:貫汪館館長(無雙神傳英信流 大石神影流 澁川一流)
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ご質問のある方は貫汪館ホームページに記載してあるメールアドレスからご連絡ください。記事へのコメントではアドレスが記されてないため返信ができません。

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