FC2ブログ

無双神伝英信流 大石神影流 渋川一流 ・・・ 道標(みちしるべ)

無雙神傳英信流抜刀兵法、大石神影流剣術、澁川一流柔術を貫汪館で稽古する人のために

稽古目録

 澁川一流柔術の稽古では各自が紙の稽古目録を持参することが不可欠です。これは海外の門人にも言ってきたことです。パソコンやスマホで指導者がいちいち確認して、一つ形をしてみせ、それを弟子が真似るという方法はとってはなりません。
 問題点は時間の無駄、自主性の欠如にあります。
 手元にある稽古目録ではなくパソコンを確認に行く時間が無駄、形もその時に言われたものを稽古するだけなので頭と体に残らない。また目録を手元に置いていないので、弟子はいちいち次の形が示されるのを待たなければならない。間違っていた点やよくわからなかったところをメモすることもできません。
 初めの内には一回の稽古で3つか4つ、5つくらいの形を習い、次の稽古までには動きは習得しておかなければなりません。そのための復習には各自の紙の稽古目録は不可欠です。また復習が前提の稽古ですので、次の稽古日には習った形を指導者が見せるという子ども扱いを道場ではしませんし、すべきではありません。子ども扱いされた指導ではいつまでたっても成長はありません。
DSC_5943a.jpg
 
  1. 2019/09/01(日) 20:25:00|
  2. 柔術 総論

基礎は極意に通じる

 基礎が身についていないにもかかわらずいくら多くの形を覚えても手順を覚えたというにすぎず流派を身につけていることにはなりません。
 基礎というのはたんに素振りの動作を繰り返したり、立ち居振る舞いの稽古を繰り返したり、斬撃を繰り返したりしても身につくものではなく、数を重ねるだけの稽古は手慣れた動きを身につけさせているにすぎません。それらを通じて何を会得しなければならないかが大切で、それを忘れて基礎を身につけることはできません。ここを勘違いしてしまうと上達に結びつくことはなく、指導者も弟子を上達させることはできません。
 流派の基礎を身につけたら、それはどのようにでも発展できる大切なものを手に入れたことになります。
DSC_5942a.jpg

  1. 2019/09/02(月) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

形数を誇る

 無雙神傳英信流抜刀兵法・澁川一流柔術・大石神影流剣術ともに形の体系は上達のための階梯です。初めの形ができないのに次々と手順を求めこの形を知っている、この形も知っているという事には全く意味はありません。
 這い這いもできない赤ちゃんに無理やり走らせているようなもので、むしろ上達からはどんどん離れていきます。
 稽古する人の中には、知っている形数が多い方が偉いと考える傾向もありますので気を付けて指導しなければなりません。

DSC_5939a.jpg
  1. 2019/09/03(火) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

正座

 貫汪館で指導している流派は正座が出来なければ上達が難しいと言えます。
 海外の門人でも本気で日本文化を習得しようとして来られた方は「テレビを見ながら今日は1分、明日は1分半というように稽古してきた」といわれます。そのような方は普通の日本人以上に早く上達していかれます。また、体がかたいとか日本人とは体の構造が違うという屁理屈をこねて正座の練習すらしようとしない人もいます。本物が身につくかどうかの差はこのようなところにあります。

DSC_3718a.jpg
  1. 2019/09/04(水) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

適さない刀

 無雙神傳英信流の指導で、短い居合刀は値段が安いから、簡単に扱える短い居合刀をはじめに買わせて上達してから長い居合刀を買わせるという考えを指導者が持ったら大きな間違いです。
 ロンドンで指導して感じましたが、2尺4寸くらいの短い刀を使っている者はほとんどと言っていいほど左半身を使っておらず右手だけで動いていました。短い刀は右手だけでどのようにも抜けるからです。一度そのような悪癖がついてしまえば元に戻すには稽古した以上の年月が必要になってしまいます。
 自分より長い刀を使わせたくないという思いを指導者が持つことも誤りで、身長相応の刀を持たせなければ上達ができません。

DSC_5989.jpg
  1. 2019/09/05(木) 21:25:00|
  2. 居合 総論

人差し指・中指

 人差し指・中指の握りが強すぎると手の内を正しく修正することができません。どうしても柄を横握りにしてしまうためです。小指、薬指のみで柄を巻き込むようにしてください。これまで何か道具を用いて作業をしたことがある人に、その道具の扱い方を思い出させることも役に立つことがあります。ロンドンでの指導でも、これは○○の使い方と同じだと話していた方がありました。

DSC_5977a.jpg
  1. 2019/09/06(金) 21:25:00|
  2. 居合 業

稽古方法

 無雙神傳英信流抜刀兵法、澁川一流柔術、大石神影流剣術にはそれぞれ師から伝わっている稽古方法があります。
それを無視して、自分は昔、稽古したところでこのように習ったからその方が効果的であるからと言って異なる稽古方法を取り入れたらその稽古が徒労に終わることがあります。
 たとえば澁川一流柔術では履形や、吉掛といった形の一群が終わるまでは稽古相手は変えず、しっかりと自分の内側を稽古していきますが、海外で指導した時に支部長が一つの形ごとに受・捕を入れ替えさせて稽古させるという事がありました。そのほうが色々な者に対応できるというのですが、澁川一流柔術の基礎も出来ておらず自分の内面の働きさえわかってもいない者にそのようなことをさせるのは自分自身の動きや他者と自分との関係もわからなくさせる愚策でしかありません。形稽古を単なるテクニックの稽古と考えていれば、自分の内面が育つこともありません。
 また、大石神影流においても、陽之表、陽之裏といった手数の一群は一続きに使うからこそ、その教えようとするところが体得できるにもかかわらず、手数ごとに相手を変えたり、一本一本区切って稽古しては一群の手数として構成して教えようとしていることを体得できません。
 無雙神傳英信流抜刀兵法しかりです。稽古方法を恣意的に変えていては上達の道を閉ざすことになります。
DSC_6033a.jpg
  1. 2019/09/07(土) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

見せようとしない

 指導するにあたって、門人に見せようとすれば下達していきます。見せようとする心には必ず、良く見せようという思いが湧いてきて表面を飾るようになってくるからです。
 見せるのではなく自分の持っているもっとも高いレベルの形を行い、そこから得てもらうという心であれば指導しながらでも上達していくことができます。見せようという心を持ってはいけません。
IMG_7137a.jpg
  1. 2019/09/08(日) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

優位にたとうとしない

 指導する者は常に門人を上達させようと考えていなければなりません。門人が自分よりも上達することを楽しみとしておかなければならないのです。門人が自分の指導によって部分的にでも自分を超えることができれば指導する者は門人からも学ぶことができます。
 指導者によっては自分が常に門人より優位に立とうとするために、大切なことを教えない人がいるように感じますが、それは自分の上達をも阻害します。
IMG_5747a.jpg
  1. 2019/09/09(月) 21:25:03|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

大切なことを教える

 稽古おいて大切なことは目に見えにくいところにあります。また初心者が自覚しにくいところでもあります。
 指導者が「かたち」「手順」にばかりこだわり、そればかりを指導して、その中にある大切なことを教えなければ門人は物真似をしているにすぎません。そして指導者自身もまた自分緒指導を通じて大切なことを失っていきます。
  門人に一通りの「かたち」「手順」を教えたら大切なことを繰り返して教えることによって上達させていかなければなりません。
IMG_5739a.jpg
  1. 2019/09/10(火) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

天保10年および11年の江戸における大石進種次の動向について 1

 令和元年9月6日(金)に國學院大学たまプラーザキャンパスにおける日本武道学会第52回大会で発表した「天保10年および11年の江戸における大石進種次の動向について」を数回に分けて載せていきます。

Ⅰ はじめに
柳河藩の大石進種次(1798-1863)は初め天保3年(1832)末に江戸に出て天保4年(1833)にかけて試合をし,突き技を用いてその名を高めたとされ,天保10年(1839)にも江戸に出て,水野忠邦に招かれ多くの剣術師範と試合したとされている1)。
しかしながら大石本家の古文書類は大石進種昌の孫である進が東京で事業に失敗した際に散逸し,また大石本家も断絶し,そのことを証する記録等は大石家の分家にも残っていない。
本研究では『柳川史話(全)』に引用された『大石進種次の書簡』2)(資料1),土佐藩士樋口真吉が大石進種次のもとで書き写した記録である『大石先生江戸稽古之附』3)(資料2,写真1),徳島県立文書館に所蔵される『昨七日今八日』(徳島藩士武藤左膳宣旬の記録)4)(資料3,写真2)によって天保10年から天保11年にかけての大石進種次の江戸での動向の一部を明らかにしようとするものである。
スライド2a

  1. 2019/09/11(水) 21:25:00|
  2. 武道史

天保10年および11年の江戸における大石進種次の動向について 2

Ⅱ 資料について
1.『柳川史話(全)』に引用された『大石進種次の書簡』
『柳川史話(全)』には9月4日付の立花内膳および立花但馬あての書簡が引用されている。書簡には 9月3日に水野邸に招かれて手数(大石神影流では形を手数という)と試合(資料に試合と記されている場合は試合,仕合と記されている場合は仕合と記す)を披露したことや,それらをみていた水野忠邦,伊藤修理太夫,内藤金之丞などの感想が記録されている。なお、書簡には試合組も付せられていたようであるが、載せられていない。大石進種次は天保10年3月に江戸に赴き、天保11年の春には柳河に戻ったと推定できるため,この書簡は天保10年9月4日に記されたものと考えられる。
書簡の原史料が存在しないため,書簡の信用性が問題であるが,以下ように信用性は高いと考えられる。
(1)『柳川史話(全)』は立花家の依頼によって「柳川藩政誌」を手掛けた郷土史家である岡茂正が昭和5年から16年まで『柳河新報』に掲載した記事を編集したもので,大石進の書簡は岡茂正によって昭和15年11月30日号に掲載された「水野邸における大石進」の記事の中に引用されている。
(2)柳河藩江戸留守居役の杉森家の杉森日記5)の天保10年3月14日の記録に大石進が江戸に昨日到着したと記されている。
(3)書簡の中に大石進が水野忠邦より八丈縞一反と金子五百疋を、また他のものが三百疋を授かったことが記されているが,杉森日記の9月3日の記録に
「水野越前様ゟ兼而被仰聞候ニ付左之面々御宅へ罷出劒術御覧被成候尤前以打合事等岩崎承りニて深井矢野度々罷出今日は同道ニ不及
   被渡御目御懇之
   御意有之        大石進
   八丈縞一反
   金五百疋
   金三百疋宛       大村長谷
               笠間司馬
               小野喜八郎 
               加藤元次郎
椛嶋五郎                            」
  とあり,引用された書簡の記述と杉森日記の記述が一致する。
(4)大石進種次の土佐藩の門人である樋口真吉は天保11年に大石進種次のもとで2度目の修行をしているが,その日記『西遊記稿本下 再遊之巻』の10月7日の記述に「久留米藩中高松利貞同宿、此人去年ヨリ大石先生ニ随江都ニ遊、以来東海道五畿を経当時当地ニ来ル」とあり,この日記からも大石進種次が天保10年に江戸にいたことが確認できる6)。
スライド3a
スライド4a
スライド5a
  1. 2019/09/12(木) 21:25:00|
  2. 武道史

天保10年および11年の江戸における大石進種次の動向について 3

Ⅱ 資料について
2.『大石先生江戸稽古之附』
  『大石先生江戸稽古之附』は天保11年(1840)11月に土佐の樋口真吉が大石進種次の記録を大石家があった宮部で書き写したと思われるもので,天保11年2月から3月にかけての大石進種次の行動が記されている。後半の部分には日付はないものの『柳川史話(全)』に引用された『大石進種次の書簡』の天保10年9月3日の行動と同様の内容が記されている。
  樋口真吉は天保8年(1837)に大石進種次に入門し,天保11年(1840)には再び大石進種次のもとに至り10月7日から12月6日まで大石進のもとで稽古した6)。
  『大石先生江戸稽古之附』には天保11年2月13日の水野忠邦の藩邸での剣術御覧に笠間司馬も試合したことが記されているが,柳河藩の『奥納戸日記』7)の天保11年2月13日の記録に水野忠邦邸で剣術御覧があるため司馬の勤めを免ぜられる旨が記してあり,記録が合致する。
スライド6a
  1. 2019/09/13(金) 21:25:00|
  2. 武道史

天保10年および11年の江戸における大石進種次の動向について 4

Ⅱ 資料について
3.『昨七日今八日』(徳島藩士武藤左膳宣旬の記録)
  『昨七日今八日』には年月と作成者は記されていない。しかし『武藤家成立書』8)に武藤左膳宣旬が天保9年に出府し江戸藩邸で弓術の師範をしていたことが記されており,『昨七日今八日』に「若殿様御勤ニ付御稽古ハ御延引ニ」なったとあることから,この記録は武藤左膳宣旬が記したものと考えられる。
記述の中に水野忠邦のもとでの試合であることや他の史料同様に大石進の門人として加園元次郎や椛島五郎七の名前が出てくること,水野忠邦の家来として田島岩尾の名前があること,心形刀流師家伊庭軍兵衛の名前があることから天保10年または天保11年の記録であると考えられる。また表題に「昨七日・今八日」あるため,いずれかの月の7日に行われた仕合を記録したものと考えられる。
スライド7a
  1. 2019/09/14(土) 21:25:00|
  2. 武道史

天保10年および11年の江戸における大石進種次の動向について 5

Ⅲ 資料の内容
1.『柳川史話(全)』に引用された『大石進種次の書簡』
(1)水野忠邦の招聘による天保10年9月3日の剣術御覧
(2)水野忠邦と面会,手数(形)と柳河藩士大石進以下11名による試合
(3)伊庭軍兵衛や水野家家臣との試合
(4)水野忠邦,伊藤修理太夫,内藤金之丞による口上
(5)饗応
2.『大石先生江戸稽古之附』
(1)天保11年2月13日,水野忠邦による剣術御覧
(2)同2月17日,伊庭軍兵衛方で大石進以下柳河藩士12名による稽古。
(3)同2月20日,公儀御勘定奉行より剣術見物7人、銀坐・金坐役懸りより剣術見物6人
(4)同2月22日,伊藤修理太夫邸で大石進以下柳河藩士11名による稽古。
(5)同2月29日,肥後相良遠江守邸で槍術稽古。その後大石進と大石の門人2名との剣術。
(6)同3月1日,水野忠邦邸で槍術御覧
(7)3月6日,伊予加藤遠江守邸で大石進以下14名による剣術。
(8)水野忠邦より拝領の刀越前兼法に関する記述
(9)佐藤一斎により贈られた書に関する記述
(10)天保10年9月3日の水野忠邦による剣術御覧に関する記述
3.『昨七日今八日』(徳島藩士武藤左膳宣旬の記録)
(1)長指南兵(しなへ)について
(2)長指南兵(しなへ)による仕合について
(3)長指南兵(しなへ)と二刀との仕合について
(4)大石進について
(5)仕合の参加者について

  1. 2019/09/15(日) 21:25:00|
  2. 武道史

天保10年および11年の江戸における大石進種次の動向について 6

Ⅴ まとめ
1.大石進への評価
(1)『柳川史話(全)』に引用された『大石進種次の書簡』
「其方剣術熟練之由年来承知致し」(水野忠邦)
「誠に兼て承及候より珍敷業と相見何れも宜稽古致」(水野忠邦)
「今日は始て右之剣術見物致誠に感心致候」(伊藤修理太夫)
「御蔭にて珍敷稽古拝見候」(内藤金之丞)
(2)『大石先生江戸稽古之附』
「誠に初而御高名之お業致拝見忝存候」(堀丹波守)
「今日者宜折柄ニ而致面会、誠ニ珍布業合之御稽古拝見、感心致し」(鍋島紀伊守)
「初而御目ニ懸、何れも、扨今日者珍敷御稽古致拝見感心致し」(加藤遠江守)
(3)『昨七日今八日』(徳島藩士武藤左膳宣旬の記録)
「何角咄も承り候所、折々弟子共へ直シ御座候所、足之踏付ニ力か入らぬ、夫水ヲ付ヨト時々申、則茶碗之茶ヲ板間ニ移し折々足之裏ヲシメシ仕候ヲ見候而者、余り之上手とも不覚候」
 
 大石進に関して,「珍布業」という評価がなされている。これは大石進種次が『大石神影流剣術陰之巻』に記したことと合致する。
「大石七太夫藤原種次幼ナキ時愛洲新蔭流ノ唐○(金へんに面)袋品柄ノ試合ヲ学タレトモ十八歳之時ニ至リヨク〃〃考ルニ刀ノ先尖ハ突筈ノモノナリ胴ハ切ヘキノ処ナルニ突ス胴切ナクテハ突筈之刀ニテ突ス切ヘキノ胴ヲ切ス大切ノ間合ワカリカネルナリコノ故ニ鉄○(金へんに面)腹巻合セ手内ヲコシラヘ諸手片手突胴切ノ業ヲ初メタリ其後江都ニ登リ右ノ業ヲ試ミルニ相合人々皆キフクシテ今ハ大日本国中ニ広マリタリ夫ヨリ突手胴切之手カズヲコシラヘ大石神影流ト改ルナリシカル上ハ諸手片手突胴切ノ試合ヲ学モノハイヨ〃〃吾コソ元祖タルヲ知ヘシ」9)
大石進種次以前には諸手突き、片手突き、胴切りの技はあまり行われていなかったために「珍布業」という評価になったのではないだろうか。
これは堀正平が大石進に関して「傳記としては試合剣道期に於て、中央に重く地方を輕くして其名劒士を逸したものが多い、其中には試合剣道に大變革を與へた、筑後柳河藩士大石進もある。」10)「大石神影流の元祖大石進種次は、長竹刀面籠手胴垂を用ふる、今日行はれている試合劒道の創始者である。」11)と『大日本剣道史』に記したことと重なるように考えられる。
 徳島藩士武藤左膳は仕合の際に足が滑るのを防ぐために足裏を湿らせる大石進の指導を否定的にとらえている。
スライド12a
スライド14a
スライド15a
  1. 2019/09/16(月) 21:25:00|
  2. 武道史

天保10年および11年の江戸における大石進種次の動向について 7

2.大石進種次の影響
(1)大石進種次の剣術をみた藩主等
 水野忠邦が天保10年9月3日に大石進種次を招聘して大石の剣術を見たのち約5か月後、短期間の記録しか残っていないが、1か月に満たない間に大石進種次は浜松藩邸,伊庭軍兵衛方,飫肥藩邸,人吉藩邸,大洲藩邸などで剣術・槍術の試合を行っている。約1年の江戸での滞在中にはもっと多くの藩邸で剣術の試合をしたことが考えられる。
スライド16a
  1. 2019/09/17(火) 21:25:00|
  2. 武道史

天保10年および11年の江戸における大石進種次の動向について 8

2.大石進種次の影響
(2)他藩の藩士への指導
 大石進種次は『大石進種次の書簡』(資料1)によれば,天保10年9月3日に水野忠邦のもとに赴いた際に水野忠邦より「就ては其方手数仕合相済候上にては屋敷家来之者共乍未熟稽古相頼申候宜敷打太刀致呉候様」と声を掛けられ,水野家の家臣に稽古をつけている。また水野忠邦の家臣で無念流師範である田島岩尾の大石進種次への随身修行と田島岩尾の門人への稽古を依頼されている。
『大石先生江戸稽古之附』(資料2)によれば
天保11年2月13日に水野忠邦より「家来共追々世話ニ成、今日ハ又々稽古致所望、御苦労存候、家来とも乍未熟稽古為致候間、宜敷頼存候」と声をかけられ,水野家の家臣に稽古をつけている。
2月22日には飫肥藩邸で稽古をしている。飫肥藩士3名と浜松藩士4名もこれに加わっているが「尤御屋鋪内相門同様之人数計、伊藤様ゟ三人、水野様ゟ四人、何れも御屋鋪参り候人計」と記し,同門のようにこれらに稽古をつけていることがわかる。稽古後に人吉藩主の相良壱岐守から「先頃ゟ家来共其御屋敷へ多人数参り、御世話相成忝存候、乍此上宜敷御頼申候由御意」と声を掛けられており,人吉藩士も柳河藩邸を訪れて稽古していることがわかる。また,小城鍋島紀伊守から「先年国元ゟ家来之者共追々御門弟ニ相成、厚御引立被下、忝存候、乍此上無遠慮万事相頼申候与御意」と声をかけられており,小城藩士が大石進種次のもとで稽古をしていることがわかる。
入門という形をとって大石進種次に学ぶものもいたが,随身というかたちや稽古というかたちで大石進種次から学ぶものも多かったと考えられる。
スライド17a
  1. 2019/09/18(水) 21:25:00|
  2. 武道史

天保10年および11年の江戸における大石進種次の動向について 9

3.大石進種次と槍術
 大石進種次は柳河藩では大島流槍術の師範も兼ねているが,江戸でも他藩の者と槍術の稽古をしている。天保11年2月29日には人吉藩邸に槍術の稽古に出かけ,3月1日には水野忠邦のもとで槍術をおこなっている。
 大石進種次は剣術だけでなく槍術においても他国に名が知られていたらしく,長州藩夢想流槍術師範横地長左衛門は天保10年8月から翌年の8月まで大石進種次のもとで槍術を学ぶため演説書を藩庁に提出している。演説書には
「前略・・・筑後柳河御家中大石進と申者剣槍当時西国無双ニ而、所々ゟ入込候門弟数多、抜群の達者も段々有之由傳承り候、私方兼流之槍術同流と申事ニ御座候間、彼方江入込稽古仕候ハヽ切磋之益ニ而流儀自得ニも至り可申欤と奉考候、何卒当八月ゟ来子ノ八月迠十三ケ月之間御暇被差免被下候様奉願候・・・後略」
と記してある12)。横地長左衛門は最終的には柳河藩の大嶋流師範加藤善右衛門に学ぶことになるが,大石進種次は他藩から槍を学びに来る者は加藤善右衛門に学ばせた。
スライド18a
スライド19a
スライド20a
  1. 2019/09/19(木) 21:25:00|
  2. 武道史

天保10年および11年の江戸における大石進種次の動向について 10

4.竹刀 
 大石進種次の竹刀については『徳島藩士武藤左膳宣旬の記録』に「諸家剣術者共寄合ニ而先見及候所、殊之外長指南兵、面々腰之物と刀ハ先三尺以上、殊ニ中ニ而ハ立花様御家来大石進刀ノ長キ事五尺計、殊之外太ク丈夫、鍔之大サ六寸計、世ニ申野太刀と存候事ニ御座候」とあり大石進種次の竹刀が5尺3寸であり、孟宗竹の根元で作られていた13)という話と合致する。また、他の者の竹刀に関しても総長4尺以上の竹刀を使っていたと考えられる。「追々相揃稽古場へ参り候所、弐間半ニ六七間之板間ニ而仕合始り、いつれも竹具足、越中指南兵」とあることから稽古道具はいずれも胴を着用し,いわゆるコミ竹刀を用いていたことがわかる。 
 一刀流の近藤弥之助については「然所近藤某と申御旗本、一刀流之先生、余程弟子も有之人之由、伊庭軍兵衛と仕由ニ而出懸候所,指南兵杖ニ突居申ニ天窓之上へ壱尺五寸計指南兵出て同道、実ニ槍ニ而扨々不怪事と存候事ニ御座候」「一刀流師家御旗本 近藤弥之助 長指南兵長サ七尺計」とあり,竹刀は大石進の竹刀よりさらに長く7尺もあったことがわかる。
スライド21a 
スライド22a
  1. 2019/09/20(金) 21:25:00|
  2. 武道史

天保10年および11年の江戸における大石進種次の動向について 11

5.長竹刀での試合
 『昨七日今八日』(徳島藩士武藤左膳宣旬の記録)では長竹刀での試合の様子を「指南兵余り長過候故、鍔せり之様寄合之時者双方打事も突事も出来不申、未熟之人之槍合候様ホイシホイシと懸声、長指南兵之鍔元
一尺計之所ニ而只押合、互ニ引□ヲ打突ンと待様ニ而、時ニ寄ては煙草二三ふく呑間も相懸、又打突ス指南兵
ヲ押付候時も双方寄合同断ニ而、其間たるき事可笑御座候」と記している。長竹刀同士の試合では鍔迫り合いになると長さを持て余し、打つことも突くこともできず、お互いに長時間押し合いをしているのがわかる。
 また,近藤弥之助は七尺ほどの竹刀を用いているが,これについては「指南兵之持様持様見及候所、其□々槍之左構ニ而左之手ハ左之腰より五寸計左ニ置、手幅之広サ弐尺計、誠ニ珍布剣術」と記し,あまりに長い竹刀の構えは槍の左構えのようだとしている。
スライド23a
スライド24a
  1. 2019/09/21(土) 21:25:00|
  2. 武道史

天保10年および11年の江戸における大石進種次の動向について 12

6.長竹刀と二刀との試合
 『昨七日今八日』(徳島藩士武藤左膳宣旬の記録)には長竹刀と二刀との試合の様子も記されている。「二刀之流儀罷出仕候所、長剣甚閉口,発足突キ程者出合候へハ、其内ニ付入、敵之体ニへはり付、短刀ヲ以盲突ニ突時、長剣凌方手無之、サスニ余り、打ニ鍔ヲ敵之頭ヲ抑候分無之、引ハ追込、五本七本ト続突ニ突故,色々スカシクシキテモ,先生衆も不残二刀ニ敗北仕候、此処ニ而ハ長刀之詮も無之、甚見苦敷負有之候」と描写されており,二刀を使う者が長竹刀を使う者の間合いの内に入り短刀で突くと,長竹刀を持つ者はなすすべがないことがわかる。
スライド25a
  1. 2019/09/22(日) 21:25:00|
  2. 武道史

天保10年および11年の江戸における大石進種次の動向について 13

7.大石進と伊庭軍兵衛
 伊庭軍兵衛との稽古の記録は天保10年9月3日に水野忠邦のもとで稽古をしたときに始まっており,天保11年2月13日には伊庭軍兵衛方で稽古をしている。また、年月は不明であるが,『徳島藩士武藤左膳宣旬の記録』にも水野忠邦の藩邸での7日の試合に大石進種次と伊庭軍兵衛は同席している。大石進種次と伊庭軍兵衛の間には何らかの親交があったものと考えられる。

Ⅵ おわりに
 天保11年から翌年にかけての大石進種次の動向についてみてきたが,大石進種次が試合において用いた突き技と胴切りの技は天保3年から4年にかけて江戸で試合をしたときに広がっただけでなく,天保10年から11年にかけて水野忠邦によって引き立てられることによっても広まっていったと考えられる。
 引き続き資料の調査を行っていきたい。

本発表に当っては次の方々に御指導とご協力を賜りました。
広島県立文書館 西村晃様
柳川古文書館の皆様
四万十郷土資料館の皆様
徳島県立文書館の皆様

 心より御礼申しあげます。

スライド27a
  1. 2019/09/23(月) 21:25:00|
  2. 武道史

過去を消すことから

 貫汪館で稽古を始める前にほかの武道をしていた方はまず、過去を消すことから始めなくてはなりません。特にほかの武道が他流派の居合や現代居合道、剣術や現代剣道、柔術あるいは柔道などの徒手の武道・格闘技をされていた方はなおさらです。
 すでに基礎はできていると無意識に思い込み、他の武道の基礎の上に無雙神傳英信流抜刀兵法や澁川一流柔術・大石神影流剣術を身につけようとしてしまうのです。そう思っていなくても多くの場合無意識にそのようになっています。したがって、稽古を始めたらまったくゼロから始めたつもりで変な癖はないか、おかしな動きをしていないかと常に自分を見つめていなければなりません。過去を消し去ってから本当の上達が始まります。
 私の場合はもう30年近くしていない現代剣道の癖が無雙神傳英信流抜刀兵法や大石神影流剣術にでることがあり、それを消し去るのに20年以上の努力を要しましたが、いまだにひょこりと顔を出すことがあり、そのたびに自分を見つめなおしています。

_DSC8650a.jpg


  1. 2019/09/24(火) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

価値観

 アメリカの支部長から柔術を見学に来た人達がゆっくり静かに稽古をするのを見て、何故かを説明しても全く理解出来なかったと連絡してきました。アメリカで日本の柔術の門人を集めるのは難しいとも・・・。見学に来た人たちはおそらく、早く身につく実利的な格闘技のジュージュツのイメージをもって澁川一流柔術の稽古を見ていたと思いますので理解できなくても当然だと思いました。
 支部長には日本文化、禅や茶道、華道に興味を持つような人をターゲットとした門人の募集をした方がよいとアドバイスしました。

DSC_1860a.jpg

 
 
  1. 2019/09/25(水) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

袴捌

 無雙神傳英信流抜刀兵法の袴捌は独特です。似たような袴捌をする流派を見たことはありますが極めて少数です。私達の演武を記録したビデオを見ると後方で嘲笑すらしている他流派の人さえいるくらいです。その人たちの行っている刀礼も、外での礼法と室内での礼法が組み合わさったような、かなり特異な礼法ではあるのですが・・・。
 この袴捌は稽古方法や座した時の袴の状態から見ると非常に意味のある袴捌ですので疎かに行っていたら動きの質を高める機会を失い下達にも通じかねません。
 まず袴の形状ですが博物館で江戸時代の袴、または江戸時代の柄に描かれている袴を見られると袴の股立は現在武道に使われている袴に比べて極端に下にあるのがわかると思います。スカートで言うと袴との上下の差はありますがスリットが長いという事になります。したがって無雙神傳英信流の袴捌は本来親指を股立の外に他の四指を股立の内に入れるのですが、現在の袴は股立が浅いため方便としてすべての指を袴の内に入れています。(最近私は稽古袴は改造して、股立の位置を提げ本来の袴捌ができるようにしています)
 両手を袴にかけたら体を緩めて下方に沈みかけたときに、袴を臍下丹田からのつらがりで両手で軽く持ち上げます。この時必ず体が沈む感覚を覚えてください。引き続き下体は方に沈みながら体の中心を開きその結果、両腕は開きます。この時、臍下丹田から指先までがつながっているようにしてください。また、焦って手首から先で袴を後方に投げるようにすることは絶対にしてはなりません。体を開いたら、沈む体に沿って両腕も静かに体側に下ろしていってください。
 これだけの動きですが、この動きで体のゆるみや丹田の感覚や抜き付けの動きを学んでいます。
 袴捌を疎かにすると、それだけ上達が遅れるので心して稽古してください。

_DSC8762a.jpg
  1. 2019/09/26(木) 21:25:00|
  2. 居合 総論

鵜呑みにしない

 専門家の書籍を鵜呑みにすることは時に間違った知識を身につけてしまうことがあります。『武士の日本史』という新書を読んだのですがその帯には〈常識〉VS.〈史実〉とあり、いかにも史実が記されているような印象があります。しかし間違いもありその部分を引用すると「竹刀の剣術はスポーツ」という項に
 
 「今日につながる竹刀競技は、近世後期、19世紀に始まる(図3-6)。身体の急所である面・小手・喉・胴を堅固な防具で覆い、そこを現在と同じ「四ツ割竹刀」で打突する「竹刀打込試合」が始まり、試合技法も変化した。刀では不可能な技もおこなわれるようになった。それは武の形をとっているが、安全を重視する競技でありスポーツである。たとえば、竹刀の標準的長さである柄ともに三尺八寸(115センチ)は、もし真剣であれば重く、とても竹刀の所作のように自由には扱えない。江戸時代の真剣は刃長二尺三寸(70センチ)以下に所持が規制された。

として北斎漫画図録の絵がのせてあります。
60848175_300713934211298_1027765079564615680_na.jpg

筆者は日本の中世史が専門で武道史は研究対象外だと思うのですが、この記述ではかえって読者にこの記述が真実だと思わせてしまいます。おそらく著者の頭には現代剣道の試合がまずあり、そこから幕末の試合を想像したのだと思います。

 1つ目は流派によって胴は用いられず、また用いていた流派であっても基本的に胴体を保護することが目的で、胴はあまり打っていなかったこと。絵にも防具の胴は描かれていません。
 2つ目は、この絵を見てもわかるのですが、竹刀は現在の竹刀と異なり、防具を着用しても長い間、袋撓が用いられていたので記されているように「現在と同じ「四ツ割竹刀」で打突する「竹刀打込試合」が始まり」というわけではなく、現代式の竹刀の使用は大石進種次を待たねばならなかったこと。北斎漫画を見てわかるように面垂には刺し子まで描かれていてかなり詳しく描かれていますが竹刀の絵には先革や中結っもなくのっぺりしています。これは袋撓だからです。文字数の制限で簡略に記述したのかもしれませんが、これが史実として受け入れられては著者の意図と反するでしょう。
 3つ目は「竹刀の標準的長さである柄ともに三尺八寸(115センチ)は、もし真剣であれば重く、とても竹刀の所作のように自由には扱えない。」という記述です。刀はバランスによって随分軽重の感覚が異なりますので、重くて扱えないというのは、現代居合道か現代剣道の竹刀の扱い方を見ただけの文章かと思います。用い方が異なれば扱えます。
 4つ目は、よく言われる俗説です。「江戸時代の真剣は刃長二尺三寸(70センチ)いかに所持が規制された。」  これはあくまで俗説にすぎません。広島藩では二尺八寸五分までの所持は許されていますし、久留米の加藤田平八郎は江戸に出たころは三尺の刀を腰にしていたようです。

 〈常識〉VS.〈史実〉をセールスポイントにした書籍であっても常識にとらわれています。書籍を鵜呑みにするのは禁物です。

DSC_1440a_201905211647169ad.jpg

 
  1. 2019/09/27(金) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

鵜呑みにしない 2

 昨日、『武士の日本史』という本について述べましたが、この本にはほかにも?と思える記述があります。

 「首級をとるのは刀でなければならなかったからだ、というこの場合主に脇差のような短めの刀が使われたらしい。」

 これも誤解してしまうような文章です。多少、時代劇を見たことがある人なら、短刀ではなく1尺を超えた1尺5寸くらいの脇差を思い出すと思いますが、それでは長すぎ、短刀と書くべきだろうと思います。

 幕末の軍政改革について

  「これらの改革によって、まず、弓術・犬追物・柔術・水練といった従来型の武芸が廃れ、刀・鑓も戦力としての価値を失ってゆく。」

 とありますが、確かに弓術・犬追物・柔術・水練そして鑓(銃を持つと鑓はもてないため)はその稽古が藩によっては廃止されていいますが、剣は「接戦の要」として廃れることはなく稽古されました。「接戦の要」とは、当時の戦術では銃で打ち合い至近距離になると銃剣突撃を行う白兵戦で勝負が決し、白兵戦が西洋でも廃れていませんでした。武士は以前にも述べたように白兵戦では銃剣の代わりに刀を用いたので剣術は廃れなかったのです。これは私が武道学会で発表した斎藤弥九郎のの野試合にはっきりと表れています。

 ほかにも???の箇所がいくつかあります。

 〈常識〉VS.〈史実〉を本の帯に記した書籍でもこれですから、すべてを鵜呑みにして信じることは過ちを生んでしまいます。

DSC_1399a.jpg

  1. 2019/09/28(土) 21:25:00|
  2. 武道史

段階を追った稽古

 無雙神傳英信流抜刀兵法、澁川一流柔術、大石神影流剣術にはすべて形の目録があり、初心者の段階から稽古していく順番が示されています。この目録に依ることなく初心の形を稽古して少し手順を覚えたら次にいきなり奥の形をしてみても全く効果はないどころか悪癖を身につけてしまうことになります。
 たとえば無雙神傳英信流であれば大森流をやっと覚えたばかりの初心者が詰合の稽古をしても英信流表の座法も身についておらず、虎一足もできないのですから、立膝で正対して右手で刀を引き抜いて手先で張りうけをする悪癖が身についてしまいます。一度身についた悪癖は、その何倍もの時間をかけなければなくなるものではありません。
 澁川一流柔術であれば、やっと込入くらいまで進んだ人が半棒や六尺棒の刀と棒を稽古したら臍下丹田を使う事もままならず、無駄な力を抜くこともできないのですから半棒や六尺棒を小手先で扱う悪癖が身につきます。無雙神傳英信流と同じように一度身についた悪癖は抜けません。
 大石神影流剣術もまた同様で試合口や陽之表を覚えた程度の人が二刀の稽古をしても手の内も出来ておらず、間合いも正確に撮れていなければ真似事にすぎません。ましてや、鞘之内・小太刀等は論外です。
 体験で行うなら1回にとどめ、複数回同じ形を体験で行う事は避けてください。
 はいはいもできない赤ちゃんを無理やり立たせて、無理やり走らせたらどうなるか。いうまでもありません。先を焦る人は必ず遅れてしまいます。
DSC_1413a.jpg
  1. 2019/09/29(日) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

テキスト

 国際武道大学の立木先生に教えていただいた、船橋整形外科病院の菅谷先生が数多くの手術の経験から人体の肩の解剖図が間違っていることを発見されたという事について、船橋整形外科の理学療法士の方と話をしたことがあります。
 理学療法士の方はその発見のあとに理学療法士の施術の方法まで変わり、講習でもテキストをそのまま信じ込むことの危うさについての話があったと話されました。
 鵜呑みにすることの危うさの例の一つです。
DSC_2507a_20190523113638015.jpg
  1. 2019/09/30(月) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

FC2カウンター


無料カウンター

プロフィール

貫汪館館長(無雙神傳英信流 大石神影流 澁川一流)

Author:貫汪館館長(無雙神傳英信流 大石神影流 澁川一流)
無雙神傳英信流抜刀兵法、大石神影流剣術、澁川一流柔術 貫汪館の道標へようこそ!
ご質問のある方は貫汪館ホームページに記載してあるメールアドレスからご連絡ください。記事へのコメントではアドレスが記されてないため返信ができません。

カテゴリー

ブログ内検索

リンク

このブログをリンクに追加する

最近の記事

月別アーカイブ