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無双神伝英信流 大石神影流 渋川一流 ・・・ 道標(みちしるべ)

無雙神傳英信流抜刀兵法、大石神影流剣術、澁川一流柔術を貫汪館で稽古する人のために

さらに奥

 私たちは古武道の流派の稽古をしていますので、〇〇理論とかを新たに作り出すわけではなく、また進化発展して〇〇理論から△△理論が生まれるわけではありません。流派をつないでこられた先生方が稽古されたことを稽古させていただいています。〇〇理論などというものが生まれてくる余地はありませんし、中途半端な理解でそのようなものが生まれてくるとしたら稽古しなくてはならないものが理解できていないがゆえに自己に都合の良いように改変している可能性を疑わなければなりません。
 さて、私たちは稽古しているうちに理解できた体得できたと思う時があります。そのときにその時点で安心してしまうと上達は止まってしまいます。実はその奥、さらにまたその奥と果てしなく奥があるのです。その奥を求めることなしに分かったと思ってしまったら、後進に簡単に追い抜かされてしまいます。求め続けてください。

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  1. 2018/12/01(土) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

簡単に見えるものほど難しい

 一見簡単に見えるものほど、その実、難しいという事はよくあります。大石神影流の鞘の内の手数は非常にシンプルですが、本気で稽古すると自分自身の粗が良く見えてしまい、情けなくなってしまいます。また大森流の初発刀や、英信流表の横雲などシンプルであるがゆえに妥協は許されないので難しいものです。
 初心者の方にはシンプルなものは簡単だと見えてしまいますが、そこを過ぎてしまえば難しさがわかるようになります。

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  1. 2018/12/02(日) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

覚えたら忘れる

 初心者の方にとって形・手数の手順を覚えることは難しく思われるかもしれませんが、手順は何度も稽古しているうちに体が覚えてしまいます。
 体が覚えない方はいつまでたっても頭の中で手順を考えながら稽古しているからで「次はこう、次はこう。相手がこうくるはずだから次はこう動き・・・」と考えながら稽古しているためです。そのような稽古をしていたら自由になれる筈もなく、武道としての上達はありません。形や手数で相手が変わり、身長や体重、手の長さ足の長さが違う相手に対して、自分が覚えた手順を相手にお構いなしに繰り返しているのですから自由にはなれないのです。
 本当の稽古を重ねていれば、たとえ相手が間違えた動きをしても、自分はそれに応じることができるようになるものです。

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  1. 2018/12/03(月) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

何をしていても稽古にはなる

 居合の師匠が良く話されていましたが、稽古に来る時に自動車の運転を心静かに焦らずに落ち着いてしてくればすでに道場に入る前から心が整っているので、稽古することはすべて身につく、反対にいらいらと焦って運転してくれば心が落ちつかないので、なかなか稽古にはならない。
 これは稽古前だけのことですが、すべてのことは稽古になります。むしろ武道の稽古と日常生活を切り離して考えることの方が違和感を覚えるようになると思います。自動車の運転もそうですし、いつもの歩行や歯磨きの動きすら稽古となります。心の稽古は言うまでもないことで、日常生活において、周りに気を配りながら心を乱さないことが一番の稽古です。
 心がけ次第で稽古時間はいくらでも持つことができるものです。

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  1. 2018/12/04(火) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

相手がいない

 素抜き抜刀術の稽古では想定が生きていない場合があり、自分勝手に想定している場合がよくありますが、このような稽古を続けてしまうと、太刀打や詰合の稽古をしても一見流れがあるように見えながら、相手にお構いなしにただ自分のペースで動き続けていることがあります。何とか形になっているのは相手が応じて動けているだけですので、十分に自分が何をしているかを反省しなければなりません。

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  1. 2018/12/05(水) 21:25:00|
  2. 居合 業

ゆっくり稽古する

 無雙神傳英信流の素抜き抜刀術は一人稽古であるため己を知るのにたいへん有益な稽古です。
 自分の動きを知り、自分の心と体の歪みを正すためには普段よりゆっくり稽古する必要があります。ゆっくり稽古することによって自分の体のどこに、いつ、無理無駄な動きがあるか、どこで心の偏りや力みがあるのかがはっきりわかってきます。わかったらゆっくりとそれを正し、普段の稽古にいかしてください。

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  1. 2018/12/06(木) 21:25:00|
  2. 居合 業

礼法

 礼法も流派によって異なります。澁川一流柔術では蹲踞礼を行いしかも両拳を床につけます。まるで相撲のような礼をしますので、初心者の方はずいぶん戸惑うようです。
 礼法も流派によってさまざまで居合に蹲踞をする流派もありました。片膝だけを床につけて礼を行う流派もありますし、本当に様々です。
 無雙神傳英信流抜刀兵法の袴捌は多くの流派から見れば特殊なもののようですが、実はこの袴捌の中に上達のための稽古が隠されています。
 稽古される方は、絶対というものはないのだと考えてください。

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  1. 2018/12/07(金) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

親指

 刀の保持においても素手の時の柔術の手の内の働きでも親指は重要な働きをします。親指が生きていなければ刀は活きず、親指が生きていなければ、相手に自分の動きが通りません。
 微細な動きなのですが、果たす役割は重要です。工夫してください。

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  1. 2018/12/08(土) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

積み重ね

 稽古量はごまかすことができません。技術は拙くても稽古していることは見て取ることができますし、たとえ器用であっても稽古量はそれほどでもない事は見えてしまいます。
 週に1回の稽古であっても余裕があるときに週に2回稽古する心がけがある方と、週に1回だけと決めている人ではおのずと差が開いてきますし、今は稽古を頻繁にできる状況になくても、かつてしっかり稽古した方は基盤があるので上達していきます。

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  1. 2018/12/09(日) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

あんな動きを真剣でできるはずはない

 貫汪館の演武の写真を良く撮ってくださる方が演武の時に聞いた話です。私の写真を撮っているときに近くにいた方が「あんな動きを真剣でできるはずはない。」と話されていたそうです。いつも写真を撮ってくれている方は私が演武に何時も長めの真剣を使っていることを知っており、私の真剣が先重であることも知っているので面白いことを話されるなとおもったそうです。
 そのように話された方は、一応刀を持ったことがあるのでしょうが、私の長めの刀が軽く動くので舞か何かで用いる軽い模造刀だと思われたようです。現代剣道で用いる竹刀の長さの刀は使えないものという考え方もあるくらいですから、確かに流派によっては使い方が異なるのでそのように見えるのかもしれません。ただ私たちの流派では長めの刀を用いますし、長めの刀で「抜き付け」を行います。それはそのような遣い方を稽古によって身につけるからです。
 貫汪館で稽古する方は自分たちの基準で他の流派を判断することはしないでください。

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  1. 2018/12/10(月) 21:25:00|
  2. 居合 業

護る

 いわれのない暴力から人を護るために自分を犠牲にすることは非常に尊いことです。実際にそのようなことも少なからず起こっています。
 しかし、残念なことに正しい心があるだけでは人を守ることはできず、暴力を正しい言葉によって抑えられることも稀です。そこには相手の状況を冷静に判断できる心と、暴力を抑えるための術が必要になります。澁川一流柔術は素手対素手の喧嘩の技術ではなく、相手が刃物を手にしたときに、これを抑える技を習得することを主な目的として術技が構成されています。
 江戸時代の武士の「一生の間にあるかないかわからぬことのために稽古する」という文を読んだことがありますが、身につけていればよかったと後から考えても遅いものです。
 師の畝重實先生は「役に立つかどうかは別にしてあれば心強いもの」と話されていました。

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  1. 2018/12/11(火) 21:25:00|
  2. 柔術 総論

現代武道の経験

 古武道の稽古をはじめてみようという方の中には「剣道や柔道の経験はないのですが、大丈夫でしょうか。」と質問される方がおられます。古武道は現代武道の経験者が稽古する者だという思い込みがあるようなのです。
 現代武道は競技として発達していますので、それぞれの種目に特化した特別な体の用い様をします。一方古武道は基本的に全てのことがこなせなければならない前提で組み立てられています。
 槍を落とした、槍が折れたとき、刀は使えないとは言えません。刀が折れた、落したときに、素手では戦えないとは言えません。槍術、剣術、柔術、棒術と分化している流派であっても、全てに通じる体の用い方を稽古しなければなりません。
 そういう意味で一つの競技に特化した体の用い方をする現代武道の経験は、古武道の稽古にマイナスの部分も大きく存在するのです。そしてそこを払拭するために長い時間を要することもあります。古武道の稽古を始めるにあたって現代武道の経験は必要ないといえます。

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  1. 2018/12/12(水) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

この場限りの稽古

 形稽古は、その場一度限りの稽古だと覚悟を決めなければ上達できません。一度目に失敗しても次に正せばよいという考えをもてば私たちの稽古している古武道では上達はできなくなってしまいます。
 私たちが稽古しているのは形を見事に使うためではなく、形を通じて上達するためです。一度しかない場で如何に自由に働けるかを稽古しています。二度目がある、次に正せばよいという思いは、今回は駄目でも次があるというゲーム感覚を身につけさせます。
 私たちが稽古していることを用いなければならない場があったとすれば、一度限りで次はない場なのです。

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  1. 2018/12/13(木) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

終始一貫

 自分で言い出したことがころころ変わってしまうのは誠がないからなのですが、言い出した事が他者に影響を及ぼすことであったら、ころころと言うことが変わって良いわけはありません。
 他者に影響を与えるのに言うことが変わるのは自分の都合しか考えていないからです。古武道を稽古するのは、心の稽古、倫理観の稽古でもあるので、稽古する方は自分が言い出した事を自己中心的な考え方でかえて、他者に迷惑をかけることは絶対にしてはなりません。
 終始一貫でなければなりません。

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  1. 2018/12/14(金) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

ゆっくり動いて確認

 無雙神傳英信流抜刀兵法で上達して初心の頃と比べるとはるかにスムーズに速く動けると感じるようになった時、自分の動きがいい加減で雑なので速く動けるように錯覚しているのか、本当に上達しているのかを確認する方法があります。それはゆっくり動くことです。ゆっくり動いて、それでもなおかつスムーズに動けていればよし、もしごつごつと動きにぶつかる所や滞るところがあれば、たんに雑なだけだとわかります。
 試みてください。

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  1. 2018/12/15(土) 21:25:00|
  2. 居合 業

形は続けて稽古する

 初心者であっても形・手数の手順を覚え、理が理解できたら一つ一つの形・手数を続けて稽古しなければなりません。例えば大森流であれば大森流の手順を一通り覚え、動けずとも理がわかったら続けて動くことによって、その理を体得していきます。たとえば大森流では初発刀、左刀、右刀、当刀を続けることによって抜き付け時の体の開きの理が体得できさらに陰陽進退を続けることによって抜き付け後の固まらない自由な状態である理が体得できさらに・・・と続きます。大石神影流も陽之表、陽之裏、三學圓之太刀それぞれの手数のグループが続けることによって理を体得させるように組み立てられています。
 一つ一つ区切って稽古するのは指導者が誤りを正し工夫することを指示した時、また一人稽古で質を高めようとするときに行うようにしてください。

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  1. 2018/12/16(日) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

自分の変化を楽しむ

 古武道を稽古している方の多くは初めは何か新しいことを身につけようとして稽古します。自分が持っていないものを身につけて自分が広がっていくというイメージです。
 しかし、しばらく稽古を続けていくうちに新たなものを身につけていくというよりも自分自身が変化することによって、これまでできなかったことができるようになるのが分かり始めます。ここまで到達すると、自分の変化を楽しむことができるようになり、稽古が楽しくなってきます。ほんのわずかな変化が楽しめるようになってくるのです。そのような感覚をもてるようになった人は上達し続けます。

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  1. 2018/12/17(月) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

年数ではなく

 稽古を重ねることは上達のために最も大切なことですが、ただ稽古年数が長いだけでは本当に上達していくことは困難です。
 必要なのは気付きです。自分自身が変化しなければ上達していきませんが、自分自身の心と体の状態にきづけているかどうかが大切です。それは内なるものであって、形の手順をたくさん覚えたということとは異なります。自分の状態を細部に至るまで理解し、どこに躓きがあるのか、どこが自分の上達を阻害しているのかに気付けばそこを変えていくことができます。気付かなければ同じことを繰り返しているだけになってしまいます。

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  1. 2018/12/18(火) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

流れ

 形・手数の稽古には流れが必要です。いちいちゴツゴツとぶつかり、流れが止まっていたらそこは隙になってしまいます。ゴツゴツと動きが止まってしまうのは強く打とう、強く突こう、強く投げようという思いがそうさせていますので、思いは変えなければなりません。初めは不安になるかもしれませんがしっかりと基本を身につけなければなりません。

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  1. 2018/12/19(水) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

自分の変化

 古武道を稽古している方の多くは初めは何か新しいことを身につけようとして稽古します。自分が持っていないものを身につけて自分が広がっていくというイメージです。
 しかし、しばらく稽古を続けていくうちに新たなものを身につけていくというよりも自分自身が変化することによって、これまでできなかったことができるようになるのが分かり始めます。ここまで到達すると、自分の変化を楽しむことができるようになり、稽古が楽しくなってきます。ほんのわずかな変化が楽しめるようになってくるのです。そのような感覚をもてるようになった人は上達し続けます。

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  1. 2018/12/20(木) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

日常生活も同じ

 無雙神傳英信流抜刀兵法、澁川一流柔術、大石神影流剣術の多くの部分が共通しており、基礎をしっかりと身につけていけば、三つの流派を習得することは困難ではありません。むしろ、どれかを習得できないとすれば、どれだけ稽古していたとしても基礎を身につけてはいない事になります。
 また、広い目で見れば、そこで身につけた基礎は日常生活につながる共通するものであり、逆に言えば日常生活の中で稽古できる事でもあります。稽古が日常生活と結びつくようになれば、かなり理解できたことを意味します。

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  1. 2018/12/21(金) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

打太刀

 打太刀はただ相手に斬りかかっていけばよいわけではありません。相手の状態に応じ相手を導くように少し上で斬りかかっていきます。その心構えがあれば形を合わすという意識でダンスのように動かずとも自ずと調和がとれた形・手数になります。
 打太刀を勤めるときにどのような心で行っているかを振り返ってください。

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  1. 2018/12/22(土) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

手順ではなく

形・手数を手順の稽古であり、手順を覚えるのが稽古だと思っていたらいつまでたっても真の上達はありません。いつも言っているように形や手数の手順は決められていても、いかようにも動けるところを稽古するのであって、次は打太刀がこうくるから、こう動くのだという稽古をしていたらいつまでたっても自由に離れません。打太刀の動きに応じて動いたその動きは、千変万化できる動きであるのか、そのようにしか動けない動きであるのかを自分自身に問いながら稽古してください。

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  1. 2018/12/23(日) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

見せたい

 形・手数は上達のための手段であり、他に見事に行っているように見せるためのものではありません。そこを勘違いされる方も中にはあり、演武の時には見せるような動きをしたい、見事に見せたいと演武されることもあります。素人目には素晴らしく見えるかもしれませんが、見える人から見ればそのような心と動きは簡単に見て取れ、レベルがわかるものです。
 そのような色気を捨てなければ真の上達はありませんが、人に良く見られたい、素晴らしく思われたいという思いを捨て去ることはなかなかむつかしい事のようにも思います。

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  1. 2018/12/24(月) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

正しいものを伝える

 一般の社会でもそうですが、古武道の世界で最も醜いものに捏造があります。捏造にも様々なレベルがあり、最もひどいのが存在すらしていなかった流派をひそかに伝えられていたとして公開して指導する流派、同じくらいひどいのが失傳した流派を実は伝わっていたとして公開して指導する流派。このような流派が古武道の団体に加盟して活動している場合もありますから、素人の方はいかにも見栄えの良い捏造流派に騙されてしまいます。
 それらに比べてやや軽いかも知れませんが、失傳寸前でごく一部の形が伝わっていたにすぎないのに、多くの形を想像であるいは伝書に基づく想像(正確なものとは限りませんから想像です)で稽古して昔から伝わっているかのように演武する流派(復元の形であることを明確にしている場合は別ですが)。
 創作武道であるにもかかわらず「古」という文字を付け自分のビジネスの道具にしている者もいます。
 また、最初は研究として復元を始めた流派であっても、時がたてばその流派の師範と名乗る人物が現れることもあります。そうなるとその流派を勢力的に広めようとさえし始めます。
 古武道を知らない方にとっては何が本当で何が嘘なのかはわかりません。このようにして本物は忘れ去られ、やがては古武道そのものが世間からは胡散臭いものだと思われるようになっていくでしょう。

 正しいものを正しく伝える努力を正しく伝えている人たちが行っていくことが、古武道と真実を守ることになります。そのために何をしていくべきか、今後の大きな課題です。

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  1. 2018/12/25(火) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

上達を妨げるもの

 上達を妨げるものはたくさんありますが、不要なプライドが大きな妨げとなるものの一つです。
自分は何年稽古してきた。自分はだれにも負けないくらい稽古量が多い。自分にはほかの武道の経験がある。自分には年の功がある、人生経験がある。自分には筋力がある。自分の社会的地位は・・・。
 このような不要なプライドが強ければ強いほど新たなものに取り組み自分を変えることは難しくなってしまいます。
 何もない素直な子どもたちや、自分を捨てることができる方の習得はすみやかです。

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  1. 2018/12/26(水) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

改めて、改めて

 稽古は自分を改める連続です。昨日は不要なプライドについて述べましたが、不要なプライドは自分を改める邪魔をします。築いてきたものを変えたくないからです。自分自身が良いと思って築いたものを、それが間違いであると指摘されても改めることができなくなってしまうのです。
 私自身は大学生の頃、また卒業後に先生の指導を受けるのは連休や長期休暇の時だけになり、それ以外は自分自身で一人稽古をせざるをえませんでした。当時はインターネットもないので映像を確認していただくこともできず、広島に帰った時のみ指導を受けていましたが、自分では正しく稽古を重ねていたつもりでも、指導を受けるたびに、「また、下手になった」と言われていました。自分では正しく行ったつもりでも自分の我意に基づく稽古を重ねていただけだったのです。広島で指導を受け、方向修正をしていただき、また帰ったときに指導を受けるという繰り返しでしたが、このときに自分を改めることが身につきました。自分自身でいくら稽古を重ねたと自負していても間違った方向に稽古していたら改めることなしに上達はしないからです。
 指導を受けては、自分を改め、また、指導を受けては自分を改める。このようにして上達していきます。

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  1. 2018/12/27(木) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

真剣として使える

 木刀を木の棒として使い続けている状態では形・手数はできません。居合の本当の稽古を通じて刀を使えるようになったのちに木刀を刀として使えるようになります。木刀を刀として使えるようになれば、半棒や六尺棒、十手や懐剣などがそれぞれが持つ機能を活かして使えるようになります。
 工夫してください。

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  1. 2018/12/28(金) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

体も心もぶれない

 上達してくると自分の中心が定まり動きにぶれが生じなくなります。また、体がぶれなくなれば心もぶれなくなります。
 そうなるまでは外側ばかりが働いているので自分の中心の感覚がなく、すべての動きを外側から作っていこうとしてしまいます。形の手順を覚えたというレベルはここなのですが、形の手順を覚えてもなおかつ、その手順をしっかりしたものにしていこうと考えてしまったら道をそれてしまいます。外側のみをしっかりさせようとしますので、決まった手順でしか動けなくなりますし、外側ばかりを作るので体の中心で動くことはできず、中心という感覚を養うことができなくなります。自分ではぶれていないと思ってもブレさせないように固めた動きになっているにすぎません。こうなってしまうと、いくら指導しても聞く耳を持たなくなってしまいます。自分自身がそうすることで安心感を得ようとしていて実際安心できるのですから、それをぶち壊してしまう指導者など指導者ではない。自分を不快にさせる存在だとまで考えていきます。
 心もそうです。固まっていては機に応じた働きはできないにもかかわらず、すべて定まった決まりきったことに安心感を覚えてしまいますので、手順があらかじめ決められていなければならず、また相手にお構いなしに自分勝手な動きをすることが自分の強さだと完全に錯覚してしまうのです。その時その場に応じて動く心の働きなど、養うべくもありません。そのような心の状態を指導されても、絶対に納得はせず、自分はこれでいいとさえ思ってしまいます。こうなったらもう導くこともできません。心がぶれないという事は固まるという事ではなく自由であるという事です。
 体が手順を覚えたら、手順は忘れて己の内なる働きを求める稽古ができれば上達はすみやかです。

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  1. 2018/12/29(土) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

未知のことを知る喜び

 貫汪館で学ぶ外国の方は概して日本人よりも習得が速く、同じ1年の稽古であっても外国人の修行者が数年分の上達をするのに対して、日本人は進んだり後退したりでなかなか上達しない方が多いと感じます。
 その違いは何かというと、外国人の修行者の方が未知のことを知るのを喜び楽しみながら熱心に稽古するのに対して、日本人はなぜか、それを喜び楽しみと感じない方が多いためのようなのです。たしかに、これまでに上達が速やかであった日本人は新たなことを知ることを喜び楽しみと感じ、自分の変化を楽しめる人たちでした。
 この違いはどこから生まれてくるのかわかりませんが、学校教育の違いによるのかもしれません。

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  1. 2018/12/30(日) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

かわる

 時の流れは止まらず、今年も1年が過ぎました。
 武道の稽古は元の我からかわっていくことにあります。得たものを後生大事にするのではなく、また過去の栄光にすがるのでもなく、常にかわり続けることにその価値があります。日々どのようにかわってきたか、その変化を楽しむことができたか。
 修行は常に未知なるものへの挑戦です。未知なる自分を探し求めることと言ってもよいかもしれません。
 今年1年どれだけかわってこれたでしょうか。

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  1. 2018/12/31(月) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

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プロフィール

貫汪館館長(無雙神傳英信流 大石神影流 澁川一流)

Author:貫汪館館長(無雙神傳英信流 大石神影流 澁川一流)
無雙神傳英信流抜刀兵法、大石神影流剣術、澁川一流柔術 貫汪館の道標へようこそ!
連絡先は貫汪館ホームページで御確認ください。

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