無双神伝英信流 大石神影流 渋川一流 ・・・ 道標(みちしるべ)

無雙神傳英信流抜刀兵法、大石神影流剣術、澁川一流柔術を貫汪館で稽古する人のために

履形の礼式 3

 履形で蹲踞礼をした後お互いに立ち上がり「受」は「捕」の中段を突いて行きます。この突いて行くという動きは手の甲は上を向きますが拳で突くのではなく刃物をイメージしてください。力任せに突いて行くのではなく刃物が相手の体に・・・というイメージを持ってください。とくに突いた時に体を固める方がおられますが、イメージしているものが異なっています。
 受は右足を後方に開きながら、突いてきた捕の右手を左手で柔らかな渦に絡めるように巻き取ります。動きを止めることなく流れながら右足を前に出す時には動きの中心が臍下丹田であるので自分の左手は自然に左に開き、巻き取った手は元に戻り、受の右手は回転していき結果としてこちらに背を向けます。この後の動きの説明は省略しますが、全ては臍下丹田を中心に、柔らかくしなやかに強く動き続けます。

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  1. 2016/08/01(月) 21:25:00|
  2. 柔術 業

稽古は初心者と上級者

 澁川一流柔術、大石神影流剣術、無雙神傳英信流抜刀兵法いずれの流派でも二人で組んで稽古する形は基本的に初心者同士で行わせることはありません。
 初心者は何が正しく、何が間違っているのかという判断がつかなかったり、間違った価値観があるために、初心者同士で稽古をすれば稽古をするたびに間違った方向に進んでしまう危険性があります。理解できている上級者がいれば初心者の間違いを正すことが可能ですので、初心者は安心して稽古が可能です。
 例外的に人数の都合上できない場合は上級者の指導のもとで(上級者は常に見ておく必要があります)初心者同士を稽古させることもあります。

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  1. 2016/08/02(火) 21:25:06|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

返投

 澁川一流柔術の形はすべて臍下丹田中心に動き下半身上半身もその動きに従い下半身をひねることも上半身をひねることもありません。また肩から先も丹田の動きに従うので腕だけを使うとか、手首だけを使うということもありません。
 返投は受の手首を決めるために最後に自分の手首を使いがちですが、上記を踏まえて稽古してください。

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  1. 2016/08/03(水) 21:25:00|
  2. 柔術 業

正しく導く

 上級者と初心者が稽古すべきことを述べましたが、上級者であってもできない事があるのは当然ですし、私自身も私に教えてくださった先生方の技や教えをいまだに求め続けています。
 自分ができない事を初心者にできないとは言いづらいために、まれに自分で作り出した小手先の技を教えようとする方が出てくることがあります。無雙神傳英信流抜刀兵法の兄弟子にもおられ、それを私に教えていただきましたが、私がその動きをしていると「誰に教えられた?」と尋ねられ、「また小手先の技を考えてきている。」とおっしゃっていました。
 できない事をできないと正しく認識することによって自分の上達があります。上級者が初心者と稽古するときには、できない事であっても「自分はいまだにできないが、このように。」と導かなければなりません。

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  1. 2016/08/04(木) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

出来ないという認識

 昨日述べたことの続きです。昨日述べたように示されたことができないときに、求め続ける人・あきらめる人・できているように見せかける小手先の技を考える人の三つのタイプの方がおられるように思います。
 あきらめる方は初めから稽古に対する情熱は少ないので仕方ありません。小手先の技を考えたくなる方は上達しようとする意欲は持っていながら、短期間で上達したいと思ったり、初心者にできないと思われたくないという思いが強く道をそれる方です。上達するためにはどのようにすれば正しく上達できるのかを工夫することが早道なのですが、できるように見せかけるほうを選んでしまうのです。小手先の技を身につけてしまえば道は閉ざされてしまいます。
 出来ないという認識があれば上達しなければという思いがわきますが、小手先の技を工夫したらその思いは消えてしまいます。出来ないという認識があれば四六時中工夫を重ね、体を感じ、少しでも変化があればまた工夫が楽しくなっていき、そこから道は開けていきます。

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  1. 2016/08/05(金) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

体幹の動きを観る

 上級者は初心者の経験からは理解できない動きをしていることが多いので、速く見えても実際にはゆっくり動いていたり、重いものを軽く扱っていたり、軽いものに重さを加えていたりします。
 しかし、初心者の方が外見をまねして素早く動こうとしたり、重いものを筋力に頼って扱おうとしたり軽いからと言って力任せに扱ってしまう傾向があります。
 初心者の方が観るべきところは外見ではなく体幹の動きです。柔術の場合であれば投げられたり抑えられる者ではなく技をかけている者の体幹であり、居合や剣術であれば刀や木刀ではなくそれと一体になった者の体幹です。見る目を養っていけば外見上の動きと内面の動きが異なっていることが理解できるようになります。

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  1. 2016/08/06(土) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

真意を探る

 体の動きはすべて言葉で表せるものではなく、むしる言葉で表せない事の方が圧倒的に多いものです。居合・柔術・剣術の指導のさいに補助的に言葉を用いますが、観て取っていただくことの方がはるかに重要です。
 言葉は人それぞれで持つニュアンスが異なっており、微妙なところを言い表すのは困難です。それを自分の感覚で理解し、自分の頭で整理して動こうとすると大きな差異が生じてしまいます。言葉の奥底にある真意をみつけるよう努めてください。

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  1. 2016/08/07(日) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

理合を知る

 刀は立てれば倒れようとします。握りしめずに横にすれば切先は落ちようとします。抜付けの際右手で抜けば切先は伸びません。六尺棒を廻すのに高い位置で廻そうとすれば臍下丹田中心の動きは途切れます。半棒で打込むときに右手で握りしめていれば棒は自由に働きません。座礼をするときに上半身を倒そうとすればお尻は浮きます。
 物事には理合があります。体を通じて会得してください。

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  1. 2016/08/08(月) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

手の内

 刀を持った時の手の内と六尺棒・半棒を持った時の手の内は異なるのか?
 答えは「基本的には変わらない」です。
 棒は手の内を滑らせ、両手の間隔も広く、そういった意味では異なっていますが、打込むとき、突くときは力が1点に集中しなければならず、いい加減な手の内であれば打込んだときにも突いた時にも力は分散してしまいます。
 「力を込めて」と思って握りしめて打ったり突いたりすれば、力は自分の内にこもり、力んだ感覚は残っても伝わっていくことはないものです。

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  1. 2016/08/09(火) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

内面を求める

 形を身につけようとして先に外形の刀の軌跡や手先の働きを覚え、あとから内側の働きを身につけようとしてはなりません。あくまでも内側の働きを求め、その結果外形が次第にできてくるという求め方をしなければなりません。
 内側の働きを身につけるには時間がかかり、外形の真似をするのは短期間で済みます。早く上達したいと思う方は道を間違えて外形を身につけるほうを選びますが、外形を覚えていくら同じように形をなぞっても物真似にすぎず、本当に身につけるべきものは身に付きません。それどころか物真似できることに安住して、異なることをしていることにさえ気づかなくなります。そして月日がたてば自分が兄弟子として後輩に示したくなり間違った道に誘うようになってしまいます。
 時間はかかっても王道を進めば、ある時急に道は開けてきます。

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  1. 2016/08/10(水) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

木刀は刀の代用

 大石神影流剣術では比較的長めの木刀を用い、その分多少重さもありますが、同じ長さの刀に比べると軽いものです。また無雙神傳英信流抜刀兵法や澁川一流柔術では標準的な木刀を用いますのでさらに重量は軽くなります。
 ここで気を付けなければならないのは木刀はあくまで刀の代用として用いているということです。重量が軽ければ刀では行えないような動きもでき、小手先で遣うこともできます。しかし、あくまでも刀を用いる代わりとして木刀を用いますので、刀を使う動きで木刀を用いなければなりません。そうしなければいくら外見を見事に使っても、それは絵空事になってしまいます。
 気を付けなければなりません。

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  1. 2016/08/11(木) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

上達するための稽古

 上達するためには心を広く持ち自分の動きと心のありようを少しずつ向上させる必要があります。そのためには、教えられたことを正しく求めているのかを一度一度確認しつつ稽古しなければなりません。そうすることによって次は駄目なところを改めようとして工夫することができ、毎回向上していくことができます。反対にダメになっていく稽古は何も工夫せず、ただ繰り返しているだけの稽古で、ただ繰り返すことにとってダメな動きが定着してしまいそこから抜け出せなくなってしまいます。
 同じ時間をかけるのであれば上達するために稽古しなければなりません。

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  1. 2016/08/12(金) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

動きの中心としての臍下丹田

 下半身と上半身を統合して動きの中心となるのが臍下丹田です。
 ただし統合するためには下半身の緊張を去り上半身の緊張も去る必要があります。上半身は比較的感覚が発達しているので緊張をなくしやすいのですが、下半身は常に力を入れておかねば立てないために緊張しているのか、最低限の筋力しか用いていないのかはなかなか分かりにくいものです。
 下半身の緊張をなくす手がかりが鼠蹊部にあり、鼠蹊部が緩んでいるかいないかを確認し、その緊張をなくすように努めれば比較的下半身の緊張を解きやすくなります。
 上半身と下半身の緊張を取るようにつとめて初めて動きの中心としての臍下丹田が働き始めます。

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  1. 2016/08/13(土) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

ゆっくり静かに

 昨日述べたように動きの中心としての臍下丹田が自覚できるようになっても、技をかけ始めたら、刀を振り始めたら、臍下丹田から中心がなくなり、上半身中心の動きになってしまうことがあります。
 このような場合技をかけるのが上半身であり、刀を振るのが上半身であるために、安易に技を掛けたい、刀を振りたいという思いが勝ってしまい臍下丹田から動くということを忘れ去ってしまいます。思いがなければ動きができるはずはないのですから、無駄な稽古を繰り返してしまいます。
 初心者がゆっくり静かに稽古しなければならないのは、心を鎮め、体を鎮めるためなのですから、初心者の方は、上級者のまねをしようとしてはいけません。

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  1. 2016/08/14(日) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

手馴れた動きを排す

 しばらく稽古していると正しく稽古しているつもりでも道を外れていることがあります。それに気付かずに稽古をしていると間違った動きが定着してしまい、どうしてもそこに安住しようとしてしまいます。稽古は日々新たに、日々前に進むために行いますので手馴れた動きに落ち着いていたら進歩はありません。今日の稽古は今日新たになり、明日の稽古は明日新たになるために行います。これまでやってきたのだからという思いは上達を阻害するだけです。

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  1. 2016/08/15(月) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

我を忘れない

 一生懸命に稽古することと我を忘れて稽古することは同じことのように思いますが、稽古においては我を忘れてはいけません。
 稽古のたびに自分を向上させていかなければならないのですが、我を忘れてしまえば自分が行っていることもわからず、よかったのか悪かったのかもわからないため自分で自分を正すことができません。自分自身を分析できる力が必要です。

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  1. 2016/08/16(火) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

呼吸に乗せて動く

 動きに無理がある方の多くは呼吸と動きがつながっていない場合があります。大石神影流で有声の気合いをかけているから息は吐いている。澁川一流柔術でも有声の気合いをかけているから息は吐いている。という単純なものではありません。
 有声の気合いをかけている方であっても呼吸に動きがのるのではなく、動いてからそのあとに気合いをかけている場合があります。

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  1. 2016/08/17(水) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

潜リ投

 先日の講習会で気づいた大切なポイントを記していきます。
初めに澁川一流柔術の「潜リ投」についてです。「潜リ投」の最も大切なポイントは右手で受の右手首を捕ったあとの左手の動きにあります。

1.左手は左足の動きにつれて出すこと(臍下丹田の向きが変わるまで出さない)
2.右手が丹田の動きと連動して初めて左手で受の右手を捕ること(連動しなければ、そうなるように稽古すること)
3.左手は尺骨と橈骨が自分の掌と平になるように捕ること

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  1. 2016/08/18(木) 21:25:00|
  2. 柔術 業

浪人捕

 澁川一流柔術の「浪人捕」は肘を極めるとのみ思っていたら全く異なる動きになります。

1.丹田の向きの変化が右腕の動きとなる。
2.自分の左手は受の右腕に巻き付いていく(接触しながら動く)
3.そのまま受の腕を締めながら最後まで動く。
4.肘を極めるという思いではなく、右腕全てを絞る感覚

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  1. 2016/08/19(金) 21:25:00|
  2. 柔術 業

返リ投

 澁川一流柔術の「返リ投」は技の初めが最も大切です。但し、稽古では実際に厳しく技をかけると受を痛めることがありますので手加減しつつ稽古してください。

1.左手は受の右手首を正しく上から抑える(次の動きを急いで斜めから捕らない)。
2.丹田の向きの変化が左腕の動きとなる。
3.右足の動きとともに左手は丹田の向きと同方向に動き、それにつれて右手は出る。
4.受の拳の人差し指・親指側と自分の右手の指先の接触そして掌まで少しの圧を伴って滑らしながら拳を捕る。

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  1. 2016/08/20(土) 21:25:00|
  2. 柔術 業

負投

 澁川一流柔術の「負投」は掛け方を間違えると受にケガをさせることになりますので必ず留意点を守りながら行ってください。

1.左手は受の右ひじの肩よりを捕る。
2.受の脇の下に自分の肩が位置するように入る。
3.受の身長が自分と同等または高い場合には遠慮せずに投げる(中途半端に投げると頭から落ちる場合がある)。
4.受の身長が自分よりかなり低い場合には、その程度に応じて配慮する。

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  1. 2016/08/21(日) 21:25:00|
  2. 柔術 業

裏投

 澁川一流柔術の「裏投」は右手で胸を押し倒す形でもなく、喉輪で倒す形でもなく、喉を締める形です。したがって受の喉に掛かった右手は受の喉の形状に応じた開きになっていなければなりません。
 時に勘違いしている方がおられますので留意してください。

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  1. 2016/08/22(月) 21:25:00|
  2. 柔術 業

巻返の受

 澁川一流柔術の「巻返」の受の動きは床に這いつくばらずに両ひざを立てます。この方が受けるダメージが少なく、また上級者にしか指導しない裏形につながってきます。
 工夫してください。

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  1. 2016/08/23(火) 21:25:00|
  2. 柔術 業

返投

 澁川一流柔術の「返投」を小手先でしようとすれば自分の体も崩れてしまい、最後に小手先で極めようとしてしまいます。

1.全て返に捕るときは右手を自分の体と離しすぎない(臍下丹田とつながった間隔を保つ)。
2.右手はすみやかに受の右手を取り、右足が出るときには両手で受の手を返していく。

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  1. 2016/08/24(水) 21:25:00|
  2. 柔術 業

返投 2

 「返投」の続きですが、臍下丹田と両手がつながった間隔があれば最後までどちらにも偏らせないことが大切です。左右のどちらかに偏っていたら臍下丹田とのつながりが外れていることを疑ってください。
 また臍下丹田の動きが受の右手をきめ続けます。したがって動きを止めてきめるというものではなく動き続ける過程できまっていきます。

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  1. 2016/08/25(木) 21:25:00|
  2. 柔術 業

捻付

 澁川一流柔術の「捻付」は「押し付」ではありません「捻じる」動きの途中で受の右腕が床に接します。

1.受の右手を取った右腕は丹田の動きと共に右方向に動く。
2.したがって自分の右手の親指側が働き、受の腕は小指側が下になる。
3.受の右腕の肘関節上方に親指の内側がかかり圧が加わる。
4.その時の他の四指の働きは柔投の右手の働きと同じ。
5.受の肘は内側に絞られる。
6.結果として受の腕は捻じられる。

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  1. 2016/08/26(金) 21:25:00|
  2. 柔術 業

絞リ

  澁川一流柔術の「絞リ」は右手の動きが中心となります。受の右手首をとった右手は臍下丹田とつながりそのまま丹田の動きに伴って受の右手は絞られていきます。左手で受の腕を回転させるわけではありません。丹田が使えなければ自分の右手も働きませんので受の右腕も絞られては行きません。しかし、できないからと言って左手で受の右腕を回転させようとすれば永遠に自分の丹田は働くようにはなりません。小手先の技を使ってはいけません。

1.右手で返に捕るときは自分の親指と人差し指または中指が受の手首関節をとる。
2.したがって最後まで掌は受の手首の肘関節側に位置する。
3、左手をかけるのは相手が崩れたのち(左手で崩すことはない)。
4、最後に左ひじ関節で受の乳裏を抑える動きは腰が落ちていれば必然的にそうなる(肘で抑えようとして重心を浮かさないように)。

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  1. 2016/08/27(土) 21:25:00|
  2. 柔術 業

三藝併修

 貫汪館は無雙神傳英信流抜刀兵法・澁川一流柔術・大石神影流剣術の三流派を稽古する道場です。いずれか一つや二つに偏った稽古はしません。
 主として江戸時代に発展していった古武道は刀を抜きにして語ることはできません。無雙神傳英信流抜刀兵法は基本から刀を持って稽古します。また柔術的な形である大小詰・大小立詰もあり、柔術と無関係ではありませんし、詰合は居合と剣術の中間的な形で、太刀打は剣術の稽古と言っても過言ではありません。
 大石神影流剣術は剣術を中心に長刀や棒術・鞘之内(居合)の手数があり居合や六尺棒を用いる澁川一流柔術と無関係ではありません。また、江戸時代の武士であれば子供のころから常に刀を腰にしており、刀が体の一部と言ってよいくらい身近なものですが、現在、木刀のみで稽古していればなかなか刀の感覚はつかめめないため、無雙神傳英信流抜刀兵法の稽古が必要不可欠です。
 澁川一流柔術はいわゆる格闘技の素手対素手を前提とした武道ではありません。はじめのうちは素手と素手で稽古していても、その目的は短刀や刀などの刃物から身を守ることにあります。したがって棒が身近にあれば棒を用いて身を守り、十手や分童・鎖鎌などの稽古もするのです。
 柔術だけを稽古してしまえば、なかなか間合の観念が身に付かず、したがって似た動きをして斬りかかってはいても形の要件を満たさず、受の動きもいい加減なものになり上達はしません。ましてや棒や鎖鎌・十手・分童などを用いるには間合の感覚が不可欠になるにもかかわらず、その感覚が育っていません。また現代人は手作業の農業をするわけでもないので、鍬・鍬や鎌などを使う手の内も知らず、刀や木刀を用いた稽古をしていなければ手の内を身につけることもできません。
 簡単に述べましたが、上記の理由から貫汪館ではまず、無雙神傳英信流抜刀兵法の稽古をしていただき、次いで大石神影流剣術・澁川一流柔術の稽古を始めていただいています。
 
大石神影流1a
  1. 2016/08/28(日) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

居合の稽古で今自分ががんばっていること

 横浜支部で稽古している男の子の居合の3級の論文です。自分を知ることが上達の早道です。良く自分を分析できていると思います。

 僕が居合の稽古で、とくに気をつけてがんばっている事について書きます。
まず、居合の足の動きを逆にしないことです。これは、抜きつけの時に、よく足が逆になってしまうので、どちらを出すか注意しています。
 つぎに、栗形がどちらか向きを確認して、刀をおさめます。僕は、よく刀を逆におさめてしまうので、栗形をさわって、刀の向きを確認してからおさめるようにしています。
 さらに、ゆっくり刀をおさめるようにしています。なぜかと言うと、早くおさめるとカチャンと音がして、ぎょうぎが悪いからです。
 最後に、刀に対する礼の時に、自然と刀を前に出しすぎてしまうので、もう少し手前におくように気をつけています。なぜかと言うと、刀を取る時に、左手を床についてしまうので、つかなくていいように、もう少し手前におくよう注意しています。
この4つをよく間違えてしまうので、居合の稽古のときに、この4つを特に注意してなおすようにがんばっています。

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  1. 2016/08/29(月) 21:25:00|
  2. 昇級審査作文

居合で身についたこと

 横浜支部で稽古している女の子の居合の3級の論文です。良くかけている論文ですので大人の方も参考にして稽古に取り組んでください。

 私は、居合を始めて一年と七ヶ月です。その一年と七ヶ月で身についたことが、三つあります。
 一つ目は、新しいわざがむずかしくても、「挑戦する」ことです。この挑戦は、ふだんでも自然とできるようになっていました。
 二つ目は、先生の話をよく聞き、真剣にけいこにとりくむことです。先生が言ったポイントなどに気をつけることで、より早く、正確に覚えられるわざが多くなりました。
 三つ目は、わざ一つ一つに集中することです。何かほかのことを考えながら行うと、かん単なミスをしてしまいました。でも、そのわざ一つに集中すると、ミスがすくなくなりました。
 これらのことができても、私は今年の目標にしたいことがありました。それは、先生が言っている「やわらかく」です。気をぬくと、いつの間にかひざがのびきっていたり、うでに力がはいったりしていました。だから、やわらかくを目標にします。「やわらかく」は居合の目標だけではなく、日常生活でもそうです。私には、すぐイライラしてしまう、悪いくせがありました。だから、日常生活の目標でもあります。
 これからも、先生の話をよく聞き、けいこにとりくみ、目標をたっせいしたいです。

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  1. 2016/08/30(火) 21:25:00|
  2. 昇級審査作文

武道における礼と無雙神傳英信流抜刀兵法における礼法について

1.武道における礼
 武道における礼の意味を考える際に、対比としてスポーツでの礼が引き合いに出されることが多い。対比することで違いが明確になると共に、歴史から進むべき姿が明らかになる。このため本文でもスポーツとの対比を述べる。なお、ここではスポーツの中でも、元が武道であった柔道を挙げ、武道と対比して述べることとする。
 柔道はスポーツと変わったため、オリンピック競技になるなど、世界的に広く受け入れられてきたが、その一方でスポーツ化に伴い、ルールの策定、審判の存在といった武道に無かった要素が加わった。加わったことにより、同時に無くすものが出るなど大きく変化して行った。変化したものは、試合時間や、試合場所(範囲)、階級、急所への攻撃、そして礼である。文化の異なる世界に広めるには、致し方ないことであり、これにより世界に広げることには成功したのだが、本来の武道とは大きくかけ離れてしまった。特に礼を始めとする日本文化に特有の精神性は、傍から見て評価が難しく、ルールの分かりやすさが重要なスポーツでは、次第に無くなる方向にあるようだ。決められたルールの中での勝敗が全てのスポーツでは、礼は始めと終わりマナーへと変化していき、その精神や、動きの中にある意味は次第に忘れ去られているように見受けられる。柔道での柔道着のカラー問題のように、世界に広がるにつれ古い伝統は忘れ去られ、代わりに新たな変化が重要視され、結果さらなる変化が予測される。現在では、まだ礼の大切さを説いてはいるものの、精神性が重要視されており、動作の意味を説いてはいないようである。
 たとえば、柔道の当初の坐礼は、両足の爪先を立てて礼をしていた。これは柔道の元となった起倒流と同じ動きであったが、昭和初期には、足の甲を畳につける姿勢に変わっている。また座り方も右座左起から、左座右起に改正されている。礼法の形は変わっても、相手を思いやる気持ちなどの精神性が変わらなければ良いとの考えであり、ここに動作の意味は消失している。
 精神性は同じ日本人のなかでも伝えることが難しい。これを世界に広げることは、さらに難しく、したがって変化の方向に動くと思われる。実際、柔道の場合、神前の礼は稽古場および試合場への礼があるが、これは元々神前の礼であった。創始者が宗教性を排したことから、設立当初から神への礼でないとされてきた。しかし宗教上の理由から、中東や北米での礼の拒否が問題になったことがある。現在では、柔道の礼は宗教性はないと判断されているが、前述の問題を受け、礼の目的の明確化が必要となり、「試合が行われる神聖な場所」との神聖性すら排除するに至っている。
 礼ばかりでなく、技やルールなども、今後世代を経るに従い、原型を留めないままに変化すると思われる。
 スポーツの礼が、意味を無くし急速に変化していくのに対し、武道の礼は、全く変化してないと言える程、変化のスピードが遅い。ただし遅いのであって生まれた時から全く変わってない訳ではない。それは伝統技術を継承していくように、先ずは師の動きや考え方までも完全にトレースし、受け継いだ後に創意工夫を加えてゆくためである。この中でも武道における礼は、心構えや精神ばかりでなく、その流派の基本の動きを内包している。基本を変えることは、その流派の存続にかかわる。このため変化へのブレーキがかかり、時代を経てもほとんど変化してゆかないと考えられる。
 今この時代に武道を稽古する我々も、後代へ伝えてゆくには、礼の意味を深く理解し、実践してゆかなければいけない。


2.無雙神傳英信流抜刀兵法における礼法
 無雙神傳英信流抜刀兵法の礼は、①神前の礼、②刀礼、③相手への礼の3つある。師への礼は別にして、稽古に関わる全てに対し礼を行う。
 大森流は、一般に大森六郎左衛門が新影流の鞘の内5本と、長谷川流抜刀術より11本を考案し、小笠原流礼法の正座を取り入れ完成させたとされているが、実際は幾つかの流派を基に編纂された可能性がある。いずれにせよ、一つの流派から生じた訳でない。江戸時代に編み出されたこともあり、立膝でなく正座から始まる。これは刀礼にも見られる。

①神前の礼
 神前の礼は、武道の神である鹿島神宮の武甕槌大神と、香取神宮の経津主大神を対象にしているが、通常の神社で行う二拝二拍手一拝ではなく、一礼のみである。
 無雙神傳英信流抜刀兵法の神前の礼は、他の多くの居合の流派に見られるように、右手に刀を持ちかえて、刃が神前に向かないようにしてから礼をする。この姿勢では刀が抜けないため、神前に対し刀を抜く意思が無いことを示す。この礼は、稽古の安全を祈ると共に、心を鎮める役割を果たすと思われる。
 神前とは言え、実際に神棚がない場所での稽古が多く、こちらが神前と予め決めた場所に向かって礼をする。このため神前の礼は、稽古場所への礼でもあると言える。稽古の後にも神前の礼をするが、これは、神前に稽古の無事を感謝すると共に、稽古場所への感謝の気持ちを持って行うべきと考えている。

②刀礼
 神前への礼に続いて刀礼が行われる。刀礼は、刀に対し稽古をつけてもらうお願いの礼であるが、その所作は、無雙神傳英信流抜刀兵法の抜刀の基本が内包せれている。刀を前に、上体が倒れてゆくに従い、左手が自然に前に出て床に着く。さらに倒れてゆくと右手も前に出て、両手がそろった所に額が下りてくる。臍下丹田が主で、手はそれに伴って動くのであって、手を先に出す意識で行うと、いつでも動ける自由な状態ではなくなる。この動きは、礼の後に上体を起こす時も同じで、手は上体を起こすに従いついてくる。一度上体を起こした後、下げ緒を持って刀を膝先に引き寄せて立てるが、この時も手の力で引き寄せるのでなく、体の動きで引き寄せる。続く刀を倒して帯にさす時には、手の力で倒したり引き寄せたりするのでなく、刀が倒れる力を利用して倒し、帯へ誘導する。このように刀礼中の動きは、臍下丹田を動きの主とし、日常生活でつい行ってしまう、手が主になる動きを改めることを意識するべきと考える。
 刀礼を稽古することにより、臍下丹田の力を利用する基本を学びとることができるばかりか、刀を倒す動きは、刀の動きを邪魔しない運剣の動きに繋がる。毎回、稽古始めと終わりの2回行うが、稽古の始めの刀礼では、これら2点の注意点を思い起こさせることができ、稽古の終わりには、本日の稽古が無理な動き出なかったか反省することができる。

③相手への礼
 大森流の11本では行わないが、相手への礼もある。前述の2つの礼が、神前(場所)、刀への礼であったが、この礼は稽古相手への礼である。稽古をつけてくれる相手への礼であるが、いついかなる時に切りかかられても対処できるよう、相手への注意を怠らない。
 本来、礼式での礼であれば、相手を意識しての礼ではあるが、襲いかかってくることを想定はしない。この礼でも、礼をするのであれば、感謝の気持ちをもってすべきであり、いつ襲いかかってくるかもしれないといった気持ちで行うのではなく、あくまでも気持ちは感謝しつつ、体は何事にも対処できる状態にあるべきだと思われる。対処できる状態とは、臍下丹田を意識しつつも、居着かない状態であり、頭を下げても、相手とのつながりを意識することで、相手を感じている状態であると考える。

参考文献
 1) 内住先生:貫汪館 横浜支部ホームページ「稽古日記」
 2) 中村勇・濱田初幸:柔道の礼法と武道の国際化に関する考察、鹿屋体育大学学術研究紀要、第36号、2007年.
 3) 村田直樹:講道館柔道に於ける礼法の変遷について、鹿屋体育大学国際武道シンポジウム、2008年.
 4) 森本先生:貫汪館 ホームページ「道標」

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  1. 2016/08/31(水) 21:25:00|
  2. 昇段審査論文

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