無双神伝英信流 大石神影流 渋川一流 ・・・ 道標(みちしるべ)

無雙神傳英信流抜刀兵法、大石神影流剣術、澁川一流柔術を貫汪館で稽古する人のために

頭頂連合野

脳の頭頂連合野という部分の機能について記してあるものを抜き書きすると

 主として空間認識の中枢です。
 「外界と自己の関連を認識」し、自己周囲の空間の定位と注意に重要な役割を演じている。

 というように記してあります。自分の体ではない刀や木刀、六尺棒や半棒、鎖鎌などを扱うにはこの部分が働くことが不可欠なのだろうと思います。
 また素手の柔術をしても相手との間合をつかむには不可欠な部分であろうかと思います。刀などを使うのが苦手であったり、間合の感覚がいい加減になる方は、そのようなこともあるのだと意識してください。

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  1. 2016/02/01(月) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

苦手意識

 貫汪館で稽古している無雙神傳英信流抜刀兵法、澁川一流柔術、大石神影流剣術はいずれもシンプルな動きで相手に対処する形で構成されており、基本的な部分は同じで細部にも共通性が多くあります。
 もし、いずれかの流派に得手不得手があるとすれば、ずっと先に進んで稽古に稽古を重ねた後であり、わずかの違いで得手不得手を感じるものだと思います。
 あまり稽古もしていないうちに「苦手である」と感じるのはまさしく稽古していないからであり、苦手だと感じる流派があるとすれば三つの流派ともに共通してできていない部分があるにもかかわらず、特定の流派においては、それができていると錯覚しているにすぎません。
 自分をみつめ、苦手ではないと思っている流派が本当にできているのか、できていると錯覚しているだけなのか深く求めなければなりません。

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  1. 2016/02/02(火) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

棒廻しと柔術の手の内

 澁川一流柔術の六尺棒の棒廻しは手の内が固い状態であれば棒はごつごつと廻り生きて働きません。同じように回転していても内容が異なるのです。
 棒を生きて廻せるようになったら、その手の内を素手の柔術に応用できらなければなりません。ところが棒が廻せるにもかかわらず、相手の手首を取ろうと力づくになったり、とった後に離すまいと力を込める方がおられます。棒を廻す時と同じように、つかず離れず、柔らかく重い手の内でなければ本当の技は生まれてきません。工夫してください。

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  1. 2016/02/03(水) 21:25:00|
  2. 柔術 業

握りしめない

 澁川一流柔術の六尺棒の形は突技を中心に構成されています。
 突き技と言っても形稽古ですから実際に相手を突くわけではなく体に当たる直前で棒を止めます。この止める動作の時に両手を強く握りしめて止め、それを突きの威力と錯覚される方があるようです。強く握りしめて感じるのは自分の力みであって棒の威力ではなく、力みを力強さと錯覚しているだけなのです。
 体の末端を使って棒を扱うわけではないので、棒が止まるのは体の中心からの働きを止めた結果として棒の動きも止まるのです。ここを錯覚していては上達はありません。

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  1. 2016/02/04(木) 21:25:00|
  2. 柔術 業

附け

 大石神影流の「附け」の構えが中途半端になるのは切っ先をそこに位置させようという思いが強く、有るべき位置に切っ先が来たらそれで安心してしまうからです。弧を描いて上った切先は相手の左目に指向すべく降りてきますが、このときに切っ先を下すという意識ではなく切っ先を相手につけるという意識を持たなければ「附け」の構えにはなりません。附けた切先からは自分の丹田から流れるものが柄頭を通って発し、相手に届かなければなりません。工夫してください。
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  1. 2016/02/05(金) 21:25:00|
  2. 剣術 業

脇中段と肩に構える

 大石神影流の脇中段と無雙神傳英信流の肩に構えるのとは異なっていますので上段と同じく区別しなければなりません。同じ構えだと思ったら手数・形が成立しなくなります。
 大石神影流の脇中段は一度振りかぶってから斬り下ろしますが、無雙神傳英信流の肩に構えたところからはそのまま斬り下ろしていきます。
 したがって違いは大石神影流では鍔が顔の横に位置して右肘を張るのに対して、無雙神傳英信流では鍔は頭頂部に近くまで上がり、右肘は引力に従って下方に降りています。違う構えだと思って稽古した方が習得が早いと思います。

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  1. 2016/02/06(土) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

間合

 初心者が中級者や上級者と大石神影流剣術の手数の稽古をしたり、無雙神傳英信流抜刀兵法の太刀打や詰合の稽古をするとき、上級者である打太刀におされて十分に間を詰めることができない事が往々にしてあります。
 そのようなときに打太刀が間合が遠いにもかかわらず打込めばその手数の稽古は意味がないものになります。動かなくても当たらないのに、後方に下がったり受けたりすることを繰り返していたら真の間合が理解できなくなってしまうのです。
 そのようなときは打太刀は必ず仕太刀を指導して一歩前に進ませるか、一歩で切り込むところを二歩にして間合を詰めて正しい間合で稽古してください。

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  1. 2016/02/07(日) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

間合 2

 手の内の工夫ができず、木刀を自分の体の一部となしえていない初心者の方に起こることですが、斬りこんだとき、自分の木刀の感覚がないため間合が近くなりすぎ鍔元で切り込んでいるのかという動きになる方があります。また木刀で相手の木刀を受けるとき、自分の拳で受けようとしているのかと思うくらい拳近くで受けようとされる方があります。
 自分の指先が物に触れるときには距離感がつかめているのですから、木刀を持つ時においても木刀と相手の距離感がつかめるように工夫を重ねなければなりません。

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  1. 2016/02/08(月) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

間合(澁川一流)

 澁川一流柔術は「履形」「吉掛」という相手との距離がある状態からの形のグループから稽古をはじめ、次に「込入」という相手と接した状態からの形。また次には「打込」という相手と離れた状態からの形の稽古をするようになっています。
 これは澁川一流柔術が相手が刃物を持っている前提の稽古であるために初めのうちに間合の感覚を養う稽古をしているのです。したがって受(技を受ける方)がいい加減な間合で突いて行けば、捕(技をかける方)は手順の稽古はできても本当の技の稽古はできません。間合の感覚が養えないために、身についたものは虚構の上に成り立っているものですから何かあっても役に立つことはありません。
 受を務める方は初心者に対して激しく突いて行く必要はありませんが、少なくとも相手の体に届くような突き方をしてください。さもなければ澁川一流の稽古が「履形」「吉掛」から始まる意味はありません。

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  1. 2016/02/09(火) 21:25:00|
  2. 柔術 業

間合(澁川一流)2

 澁川一流柔術の「込入」「四留」などの形は相手と接触した状態から始まる形です。しかしながら間合の感覚が不必要なわけではなくさらに繊細な間合の感覚が必要となります。
 相手に接触した状態で相手が押してきた場合、相手は自分の有利な状況にもっていこうとします。その状況を変えるためには相手の意図した動きの外に自分を位置させる必要があります。微妙にずらすのです。間合の感覚が育っていなければ、これはできず、お互いに力がぶつかり、力ずくの業とは言えない動きで相手を制せざるを得なくなってしまいます。

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  1. 2016/02/10(水) 21:25:00|
  2. 柔術 業

勢いや力に頼らずに

 柔術の稽古をはじめ形の手順を覚えたころから、次第に技を効かせようとする欲が起こってきます。しかしながら、いまだにレベルの高い動きが身についているわけではないので、簡単に動きがそのまま有効な技になるわけではありません。
 そこで、技を効かせるために、筋力に頼ったり勢いに頼ったりし始める時がありますが、そういう気持ちが起こったら自分を戒めなければなりません。また、多少稽古を積んだ方でも体格差が大きい場合に何とかしようと思うあまりに、筋力に頼ったり勢いに頼る気持ちが起こる場合があります。
 そのようなときは、実は上達する機会であり、自分はまだ本当の技が身についていないのだと自分自身を省みて、技の工夫を始めなくてはなりません。効かないのが普通なのです。

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  1. 2016/02/11(木) 21:25:00|
  2. 柔術 業

真直ぐに

 阳剱は言うまでもありませんが、ただただ真直ぐに自分の太刀を相手の頭上に落とします。相手の動き、特に相手の太刀の動きに惑わされてそれにつられてしまっては技としては成り立ちません。
 張身、夜闇、一刀両断などの手数には自分の太刀と相手の太刀がただ交差するだけで相手を切らない動きがあります。初心者の方はあるいは稽古をある程度している方の中にも、間合いが近すぎてそのまま太刀を下せばお互いに当たってしまうようなレベルの方もありますが、これは論外ですので各自工夫しなければならないとしても、お互いに太刀を下し交差するときに相手の太刀を気にして相手の太刀に合わせようと斜めに下す方がおられますが、これは絶対にしてはなりません。ただただ相手の中心に斬り込みます。この時相手の太刀と自分の太刀が接しなくても、かまいません。自分が正しく真直ぐ動いていて鎬が接しなければ、相手の動きにずれが生じています。逆に相手がまっすぐで自分の動きが歪んでいれば鎬は接しません。自分の動きを再確認してください。

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  1. 2016/02/12(金) 21:25:00|
  2. 剣術 業

肩の遊離

 澁川一流柔術の稽古で肩を体から遊離させてはなりません。遊離してしまえば臍下丹田とはつながらなくなり体幹は使えず、技は肩・腕だけでかけざるを得なくなります。
 肩が遊離しがちなのは履肩・吉掛・込入などで返にとる場合、体の開きが不十分である時、打込などで腕を肩より上にあげる時などです。
 無雙神傳英信流の斬撃を指導を受けながら十分に稽古していたら、刀の重さが手助けとなって体の感覚が発達しているので、体の動きの歪みにすぐ気付くのですが、行っていない方には感じにくいようです。工夫に工夫を重ねなければ会得には時間がかかります。

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  1. 2016/02/13(土) 21:25:00|
  2. 柔術 業

附けの稽古

 大石神影流剣術の「附け」の構えは文字通り相手の顔に切先を付けます。自分の臍下から柄を通り、切先を通って相手にいたっています。したがって相手はうかつに前に出てくることができません。
 「附け」を身につけたいと思ったら、そこから突きの稽古をしなければなりません。たとえ手数にあらわれていなくても、「附け」から突くことはこの構えの大前提です。不必要なことは考えずひたすら数を重ねて突いてください。

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  1. 2016/02/14(日) 21:25:00|
  2. 剣術 業

理合を教える

 稽古を始めて間もない方には手順を教えなければ動けません。しかし、少したって手順を覚えた方には理合を指導しなければなりません。これは新たな形を教える場合にもあてはまります。
 手順は理合から生まれてきたものですから、いつまでたっても手順を教えていると、習う方には気付きはなく、ただ手順を追うようになり、死んだ形しか使えなくなってしまいます。
 稽古は最終的には自由になるために行いますので、理合から動きが生まれるように導かなければ本当の稽古とは言えません。

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  1. 2016/02/15(月) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

弟子を育てることは自分を育てること

 貫汪館では6段以上の段位の受審の資格として支部長として弟子を育てていることという条件があります。
 単に肩書きが支部長というだけでなく、実際に弟子を育てていなければ自分のさらなる上達は困難だからです。支部長として自分の門人を育てているのと、兄弟子として弟弟子を導くのとでは自分の上達に雲泥の差があります。求められる覚悟が全く異なるからです。
 弟子を持つということは単に技術を伝達することではなく、全てに責任を持って弟子を育てるということを意味します。その過程で自分の至らぬところ足らざるところに否応なく気づかされます。すべてに責任を持つためには自分の向上は不可欠で、その中で自分の心技の向上があり、また武道に関する知識教養をより深めていかざるを得なくなります。組織の運営についても学ばざるを得ません。今ある自分を良しとすることはできなくなるのです。
 5段に至る前から、しっかりと先を考えなければなりません。

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  1. 2016/02/16(火) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

惑わされずに

 「阳剱」や「張身」などの手数を稽古すると相手の木刀の動きに自分が惑わされるという事実がはっきりとわかります。惑わされると、ただただ真直ぐという単純な動きができなくなってしまうのです。
 これほどはっきり理解できる動きでなくても、人は相手のいろいろな動きに惑わされて自分の動きをくるわせています。どういう状況の時に自分の動きがくるっているのか、自分自身を分析してください。

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  1. 2016/02/17(水) 21:25:00|
  2. 剣術 業

鎖鎌の稽古

 鎖鎌の稽古は我儘がきかず鎖(麻ひも)と分童が自分と一体となっていなければうまくいきません。力任せであると分童が活きて働かなくなり、また間合もとることができなくなるのです。
 鎖鎌が上手く使えない方は、使おうとするのではなく、使おうとする心を去り、いかにしなやかな鎖(麻ひも)と分童と一体になれるかを求めてください。

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  1. 2016/02/18(木) 21:25:00|
  2. 柔術 業

虚飾を排す

 形稽古をし、演武会で演武をしていると、いつの間にか少しでもよく見せようと自分を飾る心が起きてきます。
 剣術であれば「構える」、強く打込む、斬り込んだ後に体を固める。居合であれば「序破急」といわんばかりに動きに区切り、メリハリをつける。斬った時に体を固める。顔を作る。柔術であれば業を掛けた時に体を固めて極めを作る、いかにも早く動いていると見せたいがためにあわただしく動く、懐剣を手にしたら「構え」て自由ではなくなる。等々の動きが生じてきます。
 しかも多くの場合、無意識のうちにそのような飾る心が起こりますので、自分自身をしっかりとみていなければ、間違った方向に行ってしまいます。

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  1. 2016/02/19(金) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

気合を入れて取り組まない

 何かを始めるときに「気合を入れて取り組む」状態は武道以外のことであれば非常に有効であろうかと思いますが、特に古武道の稽古では「気合を入れて取り組」めば往々にして体を力ませたり、一点だけにしか集中できなかったりして、自由にならなくなります。
 「さあやろう」と思う時には心も体も鎮め、心は広く体は自由に無理のない状態になるよう心掛けてください。

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  1. 2016/02/20(土) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

自由は不安

 これまで体を固め心を縛り付けて生きた人にとっては、心も体も自由になることに不安を覚えてしまうようです。
 たとえば居合や柔術では、そこにあるがままの天地に自分の身をあずけた姿勢でなければなりませんが、姿勢を正そうと背筋に力を入れて胸を張り、肘をはって姿勢を作る。剣術や太刀打では木刀を手にして構えをとると、そのまま体を固めてしまう癖が抜けない方。
 集中しようとして「気合」をかけて体を緊張させて物事を始めようとする方。
 このような癖があるのは、心の奥底で自由になるのが不安であるからです。武道の稽古が「修業」という言葉で表される意義を求めてください。

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  1. 2016/02/21(日) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

呼吸の働き

 稽古で心身の力みが抜けない方は深い呼吸を心掛けてください。
 力みがある方は往々にして次の動き次の動きとせっかちで、臍下での呼吸ができていません。形と形の間に間を取り、臍下での深い呼吸を心掛けてから動くようにしてください。また、柔術で「受」を取る方、剣術や太刀打で打太刀をする方は「捕」「仕太刀」「遣方」が深い呼吸をして心体の力みを去るまで待つ必要があります。

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  1. 2016/02/22(月) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

形稽古の欠点

 形稽古で陥りやすい大きな二つの欠点は、対敵動作であることを忘れ、技をかけるところだけを考えて、その前後の工夫がなくなりがちであることと、手順が決まっていることを行うために、手順として動いているにもかかわらず、自分の技が有効であると錯覚してしまうところにあります。
 自分の動きが対敵動作であるかどうかは、なかなか検証しにくいところで、防具を付けて竹刀を持っても、また防具を付けずに袋撓をもちいたにしても、安全性が配慮されているために精神的な働きはなかなか評価できません。ただ、よほど進んだ方を除いて、形・手数を稽古するときに演じている者に全く体・心から出る圧力がなければ、対敵動作にはなっていないと考えてよいでしょう。
 また、その技が真に有効であるかは相手の技があまりに自然で技をかけられたという実感を伴わないうちにかけられていたというところでも判断できると思います。
 形が多少つかえるようになった時点で道を間違えてしまう事が多いのが形稽古ですので、稽古する方は余程自分自身を疑いながら稽古しなければなりません。

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  1. 2016/02/23(火) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

動きの確認

 自分の動きが理にかなっているのか、そうではないのかを確認するためには、ゆっくり静かに自分が確認できる速さで動かなければなりません。
 自分を過信する方はいつも通りに動いていても、自分の動きはわかっていると錯覚しているのですが、そのような方はいつまでたっても向上することはありません。ゆっくり静かに動くことができなければその時点で自分の動きが間違っているのだと知らねばなりません。また、ゆっくり静かに動くといっても、それが目的になってしまう方は意図的にそのように動いているために、自分の欠点にも気づけません。あくまでも自分自身を疑って自分の隙をなくしていくことが目的であるという自覚を持って稽古しなければなりません。

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  1. 2016/02/24(水) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

反る

 初心者の方には正しく座れ、正しく立てるにもかかわらず、木刀や刀を中段に構えると後方に体が反ったり、後足に大きく重心が偏る方がおられます。
 前に出た木刀・刀と体のバランスを取ろうとして自然とそうなっているのだと思いますが、そのままでは自由に動くことができません。木刀・刀を握らず手の内が正せたらより体を緩め、体を床にあずけてください。

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  1. 2016/02/25(木) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

稽古は質の追及

 形稽古はただ手順だけを繰り返し、手順を覚えれば良いのだという考えがあれば低レベルな技が身につくだけになってしまいます。手順は何度か稽古しているうちに覚えますが大切なのは技の質の追及です。
 たとえば、相手を読み、その起こりを抑えるタイミングが正しいのかどうかを考え、遅れているとすればその原因は何なのかを求める。また、この手の取り方が本当に動く相手に通用するのかと深く考えて手の内の工夫をし続ける。受であっても、これは本当に自由に斬り込める懐剣の遣い方になっているのか、刀の遣い方になっているのかという工夫をする。
 昨日よりも今日、今日よりも明日と進化し続ける稽古をしていく必要があります。

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  1. 2016/02/26(金) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

足心

 重心は両足の足心に落ちていかなければなりません。重心が踵にあると剣術の前後への動きが遅くなりたとえば大石神影流剣術の「太陽剣」のように後方に下がって前に出て斬り込む動きが遅くなり、前に出ようとしたときには相手はすでに変化して前に出る前に斬られてしまいます。
 逆につま先の方にかかっていると後方に下がるときには床を蹴ってから動くようになり、床からの反発を待たねばならないために、動きが遅くなってしまいます。
 自由に動くために工夫をしてください。

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  1. 2016/02/27(土) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

張るための間合

 大石神影流剣術の「張る」動きは形を真似するだけでは有効な作用が働くものではありません。
 張る前に大切なのは相手と自分の木刀の位置関係であり、この関係が崩れていたら同じような動きをしても張ることはできずかえって相手が変化して斬り返してくる状況を自ら作り出すだけになります。
 自分と相手との間合い自分と自分の木刀との位置関係、相手の木刀と自分の木刀との位置関係を深く工夫してください。本来、「試合口」で張ることができなければ、陽之表に進むことはできないものです。

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  1. 2016/02/28(日) 21:25:00|
  2. 剣術 業

形稽古をきまった手順の稽古と考えない

 形を手順と考える方は形稽古を通じて上達することが困難です。
 手順が決まっているものと考えてしまえば、相対したときに相手が打ち込んでくるところに対応する身構えをしてしまうため、実際に異なったところに打ち込まれた場合には対応することはできません。相対したときには手順は決まっておらずどこに打ち込まれるかわからない0の状態に自分の体を置いておかねばなりません。また、形の途中であっても相手がどのように変化するかわからないものであるという思いをもって、どのようにでも対応できる状態が必要です。
 これは剣術の稽古に限らず、単純な動きの澁川一流柔術であってもおなじで、対峙した時、技をかける途中にもどのような動きにも対応できる状態になければなりませんし、無雙神傳英信流抜刀兵法の素抜抜刀術においても「生きた相手」を想定しなければならないというのは同じことを言っています。

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  1. 2016/02/29(月) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

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貫汪館館長(無雙神傳英信流 大石神影流 澁川一流)

Author:貫汪館館長(無雙神傳英信流 大石神影流 澁川一流)
無雙神傳英信流抜刀兵法、大石神影流剣術、澁川一流柔術 貫汪館の道標へようこそ!

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