無双神伝英信流 大石神影流 渋川一流 ・・・ 道標(みちしるべ)

無雙神傳英信流抜刀兵法、大石神影流剣術、澁川一流柔術を貫汪館で稽古する人のために

場を読む

 その場で何をすべきか、何をすべきでないか、どのような態度でいるべきか、またどのような態度をとってはいけないのか。これは礼儀作法とも関係することですし、武術と大きなつながりがあることです。

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  1. 2015/12/01(火) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

自分で立つ

 武道の稽古は修行と言われます。自分で課題を解決しなければならないからです。師が教えるのはその人の課題です。弟子に手取り足取り、「足の位置はここ」「手の位置はここ」「切先の高さはここ」・・・と教えていては修行にはならず、自ら道を開くことはできません。 
 いちいち細部に至るまで手取り足取り教えていたら自由であるべき武道が不自由を作る基となってしまい、自由に働くことはできなくなり自分で立つことはできません。貫汪館で稽古する方は自ら会得する覚悟をもってください。

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  1. 2015/12/02(水) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

伝えるもの

 流派の中核は必ず伝えられ、会得されねばならないものです。それなくしては流派ではありません。
 しかし個々の体形、用いる刀・得物によって表面に現れるものは自然に異なってきます。表面に現れるものを「かくあらねばならない」としたら流派を伝えることにはなりません。それは自分の好みを伝えていることになります。
 
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  1. 2015/12/03(木) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

義を見てせざるは勇無きなり

 『論語』の言葉です。何か起こった時に実際に動くのは難しいことかもしれません。そばに自分が守らねばならない者がいる場合には、そちらが優先されることも正しい判断だと思います。
 戦いの場面だけに当てはまる言葉ではなく、日常生活すべてに当てはまります。行動学である武道を学んでいる者が、自分のことのみを考えて動かないということは学んだことは生きていないということになります。
 ただし、「匹夫の勇」は武道を学んでいる意味はありません。行動のための方法論を学んでいるのですからそれを役立てねばなりません。
 とはいっても私の居合は師匠から「森本君の居合は『突撃』だから」と言われたことがありました。自分ではそのつもりはなかったのですが・・・。その後、先生が私に与えられたその課題を日夜考究し、動いてみては考究し、その繰り返しを続けました。

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  1. 2015/12/04(金) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

自己分析

 自己分析ができれば上達への道が開けてきます。
 抜き付けで切先が水平にならず山形になるのは親指以外の四指で握ろうとするからですが、四指だけを正そうとしても難しく肩やひじが鎮まっているのか、親指の向きはどうなっているのかと総合的に自分を見つめなければなりません。
 柔術では特に初心者は結果のみを求めようとする方が多く、かえって技が有効ではなくなるのですが、たとえば「巻返」では肘が決まる前には受に対して入る角度、その時の受の肘状態左膝をついた時の受との位置関係などを分析していかなければ技が有効になることはありません。
 遠回りのように思えることが本当は近道です。 

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  1. 2015/12/05(土) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

 肩は初心者が上達の度合いを知るために有効な指標です。
 大石神影流の稽古で仕太刀が打太刀の正面に斬りこんだとき、無雙神傳英信流抜刀兵法の稽古で逆刀の一撃目や流刀や順刀の斬撃の後、澁川一流柔術の稽古で受を床に抑えた時や半棒で打込んだ時などに肩が体から遊離していないかどうかを確認してください。遊離していればまだまだ腕で技を掛けようとしているしるしですし、治まっていれば、臍下で動けるようになっているよい傾向の表れです。

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  1. 2015/12/06(日) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

復習

 稽古で指導を受けたことは自宅で復習をし、できるだけ自分のものとして次の稽古に臨めば上達していきます。
 もう20年前になりますが師命で無雙神傳英信流抜刀兵法を教え始めたころ入門された方が、よく復習をしてこられるので、師にお話しすると「そのような人だけが上達していく。」と話されたことがあります。刀を手にしなくても木刀を手にしなくてもできる稽古方法もお教えしており、家でかなり稽古されたと思える方もおられます。そのような方は稽古の年数の長い兄弟子をすぐに追い越していきますし、それが当然です。ただし自分で自己流に解釈して家で稽古していたらしないほうがましという状態にもなってしまいますので私心を挟まず、指導を受けたことは何なのかと深く理解したのち稽古しなければなりません。
 
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  1. 2015/12/07(月) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

復習2

 澁川一流柔術の師である畝重實先生に教えを受けるのは週に1度でした。が、以前もお話ししたように次の稽古で先生は必ずどこまで復習をして自分のものにしてきたかを確認されて、次の形を教えてくださいました。
 初めのうちは教えていただける形の数は少なく次第に多くなっていきましたが、必ず確認されました。そしてある時期を境に確認されることはなくなりました。毎回の確認でこれ以上確認する必要はないと思われたのだと思います。復習は毎日しました。居合の稽古日、銃剣道の稽古日の稽古の後にも柔術の復習は欠かしませんでした。それが当然と思っていたからです。
 教えていただける以上教えていただいたことを自分のものにするのは自分がなさねばならないことで、「この程度でいいや」「次の稽古でまた教えてもらおう」という考えをしていたらどうなっていたでしょうか。
 畝先生は黙って、そのままこの程度の人物と思われていたかもしれません。

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  1. 2015/12/08(火) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

復習3

 大石英一先生に大石神影流剣術の稽古を付けていただくのは、月に一度でした。あまりに距離があるので毎週稽古をつけていただくというわけにはいかなかったのです。
 そのため一度の稽古で最大限のものを見て取り復習して自分のものにしなければなりませんでした。
 居合と柔術の稽古を通じてそのような稽古となるのであろうことは予測できましたので初めから先生の動きを細部に至るまで目に焼き付けようと努めました。二度教えていただくことはないという覚悟をもって習いましたので、広島で復習するときには先生がおられなくても眼前で先生が打太刀をしてくださいました。

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  1. 2015/12/09(水) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

言葉ではなく

 自分の目で見、それを体現しようとする稽古は、言葉で教えられ、言葉で覚える稽古よりもはるかに効率が高いものです。「百聞は一見にしかず」は真実です。
 無雙神傳英信流抜刀兵法の師 梅本三男貫正先生は普段の稽古ではあまり見せてくださることはありませんでした。高校生、大学生の頃に他に人がおらずマンツーマンで御指導を受けるときは、鏡を前に一緒に動いてくださったり、向かい合って一緒に動いたりしていただきました。また週に一度大きな体育館を借りての稽古でも見せてくださいました。
 そのように見せていただく稽古の時にどれだけ見て取れたかが、自分がどれだけ上達するかに直結していたように思います。大きな体育館で見せていただくときには見ていても見て取れるものが少なく、マンツーマンでご指導いただいた時に見て取れるものが多かったのは私の心の油断であったと思います。
 柔術の稽古の時に私がお見せするときに顧問の先生が「よく見ておきんさいよ。見せてくれることはあまりないんだから。」というのは真実です。

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  1. 2015/12/10(木) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

見て取るには

 見て取ることができない人が見て取るためのコツを述べます。

 刀、木刀、その他の得物を見ない。
 素手での柔術は技が決まるところを見ず、それまでを見る。
 手順を追わない。

 以上の3つを心掛けてください。

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  1. 2015/12/11(金) 21:25:03|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

日常生活すべてが稽古

 道場で稽古できるのが週に1回の方でも日常生活すべて稽古だと心得れば、稽古時間はいくらでも取れます。
 技の上では
 日々の姿勢・・・椅子に座って仕事をするとき、立ち姿勢で仕事をするとき、すべて姿勢の稽古です。
 繊細さ、臍下中心・・・物を持つ時、置くとき、着替える時、タオルを持つ時等々、すべてが稽古になります。
 対人関係・・・人とあいさつするとき、すれ違う時、物の受け渡し、ペットの相手をするとき等々、相手との心の間合、空間的間合は意識するかしないかで武道に大きな影響を与えます。
 工夫する方は上達します。

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  1. 2015/12/12(土) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

控える

 初心の内には控えて行動することが上達につながります。今の時代、「自分が、自分が」と自己主張をしなければ存在を認められないように思い込む人もいるのですが、控えて師の動き、兄弟子の動きをしっかりと学びます。そののち初めて行動できるようになります。何も知らないのに自分の思い込みのみで無闇に動いてしまえば、全体に大きな損失を与えることになります。
 集合写真を撮るときに「自分が、自分が」という人は前に前に出て兄弟子がどのような順で並んでいるのかを見ようともしません。何をどのようにすべきなのかを学んでいないのに認められようとして行動する人もいます。一事が万事そのような調子では学ぶことはできません。
 誰でも行える下働きは人目につかぬところでしっかりと行います。無雙神傳英信流抜刀兵法の師の道場で稽古が始まる前に道場を掃除しておくのは私の仕事でした。師に道場に出ていただくためにどのような状態にしておかなければならないのかを考えれば、何をしなければならないかはわかります。
 公共の誰でも使える道場では使用状態によって靴を履いて行う外国の武道が稽古した後などは部分的にゴムの付着がひどくすり足に急にブレーキがかかるようなこともあります。ましてや普通の体育館であれば、かなりひどい状況の時もあります。これまで人によっては丹念に掃除し、それを取り除き快適な環境にする方もいますし、通り一遍掃除しただけの人もいます。稽古してみればすぐにわかります。人が多くいれば掃除しましたとアピールする人もあり、さまざまです。が、広く見ている者には見えてしまいますし、必ず技に現れてきます。

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  1. 2015/12/13(日) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

弟子・生徒

 武道では習う者のことを弟子と言ったり、門人と言い、生徒とは言いません。
 生徒という言葉にはどうしても一定の期間に限定された教育する側に対しての教育を受ける側というイメージがあり稽古、修業という言葉とはなじみません。
 また教えるほうから見た場合、弟子という言葉はその人に全力で指導しなければならない重さを感じますが、生徒といった場合その教室の時間だけの関係と感じてしまいます。
 無雙神傳英信流抜刀兵法の師 梅本三男貫正先生、澁川一流柔術の師 畝重實嗣昭、大石神影流剣術の師 大石英一先生と私の関係は師弟であり、生涯の関係です。
 武術には2面性があり、心の修業と言っても、人を傷つける術を伝え伝えられるものです。教室、生徒という考えを持ち、生徒に人を傷つける可能性がある術を教えることはできません。

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  1. 2015/12/14(月) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

気合

 臍下から出た有声の気合いは臍下につながっています。
 気合いと体の動きに違和感を感じてしまう方は、自分の体とは関係なく声が単独でのどから出て単独の音として存在し消えていきます。
 しかし、動きの助けとなる気合いは肚から発し外に出ても肚とつながっている気合です。声を出すのではなく肚から出る息に音がのります。
 工夫してください。

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  1. 2015/12/15(火) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

真似る

 学ぶは真似るとも同じ語源であるとされます。学ぶことと真似ることは近い関係になります。形・手数を学びはじめは真似ることから始めます。初めは手順や外形を真似、手順や外形を真似ることができたら(手順を覚えたら)、本質を学ばなければなりません。この場合の学ぶは英語の study に近く自ら探求していきます。
 ふつうは真似る段階は誰でもできますが、余計な先入観がありそれが強ければ形(外形)も見ることができず、真似ることが難しくなります。つまり見てはいるのですが、こう動いた方がよい、こうあるべきだという思い込みが強ければ強いほど、歪んで見えてしまうのです。こういう状態になるのは以前何らかの武道を経験している方や年齢を重ねている方に多いのですが、素直な方はほかの武道を経験していても、年齢を重ねていても見たままに真似ることができる方がおられます。

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  1. 2015/12/16(水) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

現状分析

 上達は常に工夫研究を続けるところから生まれます。
 工夫研究は現状の分析がなければ行えません。今自分がどのような状態であるのか「体の状態は?」「心の状態は?」と問うことから始めます。大きな所だけでなく足の指、手の指、首の傾き、肩甲骨の状態・・・。あらゆる部分が表に現れるところに影響を与えます。
 問うことなしには始まりません。

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  1. 2015/12/17(木) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

求め続ける

 工夫研究は問うことから始まると述べましたが、工夫研究は絶えず行います。位置で肩・手数の稽古を行ったら、そのすぐ後に、また動いたらそのあとに。
 これまで上達した方はそのような方でした。私は気付くまでに時間がかかりましたが、上達が早い方は私が教えながら私の上達の度合いよりも数倍速く上達していきました。

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  1. 2015/12/18(金) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

 稽古で現れる癖はほとんどが日常生活で身につけた癖です。もし幼少から稽古していて変な癖があるならばそれは指導者の責任です。「一、ニ、三・・・」と小さなころから教えていたら流れる動きはできなくなります。それは指導者の責任なので指導について猛省しなければなりませんし、自分自身の心や動きもすべて疑わなければなりません。
 さて、「足が前後に開いているのに正対してしまう。」「重心が左右どちらかに偏る」「肩が浮いてしまう」等々。このような癖は日常生活の中で正すことなしに正されることはありません。

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  1. 2015/12/19(土) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

力任せ

 力任せの動きと、正しく動いた結果として強い・重い・速い動きとでは全く異なっています。しかし、どうしても力任せの動きをしてしまう方は自分の心を疑ってください。
 「長年稽古しているのだから人に弱々しく見られたくない」「武道というのは初心の内から力強くあるべきものだ」「自分より年下の者に負けたくはない」そのような心はないかどうか心の奥底を探って下さい。

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  1. 2015/12/20(日) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

あるがまま

 全ての間違いのもとは「あるがままの自分」を認めたくないところから起こります。
 人には誰でも「よく見られたい」という思いがあります。その思いそのものは間違いではありません。「よく見られたい」から努めて行い上達し「よく」なっていきます。
 しかし「よく見られたい」という思いが間違った方向に行くと「よく見せたい」ということになります。どんなに外側を取り繕っても見えるものには「ありのままの姿」は見えてしまいます。また外見だけを取り繕っている姿も見えてしまいます。自分より高いところにいるものによく見せる努力は無意味であるどころか自分を駄目にしてしまいます。
 「あるがままの自分」を認めるところからしか上達はありません。

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  1. 2015/12/21(月) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

無理しない

 初心者の人が行いがちなのですが、「多少筋肉痛があっても頑張る」「多少気分が悪くても頑張る」
 無理しなくてもよいです。そのようなときは見取稽古のほうがよほど得るものが多いものです。無理して行って見取稽古もできない状態になってはもともこもありません。
 と言っても、ちょっと怪我をしたといって稽古ができないからと見取稽古にも来ないようでは上達はありません。
 道場の中で、体を動かすしか稽古できないのではなく、上達しようと思えばいくらでも方法があり、見取稽古もそのひとつです。

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  1. 2015/12/22(火) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

朱に交われば赤くなる

 古武道の世界でも、どうしてああいう人たちと関係を持ちたがるかなと思える人たちもいます。御本人は広く世界を知るとか、清濁併せ飲むつもりなのだろうと思いますが、知らず知らずのうちに染まってしまいます。
 貫汪館で稽古する方はウェブなどでのうかつな言動は慎み、交わる方を選んでください。

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  1. 2015/12/23(水) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

 人には一霊四魂があり一霊は天照大神の分け御霊であるといったり、人間ことごとく仏性ありと言います。
 武道の稽古をして上達しないとすれば、霊を曇らせていたり仏性を覆い隠している「我」があります。そこを取り除き、修業をすればそれぞれ上達していけるものです。
 本当の自分を妨げている者は何なのかを探求する方が上達が早い場合があります。

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  1. 2015/12/24(木) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

為せば成る、為さねば成らぬ何事も、成らぬは人の為さぬなりけり

 文字通りです。努めて行えば達成できないものはありません。
 「自分は努力しているのに」「自分ほど稽古している者はこの道場にはいない」と考えている人で上達していかない場合があります。それは実は「為せば成る」をはき違えて稽古しているのです。「このように、こちらに」と導いているにもかかわらず、自分は自分が行きたい方向にだけ目を向け一生懸命努力して間違った道を進んでいます。努力は正しい方向にしていけばこそ「成る」ものです。
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  1. 2015/12/25(金) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

一を聞いて十を知る

 武道の稽古もこうなくてはなりません。
 初心の内は一聞いて一知ることしかできず、また下手にこうだろうと推測して全く違う方へ行くこともあります。初心の内に教えに忠実に習得していけば、稽古を重ねて体系が立体的に見えてくればパズルと同じでこうなるだろうというのは必然的に見えてきます。十知ることも無理ではなくなってきます。
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  1. 2015/12/26(土) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

犬に論語

 どんなに良い教えであっても、わからない者にはあらがたみがわからないから無駄だということ。
 衣食足りて礼節を知るのは人ではなく動物で、常に衣食足りた動物は種を超えて仲良くなることが多いように思います。したがって「犬に論語」よりも「人に論語」のほうが当てはまるのではないかと思いますが、それはさておいて。
 どんなに教えてもわからない人には、初めから自分の価値観が存在し、それを壊すことができません。自分では素直に話を聞いているつもりでも後生大事にしている価値観が邪魔をして、本当のところが聞けていないのです。しかもその頑固な価値観に普段は気付いていません。ゼロになって聞くことができて初めて耳に入ってきます。
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  1. 2015/12/27(日) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

縁なき衆生は度し難し

 仏の教えを聞く機会をもつことができない者、教えを聞いても信じようとしない者は救うことができないという意味のようです。
 これも昨日述べたことと同じです。自分がこうしたいという思いが強くある方、自分の理想像があり、そこから離れたことをしようとは思わない方が、無雙神傳英信流抜刀兵法や澁川一流柔術や大石神影流剣術の稽古をいくらしてもそれぞれの流派で上達することはありません。流派が求める動きをせずに自分がしたいことをしているのですから無理なのです。
 どこかで気づけば、そこから上達の道が開けます。
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  1. 2015/12/28(月) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

鞍上人なく、鞍下馬なし

 人馬一体です。これは馬術のみに限ったことではなく刀を用いても、六尺棒を用いても、半棒を用いても、槍を用いても、鎖鎌を用いてもすべてに当てはまることです。
 自由に手にしたものを扱いたい、素早く扱いたいという意識をもっていたら自分と手にするものはいつまでたっても別物です。自らを無にし自分が刀なのか刀が自分なのかという境地に至れば本当の自由がやってきます。
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  1. 2015/12/29(火) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

教うるは学ぶの半ば

 自分自身が勉強してよく理解していなければ人にものを教えることはできないという意味ですが、本部道場内で兄弟子が弟弟子を導くのは教えているうちに入りません。責任がないからです。全責任を持って自分と師弟関係にあるものに教えることが自分の学びにつながります。
 貫汪館でその段階に至ったら稽古会、支部をつくり全責任を持って教えなければならない師弟関係を築いてください。自分の修業のためでもあります。
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  1. 2015/12/30(水) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

曲学阿世

 世間や権力者に気に入られるような説を唱えるため、学問の真理を曲げて、こびへつらうことを曲学阿世というようです。
 古武道に置き換えれば、大衆受けしたいために役にも立たない華美な技を遣ったり、力強く見せたり、顔を作り形を作っていかにもというフォームを取ったり、二人で組んで勝手に飛んで行ったりということでしょうか。
 貫汪館に無縁のことです。貫汪館の三つの流派は非常にシンプルで地味ですが、そこを追求することが真の上達につながっていきます。
 来年も本当の道を歩んでいきたいと考えます。

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  1. 2015/12/31(木) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

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貫汪館館長(無雙神傳英信流 大石神影流 澁川一流)

Author:貫汪館館長(無雙神傳英信流 大石神影流 澁川一流)
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