無双神伝英信流 大石神影流 渋川一流 ・・・ 道標(みちしるべ)

無雙神傳英信流抜刀兵法、大石神影流剣術、澁川一流柔術を貫汪館で稽古する人のために

国元よりの便り

 瓜生等勝先生の『来嶋又兵衛文書』中の天保15年4月15日の来嶋又兵衛の日記に下記のようにあります。
 
 「今日、防州岩国之者来り、国元より状を、相伝り披見致し候所、孰も無事之様子承り安心致し候事。刀二本持来、先生方へ相見せ候事」

 岩国より来た者が修行者なのかどうかは、わかりませんが、おそらくは旅の途中に来嶋の家に立ち寄ったか、来嶋の家の者が出会ったかで、文を託したものと思います。
 このように、文を託すことはよく当時の日記にでてきます。
 岩国からの者が刀を二本わざわざ、大石先生に見せているのは岩国の刀鍛冶が打った刀であったからでしょうか。


  1. 2015/11/01(日) 21:25:00|
  2. 武道史

休む

 瓜生等勝先生の『来嶋又兵衛文書』中の天保15年4月16日の来嶋又兵衛の日記に下記のようにあります。
 
 「雨天 風邪に付稽古休、出席見候事。今日、剣刀見候事。夜中、薬を用い寝酒を呑候事。」

 当時は、まだまだ医学が発達していないので、体調が悪ければ稽古を休むのが一般的でした。無理をしてこじらせれば命にかかわる事態にもなりかねないからです。来嶋は稽古はしなくても見学には出かけています。
 現代、稽古する方の中には行事の翌日に疲れたという理由で簡単に休み、見学もしない方がいるようですが、これは問題の質が異なっています。私が若い頃には行事の翌日であっても我々以上にお疲れになっている師匠が稽古に出られるかぎり、稽古を休むことなどあり得ませんでした。


  1. 2015/11/02(月) 21:25:00|
  2. 武道史

大石家へ槍術修行者

 昨日の道標に引用した同じ日付の『来嶋又兵衛文書』中の天保15年4月16日の来嶋又兵衛の日記に下記のようにあります。
 
 「今日、昼時、豫州今治家中槍術修行者 名札松平若狭守藩中 佐分利流槍術野崎治助、門人松原六郎、加藤小三太、中西紋太 已上四人」

 大石進種次は現在は剣術で有名ですが、大島流槍術の師範でもありました。
 請われて他藩へ槍術の指導に赴いたこともあります。
 槍術の廻国修行者もよく訪ねてきています。後に他藩からの槍術修行者は加藤善右衛門へまわしたと言われていますが、いつ頃のことか定かではありません。
 二代大石進種昌も、その末弟大石雪江も槍術師範をかねており、柳河藩士には槍術の指導をしています。


  1. 2015/11/03(火) 21:25:00|
  2. 武道史

離杯

 瓜生等勝先生の『来嶋又兵衛文書』中の天保15年4月25日の来嶋又兵衛の日記に下記のようにあります。
 
 「夫より若先生、城下へ参り懸立寄候事。夫より支度致し、万蔵堂々にて先生方へ暇乞に参り、酒馳走に相成候事。夫より中屋敷廉公方へ暇乞に行、正五郎方にて酒馳走に相成候事。夫より廉公、晋太郎、春吾暇乞に来り候事。伊藤東吾方より酒弐升、肴飛び魚十葉、肥水前寺苔貰候事。夫より宿にて半三郎、熊之允、平馬、廉蔵より離杯して酒壱升五合肴いか、馳走致し候事。万蔵自身兼て離杯用意して酒壱升五合取寄置候事。」

 来嶋又兵衛が宮部の大石進の元を去り帰国するときの記述です。
 当時は一度分かれると、それが最後の別れとなる可能性は極めて高く、別れに際しては離杯が何度も行われています。
 来嶋の場合も例外ではなくあつく別れを惜しんでいます。


  1. 2015/11/04(水) 21:25:00|
  2. 武道史

見送り

 瓜生等勝先生の『来嶋又兵衛文書』中の天保15年4月26日の来嶋又兵衛の日記に下記のようにあります。
 
 「夜七ツより起。廉蔵暇乞として泊り居候。支度致候。日向伊吉早朝より來。夫れより支度相調、夫々へ暇乞を申、宿へ弐斗宛茶銭遣し候。伊藤東吾方へ礼状(欠)先生方へ伊藤より貰候酒を差遣置候事。宮部宿より(欠)五郎川嵯久磨、岩松政五郎、楢原茂、野田武兵衛、日向宿より(欠)松崎伊吉、辻隠岐之助、井上最九郎、下村宗七郎、宮部塾正五郎方より英春吾、中村晋太郎、鈴木廉蔵、孰れも立花坂迄見送り之事。長州連中は土屋原出口迄見送り候事。」

 離杯と同じく見送りも当時は次に会うことができるかどうかわからないために、遠くまで行われています。まさしく一期一会の思いがあったのだと考えます。
 今まで読んだ当時の日記には一日の行程を見送り同じ宿に泊まってさらに離杯して別れている事例があります。


  1. 2015/11/05(木) 21:25:00|
  2. 武道史

加藤導場で試合

 昨日の道標に引用した同じ日付の天保15年4月26日の来嶋又兵衛の日記に下記のようにあります。
 
 「城下加藤先生所四ツ時に着し候事。(欠)稽古場へ参り(欠)下り懸け、また松岡五郎(欠)呉候事。其内に本宅へ参り座敷(欠)ゑひのにしめ、たけの子、ゑひの味噌あへ、(欠)茶ん、うつら鳥の塩ものにたけの子、其後(欠)鯛、めのは、色々馳走に相成候事、」

 加藤善右衛門導場へ再び赴いています。来嶋又兵衛は思いを叶えたのでしょう。残念ながらかなりの欠字があるため試合の詳細はわかりません。
 松岡五郎は大石門下です。料理の内容から、来嶋がかなりの饗応をうけたことがわかります。


  1. 2015/11/06(金) 21:25:00|
  2. 武道史

加藤田平八郎

 瓜生等勝先生の『来嶋又兵衛文書』中の天保15年4月27日の来嶋又兵衛の日記に下記のようにあります。
 
 「加藤田へ名前書印主人持せ差遣候事。宿主人帰り、今日八ツ時より稽古可致段申来り候。夫より休足致候所、昼飯仕廻居候処、加藤田平八来、しばらくして加藤田方へ同道致し罷越候所、出席は十四人有之、如例役弐人出張有之、七ツ時より暮時迄相仕廻候事。夫より帰り風呂入休足、其所へ平八来、帳面持参事。まんちう馳走に相成。夫より此方より酒馳走に出候事。」

 久留米の加藤田のもとで試合をしています。修行者宿がある藩では宿の主人が試合の仲介をするのが一般的でした。久留米では加藤田のほかに津田などが試合を受けているのですが、天保15年頃には加藤田以外はまだ盛んではなかったのでしょうか。
 もっとも大石進は早くから久留米の流派とは、試合をしており、加藤田は大石進のもとに奥免許の一人である門人を留学させていますので、大石門下は加藤田の門人との試合は気楽に行えたのかもしれません。
 残念ながら試合の内容については記されていません。
 「帳面持参事」とあるのは来嶋が持参した英名録に加藤田が試合をした加藤田門人の名を記して持ってきた事をいいます。また、「まんちう馳走に相成」というのは加藤田が来嶋をもてなした事を意味し、「夫より此方より酒馳走に出候事」とは来嶋が加藤田をもてなした事を意味し、廻国修行では、このように試合をした者同士の交流が行われていました。


  1. 2015/11/07(土) 21:25:00|
  2. 武道史

見聞

 瓜生等勝先生の『来嶋又兵衛文書』中の天保15年4月28日の来嶋又兵衛の日記に下記のようにあります。
 
 「早朝より起、支度致し候。相宿に博多の町人泊り鼓の稽古致。其師匠に山伏の坊主来教、此坊主已前は水戸家来にて有之、色々咄し致。又、相宿に刀類商人有之、萬蔵言、見候へども格別望敷者無之ニ付不求候事。夫より久留米出立致」

 武術修行の旅はたんに武術だけでなく、様々な知識・情報を得るための機会でもありました。
久留米の宿で来嶋又兵衛は元水戸藩家来で現在は山伏をしている者と話しをしています。
 何を話したのかは記されていませんが「色々咄し致。」とあることから、多くの知識・情報を得たものと思います。


  1. 2015/11/08(日) 21:25:00|
  2. 武道史

帰宅

 瓜生等勝先生の『来嶋又兵衛文書』中の天保15年5月1日から6日までの来嶋又兵衛の日記に下記のようにあります。
 1日に来嶋は帰宅します。
 5月朔日
 「夫より厚保へ七ツ時に着致候事。」

 4日
 「稽古場除草致し候事。夜、近所酒に呼候事。」

 5日
 「神様へ酒を揚、灯明上候事。月代致し候事。宮参詣致し、酒屋へ参り候事。」

 6日
 「吉辰に付稽古場打祓致し候。宮崎大和を呼ひ候事。松村父子、来原、来嶋又六稽古致し候事。」

 帰宅して二日はご近所に挨拶まわりをし、稽古場の除草(この時、城嶋の稽古場は屋外であったようです)。それから日を選んで稽古を始めています。当時は日を選ぶ事が重要であったのがわかります。
 天保15年の日記はこれで終わりです。


  1. 2015/11/09(月) 21:25:00|
  2. 武道史

功過 1

 瓜生等勝先生の『来嶋又兵衛文書』の『功過萬要日記』は弘化3年正月一ヶ月間の来嶋又兵衛の日記です。
 功過とは善行と非行(悪い行いや考え)のことで、来嶋はその日ごとに自分の善行と非行を記録しています。来嶋又兵衞が何を善行と考え、何を非行と考えたのかがわかります。
 来嶋又兵衛には猛将、英雄豪傑のイメージがありますが、これを読むと来嶋が繊細な人物であったことがわかります。来嶋30歳の時です。
 今日は来嶋が何を非行と考えていたのかを記します。原文のままですと意味がわかりにくいところは、わかりやすい文に変えます。

酔乱
親に気遣いさせる
人に難儀をかける
門弟に心配させる
邪意を発する
人をそしる
行状を乱す
人の肴を馳走になる
色々過言有
人の意に相違
鮒とどぢょう煮殺、馳走に相成
夢想に行状崩れる事を思う


  1. 2015/11/10(火) 21:25:00|
  2. 武道史

功過 2

 瓜生等勝先生の『来嶋又兵衛文書』の『功過萬要日記』から今日は来嶋が何を善行と考えていたのかを記します。原文のままですと意味がわかりにくいところは、わかりやすい文に変えます。

親につかえる
家内和合
鳥に食事を与える
犬に食事を与える
牛馬に食事を与える
いたちを助ける
宿無しの旅人を泊める
子供に善事を諭す
旅人に施す
稽古をする
犬を愛す
友に善事を勧める
心学の書を貸す
飯田、来原、新藤へ書物を伝授する
人の不仲を和す
門弟を道に引入、悪を止めさせる
女へ道を改め、勧める
修行者に施す
寺社に参詣
養父先へ参る
古友を訪ねる
道を行う
左官と幸兵衛の不和を整える
人の損じたる道具を繕う
門人50人誓約之事
内輪の者人足へ心付けをし、難をすくう


  1. 2015/11/11(水) 21:25:00|
  2. 武道史

稽古始め

 瓜生等勝先生の『来嶋又兵衛文書』の『功過萬要日記』は弘化3年正月一ヶ月間の来嶋又兵衛の日記ですが、この中に来嶋の導場の稽古はじめの記録があります。
 
正月二日
「雨天 五時より降止。正八ツ時より起、神燈、大福朝祝、廻礼村中寺参之事。
馬乗初、社参、宮ノ馬場にて乗候事。昼後、剣術稽古始之事。」

十五日
「天気宜 朝おそく起、夫より月代致し候。追々稽古人数来、昼後、漸々蔵田幾之進、同西市佐来、柔術稽古始相済候事。出席人数には野上新八、松村高之介、来原豊之進にて御座候事。」

 稽古始めは各地方や流派などで異なっており、かなりおそくに稽古はじめが設けられている所もありますが、来嶋の導場では年明け早々に剣術の稽古を始めていることがわかります。
 柔術の稽古はじめは15日ですが、たまたまそうなったのか、あるいはそう決まっていたのか、理由はわかりません。


  1. 2015/11/12(木) 21:25:00|
  2. 武道史

学館での稽古

瓜生等勝先生の『来嶋又兵衛文書』の『功過萬要日記』は弘化3年正月一ヶ月間の来嶋又兵衛の日記ですが、この中に来嶋が厚狭毛利家の学館朝陽館で道化の家来50人に指導を始めた時の記録があります。

廿四日
「八ツ時に稽古場へ参。一応学館へ参惣人数へ相対致し候。家老中へ相対、其後誓紙相済候事。夫より稽古場へ参、形を遣初させ候事。人数相済、血印済し、門人引取候。吸物、引杯二編、肴の引皿、夫より本盃、肴鉢弐つ、こいの吸物、本膳、壱汁三菜之事。夫より、宿へ帰休足候事。」

廿五日
「早朝より起、要吉来、稽古場出席致し候。惣人数形を遣し候。試合不残二遍余遣ひ候事。八ツ過に相済候事。来原又済候事。伊藤源太左衛門来挨拶候事。門人中不残見送に来候事。」

来嶋又兵衛は天保14年(;1843)に大石神影流の免許皆伝を得たのち、弘化2年(1845)に長州藩の新陰流の一つの流れ(通称平岡新陰流)の免許皆伝を得ていますので学館でどちらの流派を教えたかは記述がないためにわかりません。
来嶋は自分の導場では両流派を教えています。
いずれにしても、誓紙から始まり、形を教習し、血印させ、翌日も形の稽古をさせ、試合をさせています。これが一応の手順であったのだと思います。
来嶋の前に誰が指導していたかわかりませんが、長州藩は萩の剣術師範に防具着用稽古を習わせるため、師範全員を大石進種次のもとに派遣していますので、来嶋以前の師範からも防具着用稽古を習っていたため、早くから試合稽古ができたのたと思います。

 来嶋に関してはこれで区切りとします。

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  1. 2015/11/13(金) 21:25:00|
  2. 武道史

嘉永4年の藤堂邸における剣術試合の様相について 1

9月に行われた日本武道学会第48回大会での私の発表をご紹介していきます。資料は省略します。

嘉永4年の藤堂邸における剣術試合の様相について

Ⅰ はじめに

嘉永4年(1851)5月19日に藤堂藩江戸藩邸において剣術試合が行われたことは鈴鹿家蔵加藤田伝書『剣道比試記』中の「武藤為吉尺牘」に記されており,先行研究(村山 勤治;鈴鹿家蔵・加藤田伝書『剣道比試記』について,武道学研究,6-1 ,pp.60-61,1984)において言及されている。
本発表では『藤堂和泉守様稽古之次第』1)(資料1)(写真1)をもとに,「武藤為吉尺牘」2)と『新資料来嶋又兵衛文書』中の「寄人数試合勝負附」3)(資料2)(写真2)を比較検討しながら上記の藤堂藩江戸藩邸における試合の様相について別の角度から明らかにしたい。

1スライド1
  1. 2015/11/14(土) 21:25:00|
  2. 武道史

嘉永4年の藤堂邸における剣術試合の様相について 2

Ⅱ 『藤堂和泉守様稽古之次第』について
1.資料の所蔵先
本研究に用いる資料は柳川古文書館所蔵の立花織衛家文書に含まれる資料で,柳河藩の人物による記録と思われる。立花織衛家は柳河藩5代藩主より始まり家老職や伝習館上聞などを務めている。4)

Ⅲ 「武藤為吉尺牘」と「寄人数試合勝負附」について
1.「武藤為吉尺牘」
 「武藤為吉尺牘」は久留米藩の神陰流師範 加藤田平八郎の弟子たちの平八郎あての書簡を収めた『剣道比試記』の内の武藤為吉から平八郎あての書簡である2)。
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2.「寄人数試合勝負附」
 「寄人数試合勝負附」は山口県美祢市の西圓寺住職瓜生等勝氏が来嶋又兵衛旧家の襖の下張をはがしてホルマリン消毒の上,分類整理されて解読ののち出版された『新資料来嶋又兵衛文書』所載の資料である。「寄人数試合勝負附」は藤堂邸における試合の勝敗について記録されている。
 本資料には「寄人数試合勝負附」という表題はなく表題は瓜生氏がつけられたもので,試合が行われた日付は記されていない。
31スライド3

  1. 2015/11/15(日) 21:25:00|
  2. 武道史

嘉永4年の藤堂邸における剣術試合の様相について 3

Ⅳ 資料の比較
 『藤堂和泉守様稽古之次第』では試合の日付が5月19日となっているものの試合が行われた年についての記述はない。嘉永4年に行われた試合に関する記述であることを確認するため「武藤為吉尺牘」の記述と下記のように比較する。
 また「寄人数試合勝負附」には試合が行われた年と日付は記されていないが瓜生氏は嘉永4年の試合であると推定されている。合わせて記述内容を比較する。

1.試合場所
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  1. 2015/11/16(月) 21:25:00|
  2. 武道史

嘉永4年の藤堂邸における剣術試合の様相について 4

2.記述された人物
 
(比較のため「武藤為吉尺牘」および「寄人数試合勝負附」の記述の順番を入れ替えた)
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3.試合の組み合わせ

(比較のため「武藤為吉尺牘」および「寄人数試合勝負附」の記述の順番を入れ替えた)
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  1. 2015/11/17(火) 21:25:00|
  2. 武道史

嘉永4年の藤堂邸における剣術試合の様相について 5

上記のように『藤堂和泉守様稽古之次第』に記述された試合が藤堂藩江戸藩邸で行われていること,試合の出場者名および試合の組み合わせが「武藤為吉尺牘」の記述と一致することから『藤堂和泉守様稽古之次第』は嘉永4年5月19日に藤堂藩江戸藩邸において行われた試合についての記録であると比定する。
 また、「寄人数試合勝負附」も試合が藤堂藩江戸藩邸で行われていること,試合の出場者名および試合の組み合わせが『藤堂和泉守様稽古之次第』および「武藤為吉尺牘」の記述と一致し,かつ「武藤為吉尺牘」に記述された「此外男谷之歴々、千葉桃井両家随て剣客一両人ツヽ」とも一致することから嘉永4年5月19日に藤堂藩江戸藩邸において行われた試合についての記録であると比定する。
 なお、嘉永4年に藤堂藩江戸藩邸で試合した大石進は『大日本剣道史』では56歳と記され5),大石神影流剣術初代大石進種次のこととしているが『藤堂和泉守様稽古之次第』に「男谷様ゟ進江七太夫先手御心安くいたし候趣、よろしく申越呉候趣・・・」とあることから嘉永4年に試合をしたのは大石進種次ではなく,二代目の大石進種昌であることがわかる。

  1. 2015/11/18(水) 21:25:00|
  2. 武道史

嘉永4年の藤堂邸における剣術試合の様相について 6

Ⅴ 『藤堂和泉守様稽古之次第』の記述内容

1.打突部位
(1)松岡抜四朗―関繁馬
 打突部位の記述なし。
(2)斎藤新太郎―天野将曹
 打突部位の記述なし。
(3)千葉栄次郎―武藤為吉
 打突部位の記述なし。
(4)大石進種昌―桃井左右八郎
 附・付(突き),面,左腹
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(5)桃井左右八郎―関繁馬
付(突き),面,小手
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(6)天野将曹―大石進種昌
 面,小手,左腹,(面を)付(突き),
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 「面」「小手」「腹」「付・附(突)」という打突部位の記述がある。また、突の部位に関して明確に記述されているのは大石進と桃井左右八郎の記述にある「其後敵乱正懸ケ候ニ付、上よりのり懸面を付跡江引」という箇所だけであり面を突いている。
  1. 2015/11/19(木) 21:25:00|
  2. 武道史

嘉永4年の藤堂邸における剣術試合の様相について 7

3.判定者の有無
本資料においても試合の判定者の存在は確認できなかった。ただし,「別紙試合組星勝負付は男谷様御付被成候を、藤堂様ゟ送り参り、夫を写し差上申候」という記述があるところから男谷精一郎による試合の評価が権威あるものとして扱われたことが推定できる。この「試合組星勝負付」の内容・所在は不明である。

4.「寄人数試合勝負附」との比較
3.判定者の有無
本資料においても試合の判定者の存在は確認できなかった。ただし,「別紙試合組星勝負付は男谷様御付被成候を、藤堂様ゟ送り参り、夫を写し差上申候」という記述があるところから男谷精一郎による試合の評価が権威あるものとして扱われたことが推定できる。この「試合組星勝負付」の内容・所在は不明である。

4.「寄人数試合勝負附」との比較
13スライド13 
 
『藤堂和泉守様稽古之次第』
松岡抜四朗―関繁馬 右試合抜四郎と申者(は)藤堂様御家来ニ而、未(いまだ)程もみじく(未熟)之遣手、繁馬皆打勝候様ニ御座候
「寄人数試合勝負附」
関5本, 合打1本, 松岡5本

『藤堂和泉守様稽古之次第』
斎藤新太郎―天野将曹 右試合五分々々之仕合ニ相見申候、尤業合者(は)斎藤少し打勝候様ニも相見候得共、先ツ五分々々之勝負ニ相決し候
「寄人数試合勝負附」
斉藤6本,合打1本, 天野5本

『藤堂和泉守様稽古之次第』
千葉栄次郎―武藤為吉 右仕合為吉さんざん打付られ、九分一二八位之勝負
「寄人数試合勝負附」
千葉6本,(合)打一本, 武藤(読めず不明)

『藤堂和泉守様稽古之次第』
大石進種昌―桃井左右八郎 進四本計見事ニ打、左右八郎打越壱本
「寄人数試合勝負附」
大石4本,合打1本, 桃井無

『藤堂和泉守様稽古之次第』
桃井左右八郎―関繁馬 繁馬丸まけは品柄打落されたる壱本、左右八郎面壱本見事ニ打れ、外先後相打格別見事の勝負相見不申候
「寄人数試合勝負附」
桃井3本,合打1本, 関5本

『藤堂和泉守様稽古之次第』
天野将曹―大石進種昌 進上段ゟ(より)面を打、小手ニ打込、将曹やはすに切込候処ヲ左腹江進切ぬけ、かるしかるしと申候処を数本、見事と参候由将曹答申候、其後敵乱正懸ケ候ニ付、上よりのり懸面を付跡江引、面三本打申候、将曹より見事之打一本も参不申候
「寄人数試合勝負附」
天野5本,合打1本, 大石7本

 「2.試合の評価」で述べたように『藤堂和泉守様稽古之次第』では歩合による評価と本数比較による客観的な評価が混在しているが、「寄人数試合勝負附」では全て本数比較による客観的な評価を行っている。



  1. 2015/11/20(金) 21:25:00|
  2. 武道史

嘉永4年の藤堂邸における剣術試合の様相について 8

Ⅶ まとめ
1.嘉永4年5月19日に藤堂藩江戸藩邸において試合を行った大石進は大石神影流剣術二代の大石進種昌である。
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2.嘉永4年当時の打突部位は「面」「小手」「腹」「付・附(突)」であり,防具着用の部位と考えられる。また「突」技がどこを着いたかは明確ではないが,面を突いた記述が一箇所ある。
  また,竹刀を打ち落としたことも一本と考えている。
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3.試合の判定者の存在は確認できなかったが,男谷精一郎による試合の評価が権威あるものとして扱われたことが推定できる。
4.試合の評価については歩合による評価と本数比較による客観的な評価が混在しているが,「寄人数試合勝負附」では全て本数比較による客観的な評価が行われている。
  『剣道の歴史』には「嘉永期(1848~54)ころから、諸流派が江戸の各道場において盛んに他流試合を行う中で、まず、伝統的演武性と競技性を折衷するかたちで、全体評価による「歩合」という尺度が用いられ、次いで、安政期(1854~60)頃から盛んとなる江戸の諸判定における御前試合を通じて、試合態度が洗練化し、師匠役や観客(専門家集団)によって、気・剣・体の一致した見事な打突を一本とする本数比較が行われるようになったと考える。」6)と記されているが,本研究から見る限りにおいて,本数比較による評価が始まる時期は若干早く考えることができるかもしれない。



本発表に当っては次の方々に御指導とご協力を賜りました。
広島県立文書館 西村晃様
山口県美祢市の西圓寺住職 瓜生等勝様
柳川古文書館の皆様
 心より御礼申しあげます。



1)柳川古文書館 立花織衛家文書
2)『全日本剣道連盟所蔵(写)鈴鹿家文書解説(一)』,「第57号 加藤家傳 剣道傳書 剣道比試記」財団法人全日本剣道連盟,p.102,2003
 本研究では久留米市立図書館の大日本武徳会武道専門学校同窓会所蔵資料のコピーを用いた。
3)瓜生等勝編著,『来嶋又兵衛文書』第二刷,西圓寺,p.111-p.112,1997
4)『柳川古文書館史料目録第18集 立花織衛家文書目録』,九州歴史資料館分館柳川古文書館,p.1-p.4,2008
5)堀正平著,『大日本剣道史』,新時代社,p.156-p.157,1985
6)編集・発行 財団法人全日本剣道連盟,『剣道の歴史』,p.288,2008

  1. 2015/11/21(土) 21:25:00|
  2. 武道史

大石神影流剣術初段 論文 1

本年度の昇段審査の論文を載せていきます。
大石神影流剣術初段の論文です。

武道における礼と大石神影流の礼法について

1 はじめに
「礼に始まり礼に終わる」と言われるように、武道には、古くから礼という言葉が存在する。今日一般に使用される「礼」には、作法・制度など社会の秩序を保つための生活の規範、敬意を持った振る舞い、またお辞儀などの意味が含まれている〔新村出 広辞苑(礼)〕とされる。
それでは「武道における礼」とは、挨拶や礼儀作法といった私たちが日常で意識する礼と本質的に違う武道独特の意味を持つものなのか。戦う技術である武道と礼とはどのような関係なのか。また、大石神影流の礼法に礼がどのように織り込まれているのか。
本稿では、これらについて歴史的経過を紐解きながら、武道とりわけ大石神影流にどのように向き合っていくのかという観点から標題について考えるところを述べたい。
なお、武道という言葉を用いるにあたり、剣道や柔道と江戸期以前から伝わる剣術や柔術とを対比させた「武道・武術」という言葉の使い方はここでは考慮しない。

2 礼の持つ意味
「礼」の字源を尋ねると、旧字の「禮」について、「醴酒(甘酒)を用いて神に饗するときの儀礼をいう」〔白川静 字統(礼)〕、「神に事えて福を致す所以なり」〔説文解字〕と字義解釈なされるように、本来宗教的な観念をあらわすものとされる。そして、この祭祀の礼は、やがて社会生活全般に対応するための形式化が図られ、社会の制度や秩序原理としての礼となったと言われている。理想国家としての周王朝の再現を目指して徳治主義を唱えていた孔子にとって、礼とは、仁(思いやり・慈しみ)を基本とした道徳基準であり、社会に秩序をあらわすための規範であるとともに、為政者の素養とされる(末次美樹 「武道における礼の教育的価値」駒澤大学総合教育研究部紀要第3号 2008年 p309-310)。孔子を始めとする儒家にとって、礼は単なる形式的な制度や秩序ではなく、理想的な国家を運営するために、理想的な人間として備えておくべき徳目であった。
また、「武」の元々の意味は、武器である戈を手に力強く地面を踏みしめて進むこと〔白川静 字統(武)〕であったが、これが、春秋戦国時代以降に儒家によって徳治主義が唱導されて以降、戈を止めることと解釈され、武は「威嚇」から「威徳」へ思想的転換を遂げ、単なる暴力的な武という意味から普遍化された。(杉江正敏「日本の武道」日本の武道-日本武道協議会設立30周年記念-日本武道館編 平成19年 p37)
こうした礼・武の概念は、やがて日本に伝来し、その後も大陸から様々な思想的な影響を受けつつ、独自の展開を遂げていく。

時代が下り、武術の実用期だった戦国期を経て、平和で安定した江戸期になると、武士は為政者にふさわしい人間的素養を儒教などの学問とともに武術によって習得しようとした。江戸時代には「武道」という言葉は、戦う者の生き様・流儀をあらわす「武士道」と同じ意味で用いられ、今日の剣道・柔道という「武道」は、当時は「武芸」「兵法」などと呼ばれていた。つまり、武士の生き方をあらわす時には「武士道」「武道」という言葉が使われ、武士が身につけるべき戦いの技術を示すときは「武芸」という言葉が使われていたという。(菅野覚明「武士道から武道へ」日本の武道-日本武道協議会設立30周年記念-日本武道館編 平成19年 p41)
武芸の観点から見れば、徳川幕府の文武兼備政策の下、戦う技術としての威力を内に秘めた武の技法を練磨し備えることが、無用の争いを避けるための抑止力になるとされた(杉江正敏「日本の武道」同上p37)という部分もあったろうが、ここに武士が修めるべき道として、武と礼の密接不可分な「武士道」という概念が完成したといえるだろう。

3 武道における礼と礼法
日本人の精神構造を広く欧米に紹介した新渡戸稲造は、その著「武士道」の中で、「礼とは、社会秩序を保つために人が守るべき生活規範の総称であり、儀式、作法、制度等を含むものである。また礼は、儒教において最も重要な道徳理念として説かれ、相手に対して敬虔な気持ちで接するという謙譲の要素がある。他人の安楽を気遣う考え深い感情の体現化であり、形だけの礼を虚礼とし、真の礼と区別しなければならない。」(新渡戸稲造「武士道」三笠書房1997年p55-64)と述べている。
真の礼は心と言動が調和した状態でなければならない。儀式や作法だけ繕っていても相手に伝わることはない。また、たとえ「礼の精神」を内面に持ち合わせていても、それを適切に体現できなければ相手に伝わることはない。「礼の精神」と「礼を表現する作法たる礼法」の両方が備わって初めて礼を体現できるということである。

大石神影流剣術を指南されている貫汪館では、この礼と礼法についてどのように説かれているのか、貫汪館HPから礼法に関して表明されている箇所をいくつか挙げてみたい。

武道は人との関係において成り立ちます。「和」がない武道は暴力に過ぎません。相手との「和」を保たせる基本が礼です。
神を畏怖し敬う心がなければ「神拝」は形だけのものにすぎません。神を畏怖し敬う心があれば神前において無作法な振る舞いをすることはありません。たとえ、その場における作法を知らなくても不敬な動きにはならず。神との関係は保たれます。
 稽古も同じです。相手をたんに稽古の対象と考えていては見えるものも見えてきません。見えるものが見えてないのは「我」中心で、和は存在しないからです。見えるものが見えないというのは、相手も自分も、またその手数・形を工夫された流祖や、それを伝えてこられた代々の師範の心も見えていないということです。
また、師に対する畏怖の念や尊敬の念がなければ、見えるものも見えてきません。話されたことも聞こえず、示されたことも見えません。
(道標「礼」2014/12/15)
 
礼法では「心のある礼法が正しい手順で行える。」ことを審査の目安としています。
「心のある」とは形式的ではなく、神前であればそこに神がおられるという意識があるのか、刀礼は刀魂に頭を下げているのか、また稽古相手を敬う心はあるのかということを意味しています。稽古で形式的に礼を行っているだけでは身につかないと思います。
「正しい手順で行える。」とは間違えずに行えると言うことなのですが、~礼に心がこもれば同じ手順を行ったとしても一つ一つの動きが本質的に異なったものとなります。
(道標「昇段審査会に向けて(礼法)」2014/08/18)

武道とは戦う技術であることを根本とするだけに、礼がないと互いに傷つけ合うためだけの技術に堕してしまう。武道が真に崇高で価値あるものであるためには、挨拶や礼儀作法という日常の礼を超えて、神への畏敬、流祖や師への敬意、稽古相手の尊重と自らの謙譲、感謝の心など広く深い礼の認識が求められる。そして、これらの認識は、礼法として凝縮され、同時に稽古におけるすべての所作に反映されている。心なき礼では武道に求められる道が開かれることはない。
 次に具体的な礼法の所作に着目した記述を掲出する。

大石神影流剣術では礼法は簡素なものであるため、それほど時間を掛けて稽古することはありませんが、神前に折り敷いて礼をする動きは簡単なようですがよほど稽古せねば出来るようにはなりません。この礼がただしくできるようになれば、立姿勢での下半身の緩みはできるようになるはずです。
(道標「礼法」2014/06/08)

大石神影流の礼法は、「右足を引いて膝を着き、両手を床に着ける」というものである。静かに重心が下りながら右足はするすると引かれ、膝はいつの間にか床に着く、上体を折り曲げるのではなく、沈むように両手が床に着く由、稽古日記に表現されているように、文字に即した動きを体得することは初心者には非常に難しく、「立姿勢での下半身の緩み」といった大石神影流で求められる身体操作の要諦があらかじめ要請されている。

初心の内に、これを単なる儀式と考え、手順をしっかり確実にという事に主眼を置いて稽古してしまえば、後々の自分自身の稽古はそのレベルを基準にしてしか進みませんので、上達は困難を極めます。自分で初心に戻って礼法から稽古しなおさなければならないのですが、人の心はそう素直ではなく、手順を覚え、体に染みついたものを再度壊してやり直すことほど難しいものはありません。神に礼をする、刀に礼をする、師に礼をする、互いに礼をするのは礼の心が大切であり心なくして礼の形を作ってしまえばそれは礼ではありません。目的のない動きなのですから、それ以後いくら形を稽古したところで形のみを求めてしまう癖からは逃れることはありません。~
戦う技術ではない、たかが礼法ですが、それ以後のすべてをきめてしまいます。
(道標「礼法」2012/09/04)

さらに、貫汪館では、礼法の手順を外形的になぞるような「心なき礼」は論外として、丁寧に確実に手順を行う姿勢すら「礼の形を作る」ことは「目的のない動き」として排斥される。手順に心を置いた瞬間に、礼から心が離れているというのである。手数(形)の稽古においても同様、「形のみを求めてしまう癖」により、本物の武道に似て非なる手数という形枠を上手に演技するだけの技に陥ってしまう。礼法や手数の稽古における心を置く位置は、かくも繊細で玄妙な境地が求められている。

4 おわりに
 これまで述べてきたように、私たちが今日、武道とりわけ大石神影流を稽古するに当たっては、「心のある礼」を志向した高度な内省と自律が求められる。その礼を体現する形が礼法であり、礼法の稽古により「礼の心」を磨く必要がある。しかし、礼法という形に囚われては「礼の心」はするりと逃げてしまう。無形の形とでもいうような境地を模索し続けなければ本質に近づくことには繋がらない。
 私は、こうした限りない営為に魅かれ憧れているのだと思う。初心を胸に師に範を仰ぎ、稽古の道を歩んでいきたい。



≪参考文献≫
1)末次美樹「武道における礼の教育的価値」駒澤大学総合教育研究部紀要第3号 2008年
2)菅野覚明「武士道から武道へ」日本の武道 日本武道館編2005年所収
3)杉江正敏「日本の武道」日本の武道 日本武道館編 2005年所収
4)新渡戸稲造「武士道」三笠書房1997年
5)前田勉「山鹿素行における士道論の展開」愛知教育大学日本文化研究室「日本文化論叢」2010年


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  1. 2015/11/22(日) 21:25:00|
  2. 昇段審査論文

大石神影流剣術初段 論文 2

 私が若い頃に取り組んだ経験がある武道・競技を振り返ると、勝敗にこだわり相手を圧倒する事を奨励されていた為、少々の反則を使ってでも、いかにして勝ち星を挙げるかに腐心し、礼などは形式的な決まり事程度の認識しか無かった様な気がします。
 勝てばガッツポーズ、負ければ地面に物を投げつける。内容が悪い試合をすると勝ったとしても頭を叩かれる。これは相手への敬意と品位に欠ける行動であったと思い出されます。
 ホームラン王の王貞治氏はホームランを打っても喜びを表現せず、抑制が効いた表情で坦々とベースを踏んでいったといいます。失意の相手投手を慮っての態度でこれこそ礼節と言えるかも知れません。相撲でも外国人横綱が、勝った喜びを表現して品格を問われるという事がありました。観客受けを狙って闘志剥き出しのパフォーマンスをしたり、相手を小馬鹿にして挑発したりするとテレビの視聴者には興味を持たれるでしょう。格闘技では興行を盛り上げるファンサービスの一環ですが、青少年が見るとどう思うでしょうか。将来有望とされる若い選手が、大人のコマーシャリズムに迎合してインタビューで、大言壮語するのを見るにつけ、客は呼べても尊敬される事はないのではないかと、残念に思う次第です。武道を知らない外国人選手であっても、立派な試合をする選手は風格と威厳を備えています。相手が挑発しても、汚い反則をしても動揺する事なく毅然に対処します。少し脱線しましたが「礼」という言葉を知らない外国の方であっても、質が高い方は相手を尊重し切磋琢磨しあう気持ちをお持ちです。「礼」の中には「謙虚」というものがあります。遠慮深い、引っ込み思案ということではありません。これ見よがしに自分の実力、もしくは誇張した実力をさらけ出すのではなく、心身に実力を持ちながら、いたずらに表に示さないことこそ「謙虚」であり礼法の基礎と考えるべきだとされています。「武」という文字は「矛を止める」といわれています。単に矛を持っていても使用しないという解釈もありますが、常に技量を磨きながら、それを表に出さない、謙虚とは実力に裏付けられる事によって「礼道の要は心を練るにあり、礼を以って端座すれば兇人剣を取りて向かうとも害を加ふること能はず」と言われるように、座して存在するだけで攻撃をさせない威厳を得る事が可能であると新渡戸稲造が「武士道」の中で小笠原清務の言葉を引用しています。
 武道は礼に始まり、礼によって終わると言われていますが、ただ初めと終わりにお辞儀をする事だと考える人は意外に多いのではないかと思います。かくいう私もそうでした。先生に対して稽古を求める時は、稽古中に常に先生に対する礼を保ち、稽古の終わりには心から感謝を表す、そのような稽古でなければなりません。刀礼の際は太古から現在まで続く刀を護り、発展させた数多の先祖と宿った魂に、自分が使わせて頂く事に感謝を表します。日本には八百万の神が存在します。神は至る所に遍在します。意識を持って感謝せねば感じることはできません。礼法は敬いの心を形で表すものであり、その動きには無駄がなく合理的で折り目正しく、且つ優雅であり安定感が備わったものでありたいものです。
 小笠原流の「修身論」では「本朝武家の六芸は、礼軍射御書作なり。これすなわち糾法の立つところなり。そのことに替わるといえども一理は不断にして暫くも止まず。しかも向上のところは常に至るになおまた一に帰す。故に常の一字を大事にして始終の修行あるべし。かくの如きといえども、礼は六芸の甲にして、こと自然不断なり。もっとも軍射御等の入門もまたこの内にこもれり」とあります。礼こそ六芸の最優先事項であり、始終不断の修行が求められるとあります。礼の心を求める事は、続く芸の修行を含むとも述べられています。礼の思い入れ薄ければ、形をなぞるだけで続く稽古にも向上はありません。礼の修行が「一字万事、万事一事」あらゆる修行に通じるとも考える事ができます。「例えば一つのことをよく自在にする時は、万事に通ずるなり。万事もまた一事に通ずるなり。何とすれば、心不変にして気の切れることなく、詰まることなく、進むことなくして、一事に達せば、一にあっても少なきことなく、万にあっても多いなることなきものなり。しかれば一字万事、万事一事なるべし」始まりの礼がおろそかであって、続く稽古が向上する道理は無いということでしょうか。わたしも反省すべき部分随分が思い当たります。もっと言えば、道場への入り方、稽古に向かう道すがら、あるいは日常生活から「一字万事、万事一事」を意識しなければなりません。
 礼の気持ちを持ち合わせていたとしても、それを他人に伝える方法(作法)を知らなければ相手に伝わりません。心と表現する作法の両方が備わって礼となるのではないかとも述べられています。人の心はそのまま見せることが出来ないので、心を人に見えるように様式化したのが「形」であり「形」に託して心を伝えれば、見るほうも又「形」を通じて心を受け取るものではないかと思います。小笠原清忠の『武道の礼法』では礼法は実用的であり効果的でなければならないとあります。無駄な動きを省き、必要最低限の機能を使用する事が大切で、この二つが自然にできるようになると、見る人には美しく調和が取れていると感じられる様になるとあります。まさに大石神影流剱術に通ずるものではないでしょうか。礼法と剱術が分離したものと考えてはいけません。大石神影流剱術の素振り、試合口の手順のみを意識していては、真の理解を得ることは出来ないのではないかと考える事ができます。無理無駄ない動きは礼法から始まり、心身の硬直を離れ、形の中にあって自由の獲得を目指すことが稽古の本質なのかも知れません。
 小笠原流礼法に4つの教えがあります。
「正しい姿勢の自覚」「筋肉の働きに反しない」「物の機能を大切にする」「相手に対する自分の位置を常に考える」
 まったく大石神影流剱術の要と置き換えて問題があるとは思えません。この事からも礼法と剱術が通じていると理解してよいと考えられます。礼法は「形」といわれますが「かたち」には「形」と「型」があるといいます。「型」は心なき鋳型で手段に過ぎないと述べられています。「形」は多くの先祖の精進と時には命を賭した経験の蓄積によって導き出された真理です。一個人の浅はかな感覚ではなく、脈々と受け継がれた先達の英知が昇華されたものです。「形」に対して、この様な所作に意味があるのか。この動きは非効率ではないか。などと、一個人が考えるのは愚かな事です。先達の教えに静かに耳をすますが如く、「形」に体を寄り添わせ、素直に動く事で尊き声を聞く事ができるのではないでしょうか。初心は手順を追う事のみに必死ですが「型」の鋳型から離れ、「形」によって囚われのない自由の獲得を目指さなくてはなりません。礼法も大石神影流剱術も「型」の鋳型ばかりを稽古しても心と体が修まらなければ、思慮浅く軽々しい所作となり、穏やかで慎み深い所作とは言いがたいのものとなるでしょう。しかし修身とは一朝一夕で身につくものではなく、繰り返しの稽古で「形」の声を聞き、品格と共に徐々に身に着けていくものであり、そうありたいと考えています。
【参考文献】
小笠原清忠『武道の礼法』日本武道館 初版第7刷 2014年
  1. 2015/11/23(月) 21:25:00|
  2. 昇段審査論文

大石神影流剣術初段 論文 3

武道における礼と大石神影流釼術における礼法について

1 はじめに
武道は、「礼に始まり礼に終わる」といわれます。
たとえば剣道では、まず立礼し、互いに抜刀、剣を構え、正しく蹲踞します。最後に勝敗にかかわらず蹲踞、納刀、立礼します。
このように武道では、最初から最後まで一貫して礼に則していることが求められますが、何より礼は互いの誠心がそれぞれ心に響くものであることが肝要なのではないかと思います。

2 武道の礼と大石神影流釼術における礼法
○武道の礼
武道は「礼に始まり、礼に終わる」と言われていますが、たとえば剣道は、特に礼儀作法を重視しています。
近年、行われた世界剣道選手権において、ある出場国は、袴を独自にアレンジしたり、試合にあっては、ジャンプしての面打ち、負けると蹲踞、礼を拒否など本道から外れ、武道の本質を見失った見苦しい態度が見受けられました。
全国高校剣道大会では、一本取った瞬間に「ガッツポーズ」をして取り消された例もあります。
武道においては、「礼に始まり礼に終わる」という教えは、単に始まりと終わりにお辞儀をするだけという意味ではなく、まずどのような武道であっても、道場に入るとき必ず礼をします。そして、いざ相手と対する時、たとえば剣道では、まず立礼し、互いに抜刀、剣を構え、正しく蹲踞します。最後に勝敗にかかわらず蹲踞、納刀、立礼します。
さらに先生に対し稽古を求めるのであれば、これから教えを請いますという礼に始まり、稽古の中に、その先生に対する礼というものが常にあって、全身全霊でぶつかっていき、そして稽古の最後には、心から「ありがとうございました」という挨拶ができる、そのような稽古ではなくてはならない。そこに「礼に始まり礼に終わる」という本当の意味があります。
「礼」は礼儀作法、礼儀、作法、礼法など様々に使用されますが、広辞苑によると、礼儀とは、敬意をあらわす礼法・礼の作法。作法とは、事を行う方法・起居・動作の正しい方式。 礼法とは、礼の作法・礼儀。となっています。礼儀と礼法は、礼の作法を意味しており、作法は、礼には関係なく 起居・動作の正しい方式となります。
武道の礼法の歴史は、仏教伝来から始まり、奈良時代・平安時代は、様々な仏教が発展し、国家や貴族のための儀式として主流をなしていました。
しかし、鎌倉時代になると武士が貴族から権力を奪い力を持ちました。
この時代に中国より禅宗(臨済宗、曹洞宗)が伝えられ武士に好まれていたようですが、 南北朝・室町時代になると、武家と仏教界の接近は貴族文化や武士文化に大きな影響を与えるようになり、室町幕府第三将軍足利義満時代には、「武士の礼、武士の作法」が重要視され確立されたようです。
また、この時代に禅宗の茶の湯の影響を受け、千利休などによる茶道の完成によって礼儀作法も武家社会に影響を及ぼしました。
このようにして、室町時代に「武家礼法」として完成された礼法は、軍礼に限らず常礼においても、武士として守るべき礼儀作法があり、また武道の修練の中にも礼儀作法は厳しく位置付けされ確立されてきたのです。
武家社会の日常生活そのものが「武即礼」であり、従って、武術の修練を行えば自然に礼儀作法が身に付き、武士の守るべき秩序や道徳が身に付くように整理されていたと思われます。
このようにしてできた礼儀作法の伝統を守り続けてきた結果、現代においても武道を修練すれば礼儀作法が身に付くと言われているわけです。
  ここで剣道の礼儀作法について、礼儀作法は、相手に敬意をあらわすものですが、武道の礼儀作法には護身を踏まえた作法が多く見られ、例えば、「正座をするときには左足から座り、立つときには右足から立つ(左座右起)」や「正座の礼法で座礼を行う時、左手を先につき、利き腕の右手を後につき頭を下げる。
頭を上げる時には、右手を先に戻しその後に左手を戻す」他にも、「剣道衣の着用法では左手から通し、袴を着ける時は左脚から通す」、「剣道具の小手をつける時においても、左手からつける」、利き腕である右手(右脚)は、油断を怠ることなく着用する。
脱ぐときには、「利き腕である右手(右脚)を先に脱ぎ、その後に左手(左脚)脱ぐ」などがあり、武士の社会においては、礼をおこなう相手に対しても油断を怠らない護身の動作によって組み立てられています。 
剣道において、試合の開始時や終了時に行われている「正面への礼」は、審判長が答礼を行ったり、役員席の後ろに掲げられている「国旗」や「正面の壁」に対して 礼を行ったりして様々ですが、そもそも、修業を行う場所は道場であり、稽古前・後に清掃を行い場内を清め、道場の中央には神棚を設けて神を祀り神聖な場とされています。
神棚には、天照大神を中心に武道の神様と言われている鹿島神宮(建御雷之男神)・香取神社(経津主神)や八幡宮・氏神などを祀ってあります。
修業の場・湧き水・神木・地鎮祭などに、しめ縄を張りその場を清め祈るのは、日本の伝統的な慣習であり、日本人の心を育ててきましたが、道場において稽古前に最初に神前への礼を行うのは、稽古時や試合時に怪我や事故がないように祈ったり、我々日本人の先祖(神)に少しでも近づこうと努力することを誓ったりするためや、神の前で試合を行うのだから「正々堂々と戦う事を誓う」や「日々の修業の成果を披露する」など様々な素朴で素直な気持ちを表す礼です。
このような気持ちで修業することが結果的に、相手を「思う」、「敬う」、「感謝」、「物を大切にする」などの「心」が生じるのです。
ただ体を曲げた、形だけの礼には意味がありません。相手に対する気持ちが心になければなりません。
礼をするのに、体を屈するという形が先であるのではなく、なぜ礼をするのか、その意味である「気持ち」が先に立つことが大切であり、礼をすることによって、互いの気持ちが響き、この「ひびき」の交流が、礼の意味を生かし、礼の形を生かしてくれるのではないでしょうか。
「武道は礼に始まり、礼に終わる」とは、相手を「思う」、「敬う」、「感謝」、「物を大切にする」などの心とこれらを実行できることが大切であり、さらには着用する袴にも「五常五輪」という精神が宿されています。
袴の表の五つのひだは、
五常(儒教で人が常に守るべき五つの徳目)
・仁 己に克ち、他に対するいたわりのある心のこと
・義 人として守るべき正しい道
・礼 礼儀、礼節を重んじること
・智 物の道理・本質を知り正しい判断をすること
・信 偽りのない忠実な誠の心
五倫(儒教での基本的人間関係を規律する五つの徳目)
・親子の親 親子の思いやる心
・君臣の義 君主として又家臣として守るべき正しい道
・夫婦の別 夫婦それぞれの役割
・長幼の序 年長者は年下の者を労わり導き・年下はの者は年上の人を尊敬する心
・朋友の信 友人を裏切らないこと
であり、裏の二つのひだは、
・忠 忠誠心
・孝 周りの人を大切に思う心
であるといわれます。(また「天と地」、「陰と陽」ともいわれます)

○大石神影流釼術における礼法
大石進種次は、祖父から愛洲陰流剣術と大嶋流槍術の指導を受け、大石神影流釼術を開いたとされます。
種次は江戸に出て、5尺3寸の長竹刀を遣い、突きと胴切りで、江戸の名だたる剣術師家を倒し、種次の子である種昌も、大石神影流を継承した後、江戸に出て、長竹刀で江戸の名だたる剣術師家を倒したとされ、二人ともに江戸で目覚ましい戦績を残したこと、要請により他藩にも指導に出向き大石神影流は対馬藩、土佐藩など多くの地域に伝わったようです。
大石神影流釼術では形を手数といい、長竹刀と突技で有名ですが、剣尖を相手の喉に向け、水平に構えるという、まるで槍術の構えを思わせる「附」という構えから突きを繰り出す、最小限の受けと動きで相手の刀を捌く「張り」など独特の流儀を持っています。
剣道の稽古前後には、全員が並んで正座をし、竹刀を置き、「正座(姿勢を正して)」「黙想」と声をかけるのが一般的ですが、これは床があってこそです。
大石神影流釼術においては、上座(神座)への折敷の礼から、使太刀、打太刀は抜刀、切っ先を合わせていきます。道場稽古ではなく神前であることが想定されているのです。
以前、館長に「現代は腰に刀がある時代ではなく、江戸時代の武術は剣がもとになっており、江戸時代の子ども達は腰に刀がある状態で育ち元服のころから剣術稽古を始める。稽古を始める前にすでに刀の取り扱いになれ、刀の扱い抜き差し、振り方など刀の基本的な用法は教育を受けている。刀を扱う感覚は非常に繊細なものとなる」ご教示いただき、木刀とはいえ真剣同様の扱いであり、使太刀、打太刀は剣を通じて共鳴していくのだと思います。
そして何より大切なのは、力まず正しい姿勢を生むことにあるようです。
人は地の上に立っているのであり、自然に重力が働いているなかで重心を保って立っており、ほんの少しの挙動で地に逆らうことなく、自然な姿勢をとることができ、さらには自然な姿勢から、すこし重心を動かすだけで様々な挙動を自然に取ることができます。しかし刀が加わればどうなるのか、構えは、体の開きはなどと考えるまでもなく、刀に身を委ねれば自然と姿勢がとれ、その中心は常に臍下丹田となるのです。
そして刀を振るうときには、神座を意識し神座に刀を向けない、刀に霊性を認めることが大切で、自然、刀が答えてくれるのではないでしょうか。

3 おわりに
人は、真実相手に感謝し、心から尊敬の念を感じた時には、自然に頭が下がるものです。『他者に対しては、礼を持って接する』そんなことは当たり前のことだし、するもしないも本人の品性の問題で、それ以上のことではないと言えるでしょう。
人は誰の奴隷でもない。そんなことのために生まれるものではない。他者に虐げられても屈することない心、災厄に襲われても挫けることのない心、不正があれば正すことを恐れず、獣に媚びず、己という領土を治める唯一無二の君主に。そのためにまず、他者の前で毅然と頭を上げること、そして毅然と構えることができ、そのうえで、相手への尊敬、誠意と共鳴、調和が内在することが礼法ではないでしょうか。
現代剣道は、戦後GHQの監視の下で、建前上は「武道スポーツ」で復興を果たし、
学校教育現場での指導が主流となっているため、そこに宗教色を持ち込むのはタブー視されているようです。 
本来ならば「神前に礼」とするところであり、「神様へ修行の成果を見ていただく」気持ちが大切に思います。
大石神影流釼術においては、刀剣は魂を宿し、神座の前で、刀を振るうという崇高な気持ちを忘れてはならないと、また使太刀、打太刀が刀を交えることで共鳴する精神も忘れてはならないと思います。
そのために神前と相手に礼節と感謝、自らの心と体を静かに清らかに、時に気迫をもって正して導くことが剣術における礼法となるのではないでしょうか。


1) 小野不由美 「風の万里 黎明の空」 講談社 初版第1版 2000年10月12日
2) 小笠原清忠 「武道の礼法」 財団法人日本武道館 初版第1版 2010年2月10日
3) 小森富士登 「剣道における礼法の一考察」國士舘大學 武德紀要 第27号
4) 貫汪館ホームページから

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  1. 2015/11/24(火) 21:25:00|
  2. 昇段審査論文

澁川一流柔術初段 論文

武道における礼と澁川一流柔術における礼法について

1 はじめに
武道は、「礼に始まり礼に終わる」といわれます。
あらゆる武道は、道場への入りから、稽古、組手、試合、そして道場を出るまで常に礼を行います。
このように武道では、最初から最後まで一貫して礼に則していることが求められますが、何より礼は互いの誠心がそれぞれ心に響くものであることが肝要なのではないかと思います。

2 武道の礼と澁川一流柔術の礼法
○武道の礼
武道においては、「礼に始まり礼に終わる」という教えがありますが、単に始まりと終わりにお辞儀をすれば良いというわけではありません。
最近行われた柔道の世界選手権で、団体戦で審判の判定に不服があったのか、試合後の一列に並んでも礼をしない、またはちょっと頭を下げただけと、非礼な振る舞いがあったようです。
柔道は武道です。それが武道ではなくスポーツとしての「JUDO」で勝つか負けるかしか頭にないと思われても仕方がない無礼な態度であったようです。
単に始まりと終わりにお辞儀をするだけという意味ではなく、まずどのような武道であっても、道場に入るとき必ず礼をします。そして、いざ相手と対する時、たとえば剣道では、まず立礼し、互いに抜刀、剣を構え、正しく蹲踞します。最後に勝敗にかかわらず蹲踞、納刀、立礼します。
さらに先生に対し稽古を求めるのであれば、これから教えを請いますという礼に始まり、稽古の中に、その先生に対する礼というものが常にあって、全身全霊でぶつかっていき、そして稽古の最後には、心から「ありがとうございました」という挨拶ができる、そのような稽古ではなくてはならない。そこに「礼に始まり礼に終わる」という本当の意味があります。
明治の終わる頃までは、日本語の中で「こころ」が最も多く用いられていたそうです。
日本語には、「心尽くし」、「心立て」、「心置き」、「心配り」、「心入る」、「心有り」、「心砕き」、「心利き」、「心嬉しい」、「心意気」、「心合わせ」、「心がけ」、「心延え」、「心回る」、「心馳せ」、「心根」、「心残り」、「心様」を始め、心が付いたおびただしい数の言葉があります。
『デイリーコンサイス英和辞典』で、「heart」と引くと、「ハートアタック(心臓麻痺)」、「ハートバーン(胸焼け)」を始め、両手で数えられるほどしか心(heart)の付く言葉がありません。
およそ日本文化のかたちは、江戸時代に作られたと言って良く、幕末体制のもとで平和が続く中で、ことさら精神が重んじられるようになり、「武士道」という言葉が生まれました。
戦う武術が武道となった、精神面が協調されるようになりました。
小笠原歌訓に「弓はただ 射てみせたても 無益なり 何とも無くて 気高きぞ良き」という歌がありますが、すべての基本の稽古は礼法であるといっても過言でないでしょうか。
ただ体を曲げた、形だけの礼には意味がありません。相手に対する気持ちが心になければなりません。礼をするのに、体を屈するという形が先であるのではなく、なぜ礼をするのか、その意味である「気持ち」が先に立つことが大切であり、礼をすることによって、互いの気持ちが響き、この「ひびき」の交流が、礼の意味を生かし、礼の形を生かしてくれるのではないでしょうか。
さらに武道における礼法は、正しい姿勢から生まれます。
重ねる稽古の中で、人は地の上に立っているのであり、自然に重力が働いているなかで重心を保って立っている。ほんの少しの挙動で地に逆らうことなく、自然な正座の姿勢をとることができ、さらには自然な正座や立位から、すこし重心動かすだけで様々な挙動を自然に取ることができる。中心は臍下丹田であり、例えば立った姿勢では、
・力学的に安定している
・筋肉に掛かる負担がすくない
が大事ですが、やはり中心には臍下丹田があることが重要です。
この立った姿勢の悪さでは、警察官等に見られる姿勢が代表的でしょう。
明治時代、士農工商という階級がなくなり、誰でも軍人になれる制度ができた時に、なかには教養の浅い子弟もいたため、彼らに集団教育を施す必要から「型に当てはめる教育」がなされました。
そのため、子供のころから自然の中で習熟した歩く、立つという当たり前のことを矯正して、集団の型に当てはめていったようです。
これは非常に効果的な教育方法であり、現在でも世界の軍隊に見られる姿ですが、ほとんどのスポーツで足を平行に踏むことを基本としているように、踵をつける立ち姿勢は、実に無理な姿勢といえます。
踵をつけ足先を開くと、踵に重心が落ちて、上体のバランスを取るために無理な姿勢をとることになります。
「無駄を省き、体を全体的、総合的に使うこと」が大切なら、重心の取り方を間違えた、すぐに疲れる姿勢、何より次の動作に直ちに移動できない姿勢となるのです。
ちなみに(姿勢の悪さが際立つ)警察礼式(国家公安委員会規則)では、「警察礼式は、警察官及び皇宮護衛官の礼節を明らかにして規律を正し、信義を厚くして親和協同の実をあげることを目的とする」と定め、具体的には、
・礼節~礼儀のきまり、礼儀と節度
・規律~人の行為の基準となるもの、秩序・きまり
・信義~約束を守り務めを果たすこと。信を守り義を行うこと。
・親和共同~親和とは親しんで相互に仲よくむつみあう、親しみ結びつくこと。
協同とは心を合わせ、助け合って共に仕事をすること。
とされています。
組織は、上意下達であり、迅速で的確な命令系統が求められます。
集団、部隊として統一した動勢が求められる以上、画一的で不自然な姿勢と成らざるを得ないのでしょうが、ただ、組織の指示、命令等においても、その本質には、礼の心、互いの意識の共有は非常に大切な点でもあると言えるでしょう。
総じて礼法とは、身を修めることを目的とし、身を修めるとは、内面的には心を正しくし、外面的には姿勢を真っ直ぐにすることであり、心と体は、影と光、礼は自分の心と行いを正すもので、それは自ら行動する体に現れる、「礼」とはあくまで抽象的な概念でなく、行動に生きる心そのものではないでしょうか。

○澁川一流柔術の礼法
さて、澁川一流柔術の形は、徒手で徒手や懐剣の仕掛けに応じ、棒で刀に応じ、また棒術などの得物を用いる術から成り、何百という伝承されている形があり、その特徴はすべての形に飾り気がなく、素朴で単純な動きで相手を制するところにあります。
そして、形には、受を制することなく、押し返すのみの動作を特徴とした、「礼式」が設定されており、これは、澁川一流柔術の理念が人と争わないことにあることを示していると言われています。
実際に稽古を重ねる中で、未だ最初に稽古する履形を修練しているところですが、一連の礼式の動作のなかには、座立の姿勢、自然体の構え、間合、目付、呼吸、残心などの基本の要素が集約・集束され、これから履形の形への導入のためのリラクセィションのようにも思うのです。
特に、広げた両腕の指先まで疎かにせず気を張ることの難しさを感じます。
澁川一流柔術の礼式は、自分の心と体を正していく、さらに相手との調和を図っていく儀式のようにも思います。

3 おわりに
人は、真実相手に感謝し、心から尊敬の念を感じた時には、自然に頭が下がるものです。『他者に対しては、礼を持って接する』そんなことは当たり前のことだし、するもしないも本人の品性の問題で、それ以上のことではないと言えるでしょう。
人は誰の奴隷でもない。そんなことのために生まれるものではない。他者に虐げられても屈することない心、災厄に襲われても挫けることのない心、不正があれば正すことを恐れず、獣に媚びず、己という領土を治める唯一無二の君主に。そのためにまず、他者の前で毅然と頭を上げること、そして毅然と構えることができ、そのうえで、相手への尊敬、誠意と共鳴、調和が内在することが礼法ではないでしょうか。
また、礼法、礼儀作法は、相手に敬意をあらわすものでありますが、武道の礼儀作法には護身(敵対動作)を踏まえた作法が多く見られることも事実です。
「正座をするときには左足から座り、立つときには右足から立つ(左座右起)」や「正座の礼法で座礼を行う時、左手を先につき、利き腕の右手を後につき頭を下げる。頭を上げる時には、右手を先に戻しその後に左手を戻す」。他にも、「衣の着用法では左手から通し、袴を着ける時は左脚から通す」、「小手をつける時においても、左手からつける」、利き腕である右手(右脚)は、油断を怠ることなく着用し、 脱ぐときには、「利き腕である右手(右脚)を先に脱ぎ、その後に左手(左脚)脱ぐ」など、 このように、武士の社会においては、礼をおこなう相手に対しても油断を怠らない敵対動作によって組み立てられていたようです。 
澁川一流柔術は、まぎれもない武術であり、しかも伝統ある古武道です。
相手を倒し制圧する術であるとともに、相手を制するためには、相手との呼吸、間合、目付、構えなどが整っていること、相手に対立し反発を受ける構図ではなく、相手を受け入れてこちらが動けば自然に相手も動いてくれる、つまり相手と調和できることが必要だと思います。
そのためには、心のある礼法が大切なのではないでしょうか。


1) 小野不由美 「風の万里 黎明の空」 講談社 初版第1版 2000年10月12日
2) 小笠原清忠 「武道の礼法」 財団法人日本武道館 初版第1版 2010年2月10日
3) 加瀬英明 「徳の国富論」 自由社 初版第1版 2009年11月20日
4) 小森富士登 「剣道における礼法の一考察」 國士舘大學 武德紀要 第27号
5) 貫汪館ホームページ

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  1. 2015/11/25(水) 21:25:00|
  2. 昇段審査論文

澁川一流柔術二段 論文

「これまで修行上留意してきたこと、今後留意しなければならないことを述べなさい」

1、これまでの修行上留意してきたこと

 (1)形
 私事ですが、幼少より高校卒業まで日本舞踊を習った経験から、辞めて20年以上経つというのに、その時の癖が棒回しや、柔術に出てきてしまい意識していないだけに、とても妨げになり、稽古を始めた当初はまず、そこを改善すべく意識する事から始まりました。長らくしていなかった事が、幼少時に経験していると自然に出来てしまう能力はすばらしいですが、癖として妨げになった時は改善するのにとても苦労するのだなと実感しました。
 現在稽古をするに当たり形の上で注意していることは、呼吸を止めない。股関節を緩める。力まない。丹田を中心に動く。技をかけ終えるまでを一つの動作とする。などきりが無いくらい稽古中は頭の中はいっぱいになっています。
 ですが、いざ形を始めると左手で辺に取り、右手はここ、それから回る、と全く一つの動作ではなく、受けをしてくださる先生に「動きが止まった」と指摘され、次に気を付けて受けの体制を崩すことが出来、押さえ込む事が出来ても呼吸が止まっていて、「地面はあっても気持ちはまだまだ回り続け、沈んでいくつもりで」と指摘を受け、呼吸がとまっている事に気づき、そこで息を吐く。といった事を何度も繰り返してしまいます。
 半棒や六尺棒では、武器も体の一部と捉えて扱わなくては、相手の体制を崩すことは出来ません。腕の力だけで崩そうとせず、丹田から腕、腕から棒へと思いを伝える事を意識しながら稽古をしていますが、こちらも思いと体の動きが一つとならないことが多いです。
突きの動作や、半棒を相手の頭に振り下ろす際も、状態が前のめりになってしまったり、前のめりにならないよう意識をやると、相手との間合いの悪さから全く打ち込めない距離に居たりと、中々得物を体の一部にすることが出来ずにいます。
 また、柔術の稽古を始めてからずっと感じていることの一つに、形が決まった時に手応えがないということです。力で相手を制するのではなく、相手の力を利用して制するという所に魅力を感じ、稽古することを決めた筈なのに、具体的にこうしたから形が決まったという手応えのなさに、次も同じことが出来る自信が無いと思うようになります。そこを稽古量で補っていかなければいけないのだと考えます。

(2)心
 心のあり方で注意していることは、「敵を倒すための「間積もり」が、使い方次第で人に不快を与えない、人をいたわるための作法に転化するのである」
「相手に不快を与えない(困らせない、怒らせない、淋しがらせない、心配させない、手数をかけさせない、いやがらせない、恥をかかせない、当惑させない)こと」など、普段の生活の中でも実践出来そうな部分は気を付けているつもりではありますが、後悔する事もしばしばで、できているかどうかは自信の無いところです。

2、今後留意しなければならないこと

 武道を学んでいるものが、知ったのちに行動しなければ学んだ意味はありません。
 武道は行動のために学ぶ学問であり、古武道を稽古してもそれが単なる懐古趣味であっては稽古に費やす貴重な時間は無駄になってしまいます。
 無雙神傳英信流抜刀兵法は不測の事態に対応するための武術であり、澁川一流柔術は条件的に不利な状況を克服するための武術であり、大石神影流剣術はまさしく兵法であり手数の中に兵法のエッセンスが学べるように仕組まれているといっても過言ではありません。 行動するために学ぶのが武術であって、何もせずにただ願っているのは武術を稽古するものがとるべき道ではありません。
 武術では技を生かすのも殺すのも間づもりひとつである。
 形をまねるのでなく、「心」を知ることである。「きまり」と考えてしまったのでは、その「きまりごと」の一つひとつをすべて覚えなければならないが、「心」を承知していれば応用変化が可能である。
 武道人の立居振舞いには「他人への敬意」と「隙のなさ」と「威」がそなわっていなければならない。
 価値観、考え方、感覚、行動などのすべてが自分と違う相手とも付き合うことを可能にする方法の一つが、相手と密着しない「間合」の心得である。
 武道の「精神的自立」と「自分主義」精神的自立とは人格の独立でもあるが、情緒面においても他人の「いたわり」や「やさしさ」を期待しないでいられる強さである。「理解」や「評価」あるいは「同情」を求めないでいられる強さといってもよい。極論すれば「支援」や「応援」を求めないでいられる能力、という事にもなる。
 むろん「同情」はともかくとして「理解」や「評価」「支援」が得られなくては成り立たない仕事もある。だがその場合も他人に協力を求めることが可能になるのは、評価や支援に値するものを本人が持っている事が前提になるのであって、ただ単に他人の善意だけをあてにするという事ではない。支援に値するものを持つことは自前の仕事で、それを支えるのは自分の足、つまり自立した精神である。
 
 
 以上、今回の論文に当たり引用した文献の内容から、今後留意しなければならないことは「武道」とは「技」のみではなく「心」も合わせて学んでいかなくては身に付かないのだという事だと考えます。
 やはり技が効いて受けが倒れてくれると手応えこそないものの、うれしくなり、もっと技を磨きたいと思うようになりますが、そこに「心」の部分が置き去りになってはいけないのだと思います。
 昇段試験を受けるよう先生におっしゃって頂いた時も、技の試験は週に一回ではありますが、稽古をしているので、ある程度抵抗無く受け入れることが出来るのですが、合わせて論文を書かなければならない事で、論文を書ける程「心」の部分を理解できていない。と躊躇してしまうのですが、改めてこうして論文を書く為に学んでいくと、やはり心の部分の理解が、技と同じくらい大事なのだなという事に気付かされます。
 澁川一流柔術は条件的に不利な状況を克服するための武術との事ですが、相手を投げ飛ばしてやる。とか押さえつけてやる。といった心持ではなく、向かって来た相手を、相手の力を利用し、その相手の力を奪うだけ。見ていると投げているようだが、その場にしゃがむ事で相手が投げ飛ばされてしまった。という結果論の様に思います。普段の稽古時にいつも「心」の部分を意識していけるよう今後、気をつけたいと思います。とは言え、意識すると「居着き」になってしまいそうで、意識しながら意識しないと言う境地になれればと思います。
 森本館長の「道標」に多くの文献を読みなさい。とありました。まだ多くの古武術の文献を読んだ訳ではありませんが、驕ることなく謙虚に、思いやりのある行動を心がける。という内容がよく用いられている様に感じました。この事が武道を志す上でずっと心に留めておかなければならない事なのではないかと感じました。
 今後留意しなければならないこと、自分で気付いていない留意すべきところをご指導頂きながら、少しでも達成できるよう、日々精進して参りたいと思います。

参考文献
1)野中日文: 武道ー日本人の行動学ー  2001年1月5日第2刷
2)野中日文: 武道の礼儀作法(改訂版) 2002年12月10日第3刷
3)森本邦生先生:貫汪館ホームページ「道標」
 
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  1. 2015/11/26(木) 21:25:00|
  2. 昇段審査論文

大石神影流剣術五段 論文

大石神影流を通じて何を教えるべきか


1.はじめに
まず、古武道を稽古するということはどういうことであろうかを考えてみる。そもそも、武道は先人が培った伝統的な技や精神を稽古することを通じて伝承するとともに磨き上げ、習得することである。特に、古武道においては、個人の思いつきで勝手に手を加えたりすることのないよう、伝統的な技を正しく伝えるということが非常に重要なことである。このことが所謂「練習」ではなく「稽古」であり、字義から「稽古」を「古(いにしえ)を考える」と解釈されるところである。明治時代以降に創始された現代武道では、統一されたルールの下での試合形式が盛んに行われ、競技化することでスポーツ的性格が色濃くなってきたことにより発展してきたが、伝統的な技や精神の伝承が十分になされていないように感じる。その弊害として、近年では、オリンピック金メダリストの卑猥事件や体罰などの暴力事件まで発生してしまった。いくらオリンピックで金メダルを取ろうともそれはその競技での結果であって、個人の人間を評価したわけではない。講道館では、柔道を学ぶことを「柔道の目指すところは、立派な人間をつくること。柔道を学ぶことで、礼の精神を身につけ、心身ともに強く立派な、進んで社会に貢献できる人間をめざそう(1)」としており、武道憲章では、第1条にその目的として「武道は、武技による心身の鍛錬を通じて人格を磨き、識見を高め、 有為の人物を育成することを目的とする」(昭和62年4月23日制定 日本武道協議会)とされている。暴力事件等を含む近年の不祥事では、おおよそ目標とはかけ離れた方向に向かってしまった。また、競技化した結果、勝利することを第一とすることの弊害として、伝統的な技に個人で改良を加えたオリジナリティに富む技をもって勝利を重ねる選手も多数見られるが、現役を引退するとその技も消滅する。つまり、現代武道はスポーツ化したことによって純粋に伝統を伝承しているといい難いと感じる。礼節を重んじる武道での不祥事は、一般人からすれば古武道であれ現代武道であろうと、武道という言葉からすれば同じものと受け止められる。幼い子供を持つ親からすれば、礼儀正しさを身につけさせるために武道をさせることも珍しいことではないが、昨今の競技化されたスポーツ武道では古来からの武道のイメージが大きく変わりつつある。他方、古武道においては型稽古を主体としていることで大幅に改良されることもなく、また、競技でもないので型稽古を繰り返すことが主となり、自分勝手に手を加えることは許されない。つまりこれから先の未来に是まで正当に伝統を伝承されてきたものを変わることのないよう後世に引き継がなければならない。そのためにはどのような方法で何を教えるべきかを常に考えなければならないのである。

2.指導のあり方
(1)指導を受けるもの
古武道の指導を受けるものの心構えを述べればきりがないが、武道とは稽古を通じて自分自身を磨くことだと強く自分に言い聞かせなければならない。そのため、もっとも大切なことは、常に正しい心で自己研鑽を積むことであり、また、指導者に対しては謙虚な心で接するという精神を身につけるよう心がけることが重要である。

(2)指導するもの
現代まで正しく伝えられてきた伝統文化である古武道を次世代に正しく伝承させるためには、歴史や文化を学ぶことも重要である。また、指導される側が常に謙虚であるためには、指導者に対する礼の意義を理解させなければならない。また、指導者は過度に威圧感を与えてはならない。自己の力量を見せつけたり、優越感に浸るようなことをするべきではない。さらに、自分の力量以下のものをいつもでも育成するのではなく、やがて自分以上の優秀な師になるよう弟子を育成しなければならないのである。そのためには、自己が長年苦労して習得した技術や心構えを教示することも必要であるが、簡単に教示すべきではない。それはそれ相当の力量がなければ、教示されたところで指導されていることの意味が理解できないからである。それぞれの力量に見合った段階でそれ相当の指導をすべきであろう。

3.指導することについて
稽古を指導することを考えるにあたり、そもそも江戸時代にはどのような指導「教え」をしていたのかを伝書により考えてみたい。

(1)「不動智神妙録」の教え
不動智神妙録を武道伝書とは言い難いが、沢庵が将軍家剣術指南役の柳生但馬守宗矩に対し、剣禅一如について説いたもので、柳生新陰流のみならず多数の流派に大きな影響を与えた書として有名である。ただし、不動智神妙録では技術的なことより専ら禅の思想と剣術は一体とみなされている。教える者として、また、教えられる者としての心構えから人間としての生き方が説かれている。その中から以下を引用して参考にしたい。

一向の愚痴の凡夫は初めから智恵なき程に萬に出ぬなり。又づつとたけ至りたる智恵は早智恵がいでざるによりて一切出ぬなり。なま物知りなるによって智恵が顔へ出で申し候て、をかしく候。今時分の出家の作法ども嘸をかしく思し召す可く候。
理の修行、ことの修行と申す事の候。理とは右に申し上げ候如く、至りては何の取り合わず唯一心の捨てやうにて候。段々右に書き付け候如くにて候。然れども事の修行を仕らず候へば道理ばかり胸に有りて身も手も働かず候。事の修行と申し候は、貴殿の兵法にてなれば身構への五箇に一字のさまざまの習ひ事にて候。理を知りても事の自由に働かねばならず候。身に持つ太刀の取りまはし能く候ても、理の極まり候所の闇く候ては相成る間敷く候。事理の二つは車の如くなるべく候(2)。

何事もわからない人間は、もともと智の働きがないから表面に表れることはない。はるか深いところまで達した智恵は、表面に出ることはない。中途半端に知っているものは知識をひけらかそうとする。つまり、教えることも教えられることも中途半端ではならない教えである。体をいかようにも使うことのできる事(わざ)の修行は当然ながら、何事にもとらわれない無心になることが理(こころ)の修行で、両方をバランスよく修行することが必要で、両方そろってないと結局は役に立たない。事の背後には常に理が存在しており、密接不可分であると説明している。指導する者とは、技だけでなく心もかなりの修行を積んだ者でなければ指導できないということである。

(2)古武道伝書による教え
古流には元来その流派独特の教授法がある。多くの場合、各流派で洗練された「型」であり「形」の稽古である。その稽古についてであるが、多くの流派の伝書では、専ら教えられる側の心構えが記され、その後、心の持ちようから体の使い方が教えられている。以下にいくつかの伝書の内容を考えてみたい。

(イ)「五輪書」の教え
宮本武蔵の五輪書地之巻では、そもそも「兵法」とは、について、次のように記している。

  夫兵法といふ事、武家の法なり。将たるものは、とりわき此法をおこなひ、卒たるものも、此道を知るべき事也。今世の中に、兵法の道慥にわきまへたるという武士なし。(中略)大形武士の思ふ心をはるかに、武士は只死ぬるといふ道を嗜む事と覚ゆるほどの儀也。死する道におゐては、武士斗にかぎらず、出家にても、女にても、百姓巳下に至る迄、義理をしり、恥をおもひ、死するところを思ひきる事は、其差別なきもの也。武士の兵法をおこなふ道は、何事におゐても人にすぐるる所を本とし、或は一身の切合にかち、或は数人の戦に勝ち、主君の為、我身の為、名をあげ身をたてんと思ふ。是、兵法の徳をもつてなり。又世の中に、兵法の道をならひても、実の時の役にはたつまじきとおもふ心あるべし。その儀におゐては、何時にても役にたつやうに稽古し、万事に至り、役にたつやうにおしゆる事、是兵法の実の道也(3)。

将も兵も兵法を知るべきであると説いているにもかかわらず、その当時でさえ、兵法をたしかにわきまえた武士はいないといっていることは非常に興味深い。また、武士が考えていることといえば死ぬことであるが、性別や職業に関係なく誰でもいつかは死ぬのであるから、何事も人より勝り、主君または自分の名声を博そうとするものも武道の効果である。また、兵法の道として、もっとも大切なことは何時いかなるときにでも兵法が役立つよう稽古し、そして教えることが真意であると書かれている。さらに、地之巻の最後には、

右一流の兵法の道、朝な朝な有な有な勤めおこなふによつて、おのづから広き心になつて、多分一分の兵法として、世に伝ふる所、初而書顕はす事、地水火風空、是五巻也。我兵法を学ばんと思ふ人は、道をおこなふ法あり(4)。

として、次の九条を示している。

第一に、よこしまになき事をおもふ所
第二に、道の鍛錬する所
第三に、諸芸にさはる所
第四に、諸職の道をしる事
第五に、物毎の損徳をわきまゆる事
第六に、諸事目利を仕覚ゆる事
第七に、目に見えぬところをさとつてしる事
第八に、わづかななる事にも気を付くる事
第九に、役にたたぬ事をせざる事 (5)

これら学ぶ者に対しその心構えとして、「師は針、弟子は糸となって、たへず稽古有るべき事なり。(6)」と説いている。

(ロ)「兵法家伝書」の教え
兵法家伝書とは、江戸時代初期に柳生宗矩によって著された柳生新陰流の思想を記した武道書である。この中の「無刀之巻」には次のように記されている。

一 とられじとするを、是非とらんとするにはあらず。とられじとするをば、とらぬも無刀也。とられじとられじとする人は、きらふ事をばわすれて、とられまひとばかりする程に、人をきることはなるまじき也。われはきられぬを勝とする也。人の刀を取るを芸とする道理にてはなし。われ刀なき時に、人にきられまじき用の習也。
一 無刀といふは、人の刀をとる芸にはあらず、諸道具を自由につかはむが為也。刀なくして、人の刀をとりてさへ、わが刀とするならば、何がわが手に持ちて用にたたざらん。扇を持ちて也共、人の刀に勝つべし。無刀は此心懸なり。刀もたずして、竹杖つひて行く時、人寸の長き刀をひんぬいてかかる時、竹杖にてあひしらひても人の刀を取り、もし又必ずとらず共、おさへてきられぬが勝也。此心持を本意とおもふべし(7)。

必死に取られまいとしている相手の刀を何が何でも取ってしまえというのではない。取られまいと必死に防御しようとしている刀を取らないのも無刀術である。取られまいとする相手は、そのことだけに心が居ついてしまい人を切ることから心離れてしまうことにより、結局人を切ることができなくなってしまうのである。無刀とは、相手の刀を取るものではなく、さまざまな道具を使いこなすためのためである。自分が何も持っていない時を想定し、何を手にしても相手を制圧しなければならない。つまり、切られなければよいわけである。そのためには心居付かせることなく、また、どのような事態でも冷静に判断し、的確に反応することこそ無刀の本来の意味であろう。

(ハ)大石神影流の教え
大石神影流の形稽古である手数の中に大石進種継により創始された思想が含まれていると言うことができる。稽古において我々がただ単に「型」として受け止めたのであれば、大石進種継以来先人たちが築いた技術や思想は崩れ落ち、本質部分が失われてしまうということである。これを古武道の指導方法である上意下達方式で指導し、理解させなければならないのである。
大石進種次の教えを「大石神影流を語る」から考えてみたい。

また進は試合前に予め型の研究をして、剣の技法身のさばきを鞏固にして場に赴くのを常としている。ある門弟がその理由を尋ねると、試合の前に型を研究するのは力士が下稽古をして場に赴くのと同じことだといつて型を重視し、門弟にもこれを勧めている。
進は抽象的観念な説論を避け、出来る限り具体的な指導を行つた。これが当時剣術修行者にうけて、諸国から陸続と入門者がつめかけた大きな理由と考えられる。
進が創作した剣道教歌にも、その特徴がよく表われている。教歌を数首拾つてみよう。

 稽古をは誠の敵とおもいつつ 仕なをしらぬことを忘るな
 いろいろにたくみをおもになすならは 敵の変化に陥るものなり
 突太刀の曲尺は手前にあるぞかし 後手のかねに櫂ありとしれ
 太刀先のあがるは心の動としれ 気の掛るには下るものなり
 突場をは脈のしらするものぞかし 眼にみては間に合わぬなり
 我稽古持前よりも引下げて 下手とおもわは成就程なし
天保以降進の名声があがり各藩の士が多数入門して盛行をみるにつれ、有名無名の剣客が武者修行のため足を止めるようになった(8)。

ここで、「試合前に予め型の研究をして・・・」とあるが、大石進は竹刀の長さを長くし、防具の改良をするなど、研究家であり工夫家であったことが伺える。また、教歌にも稽古の大切さが謳われ弟子にも勧めていたことから、やはり形稽古が重要であるということであろう。さらに、教歌では心の持ちようが謳われており、数々の試合をこなした大石進ならではの具体的な指導内容である。
剣術は当然ながら相手に勝つことが必要で、そのための方法はいかにするべきかを教えている。剣術の試合においてたまたま勝ったなどということはありえないことで、刀を手足の延長として操ることができなければならない。稽古をおろそかにせず、理を知りよく考えながら稽古することが重要であると教えている。さらには、型稽古の重要性も説明されているが、その目的はその場その場に応じ、臨機応変に応じられる形が遣えなければ真に稽古したとはいえない。そもそも十分に基本技が身についていれば、変化にも咄嗟に対応できるはずである。

 以上、代表的な伝書からその教えを考えてみた。詳細な技術的内容は、流派の違いにより若干異なることもあるが、共通して言えることは、心の持ちようが深く説かれている。各流各派により、型そのものの違いはあるものの、教えることは共通することが多い。特に心法を伝え、敵と戦う場合の心構えや気持ちの応じ方等が記されている。その他にも、技術的な内容として、無理な動きはしないことや無駄な力を排除しなければ相手に対する柔軟な対応はできないと教えている。これは多くの流派でも説かれていることから、もっとも元になる部分である事がよくわかる。つまり、この部分ができていなければスタートラインにつけていない状態であるといえる。

4.結論
今回、各伝書を参考に、江戸時代には師として弟子に対しどのようなことを教示していたかを検討し、どのようなことを教えなければならないかを考えてみた。自分が大石神陰流を通じて教えなければならないこととして、まずは、入門するに当たっての心構の重要性である。師の教えを疑いなく素直に聞き入れる謙虚さが最重要であり、これができないようであれば技術を教える術がないことを十分理解させる。その他に主位的立場である仕太刀と従位的立場である打太刀の関係をよく理解し、打たれるのではなく打たせ、突かれるのではなく突かせることの重要性を理解させる。このようなことを常日頃意識することこそが、ひいては日常的な行動に役立つことになり、逆に日常的行動が稽古の役に立つことへの理解につながるものと考える。
稽古には少年から人生経験の豊富な方までさまざまな方が来られる。また、それらが誰にも十分に理解できるよう工夫し、指導することが指導者の重大な課題であると思われる。


後注
(1) 公益財団法人 講道館: (http://kodokanjudoinstitute.org/learn/ (2015.8.20アクセス)。
(2) 沢庵 宗彭著:「不動智神妙録」徳間書店 19刷 1970年10月15日 
池田 論 訳 41~42ページ
(3) 宮本 武蔵著:「五輪書」 岩波書店 第6刷 1997年9月16日 
渡辺 一郎校注 11~13ページ
(4) 同上 36~37ページ
(5) 同上
(6) 同上 17ページ
(7) 渡辺 一郎:「兵法家伝書 付新陰流兵法目録事」岩波書店 第14刷
1999年11月16日 98~99ページ
(8) 藤吉 斉 : 1963年10月20日 52~53ページ

参考文献
1.藤吉 斉  :「大石神影流」
2.中村 民也 :「今、なぜ武道か -文化と伝統を問う-」 日本武道館 初版 
2007年8月23日
3.佐藤 成明 :「高め合う剣道」 日本武道館 初版 2012年10月10日
4.曽根 喜美夫:「武道教育論」 日本出版放送企画 第一版 1997年4月7日
5.宮本 武蔵著:「五輪書」 岩波書店 第6刷 1997年9月16日 
渡辺 一郎校注 
6.沢庵 宗彭著:「不動智神妙録」徳間書店 19刷 1970年10月15日 
池田 論 訳
7.渡辺 一郎 :「兵法家伝書」 岩波書店 第14刷 1999年11月16日
8.湯浅 晃  :「武道伝書を読む」 日本武道館 初版 2001年7月10日
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  1. 2015/11/27(金) 21:25:00|
  2. 昇段審査論文

大石神影流剣術五段 論文 2

受審課題 :大石神影流剱術を通じて何を教えるべきかを論じなさい。

前言
 課題である「大石神影流剱術を通じて何を教えるべきか」を論じる前に、まず大石神影流剱術について再確認してみたい。
 さらに初段から四段までの論文課題について簡単に確認したうえで、さらに「貫汪館における大石神影流剱術の位置付け(剣術、居合、柔術)」について確認し、最後に五段の論文課題である「大石神影流剱術を通じて何を教えるべきか」を論じてみようと思う。

Ⅰ.大石神影流剱術とは
 大石神影流は、柳川藩に伝えられた、陰流の流れを汲む剣術流派である。
 流祖は大石進種次であり、柳川藩に伝わる愛洲陰流剣術と大嶋流槍術の皆伝者であった。愛洲陰流は陰流の別称であり、流祖 愛洲移香斎の名を冠してそう呼ばれる。
 愛洲陰流は当時、袋撓と唐竹面、長籠手を用いて稽古をしていた。大石進種次は、この防具を改良し、独自の突技と胴切の技を工夫して、大石神影流剣術を創始したと言われている。突技には、大嶋流槍術の影響があったことは想像に難くない。
 唐竹面は十三穂の鉄面とし、胴切のために竹腹巻を考案し、長籠手を半籠手にして腕の活動を敏速にした。また突技のために喉当も考案した。従来の八つ割袋撓は、コミ竹刀に改めた。これらは、現代剣道の竹刀・防具の元となっている。
 初代と二代は江戸に出て試合を行い有名となった。初代と二代は同じ進を名乗ったため混同されることがあるが、有名なところでは男谷精一郎と試合をしたのは初代、鏡心明智流の桃井春蔵らと試合を行ったのは二代である。勝海舟はこれを「ご維新以来の騒動」と評したと言われている。
 初代が江戸に出る前に剣術修行として行った試合で有名なものに、長沼無双衛門との試合がある。初代が得意の左片手突きを繰り出すと、長沼の鉄面が破れて眼球が面の外まで飛び出してしまったと伝えられている。これは大石進の突きの威力の凄まじさを伝える逸話とされているが、実際には竹刀・防具の不完全さを表しているとも言える。長沼無双衛門は傷が癒えた後、門人18人を引き連れて、大石進に弟子入りした。
 柳川藩に伝わった愛洲陰流は、新陰流、神影流、愛州神影流とも呼ばれていた。初代大石進はこれより神影の字を選び、それに大石を冠して大石神影流と定めた。俗称として、大石流、神影流とも言うが、正式には大石神影流と呼ぶ。
 修得の過程は、愛州陰流の階程を踏襲して、截目録、陽之巻、陰之巻皆伝とした。
 大石神影流は長らく柳川藩に伝えられていたが、現代では継ぐ者がなく福岡県大牟田市 大石英一を最後に絶伝の危機にあった。近年、広島の貫汪館館長である 森本邦生が皆伝となりこれを受け継いだ。貫汪館では、無雙神傳英信流抜刀兵法と澁川一流柔術とともに大石神影流剣術を伝えている。

Ⅱ.初段から四段までの論文課題
1.初段 武道における礼と大石神影流剱術における礼法について
 武道における礼は省略し、大石神影流剱術の礼法について簡単に再確認する。
 まず、一般の剣術・居合とは異なり、刀に対する礼が存在しない。稽古と演武とに関わらず、すべて帯刀した状態から始まる。
 もちろんこれは形式上の問題であって、刀に対する敬意が存在しないということではない。刀を取り扱う際には注意が必要であって、ぞんざいに扱ってはならないのは当然のことである。放り投げたり、壁に立てかけたり、足で跨いだりということをしてはならない。また、他者からもそうされることがないよう、きちんと管理する必要がある。
 演武などの際には帯刀した状態で入場して、定位置まで進む。
 神前、上座、正面への礼は、立った状態から右足を軽く引いて右膝を着いた状態となり、上体を腰から折り、軽く握った両拳を床に着けて、頭を下げる。
 相互の礼は、元に戻り、お互いに向き直り、軽く会釈をする。
 そのまま抜刀し、演武に入る。
 終わりの礼は、逆の手順となる。
 正座の礼がないのは、柳川藩で上覧を行う際に、屋内にいる貴賓に対し、庭で演武を行ったためであると伝え聞いている。また、稽古も一般に神社の境内などで行われていたためであろう。剣術というと、板の間の道場での稽古を思い浮かべるかもしれないが、実際には時代や地域によって様々である。
 一般的に、正座が最も礼儀正しく敬意を表していると考えてしまいがちであるが、実際には蹲踞が正式な最敬礼であることもある。片膝立ちであるから略式であるなどと考え違いをしてはならない。神前、上座、正面への礼は、最もな敬意を持って行うべきである。
 お互いの礼も同様である。くれぐれも軽い気持ちで行ってはならない。敬意を表しながら、また油断のないように行わなければならない。

2.二段 これまで修行上留意してきたこと、今後留意しなければならないこと
 大石神影流剱術の特質に着目したうえで、その稽古上の注意点として考えてみる。
(1)長竹刀
 大石神影流は一般に長竹刀で有名である。
 しかし、刀の総長(切先から柄頭まで)は概ね立ったときの自分の乳の高さとしており、竹刀もそれに応じている。身長が七尺といわれた初代の大石進は、五尺三寸の竹刀を用いていた。初代よりも小柄だったといわれる二代目の大石進は、四尺二寸の竹刀を用いていた。その弟子である大石雪江も四尺二寸の竹刀を用いていた。これらはいずれも流派の掟に従っており、とくに長すぎる竹刀を用いていたというわけではない。ただ、当時の撓の長さは三尺二三寸を常寸としていたので、それに比べれば長かったのはたしかである。
 竹刀の長さが各人の身長に比していることに対して、手数の稽古に用いる木刀の長さは総長三尺八寸(刃長二尺八寸二分)と定められている。これは、あまりに身長が違う者同士では稽古も演武もしにくいものであるが、たとえ身長が同じであっても刀の長さが違うと術理の上で問題が生じやすく、それを避けるためであろうと思われる。
 総長三尺八寸(刃長二尺八寸二分)の木刀は、たしかに現代の一般的な感覚からすると長い物であると言える。しかし、身長六尺程度の人間でも、稽古次第でとくに違和感なく扱うことができるようになるものである。
 目下(背が小さい者)は、総長三尺四寸(刃長二尺四寸五分)の木刀と定められている。こちらは、現代の一般的な感覚からも受け入れやすい長さであるかもしれない。総長三尺八寸の木刀が手に余るようであれば、こちらの長さの木刀で稽古するのも良いであろう。ただし、上述のように、お互いの刀の長さが違うと、稽古も演武もしにくいものである。注意が必要である。
 可能な限り、流派の掟である総長三尺八寸(刃長二尺八寸二分)の木刀を遣えるように稽古を重ねる必要があるであろう。木刀に限らず、刃引きや真剣も同様である。
(2)突技と胴切
 大石神影流は大石進種次が愛洲陰流と大嶋流槍術を元に、独自の突技と胴切の技を工夫して始めたと言われている。
 しかし、手数の中では突技や胴切は特に多く表されているということはない。
 ただし、手数で多用される構えの一つに「附け」がある。これは、刀を胸の前に構え、柄頭を左手のひらで包むようにして、いつでも突技に入れる構えとなっている。
 胴切については、修業初期に習う試合口、陽之表、陽之裏には直接は表れていないが、似たような動作として、右肘通りを切る動作がいくつかある。修業後期に習う手数である天狗抄においては10本中3本に胴切の動作が表されている。
 大石進種次は、突きと胴切について次のように書き残している。
幼ナキ時愛洲新陰流ノ唐[金面]袋品柄ノ試合ヲ學タリトモ十八歳ノ時ニ至リヨク〃考ルニ刀ノ先尖ハ突筈ノモノナリ胴ハ切ヘキノ処ナルニ突ス胴切ナクテハ突筈ノ刀ニテ突ス切ベキノ胴ヲ切ス大切ノ間合ワカリカ子ルナリコノ故ニ鉄[金面]腹巻合セ手内ヲ拵エ諸手片手突胴切ノ業ヲ初タリ其後東都ニ登リ右ノ業ヲ試ミルニ相合人々皆キフクシテ今ハ大日本國中ニ廣マリタリ夫ヨリ突胴切ノ手數ヲコシラエ大石神影流ト改ルナリ然ル上ハ諸手片手胴切ノ業ヲ學モノハイヨイヨ吾コソ元祖タルヲ知ベシ
 突技や胴切は、いついかなる状況からでも繰り出すことができるよう稽古が必要である。実際には突くことのできない附けの構えには意味がなく、そこからは手数の発展のしようもない。胴切についても同様である。
(3)上段
 上述のとおり、大石神影流は長竹刀と突き技で有名であるが、実際に稽古してみると、上段の構えが特徴的であることがわかる。
 もちろん、構えに関しては、附けの構えを多用する点が最も特徴的と言える。しかし、いわゆる中段、上段、下段、八相、脇構えに相当する構えがある中で、どれも流派として特徴的ではあるが、その中でもとくに上段が特徴的であると言える。
 上段の構えは右足前のみで、体の左を通って半面を描くように剣を上段に持ち上げる。切っ先は右斜め上を向き、左拳は額の前、右拳は額の上となる。両肘は張らず、だらんと落ち、あたかも宙に浮いた剣にぶら下がるかの如しとなる。背は落ち、剣と両腕の重さが流れる。いわゆる一般的な上段のイメージから脱却することができないと、いつまで経っても正しい上段の構えができないということになるであろう。
 そこから振り下ろす際には、剣は正中線をまっすぐに通る。
 通常の振り上げ振り下ろしの際には、振りかぶる際に剣が体の左を通らず直線的に振り上げる点を除けは、他は同じ動きとなり、振りかぶった際には上段の構えと同様となる。剣をまっすぐに振り上げてまっすぐに振り下ろすのではなく、上段の構えを経由した振り上げ振り下ろしとなるのである。慣れない手数でただ手順を追ったり、あわてて急いで動こうとするとついまっすぐに振りかぶってしまいがちであるが、それでは大石神影流を稽古しているとは言えない。いつでも自然とこの動きができるよう、よくよく稽古を重ねる必要がある。
 この特徴的な動きは、長い刀の振り上げ振り下ろしとしてはとても合理的な動きである。正しく稽古を重ねていれば、自然と理解、体得できるものであろう。
(4)張る、乗る、気先を掛ける
 他に術理の上では、張る動き、乗る動き、気先を掛ける動きが重要となる。これらについても、よくよく稽古する必要がある。肚から動くことが重要なことはもちろんであるが、ただ手順を追っていてもできるようにはならない。内面の稽古が重要である。

3.三段 剣術の歴史における大石神影流剱術の歴史とその特質について
 歴史については“Ⅰ.大石神影流剱術とは”で、特質については前段で述べたとおりであるので、ここでは省略する。

4.四段 大石神影流剱術指導上の留意点について
 詳しくは、貫汪館昇段審査論文課題「指導上の留意点について」(自著)で述べたとおりだが、おおよその項目は次のとおりである。
・個別指導が原則であり、相手の資質に合った指導をすること
・打つと斬るの違いに留意すること
・教え過ぎないこと
・呼吸、肚、気合
・礼法、構え、素振り
・手数
・防具稽古
・伝系・歴史

Ⅲ.貫汪館における大石神影流剣術の位置付け(剣術、居合、柔術)
 貫汪館では現在、剣術、居合、柔術の三流派の古武道を稽古、伝承している。
 剣術は大石神影流剱術、居合は無雙神傳英信流抜刀兵法、柔術は澁川一流柔術である。
 古武道である剣術、居合、柔術は、現代武道である剣道、居合道、柔道と名称はとてもよく似ているが、その内容は大いに異なるものである。
 現代武道はいずれも古武道が近代化されたもので、明治以降に成立し、体系化、競技化、スポーツ化されたものであると言えよう。
 剣道であれば、防具を着用し、竹刀でもって安全な部位の打突を競い合う。
 柔道であれば、危険な関節技を廃し、武器は使用せず、素手の投げ押さえを競い合う。
 居合道であれば、型の演武の正確性、美しさを競い合う。
 いずれも、武道のある一面に着目して、専門化、特化したものと言える。
 それに対して古武道は、流派によっても大きく異なるが、一般的にある意味では全面的な物であると言える。
 大石神影流は剣術の流派であるが、小太刀、二刀、鞘之内にとどまらず、棒、長刀、鑓をも扱う。また防具を着用して竹刀での自由稽古も行うが、主な稽古は木刀による形稽古であり、打突部位は現代剣道とは異なる部分が多い。
 無雙神傳英信流抜刀兵法は居合の流派であるが、全体で約八十本ある形のうち、現代居合道のように一人で行う形は約四十本と半分程度である。そして他の形は、相手をつけて行い、その内容はいわゆる居合の技法にとどまらず、剣術や柔術的な技法となっている。
 澁川一流柔術は柔術の流派であるが、いわゆる素手による闘争を想定したものではない。たしかに稽古の最初は素手対素手の型から始まるが、究極的には相手の刀に対してこちらは素手で対するという型になる。そして刀に対するためには自らも刀が遣える必要があるのは当然のことであり、半棒や六尺棒、分童や鎖鎌の他に、抜刀術も併伝されている。
 貫汪館で稽古、伝承されている剣術、居合、柔術の古武道三流派は、それぞれが広範な分野をカバーしているとは言え得意分野が異なり、それぞれが相互補完的な存在となっていると言える。
 現代武道のように、剣だけ、居合だけ、投げ押さえだけができれば良いという価値観で稽古をしているわけではない。
 剣があれば剣で、剣がなければ素手で、剣を抜くことができなければ抜かずに、相手を制することができなければならない。そのためには、単に剣術のみ、居合のみ、柔術のみの稽古では完全とは言い難いであろう。剣術の裏は柔術であり、柔術の裏は剣術であり、居合は剣術と柔術をつなぐものである。いずれを自己の表にするにしろ、他の稽古も必要不可欠である。
 現代武道と古武道は対立するものではなく、お互いの優劣を競うようなものではないが、まったく別個のものであるのはたしかなことである。現代武道の価値観の延長で古武道を理解、修業しようとすれば、根本的な弊害を生じることであろう。よくよく注意が必要である。

Ⅳ.五段 大石神影流剱術を通じて何を教えるべきか
 これまで見てきたとおり、大石神影流剱術は古武道であり、流派剣術である。現代武道のように近代化、競技化、スポーツ化されておらず、伝統文化的な側面も有している。
 大石神影流剱術は、
・歴史ある古武道であり、現代剣道にも連なる剣術流派であること
・上述のとおりの特徴のある剣術流派であること
・貫汪館が伝える古武道三流派のうちの剣術流派であること
・ただ剣のみではない剣術流派であること
といった点が重要であると考える。
 重要なのは、ただ手数の手順を伝えるだけではなく、その文化・背景を含めて伝えるということである。
 大石神影流剱術を通じて、こういった大事を伝えるべきであろう。

参考文献;
1)「大石神影流を語る」藤吉 斉、第一プリント社、1963年、初版
2)貫汪館ホームページにおける大石神影流剣術の歴史のページ及び形のページ
4)貫汪館昇段審査論文課題「指導上の留意点について」自著
5) 〃 「剣術の歴史における大石神影流剣術の歴史とその特質について」自著
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  1. 2015/11/28(土) 21:25:00|
  2. 昇段審査論文

大石神影流剣術五段 論文 3

~大石神影流剣術を通じて何を教えるべきか~

1.序文 ~現代における「古武術」指導の意義~
 本論文は大石神影流剣術の指導を通じて指導者が門人に何を教えるべきかを論じるものである。
 現代において大石神影流剣術は「古武術」である。まずは現代における古武術指導の意義から考えてみたい。
 「武術」という言葉の一般的な解釈は戦いのための技術ということになるだろう。だが、「古」という字が表すように古武術は過去の時代の形態を色濃く残しているのが特色である。大石神影流剣術であれば、江戸時代末期に初代大石進によって興された頃の形態を今に伝えている。よって単なる戦闘技術としてこれを教えることにはあまり意義を見出すことは出来ない。当然だが想定しているのが現代の戦闘ではないからである。単に戦うための技術を身に付けることを望む者にとっては、有事の際に戦闘に携わる軍事・警察関係の組織に所属するなどし、現代において想定される状況を前提とした現代式の戦闘教練を受ける方が余程理に適っている。また、そうした軍事・警察関係の人間以外が戦闘に用いることを主眼とした技術の積極的な習得および伝播を行うことは外部の人々から危険因子と見なされかねない行為でもある。先に現代の戦闘を想定した技術ではないと述べたが、それでも物理的に他者を害することにも用い得る技術ではあり、それを身に付けるということは武器を身に帯びることにも等しい。ほとんどの場合、古武術を習うのは民間人であり、単に戦闘技術を伝える場としての在り方は望ましいとは言えず、それ以上の価値を持つ場でなければならない。
 大石神影流剣術に限ったことではないが、古武術には神、師、刀などの武具、また周囲に対し礼を払うことを学ぶ礼法としての側面がある。また大石神影流剣術の手数稽古・試合稽古で学ぶ技術は単に相手を効率的に殺傷することのみを追求するものではなく、如何に争いを治めるかという思想に基づいて作られたことが読み取れる。流派の歴史を学ぶことでそれが作られた時代背景や、伝えてきた人々の価値観を知ることが出来る。そのような技術・知識・思想を学び、それにより新たな視点や価値観を身に付け、自己の人生に活かしていく行動学としての在り方にこそ現代において古武術を教えることの意義があると考えられる。

2.武術の目的 ~調和をもたらす技術~
 古武術を単に戦闘のための技術として捉え、習得することには意義がないこと、また大石神影流剣術がそのような技術ではないことは先に述べた。
 そもそも「武術」とは何を目的とすべきであろうか。積極的に対立状況を作り、それによって発生する戦闘に参加し、敵対するものの殲滅を図るのか、可能な限り争いを避け、自己と周囲の人々の生存のために用いるのかでは全く方向性が異なる。ただ敵対する相手を殺傷するための技術だと捉えるならば、もたらすのは破壊でしかない。そのような技術には学ぶ価値は存在しない。少なくとも民間人の立場ではそのような技術を学ぶべきではないだろう。争いを治め、調和をもたらす術としての在り方にこそ存在意義がある。争いが起きぬように周囲の状況に気を配り、起きそうなときは手を尽くしてこれを防ぎ、起きてしまった場合は自己と周囲の人々の生命を守りつつ状況を素早く見極め、敵対することになってしまった相手も含め最小の被害でこれを終息させる努力をする。敵対する相手をただ力で制圧するようなやり方では押さえつけられた側には憎悪が残り、後々に新たな争いの火種となる。可能な限り禍根を残さずに争いを治める。これが武術の目的とすべきところである。
 現実的には一個人、特に一民間人では出来ることは限られているが、社会秩序とはそれを構成する個々人の意識の積み重ねによって成り立っているものであり、先に述べたような思想を持った人間が多くなれば、大きな影響力と成り得る。指導者が力を尽くしてその目的たるところを教えれば、古武術の指導はそのような社会的意義を持つものだと考えられる。
 調和をもたらす術、という観点から大石神影流剣術の稽古を通じて教えるべきことを以下に述べる。

(i)他に心を配る
 大石神影流剣術に伝わる礼法には神前への礼と相手への礼がある。これらの動き方を教えることも流派を伝える上では大切なことだが、ただ「そういう手順の動き」として教えるだけではいけない。重要なのは気持ちのこもった礼、礼の対象にしっかりと意識が向いた礼が出来るよう指導することである。神前への礼では神の存在をイメージして、相手への礼では目に見えない相手の心に意識を配り、相手の心の働きを感じながら礼法を行うことを教えるべきである。これは手数の稽古にも通じるものであり、様々な形で相手の心を読むことを学べるように仕組まれている。例としては、陽之表の一本目「阳剣」では相手の起こりを捉えること、二本目「阴剣」では相手の働きに応じること、四本目「二生」では相手の変化するところを捉えて機先を掛けることを学ぶ。これらは自分勝手に手順通りの動きをすることに終始していては絶対に身に付くものではなく、相手の心を感じることを学ばなければ習得できない。
 大石神影流剣術の技術はすべて他との関係性の中で成り立っているものであり、自分本位に構成されているものは無く、相手と調和することを求めるものばかりである。稽古を通して教えるべきはこのような心の働きであり、これの習得は日常の社会生活においても他者との調和に寄与するものである。他者の心の状態を感じ取れるようになれば、相手の次の行動を予測して最適な対応をすることが出来るようになる。既に対立状況になってしまった相手に対応するだけではなく、家族・友人・同僚・上司といった人々との関係においても、相手の心に気を配ることで相手の望みを理解して尊重し、適切な言葉・行動で自分の思いを正しく伝えることで円満な関係を構築することが出来る。自らの周囲に調和をもたらすことは争いを未然に防ぐことにも繋がる。

(ii)多角的な視点
 物事を多角的に捉えられる視点を持つことも調和をもたらすために必要なことである。

 江戸時代以前、武術は単一の種目のみに偏らず、複数の種目を併修することが良いとされた。そのため、複数の流派に入門することも珍しい行為ではなかった。これはいざという時は戦場に出る必要のある武士はあらゆる状況に対応できるようにしておく必要があり、様々な技術を満遍なく学ぶことが求められたためである。剣ばかりを修行して戦場の主要武器たる火縄銃や弓矢などの飛び道具、または鎗などの長柄武器の技術は身に付けていないので、戦場に出ることは出来ない、といった状態では武士身分に求められた技能として不適格だと考えられる。町民・農民身分の者が自衛のために武術を学ぶことも珍しくなかったが、その場合も当時の盗賊の類は刀を持っているのが当然で、長巻や鎗などの長柄武器で武装している場合もあり、身を守るためには自らもそれらの業を知っていることが望ましかった。相手の出方を見てから対応していては身を守ることは難しい。相手の動きを予測することが求められるが、そのためには自分自身が相手の使う業と同種の技術を知っている必要がある。剣に対抗するためには剣を知らなければならず、鎗に対抗するためには鎗を知らなければならない。
 大石神影流剣術は剣を中心とする流派であるが、大小差しの内の大刀を用いる技術だけではなく、鎗・長刀・六尺棒を扱う業、剣術も鞘に納めた状態から用いる抜刀術、大小の刀を両手で用いる二刀、小刀で大刀を持った相手に対する小太刀、といった多種多様な技術を含んでおり、決して単一の技術に終始するものではない。また貫汪館では伝えている他の二つの流派、無雙神傳英信流抜刀兵法と澁川一流柔術も併修することを推奨しているが、無雙神傳英信流抜刀兵法も複数の種目で構成される流派であり、一人で行う素抜き抜刀術の他に剣術・柔術を含む、澁川一流柔術も同じく複数の技術を含み、素手対素手、素手で懐剣・刀などの武器に対する業、棒・十手・分銅・鎖鎌で剣に対する業がある。これらを併修する場合、さらに多種多様な技術を学ぶことになる。
 実技を学ぶ上では流派の歴史についても学ばなければならない。何故そのように技術体系が構築されているのかを理解するためにはそれが作られた時代背景についても知る必要があるからである。先に述べた江戸時代以前に複数の武術を学ぶことが当然であったこともそういった背景の一つであり、実技の本質を理解するためには歴史の学習は欠かすことの出来ない要素である。
 これまで述べた多種多様な技術の稽古、そして知識の学習を通じて教えるべきは物事を様々な面から見ることの出来る多角的な視点を持つことの重要性である。自分が今知り得ていることが全てだと思ってしまえば、その範疇の外にある事象を理解することは出来ない。自分の価値観の外にあるものを受け入れる余地を無くしてしまうからである。このような状態では不測の事態が起きた時、それに対処することが出来ない。そういった単一の価値観に囚われた状態に陥らないためには自分に見えているのは事象の極一部に過ぎないのだと観念し、別の視点から事象を理解しようとする姿勢を持たなければならない。多種多様な技術の稽古からは一つの方法論に偏らないことを、歴史の学習においては現代とは全く異なる文化背景について知ることを通じて今までの人生で身に付けてきたものとは異なる視野で物事を見ることを教えることが出来るはずである。
 多角的な視点を持つことは他者と調和することに繋がる。これは先に述べた他に心を配る、ということとも密接に関係している。他者と調和するためには相手を知ることが必要である。他者を理解するためには相手の立場に立って考えることが出来なければならない。自分とは異なる価値観を持つ相手を知るためにはその価値観を理解する必要がある。多角的な視点を持ち、様々な観点から物事を考える姿勢を持っていれば他者の立場、他者の価値観を理解でき、それは他者との調和へ繋がる。常に相手の立場・価値観を理解するように心掛けていれば、相手の意思・行動を不必要に阻害せず、無用な対立を招かずに済み、対立状況に陥ってしまっても相手の考え方・取り得る手段を予測して対立状況の解消のために有効な対策を考えることが出来るからである。

3.師は絶対のもの ~学ぶ者の取るべき姿勢と師の責任~
 指導者(師)と教えを受ける者(弟子)の関係も重要である。弟子にとって師は上位に立つ存在であり、その教えは絶対のものである。弟子が師の教えに疑問を呈したり、自分勝手に解釈したりすることは許されない。師は進むべき方向を示しているのに、それと異なった方向を向いていては教えを理解し、身に付けることは絶対に叶わないからである。上位にある師の理解と弟子の理解ではその程度に隔たりがある。師の示す動き、話す言葉は弟子の理解の程度より上位にあるものであり、弟子が現在理解できていることを基準に解釈していては師の教えの本質を捉えることは出来ない。師の動き・言葉の表面にあるものだけではなく、その奥、その裏側に込められたものを学び取るためには一切の私見を差し挟むことなく、素直に師の教えに従い、わからなければわかるまで努力を重ね、どうしても理解できないときは真摯に問う、という姿勢が必要である。こういった姿勢は武術に限らず、何かを学ぶときには必要なことであり、教えを受ける者が指導を受け始める以前から具えていなければならないことであるが、必ずしも充分に具えられているとは限らず、必要に応じて教えていくべきことだと考えられる。

(i)物事の本質を理解する
 このような姿勢を持つことは物事の本質を理解する能力を養うことにも繋がる。先に触れたように師の教えを受ける際はその表面だけでなく裏側にあるものも学び取ることが求められる。師が一時に示す動きや言葉はあくまで表面的なものだが、そこには師がそれらを修得する過程で得た経験、身に付けてきた知識が込められているからである。特に武術流派のように「形」で伝えられる技術体系はそれを組み上げた人物の膨大な経験が集積されたものであり、いま目の前にいる師だけではなく、流派を伝えてきた先人達の教えも込められている。先に述べた多角的な視点で見ることとも通じるが、あらゆる物事はその表面に見えているものだけで出来ているのではなく、それが成立するための背景がある。物事の本質を理解するためにはその背景についても知らなければならない。私見を差し挟むことなく、師の教えを素直に受け取り、その裏側にあるものを学び取る努力によって様々な物事の本質を捉える感性が養われるのである。

(ii)師の責任
 序文で述べたように武術は直接的に他者を害することに用い得る技術である。また武術に限らず多くの「技術」や「知識」は程度の大小はあるが、個人やあるいは社会に何らかの影響を及ぼす「力」であり、それの悪用は社会秩序の破壊に繋がるものである。例としては、医学・化学の知識は毒物の生成に、土木技術は大規模な破壊に、経済学・社会学・心理学・法学などは他者の生活に影響を与え社会的地位の喪失を招くことにも用い得る。このような観点で見た場合、武術の影響力は個人レベルのものであるが、それでも極めて直接的な「力」でもあり、その悪用は決して許してはならないものである。先に述べたような学ぶ姿勢を弟子に取らせなければならない理由がここにある。弟子は当然のことながら学んでいる技術についての理解は未熟な状態にあり、師の教えを唯一の道標として上達の過程を進んでいくものである。弟子が自分勝手な解釈で間違った方向に進むことがあってはならず、師は常に正しい方向へ導いていかなければならない。そのためには師自身が常に自己を顧み、正しい方向を向けているのか自問し続けなければならない。弟子をより良い方向へ導いていけるよう師自身が常に上達のため不断の努力を重ねる必要がある。そのような努力なしでは、指導は浅薄なものとなり、動きも言葉も弟子を導くのには不十分なものとなってしまうだろう。
 武術は師から弟子へ、盃から盃へ一滴も溢すことなく水を移すように伝えられていくものである。いま教えている弟子にはいずれ師となって次の世代の弟子に流派を伝えていってもらわなければならない。師の行動・態度のすべてが弟子にとっての教えであり、またそうであるように努めていく責任がある。

4.まとめ ~「行動学」 生きた文化として伝えるために~
 これまで述べたように大石神影流剣術を通じて教えるべきことは、他者に心を配り、多角的な視点を持ち他者と調和を図ること、師との関係から物事を学ぶときに取るべき態度を身に付け、本質を理解する力を養うことである。稽古を通じてこれらを学び、自己の生活に活かしていく行動学として在り方にこそ現代における大石神影流剣術を含めた古武術の存在意義を見出すことが出来る。他の技術でもそうだが武術には危険な側面もあり、身に付けた人間が間違った方向にそれを用いることは断じてあってはならない。これからの時代に生きた文化として大石神影流剣術が伝えられていくためにも、学んだ人間が自己の人生をより良い、豊かなものとしていくための学びの場として存在していくべきである。


参考文献
1)森本邦生:貫汪館 本部ホームページ
2)森本邦生:「道標」

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  1. 2015/11/29(日) 21:25:00|
  2. 昇段審査論文

無雙神傳英信流抜刀兵法 六段 論文

受審課題 :無雙神傳英信流抜刀兵法普及の方策について論じなさい。

前言
 無雙神傳英信流抜刀兵法普及の方策について、まず貫汪館の現状の方策について分析し、続いて現在は行っていない方策について検討してみようと思う。

Ⅰ.現状の方策について
 現在、貫汪館の本部道場、地方道場、各支部において行われている普及の方策は、次のとおりである。
 それぞれ、内容の説明、特徴、その効果の順でおおむね記述することとする。

1.チラシ、ポスター、会報の作成
(1)チラシ
 昔ながらの紙媒体である。道場名、流派名、稽古場所、稽古時間、キャッチコピーなどを記載して、地区センターやスポーツセンター、店頭などに置いたり、掲示板に掲示する。
 作成が容易で費用も掛からず、設置や掲示も比較的簡単なため、本部道場、地方道場、各支部で行っている。
 しかし、実際の効果はあまりないようである。チラシを見て入門という話は今のところ聞いていない。
(2)ポスター
 貫汪館主催の奉納演武や講習会の際に作成し、会場周辺などに掲示している。またその画像をフェイスブックへの投稿にも利用している。
 開催場所、日時、参加費、内容などを記載して、派手な画像を配置し、デザインを工夫する必要がある。ただ、専用のソフトがないと作成も難しく、手間の掛かる作業と言える。また、カラーインク、大型のポスター専用用紙などは費用もかなり高額なものとなる。
 普及というよりは、奉納演武や講習会の単発の宣伝、集客効果が見込まれる。
(3)会報
 年に数回、会報を作成しており、行事報告が主な内容である。
 主に、柔術の子供の門人の家族への配布が目的であるが、PDFファイルとして本部ホームページへもアップしている。
 外部に向けての普及というよりは、内部広報が目的と言える。

2.都道府県、市区町村への団体登録
 これも昔ながらの方法で、道場が所在する各都道府県、市区町村など役所へ団体登録を行う。チラシ同様、道場名、流派名、稽古場所、稽古時間、キャッチコピーなどを記載して、団体登録を行う。
 役所が相手のため平日に調整を行う必要がある場合がほとんどであるが、登録は比較的簡単な場合が多く、通常は費用も掛からない。
 やはり本部道場、地方道場、各支部で行っているが、実際の効果はほとんどないようである。登録情報を見ての入門という話は今のところ聞いていない。おそらく、武道の道場を探す手段として、役所に問い合わせるという発想はあまり一般的ではないのであろう。

3.インターネットの利用
(1)武道の検索サイトへの登録
 武道団体専用の検索サイトがいくつか存在する。武道から格闘技まで一緒のサイトから、居合だけのジャンル分けができているサイトまで様々である。
 登録はインターネットで行えるので、場所と時間の制約がない点は負担が少ない。入力項目は基本的なものだけのサイトから、所属連盟まで登録できるサイトまで様々である。またすぐに反映するサイトもあれば、反映までの日数が掛かるサイトもある。
 検索サイトの効果は、何件か確認されている。検索サイトで検索して、見学体験に来て入門した、という話を聞いている。
 ただ、登録すればすぐに問い合わせがある、というほどの爆発的な効果は期待できない。他にも多数の団体が登録されており、目立つための工夫が必要ということかもしれない。また、これから武道を始めようという人間は、そもそもこういった検索サイトがあること自体を知らない場合も多いようである。
(2)ホームページ
 本部道場のホームページは平成16年開設であり、すでに10年以上が経過している。当初、流派紹介や稽古場所、稽古日時の紹介から始まり、会報の掲載、行事のギャラリー、ブログのアップなど、常に更新を行っている。また地方道場、各支部の設立に伴い、それぞれの道場、支部のホームページも開設した。
 以前は、ホームページを開設するためには専用ソフトが必要で、HTMLなどの専門的で高度な知識も必要とされたが、現在はフリーのページも提供されており、HTMLなどの知識がほとんどなくても簡単に開設できるような環境となっている。
 ホームページには効果が認められている。ホームページを見て講習会に参加した、見学体験に来た、入門したという話を多数聞いている。地元で武道を始めたいという人間は、現代ではまずインターネットで検索するということが多いであろう。その際、ホームページは重要な役割を果たす。
 その場合、SEOは重要である。地元住民の注目を集めるためには、地元の地名は必須である。また、「貫汪館」や「無雙神傳英信流抜刀兵法」といった単語を含めるのは当然のことであるが、それよりも「古武道」「居合」といった一般的な単語を含めた方が効果が高い。これから武道を始めようという人間は、専門用語を知らないのだから、これは当然と言える。
(4)ブログ
 本部ホームページにおいて、ブログ「道標」を館長が毎日更新している。貫汪館の方針、館長の考え、活動報告、無雙神傳英信流抜刀兵法について、大石神影流剱術について、澁川一流柔術について、などがアップされている。
 また、各支部の稽古日誌もブログの一種であると言える。
 比較的古い媒体ではあるが、情報発信としては有効な手段の一つであると思われる。
(5)フェイスブック
 貫汪館では現在、フェイスブックを活用している。これは宣伝、という意味ではとても効果が高く、情報発信の場となっている。毎日の館長のブログの更新、支部の稽古日誌の更新、講習会の告知、奉納演武の告知、などなど。
 年代が上の世代やパソコンが苦手な人間には抵抗があるようであるが、慣れれば簡単なものである。パソコンがなくても、スマートフォンから簡単に更新、閲覧ができるのも強みの一つである。
(6)ツイッター
 ツイッターの公式アカウントも作成されているが、現在は活用されていない。
 情報拡散という点では圧倒的な力を有しており、活用が望まれる。

4.友人、知人、職場の同僚への勧誘、口コミ
 友人、知人、職場の同僚への勧誘である。武道に興味がある人間がいれば、すでに見学体験、入門しているかもしれない。
 本部道場において、ヨガや瑞穂舞の講習会の際には行われており、単発の付き合いでの参加はあるが、入門にまでは至っていないのが実情である。
 一方、口コミによる入門も確認されている。友人、知人、職場の同僚への勧誘と異なり、積極的なものではなく、結果として効果があったということであろう。普段から良好な道場運営を行っていることにより、結果として人の輪が広がるものであり、ただやみくもに宣伝をすれば良いというものではないであろう。

5.講習会の開催
(1)本部講習会
 本部では、毎年数回の講習会が開催されている。
 会場の確保、事前の準備、当日の運営、片付け、定例稽古日以外(主に週末)の利用、といった手間はあるが、一般からの参加があったり、以前から興味があった人間の参加があったり、地方から参加してそのまま入門というケースもある。
 一定の効果はあり、今後も定期的な継続が望ましいと思われる。
(2)支部講習会
 横浜支部において年二回開催されている。
 本部講習会と同様の手間が掛かり、本部から館長を招聘するために交通費が掛かるなどのコストは必要だが、やはり一定の効果は見込まれる。
 入門にまでは至っていないが、知名度を上げるといった点では効果があると思われる。
(3)外国人向け講習会
 武道に興味のある外国人は多い。しかし、言葉の壁があって、参加をしないことが多い。
 外国人向けに、外国語のポスター作製、ホームページへの掲載などが必要となる。
 今までにも参加実績があり、外国人の入門者もいる。
 いずれ、外国支部が設立されることもあるであろう。

6.演武大会、奉納演武、各種イベントへの参加
(1)演武大会
 貫汪館では以前より、日本古武道協会主催の日本古武道演武大会などに参加している。
 広島からの参加は交通費などのコストが掛かる点が問題と言えるか。
 ただ当然、これにより知名度は上がり、演武を見れば他との違いもわかり正しい認識につながることが期待できる。また、その演武を見て興味を持ち、見学体験、入門というケースもある。効果は高いものと言える。
(2)奉納演武
 同様に、日本古武道振興会が主催の明治神宮、下鴨神社、白峯神宮での奉納演武などに参加している。また近年、貫汪館において出雲大社での奉納演武も主催している。今年は、貫汪館設立20周年記念として、貴船神社、松尾大社、石清水八幡宮での奉納演武も主催した。
 主催する際には、事前の準備、調整、当日の運営といった手間は大変なものがあるが、知名度を上げる、実績を作る、といった点では効果的であろう。演武大会と同様の効果が見込まれる。
(3)各種イベント
 古武道関係の行事があれば、積極的に参加している。演武大会、奉納演武と同様である。また、古武道と直接関係がなくても、関連があるイベントであれば、可能な限り参加している。講演の際に演武するなど。
 観光客や外国人相手の場合、集客効果も高く、その場では大変喜ばれるが、けっきょくはその場限りのものであることが一般的である。ただ、波及効果は見込まれる。
 お祭りの際の出し物としての演武は行っていない。軽いパフォーマンスとみられる危険性があるためである。ただし、地元への周知という意味では効果が高いものと思われる。
 筑波大学での古武道体験プログラムにおいては、留学生に大変な好評を得た。
 嵐山伝統武道奉賛会が主催の嵐山伝統武道大会は、嵐山駅はんなり・ほっこりスクエア2周年感謝際の一環として嵐山駅前特設会場で開催された。貫汪館では、無雙神傳英信流抜刀兵法、大石神影流剱術、澁川一流柔術の演武を行ったが、真夏の暑い陽射しが容赦なく照りつける中、たくさんの観光客が熱心に観覧していた。

7.古武道振興会、古武道協会への加盟
 貫汪館は、古武道振興会と古武道協会へ加盟をしている。
 上述のとおり、古武道振興会、古武道協会が主催の演武大会などに参加している。
 入会費、年会費などが掛かることと、行事参加のための交通費が掛かることがネックか。

8.組織力の強化(NPO法人化、支部の設立、昇段審査)
(1)NPO法人化
 貫汪館は今年、創立二十周年の節目の年を迎え、組織をNPO法人化した。
 所管の都道府県に書類を提出しなければならず、約款の作成や役員の選出、法人登記簿の作成など、準備には大変な手間が掛かる。また、NPO法人化後も、収支報告や事業報告などが必要となる。
 しかし、NPO法人化することで、社会的な信用度は一気に上がる。地方の一町道場と、都道府県の認可を受けた法人では、その信用度は比べるまでもない。
 各種助成金の申請の際にもその信用度は重要なものである。門人増加に直接関与するものではないが、重要なことである。
(2)支部の設立
 地方に入門希望者がいても、地方から広島へ通うのは困難が伴う。各地方に支部があれば、入門は容易なものとなる。また、転勤などがあった場合でも、各地方に支部があれば稽古を続けやすくなる。
 実際、日本古武道振興会が主催の明治神宮での奉納演武の際や、日本古武道協会が主催の厳島神社での奉納演武の際には、見学客から地方に支部はないのかと問い合わせをされたことが何度かあると聞いている。当時は支部が存在せず、案内ができなかったと。
 現在は、横浜、名古屋、大阪、久留米などに支部があり、地方での入門が可能である。
 ただし、支部を任せられる支部長を育成する必要があり、人材と年数が必要となる。
(3)昇段審査
 せっかく入門しても、その稽古が続かなければ意味がない。古武道の伝統的な免許段階を守る必要もあるが、修業者のモチベーション維持のためにも、昇段審査は有効な手段と言える。
 流派ごと段位別の審査課目や論文課題、審査基準の策定、合否の判断などが必要となる。
 ただし、昇段を機により一層の稽古に励む者ばかりとは限らず、昇段によってかえってモチベーションが下がる者もいる。また、段位を笠に着る者もいるかもしれない。良い点ばかりではなく、その弊害にはよくよく注意すべきであろう。

9.日本武道学界での論文発表
 館長は日本武道学界の会員であり、以前から論文を発表している。
 古武道は日本の伝統文化であり、武道史の研究は必須である。
 研究のための費用は膨大なものとなるが、貫汪館は単に技を伝えるだけではないという証となるであろう。

Ⅱ.現在行っていない方策
 現在、貫汪館で行っていない普及の方策には、以下のものがある。

1.居合道連盟等への加盟
 現代居合道、あるいは古武道としての居合道場が所属している連盟は複数ある。
 しかし、貫汪館は現在、これらいずれの連盟にも加盟はしていない。それは、たしかに加盟することによって道場の人数は増えるだろうが、それによる弊害もあるからである。
 それぞれの連盟にある制定居合を稽古しなければならなくなる。自流のみの稽古では、行事への参加が制限され、加盟の存続はなにかと難しいものとなるであろう。
 昇段審査や競技大会の存在があり、自流の業のみを稽古していれば良いということにはならない。昇段審査や競技大会があれば、それに参加したくなるのは人情であり、参加する以上は優秀な成績を収めたいと思うものである。そうなれば当然、自流の稽古がおろそかになる危険性がある。また、昇段審査や競技大会とは関係のない太刀打や詰合、大小詰などの稽古はなおさらであろう。
 他者に判断を求める昇段審査や競技大会においては、どうしても見栄え重視となりがちである。それでは、貫汪館で伝える無雙神傳英信流抜刀兵法普及の本質から離れてしまうことになる。それは避けなければならない。普及のために本質を犠牲にしてしまっては、本末転倒というものである。
 連盟は複数の流派が所属するものだが、上述のとおり昇段審査や競技大会があるため、どうしても統一された価値観になりやすい。そういった価値観は、貫汪館の求めるものではないのである。

2.娯楽メディア
 小説、マンガ、ゲーム、映画などに剣術、居合の流派が登場することにより、一時的なブームになることがある。
 こちら側から積極的に仕掛けるようなものではないが、結果的に普及につながることがあるかもしれない。

3.動画サイトへの動画アップ
 動画サイトへの動画アップである。各地での奉納演武を撮影した第三者がアップしている動画を散見するが、貫汪館としては積極的に行ってはいない。
 無雙神傳英信流抜刀兵法は古武道であり、秘伝と公開のバランスが難しいというのが一つの理由である。しかし、奉納演武などで興味を持って入門する者がいるが如く、動画を見て興味を持つ層が必ずいるであろう。技術的な問題はあるが、導入すべきと考える。

4.学校教育、スポーツジム、カルチャーセンター
(1)学校教育
 剣道や柔道は、学校の体育やクラブ、部活動で行われており、広く普及されている。
 しかし、無雙神傳英信流抜刀兵法は古武道であり、学校教員が一律に指導できるようなものではない。安全性の確保、道具の確保などの面からも、困難と思われる。
(2)スポーツジム、カルチャーセンター
 各種の現代武道、古武道、外国の武術がスポーツジムやカルチャーセンターのレッスンとして行われている。安定した場所の確保、生徒の確保ができる。一般になじみのない武道場や体育館よりも、ハードルが低いであろう。
 レッスンでは初心者向けの内容を指導し、本格的な稽古を希望する者には道場へ入門というのが有効な手法であろう。

結言
 普及とは、高い知名度、正しい認識、門人の多さの三つに集約されるだろう。
 いずれにしろ、潜在的な需要はあるはずである。
 今後も積極的な情報発信に努めたい。
DSC_0027a.jpg
  1. 2015/11/30(月) 21:25:00|
  2. 昇段審査論文

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Author:貫汪館館長(無雙神傳英信流 大石神影流 澁川一流)
無雙神傳英信流抜刀兵法、大石神影流剣術、澁川一流柔術 貫汪館の道標へようこそ!

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